2019年11月7日木曜日

かってに予告編 ~ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第151回

●ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第151回

2019年11月10日(日) 14:00開演

指揮:沼尻竜典
ピアノ:ユッセン兄弟
管弦楽:東京交響楽団

モーツァルト:三台のピアノのための協奏曲 ヘ長調 K.242「ロドロン」(二台ピアノ版)
ショスタコーヴィチ:交響曲第一一番 ト短調 Op.103「1905年」

はい、雑な世界史の授業です。今日はみんな大好き()ロシア革命の話をします。
「ロシア革命」には第一次とされる失敗に終わった1905年の蜂起、そしてソヴィエト社会主義共和国連邦が成立するに至る第二次(1917年)があります。授業終わり。

というのは雑すぎるけれど、今回必要な最低限の、さらに最低限の知識はこれだけじゃないかなあ。そのバックボーンとなった思想や、当時の社会構成、実際の蜂起についてのあれやこれやを知らないといけません、とは私は思っておりません(この辺が相当に雑)。もちろん、ロシア革命とその顛末は知れば知るほどに興味深い世界史上の出来事ですが、その事実関係については山のような書籍が出ております。それを手当たり次第に紐解くのがよろしいかと思いますので、ここでは別のアプローチを提案しますよ。それは「その時代を生きた人たちのお話を聞いてみよう」というもの。とは言っても私たち市井の個々人がソ連時代の証言を聞いて歩けるわけもなし、であればこんな映画でどうだろうか、というのが今回のご提案です。
幸いなことに、セルゲイ・エイゼンシュテインという卓抜した才能がその時代を描いた作品を作ってくれていますから、それを見ていただけばその時代の空気に触れることもできましょう、そしてこれらの映画を見終わった後には立派な”同志”諸君の出来上がりです。あ、最後のは冗談ですよ。

「ストライキ」

「戦艦ポチョムキン」

「十月」


三作を続けてみるのもなんですか、良薬もさすがに取りすぎりゃあ「毒」ってなものですから、ここは「戦艦ポチョムキン」と「十月」だけでもぜひ(それでも二本かい)。前者で権力に撃ち斃される民衆を、後者で勝利するボリシェヴィキを見ておけば、少なくとも雰囲気だけなら掴めましょう。

それでも、映画見るのも大変でしょう?なんて思っているあなたに、たった二時間弱で第一次も第二次もわかっちゃう、秀逸な二つの交響曲があるんですよ。ショスタコーヴィチっていう人の、第一一番と第一二番なんですけどね。はい、ここまでが前ふりです。映画をご覧いただいた皆さんはここにたどり着くまで何時間かかるんでしょうか(笑)。

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今年はなんのご縁なのか、ここまでに数多くのロシア、ソヴィエトの傑作に触れることが出来た。ロシア音楽がフェスタサマーミューザKAWASAKI2019のテーマ的な扱いだったおかげもあるけれど、ムソルグスキーやハチャトゥリアンの秘曲(演奏しにくい編成だってだけですが)からチャイコフスキーやショスタコーヴィチのド名曲の名演まで、あれもこれも本当に刺激的だったなあ…なんて思う私ですら、かなりの聴き逃しがあるくらいには多くの作品が取り上げられてきた(口惜しいので何を「聴き逃した」と感じているかは書かない)。そうした機会を迎えるにあたって、つどつど予告を書いてきた余録がそろそろあってくれるはず…と思ったのだけれど、かなり簡単にしか触れていない。だがそこで書いたことをこの作品について書く前にもう一度書いておこう、「おそらく、プロパガンダを強制された中で達成された最良の作」と。

1953年にスターリンが亡くなって、少しはマシな状況になったのだろうショスタコーヴィチは、それまでのようには交響曲を多作しなくなる。もちろん、年齢的なものや手法的な模索など、それぞれの理由はあると思うけれど、「DSCH」という音による自らの署名をフォルテッシモで叫んだ第一〇番のあと、1957年までショスタコーヴィチは交響曲を発表していない。この空白あって生まれたこの第一次ロシア革命を題材とした作品は、初期の第二、第三番のようなロシア・アヴァンギャルドの最終走者としての挑戦的な作品ではまったくなく、特に”西側”では作曲者の堕落として否定的に評された、という。私自身、作品をまだ知らない段階でいろいろ聴き漁る中でも「映画音楽っぽいかな」なんて、それらしいことを思っていたような気がする。特に第一二番。番号順に聴き進めていけばその後に第一三番「バビ・ヤール」が来るのだから、こういう感想は残念ながら当然、というところではあるんじゃないかな(過去の若気の至りをそれとなく肯定)。
だがしかし、ちゃんとした演奏で聴けばこの革命を描いた二曲は十分に聴きごたえのある作品だとわかる。ちなみに私はキリル・コンドラシンとモスクワ・フィルによる全集の、国内盤を聴いて認識を改めました(輸入盤では決してなく)。希少盤と化して久しいあの全集、再販しないかなあ…

余談はこのくらいで。今回演奏される交響曲第一一番は、残念ながらロマノフ王朝によって斃される、まだ素朴な請願行動である「血の日曜日事件」を軸にして第一次革命の勃発を描き出した、「凍るようなロシアの長編小説」です(井上道義・談←本当です。リンク先参照)。革命歌や自作、同時代の作品などの引用を用いているからとても聴きやすく、そしていつもの(まあ裏があるんですけどね)と感じさせるショスタコーヴィチとは一味違う、凝縮されたひとつのドラマを楽しめることでしょう。あいや、題材を考えると「楽し」くはないのですが。さまざまな形で示される”鐘”の響きが、デモに託された祈りとして響く、もはや神童ではなくなったショスタコーヴィチの充実した作品、実演でぜひ。

こういうところにも縁というのはあるな、と思うことを最後にひとつ。
台風19号の翌日に、多くの困難を乗り越えて開催された前回の名曲全集は、なかなか実演では聴くことのできないアイヴスの「答えられない質問」で始まった。あの響きをご記憶の皆様は少しだけ反芻しておいて、ショスタコーヴィチの交響曲冒頭を聴いてみてほしい。同じように弦楽が美しく、しかし無表情に響く導入からの展開のコントラストの妙をお楽しみいただけよう。


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なお、冒頭で演奏されるモーツァルトについては私もあまり馴染みがないので(正直)、ユッセン兄弟の他作品の演奏でも聴いて準備しておくのはいかがでしょうか。



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公演前夜に少しだけ補足を。
まず、これは個人的な捉え方なので他の方に異を唱えたいわけではありません、と前置きして。私は、最近ショスタコーヴィチ作品を同時代の政治的トピックと結びつけることの有効性に少々の疑念を感じていて、だから文中ではハンガリー動乱の話をしていません。ただし、21世紀になっても民衆蜂起は使われ続ける手法なのだ、と感じている昨今にこの作品が取り上げられる偶然には少しばかり思うところがあります。それについても書いていないのは、ショスタコーヴィチがひとつの出来事を深く直観して作り上げた作品の持つ普遍性を示すものなのではないか、と考える次第。演奏を聴いたらまた考えるべき事柄ではあると思います、でも「予告編」で私が言うことではない、とも思う。このあたりがショスタコーヴィチにまつわる難しさであり、面白さでもありますね。

そしてこれは意識して聴いてほしいポイントです。この作品のライヴでは”伝説の事件”も起きたわけですが、その焦点だった「鐘」の音の変容をたどって聴くのはとても興味深いものになると思います。特にも、今回は世界最高レヴェルの解像度を誇るミューザ川崎シンフォニーホールで、そこを本拠地として鳴らし方を熟知した東響が演奏するのです、簡潔ながら実に効果的なショスタコーヴィチの管弦楽法を聴き取るこれ以上の機会がありましょうか。
ここで言う「鐘」は、スコアにして243ページにようやく登場するベルだけを指すのではありません。この作品では、冒頭で弦楽合奏に輪郭と響きを加えるハープから、チェレスタやシロホンなどの楽器が全曲をつうじて「鐘」を響かせているのです。その鐘がロシアではどのような意味合いを持つかについては、「ロシア・ビヨンド」のこのページが参考になるかと思います※。

※いわゆる共産圏プロパガンダが嫌いな方には、このサイトの閲覧をオススメしません。私はスプートニクでもFOXでも、使える部分は使う主義なのでここにリンクしました。
そんな都合よくいくものかね、と思われる方はこんな番組でもご覧になってはいかがですか、そのうち再放送もありましょうよ、とご案内しておきます(こっちは我らが公共放送のサイトなので注釈しません)

そして最後にもうひとつ。文中で作品評を紹介した井上道義指揮によるショスタコーヴィチの交響曲第一一番が、11/17に放送されます。詳しくはリンク先でご確認くださいませ。

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