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2013年4月22日月曜日

ベルリオーズの話 その交響曲について~または動画日記のようなもの

こんにちは。千葉です。

間を空けずに書き続けるのは難しいのです。特に、お題が少し大きくなるとそこから書くものがかってに拡がってしまうのでますます難しくなる。そうか、コンパクトにまとめることが自分の場合過大なのだな、ふむふむ(いま気づいたのか!)。

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そして復帰する今日の記事はまあ、動画日記でもいいのだけれど、ちゃんと中身までは見られてないものが多いので。

先日、「ベルリオーズのスペシャリスト」なる評価について疑念を呈しました。もちろん、その演奏が悪い!とか言いたいわけではなく(先日書いたとおり、千葉はサー・コリン・デイヴィスについては何度かの実演での経験が大きすぎて、録音をうまく評価できませんが、聴いたいくつかはきちんとしたお仕事だったかと)。ベルリオーズという人が、非常に独特な作曲家であって、その「スペシャリスト」ってのは何を指すのかねと問いたいのです。

生きた時代はアーノンクールが言うところの音楽受容の転換期、フランス革命前後。特段神童だったりしたわけではなく(得意な楽器はギターだった、とかなんとか…)、ベートーヴェンを尊敬しワーグナーやリストとも交友があった、作品の評価のみならず社会の変化にも影響されてその地位も大きく動いている。その生涯については、千葉はこの本で学びました。大部なので、なかなか大変でしたけど…




読んだもんねー、だから俺のほうが知ってるもんねーとか言いたいわけじゃないんですよ(笑)。時代の相を踏まえて捉えるようにしないと、こんな変な作曲家(褒め言葉)をちゃんと認識できるとは思えないのです。それ故に、「幻想交響曲の人、でもたしかいろんなジャンルの作品を書いたんだよね」くらいの認識で喧伝されることになっちゃってるんじゃないかなあって。そんな具合だから、簡単に「スペシャリスト」とか言えちゃうんじゃないかなあ、って。

こと交響曲ひとつ取っても、彼ははっきり言って変です。
ベートーヴェンの没後3年で発表された「幻想交響曲」が独特であるのは言うまでもないですが(とはいえ、かなり彼自身の書いたプログラム通りに作られた交響曲ではある)、それに「レリオ」をつけちゃうのはどうよ。
パガニーニに委嘱されたヴィオラ協奏曲(のようなもの)を交響曲にしちゃう、独奏というかオブリガードパートをフィナーレの音響的クライマックスに休ませるのはどうよ(笑)。
戯曲をベースにしたカンタータ的作品を交響曲とするのはどうよ。いや、ある意味「幻想」直系の作品だから、まあ筋が通ってはいる、のかなあ…
そして時代の相がそのような作品を求めたことは知っている、でもでもでも。

この辺の独特なところ、映像で見ていただくのが一番わかりやすいのですが、どうも適当なものを見つけられない。っていうか、あるけどちょっとグレイかなあ…たとえば幻想交響曲ならこれとか「イタリアのハロルド」ならこれとか。ソフトが入手困難とか事情があればまだ、ねえ。むむむ。

そんなわけでこの項、動画日記にはし難いなあと思っておりましたが。せっかくなので、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」と、「葬送と勝利の交響曲」は問題なさそうな動画を見つけましたのでご紹介します。まだちゃんと見られていないのでコメントはありません。ご容赦のほど。

まずは「ロメオとジュリエット」。



ジェイムズ・ガフィガン指揮オランダ放送フィルハーモニーほかによる演奏、またしてもAvroClassicsです。ありがたい。密かに合唱指揮がサイモン・ハルシーだったりするのはポイント高いですね。ふむふむ。

そして「葬送と勝利の交響曲」はこちら。



ワレリー・ハイリーロフ指揮ロシア国防軍中央軍楽隊(あってるかなあ、これで)ほかによる演奏です。ステージみつしりの出演者にテンションが上りますが、でももしかすると、これはそもそも会場の選択が間違っているのではないだろうか(そういう問題なのか)。

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大編成萌えしてしまうのはもしかするとさっき見た映像のせいかもしれないのだけれど(オーチャードホールで聴くよりはいい音だったのではないだろうか、くらいしか感想がないのできっと先々も言及しますん)、ことベルリオーズはとっても面白いので機会を作って紹介します。また微妙な動画日記かもしれませんが。

それにしてもあれですね。ニコ・ロズベルグとマーク・ウェバー、そろそろ(以下自重)。ではまた、ごきげんよう。


2012年12月12日水曜日

この季節、この作品は如何か(提案)

こんにちは。千葉です。

ここ最近の内外の20世紀の、または昭和の偉大な才能の訃報の連続に、否応なく時代の変わり目を生きていることを再認識させられております。この20世紀≠昭和であること、前から考えていることがあるんだけどなかなかまとまらなくて、なんともはや。

訃報のうち、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ、そしてリーザ・デラ・カーザについては後ほど音盤でいま一度かつての歌を楽しませていただいたあとに、何か書くと思います。お二人にはそれぞれ違う方向でオペラについて目を開かせていただいたと思うので。

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千葉はこの季節になると、正直に申し上げてテレビをつけているのが苦痛です。いやもう少し正確に申しましょう、民放テレビをつけていることが、苦痛です。それも深夜枠などではなくいわゆるいい時間帯、夕方からニュースの時間帯まで。あのう、ベートーヴェンの交響曲第九番 ニ短調 作品125の断片を、CMで効果音的に使うの、禁止したらいいんじゃないですかね。あとヴェルディとモーツァルトのレクイエム、あと(以下延々と続く)。

何もこの作品が嫌いだから言ってるんじゃないんです。それなりに音楽が聴けるようになったころ、実演(というか、リハーサルだった、仙台フィルの裏方)でその終楽章の構成が「わかって」、それ以来作品には敬意を持って接するようにしております。年に何度も聴くような曲ではないし、部分だけでその作品がどうのこうのと言えるものじゃない、そう思っているのです。それがなんですかこのお国の広告は。一楽章も二楽章も、そしてフィナーレも切り刻んで都合よく効果音にしてしまう、それも自分では面白いと思っているのだろうけれどあまりに安易で思いつきの枠を全く出ていないやり口で。作中で好きな音楽が使われるだけでその強烈なアイロニィに苦悶させられるキューブリック並みの手が思いついてから使えってんだコンチクショー。

はっ。手が暴走いたしました、すみません。何よりこれ、本題じゃないんです(笑)。

12/11にTwitterで認識したのですが、なんでもその日はエクトル・ベルリオーズさんのお誕生日なのだとか。えっと、1803年生まれだと、189年目?(はんぱ過ぎ)

じゃあさ、季節柄もいいしお題としても適切なんだからさ、この季節には彼のオラトリオ「キリストの幼時」を聴くのはどうかな!(提案)


そもそもこの作品、友人をかつぐために作曲された小品を「架空の楽長ピエール・デュクレの作品」として演奏、好評を得た後ベルリオーズの作品だと明かしたという、いわゆるドッキリ的手法で発表されたものから生まれた、なんとも評しがたい素性の作品なんです。その冗談から全三部、「ヘロデの夢」「エジプトからの逃避」「サイスへの到着」というキリストが生まれる前後のエピソードを音楽化したもの。それも、ネタでありながらそれなりに時代を意識して古雅な趣のある作品にしあがってるんですよこれ。いいですよ、なかなか。


え?ご存じない?部分も聴いたことがない?それはもったいないこと、今探してきたこちらの動画でもまずはご覧くださいな。5分弱、合唱中心の雰囲気のある映像です。




ベルリオーズって言うとあの有名なカリカチュアのせいもあってか、やたら巨大な音楽を書いた人扱いされやすいですけど、それは時代がそうさせた面もあるわけですから彼一人をネタ使いするのは正直、どうかなって前から思っていたんです。同じフランス革命期の作曲家なら、ゴセックとかけっこう、アレですよ?(笑)

それに、その幻想交響曲にしたって第一から第三楽章まではそんなに大編成でもありませんし(四楽章までテューバは出番がない!)、音楽の作りにしてもいささかプロットだよりの力づくの展開だとしても、そんなに時代からかけ離れたものではありますまいし。むしろこの曲で気になるのは、舞曲などではない無形式の作品を意味していた「Fantasie」(モーツァルト晩年のクラヴィーア曲とか美しいですよね)がいわゆるホフマン風の幻想になっていったのか、っていうか日本だとその辺あまり切り分けて考えてないんじゃないかなそれでいいの?ということですね(一文が長いって)。

ともあれ、この作品でベルリオーズは、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」がそうであるように断章によりひと続きのドラマを描き出しているように思います。救世主が求められただけの事情があったその時代を落ち着いた響きで聴かせてくれる、隠れた名作なのではないかと。というか、クライストマスだと思ってんならこういうの聴きやがれコンチクショー(あ、また指が)。

もし全曲で聴くなら、このへんがオススメかなあ。




左はいわゆる古楽器演奏、千葉としては同時代アプローチと言いたいスタイルによるもの、中はモダン楽器によりヴィブラートを控えた(演奏技法の一つとして濫用を戒めた)「ピュアトーン」スタイルによるアプローチ、そして右はバリバリの20世紀モダンスタイル。三者三様お好みでどうぞ、千葉はいつも聴いているのは左のヘレヴェッヘ盤で、右のはいま探したら引っかかったものです。こんな映像あるんですね、知らなかった(笑)。

はじめ、古えの楽長の作とされた作品を、作曲された当時のアプローチの研究に基づいて1997年に録音した。うむ、左側のヘレヴェッヘの盤の紹介はなかなか面妖なものになりますね(笑)。とても落ち着いた雰囲気の、美しい演奏です。

美しさで言うなら、ノリントン自慢のピュアトーンが神秘性につながっているシュトゥットガルト放送響との盤も負けてません。ちなみに彼らのベルリオーズの超大曲(演奏時間は二時間足らずだけど編成、その発想のスケールが)「レクイエム」もいいです。あれなら宗教曲として通用する。作中で裁きのラッパは空間を駆け巡って鳴り響くけど。

最後のミュンシュとボストン響のライヴ、どうしたものかな…と思っていたらYouTubeにありました、先ほど貼ったのと同じ部分の動画。リリース元の動画だから安心ですよ!(何がだ)



早めのテンポで美しく歌われてますね、こういうのを聴くとミュンシュに対する日本での一面的な評価もどうにかならないかな…とか思ってしまうけれどそれはまた別途。

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ということで。くるみ割り人形もいい、ヘンゼルとグレーテルもいいでしょう。日本ではこの時期の餅代稼ぎとしてもはや伝統になっているからベートーヴェンも許しましょう、でもそれ以外の曲も探そうぜ!というご提案でした。
でもなあ、かつてオネゲルの「カンタータ・ドゥ・ノエル」を普及したいと思ったけれどなかなかそれも難しかったから、まあ期待しないでほそぼそと書き残しておこう。うん、いつもどおりだね!(笑)

では本日はこれにて、ごきげんよう。


2012年11月8日木曜日

あと一歩か二歩で「ハルサイ」じゃないですか、インマゼールさん!

こんにちは。千葉です。

先日の反省も活かせぬまま、今度はエリオット・カーターの訃報が届きました。反省さえままならず進退窮まれリ、ですよ!(軽く言うなよ)

とは言え、実はカーターに限らずIRCAM方面で評価が高い音楽、よくわからないのです、恥ずかしながら。その音楽を構成する理屈はブーレーズの著作でいちおうは知っている、でもそれを音としてどう聴いたものかよくわからない…だから千葉は、自分の音楽の守備範囲を「バッハから第二次大戦前後」と認識しています。十二音でもかなり…で、時々実演で聴いて「こういうことかな、もしかして!」と思ってはまたわからなくなってしまうという、一進一退すらできていない感じがなんとも歯がゆいのであります。

ともあれ、手元には唯一この盤がありましたので、あとでまた聴いてみます(実は一度返り討ちに遭っている)。


エマール、そういえばそろそろ来日公演なんですよね…あとコパチンスカヤも(13日ですね、完売らしいですが)。…貧乏が憎い!

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それはさておき(昔の人なら閑話休題、と書くでしょう)。

最近のメールによるプロモーションってのはなんですかね、ちょっとした過去の履歴でもフル活用して新譜紹介なんかを送りつけてくれるんですね。まあ、あんまりツッコむと危険な瞬間が訪れかねないので詳しい例を上げたりはしませんけど。

いや待てそれだと面白くないな(笑)、自分に届いた例を挙げましょう。
この前ですね、蔦屋がいきなり「キタエリとみかこしの新譜が出るよ!セットで買ってくれたら特典つけるよ!だから僕と契約してry」(大意)ってメールを送ってきたのには正直狼狽しました(笑)。まあ、喜多村英梨の出てるアニメは「魔法少女まどか☆マギカ」以外にもよく見てるかなあ(彼女は最近、出演作が非常に多い)、「モーレツ宇宙海賊」は大好きですよ(たぶん今年のベスト、劇場版楽しみに待ってます!なお小松未可子が主役←酷い扱いだ!)。
少し考えて思い当たったのは小松未可子のデビューシングル「Black Holy」をレンタルしたこと、くらいですよ。なるほど、幅広く商いをやると訴求する側にはこういうメリットがあるのねえ、人によっては物凄く厭なメールが届きそうなんだけどどう処理してるのかな。まさか声当ててる作品を借りたよね?とかでは引っ掛けてませんよね?(どきどき)はっ。この執拗なデータの拾い起こしのためのビッグデータがどうのこうの、なのか?(適当)


冗談はこの辺で。
先日ですね、Amazon様がこんな情報を寄越しやがりまして。



インマゼールのシューベルト?なんだいソニーの再発かい?それにしちゃあわざわざメールを出すとか力入っちゃってるねどうも、なんて思いながらリンクを開いてみると扱いは完全に新譜でレーベルはZig Zag、ちょっと待ってよとさらに他のショップの情報をあたって見るに、千葉の結論は「1996-97年の録音ということは旧ソニー盤と同一でしょ?」ということになりました。まさか同時期の別セッションがー、とか考えにくいでしょう?



フランスローカルで全集として出ていたこれを持ってるのでまあいいかな、久しぶりに聴いてみますかね…と思いつつ、メールをゴミ箱に入れようとしていたその時!あのう、この下にちっちゃく紹介されてはるこっちのアルバムはなんですのん?



ちょっとちょっとちょっと。あのう、これって、ジョス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナ・ブルッヘによるドビュッシーアルバム、なのでは?ああ、「春の祭典」までやる、と言ってる彼らだもんね、それに前にラヴェルやプーランクもリリースしてたし。うんうん。

ってちょっと!メインはこっちじゃん!(笑)
え~、彼らはモーツァルトやハイドン、そしてベートーヴェンにシューベルトといったいわゆる古楽器オーケストラが取り上げる作品のほかに、ベルリオーズ(鐘!)にリスト、チャイコフスキー、リムスキー=コルサコフにシュトラウス・ファミリー、さらにはラヴェル、プーランクを既にリリースしており、先ほどもさらっと書きました通りゆくゆくはストラヴィンスキーの「春の祭典」をも「作曲された当時の楽器、奏法」で演奏する予定でいらっしゃいます。
そう、時代区分としての古楽じゃなくて、「作曲された当時の楽器、奏法」で演奏するアプローチをさして便宜的に「古楽」「古楽器演奏」と言っていることの無理を演奏活動を通じて露呈させてくれる(笑)、実にチャレンジングな団体なのです、もちろん彼らはそんな風に考えてはいないでしょうけれど(笑)。でも千葉が「古楽」の前に「いわゆる」と付けないとどうも座りが悪く感じる理由の一つは、彼らの幅広いレパートリィとその優れた演奏により先入観が覆されてきた経験から、と言ってもあまり過言ではありません(批評家風の物言いだのでちょっとブレーキを踏みました)。

そんな彼らの新たな挑戦、こっちをアピールしないでどうするの!弾幕薄いよ!(違う)

とかなんとか、届いた告知メールをダシに新譜をご紹介させていただきました。なお、以下に本文中で触れた彼らの音盤のいくつかをリンクしておきますね~、ではまた。




「シェエラザード」、けっこうオススメです。

2012年10月25日木曜日

ジョルジュ・ビゼーのお誕生日、とのことで

こんにちは。千葉です。

先日ひとつ、とてもいいコンサートに行ってきたのですがその感想がなかなかまとまらない。まあ、ある数年をかけたシリーズの最終回だったので、それなりの感慨が千葉にもあるのです。
ということで、久しぶりのプロコフィエフ祭りはもう少々お待ちくださいませ。よろしければそれまで、かつての某の記録などご覧いただくのもよろしいかと。その当時は初学者気分ではあったけど真面目に聴きましたから、その当時から大きく認識は変わっていないのだけれど、でもその密度はまったく違うものになった、と自負しております。これもそれもすべてマエストロ・ラザレフのおかげです。ありがたやありがたや。



第一、第五、そして第七しか出ていないけどあんなにマイク立ててたんだもの、残り四曲もでますよね?リリースしたら一躍世界レヴェルのプロコフィエフ交響曲全集ですよ、EXTONレーベルさん!
なお、一番右のは新譜です、プロコフィエフに続くプロジェクト進行中のラフマニノフ。評判の演奏会でしたから、間違いなくいい演奏であることでしょう、そのうち入手したらなにか書きますね。

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でも今日の本題はそっちじゃなーい!

本日はジョルジュ・ビゼーのお誕生日だとか。1838年生まれだからえっと、174回目のお誕生日?でも半端だなあ、とか言わずに素直におめでとう、と申し上げます。ある時期まで音楽には感心しても好きになれなかった「カルメン」(1875)の作曲者に。

登場する奴が全部悪人、ってのは今上映されてるあの映画ですけど(完結、なんだよバカヤロー)、「カルメン」ってオペラも相当のもんだな、と以前から思っておりまして。カルメンにもホセにも感情移入できず、ミカエラはさすがに良い子にすぎる、不自然なほど。そしてお話は優等生的軍人さんが山賊に身をやつした挙句目当ての女に嫌われてストーカに、終いには殺人者になっちまいますからね。ヴェリズムも作品も相当どうかと思う登場人物はいるけれど、あれははじめから「ワイドショウ的」とか酷い言われようだからまあ、そういうものとしても受け取れましょうよ。でもそれがこと「カルメン」となると無前提的に五指に入る名作オペラ扱い、なんだかなあ、って思っていたのです。え?名作オペラには酷い話が多い?「蝶々夫人」を思い出せ?ああ、まあそうなんですけどね…

そんな千葉にはオペラコミーク版の、アンドレ・クリュイタンスによる録音が初めてしっくり来たものだった、という話は前にしたような気がします。生っぽい、というか血生臭い話なのにレチタティーヴォでゆったりと話が進むのが合わなかったのかな、などと名演とほまれ高いクライバーの映像を見ては思ったりしておりました。

そこにですね、まさかの新譜の登場ですよ。およそこの作品と縁のありそうにない、サー・サイモン・ラトルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ほかによる。




望外、というのはこういうことでしょうかしら、おそらくは奥方が希望したのかなあなどと邪推できなくもないのだけれどここは素朴に喜んでおきましょう。だって、オペラコミーク版の新譜ですし。大好きな彼らの演奏ですし。

なお、ご覧のとおり左の輸入盤と右の国内盤では相当な価格差があります。もうこれでは「文庫本とハードカヴァー」という程度では正しい例えになってないかなあ、とは思うものの国内盤は「SACD+特典DVD付き」(輸入盤は通常CD二枚組)という豪華版(愛蔵版レヴェル)ですので、余裕のある方は助けると思って買ってあげてくださいね、国内盤を。千葉はもちろん歯噛みしながら輸入盤ですけど。

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入手してから既に何度か聴いているのですが、これはいいですよ!とファン目線の素朴な感想以上になかなかならなくて困っています(笑)。彼らの演奏はいつもそうなんですけどね、千葉が彼らの演奏をくさすことはないだろうなって思ってます。

そんな素朴な意見を書き連ねるのも気が引けるので、演奏が気になる方はこちらの動画でもご覧いただくのは如何でしょう。国内盤の特典DVDからの抜粋です。EMI JAPANさんありがとう、売上に貢献できなくてごめんなさい。


EMIのサイトでは大きくこの盤を取り上げていますので、興味のある方はそちらもぜひ(リンクしてます)。

ともあれ今日は簡単なご紹介のみ。損はしない一枚です、とのみ申し上げて、詳しい感想はまた後日。ではまた、ごきげんよう。




いわゆる組曲なら、ミンコフスキとルーブル宮音楽隊のこれ、オススメです。騙されたと思って、ぜひ。

2012年10月13日土曜日

印象派は苦手です(特にモネ)


こんにちは。千葉です。

ちょっと前に舌を噛んでしまって口内炎風の傷ができていましてね。で、それを避けて食事をしている最中に誤って口の中を二箇所も噛んでしまって今や傷だらけなんですよあたしの口の中は。おかげさまでもう、食事中はずっと涙目でありんす。利点はそうですね、眠くなったら患部を噛めばすぐに目がさめること、かな!(開き直り)

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どうでもいい話はさておき。「まずい明日で会期終わっちゃうよ!」と今日気がついて、慌てて遅れに遅れた感想を書きます。普通の美術展なら感想は向こうに書くところだけど、今回のは音楽だからこっち。恣意的な使い分けで申し訳ないところですがご容赦のほど。

◆ドビュッシー、音楽と美術 ― 印象派と象徴派のあいだで


まずブリヂストン美術館、いろいろと縁があってもよさそうなのに(笑)、来たのは初めて。京橋駅からすぐで東京駅にも近い便利な立地、展示自体はビルのワンフロア(の半分くらい?)なのでこじんまりとまとまってる、とも言えるし、ちょっと小さいかな、とも言えるでしょう。都内ではまあ、こんなもんでしょうか。
一階のエントランスはスルーして二階の展示フロアに上がるとまずは企画展、順路をめぐり終わると所有する東西の作品が展示されている。通路にはドビュッシーの像(デスマスクも)あったりして。話は関係ないんですけどひところのデュトワさん、髪型が完全にこれでしたよね、コスプレ?(無礼者)

展示は彼の生涯を追う形で、つまり時代ごとにかかわりのあった、影響を受けた絵画や彫刻、写真に工芸品などが展示されるスタイル、一部楽譜もあるけれどケースの中のスコアを、あるページだけ開かれていてもどうすればいいのかと(笑)。場内では小さい音量ながらドビュッシーのピアノ曲が流され、とりあえず彼のことをはっきりとは知らない人でもその音楽の持つ雰囲気はわかったんじゃないかな。言い方が曖昧なのは、えっと、展示と音楽の関係を詰めて考えなかったもので、千葉にはただの雰囲気でありました(笑)。でも、それなら音声ガイド(有料、千葉はもちろん借りてない←いつもです、どんな美術展でも)で曲を流すなよ、人が滞留するじゃないか、と思わなくもない。なんというか、都内の美術展に行くとあまりの混雑に渋滞解消のための手段ばっかり考えちゃうんですよね、千葉は(笑)。

ドビュッシーと言ったらセットでついてくる印象派にとどまらず象徴派の作品や知ってる人は知ってる通りのジャポニスム関連の展示もあり。まあ、パリ万博でオッペケペー節ですよ!(間違ってはいない、けれどその物言いはどうか)
にしてもこういう展示の時は、オリジナルの浮世絵よりもむしろ海外での模写のほうが興味深く思われますね。例えばあの三つの交響的素描「海」のスコアの表紙にも使われた北斎の「神奈川沖浪裏」の模写、手前の船と富士山を欠いているんですよね。あの画の趣向はそこにあるのだろうけれど、彼らはそれよりデフォルメされたしかしイメージ通りの海そのものの像を強く受け取ったのかしら、とか思えてなかなか面白いなと思うのです。ゴッホの浮世絵の模写なんて、言葉にしがたいほど強烈ですしね…ああ、もしかすると「人に渡されたペルゴレージ(ガッロ)のスコアから、イーゴリさんの考えたバロック音楽としてプルチネッラが作られた」的な変容が面白い、と思っているのかも。書きながらの思いつきなので何も展開はしませんけど。

にしても幾つか展示がありましたが写真というのはあれですな、昔は印画紙の限界か現像技術の制約か、とても小さいものだったんですな。各種書籍の図版で見かけたものがいくつかあったけれど、鮮明さを抜きにして言うなら書籍やモニタ上で見た方がわかりやすいかも。もちろん、現物の持つ雰囲気はあるのだけれど、資格情報としてはどうなんだろう、資料としては…とかなんとか、写真というテクノロジーの変遷というか先行きというか、そんな余計なことも考えたよ。20世紀初頭前後のパリというのはなかなか気になるところでありますからね。

あと大ざっぱなコメントをするならば、「カンディンスキーはもっといいのがなかったのかい?」(あれをマネやモンドリアンに並べられるのは、辛い)「千葉はマネが好きだなあ」(絵は門外漢なので感想も素朴です)「岡鹿之助の名前を覚えておこう」(館所有の一連の作品の中では一番気になりました。案の定というべきか、ショップでは画集も売ってましたね)、くらいですか。久しぶりの美術展、楽しうございました。

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なお、最初に書きました通り会期は明日まで。ということで、どうも今日もかなりの混雑だった模様(Twitter情報)。先ほど言及した写真なんかもそうですが、工芸品などはできるなら近くで時間をかけてみたいものだけれど、そのような状況が作れるのかどうか。そんな懸念はありますが、ご覧いただける方はぜひ。では本日はこれにて。


2012年9月27日木曜日

ラーンキの音が言葉にならない


こんにちは。千葉です。

コンサートのレビューや読書の感想、溜めるとなかなか出てこなくなる悪い癖があります。下書きをいじってある程度できると満足しちゃってアップしないとか、あるんですよたまに…後で抜けがないか確かめよっと。

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そういうわけでどういうわけで、行ってきましたコンサート。以下ざっくりとしたレビューです。

◆デジュー・ラーンキ&エディト・クルコン ピアノ・デュオ・リサイタル
~ドビュッシー生誕150年スペシャル・プログラム~

2012年9月25日(火) 19:00開演

会場:Hakuju Hall


ピアノ:デジュー・ラーンキ、エディト・クルコン

曲目:

ドビュッシー:
  牧神の午後への前奏曲 〈四手〉
  六つの古代碑銘 〈四手〉
  小組曲 〈四手〉
  白と黒で 〈二台〉
  リンダラハ 〈二台〉
  夜想曲 〈二台〉

白寿ホールは千葉はこれで二回目、ピアノで聴くのは初めて。前回は「古楽アンサンブルとソプラノ、それにダンス(加えて若干のプロジェクション)」という攻撃的な(笑)公演でしたから、普通のコンサートは初めてと言うべきでしょう。だから、というわけでもないんだけど。このホールの独特のサウンド、なかなか面白いですね。どんなに二台のピアノが低音を鳴らしてもサウンドは頭に、というか上半身に直接響く感じ、足元からは音が来ないんです。そのせいかどうかはわからないけれど、椅子の座り心地よろしきこととあいまって不思議な安らぎがあるんです。もうあれですよ、仕事帰りに慌てて寄った日にはもう。

そんなホールでですね。いきなり「牧神の午後への前奏曲」(ラヴェルによる編曲1910、元曲は1894)から「六つの古代碑銘」(1914)に繋ぐなんてあれですか、このホール自慢のリクライニング・コンサート状態でも作り出したいんですか(笑)。クルコンが牧神のあの有名な冒頭の旋律を弾き始めてからしばし、恍惚というのも変なのだけれど、しばし明晰な認識を旨とする私(いちおう(笑)なしです)にはあるまじき、ただ聴こえてくる音に変わりゆき響きに耳を澄ませるだけの状態でした。なんなんでしょうね、あの音は…一つの旋律から響きが広がっていく感覚、それをただ受け入れるだけというか。なおこの二曲は奥様が上声、ラーンキが低声側でした。
席替えをして前半最後の曲が小組曲(1896)。いやあ、愉快愉快。二人でひとつの鍵盤をシェアする窮屈さも感じないし、「夫唱婦随」なんて言いますけどこのお二人はどちらがリードでどちらがついていく、みたいな役割分担ではなく、まさにわかっているとおりに演奏されているような自在さがこの曲に合うのなんの。この時期はまだそれほど影響を受けていないはずのジャズにも似たノリの良さ、実に痛快でした。


で後半、二台ピアノの時間です。舞台前方に奥様、奥に旦那さまの配置。
はじめの二曲は「白と黒で」(1915)と「リンダラハ」(1901)。不勉強にももしかしてはじめて聴いたかな、私。二台ピアノの録音はたしかベロフとコラールのものが何枚かあるだけ、だと思うので…(だから言ってるでしょ、ピアノは得意じゃないんです)でもですね、この二曲は面白かった。「白と黒で」はプーランクにつながる線が見える様だし、「リンダラハ」はあたかもセッションの様なノリノリの演奏が素敵。あとタイトルからかってにイメージしていたパリ万博由来のエスニックな響きも、あったように思ったけど気のせいかなあ(自信なし)。だって解説を見るとスペイン云々あるもので。しくしく。
そうそう、後半の二台ピアノ、やっぱり連弾、一台のピアノに四手よりも場所が広いからか、二人とも弾きやすそうでしたよ、アクションも大きめでした(笑)。あと、これは書いておかなくてもいいんだけど。このあたりで感じたんですが、奥様のほうがリードされてるのかな、というか、ラーンキが付き従っているというか、だんだんわかってきたような(笑)。ステージの出入りにもクルコンの意志が最優先されてましたし。うん、そういう夫婦なのだな、と思うことにします(笑)。
そしてコンサートの最後はこれまたラヴェル編曲による「夜想曲」(1910、元曲は1899)。この頃になるともうこちらもホールに慣れてきますし、なにより勝手知ったる作品ですよ。もうただ身を任せて楽しませていただきました。あまりにノリノリすぎて、演奏が終わったことに一瞬気付けないほど集中できたのは、お二人の演奏もさることながらラヴェルの編曲がいいんだなあなんだろうこの違和感のないアレンジは、と何度となく思わされました。

アンコールはなく(奥様が、あのう、まったくその気がないようでした)、演奏会は何度かのカーテンコールでおしまい。ドビュッシーの響き、だけじゃない音楽を楽しませていただきました。ごちそうさまです。

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これは本当に余談というかなんというか。
あのう、ピアノの演奏会はそれはもう、数限りなくありますが(誇張ではないと思います、こと首都圏だけ見ても)、四手/二台ピアノをメインに据えた演奏会はそうありません。少なくとも、このレヴェルで聴けるものは。そしてドビュッシーの記念年にその作品をまとめて演奏してくれる演奏会だったのに、場内満場とは言えない感じだったのは、いかにももったいないことでした。最近、Twitterなどであまりお客さんの入っていない公演があるような雰囲気は感じていましたけど、それはチケット代の高騰やいわゆるミスマッチの類かなと考えていたので、この演奏会でこの反応は少し残念です。東京都内くらいでしかこういう考えられた企画公演には出会えませんのに、あまり求められていないのかしらん。難しいわねえ…個人的には、何人かの絶対に聴きたい音楽家の公演以外にはこういうコンサートに反応する方ですので、なんとか、こういう公演がうまくいく世の中であってほしいなあとぼんやり願うのでした。

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なお、先ほどは「こんな公演は都内くらいでしか」と書きましたが、彼らの演奏会は9/28に京都で、同じプログラムで行われます(まあ都ですかね←おい)。興味のある方はぜひ。また、デジュー・ラーンキのリサイタルは10/2に浜離宮朝日ホールで行われます。聴きたいなあ、あの音でシューマンとか。いいに決まってるじゃないですか。
なんというか、千葉の語彙だとうまく形容できないのですが、とても純粋に音楽が入ってくる、そんなピアノを聴いたように感じているのです。絶対に録音には入らない、でも間違いなくそこにある美しいものを聴くことができた、ような。いやはや、実演はいいですね、刺激になりました。
ではとりとめなく〆もなく本日はこれにて。もうひとつ、行ってきたコンサートの話はあす午前中にでも。ヒントはリンク先です(笑)。ではごきげんよう。



浜離宮朝日ホールのサイトで岡田暁生さんが言及されてるのはこの盤でしょうかね、ちょっと見逃していた感がありますです。

2012年9月24日月曜日

ようやく生誕150年が祝えます(笑)

こんにちは。千葉です。

先日、ドビュッシー展を見てきたんですよ。正式なタイトルは「ドビュッシー 、音楽と美術 ―印象派と象徴派のあいだで」、詳しくはリンク先をご覧あれ。会期も押し迫ってようやく、という感じではあるけれど見られてよかったです。

そうですね、少し詳しい感想はまた後日。その前に一個だけ。「ドビュッシーはアンチ=ワーグナー」(大意)という説明はそれでいいんだけど、音楽的には影響を十分に受けてるんじゃないかなあ。先行者の手法を意識的に回避しまくる、というのは先行者の影響をある意味では一番受けていると思うのだけれど。などなど、ところどころの解説文が過剰にドビュッシーの独創を強調しすぎていたように思いまして、いささか引っかかるものがあるのでした。でも一見の価値は間違いなくありました。
簡単に絵画作品についてふたつ。まず、カンディンスキーはあれしかなかったのかなあ…と、彼の作品が好きな千葉は残念でした。かなり自己模倣に入ってしまった時期のコンポジションを、他の画家の充実した作品に並べられるのは少し不憫でありますです。もうひとつ、常設展の中にあった岡鹿之助さんの作品がよかったです。一見でお名前を覚えちゃうほどには気に入りました。

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それはさておき。あす、コンサートに行く事になりまして。タイムリィにもドビュッシー・プログラム。以下その公演概要です。


◆デジュー・ラーンキ&エディト・クルコン ピアノ・デュオ・リサイタル
~ドビュッシー生誕150年スペシャル・プログラム~


2012年9月25日(火) 19:00開演

会場:Hakuju Hall


出演:

ピアノ:デジュー・ラーンキ、エディト・クルコン

曲目:

ドビュッシー:
  牧神の午後への前奏曲 〈四手〉
  六つの古代碑銘 〈四手〉
  小組曲 〈四手〉
  白と黒で 〈二台〉
  リンダラハ 〈二台〉
  夜想曲 〈二台〉

全席指定 6,000円

これで四手または二台ピアノ用の編曲作品(「さまよえるオランダ人」序曲とかね!)が入っていたら完璧の上を行くだろう、というくらい充実したピアニスト二人によるドビュッシー・プログラム。これでようやく生誕150年が祝えます、本当に。録音を聴くだけだと盛り上がりに欠けますからね!(目が真剣)

デジュー・ラーンキはいわゆるハンガリー三羽烏の一人。もう言いませんね、あはははは…

年を感じて疲れてる場合じゃありません(笑)。バルトークを好んで聴いていれば、言語的な音楽の扱いをしたフシのある彼の音楽を、その言語を使える人の演奏で聴いておきたくなるものです。であれば千葉の手元にももちろんあるわけですよ、アダムとイヴァンのフィッシャー兄弟によるオーケストラものや、シフ、コチシュのピアノ録音が。でもねえ、ラーンキは驚くほど録音が少ないんですよね。キャリアの初期にDENONに何枚か録音しているほかは調べてみたけど見当たらない。結果これまで馴染みのなかったピアニストですから、あすはようやくお目もじ叶う、といったところであります。なお、エディト・クルコンは奥方でいらっしゃるとか。なるほど。

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ちょっと余談なんですけど、最近考えていたことが明日コンサートを聴いたらまとまるかも、という予感があるので今のうちに書いておきます。

千葉はけっこうピアノ音楽が苦手なんです。幼少のみぎりに習う機会がなかったゆえの劣等感もある、これまではそのせいだと思って来ました。でも最近考えてるんです、それ以上に録音だとピアノのポテンシャルを拾いきれてないから、録音からではピアニストの表現を細部まで感じ取れていないから、聴いていても面白くないように感じたり、飽きてしまったりするのではないかな、と。

幸運にもこれまでポリーニやエマール、グリモーにラン・ランほか他多くの本物のピアニストを聴く機会がありました。彼ら彼女らの演奏はほんとうに面白い、こんな面白い曲があるのかと思って家で聞いてみるとそれほどでもない…そんな経験もまた、コンサートを聴いた回数に近い数だけ経験してしまっています。特にピアノ・リサイタルのあとに「もしかしてショパンって面白いのね!」「リスト、いい!!」と思ったあとには、ほぼ確実にこんなちょっとしたガッカリ感を味わって来ました。だから、というのは言い訳なんだけど(笑)、ピアノ音楽には疎いままなんです千葉は。

なのですが、最近になって「ピアノのダイナミック・レンジってもっと広いよねえ」「パソコンのキーボードじゃあるまいし、タッチだってこんなに均一なわけないじゃんねえ」などなど、ようやく過去の経験がフィードバックできてきたような、そんな気がしているのです。ピアノを演奏される方ならすぐにもわかるようなことを、こんなに時間をかけてわかったような気になるのだからなんともはや、独学の偏りというのは救いがたい部分があるものです…いや、それ以前にこの認識が間違いかもしれませんが(笑)。


ともあれ、そんな小理屈抜きで、あの内装が独特な白寿ホールに満ちるだろうドビュッシーの音を楽しんできます。いい演奏会になりますように。ではまた。

2012年8月24日金曜日

生誕150年のその日に(了)


こんにちは。千葉です。

それにしてもあれですね、我が国も相当に愚かだと思っていましたが、以下自粛。こんな流れから武力衝突になったら後世に消えない汚名を残すことになると気が付かないものかしら…

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剣呑な枕はこれでおしまい(笑)。

決定盤主義というのはなかなか難儀なものでございます。好きなモノができたらそれを一心に愛でてりゃいいじゃねえか、なんて外からは思うところ、何故か気に入った曲ができると必死にいろいろな盤を聴いてみてはああじゃないこうじゃない、あそこの音符の扱いがどうのこうのいや楽譜の版そのものが違うのにそういう議論はどうのこうの。本人たちは楽しいからやってるんだからまあ、どうこう言うほどのこともないんでしょうがねえ。

咄ごっこもこの辺りで(笑)。千葉も大学に入ってからはいろいろと録音を漁ったもんです、それまで知らなかった世評の高いものから順に(音楽の評判というものの世評、あることすら知らなかったなあ、だって真面目な受験生でしたから)。アンセルメとかマルティノンとか聴いて、「なぜクリュイタンスはドビュッシーの録音をちゃんと残していないのか」とか「デュトワさんはいつ録音されるんですか?」とか思ってましたなあ…当時の世界にはマイナーレーベルはなかったんですよ、聴くべきは基本、赤青のレーベルのみ(大嘘)。ああ、でもそのレーベルでも聞く価値のない録音も(以下自重)。

Jean Martinon/Orchestral Works - Debussy, Ravel<限定盤> [CZS7044442]


今度非常にお安く出ますね、マルティノンのドビュッシー&ラヴェル。この情報を見て聴きなおしていたりします、これも刷り込み盤のひとつだなあ…


さっきのはさすがに言いすぎなのだけれど、でもその当時の世評には、確かにメジャーレーベルしかなかった、かも。世評というか、それを作っていると千葉が思っていた、「批評」では。基本的には「本場物」、またはそれに準じた演奏中心。どういう演奏なのか、という疑問には定番の紋切り型が並んじゃう感じ、エスプリがどうのこうの精妙なアンサンブルがどうのこうのラテン的な響きがむにゃむにゃむにゃ。正直言って何を示しているのかよくわからない、昔も今も。その頃と比べたら、最近はまだマシになっているのかもしれません、いわゆるレコ芸的な評も。いやあれか、印籠を心待ちにする時代劇と同じで、お決まりを楽しめればよかったのかな。それを初学者がしようというのは無理筋、無茶にもほどがあるけれど。

よくわかっていないままに多くを聴いて、そのうちに知ったマヌエル・ロザンタールの盤は個人的には衝撃でした、自分の知らない/レコ芸とかに載ってない演奏家の音楽がこんなに素晴らしいよ!って思いまして(笑)。ちなみにその時点ではまだ存命でいらしたロザンタール氏、オッフェンバックによるパスティーシュ「パリの喜び」の編者として知っていたものだから、もっと昔の人だと思い込んでいました。まあこの人、「音楽の教科書に載ってるから」という理由でビートルズはみんな物故者だと思っていたような物知らずですから、ご容赦のほど…

そして待望していたデュトワ盤を聴き、それまで存在すら知らなかったアンゲルブレシュトなど「作曲者ゆかりの」録音も聴き、そうこうしているうちにブーレーズ&クリーヴランド管弦楽団による録音が登場するわけですね、考えてみるとたかだか5年とかそれくらいの、意外と短い時間の中でのことだったか…趣味を深めるってのはそういうものかもしれません、いろいろ聴いたとは言っても対象が一曲ですしね。マーラーの交響曲に近づくのにはまた別の、手のかかるやり方が必要だったので、こうして鳥瞰できるようになるとなにか感慨深くさえありますです。しみじみ。

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この話の最後にだいぶ個人的な見解を。
ラヴェルや初期ストラヴィンスキーなどの名録音が好きだったから大いに期待して待っていたシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団のドビュッシーですが。率直に申し上げて期待外れでした。その後の彼らのなりゆきを思わせる、とまでは言いませんが表面の磨き上げで終わってしまった感が否めず。
いま考えれば、ドビュッシーをワーグナーからの流れに位置付けるような視点に欠けていたように思われた、のかもしれませぬ。その独自性や透徹したセンスが評価されている作曲家にこういう言い方はないかもしれませんが、ドビュッシーは音響だけには還元し難いところがある、と言えるのかなあ…(では音響的洗練を極北まで極めたようにも思えるブーレーズはどうなのか、という話はどこまでも長くなりますからここではしませんよ)



この件はデュトワへの評価が変わっただけではなく、自分の中の「決定盤」「名盤」志向に対する考え方を動かしたように思います。また、「好きなあの演奏の何がどういいのか」を少しは言語化して考えるようになったきっかけのひとつ、かも。

なお、こんなふうにくさしてはおりますが、シャルル・デュトワとモントリオール響の仕事のいくつかは「決定盤」扱いされるだけの質があると思いますし、今でも好きな演奏もいくつかはあるのです。公共放送交響楽団さんはもっと彼に鍛え上げられるべきだったといまでも思っていますし(いまでも来るじゃん、と思われた方、客演とポストありでは、活動の中身がまったく違いますからね)。


こうして振り返ると若かったなあ、あのころは(笑)。この二回でつらつらと書いてきたことは、自分なりのクラシック事始めから1995年のブーレーズ・フェスティヴァルに至る道程は、いま振り返るとこういうことだった、となるのかもしれません。とは言いながら、この私的回顧にはバーンスタインが登場していないわけで、「自分語り」としてはいささかの不備がある、と感じているのですが、タイトルに偽りを生じさせたままこれ以上続けるのもどうかと思いますので(笑)、今日のところはこれにて。ではまた。


Desire-Emile Inghelbrecht/Debussy: La Mer, Images, Trois Chansons / Inghelbrecht [SBT1213]


昔「DISQUE MONTAIGNE」から出てたボックスはもう手に入らないのかしらねえ…

2012年8月23日木曜日

生誕150年のその日に(起)


こんにちは。千葉です。

まあ、ポーズになる以外のオチはありえない。そう思ってはいましたから今さら落胆も何もありませんが、わが首相の言葉の扱いの酷さには辟易しきり、であります。あ、こっちではこういうのやめるんだった(ワザ、ワザ)。

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今日はドビュッシー150回目のお誕生日だとか。クラシック音楽に深入りするきっかけとなった作曲家の記念日とあらば無視もできませぬ、ちょっとばかし書いておきましょうか。

と思ったけど、そういう話はこのブログの本館のさらに前身、業務ブログだった頃の初々しい奴がかろうじてサルベージ※されてるんですよねえ(リンク先参照)。

インターネット・アーカイヴというサイトでいつでも復元できるなぁ、中身がある奴だけでも拾ってこようかなとか考えてるうちにほとんど見つけられなくなりまして。まあ、今の自分からみればいささか綺麗事感は否めず、消えものとなるのもそれはそれでありかな、と思えなくもない。いやはや。

仕方ない、当時のよそいき風では書きにくかったところだけでも書いておきますか(笑)。

千葉は世界遺産町(笑)の出身です。観光地としては当時から相応に栄えてたと思いますが、そうは言っても人口一万にも満たない程度の田舎町。そこでクラシック音楽に接する機会なんてそんなに多くはありませんで。覚えている最初に興味を持ったクラシック音楽はラヴェルのボレロ(ホンダのテレビCM経由)、そこからベートーヴェンやブラームスに至るには何年もの時間がかかるわけです。マーラーやショスタコーヴィチにたどり着くまで、だと十年単位かな(笑)。

その距離を作りもし、今もクラシック音楽を主に聴くに至るきっかけとなったのは中学校で始めた吹奏楽。その頃のコンクールでの流行が、ドビュッシーの管弦楽のための三つの交響的素描「海」の編曲版による演奏だったんです。中学一年生の秋に、隣の市の(というか、地元の町にはない)楽器店で吹奏楽コンクールのレコードを買いましたが、これが見事なまでにこの曲ばっかりで。ものによっては半分くらいがこの曲だったりしたんじゃないかなあ…
最初に聴いたのはたぶんコンクール特集のNHK-FM、「ブラスの響き」のエアチェックだったと思います。その流行の曲(笑)を実際聴いてみるといいんですよ、とっても。と言いながら、何がいいと感じたのか、当時の感触はもう思い出せないけど(笑)。素朴な当時の感想を言語化するには自分は聴き方が変わりすぎもうした。こういうのはフィクションとしてなら書けるのかなあ…

さて話を戻して。吹奏楽版でも十分に気に入った、でもこれってオーケストラの曲なんですよね、「本物」はどんな感じなの?とは思っても田舎でお小遣い生活の中学生が簡単にレコードを買えるわけじゃない。それに何がいいのかわかりませんしねえ。
これも余談になるけれど、千葉にも抜き難く「決定版志向」、あると思います。どうせなら良いものから知りたいわかりたい。でもこれって、貧乏性の贅沢志向というか、一点豪華主義的な余裕のない楽しみ方なんですよね。後になって、いろいろな盤を取っ替えひっかえ聴くようになってから気づくことなのだけれど。
何が良いのか知らないし、であれば基準もないから良し悪しなんて判断できないし、それなのに最高の物をまず知りたいと願う。まあ、悪いことではないしついそう思ってしまいがちですけれど、そもそものところで考えると無理のある願望なんだなあ、とか思う最近の千葉であります。だからこそ紹介が大事、とか思うよりむしろ「出会っちゃったそれを、その出会いを大事にしなよ」と思うのだけれど、そういう話もまた別途かな(笑)。


そこで聴くことになるオーケストラ版の、本物のドビュッシーの「海」は、ピエール・ブーレーズ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団のもの。何度も再販されているので、興味のある方は入手しやすくて廉価な奴をぜひ。例えばこれとか。



この辺の「再販で安くなっていく海外盤、再販なのに価格帯を守ろうとあの手この手を繰り出す日本盤」の話も少ししたいところです。いつも書きかけては長くなってやめてるお題ですね(苦笑)。

この演奏、テープに落として繰り返し聴きました、それに後にCDになってからも買い、組物になっては買い。「ブーレーズが指揮する海をコンサートで聴いてみたい!」というのはオーケストラの実演ひとつさえ聴いていなかった頃の夢の一つでした。後に1995年の「ブーレーズ・フェスティヴァル」にて、ロンドン交響楽団との演奏という形でその夢は叶うのですけれど。その頃の自分の耳も、明らかに今とは違う初々しいもの。だって、初サントリーホールで最寄りとされる駅で降りては見たもののそこから会場への行き方がわからなくて、チケットに記載されていた電話番号に問合せちゃったような時の話ですもん(笑)。あのときけっこう公共放送様は音声映像などなど収録されていたように思うのだけれど、それらは再び日の目を見るのかしらね…

また話が逸れました。っていうか、長すぎるのでこの話続きます。ではひとまずはここまで。ごきげんよう。



この話の流れだと無視できないブーレーズ新盤も大好きですが、意味合いが違うんですよねえ、自分にとっての。1995年当時の千葉が間違いなく尊敬していた指揮者による一連の録音、その意味合いも考えておきたいのですが、これまたなかなか難しい。マエストロの次なる来日はもう希望しませんから、ご健康でいらしてくださいませ、とのみ。

2012年5月13日日曜日

私、気になります!(可愛く言ってもムダだ)


こんにちは。千葉です。

現在、フランス音楽学習の一環としてこの本を読んでいます。




プーランクという作曲家、どうにも捉えがたいんですよね。吹奏楽でも演奏される洒脱な「フランス組曲」から彼の音楽を聴くようになったのだけれど、ピアノ曲と声楽曲が活動の中心にあるのではどうにも遠い。吹奏楽関連以外にクラシックを聴くようになってからは聴くものも増えましたし、バーンスタインを本格的に聴き始めてからはますます。
そんな中で聴いたのがプーランクの「グローリア」(1959-60)。たしか、ストラヴィンスキーの詩篇交響曲めあてで買った盤のカップリングだったような。その盤をはじめて聴いた時は戸惑ったことだけを覚えています、詩篇交響曲が独特な(笑)曲であることもそうだけれど、イメージの中にあったプーランクとはかなり違う感触に。(現在は入手困難みたいですね、明暗のコントラストが鮮烈だったと記憶してます)

その後、ピアノ曲や室内楽曲、バレエ音楽「牝鹿」なども聴くようにはなり、幸いなことにオペラ「人間の声」をジェシー・ノーマンの歌唱で聴く機会も持てて、その頃にはある程度の時代的「あたり」だけは付けられるようになっていたので相応に受け止めて(ノーマンの、歌唱どうこう以上の「存在の大きさ」には大いに感服させられましたが)。それでも、今になってもプーランクが掴めたような気は全くしない、のです。作風の幅はオペラ三作を見るだけでも相当のものですし(六人組に対するかつてのイメージは「ティレジアスの乳房」的な、いわゆる「軽妙洒脱」なものでした、と申し添えておきましょう。そんな一面に還元できるわけ、ないのにね)、その生涯についてもほとんど知らないままだなあ、と思いまして先ほどの本を読みはじめた次第。

でまだ読了していないのにこういうことをするのはどうかと思うし、こういう振舞いにはいささかの脇の甘さと、何より愚かしさを自分に対して感じてしまうところなのだけれど、それでもちょっと看過し難いもの、あるんです。
私は素人で基本的に無力な一個人だから(笑)、対象の書名を挙げずに「こういう書き方は嫌いだ!」ってあてこすろうかとも思いましたが、流石にそれは陰険すぎて自分に対して「こういう以下略」って書く羽目になりかねないので。


上掲書の冒頭に、プーランクの年譜があるのですが、その中に以下のような記載がございまして。以下抜き出して引用。

p.60
四二年
(中略)
六月、オネゲルの五十歳を祝う催しがパリで何度も開かれる。占領下、ドイツ音楽を敬愛しているプロテスタントのこのスイス人作曲家はなかなか羽振りが良いが、これはけっして偶然ではなかった。
(後略)

p.62
四四年
(中略)
八月十九日、抵抗の火蓋が切られ、二十五日、激しい戦闘の後、パリは解放された。アメリカ軍がやってきた日、プーランクは「窓に三色旗を掲げ、自室の楽譜棚には<人間の顔>のスコアを置いた」という。解放後しばらく、占領下では華々しく作品がとりあげられていたオネゲルの名がコンサートのポスターから消えてしまう。

(後略、引用終り)


まあ、事実関係を書くのはいいですよ、ええ。年譜だもんね、うんうん。
でもさあ、著作が対象としているのとは別の作曲家について、年譜でこうも意味ありげにちらっと触れて、あとは何もなかったように必要に応じて名前を挙げるだけ、ってのはどうなの。この文章だけを見ると、まるでドイツ占領下において優遇されたオネゲルには相応の問題があるのだ、と言われているような気がしてしまう、それで頭に血が上って読み進められなくなるくらいには、千葉はオネゲルの音楽が好きなんです。

そう、読書を通じて事実を知るとかそういうのは抜きにして、感情的に反発を感じて読み進めるのを一時止めちゃいまして。これがフランス人の文章ならありだと思う、でも当事者でもなければ当時を直接に知っているわけでもない日本人の著者がこういう物言い、していいものかしらん。占領という極限状況にあった人々の様々なあり方、こういうほのめかし程度の書き方、どうですか?旧ソヴィエトの芸術家たちを「党の宣伝役」と蔑んだ冷戦下の合衆国のような敵対関係ならまだしも※、20世紀の終わりに日本人がこういう断罪をするの、ありですか?

※最近読んだ本で、合衆国の共産党員芸術家忌避には赤狩りの記憶からくる過剰反応がある、ような気もしています。その本の感想はまた別途。

こういうところが嫌いなんですよ、20世紀のポストモダニスト。こういう語りでもって非限定的に対象「について」の語りを行うことを、倫理や道徳とは関係のないところで成立する「批評」だということにしたいのだろうけれど、その言説がメタレヴェルからの語りであることで生じる最終的な無責任性が漂わせる不愉快な臭気、書いている方は気にならないのかな。事実に対して超越的立場を取らず、語りそのものの不確定性の中で宙吊りでいることを自覚しつつ語ることで言説内部に矛盾を取り込むことでどうのこうの(今考えて適当に書きました、誰かの言の真似とかではありませんよ)、とか日記にでも書いておけばいいのに。

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ああああああすみません、自分で普段思っているのよりずっと、ポストモダニストのことが嫌いなようです、私。ソーカル事件なんか持ち出さなくても、好事家のお遊戯に見えてしまうもので。少なくとも、その手法の創始者はよくても模倣者たちは、もう。

えっと、ちょっと方向が違うところに向いちゃったのでここで一度切ります、前編ということで。後編ではあっと驚く展開が!(嘘予告)ではひとまずはこれにて。


Charles Munch Box - Berlioz; Franck; Brahms; etc/ Munch; PCO; etc [222357]


パブリックドメイン音源をまとめたこの四枚組に、まさに問題の時期である「1942年10月&1944年3月に収録された」とあるオネゲルの交響曲第二番が収録されています。終楽章にトランペットが鳴り響く以外は弦楽オーケストラ編成の曲ですから、この時期の録音でもけっこう聴けますよ。
ブロッホのヴァイオリン協奏曲(シゲティ独奏!)とか珍しい曲も収録されていて、ミュンシュの音楽が好きな方にはオススメです。




※部分で触れた本はこちら。バーンスタインが好きなら名前くらいは知っているだろうダンサーで振付師のロビンスの生涯を通して見えてくるアメリカ合衆国の姿、なかなか興味深いものです。

2012年4月16日月曜日

これは、もしかして…

こんにちは。千葉です。

ちょっと思いついちゃった酷い話(笑)を書き始めたら止まらないので、その話より先に今日届いた、昔の録音の話を。

先日アンドレ・クリュイタンスの話をしたことを伏線だ、とは申しませんけれど。今年はですね、フランス音楽をちゃんと聴こうかなって考えているうちにもう4月も半ばになってしまいました。この数年はマーラーに注力してきましたから、ちょっと違う方向にも目を向けたいな、という思いもありまして。
さっさと言挙げしておけば、いささかの義務感でもう少しちゃんと取り組めただろうに…と反省しきりであります。フランス音楽を、千葉はクラシック音楽をちゃんと聴くようになった入り口としてラヴェルやドビュッシー、そしてその同時代音楽を中心に聴いてきたもので、そこからの拡がりのなさをなんとかしようと考えているので、いささか腰が重くなっているのです。課題や勉強は先にやれとあれほど言っているのに…(夏休み最後の週に頑張る派、あとはギリギリまで手を止めなければなんとかなるだろう系)

その思いもあって、かつてまじめに聴きこんだオネゲルの交響曲についての一連の記事が旧館にあるわけだけれど、それはどちらかと言えば20世紀音楽サイドからの興味も非常に強かった。また、そこで明確に課題として意識されたのは歌もの、特に歌曲にオペラ。バレエ・リュッス界隈からフランス音楽に親しむようになると、ついバレエ音楽や管弦楽曲でフランス音楽を捉えてしまうのだけれど、アカデミーやサロンではピアノ曲に室内楽曲や歌曲が、そして大衆的人気ではオペラが欠かせなかったはず。ちゃんと考えれば悪評高いローマ賞が20世紀に入っても管弦楽伴奏によるカンタータで作曲家を評価していたことなんかからも気づけたはずなのに。不覚。




ドビュッシーのローマ賞受賞作、カンタータ「放蕩息子」はこの盤で、クリュイタンスの指揮で聴けますが、いささか退屈の感は否めない。賞をとったからどうとか、正典の側にあるからどう、という問題ではない、とは思います。しかしだからといってそういう面を知らないままでいい、ワケがない。少なくともフランス音楽に興味があるのだから。今のままだと千葉にとってのフランス音楽史は古くはラモー、そして時代が飛んでベルリオーズ、そして何人かの作曲家をチラ見してもう20世紀になってしまう。それはさすがに薄っぺらいし、自分でも残念にすぎる。

なので、今年はフランス音楽、とか考えているわけです、フランス語という高くて厚い障壁は以前と変わらずあるけど、それでも、と思うくらいには積極的に。その一環として買ってみたのがこの盤。




オッフェンバックという作曲家、自分なりにちゃんと捉えておきたいなと以前から思っているのです。随分前にミンコフスキによる録音を聴いて、先入観はぐらついていたのにそのまま放置してきたのが、なんとも…ですが。最近は少しづつ、「ホフマン物語」を軸に近づけてきたような、気がしているのですが。

この盤は1955年12月3日の、メトロポリタン・オペラの実況録音盤。拍手や舞台ノイズが入っているとこういう言い方にしたくなりますね(笑)。指揮は千葉が大好きなピエール・モントゥー、キャストその他はリンク先で御覧くださいませ


で、ですね。まだ届いて一度通して聴いただけ、なのですが。これって、もしかして圧倒的名演という奴なのでは?遍歴される三人のヒロインとの物語はそれぞれに美しく描かれているし、舞台の空気がよく伝わる録音も時代を考えれば十分すぎるものに思えますし。細かいことはいずれまた書きますが、先ほどリンクしたHMVでもマルチバイ価格1,200円、Amazonのマーケットプレイスなら送料入れても1,000円程度で手に入ってしまうのですけれど、それが申し訳なくなるくらいの演奏であるように、先ほど聴き終えて今感じております。アントニアの物語の終わり、あれはなんなんだろう…

本当に聴いただけ、の状態でまともな紹介はできないんですが、このオペラが好きで、でもまだこの演奏は聴いていないな、という方、ぜひ。絶対に損はしません、それは一度聴けばわかりますもの。

あとでいろいろ調べたり、クリュイタンスの盤と聴き比べたりしてみるといたしましょう…いやはや、こういう発見から得るべき教訓は「興味は広く持っておけ」というところでしょうか。とりあえずきょうはここまで。では。




実は聴き終わってすぐ図書館に行ってこれを借りてきました(笑)。そうそう、そういえば版の問題がなかなか複雑な曲なんですよね、「ホフマン物語」。勉強べんきょう…

2012年4月4日水曜日

それはむしろ聴いてみたい…!

こんにちは。千葉です。

野球のシーズンも開幕して、今年は地上波U局の、ホームのチームに肩入れした中継を軸に試合を見ていこうと思います。不偏不党とか、ありえない建前に基づくキー局より、地元チームを応援していて、そのためにちゃんと勉強しているスタッフが中継してくれる放送のほうが楽しいですもの。本日もtvkとテレ玉で楽しませていただきました。ありがたやありがたや…

それはさておき、ニュース関係です。以下リンク先で詳細はご覧下さいね。


はい、この8月に例年通り松本を舞台に開催されるサイトウ・キネン・フェスティバル。この音楽祭そのものと言ってもいいだろう小澤征爾の休養で、今年のプログラムはどうなるのか、代役を果たす指揮者は誰なのかと気にしていた方も少なくないのでは。千葉はまあ、行ける可能性が低いのであまり注目してなかったんですけど(笑)。

でも、ですよ。昨今指揮台に登場するたびに好評ばかりを聞く若きマエストロ、山田和樹がオネゲルのオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を指揮する、と言われたら注目しない訳にはいかないですよ!オネゲル好きを自認しているくせにほとんど実演には行けていない千葉に、降って湧いたような好機到来、でしょうか?(どうだろう)

若干33才にして都内のほとんどのオーケストラに客演で招かれ、スイス・ロマンド管弦楽団と日本フィルハーモニー交響楽団にポストを得て、ますますの活躍が期待される山田和樹を聴くのは、千葉の今年の目標の一つでもあるんですよねえ…(もう一人、ピエタリ・インキネンも聴かなければと思ってます)
それがオネゲルの大作で叶うとなればそれはまさに望外の好機、普通に考えれば逃す手はないのだけれど…

まあ、手は考えてみましょう。おそらくは苦境に立たされた感があっただろうフェスティヴァルに、このニュースはなかなかの朗報ではないかと愚考しております。願わくは、オーケストラは往年の某放送局オーケストラみたいな狭量なやりかたで彼を迎えてめんどくさいことにならないでくださいね、昔の小澤征爾が経験させられたみたいのは、ね(笑)。では今日はこれにて。



自ら組織したアンサンブルで録音まである。やだなあ、後生畏るべし、ですねえ…


なお、本日は大好きなマエストロ、ピエール・モントゥーのお誕生日だとか。皆さま、お手元の好きな盤を聴いて祝ってあげてくださいね!ストラヴィンスキーの「Greeting Prelude」なら誰の演奏でもOKです(笑)。ではまた。



ちなみに千葉はこれを久しぶりに聴いて、大いに圧倒されました。「白鳥の湖」の見事なハイライト盤であり、品のある美しいチャイコフスキーが楽しめます。新品は入手困難みたいですから、お安い中古盤で如何でしょうか(笑)。モントゥーの話は別途書きます。