2016年7月27日水曜日

もしかして、ですが~フェスタサマーミューザ オープニングコンサート

こんにちは。千葉です。

なんと言いますか、梅雨が明けないと楽器を吹くタイミングが掴めなくてちょっと困ります(屋外で、川っペリで吹いているから)。いやだいぶ困ります。この前こんな記事を見かけたからなおさら楽器が吹きたいのに、というのは冗談ですけど。練習しないと単純に下手になっちゃってつまらないですからね…

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それはさておき、聴いたコンサートの感想をば。単体で記事化できそうもないものはこうして残しますね、特にも現在第三シーズン絶賛コンプリート中のノット&東響の公演でしたので。

●フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2016 東京交響楽団オープニングコンサート
  ※リンクはフェスティヴァルのトップに貼ってます。毎日更新される情報があって楽しいのでぜひ御覧くださいませ

2016年7月23日(土) 15:00開演 ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:ジョナサン・ノット
管弦楽:東京交響楽団

ヴィラ=ロボス:ニューヨーク・スカイライン・メロディ(1939)
アイヴズ:ニューイングランドの三つの場所(1929)
ベートーヴェン:交響曲第六番 ヘ長調 Op.68 「田園」

プログラムについては、ノット本人がインタビューで解題してくれていますので、そちらをお読みいただくのがよろしいかと。いつも記事の方でしているような深読みをするのもいいですけど、今回は素直にそのまま、取材も予習もしないでただ演奏を楽しんできました。素晴らしかったです。

とすっとぼけから入りましたが、例によって刺激的な演奏はぼんやり受け身でいてはもったいないものでした、ちょーっとあれこれと書いておきます。もしかすると第三シーズンの中でもひとつのマイルストーンを超えたかも、という演奏会でもありましたし。

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「よろこび=歓喜」をテーマにしたとノット自身が語るプログラムは、例によって素朴なものではない。当日会場で配布されたプログラムでは「風景」をキィにこのプログラムを読み解いていたけれど、あえてさらに別の読みを示すならば時代を超えて示される「居場所」だろうか。
ニューヨークの摩天楼の形をそのまま方眼紙に書きとって音符へと変換したというヴィラ=ロボス作品、そして自らの居場所をコラージュで描き出すアイヴス、そして近隣の田舎への小旅行に託して様々な心情を描くベートーヴェン。ある場所に居ることで喚起される感情をそれぞれの手法で描いた作品を集めたプログラム、と読めなくもない。ような。

前半の作品に馴染みのあるお客さまはほとんどいらっしゃらなかったでしょう、千葉も実演は初でした(録音だって、ヴィラ=ロボスは手持ちがないし、アイヴスもそう回数を聴いているわけではない)。でもこの日の演奏が最高に楽しいものだったことは聴いた人誰もが同意してくれるはず。…いや、耳慣れない響きに戸惑われた方も多かったと思います言い過ぎましたごめんなさい(笑)。

千葉はですね、ヴィラ=ロボスは音楽的には捉えきれないままに終わられてしまった感じがあります。三分程度の作品で聴きにくくはないけれど、「どんな感じ」と掴む前に次の曲へ。ここでアタッカにできなかったのはまあ、いいんじゃないでしょうか、お祭りですし。今回は昨年11月ほどコンセプトを周知したわけでもないので。

で、アイヴスの作品ですが、考えてみても実演で聴いた記憶がない。もしかすると「答えのない質問」くらいは聴いているかもしれないのだけれど、強い印象は残っていない。けれど、この日の演奏は違いましたねえ。ミューザの音の、独特の解像度の高さも相まって空間的にも楽しい演奏となったのは好印象でした。東京交響楽団の音程の良さ(気が抜けた音がするようなことがない、位の意味です)もあって、アイヴスの音楽的コラージュの破壊力がそのままに伝わることの楽しさたるや。.第二楽章のマーチの乱入には吹き出しそうになりましたし(我慢しましたよ!ほんとうです!)、第三楽章の高揚には「キューブリックは”2001年”にこれを使うべきだったな」と感じておりました。オルガンをも交えた大編成、弦セクションを分割して創りだされる精緻なカオス、こればっかりは録音で聴いてもつかめないものです。

いやあ、このプログラムがフェスタ一回しかないのがほんとうに惜しい(それもあって、予習もできない状態から無理やり聴きに行きましたよ)。
ですがこういう時はジョースター卿に倣って逆に考えましょう(おい)、「もしかするとまだ予定されていなかった公演が、フェスティヴァルのおかげで実現した、と考えるんだ」と。これはもしかして、本来はもう少し先に予定されていたベートーヴェンへの本格着手の、その第一歩なんじゃないのかな、と。ベートーヴェンの全集が完成した後に、「あれは前奏曲だったのだ」と思い返される公演だったのでは、とコンサートから日が経つにつれて千葉には感じられてきました。

今回演奏された「田園」、よくも悪くも名曲すぎてその前時代的な標題音楽であることの風変わりな性格や、音楽の仕掛けの多さがどこか見逃されがちである、ようにノット&東響の演奏の後では思えてしまう。前の時代の標題音楽に、そして後の時代の「アルプス交響曲」にもつながる内面的ドラマを描く作品であることがわかってしまった後に、普通の泰西名曲としてこの作品が聴けましょうや(反語)。
ただねえ、今回本当に予習も取材もなかったもので、細部についてはいま書くのが難しいんです。先日ブルックナーの記事で書いた「楽譜の読みに支えられた、しかし融通無碍なアプローチを方法論的にまとめるのは難しい」というノットの演奏評価は本心です。演奏を聴いている間、「ああこんな音に」「そんな繋ぎか」「なんというバランス」「この内声!!!」とか随所で驚き、笑い、つい空を見て涙目になったりと実に忙しく楽しく演奏を聴きました。いわゆる「田園」、いわゆる「運命」に負けない新しい音楽だったんですねえ……

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音楽監督として、ジョナサン・ノットはオーケストラを信頼する一方で課題を出していくのだ、という話を団の方から伺ったことがあります。その課題を受けて団員各位が考え、試し、そして成果を出してきたから今の東京交響楽団の好調がある。
その経緯を見てきたから、と偉そうに申し上げるのではありませんけれど、先日のブルックナーの名演は到達点ではなく次の段階の入口を開くものだった。そういう評価になりそうな、そんな予感がしています。

おそらくは東京交響楽団は先日のベートーヴェンで新たな課題をノットから渡されて、これからのノット不在の演奏会の数々の中でそれを消化して、10月にはまた一回り踏み込んだ演奏を行ってくれる。その日はもうそう遠くない、というのはこの前の記事に書きましたけれど、きっと聴き手の私たち以上にオーケストラの皆さんがその時間のなさを感じていらっしゃるはず。
しかし、以前「ノット監督の指示は他の演奏でも活きるもので、それを消化すれば間違いなくオーケストラが成長すると確信している」とも団の皆さんが語っていらした、東響の積極性は信じるに足るものです。必ずや一回り深化した「ノット&東響」になって、欧州ツアーを成功させることでございましょう。嗚呼今から10月定期の取材が楽しみです。…その間に何回も伺いますけどね!(笑)

まずは、今度の定期かな…(いま切り口製作中。ポポフの交響曲第一番、割と面白く紹介できそうです←珍しく自画自賛←まだ書いてないくせに)などと考えつつ、本日はここまで。ではまた、ごきげんよう。

2016年7月23日土曜日

書きました:ノット&東京交響楽団、上り調子のまま「世界」へ

こんにちは。千葉です。

これも書いた記事の紹介なのです、が。

●ノット&東京交響楽団、上り調子のまま「世界」へ

先日の定期演奏会、ブルックナーの交響曲第八番プログラムの話、そして10月定期の話をしています。もう一週間前のことなんですね、まだ頭のなかではブルックナーの断片がぐるぐる回っているのに。

ブルックナーの公演以外もオススメだというのはこれまでもご案内のとおり、ですが10月定期は直前まで迷っていると完売しちゃうよ?という気持ちを込めて書きました(割と本気)。ちなみにショスタコーヴィチの交響曲第一〇番、ロジェストヴェンスキー&読響と時期的に近いんですよね。完売しそうだからまとめた記事は難しいかな…ま、なにか書くでしょう。

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さて、記事をお読みになったあとに「あの件に触れないの?チキンなの?バカなの?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。もしかすると「千葉ほんとは聴いてねえんじゃねえの?話作ってんじゃねえよ」くらいまで思われるのかな。
別にどう思われてもいいんですけど、千葉はちゃんと土曜の公演を聴いていますし(四楽章からのサウンドの変化、リハーサルとは別物でした。他にも公演でないとわからなかったことは挙げられますけど、まあ半分冗談なので一個でいいでしょう)、あの件に対してもそれなりの悪意はあります。千葉がその昔戯れにシリーズのつもりで書いて一回で終わってしまった(おい)ブログ記事を確認してみたけれど、やっぱりああいう行為に対して好意的ではないですね。

「マイクが立っているとスイッチが入るタイプの何かなのだろう」とは思うし、「俺が名演だと最初に見做してやろうありがたく思うが良い」的なマウンティングでもあるのかな、とも感じる。そして何より、公演当日には「あちゃーせめていい声が出なかったものかね」と思いましたわ、ええ。声楽家並みの美声でやられていたら、もしかするともう少し怒りも小さかったかも、ですよ。冗談抜きで。あんなへなちょこな声が出てしまったことを、せめてトラウマに感じてくれるといいですねあの男性。

でも、ですね(デズデモーナっぽい文字列)。あの演奏があの程度のことで「台なしになった」まで言われている方が多いことが、千葉には解せない。「うわ」「あちゃー」「なんだこいつ」、他ほかいろいろと思いましたけど、それであの演奏が消えますか?まさか。
少なくとも「あの演奏会について」千葉が何かを書き残すとき、あれは本筋ではなく、脇筋にすらなくてもいいエピソードです。だから、記事では触れませんでした。異論は認めますが、それが千葉の選択でした、ということで。

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良いマナーというものがそもそも、あってほしいものではあるけれど絶対に期待できるものではない、という諦めが根本的にあるのかもしれません、千葉の場合。今までで一番失望したのは、前に何処かで書きましたけど「マーラーの第九番終楽章の最後二ページ、ピアニッシモの連続の真っ最中にアラームと思われるエレクトリカル・パレード音楽が近所の携帯から」というものでした。その時の失望たるや、と言いたくもあるけれどその時は演奏がむにゃむにゃ。これは余談。

まとめますと、ですね。あれの話は表ですることだとは思っていない、または演奏会とは別に記事として書くのでなければ演奏に対して失礼に当たるのでは?という判断で、記事では書きませんでした、というお話でした。あの人だって、聴いている時には音楽を聴いていたんだと思いますよ。もちろん最期の瞬間にああ振る舞うことに同意なんてしませんけどね。

ということで、記事には書かなかった部分の話がメインになるご案内でした。まあ、正しくB面の仕事と言えなくもないですね、あはははは。
そんなわけで、まずは今日のフェスタサマーミューザKAWASAKI、そして10月のコンサートで、音楽の話をしましょうね、ってことで。ではまた。

2016年7月22日金曜日

書きました:シンフォニーと『蝶々夫人』で魅せるチョン・ミョンフンと東京フィルハーモニー交響楽団

こんにちは。千葉です。

ご紹介が遅れて申し訳ない!とは思いつつ、実はここで紹介したうちの前半のコンサートは完売だったので!許してください!(もっと根本的な問題があるとは考えないのか君)

●シンフォニーと『蝶々夫人』で魅せるチョン・ミョンフンと東京フィルハーモニー交響楽団

5月の定期のように取材して記事を出すところまではできませんでしたが、どうしても紹介しておきたく思いまして東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を紹介しました。

記事にも書きましたが、チョン・ミョンフンは現在のミラノ・スカラ座で次々とヴェルディ作品を任されています。先日の「シモン・ボッカネグラ」、来シーズンの「ドン・カルロ」と重要な作品を振っている時点でその重用は明らかでしょう。
そして千葉が彼を知ったのも、記事に書いたとおりバスティーユ・オペラのマエストロとして、でした。であれば、この機会をより広くお知らせしないわけにはいきますまい。ということで書かせていただきました。日曜の公演ならまだ完売アナウンスがありませんので間に合うはず。ということで、日曜はBunkamuraで僕と握手!だよ(はあと←媚びるなキモい)

渋谷か、行くの怖いなあ(みんな歩きスマホしてそうだから)、などとぼんやり思いつつひとまずはこれにて。ではまた、ごきげんよう。

※追記。公演当日には「全席完売」のシールがポスターに貼られてました。流石と云いますか。公演の感想はまた後日。

2016年7月21日木曜日

書きました:高関健が示す、ショスタコーヴィチの「ふたつの顔」

こんにちは。千葉です。

夏はやっぱりソヴィエト音楽だよね!というキャンペーンを勝手に張ろうかと思い始めました、この記事を書いてからの後付ですけれど。なにも上坂すみれのファンになりかけてるとかそういうことではないのですけれど(でもコンレボはいいぞ。騙されたと思って全24話見てください)。

●高関健が示す、ショスタコーヴィチの「ふたつの顔」

高関健は以前から多くショスタコーヴィチを演奏されていますし(さすがに井上道義ほどではないけれど)、なによりモダンな作品に強い印象があります。今度は京都市交響楽団で面白い公演にも出られるようですし(記事にするかもなのでぼんやりですみません。リンク先参照)。

そんな彼が、一月の間にショスタコーヴィチの交響曲第五、第一五番を続けざまに取り上げるのがなかなか興味深いなと思いまして紹介した記事です。

残念ながら東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の公演は終了していますが、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の公演はこれからです。しかも、28日の公演に向けたリハーサルが26日、27日と連日公開されるんですよ神奈川フィルハーモニー管弦楽団。それも今回だけじゃなく、定期的に。詳しくはリンク先にてご確認くださいませな。

なんでも、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団様の演奏会では冒頭に置かれた「タヒチ・トロット」をアンコールでもう一度演奏された、とのこと。ああ、それなら一つの演奏会でショスタコーヴィチの顔はふたつ、印象に残ってしまいましたなあ…とか後になって思いました。
ショスタコーヴィチの場合、作曲時期(社会情勢、党の動向含めて”時代”と言っても大げさにはならない)やジャンルでもまったく違う顔を見せますからね…千葉は「やんちゃ」(軽犯罪的ではない)時代の音楽が特に大好きですよ。ロシア・アヴァンギャルドが好きなだけなんですけど。

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千葉がよくレポートしておりますオーケストラのリハーサルですが、これはオケにかぎらず合奏経験があれば絶対に興味深く見られるものです。そう思っていなくて、こんなに何度も取材しましょうか(いやしない)。音楽をどのように創りあげるのか、その過程を拝見することはいま現在何らかの形で音楽をされている方には勉強になりましょうし、そうでない方にもコミュニケーションを生業とする音楽家たちの仕事の現場は楽しめるはず。

そして何より、リハーサルの現場からはそこで取り上げられる作品について、まさにこれから演奏会に乗せようという音楽家がどのように捉えているかが垣間見えます。コンサートに”試食”はないけれど、リハーサルを見学できればどんな演奏会となりそうか、当たりをつけることくらいはできます。いやそこまでの興味がなくとも、オーケストラの音が変わっていく現場というのは面白いものですよ?

ということで、28日の神奈川フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に向けて公開リハーサルを一回見に行きたいような気になってきている千葉なのでした。かながわアートホールは保土ヶ谷だから、ちょっと簡単に行けるわけでもないけど、どうしようかな…

ともあれ、記事のご紹介でした。なぜか2015年11月のジョナサン・ノット&東京交響楽団からはじまって、2016年3月のエリアフ・インバル&東京都交響楽団、つい先日のアレクサンドル・ラザレフ&日本フィルハーモニー交響楽団と充実した演奏が続いて、今回の高関健と神奈川フィルハーモニー管弦楽団と、一連の流れで続いているショスタコーヴィチの交響曲第一五番をよろしくお願いいたします!皆さまのご支援が力になります!(この前選挙カーに遭遇してしまった影響)ではまた。

2016年7月12日火曜日

書きました:7月の「ノット&東京交響楽団」も聴き逃せない

こんにちは。千葉です。

今度は寄稿できた(…)記事を紹介しますよ!

●7月の「ノット&東京交響楽団」も聴き逃せない

これは一般化できると思うんですが、なんらかのポストにある、つまりオーケストラに対して明確に責任を持つ指揮者との演奏において最良の結果が示せるとき、そこは状態がいいんですよ。ラザレフの日本フィルしかり、そしてこの記事に書いたノット&東響しかり。
(ここでお名前を挙げていない他の団体については、まだ多くを聴いていないから確信を持って触れられないだけです。きっと千葉の知らないいい関係のオケがもっともっとたくさんある、はず)

東京交響楽団のコンサートは基本的に聴き逃せないものが並んでいるわけですが(ただのファンか、ってか自分もすべて行けているわけではなかろう。伊福部…)、やはり音楽監督やレギュラー陣との公演は外してはならないのです。そのプログラムがブルックナーの交響曲第八番だったりすればなおのこと。

という話を書きました。
ブルックナーの第八番、大きい曲ではあるけれどわかりにくいことはないと思うので、知らない方もぜひ気軽に会場に足を運んで、その威容に圧倒されるといいですよ!実演からこの曲に入れるなんてうらやましい!(といいながらここ数日スコアを眺めている千葉であった)

なお、サントリーホールの定期は既に残席僅少とのこと。だから文中にも書きましたけど、横須賀芸術劇場の公演がオススメですよ、プロデューサーさん!(誰だよ)
定期的に出演している会場以外で初めて「ノット&東響」を迎える横須賀芸術劇場のサイトでは、松本學さんによる詳細な紹介記事も用意されていますので、まずは一読からでも。先日「ブラタモリ」で紹介されていた、段差のない平らなJR駅から徒歩数分の横須賀芸術劇場をよろしくお願いします!(この前までの選挙が耳に残っている模様)

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…今ちょっと確認できないのですが、ブルックナーの八番って「地獄に堕ちた勇者ども」で使われていませんでしたっけ。ラジオから流れてきたのがこの曲だったようなぼんやりとした記憶が。今このタイミングであの映画を見返すのはちょっと気が滅入るけど、さあどうしようかな…

以上ご紹介のみにて。この前レンタル屋に行って「なんでフェリーニとヴィスコンティ映画の在庫がこんなにないんだYO!」と激怒した千葉でした。ではまた、ごきげんよう。

※追記。

今回、リハーサル単独の記事はお出ししません。なので今の時点で彼らのブルックナーの第八番をリハーサルではあっても聴いている千葉といたしましては、いろいろ言ってしまいたいような、明日の演奏が終われば皆さんおわかりになることだからしばし待とうかと遠慮したり、いろいろ迷ったりするわけです。なので現時点で言えることをひとつだけ。

リハーサルでノット監督はどの楽章でもよく歌って指示を出していました。だから、というわけでもないのだけれど、この巨大な作品だけれど「積み重ねられた歌」としてみなさまに届くのではないかな、と予想しています。


データ的なことも書いておきましょうか。弦は16型、金管の各セクションにアシスタントがひとりずつ、そしてハープは楽譜の指定通りに三名です。写真にありますとおり、テューバがセンターにいてトランペットが上手側なのは、ホルンセクションがワーグナーテューバ祭だから、ですね。

打楽器の出番が少ない曲だけれど、これだけの編成だと広いミューザの舞台でもけっこうみっしり埋まります。


舞台袖に置かれたリハーサル後のスコアでございます。横須賀でのみ演奏されるモーツァルトには東京交響楽団のシールが貼ってあったりいたしました。定期演奏会は完売なので、聴きたい方は横須賀へGO!ですよ。

2016年7月10日日曜日

今このとき、「協奏四題」が再演される奇縁を思う

こんにちは。千葉です。

えー、これは残念ながら寄稿にいたらなかった、いわばボツ原稿です。ある程度までは書いたので、せっかくだから、と最後まで仕上げたものをここに載せますね。7月10日開催のコンサートのご案内です。

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この週末、ミューザ川崎シンフォニーホールで興味深い演奏会が開催される。ホール開館からの名物シリーズ「名曲全集」、第119回となる今回は伊福部昭の独奏者を交えたオーケストラ作品四曲を一度に演奏する「協奏四題」と題したコンサート。指揮は井上道義、オーケストラは当然東京交響楽団だ。
「協奏曲」とは名乗らないオーケストラ作品からなるこの独特なプログラムは、念願かなっての再演となる。前回の開催は1983年2月、まだ30代の井上と東響が取り組んだこのプログラムには、大きな意味があった。

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1935年にチェレプニン賞を受賞したことで、伊福部昭は若くして世界的に評価される日本の作曲家の先駆けとなった。しかし、その独特の作風ゆえ異端とされてしまっていた時期がある。受賞当時21歳の伊福部を高く評価したチェレプニンは作曲において民族的個性を重視していたため、欧風の作曲技法を追求していた楽壇とは相性が悪かったのだ。伊福部が賞を受けた1935年にはラヴェルもストラヴィンスキー、バルトークも健在、フランス6人組やメシアンも活躍していたことを考えれば仕方がないこと、だったかもしれない。

楽壇の評価はさておき、「銀嶺の果て」(1946)から始まった数多くの映画音楽の仕事や、東京音楽大学での職を中心に後進の教育にと活躍を続けた伊福部だが、作曲家としては一線からは少し引いた、隠居的な存在になりつつあった。しかし作曲家・伊福部昭は1980年前後に再び注目すべき作曲家として”復活”する。新作「ラウダ・コンチェルタータ」(1976)、そして代表作「シンフォニア・タプカーラ」の改訂(1954/1979)の発表に加え、「気鋭の若手指揮者」井上道義が伊福部作品を集中的に取り上げた「協奏四題」が話題を呼んだのだ。それまで楽壇の外の、ニッチな存在ともされかねなかった伊福部昭が、作風を変えずむしろより「日本の音」の追求を深めることで、70歳を前にふたたび注目を浴びるようになるのだ。「協奏四題」コンサートは、その契機のひとつと挙げられるにふさわしい、意欲的なものだった。

かつて若手としてこのプログラムに取り組んだ井上道義が、キャリアを積み大病を克服した今、33年の時を経てふたたび東京交響楽団とこのプログラムを取り上げる。独奏者は二十五絃箏の野坂操壽(1983年当時は野坂惠子)以外は現在の名手たちに変わっているけれど、30年以上の時を経て取り上げられる伊福部の協奏的作品は、ミューザ川崎シンフォニーホールにどのように響くことだろう。この会場ならば、純粋に伊福部作品の響きを楽しめること、請け合いである。

その昔「倭太鼓と吹奏楽のためのバーレスク風ロンド」を演奏したこともある私としては、ぜひともこの演奏会が成功してさらなる伊福部作品によるコンサートが開催されてほしい。舞踊曲「サロメ」、前述のシンフォニア・タプカーラ、などなどいわゆるクラシック音楽の範疇にある伊福部作品は、もっともっと知られてもいいものだ。

※今回の独奏者は以下のとおり。

マリンバ:高田みどり
ヴァイオリン:山根一仁
二十五絃箏:野坂操壽
ピアノ:山田令子


リハーサルは好調だった模様。いい演奏会を期待しよう。

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ここからは余談だ。

井上道義が「協奏四題」コンサートを指揮した1983年には「ゴジラ復活祭1983」としてリバイバル上映が行われ、その好評は翌年の新作へ、さらに平成シリーズとされる作品群、そしてハリウッド上陸へとつながっている。そして、伊福部昭の再評価につながったコンサートが再演を果たすまさにいま、「ゴジラ」シリーズの最新作として庵野秀明監督による「シン・ゴジラ」がまもなく公開されようとしている、このタイミングも伊福部昭と「ゴジラ」の縁なのだろうか。
新作の音楽は庵野作品おなじみの鷺巣詩郎が担当するが、果たして伊福部昭による数々の名曲は使用されるのかどうか、ここにも注目してほしい(過去制作された日本の「ゴジラ」映画のうち、伊福部によるテーマが本編でまったく使用されなかったシリーズは一作しかない)。

だから、というわけでもないが、「シン・ゴジラ」を観る前に最初の「ゴジラ」を是非見ていただきたいと思う。このタイミングを見計らってか、幸いなことに7月19日(火)21時よりNHK BSプレミアムで「ゴジラ 60周年記念デジタルリマスター版」が、そして26日(火)には「モスラ対ゴジラ」も放送される。それらの作品群を知り尽くした庵野秀明はいかなる新しい「ゴジラ」を見せてくれるのか、「協奏四題」コンサートともども大いに期待したい。

2016年7月2日土曜日

書きました:新国立劇場オペラ「夕鶴」 リハーサルレポート

こんにちは。千葉です。

千葉は日夜ノートパソコン一台を使いたおしているのですが、冬場はともかく夏になるとできたら端末の近くにいたくないのです。本体をひざ上に、ってのはできたら寒い時期にもしたくないですし(中年男性の身体はそういう負荷を喜ばない)、視力が落ちてきている自覚もあるからあまり画面を近くで見たくない。それに加えてうちの端末、左手に冷却ファンからの熱風が直撃する仕様なんですよねこれが。だからテキストをぱちぱち打ち続けるうちに左手だけ変に熱くなってしまいまして。

で、夏場だけ思い出したように活躍してもらうBluetoothキーボードの出番となるわけでございますが、「O」が打ちにくくて難儀する今日このごろであります。とてもどうでもいい前説ですみません。

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さて、本日も寄稿した記事のご案内です。(いまここでも「hんじつ」「g案内」とか難儀しています←どうでもいいので引っぱらない)

●新国立劇場オペラ「夕鶴」 リハーサルレポート

團伊玖磨若き日の傑作オペラ「夕鶴」が新国立劇場20015/2016シーズンを〆る作品です。そして今年は「高校生のためのオペラ鑑賞教室」として上演される夏のオペラも本公演と同じキャスト(指揮者のみ変更)で、9日開幕します。お話自体が「つるの恩がえし」、そして日本語による歌唱であれば親しみやすかろう、ということもあるのでしょうけれど、高校生の皆さん好機ですよ。あと、本公演には行けないな、って大人の皆さんも当日券が出る日は買えますよ、詳しくはリンク先で確認してね(宣伝)。

記事を書く際には、当然ながら記事に書いた以上の情報を確認して絞り込んで書くわけです。今回であれば本筋は「今回の舞台について、公演直前の雰囲気をお伝えする」のがメインになりますから、作品について、また作曲者團伊玖磨の情報を多く書きすぎてもよくないし、開幕前にネタバレのたぐいを書いてしまうと「こういう風に受け取ろうね」と暗に示すことにもなりかねない。エンタテインメントならまだありかもしれないし、制作サイドからの発信なら問題ないと思うけれど、一ライターがそれをしてしまうのはできれば避けたいです。せめて、幕が開くまでは。

余談だけどここでちゃんと書いておきましょう。開幕した後はむしろ、その時の受容の記録ということになるのでむしろ可能な限りネタを拾い、きっちりとレヴューすべきだと考えております。好き嫌いだけで書くのではなく、ちゃんと「舞台で何が行われたのか、そしてそれをどう読むのか/読んだのか」が書き残せる立場にいることに意味があるとするなら、それはその一点においてだと考えておりますゆえ。リハーサルを取材させていただいた場合にはなおのこと、お出しできる範囲で「舞台で何を示そうとしていたのか」まで踏み込めるようにしたいと考えています。

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では本筋に戻ります。
今回記事では多く書きませんでしたが、團伊玖磨についていろいろと調べるとなかなかに興味深いことが多くありました。千葉の世代だとこの方については「パイプのけむり」「デッカ/ロンドンレーベルに交響曲を録音している」「新旧の祝典行進曲」「建・TAKERU(……)」といった断片的な情報でしか認識できていない人のほうが多いのではないか。っていうか千葉はそうでした。せいぜいが「三人の会」ですよね、っていう。「三人の会」は他のお二人がテレビで活躍された芥川也寸志、黛敏郎であるため、世代的に上記の認識くらいだった千葉からは活字で活躍された團伊玖磨は比較的地味に思えていまして。

で、それが間違いである、ということに気づけただけでも千葉は学習して記事を書いた甲斐がございました。1924年生まれの團伊玖磨、今回の新国立劇場の舞台に至るまで上演されつづける「夕鶴」は1952年、28歳の作品で「三人の会」は1953年から。そもそも評価されている人だからこのグループにも入っていたわけですよあたりまえなんだけど。
彼のキャリアを捉え直すには時間が足りないからここでどうこうと書き綴るのは避けますが、昨年が生誕90年だった芥川也寸志、近年再評価の機運が高まる黛敏郎(だったら”伝統主義”の皆さんはさっさと彼のカンタータを初演し給えよ)同様に、再評価が始められるべきではないか、などとも考えた次第でした。

…ここまででかなり長くなってしまったので、書き始める前に考えていたレポートと同じキャストによる初日レヴューは別途書きます。作品について思うところも多くございますゆえ。

最後に記事には使わなかった写真を一枚。


今回はオール日本人スタッフの舞台なので、オケピットでのやり取りもきっちり聞き取れましたが、大友直人の細部まで繰り返し行われた修正は初日の舞台の仕上がりをとてもいいものにしておりました。團伊玖磨の音楽、もっと聴いてみなくては。

とりあえずここまででひと区切りします。公演については近日、ということで。ではまた。

2016年7月1日金曜日

書きました:「千人の交響曲」の饗宴がはじまる

こんにちは。千葉です。

昨晩、疲労困憊して早寝したら「甲鉄城のカバネリ」を録画してませんでした!悔しいので最初のマクロスをあの絵でリメイクしてください!(関係ないねそれ)

さてつまらない前置きはさておいて、寄稿した記事の紹介です。もう今日から祭が始まります。

●「千人の交響曲」の饗宴がはじまる

このキャッチコピー、まさに煽りなので使いました。許してください(西方へ土下座)。
諸般の事情でこのタイミングになってしまいましたが、今年はマーラーの交響曲第八番の当たり年です。いわゆる天体ショー並みの異常な低確率でしか起きないだろうことが起きています。まとめればそんな話ですね。

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え~、久しぶりにマーラーの話ができて少し満たされました。あとはコンサートが聴けたらもっと満足です(笑)、そうですね、できれば第六番が聴きたい。針どころか指先でつついたら弾けてしまいそうに張った音で終楽章が聴きたい。ポリフォニーの渦で頭がぐるぐるになるような演奏が聴きたい。もちろん、音響的に飽和しちゃったりしてなくて、線も明瞭に見える感じの演奏で。

もちろん、そんなリスキーな演奏はなかなか出会えるものではなくて、音響的に満足できるようならそれでよしとしないといけないことは、頭では理解しているのですが。できたら聴きたいじゃないですか、実演で。

そんな風に思うようになって、最近認識した自分の志向があります。今の千葉はもう、「決定的名演」的なものを求めていないんだなあ、ということです。自分の中で「かくあれ」と思うあまりに目の前の演奏を否定したりせず、聴いている音楽をより美味しくいただく方向で楽しむようになった、といいますか。

文字にするとすっごく刹那的な気もしてきますけれど、実演を多く聴いているうちこんな感じになってきました。せめて、記録はきっちりと残すよう心がけさせていただきますよ。

ひとまずご紹介はここまで、ではまた。