2018年9月4日、東京交響楽団の2019-2020シーズンのプログラムが発表された。ミューザ川崎シンフォニーホールを本拠とし、ユベール・スダーンとの数々の演奏で声望を高め、現音楽監督ジョナサン・ノットとの欧州ツアーやレコーディングなどで音楽ファンの信頼を揺るぎないものにしつつあるオーケストラは、新シーズンに何を聴かせてくれるだろう、何を体験させてくれるだろう?その全貌を紐解くには否応なく文量が多くなるため、複数回に分けてそのプログラム、共演者を紹介してみたい。
なお、東京交響楽団の年間プログラムとしてリリースされたのは、サントリーホールでの定期演奏会(年10公演)、ミューザ川崎シンフォニーホールでの川崎定期演奏会(年5公演)、東京オペラシティコンサートホールでの東京オペラシティシリーズ(年5回)の主催公演シリーズ、そしてミューザ川崎シンフォニーホールでの「名曲全集」(年10公演、うち最初の二回のみカルッツかわさきで開催)、サントリーホールでの「こども定期演奏会」(年4回)の共催によるシリーズ、そして恒例となったズーラシアンブラスとの共演による「0歳からのオーケストラ」、年末の第九公演、そしてニューイヤーコンサートと盛り沢山なのだが、ここでは適宜指揮者や共演者に触れる中でコンサートを紹介する形を取る。何も加工されていない情報で十分である向きには、下記のリンク先で全プログラムをご覧になることをお勧めする。
>年間パンフレット(pdfファイルが開きます)
※これまで多くの困難を乗り越えてきた東京交響楽団の現在に至る歴史は、こちらのPVがコンパクトに紹介してくれている。東京交響楽団の歴史は、そのまま戦後日本の一つの側面を描き出す、興味深いものだ。
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新シーズンを見ていくのならば、まずはそのノット監督との演奏会から話を始めるべきだろう。東響の数多くのプロジェクトの中でも彼らのコンビネーションが6シーズン目を迎えてどこまで深化するのか、どこに向かおうとしているのか、それこそがまずは注目を集めるものとなるだろうから。そして今ではなんの曲を演奏しても話題を呼ぶノット&東響なのだから、ここでは奇を衒うことなく演奏会の時系列で順を追って紹介するのがいいだろう。
シーズン最初にノット監督が登場するのは5月の2つの公演だ。まずはサントリーホールでの定期演奏会、そして東京オペラシティシリーズの二公演、それぞれ異なる二つのプログラムが用意されている。
最初のコンサートは東京オペラシティシリーズ(5/18)、ヤン・ロビンの「クォーク」、そしてベートーヴェンの交響曲第七番他によるプログラムだ。残る一曲がどうなるとしても、多くの打楽器を含む大編成管弦楽と凝縮されたベートーヴェンとのコントラストは鮮烈なものになるだろう。
ソリストのエリック・マリア・クテュリエはアンサンブル・アンテルコンタンポランでも活躍するチェロ奏者だ。そんな彼ならば、1974年生まれの作曲家の作品も魅力的に演奏してくれることだろう。
その翌週にはサントリーホールでの定期演奏会でブリテンとショスタコーヴィチ、生前交流のあった二人の作品による20世紀音楽プログラムが披露される(5/25)。シーズン5でエルガーを取り上げたことが一つの契機になったのだろうか、マエストロは出身国の音楽により積極的になったようにも感じられる。また、ショスタコーヴィチは東京交響楽団が日本初演した作品も多く、キタエンコらロシアのマエストロたちと名演を繰り広げてきた作曲家だ。その最も知られた作品を、ノット&東響はどう聴かせてくれるだろうか。
続いての登場は7月、サントリーホールとミューザ川崎シンフォニーホールで披露されるプログラムこそはノット&東響の真骨頂と言えるだろう(7/20&21)。J.シュトラウスIIのワルツから「2001年宇宙の旅」でも知られるリゲティの「レクイエム」、タリスのアカペラ合唱曲を経てR.シュトラウスの「死と変容」に至るこのプログラムばかりはいくら言葉を尽くしてもその魅力を説明することはできないだろう。生と死を巡るドラマのようなものを想定することは可能だし、秩序と混沌のコントラストを予想することはできる。だがしかし、「考えるな、感じろ」ではないが、こればかりは「体験してみてほしい」としか言いようがない。
なお、このコンサートでリゲティとタリス、全く異なる性格の作品に取り組む東響コーラスにも注目だ。アマチュアだろうと聴き手だろうと「音楽家」に限界など存在しないのだ、と言っているかのような、チャレンジングなプログラムとなる。
さて、夏を挟んで10月からは三ヶ月連続でノット監督が登場する。
まず10月はアイヴスとシューベルト、そしてメインにブラームスのピアノ協奏曲第一番を置いたプログラム(定期演奏会10/12、「名曲全集」10/13)。方向、時代の異なる「答えのない問いかけ」を受けて後半のブラームスで開放される、そんな体験となるのだろうか?
ここでソリストに招かれるヴァーヴァラはノット監督自身がゲザ・アンダ国際ピアノコンクール(スイスで開催)で見出した才能という。若きブラームスの思い余った感もある協奏曲で彼女はどんなピアノを聴かせてくれるだろう?注目である。
続く11月には”ロマン派の極限”とも”転換期の爛熟”とも言えそうな、ベルクとマーラーによる濃密なプログラムが用意された(定期演奏会11/16、川崎定期演奏会11/17)。新ウィーン楽派の演奏がオーケストラの色彩感を引き出す上で重要と考えるノット監督のベルクは以前に演奏した「ルル」組曲でもお墨付き。そして定期的に取り上げてきたマーラー、シーズン6には第七番を演奏する。「大地の歌」まで網羅した交響曲全集を録音済みのノット監督のマーラー愛がうかがえようというものだ。今回はハンマーを用いる第六番ではなく、楽章ごとに曲想がまったく異なる第七番をベルクと並べるが、その意味は、効果は果たして。そんな選曲意図にも興味は尽きないところだが、このプログラムはオーケストラの演奏効果の高さも見逃せない。
そして同月の東京オペラシティシリーズでは、これとは対照的にリゲティ、R.シュトラウス、モーツァルトによる、室内楽的とも評せる作品が配されている(11/23)。大編成管弦楽の豪奢と室内楽的対話の妙、この対照的なオーケストラの可能性を示す二つのプログラムで、シュトラウスのソリストを務める荒絵里子(オーボエ)のみならず、東京交響楽団の奏者全員が技量の限界までを発揮して我々を魅了してくれることだろう。
そして12月は、このシーズンからノット監督が年末の第九公演に登場だ(12/28、29)。ベートーヴェン演奏となれば全身全霊をかけて作品に打ち込み、オーケストラにも多くを求める彼が第九を演奏する。序曲も協奏曲もなしのベートーヴェンの交響曲第九番、そこにはかえって年末結びの一番といった風格さえ感じられてしまう。入魂の演奏を期待しよう。
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さてノット&東響の多くの演奏会を紹介してきたが、個人的に最も注目したいのは、彼らにしては”普通”のコンサートプログラムに見える2019年5月の定期演奏会だ。ブリテンのヴァイオリン協奏曲とショスタコーヴィチの交響曲第五番によるプログラムは一見すれば7月定期(サントリー&ミューザ)のような”ノット&東響にしかできないプログラム”ではない、かもしれない。しかしこれまでのノット&東響が取り上げてきたショスタコーヴィチ演奏がもたらした衝撃を考えると、この一度限りの演奏会がどうしても気になるのだ。
ショスタコーヴィチとブリテンの交友についてはご存知のかたも多いだろう、このプログラムにもそうした配慮がめぐらされているのは疑いようもない。大戦の、冷戦の時代に違う体制の世界を生きた作曲家たちを並べたプログラムは、かつての衝撃的な第一五番(リゲティのポエム・サンフォニックで開幕した
あの!)のそれよりは穏当に、普通に見える。だがこれまでのショスタコーヴィチ演奏で、旧来語られ続けてきた”ソヴィエトの音楽家の物語”とは別のドラマを作品から導いてくれたノット&東響は、誰もがよく知る第五番でもきっと彼らにしかできないなにかを聴かせてくれるはずだ。そう、私の直観が強く叫んでいる。
もちろんすべての公演が注目されるべきノット&東響なのだけれど、私の言だけではそこまで心動かないならばぜひその演奏を聴いてみていただきたい、と思う。すでにリリースされている何枚かのCDもあるし、幸いなことに9月23日の
Eテレ「クラシック音楽館」ではノット&東響の4月の演奏会が全国に放送される。渾身の”マーラー&ブルックナーの未完成交響曲”によるプログラムは、私の言葉がいらないほどにその魅力を皆さまに届けてくれるものと確信している。
さて次回は東京交響楽団を支える指揮者たちの演奏会を取り上げる。スダーンや秋山、大友に飯盛といった面々、そして”常連”の日本のマエストロたちのプログラムをみていく予定だ。
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