近所の劇場での公開を待ちきれず、電車でちょっと行ったところの、音のいいことに定評のある映画館さんで見てまいりました、「Maestro」、邦題「マエストロ :その音楽と愛と」。もちろん、このタイトルは直接にはご存知レナード・バーンスタインその人を指すわけだけれど、この映画の内容はフェリシアさんの「女の愛と生涯」ですね。それもいわくつきの、だけど最高の才能、レナード・バーンスタインを愛して結婚し(てしまっ)た女の生涯。そして、レナード・バーンスタインへの「魚に説教する聖アントニウス」。ご覧になられたクラシック音楽好きの方向けの表現ではありますが、あまり説明する気にはなれません。ご容赦ください。
まず、私はバーンスタインに甚大な影響を受けているし、心底尊敬している、ということをまず最初に書いておかないといけないのです。彼の指揮姿をたくさん見て(当時はLD!!)、それでアマチュアながら吹奏楽の指揮をするようになってしまったくらいには、彼に影響されました。生まれが遅かったから彼と個人的に関わる機会もなければ、実演を聴くことさえできませんでしたが、彼は私の先生です。こう断言できます。
そのうえで、言わないといけない。とにかく面倒くさい人なんですよ、レナード・バーンスタイン氏は。才能と魅力がダダ漏れで、しかし抜けてるしなにかゆるい。若き日に指揮者として大活躍の鳥羽口に立つ機会を得ても、ミュージカルで当たりがあっても、妻がいて家族もいるのにボーイフレンドがいて、それでも満ち足りることのない、巨大すぎる器の人。そんな大成功に至る才能に満ちた人が、自らの方向に、内面には自信を持ってないんだからほんとうに扱いに困る。ここの文に(笑)ってつけようかと思ったけれど、きっと近しい人たちは彼との関わりの中でこの上なく楽しい思いをした反面で、凄く苦労されたんだろうな、と、彼についての本を読むだけでも感じていたのです。その在り様が、この映画では嫌になるくらい映像化されていまして。いちおう、何十年来のファンなので、こうしてフェリシアさん視点で彼女が先立つ1978年頃までのバーンスタインと、その後を見せられるのはなんとも、重い。少なくとも、ファンとしては知っていても考えたいことではないもので。そういうところがある人、とよーくわかってるんですけどね。レニーの娘さん、ジェイミーの幼少期じゃあいられない大人の私たちは見なかったことにはできない。本当にね、面倒くさい人、そして最高の音楽家。んもう。
映画の大前提として、彼が最高の音楽家であったことは共通認識となっている、だがこの映画「Maestro」はそれが評伝として、成功した音楽家のキャリアが描かれる作品、ではないのです。グレン・ミラーやベニー・グッドマン、レッド・ニコルズの映画を見るような期待感で劇場に足を運んだり、再生ボタンを押すのは、お勧めしません。人によっては、昔出版されたジョーン・パイザーによる評伝を読んだ時に近い反応を示されることもあるんだろう、と思っています。そんな反応を呼ぶのもまた仕方のない、厄介さんなんです、レニーさんは。それでも、と繰り返すけれど、本当に才能があるし音楽家として本当に努力された人であり、一般的な言い方をするなら間違いなく20世紀最大の音楽家の一人、成功者です。日本では今、かつて大手芸能事務所を率いた人が生前行ったあれこれ(曖昧)で問題視されているけれど、人によっては彼をその同類と見てしまうんだろうな、とも覚悟している、別に私は関係者でもなんでもないのだけれど…それでも、とまた言わないといけない。そういう人を愛して、生涯その「バス」を降りなかった、フェリシアさんの生き方を、そして彼女の目に映るレニーさんを、描いた映画でした。(この記事、実は続きます)