2018年9月14日金曜日

ウルトラセブンとシューマンの、特に奇妙ではない出会い~青山通「ウルトラセブンが『音楽』を教えてくれた」

今年は「ウルトラセブン放送から50年」ということで再放送やイヴェントなどが行われている。いいおじさんの年令になった私もさすがに本放送世代ではないのだけれど、昭和50年代のウルトラマンシリーズブーム(再放送や”事典”で猛烈に流行っていた時期があるのです)の直撃は受けているので放送されているとつい見てしまう。フィルムの質感、構図の妙(実相寺昭雄!)、ミニチュアの出来の良さ(サンダーバードに刺激を受けた、というのも納得の発進シークエンス!)、シナリオの含意(金城哲夫!)などなど、長年語られている作品だけに感心させられることは実に多い。いやもちろん子供向け作品である以上強引な面もあるのだけれど、30分枠でここまで実のある展開が描けるものか、と思わされることは多いのだ、それは有名ないくつかの回だけに限らない(あえてエピソードは挙げない、それらについての言及は大変だし、なにより私の手には余る)。もしかすると、そういう要素には幼少時にも直感的に気づけていたのかもしれない、だからセブンが好きだったのではないか、と思わされるのは、そこに流れる音楽の魅力には当時気づいていなかったと確信を持って言えるからだ。
ホルンを吹く人なら一度は演奏を試みるだろう有名なテーマ音楽や、超有名最終回のアレだけではないんですよ、音楽が刺激的なのは。おそらくは同時期の黛敏郎も試みていただろう電子音楽的なものや、モティーフこそテーマ曲だけれどロマン派そのものの展開などなど、大人になってクラシック音楽をよく聴いてきたからこそ気がつくものがある。なるほど、冬木透先生の熱心なファンが多くいらっしゃるわけであるし、コンサートも開催されるわけである。


※これが9年前のコンサート。うん、やりますよね、こんな音楽があるのだから。

そう気がついて最近再放送されている「帰ってきたウルトラマン」(テーマ曲はすぎやまこういちだが、サントラは冬木透のもの)、「ウルトラマンレオ」(これもサントラは冬木透だがテーマ曲は川口真。こちらについては作詞が阿久悠であることがよく知られているか)を見ればますますその思いは強まる。セブンからは少々劣る画面(キグルミの質の低下は幼少期から残念に思ってきたが、おとなになるとそれはもう、残酷なほどのギャップだと感じる)に乗り切れずにいるときに、ワーグナーやマーラーそのままの展開が聴こえてきたりするのはなかなか味わい深い感覚である。「冬木には教育的意図もあってこのようなサントラにしたのだ」という話を後に見かけて、そういえば「トムとジェリー」でクラシック音楽に出会った当代一のヴィルトゥオーゾになりうるピアニストがいたな、とか思い出したり(変だな、私も初めてオペラアリアを聴いたのは「トムとジェリー」だったはずなのに、この差はなんだろう←言うな)。



実はここまでが前振り。相変わらず長くて嫌になりますね(笑)。本題は最近読んだ本の話。出たのはそうとう前で、確認したらもう絶版なんですけど…



「ウルトラセブンが『音楽』を教えてくれた」というタイトルは、端的に「私が読むべき本である」と示してくれているのだけれど、怠惰にも(いつか読むだろう)と思ってしまっていたのだ。よくない。反省。
本書は、先ほども少し触れた「超有名最終回のアレ」ことシューマンのピアノ協奏曲からクラシック音楽の世界へと足を踏み込んでいった青山通氏による、「音楽からみる映像作品ウルトラセブン論」であり、「ディヌ・リパッティ(共演はカラヤン)の演奏に至る探求の物語」であり、そこを入口に「より広くクラシック音楽に出会うためのガイド」であった。


※パブリック・ドメインになっている演奏を貼る行為は実に気楽で良い。だがそのあたりの権利の確認や配慮は常にされるべきであるのだ、と自戒しておこう。

今でこそ、私が「超有名」と書いてしまうように”あの演奏”がリパッティ盤であることは広く知られている。だがそのような認識は近年のものでしかなく、放送当時7歳の著者が自力でその回答にたどり着くなど私は想像もしていなかった(もっとも私の場合録画機が手に入ったのは相当に後年だから繰り返して放送を視聴するような経験自体が今でもあまり定着していないし、何より著者は東京の方であるという圧倒的優位はあるのだが)。その点だけでも大いに感心したし、冬木透へのインタヴューは読めただけでもありがたいと思えた(サウンドトラックの機能の仕方、映画を見るようになってからいろいろと考えるところがあるもので)。そのへんの話はまたおいおいと、機会を見て…

本書から私が得るべき教訓があるとすれば、「クラシック音楽への入口など到るところにあるし、先へと踏み込むかどうかなんてその人の興味の赴き方や縁によるものだ」という心構えのようなものだろう、きっと。正解なんてあるわけがないのだから、つまるところ芸術もまたコミュニケーションの在り方のひとつである以上。9月8日が「ウルトラセブン」最終回放送から50年の区切りに当たっていたことは本書の読了後に知った。本書との(今ごろの)出会いもまた、そういう縁なによってもたらされたのだ、などと戯言を最後につぶやいておこう。

なお。私にとってのクラシック音楽への入口は、ローカルNHK FMのポピュラー音楽を流していた(というか、歌謡曲とフォーク、せいぜいがシンガー・ソングライター(言わないねもう)のお歌をリクエストでかけていた)番組内で放送されたラヴェルのボレロなのだけれど、残念ながら録音などしていなかったからその演奏を繰り返し聴くことができたわけでもなければ、それがどの演奏かを突き止める執念もないため、あれが誰の指揮でどこのオーケストラの演奏だったのかまったく不明なままであり、それを気にせず今に至っている。
きっと演奏時間短めの演奏だったろうから、チェリビダッケでなかったことだけは確実なのだが(おいおい)まったくもって判然としないまま、普通にあれやこれやの演奏を楽しんでいる私なのであった。…本書を読むことで、どうしようもなく自分の残念さを再認識させられた次第でもあった。どんとはらい(ええ…)。


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