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2019年3月8日金曜日

「ラトルはロンドンの人になった」と理解した ~又は「BS8K、体験してみた!」

これまた旧聞で申し訳ない。昨年の12月の話。

NHKが放送を開始したBS8K、なんとその音声は22.2chだという。故あって見に行ったNHKスタジオパークの中にそれを体験できる部屋があるのだけれど、これが部屋中随所にスピーカーを仕込んであるという状態で、自分の家がそうなる未来が全く見えない(笑)という悩ましい一品でありまして。
ああこれは無理だわ、と思っていたところで知ったイヴェントがこちら。

●4K・8Kスーパーハイビジョンパーク

渋谷のストリームなるビルで開催された、入場無料の体験イヴェントですね。440インチの画面で8Kが体験できます、あと現在開発中の技術が展示されます、という感じのもの。まあなんですか、そこでアイドルさんやポピュラーのライヴしかやらないなら興味も持たないところなのですが、BS8Kではひそかにこんな番組を放送しているんですよ。それをちゃんとしたスペックで見てみたいなあ聴いてみたいなあ、と思っていた私には見逃せないイヴェントでもありまして、短い会期中でこの番組が見られる日は日曜日のみ、しかし幸いにもそれはサー・サイモン・ラトルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の最後のシーズンの演奏会であると来た。それはねえ、行くしかないんですよ、私としては。

●ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 演奏会

指揮:サー・サイモン・ラトル
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

イェルク・ヴィトマン:火山の踊り
ヴィトルド・ルトスワフスキ:交響曲第三番
ブラームス:交響曲第一番 ハ短調 Op.68

はじめはね、割と好きなブルックナーの交響曲第九番の四楽章版を見せてくれよ、って思わなくもなかったんです。いや今でも見たいし聴きたいけど!それでも曲順に現代から19世紀へと遡るこのプログラム、「ああ、らしいなあ」と思って楽しみにしていましたしある程度以上は満足できたんです。大スクリーン(というかモニターですね)で見るコンサートの精細な映像は、時折違和感があっても(後述)最近目が悪くなってきた私がライヴで見る以上の情報量であるし(けっこう哀しい)、さすがに音声はライヴで聴いたほうがいいけれど(これも後述)迫力ある音楽を楽しめた、と思う。だがしかし、である。やはりこれは彼らの最後のシーズンで、それはいろいろな意味で限界を感じさせるものだった、とは言わなければなるまい。

前半は文句なしに楽しめた。ヴィトマンの新作は、ムーディーな入退場曲で挟まれた、複雑だけれど聴きやすい現代の作品だ。実演で体験してみたく思う、できたらミューザ川崎シンフォニーホールで。
続くルトスワフスキは、近現代以降の作品が視覚的にも楽しめる作品であることを存分に示すもの(チャンス・オペレーションを導入した作品は音だけで聴いても駄目ですね、とも言える)。ラトルの指揮は冴えるし、ベルリン・フィルの全力はよく知らない曲をも最良の形で示してくれるから十分以上に演奏が楽しめた。


もしプログラムがここまでなら私は大満足で帰路につけたと思う。高い機能と表現力を持つオーケストラが、ここまで新しい音楽に積極的に取り組むさまを見られるのは素敵なことだ、それが大好きなラトルの指揮なのだからなおのこと。問題は後半のブラームスだ。レコーディングもあって、来日公演でも演奏されたこの曲で、演奏が悪いなんてことはさすがにない。うん、悪くない。でもこの人たちの演奏が「悪くない」くらいで良いわけがないでしょうが!音自体の説得力が、表現力があればオーケストラ演奏として十全たり得るか?否、なのだ。

何がダメだったか、といえばつまるところコミュニケーションのなさ、につきる。最高のプレイヤーたちはそのプライドゆえなのか伝統を重んじる故なのか、ラトルが示したテンポを完全に無視する場面が何度かあった。こんな場面はさすがに、見たくはなかった。最終年度にロンドンとのかけもちになることで懸念して、つまり予想できていたことではあったけれど。
オーケストラにとってブラームス演奏の伝統がそこまで大事であることは理解する、しかしそれでも、ここまでのディスコミュニケーションを演奏会で、映像で(それも鮮明に!)示されるのはなんとも辛い。ラトルは着任からずっとオーケストラを尊重しながら自分の音楽を実現するため全力を尽くしたと思うが、その微妙な距離感は最終年度になっても変わらなかった。ご祝儀というか餞別になるようなコンサートすら作らないのがベルリンのプライドからなのか、ラトルへの不同意の表明かはわからないけれど、なんとも重たい気分になる演奏でコンサートは終わった。嗚呼、ラトルのベルリン時代は終わったのだ、そう、したたかに理解させられた思いである。これが録音だけなら何も感じず、(ちょっとアンサンブルゆるめだな)くらいで終わっていたかもしれないことを思うと、なんとも複雑な気持ちになる。まあ、(信頼できない語り手による証言ではあるが)クリムトの真似をしてこう言っておくしかないのだろう、「終わった!」と。

さて、8Kの映像はその大画面と精細さで視聴者を没入させる、というのが売りのようだけれど、コンサート映像を楽しむには少々諸刃にも思えた。集中してコンサートを体験しているとき、聴き手は耳も目もフルに駆使して楽しんでいる、だから聴き手は音に反応して指揮者を、奏者を見る。また聴き手が知っている曲ならば、これから来る聴かせどころを演奏者がどう演奏するか期待を込めて先回りして見ていたりするものだ。だが収録された映像では、カメラマンが収めたもの、ディレクターが示そうとしたポイントが映されるから、そこで視聴者はライヴならではの見方はできない。画面に没入できるからこそ、そうした「コンサートでは自然にできること」とのズレが気にかかるところがあった。
そして22.2chの音声だが、これは当然だけれど正面からの音が強いものでサラウンド性がよくわからない(おい)。いや拍手の際の囲まれ感はかなりのものでしたけどね。だが一番の問題は、収録の段階でより緻密な音が録れなかったものか、ということだ。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を何度か体験した印象だけれど、このオーケストラの音はどれだけのフォルテッシモでも細部が潰れない驚異のアンサンブルが魅力だと私は考えている。それは作品がシュトラウスでもマーラーでも、ブラームスでもそうだった。だがこの日聴けた音は、残念ながらフォルテッシモで音が平面的になってしまい、直接音が強いトランペットやティンパニに支配されてしまうものだった。これがフィルハーモニーの音なんですよ、と言われたらそれまでではあるけれど、私がミューザとサントリーで聴けたのはもっといい音だった。
ただ、これがテクノロジーとしての22.2chの問題か、録音の問題か会場のハードウェアの問題かは即断できないのでここまで。映像、音声のどちらも高い能力、そして活用の可能性は感じたけれど、それ故の悩ましさも生じるものだというのが一度経験しての8Kの感想である。

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さて、こんなふうにラトルのベルリン時代の総括をした私は、その足でついタワーレコードに向かってしまい、そこでこんなものを買ってしまった。安かったし。


この日は「レコードアカデミー賞おめでとう」キャンペーンはまだ始まっていなくて、しかし以前のセール価格で置かれていたこの一枚。いや三枚組だけど。
ベルリン・フィルと同様に、自身のレーベルでのソフト販売やネット配信に力を入れるロンドン響との仕事は、すでにYouTubeやCD、DVD・Blu-rayで披露されているし、なにより昨年来日してますわね。貧民だから行けませんでしたけど。そのコンサートの映像を見ていたから、余計にこの日見た指揮者とオーケストラとのズレは衝撃的に厳しいものに感じられたのですね。そのへんの話は、あとで録画をチェックしてから少し書きます。

ともあれ。これで私も一つの踏ん切りがつけられまして、ようやくラトルのロンドン響時代を始められました。そんなわけでこの記事のタイトルがこうなったわけでした。どんとはらい。

2018年11月11日日曜日

そう、おじいちゃんのため”だけ”の音楽じゃあない~「マエストロ・バッティストーニの ぼくたちのクラシック音楽」

ご無沙汰でした。
さて、アンドレア・バッティストーニの著作、ようやく読みました。音楽之友社から発売されている「マエストロ・バッティストーニの ぼくたちのクラシック音楽」、原題は「おじいちゃんのための音楽ではなく」(Google翻訳様によれば)。


手を出すには時間がかかったのに、いざ読み始めると読了まではあっという間、賞味一時間ちょっとで最後まで目が通ってしまう。「それはいくらなんでも雑なんじゃあないかい?」という声がどこかから聞こえるような気がするけれど、これは過去にインタヴューをさせてもらった私の特権的な有利があるかもしれない。だってここには、過去に彼に聞いたエピソードや考えが、より整理された形でまとめられているのだから。そうであってみればなんのことはない、これを読みにくく感じたなら私はただの大馬鹿者なのだ(笑)。
なお、このように私が感じた理由については、本書を既読の方には私の過去のインタヴュー(その一 その二 ※なんと二度も!ありがたい話である)も併せて読んでいただくと、それぞれサブテクストとしてよりお楽しみいただけるかもしれない(あ、インタヴューイの無能についての苦情はいらないです、皆様からお伺いするまでもないので…)。

冗談はさておいて、本書は彼自身のこれまでの歩みを振り返りながら、「彼が愛するクラシック音楽が今なお元気で生きている、新鮮なものでありうるのだ」、そんな思いを熱意を込めて、しかしなにより知的に綴ったものだ。
本書によってざっくり”クラシック音楽”と呼称される音楽の歴史や受容における知識がひと通り学べるのだから、立派な入門書としてクラシック音楽の門前で迷う初心者を助けてもくれるだろう。
また、先進的な姿勢を持ちつつ伝統を受け継ぐものとしてオペラの現場で活躍するマエストロの在り方が明確に示されているのも本書の魅力だ。オペラハウスという特別な場所で、オペラという”祝祭”がどのように作られるのか、そこで指揮者は何をしているのか、そもそもオペラとは何を目指すものなのか。彼にとっても我々にとっても幸いなことに、バッティストーニは伝統的なマエストロたちに導かれて伝統的なオペラハウスのやり方を体得し、そして同時に現代の音楽家として彼が愛する音楽をどのように聴衆に届けるのか、届けられるのかと日々試行錯誤を繰り返してくれている。我らがマエストロ小澤征爾が生涯のテーマとして取り組み続けている、カラヤン先生(本書でも少し言及されている)言うところの「オペラとシンフォニー、これが車の両輪だ」という言葉の意味を、クラシック音楽に詳しいと自認しているファンにさえも新鮮でわかりやすく教えてくれるのではないだろうか。

若くしてこんな魅力的な著作をも書いてしまう才能の、精力的な活躍の中心的な舞台のひとつに、日本を代表するオーケストラである東京フィルハーモニー交響楽団が選ばれていること、そして日本コロムビアから多くのレコーディングがリリースされていることは幸いである。これ以上は想像できないほどの真摯さと、才能ある若者らしい確信に満ちた直截なアプローチと、人懐っこいユーモアが同居する若き才能を”われわれのマエストロ”として迎えられているのだ、それを幸せと言わずしてなんと言うべきだろう?おそらくすでに何度か書いた(と思う)そんな感慨を、本書によって新たにした。

幸いなことに、アンドレア・バッティストーニは東京フィルとともに日本各地で「アイーダ」の巡演を行ったばかり、そして間もなく11月定期公演の指揮台に登場する。すでに公演に触れた方も本書には刺激されることだろう、そしてこれから公演に行かれる方も本書に興味を持てるだろう。どちらからバッティストーニに近づいても失望することはない、ということは保証させていただこう。 …当ブログの読者でいらっしゃる紳士淑女各位におかれましては、私のお墨付きにどの程度の意味があるか、などと考えたりされませんように。
>東京フィルハーモニー交響楽団 公式サイト(演奏会情報、チケット情報はこちらでご確認ください。各種特設ページも注目!)





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ここからは本書に触発されたエッセイのような何ものか。バッティと彼の本についてのみ興味のある方は読まなくても大丈夫です(何がか)。

これは私自身の反省ともなるのだが。日本のクラシック音楽受容においては、録音を中心にせざるを得なかったこともあったのだろう。年配の、すでに高名な音楽家たちをスタンダードとして受け入れることがどうしようもなくメインストリームとして存在してきた。それ故に、一般的には中年と評される年齢になっても「若造」「青い」「生煮え」などの雑な評価を平気でしてしまってきた過去がある、ように思う。自戒も込めて少々雑ではあるが決めつけておく。
だがそんなことを言っていたら、私たちに素晴らしい実演を届けてくれる可能性のある音楽家は、育つことができない、絶対に。誰もが認める圧倒的な存在による、特別で決定的な演奏しか認めないような世界で、それでも育ってくるような特別な才能だけを求めるような傲慢は、果たして聴き手に許されるだろうか?

これは自分がある程度の年齢になり、いつの間にか自分より年少の素晴らしい音楽家たちに感心させられる機会が増え始めて以来、折に触れて考え続けていることだ。たしかに、いま現在の彼らは”決定盤”を聴かせてくれないかもしれない、賛否が分かれるアプローチを採用していて評価に困ることもあるかもしれない。だがそこに明らかに輝かしい何かがある、忘れがたい瞬間が演奏の中にあった。そんな特別な瞬間を聴き手が受け取ることができないなら、それはそのまま「聴き手の私は、音楽という特別なコミュニケーションの場をまったく楽しめていません」という、なんとも哀しい告白になってしまうのではないだろうか?

こんなことを考えるとき、いつもクラウディオ・アバドが亡くなってすぐのことを想い出す。イタリア放送(RAI)は彼の晩年の演奏ではなく若き日の演奏を配信してその死を悼んだ。世界から尊敬を集めたマエストロが、いつ頃どのように見出されて我々が知る彼になっていったのか、今こそその生涯にわたるキャリアを思い出そう。RAIにそう教えられたような気がしたものだ。そのとき配信で聴いた若い頃の彼は少々尖すぎるかもしれないテンポ設定で、だが鮮やかに音楽を描き出していた、そこから生涯の最期に至るまで、あなたはどの時代の、どんな演奏をした彼に出会えましたか?そう問われたような気がしたものだ。そして私はようやく聴くことができた、最晩年の彼の演奏を思い出すのだった。

そこでまた、翻って我が国のことも考える。「今日の岩城は本当に熱かった!」「ハルビン時代の朝比奈はガツガツしてたもんだよ(本当か)」「ヤマカズ※は…」ずっとああですかね(笑)、などなど、そのときどきの反応があったはず。しかしその近さゆえ、私たちは彼らの変遷に気づけなかったり、そのときどきの演奏で満足してしまったりする。結果として音楽家のキャリアは最近の演奏に寄せて語られる平板なものになる、それを読むことで私たちの記憶は書き換えられていく…
(※昭和の方ですよもちろん)

そう、音楽家のキャリアに長く付き合うことは、そのときどきに彼や彼女(ら)が奏でた音楽をどのように受け取ったのか、その音楽はどのように誰かに届いたのか。そんな聴き手にとっての主体的な歴史の一ページでもありうる。イタリアの、いやきっとまた別の国の彼ら彼女らは、そんなふうに音楽家たちとつきあっていけることを知っているのだろう。それを伝統と呼ぶのであれば、その伝統に心からの尊敬と羨望を感じる。

本当に幸いなことに、アンドレア・バッティストーニはまだまだ若い。そんな彼がこれからのキャリアの中で、その時々にどんな音楽を聴かせてくれるのか、それは私たちにどのように響くのか。その体験それぞれは、私たち自身の生涯の一ページとして大切なものとなっていくだろう。…そんなふうに考えるくらいには、おじさんになりました、私。おじいちゃんにはまだ遠いですけど(笑)。
ん?まだ僕みたいな若手の演奏には抵抗がありますか?それではクラシック音楽が「おじいちゃんの音楽」になっちゃいますよ?私には、バッティがそう言って笑っているように思えてしまう。きっとそれは気のせいではない、と断言してこの項を終わる。

2017年2月26日日曜日

2/26(27)「アンドリス・ネルソンス指揮 ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団/ミルガ・グラジニーテ・ティーラ指揮 バーミンガム市交響楽団 演奏会/ドキュメンタリー『マエストラ 指揮台への長い旅』」放送

こんにちは。千葉です。

2月26日深夜24:00~(27日未明0:00~)から放送される、NHK BSプレミアムのプレミアムシアターのご案内です。オーケストラの演奏会とドキュメンタリーの三本立ですよ。

●アンドリス・ネルソンス指揮 ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団演奏会/ドキュメンタリー『マエストラ 指揮台への長い旅』/ミルガ・グラジニーテ・ティーラ指揮 バーミンガム市交響楽団演奏会

順番に少しずつコメントしますね。

・アンドリス・ネルソンス指揮 ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団演奏会
音楽監督として活躍するボストン交響楽団とのレコーディングがグラミー賞を受賞したばかりの、そして今回放送されるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者に今年就任するアンドリス・ネルソンスの活躍は、今や無視できないものです。オペラでもシンフォニーでも経験を積んで存分に活躍するマエストロが、「欧米」とくくられながらあり方の違う2つのオーケストラでどんな活躍を見せてくれるものか、この日放送されるコンサートからも伺えるでしょう。

曲目はヴェーベルン、ワーグナーに「春の祭典」ですよ。…ライプツィヒ、ここまでモダンなオケになるとは思いませんでしたなあ、なんてかろうじてクルト・マズアの時代を覚えているおじさんの感慨でした。それはブロムシュテット、シャイーと続いた長い近代化(と書くと何か申し訳ないけど)による成果、良いも悪いもないのですけれど。


「ミュージシャンズ・アット・グーグル」に登場したアンドリス・ネルソンス。一時間くらいあるのでお時間のあるときにでもどうぞ。

・ドキュメンタリー『マエストラ 指揮台への長い旅』(2016年 ドイツ)
おそらく、生きているうちに消えてくれると期待している言葉、「女性指揮者」のドキュメンタリーです。
シルヴィア・カドゥフ、マリン・オールソップ、バーバラ・ハンニガン、アヌ・タリ、コンスタンティア・グルズィが出演者に並んでいますが、この中で演奏を聴いたことがあるのはマリン・オールソップだけ(それもプロムスのラストナイトの放送)、去年アヌ・タリを聴く機会もあっただろう!こういうファンが「女性指揮者」を特別な存在にしてしまっているんだよ、いい加減にしろ!(自虐)ということで、勉強させていただきます。(この姿勢自体が根本的な問題のひとつだとわかっていても、私が無知であることは認めておくべきだと考える次第です)

なお、ソプラノ歌手として壮絶なパフォーマンスを繰り広げる(大げさではない)バーバラ・ハンニガン、指揮者としても活躍していつことは最近知りました。こんな感じみたいですよ。


イェーテボリ交響楽団との演奏会より、ノーノとハイドン(!!!)。


せっかくだからもう一つ、歌い振り(???)でストラヴィンスキーの「放蕩者の遍歴」より。

・ミルガ・グラジニーテ・ティーラ指揮 バーミンガム市交響楽団演奏会

名前も知らなかった彼女がバーミンガム市交響楽団に招かれた、というニュースを、驚きを持って紹介しながらも「このオケならやる」と感じたのも事実です。その首席指揮者デビューとなった一連のコンサートから、プロムスでの演奏会を放送するとのこと。



なお、こちらの演奏会でバーバラ・ハンニガンが披露する「レット・ミー・テル・ユー」はハンス・アブラハムセンの曲で、アンドリス・ネルソンスがボストン響の演奏会でも取り上げています。ということで上手くこの番組全体がつながってくるという。そしてアンドリス・ネルソンスはご存じの方はご存知のとおり、バーミンガム市交響楽団でも活躍していましたから、ひそかにバーミンガム市交響楽団応援番組かもしれません(陰謀論)。

冗談はさておいて。ボストン交響楽団はアンドリス・ネルソンスとともに今年来日しますので、今のうちに聴いておくと良いと思います。ボストンとライプツィヒ、違う特色のある団体をどう振り分けているのか、彼はこの先どことどんな仕事をしていくのか。長くお付き合いすることになるだろう、”この時代のマエストロ”だと思いますので。

では紹介はこのあたりでおしまい。ではまた、ごきげんよう。


2017年2月23日木曜日

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(指揮者、作曲家)死去

こんにちは。千葉です。

また訃報が届いてしまいました。残念です。

●Stanislaw Skrowaczewski, Minnesota Orchestra's conductor laureate, dies at 93(Minnesota Public Radio News)

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキが亡くなりました。読売日本交響楽団、NHK交響楽団への客演でも好評だったマエストロ、今年も来日の予定でしたが惜しくもキャンセルが発表済みでした、快癒かなってまた来てくれればと誰もが思っていたのですが…

私はザールブリュッケン放送交響楽団と称されていた頃に(現在はザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団)、来日公演で聴かせてくれたブルックナーの交響曲第七番がひとつのパラダイムシフトと言えるほどの衝撃だったことを今も鮮明に思い出せます。ブルックナー作品のなかではより柔らかい、美しさが際立つ音楽だと思っていたこの曲が、あれほど力強く意志的な音楽であり得るとは、「第二楽章まででいいかな」なんて酷いことを思っていた後半の三、四楽章があれほど説得的に響くとは。音楽の、演奏の可能性を教えていただいた大切な経験でした。合掌。




hr交響楽団のYouTubeチャンネルより、自作自演とブルックナーの交響曲第九番(どちらも2014年11月27日の演奏会より)

※なお、5月に予定されていた来日が中止となった件についての記事は、本稿に先駆けて更新済みです

訃報に触れるたび頭を垂れて、もう御礼申し上げることくらいしかできないのだ、と再認識させられる私であります。今ひとたび合掌。では。

2017年2月18日土曜日

アンドレア・バッティストーニ、「題名のない音楽会」に再登場

こんにちは。千葉です。

いよいよアンドレア・バッティストーニ月間とでも言えそうな一ヶ月が始まります。以前ご案内した、東京フィルハーモニー交響楽団の特集サイトぶらあぼANNEXに続く記事も出ております!

まずはその一。以前観覧してきた公開収録がいよいよ19日(日)の午前9時より放送されますのでご案内します。

●題名のない音楽会 2500回記念(3) 祝典の音楽会

「題名のない音楽会」は1964年の放送開始から一時中断から放送局の移動など、紆余曲折を経ながらも2500回もの放送をしてきました。今月放送分はその記念として、特別なゲストや演奏会を放送していますが、19日と26日は私も伺ってきた演奏会が放送されます。
コンサート前半にあたるのが19日放送分、「祝典の音楽祭」のタイトルに合わせてバッティストーニと東京フィルハーモニー交響楽団が演奏した曲はベートーヴェンの交響曲第九番から、終楽章後半です(声楽が入る直前から)。すでに年末の第九でも演奏し、そのレコーディングもリリースされているこの曲、彼の見解は2年半前にこんな風に語ってくれています。



そんな彼らは今回、プロジェクションマッピングとの共演というチャレンジに挑んでいます。サントリーホールのオルガンの高さに、音楽に同調させた映像を投影しての演奏は如何なるものか、まずはご覧あれ。

…ここでこぼれ話を一つ。この演奏会の後半(次回放送分)は出番が終わっていたバッティストーニ、「会場で聴いていく」と聞いてはいたのですが。なんと私のお隣でした。二度のインタヴューで覚えてもらっていたのですけれど、それとこれは別なのであの、とても緊張しました。どうでもいい話ですみません(笑)。

そしてこの次には異種格闘技戦的なコンサートに登場します。いつも「ジャンルにとらわれないで、ポップスやロックを聴いている皆さんもぜひクラシックも聴いてみて」と語っている彼が登場するのはこのイヴェント。

●爆クラ!presents ジェフ・ミルズ×東京フィルハーモニー交響楽団×バッティストーニ クラシック体感系II -宇宙と時間編-

年が明けてからチケットも発売された公演ですが、とくにクラシック音楽ファンの皆さまはこの公演にお気づきでしょうか。以前も東京フィルハーモニー交響楽団と共演したジェフ・ミルズ(DJ)が、今度は新譜「PLANET」を引っさげてバッティストーニと共演する、という注目のイヴェントです。



DJとのコラボ、と言われてもピンとこない皆さま、後半のプログラムならいかがですか。これですよ。

ジョン・アダムズ:ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン
ドビュッシー:月の光
リゲティ:ポエム・サンフォニック(100台のメトロノームのための)
黛敏郎:BUGAKU(舞楽)より 第二部

まさかのリゲティのあれ(としか言いようがない)が取り上げられる他も気になりませんか。バッティストーニの黛とか聴きたくなりませんか。22日(水)は大阪のフェスティバルホール、25日(土)は渋谷のBunkamuraオーチャードホールですよ。詳しくは公式サイトでチェキラッ(似合わないからやめなさい)

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そして3月には以前インタヴューを紹介した定期演奏会、そして「平日の午後のコンサート」(これはロシアプロですね←説明はしないスタイル)に登場します。
ということで、この間約一ヶ月にバッティストーニと東京フィルはいくつもの演奏会に登場しますので、この機会にぜひ、どこかひとつでも!聴いていただければきっと、この先長くつきあっていけるだろうこの若い才能の可能性を感じていただけると思うので。

なお、本日はこちらの公演がありました。


そして明日は磐田公演(チケット完売)。えっと、時系列に整理しますね。

2/18 ヴェルディ:レクイエム(新宿文化センター)
2/19 ドヴォルザーク:交響曲第九番 ホ短調(静岡・磐田)
2/22 爆クラ(大阪・フェスティバルホール)
2/25 爆クラ(渋谷・Bunkamuraオーチャードホール)
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3/12 定期・チャイコフスキー:交響曲第六番 ロ短調(渋谷・Bunkamuraオーチャードホール)
3/13 定期・チャイコフスキー:交響曲第六番 ロ短調(初台・東京オペラシティ コンサートホール)
3/15 平日の午後のコンサート・チャイコフスキー:交響曲第六番 ロ短調(初台・東京オペラシティ コンサートホール)

で、東京フィル以外にも3月18日に仙台フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に初登場します。昔お世話になった仙台フィルとのご縁も上手くいきますように、と南の方から公演の成功をお祈り申し上げます。

怒涛の一ヶ月のあと迎える来シーズンには大阪フィルへの登場や、各地での「アイーダ」にも登場しますから各地の皆さまも彼の演奏に触れる機会が増えるでしょう。今年の4月には著作の日本語版刊行も予定されており、とこれからアンドレア・バッティストーニはこれまで以上に日本各地で活躍してくれます。ぜひコンサートで実際に、というのが一番私から申し上げたいことですが、その前にまずはTVを!です。…長くてすみません(笑)。

なお、本日から配布が始まった「ぶらあぼ」誌には新シーズンについてのインタヴューを掲載いただいています。Webサイトからもご覧いただけますので、ぜひ。

そんなわけでこの文はここまで。ではまた、ごきげんよう。


2017年1月5日木曜日

ジョルジュ・プレートル死去

こんにちは。千葉です。

自分の備忘ともなるのだけれど、個人としてのニュースの受け取りを書いておくことにも何か意味があるかもしれない。新年に心を入れ替えたシリーズ、悲しいお知らせから。

●追悼ジョルジュ・プレートル(1924.8.14~2017.1.4)(タワーレコード・オンラインのリリースへリンク)

自分でも書こうかと考えたけれど、すぐに見つかったこれがとてもよくまとめられた年譜で、彼のキャリアを振り返ることができます。92歳は大往生かと存じます、お疲れ様でした。合掌。

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2010年のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との来日公演を聴かれた方はやはりその思い出が大きいのだろうし、千葉より上の世代の皆さまであればマリア・カラスとの「カルメン」が印象深いのだろうなあ、と思います。来日公演の影響というのは受容を考える上では見逃せない大きな要素だと考えていますし、日本のレコード会社は代表盤とされるものがあればそれを執拗に売り続けてきましたから、この反応は当然といえば当然のことです。
そのどちらでもない千葉は、彼の若き日の数多くのプーランク作品の録音が強く印象に残っています。あまりにも普通なので前段の偉そうな物言いが急に恥ずかしくなってきました。なんかすみません。

冗談はそのへんまでにして。プーランク作品、彼の録音を聴くまで上手く受け取れていなかった記憶があります。良く言えば変幻自在、悪く言えば正体不明で。最初に聴いたのが「Gloria」(バーンスタインの録音)だったものだから、その後バレエ・リュスのための作品を聴いて軽妙というのかなんというのか、冗談と真摯な告白が同居しているような音楽に戸惑うばかり。いやはや、私は根が真面目なんだなあ(おい)。

だから冗談はそのへんにして(命令)。それでも仕事の関係もあってプーランク作品に当たりをつけられたほうがいい感じになったものだから(10年以上前の話です)、いろいろ調べたものですよ。フランス6人組についていろいろ調べて、結局のところ「オネゲル、いいよね」に落ちついてしまったのは誤算でしたが(おいおい)。少しでも調べればすぐ「プーランク作品はプレートルがいいよ」という評判に行き当たります。自分の中では「マリア・カラスとレコーディングした人」だから大昔の人、って認識でしたが※、確認してみれば録音はステレオだしフランスのオーケストラ他による録音だしいいかな、と思いましてモノオペラ「人間の声」と管弦楽曲集(二枚組)を買い求めて、理解したものです。「ああ、ここには冗談も真剣な話も同時にあるのだな」と。それを知的に、ある意味で冷たく腑分けするのではない、楽しさも重さも綯い交ぜに表現されたプレートルの演奏だから受け取れたものがあったのだろう、いま振り返ればそう思えます。

※これは私の悪癖なのだけれど、”歴史化”された物事に関係する人との距離感がダメだったんです。今は周辺事実の確認をしたりしてある程度の時代のイメージを作れますが、かつては全然ダメで。「ビートルズのメンバーはもう亡くなっている(くらい昔の人たちだ)」と思っていた話は前にしたことがあるような気がします…

ただ自分にはその次の機会がなかった。そこは本当に惜しまれるけれど、これはもはや取り返しの付かない話なのでこれ以上は考えまい。ブーレーズとアーノンクールの死を経て、最近ではそう考えるようになりました。録音や映像は残されたのだから、そこで彼の成し遂げたことを思う機会を作ることでその死を悼もう、と考えるわけです。
そうて振り返れば、プーランク録音に向き合ってみると当時の彼は30~40代の、若手と言える世代の指揮者だったはず(もっとも、大戦の影響で彼の上の世代があまりいなかったから、彼らの世代は比較的出世も早かったことも忘れないように)。晩年の容姿でその音楽を測るのが愚かしいことだ、というのは禿頭になってからのシベリウスを作曲家のイメージにしてしまうことで勉強済みだろうよ君。で、そんなことを考えている時に流れてきたこのTweetを見てください。


こういう感じの若い指揮者時代にカラスと共演して、プーランクに自作を任されて、と活動していたわけですよ(ちなみに、このTweetにあるとおり、昨年のピエール・ブーレーズと同日の死となったわけですが、ブーレーズも若き日には言論的喧嘩番長みたいなところがあったのを思い出しておいてもいいでしょう。人は変わるものよ←何様だ)。
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで再び脚光を浴びるまでにも様々なポストで活躍し、2017年1月5日に亡くなった、その92年の生涯を想像するのは半分も生きていない自分にはまだ難しい。なにより、実演に触れられなかっらから、晩年に向けてより独特なスタイルになっていった彼の音楽を十分に受け取れている気がしない(プーランク作品の頃は非常に端正で若い演奏をされてます、ジョルジュ・プレートル。写真と演奏からは、現在のアンドレア・バッティストーニのような演奏だったのでは?なんて想像も可能ではないかなと思ったり)。

無念ではあるけれど、受け止めるしかない事実です。現実的に考えればすべての素晴らしい音楽家を聴くことができないから、と嘆くのも傲慢でしょう、だから千葉は訃報に接してまず申し上げられるのはただ一言、合掌のみ。なのです。



この動画は2009年に開催された、フェニーチェ歌劇場での演奏会から「タンホイザー」序曲とバッカナール、そしてロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲です(フェニーチェ歌劇場YouTubeチャンネルより)。いま一度、合掌。

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ニュースを受けての雑感なものだから、長くなってしまっていけません。このあたりもおいおい改善するよう努めますね、ということで本日はこれにて。ではまた、ごきげんよう。


2016年12月4日日曜日

書きました:展望:東京フィル2017-18シーズン定期演奏会

こんにちは。千葉です。

まずとてもどうでもいい話を。
これまで一人称に「千葉は」といった表現を使用してきましたが、今後は控える予定です。というのも、名字を一人称にするのはそもそもは森博嗣先生の犀川創平くん(もうかなり以前から年下だ…)の影響だったんですけど。この前「名探偵ポワロ」シリーズのドラマを見ていてポワロの一人称がちょっとしつこかったもので(笑)。「某は」とか「俺は」「私は」がしばらくは交じることでしょう、ご容赦のほど。Merci.(おい)

それはさておいて、某寄稿致した次第にて申し伝えたく候(もう駄目だよこの人)。

●展望:東京フィル2017-18シーズン定期演奏会

先日「ザルツブルク・イースター音楽祭 in 東京」の記者会見でも寄稿させていただきましたが、フリーのクラシック音楽情報誌「ぶらあぼ」はその昔、仙台からこっちに出てきてコンサート通いする頃からありがたく読んでいた媒体です。そのWeb版の別館として東京フィルハーモニー交響楽団のサイトが作られるにあたり、まずは定期演奏会の全体を俯瞰した記事を寄稿しています。

つい先日の2日には、韓国の大邱と釜山での公演を前にしたアンドレア・バッティストーニにインタヴューもしています(記事は現在鋭意準備中です)。大邱市での公演は大成功だった模様>リンク先にてその大喝采がご覧いただけます。韓国の皆さんと東京フィルと言えば、このオーケストラを「日本の家族」と呼ぶチョン・ミョンフン名誉音楽監督の公演で多くのお客さまを見かけていましたけれど、もしかしてこれからバッティストーニの回でもたくさんいらっしゃるかも。チョン・ミョンフンとアンドレア・バッティストーニ、個性は違えどふたりの東京フィルの実力を最も引き出すマエストロに魅せられたら定期会員になっちゃったほうがいいでしょうしね(笑)。その二人に加えてプレトニョフの凝ったプログラムによるコンサート、日本の実力派と若手も聴けるわけなので、もしこの文章が韓国の東京フィルファンの目に止まりましたらぜひご検討くださいませ。

そんなわけで「ぶらあぼANNEX 東京フィルハーモニー交響楽団」、私ともどもぜひご贔屓にお願い奉る次第にございます。何卒よろしゅう。

以上ご案内でした。せっかくですから、先日の取材の際に私めが撮影した写真をば公開いたしましょう。バッティ、絵になりました。ではまた。




2016年11月3日木曜日

シーズン4に向かって、ノット&東響(その一)

こんにちは。千葉です。
訳あって、いやなくてもお仕事募集中応相談です。気軽にご連絡くださいませ。というのを毎回書くことにしました。うるさくてすみません。

おそらく、いま前説を書くべきことがある、書いておかなければ後悔するとわかっているのだけれど、それの出し方はまた別途考えます。それとは別に、今お出ししておかないと後悔するものを記事として出しちゃいますね。

10月20日からまる一週間+2日にわたって行われた欧州ツアーの壮行会を兼ねた、ジョナサン・ノット&東京交響楽団『シーズン4』 2017/2018年シーズンラインナップ記者会見の模様を全二回で公開します。

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2016年10月11日、ミューザ川崎シンフォニーホールのステージを会場としてジョナサン・ノット&東京交響楽団『シーズン4』 2017/2018年シーズンラインナップ記者会見が多くの報道陣、そして聴衆として熱心に東響を支えるサポーターを招いて開催された。ジョナサン・ノット音楽監督の長期契約更新の初年度、そして創立70周年記念イヴェントの中でも頂点となるだろう欧州ツアーへの壮行会としての意味合いもあって注目を集めた会見ではオーケストラから、そしてジョナサン・ノットから熱いメッセージが発信された。
福田紀彦川崎市長からのメッセージ、大野順二東京交響楽団専務理事・楽団長からの挨拶に続いて行われた、ジョナサン・ノット音楽監督からの、シーズン4への熱いプレゼンテーションを紹介しよう。

シーズンプログラムを手に、存分に語るノット監督

●音楽作りについて
今日はようこそお越しくださいました。昨晩は第4シーズンについてお話するためにプログラムを見直して、「こんなことも計画したか」「こんな素晴らしい作品を取りあげるのか」とと驚いたりしましていた(笑)。
では、まずここでの音楽づくりについてお話したいと思います。私は、本物の音楽作りは即興性の中にあると考えています。演奏者と聴衆との、今そのときにしかない特別な時間、その時にできる演奏を大事にしたいのです。だからリハーサルと演奏会では同じことをしようとは思わないし、実際できないでしょう。もちろん演奏のコンセプトや方向性はリハーサルで作り上げたます、ですがその上で演奏会ではリスクを取って表現をより深く、個人的で、自由なものにしたい。演奏のたびに私たちが違うように、コンサートごとに聴衆の反応も変わります。それは我々の表現が皆さんに伝わっているからなのではないでしょうか。

●欧州ツアーについて
私は以前から、ぜひ東京交響楽団とツアーを行いたいと考えていました。オーケストラが行う国際的なツアーには、三つの重要なポイントがあると思います。
まず、ツアーの際にオーケストラが集団として同じ行動をとることは、メンバー同士を音楽的にも、社会的な集団としてもより強く結びつけてくれるのです。
そして二つ目は、特に私個人にとってですが、同じプログラムを繰返し演奏できることが重要です。いつでも演奏会のために創り上げた演奏を、100回でも演奏したいと思っているのですから!(笑)繰返し演奏することで、表現をより深めていくことができるのは本当に喜ばしいことです。
最後に、音楽は言葉では通じ合えない人間同士をも結びつけることができるものだ、ということを音楽家が体感できる貴重な機会だからです。ツアーでは、言葉が通じない経験とともに音楽によって交流できるという認識が同時に訪れ、それは音楽家一人ひとりに「自分は何故音楽家になろうと思ったのか」という原点に立ち戻って考えさせることになります。また、音楽を通じて、音楽を言葉では十分交流できないかもしれない聴衆と共有することで個々人を、引いては世界をも変えることができる、その意味で音楽家は世界大使になれると思っているのです。

●プログラムについて
では来シーズンのプログラムについてお話しましょう。素晴らしい作品、プログラムが並んでいて私自身も見直して圧倒される思いでしたが、今日は私が指揮する六つの演奏会についてお話します。
一つの作品の中にも”旅”が、ストーリーがあり、作品を集めて編んだプログラム全体にもそれがあります。これらの演奏会を経験することで、私とオーケストラは互いに理解を深めていけるでしょう。将来的には一人の作曲家によるプログラム、たとえばベートーヴェンやマーラー、R.シュトラウスなども取り上げたいとは思いますが、いまはテーマを考えていろいろな作曲家の作品を組合せてプログラムを提示したいですね。

1.5月定期&川崎定期
ブルックナーの第五番という素晴らしい作品を取り上げます。この作品を初めて聴いたときにはまったくいいと思わなかったのですが、そんなはずはないと考えてスコアを読みました。たしかにこの作品は長いし、そして複雑に構成された難しい作品ですが、非常に美しい。モーツァルトと並べるとそれぞれの個性が際立つでしょう。

2.7月定期&川崎定期
素晴らしい東響コーラスとともにマーラーの交響曲第二番を演奏します。ブルックナーと同様、マーラーの作品もそれ自体がひとつの長い”旅”のようなものですが、今回はその前に現代日本を代表する作曲家、細川俊夫の作品を演奏します。

3.10月定期
このプログラムでは、以前から重要だと考えている新ウィーン楽派の作品の作品から、シェーンベルクの大規模な変奏曲、Op.31を演奏するとまず決めました。この作品は1928年の作品ですが、ラヴェルの「ボレロ」も同年の作なのです。まったく性格の異なる二作品ですが、これを並べると”変奏曲”というテーマができあがります。
シェーンベルクの作品は多くの技法、アイディアが盛り込まれた豊かな作品ですが、無調だから聴きやすいとは言えません。そこで変奏曲の音列に用いられたバッハの名による音形(註:B-A-C-Hを音名として)を用いたリストの変奏曲を冒頭に置くことで、よりシェーンベルクを楽しんでもらえると思います。そこにラフマニノフを加えて「変奏曲」の一夜はできあがりです。

4.12月定期&新潟定期
先ほどのコンサートが「変奏曲の一夜」なら、リゲティのホルン協奏曲(「ハンブルク協奏曲」)ではじまるこのコンサートは「ホルンの一夜」ということになるでしょうか。
先だってBBCミュージック・マガジンのアンケートで「音楽史上もっとも重要な作品」を問われて、私が選んだのがベートーヴェンの交響曲第三番です。彼の作品の中でも最もモダンでスリリングで、興奮させられる作品でしょう。第三番でこれまでの交響曲の三倍も長い、そして三本のホルンが活躍します。”三づくし”の作品ですが、(聖なる三位一体ではなく)民主主義的なあり方に近い作品だと考えています。
そしてホルン協奏曲を取り上げるリゲティは知的な作曲家ですね、どの作品も明瞭なコンセプト、アイディアを持つ、どの作品にも魂を感じさせる、現代の音楽に親しんでもらうための導入には最適な作曲家ではないでしょうか。
このホルンに焦点を当てたプログラムにもう一曲、と考えた時にシューマンを選びました。今回はジャーマン・ホルンサウンドというホルン四重奏を招き、彼らとはリゲティとシューマンで共演します。

5.10月オペラシティ定期
古典派作品を集めたプログラムです。ここで演奏するハイドンの第八六番とモーツァルトの第三九番の交響曲は作曲時期が一年半しか隔たっていない、ほぼ同時期の作曲ですから二人の作曲家の特徴も聴き比べていただけますし、どのように交響曲というものが作られてきたのかがうかがえるでしょう。
(※モーツァルト・マチネではハイドンは演奏されません)

6.5月オペラシティ定期
バートウィッスルの「パニック」がプロムスで初演されたときにはスキャンダルになったものです、冒険的で斬新な手法による作品ですから。サクソフォン、ドラムが活躍するこの作品とともに、サクソフォンを活用した音楽として、バーナード・ハーマンによる映画「タクシー・ドライバー」のための音楽を持ってきました。
そしてベートーヴェンの第八番は、大好きなのですがプログラムに上手く入れにくい作品でもあります。
個人的なことですが、なぜか自分の中でこの作品は東京と結びついています。かつて東京に滞在していたある夜、深夜の二時すぎに目が覚めてしまって仕方がないから勉強でもしようかと思い立った時に選んだのがこの曲でした。録音も持っていたはず、と探して聴きはじめて終楽章までくるころにはすっかり興奮してしまって、スコアを探して勉強していたら朝になっていました(笑)。この作品は人間であることの喜びが表現された作品だと感じています。

最後になりますが、今日会見に来てくださった皆さん、そしてコンサートにいらっしゃる皆さんに感謝を申し上げます。皆さまからの反応で私たちの演奏、プログラムを楽しんでくださっていることが伝わり、そんな経験を重ねるごとに日本での、今回上でのコンサートが心地よくなっています。これからもよろしくお願いします。

いかがだろうか、今シーズンも公演を重ねるごとに関係が深まりより親密な演奏を繰り広げるジョナサン・ノットと東京交響楽団のシーズン4、そしてその先の未来がますます楽しみになったのは私だけではないだろう。

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ここまでが前半です。明日の夜にでも、事務局の皆さまからのコメント、ノット監督が質疑に答えた部分を次の記事でお出ししますね。

欧州ツアーの模様については、東京交響楽団のFacebookで写真が数多く見られますし、楽員の皆さまもTwitterなどで報告していらっしゃいましたのでそのあたりを探されるといろいろなものが見つかるかと。
個人的には各地の評がどう出るか注目していたのですが、ネットでは今のところ最終公演ドルトムントの、本当に聴いたのか疑問になる微妙なものが一つ見つかっただけです。あの演奏で「正確だが感情的に弱い」ならどんな演奏すりゃあいいのさ、と思わざるをえないっすわー(自分の耳を疑う気はない←割と傲慢じゃのう自分)。そんなわけだからリンクも貼りません、あれを読んでも仕方がない。

で、最後になぜ急ぎ記事を公開するかと言いますればですね、本日東京交響楽団の帰国後最初の演奏会が行われるからです。ミューザ川崎シンフォニーホールで14時開演の名曲全集、指揮はシモーネ・ヤングです。詳しくはリンク先で。さて日本からの”大使”として様々な経験をしてきただろうオーケストラはどう変わっているでしょう、ということを確認するその前に、ぜひノット監督が今回のツアーに込めた思いの程を知っておいていただけると何かと伝わるものもあるのではないか、と考えました次第です。
なおノット監督が次に登場するのは12月、そこで演奏するプログラムと今月のシモーネ・ヤングのプログラムは両方聴いたほうがよさそうです、と感じた話が明日の分に入ってきます。あと、「コジ・ファン・トゥッテ」は大好きな作品なので何かしらの取材等をします。という予告込みの本日分はまずここまで。ではまた、ごきげんよう。

※ただのオタクの駄文でしかないとご批判をいただき、内容を観ていただけない可能性に気づきましたので改題しました。ご指摘に感謝します

2016年10月16日日曜日

書きました:アンドレア・バッティストーニ 東京フィル首席指揮者就任記念特集

こんにちは。千葉です。

夜ご飯を軽めにすると、もしかするとかんたんにダイエットできちゃう人かもしれません、千葉。いや別に痩せたかったんです!とか言うこともないんですけど、これまでベルトなしでもいけないこともなかったジーパンがずり下がって危険な瞬間が最近あるものですから、どこかで書いておこうかなって(誰が嬉しい情報なのかそれ)。

さてつまらない前フリはここまで、先日のテレビ放送に合わせて公開できました二つの記事をご紹介ですよ。


東京フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に就任したアンドレア・バッティストーニの記事を二本、書かせていただきました。そのうち一本は単独インタヴューですから、それは頑張らせていただきましたよええ。今年の5月に、噂の指揮者の実力の程を見せてもらおうかと(偉そうな上に経緯としてほとんど嘘)取材のお願いをさせていただいて本当によかったです。しみじみ。

リハーサルにコンサートにトークにと、東京フィルハーモニー交響楽団さまのご協力あって彼の音楽に半年の間多面的に触れることができたおかげで、そしてなにより彼が聡明で雄弁な若者であるおかげでインタヴューはなかなか充実したものにできたかと思います、ぜひお読みくださいませ。

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ここで書けるようなこぼれ話を残せるほど、記事では対話の内容を削っていないので(ほんとうにほぼインタヴューの全文なんです)、B面っぽいことはあまりないのですがひとつだけ。

長い時間に渡ったインタヴューのお礼を申し述べた後、通訳の井内さんにお願いしてひとことだけ、個人的にお伝えしたかったことをマエストロにお話しました。お伝えしたかったこと、というのはこういうことで。

「マエストロがご存知かどうかわからないのですが、日本では数多くの若者が吹奏楽というジャンルで音楽を楽しんでいます。そこではレスピーギの作品が多く演奏されていまして、あなたの演奏会とレコーディングは彼らがオーケストラの演奏に触れるきっかけにもなっていると思います。そこで素晴らしい演奏を聴かせてくれていることに、かつて吹奏楽でクラシック音楽に触れた私からお礼を言わせてほしいのです」

という感じに、インタヴュー記事の文体に近づけたらなるかな、という内容の話をしたんですね。
吹奏楽の皆様は御存知のとおり、レスピーギの作品はよくアレンジ版で演奏される割に三部作以外は参考にしたくなるような魅力的なオーケストラの演奏がそう多くあるわけではない、そして演奏会でも多く取り上げられるわけではない。そこに来てバッティストーニ&東京フィルがローマ三部作をレコーディングし、コンサートで「シバの女王ベルキス」「教会のステンドグラス」を演奏してくれているのだから、ありがたく思わないほうが難しいです。(個人的にはそれらの演奏がある程度まとまったところでリリースされるのではないかと期待している)

そんな気持ちをお伝えしたところ、マエストロからは「そんなふうに受容されていることは知っている、少しでも多くの人にジャンルを超えてオーケストラ音楽を聴いてもらうきっかけになればいいよね」といったお返事をいただきましたよ。

かつて吹奏楽青少年だった千葉からもお願い申し上げます、アンドレア・バッティストーニ&東京フィルの演奏が魅力的に思えた皆さまはぜひ、ジャンルに囚われない音楽への接近を試みていただければ、と。「のだめ」で一躍ポピュラーになったベートーヴェンの交響曲第七番でも「地獄の黙示録」見た勢いで新国立劇場行った勢いで「ニーベルングの指環」全曲に手を出してもいいっす。もちろん、アンドレア・バッティストーニが聴かせてくれるイタリア音楽からさらに幅広い音楽を聴いてくれてもいいっす。インタヴューで彼が言っていた「音楽には”正解がないので」ということを知って、その上でいろいろなものを知ることに意味があると中年男性になった千葉は思うわけです。
とか、お話を聞いただけで勘違いするタイプの意見でありました。

本日は「題名のない音楽会」が朝夜と放送され、マエストロが”マスカーニが書いた最も素晴らしい音楽”と評した歌劇「イリス(あやめ)」の演奏会があります、皆さまがそれらを楽しむ一助となれば幸いです、と申し上げてご案内はおしまい。ではまた、ごきげんよう。

2015年8月10日月曜日

書きました:佐渡裕の「ウィーン時代」が開幕へ

こんにちは。千葉です。
なにかインディアナポリス方面から朗報が届いている模様。ホンダにはおめでとう。自分には「なんとかもう少しGP見られるようになれよ」と苦言を(笑)。

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さて、大好きなプレミアムシアターの感想でもある記事を「SPICE」さんに書きました、という報告です。ちょっと前の話ですみません。

●佐渡裕の「ウィーン時代」が開幕へ

この前の放送から「題名のない音楽会」卒業に向けて8週にも及ぶ特集が始まった佐渡裕の、おそらくは卒業の理由でもあるのだろうウィーン・トーンキュンストラー管時代を顔見世演奏会から展望してみました。といっても、文中に書いたとおりこの演奏会では司会者的ポジションからアプローチしていたようにも思えましたけれど。

書くべきことは文中に書いたと思うので、ここではただ「幸あれ」とのみ申し添えさせていただきます。

ひとまずは報告のみ。ではまた、ごきげんよう。

2014年7月27日日曜日

今が時代の変わり目なのだ、としか

こんにちは。千葉です。

今日は前置きなし。本文を書き上げるのに時間がかかっちゃいました。

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またしても、自分がクラシックを聴き始めた頃には巨匠扱いではなかった(実力派、鬼才枠だったと思う)マエストロの訃報に、なんとも言いようのない気分になっております。もはや皆さんご存知でしょう、ロリン・マゼール氏(1930-2014)が亡くなられたとのこと。ご本人のサイトがかなり早々にこの情報を告知しておりましたので、リンクはそこに貼っておきます。

千葉個人はですね、自分の側で予算があるときにはスケジュール的に厳しくて、なくなったらもう選択肢に入ることすらない(泣)マエストロでしたので、残念ながら実演の経験はありません。彼もまたひとりの、時代を代表する方だと思いますので、その録音からでも独特なものであることが察せられる音楽を実演で聴きたかったのはやまやまですが、今となってはご縁がなかったのだと申し上げる他ございませぬ。合掌。

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そこで過去に聴いた録音の話をしようかな、とも思いました。ひと通り聴いたマーラーの話とか(そうだ、こっちに再録しなくちゃ)、初期の録音の一つとなる「ポーギーとベス」とか。



でもせっかくなのでエッセイ的ななにものかをば。先ほども書いたとおり、残念ながら実演を聴く機会はなかったのです、マエストロ・マゼール。バイエルン放送響、ミュンヘン・フィルほかいずれも予定や条件が合わなくて。だから千葉自身の話じゃなくて、他の人の話から考えさせられたよ、というお話。

2011年11月に、マエストロは東京交響楽団に客演しました(この訃報を受けての東京交響楽団からのリリースはリンク先でお読みください)。もちろん千葉は聴いてません(しつこい)。その時の聴かれた方の反応が、なかなか興味深いものだったのです。千葉はスダーンのもとで成長したあのオーケストラを信用しています、その長所も弱い部分もある時点まではよく知っていましたので人々の反応から、少しは自分なりの憶測を先に進めることができる、と思っています。そう、ここで書くのはあくまでも憶測です、あしからず。

東京交響楽団は千葉がよく聴いていた当時の時点で、日本のオケの中ではかなり響きに対して配慮できる団体になっていました。初めて聴いた時に少し感じたリズム的な弱さもほぼ感じられない、そしてスダーンによる同時代アプローチ寄りの演奏が可能であるまとまりのいいアンサンブル。オケピットでの経験もあって数多くの演奏会もこなしている、いいオーケストラだと思います。Twitterなんかで見聞きする限りでは、ジョナサン・ノット体制も上々のスタートである模様、喜ばしい限りです。
そんなオケに世界有数のマエストロが来た。普段は実力はあっても失礼ながら地味目の指揮者が来演している印象のある団にとって、この招聘は明らかにいろいろな面でチャレンジだったことでしょう。もちろん、東響は歴史ある団体ですからね、1963年にも共演していますけれど、その時と今では意味合いが違う。

その演奏会のあとで見た、聴衆の反応は一言にまとめるにはいささか複雑なもので。あえて言うなら演奏を褒めつつも、どこか物足りなさげな雰囲気がうかがえるものでした。それに対して千葉の反応は至って簡単、「さもありなん」、に尽きます。とてもまっとうな姿勢の、若干の揶揄をこめて生真面目と評してもいいだろうオーケストラが、いきなり世界有数の曲者と上手くやれるのかな、そんなふうに見ていたものですから(いろいろと無礼ですみません)。おそらく来日してくるような欧州のオケと比べたって実力が落ちるとは思わない、でも職人的なところのあるオケが、強力な個性と出会ってどう反応するのか、いつも以上の演奏ができるかそれとも。
聴かないで想像で申しますが、この出会いはきっと、東響がこの先もっといいオケになるために必要なものを多く示唆していたのではないか、と愚考します。スダーン先生に従って優等生らしく一歩ずつていねいに前進してきた彼らが、その歩みをいきなりマラソンどころか全力疾走にまであげなければいけなかっただろうコンサートだったのだろう、と。

きっとね、ある程度までなら自力で少しずつでも止まらずに成長できるんですよ、組織も個人も。でも、強力な個性を持つ個人と出会うことで、その歩みは突然に速いものにもなりうる、もちろんその逆だって。きっとこの、簡単にはまとめがたい反応を呼んだマゼールと東響との出会いは、きっとそういう変化をもたらす可能性を秘めたものだった。その可能性がいま一度試されただろう再度の共演がありえたらしい、という話を聞けばよりマエストロの死が惜しまれることであります…

そう、千葉にとってはロリン・マゼール氏はまるでメアリー・ポピンズのように秘められた可能性を開いては去っていく、独特な存在だったのだなあ、と亡くなられてから思います。もしかすると彼にかぎらず、いわゆる「ジェット機で世界を飛び回る指揮者」たちについて、そういった面から見直す必要があるのではないかな、などと考えたり。

昨日の公演でユベール・スダーンとの一つの時代を終えた東京交響楽団に幸あれ、そしてマエストロの眠りの安らかならんことを。

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彼の訃報を知った時、千葉はそれほど好みではない(ごめんなさい)ダニエル・バレンボイムさん指揮、ベルリン・フィルのコンサートを見ていました。「これはシェイクスピア・プログラムなのかな」とか「この生真面目なファルスタッフさんのことは笑えないよね、最高に雄弁だけどさ」とか思いつつ。そこにこの報せ、なんとも言いがたい気持ちになりました、かつてこのオーケストラのポストを切望し、しかし叶わなかった二人のことをいろいろと考えてしまいまして。そのとき放送されていたチャイコフスキーの交響曲第五番は、千葉にとっては亡くなられたマエストロへの、偶然の贈り物に思われてしまいまして。その後の再放送分、ラトルが指揮する「タリスの主題による幻想曲」まで、つい放送で見てしまいました。いま一度、合掌。

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きっとこれからいくつかの評伝が出て、それでようやくヴァイオリンに指揮に作曲に、コンサートにオペラにと多面的に活躍したマエストロの生涯についての見取りができるようになることでしょう。世界恐慌の直後に生まれて21世紀序盤までを生きた、ということの意味を踏まえて。
でも訃報のたびに思うんですよ、存命のうちからそういったアプローチをしていきませんか、と。せめて、永年のキャリアがある方について、目の前の演奏の出来不出来だけでどうのこうの言ってしまうようなことは控えませんか、と。

とはいえ、このような提言ぶった物言いはもうクラシックの看板を下ろした千葉の任ではない、ようにも思えますが、思い出したので付記しておきます(どっちなんだ)。ではまた。

※なお、本日のBSプレミアム、「プレミアムシアター」は放送予定を変更して後半にロリン・マゼールがNHK交響楽団に客演した最後のコンサートシリーズからの演奏を放送します。そちらの記事も修正しておきましたのでご参照くださいませ。

2013年10月23日水曜日

今からでもショルティを見直したい(ぼんやりな見解だ

こんにちは。千葉です。

…無沙汰のお詫びももうネタがありません。こういうペースだとあきらめてください(一番あきらめてるのは千葉なのですが…)。ひとつだけ申しますなら、いわゆる「芸術の秋」なんて大っ嫌いだ、ということでしょうか…(あと千葉をして失語に陥らせる昨今の状況。これはあっちに書かなくちゃ…気が重いです、率直に申しまして)

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さて気分を変えていきましょ。一昨日の夜に知ったので記事にするのが遅くなりました。10月21日はサー・ゲオルグ・ショルティのお誕生日であるとか。1912年生まれだから101年目、ですね!(なにか時宜を逃している感が酷いので勢いだけ出してみた)旧館の方でさんざんマーラーを聴きまくった時期に(2010年のことだから、もう自分の中では昔話感があります)、その昔の偏見を改めて今では率直に尊敬するマエストロのお一人となっております。

なお、その「偏見」についてはまた別途、吹奏楽出身者にはいろいろとあるんですよ。いま考えればそういう偏見を垂れ流す方の見識にこそ問題があるのだけれど。そういう偏見を疑えない弱い自分の知性に問題があったのだけれど。
幼かった時期は仕方がないかもしれない、でも問題に気づいたのならそれは拭うべき、だろうきっと。いくつかの要素だけ先行して挙げておくならば、オペラ指揮者としてのショルティ認識、そしてその造形性というターム、でしょうか。なにが縦線だけ揃えたパワー重視の演奏だよったく。

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そんな記念日に、最近入手した彼の録音の中でも一番のお気に入りの盤を、長すぎて全曲は無理だけど第三幕だけ、聴いてみました。




右のボックスにはウィーンフィルとの旧盤ほか、誉れある名盤の数々が収められております。でもここで言及するのは左のほう、シカゴ交響楽団との「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(以下マイスタージンガー)新盤です。すこし前に図書館で借りて聴いて、「あれこれとてもいい演奏だと思うのだけれど」と気にしていたものなのです。かなりのお値打ち価格のタイミングで入手できて、ほんっとよかったですよ。にやにや。

このマイスタージンガー新盤のブックレットにはショルティ自身のコメントが載せられているのですが、これだけでこの盤の紹介になるような文章だと思うのですよ、輸入盤を買ったから国内盤のことはわからないし、もちろん英語なので、拙訳で大意というかいいなあと思ったところを書き出しますと。

・二度録音したワーグナーの全曲はマイスタージンガーだけ、ということになる
・ふとラジオから流れてきたマイスタージンガー、その序盤のポーグナーの歌に心動かされた、美しい音楽であるなと再認識。
・モーツァルトやヴェルディの経験を踏まえて、ワーグナー作品へのアプローチは変わった。いまいちど立ち返ったこの作品は「対話による作品」なのだな、と感じる。もっと軽く、室内楽的でもある。
・コンサート上演の利点はその明晰なサウンドにある。もちろん、シカゴの強力なメンバーの能力も素晴らしい
・つまるところ、自分はかつての演奏、録音から数十年の時を経てまたこのオペラに恋をしたのだ

などなど。分量としてはブックレットの1ページでしかないけれど、熱いマエストロの思いが伝わる文章ではないかと。

個人的にですね、ノリントン&LCPの前奏曲を聴いて以来こういう演奏を待っていた、と思える演奏なのです、これ。もちろん強力なオーケストラのサウンドは同時代アプローチのロンドン・クラシカル・プレイヤーズにはない、だからノリントンの盤から千葉がイメージしたものと同じではない(モダンオーケストラのサウンドというのはあれですね、ずっしりどっしりした肉料理になぞらえるべきものなのかもしれませぬ。ちなみにいわゆる古楽器演奏はうまく空気を含ませたパイ料理とか、近いような。ここで詳しく説明はしません、わかる方だけわかってください←誰にも伝わらないフラグ)。かつて新国立劇場でシュテファン・アントン・レックの指揮で聴くことができた軽やかなマイスタージンガーはイメージに近かったような気もする、でも検証のしようもないしリプレイもできない、それに上演が2005年のことではもう記憶もあまり信用できない…(新国立劇場はアーカイヴを作る義務があるのではないかしら、国立の施設なのだから。ダイジェストじゃなくてさ)。

そんなヴァルターの推敲前のマイスターリート以上にぼんやりとした(何様だ)千葉の渇望を、ある程度まで音にしてくれているのがこの盤だなと、聴き直してしみじみと思うのです。おなじみのいささかも緩まない引き締まったテンポ、対話を重視した歌、作品の民衆的な性格に十分配慮したカジュアルなにぎやかさ。「トリスタンとイゾルデ」の悲劇と対になる喜劇として構想された作品を、そのめんどくさい歴史やら過剰な浪漫性を削いで本来性に立ち戻らせた一枚では、と評価する次第、なのです。ショルティ最晩年の大仕事のひとつ、という以上の価値を見出しうると思うんだけど、あまり評判を聞きませんなあ…いちおうレコード・アカデミー賞を取ってはいるけど受賞が没年のことだから功労賞感が否めないとかあの賞自体が以下自重。

ああ、別に「もっと評価しろよ!世間!」とか喧嘩を売りたいんじゃないんです、ただ素朴に、「これを聴かないなんてもったいない!」と申しておるのです。これはあまりに素朴な気持ちですので、彼のお誕生日にでも関連付けないとちょっと人前に出せなかった、という、それだけの話で(笑)。

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最晩年にはメジャーレーベル最後の砦のような扱いになって、それまでほどは低められなくなったように思うけれど、正直に申し上げてサー・ゲオルグ・ショルティがその仕事に見合った評価をされているとはどうも、思えないのです。いや、彼にかぎらず合衆国で活躍した、そして来日公演などでその演奏に触れられたはずのマエストロたちへの敬意が、妙に薄いと申しましょうか。オーマンディもそう、レヴァインもそう、もしかすると、小澤征爾についても同じことが言える、かも。
その大きいお題については最初の「偏見」ともどもおいおい考えますので、いまは指摘のみにとどめます。あ、もし考えたい方がいらしたらぜひ、さっさとまとめてくださってもけっこうですのよ!(投げるな)

大きすぎるお題に手をこまねいて筆が止まらぬよう、日々精進したく存じます。近いうちに再見できますようお祈り申しあげつつ今日はこれにて。では。



本文中でさらっと挙げたノリントン&LCPのワーグナー(&ブルックナー)、彼らの数多くの録音の中でももっと注目されるべき一枚であるように思えるのですが如何かしら。それこそ例えばショルティ&CSOなどと比較すればモダンオーケストラと「作曲された当時の」オーケストラの音響の違いがこの上なくはっきりとわかるのですが。

2012年10月15日月曜日

もうそんなに経ちましたか…

こんにちは。千葉です。

今更のことですが、そろそろ首都圏はとんでもない質量共に充実しすぎたコンサートシーズンを迎えます。いや、もう始まってるのかな。内外オペラは開幕したし、在京オーケストラの定期演奏会も始まったようだし。第九も発売されて所によっては完売とか聞くし。一年、速いなあ(他人事ですか)。
しかしながら、千葉は今年は貧乏により完全スルーの予定です。べ、別に羨ましがったりもしないと思いますよ、少なくとも字面の上では(ギリギリギリ←歯噛みする音)。

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さて、日付上は昨日が、レナード・バーンスタインの命日です。1990年10月14日、それが記録の上では彼の命日として残りますからね。でも個人的な記憶を紐解けば、今日15日のほうが彼の死と結びついているのです。だって思い出してください、時差の関係で彼の訃報は翌日になってから日本では報じられた、じゃありませんか。今みたいにネットでリアルタイム接続してる訳じゃなし、新聞はちゃんと「ニュース」を報じていた訳ですよ、そのころは。

そんなわけで今日のほうが彼を思い出すのに適しているように、個人的には思います。何も昨日は他ごとをしていたから、というのではなく(いやその面も否定はしないが)。あの頃は千葉もまだ若かった(笑)、よく晴れた秋の日に、悲報を受けていろいろと吹奏楽部の友人たちと話したことなど、変に美化されて思い出されます。しみじみ。


ということで、この本を読み始めました。最近出た本だったんですね、存在さえ知らなかったのは不覚の極み。今年の三月に発行されてます。

 

岡野弁さんの訳でバーンスタインの本、となるとそれこそ彼の死を受けてその音楽や教えを貪っていた時期に読んだ「音楽を語る」が思い出されます。時期も内容も趣向も雑多なエッセイ集なのだけれど、貪りましたよ本当に。何度も何度も読みました。懐かしい。しみじみ。
新刊の「わが音楽的人生」は自伝と位置づけられる本のようですから、普通に考えればパイザーみたいな本とかマイヤーズ、カスティリオーネの本よりも先に出版されるべきじゃないのかなあ、などと思わなくもありませんが(笑)、順序はともかく読めるようになったのだから文句は控えましょう。未読ですし。

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他にもちょっと、バーンスタインのことを考えていたことがひとつ、あるんです。そのきっかけはこちら。



サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるブルックナーの第九番、「サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ版(SPCM版)」の2010年改訂版の、作曲者によっては完成されなかった第四楽章付きの録音です。
えぇえぇ、貧乏な私は右側を買いましたが何か?(キレ気味)本当はねえ、SACDフォーマットの方がいいに決まってるんですよ、特にもいまの彼らの演奏は。まあほら、海外では本はハードカヴァーとペイパーバックが同時にでたりするみたいだから、あたしはそうだ、そうだよ文庫が好きなんだよ!(滂沱の涙)

すみません取り乱しました。
バーンスタインの膨大な正規録音の中に、ブルックナーはただ一つこの第九番があるのみ、なんです※。それも二回、NYP時代の1969年のもの、そして1990年3月まさに最晩年に残されたウィーン・フィルとの録音と。

※当時のレーベル関係なしで、一つだけ例外があります。これまた不思議な感じのする選曲ですが、第六番をニューヨーク・フィルハーモニックと演奏した記録があります。情報はリンク先でご確認ください。

畢生の大作だもんね、未完だけど価値ある作品ですよね。千葉はそう思うことにしていたんですけど、ブルックナーを聴けば聴くほど「第五とか第八はある種の完成形ですよねえ」「未完であることで作曲者本来の”型”を欠いた作品になってませんかね第九番」とか思うようになりまして。

アーノンクールの盤におまけでついていたレクチャーを聴いてみてもいま一つイメージできないでいた第九番のあるべき姿が、ある程度の信用できる形で聴くことができてみると、これはもしかしてこういうこと?などと心当たりが持てなくもない、かな。最近そんな風に思っていたところなんです。まだもう少し調べ物をしないとまとめられませんけど。

ともあれ、そんなわけでこれからしばしバーンスタインのブルックナー、聴こうと思います。ではまた。


 

右の五枚組DVDボックス、1973-90年のライヴが収録されてます。はじめ見たときは同じニ短調の第九番でもマーラーが収録されてるってあったような気がするんだけど…(笑)




この動画は第一楽章冒頭15分ほどです、ご参考まで。

2012年9月11日火曜日

今日はエーリヒ・ラインスドルフを、ぜひ。

こんにちは。千葉です。

また感覚が開いてしまいました、なんとか向こうは更新しているのですが…いちおうはまともなことを書こうと思うと手が進まないというのはあれですね、かなりマズイですね、えへへへへ(軽すぎる反省)。

後ろを向いていてもしかたがないのでサクサク本題へ行きましょう。

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今日はエーリヒ・ラインスドルフの命日だとのこと。1912年2月4日生まれで1993年9月11日生まれ、ということはホブズボームの言うところの第一次大戦で始まり冷戦の終了で終わる「短い20世紀」をほぼ丸々生きた格好ですね、ふむふむ。
だからというわけではないのでしょうが、残された録音を聴く限りでは実にモダンな演奏が今聴いてもあまり古さを感じさせないのがいいです。実に。この盤はちゃんと紹介しておきたいな、と以前から思っているのがこちら。


交響曲が全集でないのはほんとうに残念ですが(第一、四、七番が収められてない…)、彼がボストン交響楽団と残したプロコフィエフ録音全六枚、最近リマスタされてお安くなってリリースされてます。交響曲が四曲、ピアノ協奏曲はジョン・ブラウニングの独奏による全集、加えてフリードマンとパールマン独奏のヴァイオリン協奏曲、そしてバレエ音楽「ロメオとジュリエット」抜粋に「キージェ中尉」組曲が収められてます。

これはねえ、演奏の水準だけで見れば東のロジェストヴェンスキー盤とタメを張れる西側の番長なんじゃないかなあ…と思えるものなんです。実にモダンな、切れ味が素敵な演奏なのでもっと聴かれるといいなって思うわけですよ。
交響曲のうち比較的知られた第一、第七番がないのは惜しい、またある意味でプロコフィエフの活動の頂点をなしている第四番がないのも実に惜しい。原典版を取るのかそれとも改訂版を取るのか、など見所の多い曲だけになお惜しい。もったいない。しかしそれでも、このボックスに収められた一枚目、交響曲第二番と第六番を聴くためだけにでも、ぜひ聴いていただきたく思うほど、充実した演奏が収められてます。ほら、最近のボックスって昔のフルプライス盤よりお安いじゃあありませんか、騙されたと思っておひとつ、どうすか?(笑)

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他にも彼の録音は手元にあるので、もう少し聴き込んで紹介したいと思います。千葉はいわゆる「新即物主義」扱いされて結果軽んじられた感がなくもない20世紀の演奏家の皆さんに、大いに敬意を抱くものでありますゆえ。

最近ようやくスコアを手に入れて学習中のブリテンの大作「戦争レクイエム」は彼が合衆国初演をしているんですよね。そしてその映像が残されている、という僥倖。




こちらはその大作の終結部だけですが、YouTubeでご覧いただけます。個人的には、この曲ならではの仕掛けが生きる部分を見せてほしいなあ、なんて思うところだけどそれは買ってみなさい!ということですねわかりましたごめんなさい。



なんとなく買うタイミングを逸し続けているこの盤、そろそろ買いどきかなあ…舞台上の配置とか、映像で見たほうが理解しやすいことも多いんですよね、この作品。

1962年5月30日に初演された作品を、その約一年後の1963年7月27日に合衆国初演したタングルウッド音楽祭での演奏会を収録したものです。20世紀中盤の新作初演に対するこのあたりのスピード感に感心させられること、多いですね。その辺りの観点から再評価されるべきマエストロ、多いと思うんですよ、同じくアメリカ亡命組でオーマンディとかオーマンディとか。まあその話はまた別途。

彼の録音はまだそれほど聴き込めていないけれど、独特の険のようなものがなかなか、魅力的なのでまた機会を見つけて紹介しますね。それこそ、マーラーは前に取り上げたんだったかな…

とりあえず今日はこんなところで。ではまた。


Erich Leinsdorf/Mahler: Symphony No.1; R.Strauss Till Eulenspiegels lustige Streiche [ICAD5051]


あれ知らぬ間に、という感じですがこんな映像も出ていたのですね。むむむ。

2012年8月28日火曜日

まだ若手なんだからさ、と思うのよ


こんにちは。千葉です。

「領土問題」だの国会運営だのACTAだのなんだのと洒落にならない問題山積の中、NHKのニュースがAK以下省略。芸能ニュースをやる番組はヴァラエティですよね、普通。ワイドショウ扱いしてもいいのかなあ、NHKニュースウォッチ9。

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世評の高い、期待される若者を腐すのは気が引ける。それに明らかに自分の方がマイノリティなんだろうな、とは思う。でも今のうちに言わないと後出しになる、それも嫌だ(笑)。自分の予測がハズレならそれに越したことはない、でもけっこう本気で心配してるんだよこれでも。ハズレだとあとでハッキリしたらバカにしてくださってけっこうよ。と前置きして。

番組については一切言及しませんが、先日放送された「ベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサート」、グスターボ・ドゥダメル指揮の演奏を視聴しました。前半のゴーティエ・カプソン独奏のハイドンについては多くを語りますまい、千葉はロン毛が邪魔そうなゴーティエくん、けっこう嫌いじゃないっすよ。実演で聴いたほうが映えるタイプかなあ、とは思いますが。

後半のね、ベートーヴェンの交響曲第五番 ハ短調 Op.67、これがねえ。その場その場の音楽は自然な起伏をうまく膨らませたものだし、無理にデフォルメしてどうこうしない正攻法はそう悪いものではない。その指揮者の元、出てくる音はベルリン・フィルのものなんだから悪い訳がない。

でもごめんなさい、このくらいでスター扱いされちゃってて、ベルリンにもウィーンにも登場とか、いいのかなあ。

おそらく皆さんご存知だろうエル・システマがどうのこうのとか、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラとの熱演がどうのこうのとか、アバドがラトルがアルゲリッチがどうのこうのとか、そうなんですよ、世界的に将来を嘱望されていて、そのキャリアについては千葉なんかが心配してあげる必要はまあ、全くない。あまりにもなさすぎて、ここで異議を申し立てることを申し訳なく思うほどだ(笑)。でもなあ。名前が売れてポストを得て、著名どころに客演するようになるに連れその演奏がどんどんと驚きのないものになってしまうマエストロを何人も見て来たものだから、そんな義理もないのに心配になるんです。

そもそも南米の、中でもクラシック音楽の伝統とは切れている(アルゼンチンやブラジルは二次大戦の際に少なくない音楽家が亡命したこともあって20世紀には十分に欧州とつながっている)ベネズエラ出身、同志とも言えるユース・オーケストラから熱い演奏を引き出したのがその才能を評価された、などなどの彼についての物語は、よくも悪くもバックグラウンドの不在とそれ故の才能の輝きといった要素で飾られています。個人的にはそこに不安も感じつつ、もしそんな「物語」が現代にも可能なのならそれはそれで素晴らしいな、と思い、いくつかの録音を聴いたくらいで静観していました。っていうか来日公演にはお金がなくていけないし(笑)、各種録音を追いかけるほどの興味もまだ感じていない。ファンの方ごめんなさい。

でね。まあ、音楽を力技抜きで聴かせるのは今も上手だと思う、でもそれ以上になってる気がしない。小編成のオーケストラなのに、巨大なSBYOを操っているのと変わらない歌わせ方をしてしまっているし(待って合わせる感じ、せっかくのこのオケの小編成なのにもったいない)、音楽をどう響かせたいのかがいまいち見えない。ベートーヴェンについてのコメントがあったけれど、演奏からは彼の強い個性も手法的なものもあまり感じられず。これからの人なんだから、で済ませてあげてもいいんだけど、こと世界最高のオーケストラを指揮して、世界で放送される演奏会だと考えると、ちょっと。期待の若手の顔見世興行に使っちまっていいんですかい、というか何というか。

このオーケストラのマエストロたちが彼に多くを期待して、以前から目をかけていることは知ってます、それにベネズエラ出身というどちらかと言えばプラスになりにくい出自ながらその音楽の魅力で活躍を続ける若者には千葉も期待したい。でも、まだ早くはありませんかね、ああいう扱い。
個性といえば聞こえはいいんだけど、訓練と経験によって洗練されまたはより強められていなければそれはただの手癖かもしれないのですよ。面白い、刺激的で新鮮な手癖もありうるとは思うけれど、それだけで長く活躍できるほどクラシック音楽の世界は簡単じゃないような気がするんですよ、千葉は。いまのドゥダメルは、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラやポストにあるエーテボリ交響楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニックとの演奏で自らを鍛えあげるべきではないのかと、終盤に向け明らかに客演指揮者の演奏になっていくベートーヴェンを聴きながらそんなことを思った次第です。特に誰とは申しますが、一時期のダニエル・ハーディングについても同様の心配をして、昨今はなんとかまた軌道に乗りつつあるのかなと思っている千葉としては、このような不遜な心配をしてしまったよ、というお話でした。

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ぜひ、この文章が後の世にて笑いものになりますように、と思いつつ本日はおしまい。ではまた。



カプソン兄弟だとこのラヴェル、けっこう好きですね。兄の美音に弟の突破力、そこに加わるブラレイの脱力(笑)。

2012年6月9日土曜日

必見では?ラザレフ&日本フィル、22時よりBS-TBSにて!

こんにちは。千葉です。

もっと早く告知しておくのだった、と思いつつ、まだ手遅れではないので微力ながら情報拡散のお手伝いをば。

あとは交響曲第六番を残すだけ、となっているプロコフィエフ交響曲全曲演奏を通じて長足の進歩を遂げ、今や好調のオーケストラが居並ぶ首都圏でも千葉が最も聴き逃したくないコンビとなったアレクサンドル・ラザレフと日本フィルハーモニー交響楽団。先日のチャイコフスキーや昨年のラフマニノフ、評判を伝え聞くだけで悶え死にそうでしたよ。(笑)は付かない感じで。
何度となく演奏を聴いているから、作品さえわかれば実際の演奏をある程度イメージするのはできるけれど、実演の楽しさはそんなアウトライン程度の認識だけでは味わい尽くせない、もっともっといいものなのです。こと、コンサートで全力を開放したラザレフの場合には。ああいきたいなあこんちくしょう(あ、言葉遣いが…)


気を取り直して。そんな彼らが、今晩22時より、BS-TBSにて放送される番組に登場します!「美の巨人たち」とか見てる場合じゃない、んですよ!(笑、ウチの土曜日在宅時のパターンですね、アド街ック天国から美の巨人たち)


「未来へのおくりもの ~スペシャル~」

2012年6月9日(土) 夜10:00~10:54 放送予定 BS-TBS(BSデジタル6ch)



●音楽で人々に笑顔を「日本フィルハーモニー交響楽団」

日本を代表するオーケストラ集団、日本フィルハーモニー交響楽団。主催する演奏会は、年間およそ150回。来場者数は、のべ5万人以上。
今回は東京で行われた定期公演会のリハーサルから本番まで完全密着!首席指揮者ラザレフの音楽に対する想い、そして楽団員の知られざる苦悩が。

また、日本フィルではオーケストラ・コンサートのほかに、エデュケーション・プログラムとリージョナル・アクティビティ(地域活動)という活動を実施。
そこには、楽団として社会に貢献できることを追求し、音楽を通じてより豊かな世の中を創りたいという大きな思いが!
音楽の持つ力を信じて…、日本フィルからの未来へのおくりものです。

(以上番組公式サイトより引用、一部改行のみ変更しました)

マエストロは、プログラムを決めた時点でリハーサルの日程やだいたいのスケジュールを決めてしまう、そしていざ演奏会のためのリハーサルとなると会場入りするや指揮台に向かい、休憩中も指揮台にいて団員とのコミュニケーションを欠かさない、一コマのリハーサルで明らかにサウンドが変貌していく…などなど、その筋から噂のみ漏れ聞いてきたラザレフと日本フィルのリハーサル、ついに見ることができます!
演奏会で聴いて、そのサーヴィス過剰な(笑)振舞いに惹かれた方も、むしろその音楽に魂奪われた人も、必見です、きっと。千葉はあの演奏の裏にはかなり明晰なリハーサルによる方向づけがあるのだろう、と思って来ましたから、それを確認できることがほんとうに嬉しいです。

なお。この番組、スポンサー様のサイトで後日配信される仕組みになっているのだそうです。放送翌週の後半には、ということですから、BSデジタルは見られない、そもそもテレビがない、などお困りの場合にもご覧いただけるという親切設計となっております。メセナ、ですね、ありがたいことです。しみじみ。

>三菱UFJファイナンシャル・グループ 映像ライブラリー


ということで、いささかギリギリにすぎるけれど告知でした。きっと番組の感想も書くことになると思いますが、それはまた後日ということで。ではまた。




機会を見つけたら必ず書いておくことにしているので。
ラ戯れる&日本フィルのプロコフィエフの残り、既に演奏した第二~第四番(改訂版)と、これから演奏する第六番ももちろんリリースされるんですよね?全集として完成した暁には間違いなく日本フィルの、いやさ日本でのプロコフィエフ受容におけるモニュメントになるんですよ?出・ま・す・よ・ね?(笑)

2012年6月7日木曜日

曇り空では仕方がない、ので

こんにちは。千葉です。

いろいろ書きたいことがありすぎて手が回りません。正直な話、ぐつぐつに煮詰まった頭の中からネタが出たがっているんですけど、それをまとめる時間がない。困りました。

ということで。発作的に新企画、さらっとサイモン・ラトルの録音の話をするコーナー、始めます。どんどんどんパフパフ(…)。旧館の方ではそれなりに別枠扱いしていたサイモン・ラトルの話を、考えてみればこっちではしてないなって思ってはいたんですよ、うんうんいいきっかけになるよ、たぶん。

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千葉は別に天体観測には興味がないし(星座って、有名な幾つかを除くと図としてつなげる程度の認識もできてない)、いわゆる「天体ショー」の類も「まあ自転公転の関係上あることっすよね」くらいの受け取り方しかしていません。先日の金環日食はさすがに、写真で見たことがあるようなアレが見られるのかあ、くらいには気になったけれど特に何もせず木漏れ日にその独特な丸い影が映るのを見たのみ。
だから今日もなんの準備もせず、起きてみたら雨模様で金星の太陽面横断なんて見えないね残念だね、くらいの感想なんです。どうせニュースで見られるだろう、と思うと頑張る気がなくなる今日この頃です(サッカー代表戦とかも、もはやその領域に近い)。

でも数日も前から何度も何度も金星の話をされると私、気になります!


あ、すみません。あのアニメが気になるのではなくて(あれは評しようのない困った作品です、でもここでも向こうでも論評はしません)、惑星つながりでグスタフ・ホルストの組曲「惑星」が、です。あゝやっと本題だ(笑)、ということで、今日はサイモン・ラトルによる新旧の録音を聴きました。



はい、かたや駆け出しのしかし注目される若きサイモン・ラトルとフィルハーモニア管弦楽団による1980年12月の録音。もう一方は惑星の定義が揺れた2006年(覚えていますか~、けっこう話題でしたよ~)にリリースされたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との、同年3月の録音です。

演奏について評するのに「作曲者と同国出身ならではのー」とか言いたくないので(笑)、まずはベルリン盤のプロモーションでも御覧ください。少しは演奏も聴けますし。




いちおうですね、動画等は著作権を気にする派なので公式のもののみ紹介しますよ、今後も。皆さまのほうが詳しい場合も多いでしょうから、千葉の役目はまとめることかなと思っている、というのもありますが。

実演の印象なども加えた感触なんですが。ラトルはベルリン・フィルのポストについてから、オーケストラとのつきあい方が大きく変わってきているように思います。バーミンガム市響時代とも、ウィーン・フィルとの蜜月の時代とも違うし、就任前後のいささか堅い演奏ともまた違う、オーケストラの力を十分に引き出す、ある程度までは任せるけれど、自分が捉えている作品の「本筋」は絶対に外さない、とでも言えそうなやり方に。

千葉の捉えたラトルの演奏スタイルをおおざっぱに申しますと。一般にバーミンガム時代は自分が先陣を切って突き進む(ように見える)先鋭的挑戦的な演奏、ウィーンとは互いのアイディアを活かしあおうという協業的な演奏(この時期の録音が少ないのは、おそらく指揮者、オケの双方にとって損失であるし、何より聴き手にとって惜しまれるものです、エアチェック音源などから想像するに)をしています。
では、カラヤンのトップダウン時代、そしてアバドによる民主化(笑えない)を経た今、芸術監督としてはどのようにこの偉大なオーケストラと接するべきか。これはですね、さすがにラトルにとってもかなりの難問だったんじゃないかなって思うんです。就任からしばらくは一部の顔見せ的な盤を除いては録音もリリースせず、日本へのツアーもなかなか行わず(彼らのコンビでの初来日は2004年11月)。明らかに足場を固めていたんだな、って今なら思えます。
昨今の成熟した彼らの演奏は、かつてのバーミンガム時代のアップグレードされた再演でもないし、オーケストラの歴史とのケミストリーを演奏者も聴手もともに発見し合うようなものでもありません。それはですね、…

と書いてから長くなりすぎたことに気が付きました(笑)。ラトルの盤を新旧織り交ぜて紹介していく中でおいおい書かせていただきますね、期待したい方は期待して下さいませ。

この新旧の「惑星」では、リズム感と響きのバランスに圧倒的なセンスを感じさせる旧盤が、単純に好みで言えば好きです。このライトウェイトスポーツカーを振り回すが如き快感、いいんですよう。
しかし新録音のベルリン・フィル盤はコリン・マシューズによる「冥王星」、さらに「アド・ノストラ・プロジェクト」として委嘱された四人の作曲家の競演が楽しめるのも捨てがたい。それに何より、オーケストラとの距離感がこの時期から落ち着いてきたんじゃないかな、と思える音響的な充実はただならぬものです。なのでまあ、お好みでぜひお聴きくださいませ、どちらもそれぞれにいいですよ!というのが千葉の結論です。え?答え、出てませんか?変だなあ何がいけなかったんだろう(棒読)。

以上、「えっと、金星ってこの組曲の中のどの曲だっけ?」と今朝思っていたことはナイショのままこの辺で。ではまた、ごきげんよう。




上では国内盤SACDを貼りましたけど、輸入盤CDは安いです。廉いデス(繰り返し)。このへんの内外価格格差、ちょっと考えてみたくなるんですが、どうなんでしょう…
あと考えてみたらちゃんとスコアを追ったことがないな、と思ったのでいちおう自分用に、ドーヴァーのリプリントのスコアを。でもこれ、もうパブリックドメインなんですよね、考えてみたら(リンク先参照)。むむむ。

2012年5月19日土曜日

101回目の命日には出遅れたけれど

こんにちは。千葉です。

昨日は大好きなグスタフ・マーラーの101回目の命日だったとか。昨年一昨年なら全力で食いついたところなんですが、さすがにその二年でいささかネタ切れ感があるとあると申しましょうか、同じパターンを繰り返すのも興が乗らないと申しましょうか。もしかつてのマーラー漬けといっても過言ではない日々についてご興味あるようでしたらリンク先をばご笑覧くださいませ、初年度の没後100年には平日毎日マーラーの録音について書いてましたので(笑)。

今年はフランス音楽に力を入れようと心に決めているのだけれど(あまりアウトプットできていませんが…)、もちろんマーラーを聴いていないわけがない。やると決めたジンマン&TOZの全集を、そのクオリティ相応の扱いでまとめておくための聴きこみとか、何より日常的にその日のフィーリングでいろいろと。あのう、マーラーについての20世紀的「物語」は音楽を聴くのに邪魔になる場合が多いですからね、あまり意識されないほうがいいですよ?もし幼少期から死を意識して~、とか病弱な体で活動を~、とか予言的な作品を~、とか思っていらっしゃるならそれはまさに20世紀の「物語」ですから、こちらの本で解毒しておくことをオススメします。




以前より幸いにも旧館のあるアメブロにておつきあいいただいて、多くの知見やご指摘をいただいて参りました前島良雄さんによる、「精力的に活動し続けた当代最高の名指揮者」にして「夏の間のパートタイム作曲家ではありながら、生前から最高の評価を受けて指揮と作曲の両輪で活躍していた」グスタフ・マーラーの生涯が如何に前のめりの前進し続けた生涯であったかを事実によって知らしめていただける、最後の評伝だと思います。思うにグスタフ・マーラー氏、ゲルギエフよりも指揮してたんじゃないかしらと思える活躍ぶりで、その間に思い悩んでる暇がなさそうなことがよくわかる一冊です。読了後に直接お話させていただく機会が持てたのは幸いなことでした。前島様、その節は…(ちょっとごまかしてみる)

既にマーラーに詳しい人には目からウロコの、それほど知っているわけではない人には最高の入門書になりえていると思います。この本で彼の生涯そのものという「本筋」を抑えてから、俗説の森に分け入る方が安全ですよ(笑)。


さてこういう節目に何を聴くか、と考えて。と思うより先に、最近お気に入りの盤の話をします。



こちらのクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団他による1994年の録音、何故か最近よく聴いているんです。毎日マーラーを取り上げていた頃に書いた感想と、感触はそう変わらないのだけれどなにか好ましく思えまして。

先日NHK-FMがまとめてラトル&BPhの録音を放送した中にこの曲もありまして。そのサウンドはある程度まで実演の印象から補正して考えるにかなりこなれた、「マーラーの音」になっていたように思えました。さっさとDVDでもCDでもいいから、ベルリン・フィルとの全集をリリースすべきですね、レーベルは。前にDCHの無料放送で視聴した第七番も圧倒的な仕上がりでしたし。

では、彼らの前の時期にはどんな演奏をしていたっけ?と気になってこの盤を出してきましたら、この演奏の柔らかい感触が実に新鮮で。以前「開放的」と書きましたのは、言い換えれば見立てによるドラマの枠組みをあまり硬く作らず、演奏の自然な呼吸に任せる部分が多くあるな、ということでした。第一部が極点の多声宗教音楽、第二部が象徴的戯曲のフィナーレと、音楽外への視線を取り込んでいるこの作品なのだから、個人的にはその性格を活かした演奏をこそ期待してしまうのだけれど、この演奏はそれとは明らかに違う、でもこれはこれで説得的な仕上がりを見せているな、とここ最近聴くたびに感心しています。特に第一部、このポリフォニーがこんなに人間的に響くのかと。いや素晴らしいです。流石です。

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今日言及した盤に限らないのだけれど、指揮者の仕事はその時期により環境により大きく変わっていくことを、できるだけ自覚的して言及するようにしよう、とこころがけています。だから録音の話をするときは、最低限いつ録音されたものかくらいは書いておく。それでまあ、わかる人には「就任から何年目ね、それなら…」とか情報が読めると思いますので。
ことアバドにしても、新鮮な演奏をする目配りのいい若手時代から楽壇の「帝王」ポジションに一時君臨し(これほど似合わない形容、なかなかありませんね)、そして現在の悠々自適(に見える)に至る過程で演奏のスタイル、作品へのアプローチが変わっていることを、ちゃんと踏まえて書かないといけないな、と。だって考えてみてください、私達が知っている録音のアルトゥーロ・トスカニーニはその数十年前にはグスタフ・マーラーのライヴァル指揮者だったんですよ?その頃から同じような演奏をしていたと考えることの不自然、気になりませんか?(私、気になります!と聞こえる変な病気にかかっています)
特に最近気になっている、1980年代に栄華を極めたマエストロたちについて、そういう芸風から見た年譜のようなもの、誰か作りませんかねえ、ここに一人は読者がいますよ~(笑)。

ともあれ今日はひとまずこのへんで。そうそう、マーラー関係ではあと二つほど、ニュースとコンサート関係で記事を明日明後日くらいには書きます。ではまた。

2012年4月26日木曜日

できれば、ライヴか映像でお願いしたい、かも(笑)


こんにちは。千葉です。

これからは音楽の、特にクラシック音楽関係の本についての感想はこっちに書きます。その方がまあ、資料的なものとかあとで探しやすいもので、かってながらそのようにいたします、ご了承のほど。

ということで読み終わった本です。




先日東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の音楽監督に就任披露公演を無事成功させた宮本文昭さんの、ひと癖ある名曲紹介です。モーツァルト、ベートーヴェンからマーラーにリムスキー=コルサコフと基本的に19世紀もの中心に選曲されています。ある曲は既に指揮したもの、ある曲はこれからの目標のように考えているもの、などなど。

まあそこまでなら類書も多くございましょう、しかし本書が独特なのは選曲ではなくその文体、というか、語り口です。これがですね、説明や解説というよりはほとんど語りそのもの、目の前で宮本さんがお話しされているような、そういう文体なんです。筒井康隆や山下洋輔的な饒舌ではなく、一人の音楽家が本当に好きな作品の魅力を伝えようとしてこれでもかと言葉を繰り出してくるような感じ、というと伝わりますかしら。ええ、本人も自覚されているようなんですが、ちょっとくどいほどに熱心に語ってくださいます(笑)。
曲ごとに趣向を変えつつ音楽の魅力を伝えよう、伝わるように話そうとされているのがよくわかる、ある意味で非常に熱い語りになっております。これ、映像で収録して名曲探偵アマデウスの後継番組とか某番組の代わりとかに使った方が、いいと思うんだけどなあ。そうだクラシカ・ジャパンとかどうですか、東京シティフィルと組んでレクチャー・コンサートのシリーズを立ち上げれば現代日本版ヤング・ピープルズ・コンサートが作れちゃいますよ?(笑)

先ほど書いた通り、指揮者としての宮本文昭さんはまだこれらの作品を演奏していなかったりします。例えばマーラーの交響曲第九番、またブルックナーの交響曲第八番を、それぞれに「なるほど」と思わせてくれる理由で。そう、指揮者としては失礼ながら駆け出しとも言えてしまう宮本文昭さんは「ひと通りのレパートリーは抑えましたキリッ」みたいなことは、残念ながらありません。解説も本業ではないし学問的見地で新説を紹介してどうこう、ということもない。では本書に説得力がないかと言えばさにあらず。なにせ宮本文昭にはドイツを中心に活躍したかつての名オーボイストの顔もあるわけで。それも、まだまだ演奏家として活躍できるだけの力があるのに、音楽家として充実した時期に自ら指揮者への転業を望んで引退したほどの。オーボエ奏者としての長年の多彩な活動に裏打ちされた語りは、失礼ながらちょっと俗説よりな部分を感じさせてしまう「大型新人」指揮者としての語りとは比べようもないほどの説得力です。特にもマーラーの交響曲において、如何に無意識・無前提にウィンナ・オーボエが想定されているか=フレンチ・スタイルでは如何に演奏が大変か(笑)というくだり、大いに納得です。ちょっとそれを意識して録音を聴き比べようかと思いますもの、例えばそう、ラトルによるウィーン・フィルとのもの、ベルリン・フィルとのものとか(ウィーンと他のオケでこの曲を録音しているマエストロ、ほとんどいませんね、考えてみると)。興味のある方は該当のP.225からのところだけでもご一読あれ、千葉には大いに説得的でありました(実は他の部分は、「大地の歌にはいろいろあって九番をつけなくて~」など、ちょっと俗説が健在でいらっしゃいますので、オススメしにくくもあります。なお、ここで引用せずに曖昧な書き方をしたのはこれ以上俗説の流布に協力してやる義理を感じなかったからであり、それ以上の意味はありません)。

他にも、どこまでも宮本文昭個人のパーソナルなエピソードを語りつつその音楽を聴きたいと思わせてくれるモーツァルトの協奏交響曲 K.364の話など、なかなか読ませてくれます。

惜しむらくは、ですね。いきなり冒頭から飛ばしていらっしゃいますので(笑)、若干とっつきにくい感じがあるんですよ本書。宮本さんのテンションの高さを抑えた第一章があると、より読みやすかったかなと思ったりもいたしました。まあ、もしかするとこの初めからクライマックス、というテンションで語りが始まる構成がより本人に近いのかもげふんげふん(笑)。先日好評のなかスタートを切った東京シティフィルとの関係を測るうえで、本書で挙げられていた曲の扱いは一つのサインになる、かもですね。期待しましょう。

ということで感想はここまで。ではまた。




個人的には微妙に思えていたイージーリスニング方面の活動も自らの糧として貪欲に成長されたオーボイスト宮本文昭に拍手を、そして前途ある有望な若手指揮者(笑)の前途に期待を。

2012年4月16日月曜日

これは、もしかして…

こんにちは。千葉です。

ちょっと思いついちゃった酷い話(笑)を書き始めたら止まらないので、その話より先に今日届いた、昔の録音の話を。

先日アンドレ・クリュイタンスの話をしたことを伏線だ、とは申しませんけれど。今年はですね、フランス音楽をちゃんと聴こうかなって考えているうちにもう4月も半ばになってしまいました。この数年はマーラーに注力してきましたから、ちょっと違う方向にも目を向けたいな、という思いもありまして。
さっさと言挙げしておけば、いささかの義務感でもう少しちゃんと取り組めただろうに…と反省しきりであります。フランス音楽を、千葉はクラシック音楽をちゃんと聴くようになった入り口としてラヴェルやドビュッシー、そしてその同時代音楽を中心に聴いてきたもので、そこからの拡がりのなさをなんとかしようと考えているので、いささか腰が重くなっているのです。課題や勉強は先にやれとあれほど言っているのに…(夏休み最後の週に頑張る派、あとはギリギリまで手を止めなければなんとかなるだろう系)

その思いもあって、かつてまじめに聴きこんだオネゲルの交響曲についての一連の記事が旧館にあるわけだけれど、それはどちらかと言えば20世紀音楽サイドからの興味も非常に強かった。また、そこで明確に課題として意識されたのは歌もの、特に歌曲にオペラ。バレエ・リュッス界隈からフランス音楽に親しむようになると、ついバレエ音楽や管弦楽曲でフランス音楽を捉えてしまうのだけれど、アカデミーやサロンではピアノ曲に室内楽曲や歌曲が、そして大衆的人気ではオペラが欠かせなかったはず。ちゃんと考えれば悪評高いローマ賞が20世紀に入っても管弦楽伴奏によるカンタータで作曲家を評価していたことなんかからも気づけたはずなのに。不覚。




ドビュッシーのローマ賞受賞作、カンタータ「放蕩息子」はこの盤で、クリュイタンスの指揮で聴けますが、いささか退屈の感は否めない。賞をとったからどうとか、正典の側にあるからどう、という問題ではない、とは思います。しかしだからといってそういう面を知らないままでいい、ワケがない。少なくともフランス音楽に興味があるのだから。今のままだと千葉にとってのフランス音楽史は古くはラモー、そして時代が飛んでベルリオーズ、そして何人かの作曲家をチラ見してもう20世紀になってしまう。それはさすがに薄っぺらいし、自分でも残念にすぎる。

なので、今年はフランス音楽、とか考えているわけです、フランス語という高くて厚い障壁は以前と変わらずあるけど、それでも、と思うくらいには積極的に。その一環として買ってみたのがこの盤。




オッフェンバックという作曲家、自分なりにちゃんと捉えておきたいなと以前から思っているのです。随分前にミンコフスキによる録音を聴いて、先入観はぐらついていたのにそのまま放置してきたのが、なんとも…ですが。最近は少しづつ、「ホフマン物語」を軸に近づけてきたような、気がしているのですが。

この盤は1955年12月3日の、メトロポリタン・オペラの実況録音盤。拍手や舞台ノイズが入っているとこういう言い方にしたくなりますね(笑)。指揮は千葉が大好きなピエール・モントゥー、キャストその他はリンク先で御覧くださいませ


で、ですね。まだ届いて一度通して聴いただけ、なのですが。これって、もしかして圧倒的名演という奴なのでは?遍歴される三人のヒロインとの物語はそれぞれに美しく描かれているし、舞台の空気がよく伝わる録音も時代を考えれば十分すぎるものに思えますし。細かいことはいずれまた書きますが、先ほどリンクしたHMVでもマルチバイ価格1,200円、Amazonのマーケットプレイスなら送料入れても1,000円程度で手に入ってしまうのですけれど、それが申し訳なくなるくらいの演奏であるように、先ほど聴き終えて今感じております。アントニアの物語の終わり、あれはなんなんだろう…

本当に聴いただけ、の状態でまともな紹介はできないんですが、このオペラが好きで、でもまだこの演奏は聴いていないな、という方、ぜひ。絶対に損はしません、それは一度聴けばわかりますもの。

あとでいろいろ調べたり、クリュイタンスの盤と聴き比べたりしてみるといたしましょう…いやはや、こういう発見から得るべき教訓は「興味は広く持っておけ」というところでしょうか。とりあえずきょうはここまで。では。




実は聴き終わってすぐ図書館に行ってこれを借りてきました(笑)。そうそう、そういえば版の問題がなかなか複雑な曲なんですよね、「ホフマン物語」。勉強べんきょう…