2019年3月27日水曜日

今年もまた熱い夏が来る 〜フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 ラインナップ記者発表会

2019年3月27日(水)、ミューザ川崎シンフォニーホールの市民交流室で「フェスタサマーミューザKAWASAKI 2019」(以下フェスタサマー)のラインナップ記者発表会が開催された。福田紀彦 川崎市長、そしておなじみホールアドバイザーの秋山和慶と松居直美、小川典子、そしてこのホールを本拠地として活躍する東京交響楽団 楽団長の大野順二にくわえ、日本オーケストラ連盟から名倉真紀が登壇した会見では、休館からの復帰公演のシリーズとなり、より注目を集める(厳密には7月初旬から公演が始まる)フェスタサマーと、ホール15周年を飾る公演について熱い言葉が語られた。


今年は7月27日(土)に開幕し、8月12日(月・振休)まで16日間にわたって数多くのコンサートが連日開催される(8/5のみ演奏会なし)。首都圏のオーケストラによる特色を活かした公演の数々、ホールアドバイザーによる企画、そしてゲストの登場にと多彩なプログラムは今年も健在。今年の注目ポイントはやはり、初の首都圏外からの参加となる仙台フィルハーモニー管弦楽団の登場だろう(8/4)。これで首都圏のオーケストラによるお祭りから、”日本の”オーケストラの祭りへと、スケールがまた大きくなることになる。
ではプログラムを見ていこう。かつては定期公演の”ハーフ・ポーション”公演も特徴としていたフェスタサマーだが、もはやその枠に収まらない公演が目立つようになった。「定期公演で仕上げた演奏を、最高の会場でさらに高める演奏会」や、「ぜひ機会を作って演奏したかった作品に挑む絶好の機会」など、それぞれがひとつのチャレンジの場としてこのフェスタサマーを活用しているようにさえ見える。今年のプログラムでは、クロスオーヴァー的な軽めの演奏会はなくなって、どれを取っても聴き応え十分のプログラムが並んでいる。会見の中で山本事業課長が語ったところによれば、「セット券として組んだ公演ごとにテーマをもたせた格好」とのことなので、ぜひ皆様もその意図のほどを読み解いてみてほしい。
広く市民、いや首都圏民に楽しまれるフェスタサマーだが、意外にレアな作品も多く演奏されることはご存知の方も多いだろうけれど、今年は開幕公演から「ノット&東響の『サンダーバード』」(!!!)、「アラン&都響のヴォルフ、レスピーギ」「川瀬&神奈川フィルのスペイン物 with 渡辺香津美(エレキギター使用!!!!)」「藤岡&シティ・フィルの芥川交響曲第一番」(!!!!)などは聴き逃せない。また、いわゆる「王道」プログラムの数々も充実している。「上岡&新日本フィルのロシア物」「ミッキー&読響のブルックナー 第八番」「コバケン&日本フィルのチャイコン・ベートーヴェン 第七番」などなど、それぞれに聴きどころあるコンサートが今年も揃っている。これまで夏のコンサートとして軽めのプログラムを披露してきたN響も、名曲プロとはいえクラシック作品のみ(しかもソリストに反田恭平!)と、ライト層からコア層まで存分に楽しめることだろう。
もはや日本を代表すると言っていいホールに初登場の仙台フィルハーモニー管弦楽団は、郷古廉をソリストに迎えてストラヴィンスキーとチャイコフスキーのロシア物を演奏する。一曲目こそあまり演奏されない「サーカス・ポルカ」だが(個人的には大いにオススメしたい)、チャイコフスキーは名曲中の名曲を揃えたプログラムで、堂々たるミューザデビューとなることだろう(なお、フェスタサマー期間中、このホールでヴァイオリン独奏が聴けるのはこの公演だけなので、その点からも注目してほしい)。

佐山雅弘の急逝は、このホールのエンタメ部門への多大な貢献を思えば小さからぬ影響をフェスタにも与えるかに思われた。しかし故人の遺志を組んだかたちでフェスタサマーに今度は単独で再登場する大西順子トリオ(8/8)、共演も好評だったオルガニストのルドルフ・ルッツによるリサイタル(8/10)は私たちを楽しませ、また故人を忍ばせてくれるものとなるだろう。

アウトリーチ公演の充実もフェスタサマーの変わらぬ特徴の一つだ。休館明けてすぐの「ミューザの日2019 ウェルカムコンサート」(7/1、まさに15年前に開館したその日の開催)から続けて楽しめるプログラムが今年も用意されている。
「こどもフェスタ」として開催されるホールアドバイザーの小川典子による「イッツ・ア・ピアノワールド」(7/28)、かわさきジュニアオーケストラ発表会(8/10)の二公演、そして市内の音楽大学による演奏会(洗足学園の恒例”バレエとのコラボ”公演は8/1、昭和音大のコンサートは8/9)は廉価で楽しめるコンサートとして今年も好評で迎えられるだろう。無料企画の「音と科学の実験室 夏ラボ!」や、「若手演奏家支援事業2019 ミニコンサート」も来場者を楽しませてくれるのだから、幅広く多くの方が来場されることを期待したい。
大震災により強いられた休館の副産物として、川崎市西部での開催が続いている「出張サマーミューザ@しんゆり!」も今年も開催される。堂々たるドイツ音楽プログラムを東京交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団が披露するので、川崎市西部、東京都多摩地区や町田エリアにお住まいの皆様はお見逃しなく。

特別参加として一昨年以来にワレリー・ゲルギエフ指揮PMFオーケストラが参加することもこの日発表された。メインにはショスタコーヴィチの交響曲第四番が置かれ、またしても堂々たる大コンサートの予感である。なお、未発表の独奏者は「第16回チャイコフスキー国際コンクール・木管楽器部門 優勝者」を予定しているとのことで、見出されたばかりの若き才能に見える機会ともなることが明かされている。
そうそう、今年のフェスタサマーのタイトルは「15年目の熱響へ!」である。少し気が早いが言っておこう、今年もまた熱い夏がやってくるのだ、と。

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会見では、ミューザ川崎シンフォニーホールの開館15周年記念公演として秋に行われるシェーンベルクの大作「グレの歌」の演奏会についても触れられた。開館からこれまで、節目を飾ってきたマーラーの交響曲第八番から演奏頻度の低い、しかしこのホールこそ作品に最適と思える作品として、かつノット&東京交響楽団が演奏すべき作品として、この大編成の作品を選んだ、と竹内淳事業部長は語った。もっとも、今年在京オーケストラで「グレの歌」公演が連続したのは予想外だったとのことだが、「解像度の高いサウンドを特徴とするミューザ川崎シンフォニーホールで、声楽を交えた大編成のこの作品を聴いていただくのが最適だと考える」と自信を見せた。
また、現在進行中の改修工事は順調に進んでいることも明かされ、「好評で迎えられてきた従来のサウンドと、PAを使用した場合の聴きにくさの改善」が図られているのだという。内装などの変化もないということで、一見したところではわからないかもしれない改修だということだった。

ただし、以前からホールのホームページなどで紹介されていたオルガンの調整については、松居直美から「これまでも高く評価されてきたミューザのオルガンの美点である、全体の音像が調和する特性がより良くなった」とのコメントがあった。従来のホールの強みを更に伸ばし、弱みとされた部分や旧態化した設備を入れ替えて、と正常進化してミューザ川崎シンフォニーホールは再登場する、ということなのだろう。
そのサウンドの健在ぶりを、進化の程を確認するためだけにでも来場する価値のあるフェスタサマーは、今年もノット&東響のオープニングファンファーレで開幕し、尾高忠明と東響、そして昨年の浜松国際ピアノコンクールの覇者チャクムルの共演で幕を下ろす。4月のチケット発売まで、まずはじっくりとスケジュールとプログラムを読み解いてお待ちください、と私からも申し上げておこう。
>フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 公式サイト

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私なりの聴きどころを簡単にまとめました。三つもあるから長いんですけど、よろしければどうぞ。

>その一 セット券で読む
>その二 レア曲を聴く!
>その三 独奏者を聴く

2019年3月24日日曜日

8Kふたたび ~ラトル&BPh、ネルソンス&WPh

前に紹介した旧聞同様、こちらももう旧聞なのだけれど(すみません)、1月末に今度は残り三つのうち、ふたつのプログラムを体験できる機会を得た。会場はあのNHKホール…の隣の小さなふれあいホール
これからもこういう機会はあるかなと思うので簡単に会場の印象を。
まずストリームホールで聴いたものより、ずっと音がいい。ストリームホールでは各ジャンルの音楽を流していたこともあってクラシックの音を出すようになっていなかったろうし、このあたりが常設会場でのイヴェントの強みかなと思う。なので、8Kに興味がある方はまたの機会があったらぜひ、本当に行ってあげてください。この日すっごく来場者が少なくて、なにかとても寂しかったので。イヴェントは決まればここで告知されると思います(もう今年のNHK音楽祭が告知されてますね)

ただし苦言を一つ。後方で空調の音がずっと鳴っているので、その点は私にはあまり嬉しくない。また「プロジェクターでスクリーンに8Kの映像を映写する」という場合にどれだけの表現力が得られるものかはわからないのだけれど、餅屋さんの仕事にあれこれ申し上げても仕方ないだろう。私にとっては音がメインなので気にはならなかったが、ギラギラ感は巨大モニターを使っていたストリームホールでのイヴェントのほうが強かったかな、と思いました。

●世界三大オーケストラの響き ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮:サー・サイモン・ラトル
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ハンス・アブラハムセン:オーケストラのための三つの小品
ブルックナー:交響曲第九番 ニ短調(第4楽章付・補筆完成版)

まず一曲目は世界初演のハンス・アブラハムセンの「オーケストラのための三つの小品」。3つの楽章は急→中速→緩という構成で、演奏後の場内(もちろんベルリンの方)の反応も微妙に感じられた。三楽章の終盤で映されるパーカッショニストの、地味に高い技工が要求されていたシークエンスは面白かったけど。その点、ブラームスの回に演奏されていたイェルク・ヴィトマンの曲は大受けしていたわけで、なるほどヴィトマンは人気あるんだなあなんて、あとになって思った次第。

そしてお目当ての、ブルックナーの交響曲第九番、四楽章を最後まで演奏できるようにしたヴァージョンのもの(校訂者の名を並べるととても長くなるやつ←と思っていたけど、最終的な版はコールス完成版)。ラトルとベルリン・フィルのCDで聴いて以来、実は私はこの曲をいわゆる未完成交響曲扱いしなくなったほどには感銘を受けていたものだから、この機会は本当に嬉しい。
…と思って始まった演奏なのだが、ときどき新参のメンバー(コンマスのバルグリーや、ホルンのトップを吹いていた人など)ががんばるけれどなにか緩い。テンポじゃなくて、精度が。なんというか、「ベルリン・フィルのブルックナーですから」と言いたげなオケと、四楽章版として再構成したい指揮者の間のすきま風と言いましょうか。ああまたこんな演奏聴かされちゃうのかあ、と感じていた私は昼っから出てきたこともあって少々おネムになりかけていたのだけれど。四楽章が始まったら音が変わった。精度は上がり、表現は録音よりずーっといい!テンポを動かすし、曲線的な、いわゆるブルックナー的ではない表現も駆使しつつ全力で頂点を、超越を目指す指揮者とオーケストラは疑いなく一体となっていた。終楽章だけ、録音のやつと差し替えたい、できるなら今すぐに。



なんというか、未踏峰に挑むときにはどこまでも互いを信じられる仲だった、背中は預けられる関係だけど、普段はそれほどでも…ということなのかな。そんなふうにあらためて感じ、それが彼らの時代だったのだ、と理解することにした。残念だが終わった時代のことだ、考えすぎてもどうにもならない。今後の客演でホームランを打つこともあるでしょうし、そのときはその時で楽しませていただきます。

●世界三大オーケストラの響き ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮:アンドリス・ネルソンス
独唱:カミラ・ニュルンド(ソプラノ) ゲルヒルト・ロンベルガー(メゾソプラノ) クラウス・フロリアン・フォークト(テノール) ゲオルク・ツェッペンフェルト(バス)
合唱:ウィーン楽友協会合唱団
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ベートーヴェン:交響曲第九番 ニ短調 Op.125

その後、今度はウィーン・フィルの第九として、アンドリス・ネルソンスが指揮した演奏も上映された。…うん、ステージの下が箱状になっていて、そのまま共鳴箱になってるというホールの性質がわかったよ。22.2chで得た感覚をもって過去の録音を聴いたら受け取り方が変わるかも、というくらい、ステージ上のサウンドがわかった。気がします。演奏そのものは、えーっと…小難しいことを言わないタイプ、と言えばいいかしら?(吉田秀和風)
日本公演の代役できた頃には、ここまでこのオーケストラと懇意になろうとは想像もしませんでしたねえ…実演を経験してこなかったせいか、ネルソンスがやらんとすることが、正直に申し上げてまだよくわからない。貧乏なので仕方がないのだけれど。放送や配信でもう少し聴いてみようと思います(謙虚)。

これであとはコンセルトヘボウ管の公演を何かのかたちで視聴すればなんとか8Kのこの番組コンプリートだな…なんて思っていたら、今度は今年のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤーコンサートが8K版で放送されるのだとか。もうそこまで興味のないイヴェントなのだけれど、タイミングを見てなにか手段を探すとしましょうか。以上8K放送にちょっと詳しい私からのレポートでした。では。

かってに予告編(手遅れ気味):東京交響楽団 川崎定期演奏会第69回/第668回定期演奏会

少々手遅れなのだけれど、あまりにタイムリィだったこの流れを残しておこうと思います。まだ明日の公演、ありますしね!まったく狙っていなかったんですよ、こんな流れは。この数週間、あの常軌を逸した作品の話をしてきた流れが、まさかこうもシームレスにつながっちゃうだなんて。
詳しくは(承前)ということになりますが、ハチャトゥリアンの交響曲第三番周辺を整理してきた中で、浮かび上がってきた1960年代のショスタコーヴィチの動き、そしてそこで「交響詩曲」同様に”復活”した交響曲第四番。繰り返しますが詳しくは前回の記事をご覧くださいな。もしかしてショスタコーヴィチはスターリン時代に損なわれた尊厳を回復させるために党員になったんじゃあないか?なんて妄想したくなっちゃいますが、ここでは自重。では以下が、少々簡易版ではありますが「頼まれていたらこう紹介していたな」という文です。

東京交響楽団 川崎定期演奏会第69回第668回定期演奏会

2019年3月
  23日(土) 14:00開演 会場:カルッツかわさき ホール
  25日(月) 19:00開演 会場:サントリーホール 大ホール

指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ
ヴァイオリン:ヴェロニカ・エーベルレ
管弦楽:東京交響楽団

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第五番 イ長調 K.219
ショスタコーヴィチ:交響曲第四番 ハ短調 Op.43

モーツァルトとショスタコーヴィチ。この二人を”音”だけで知っていたならこの並びは珍奇な、ある種のミスマッチにも見えるだろう。だがショスタコーヴィチは大成功した交響曲第一番の成功を受けて「現代のモーツァルト」と称賛された、20世紀のソヴィエトから来た天才としてモーツァルトになぞらえられる存在だった。そしてこの二曲は、この二人の時代を隔てた才能が、無邪気なまでに”天才”でいられた、最後かもしれない作品という点でもつながるのだ。

モーツァルトはその生涯に渡って作曲を続けたジャンルと、ある時期にだけ特定の演奏家のために作曲したジャンルがある。自分でも演奏するための鍵盤楽器のための作品やオペラ、交響曲は前者だが、たとえばホルンやクラリネットが活躍する作品は後者にあたり、いまも作品とともに名を残す名手たちのために特定の時期に書かれた。ヴァイオリン協奏曲も同様で、ザルツブルク時代の終わりにまとめて五作が残されて、その後は書かれていないのだ。親から独立した一人の音楽家として成熟していくウィーン時代の充実を考えれば「ウィーンでのヴァイオリン協奏曲」を夢想したくもなるけれど、ザルツブルク時代の作品群には独自の魅力があることもまた事実だ。1月に「モーツァルトマチネ」で演奏されたピアノ協奏曲「リュッツォウ」が軽やかで魅力的だったことをご記憶の方も多いだろう。
今回取り上げられるのは、「トルコ風」の愛称で知られる第五番だ。定評ある東響のモーツァルトを今回ともに作り上げるのは、若くして世界で活躍するヴェロニカ・エーベルレだ。若き才能の実力の程、聴かせていただこう。



ここまで指揮者について触れるのを忘れていた。トロンハイム交響楽団の首席指揮者、インディアナポリス交響楽団の音楽監督を務め、ベルリン・フィルとも共演を果たした……というよりこう言うべきだろう、かつて東京交響楽団の若き首席客演指揮者として活躍してくれた、クシシュトフ・ウルバンスキだ。彼もまだ30代、若手同士のケミストリーにも期待したい。

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後半の作品も「天才が無邪気でいられた、最後の作品」と見てもいいだろう。その成立には諸説あるけれど、ショスタコーヴィチの交響曲第四番は当局との軋轢の中で二重言語を駆使して作曲する前の、最後の作品のひとつだからだ。アイロニカルではあってもダブルスピークではない、このあたりの多義性が大編成の管弦楽によって炸裂するこの作品については、先日書いたので割愛します(この辺が簡易版)。また、東京交響楽団のパンフに掲載された中田朱美さんの解説も参照してください。あと工藤庸介さんのホームページを。

ウルバンスキは、NDRエルプフィルハーモニーと交響曲第五番をすでに録音している。当時は第四番は撤回されて初演に至らず、そしてプラウダ批判からの回復を第五番で果たしたわけだが、若いウルバンスキはこのあたりの事情をどう見るのだろうか、そんなこともつい考えてしまう。数々の日本初演を行った上田仁以来の伝統を誇り、新国立劇場での「ムツェンスク郡のマクベス夫人」や、ノット監督、キタエンコらとの名演も忘れがたい「東響のショスタコーヴィチ」に新たな一ページが刻まれるのは確実、今年度最後の大注目のコンサートと言えるだろう。


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以上簡易版ですみません。実は昨日カルッツかわさきで聴いてきました(白状)。詳しくは後日書きますが、私からはサントリーホールが満員札止めになりますように、とお祈りのみ。では。

 

2019年3月20日水曜日

補遺:そして1963年

11日間に4度もあの常軌を逸した作品が演奏されるお祭りも半ばを過ぎた。私は残念ながら明日から始まる後半には参戦できないが、作品成立時点をめぐる話の補足として、最後にひとつ記事を書く。そのお題は「交響詩曲はなぜ交響曲として蘇らなければならなかったか」「その時期にはどういう意味合いがあるのか」というものだ。

ジダーノフ批判(1948)から5年、スターリンが病没する。偶然にもその日、セルゲイ・プロコフィエフが亡くなり…という話は今回は割愛。スターリンの死は、「雪どけ」と言われる文化的締付けの緩和を招き、その先にスターリン批判(1956)が行われて、フレンニコフ率いるRAPM体制は変わっていなくても次第に社会主義リアリズムが強制してくる楽観主義や素朴さから離れた作品も作られ、鑑賞されていく。その端にはまたしてもショスタコーヴィチの久しぶりの交響曲第一〇番(1954)があり、ハチャトゥリアンの代表作としては「スパルタクス」(1954−56)も登場する。前に書いたとおり、革命40年の1957年にはショスタコーヴィチが交響曲第一一番で第一次ロシア革命を描き、それはあたかもスターリン以前への回帰を目指しているかのようだ。

だが1960年、ショスタコーヴィチは共産党への入党を受け容れる。「証言」などの書籍によれば、彼は本当のところとにかく嫌で厭で仕方のなかったことのようなのだが、その真偽は例によってわからない(もちろん、彼は体制の看板になりたいような人ではないだろうとは理解しているけれど)。ただ、この翌年に交響曲第一二番(1961)を書い(てしまっ)たことで、彼の評価は西側ではかなり落ちることになるが、彼のやることだから表に出てきた事象だけでもそう一筋縄ではいかない。第一二番からわずか2ヶ月後に、プラウダ批判を受けて初演を撤回した交響曲第四番(1936)の復活初演を実施しているのは、もしかして「もう自分も党員なのだから、堂々とやらせてもらう」という宣言なのではないか?更に翌年の1962年にはあの交響曲第一三番、「バビ・ヤール」が作られて、これまた大いに物議を醸すことになる…そして、更にその翌年にはついに封印された「交響詩曲」が交響曲第三番へと変更され、演奏される機会を得ていくことになるわけである。
興味深いのは、この段落で示した事実すべての後ろに、キリル・コンドラシンというマエストロの存在が見えるところだ。第四番の蘇演、第一三番の初演、そして「交響詩曲」のセッション録音(これはちょっと時期が離れて1969年)と、この時期のマエストロにインタヴューしたい。話が聞きたい。嗚呼。今回ハチャトゥリアンの作品に興味を持たれた皆さん、ぜひメロディア録音の交響曲第三番を聴いてみてください、ロシアのオーケストラの音が炸裂していますので。それとはまったく異なる個性のプレトニョフと東京フィルの演奏も、より楽しく反芻できますので。


ショスタコーヴィチの交響曲第四番、そういえば近く演奏されますよね(すっとぼけ)。

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なお、こうしてソヴィエトの音楽状況を見ていくとき、ついちょっと「スターリン(に代表される政治家)とショスタコーヴィチ」のような、直接的対立項で見てしまいがちだが(誰とは言わないが文学方面からの影響)、それでは抜け落ちるものが多すぎるように最近は感じている。それこそRAPMの存在は、プラウダでスターリンでジダーノフで…という政治と芸術の二項的語りでは捉えられなくなってしまうわけだし。そこで活躍してしまった、フレンニコフやムラデリのような、もはや音では聴かれない、政治的な活動によって名のみ残る作曲家たち。
そこで今回参照してほしいのが、川崎浹 早稲田大学 教育学部名誉教授のホームページにある「現代社会文化論」講義録だ。グールドの訪ソ(1957)、バーンスタイン&NYPによる「春の祭典」演奏(1959)、そしてストラヴィンスキーの「帰国」(1962)、ブーレーズ訪ソ(1964)、これらがスターリン没後のソヴィエトで起きていることが見て取れるこの講義、とても勉強になるっす。ショスタコーヴィチをめぐるあれこれの出来事やハチャトゥリアンによる「交響詩曲」という機会音楽から公的な性格を持つ交響曲第三番への変更などとこれらの外部からの刺激が同時期に起きていることは留意すべきではないだろうか。これらはいうなれば鉄のカーテンに隙間ができてきて、そこから互いの姿が見え始めた時代に起きたことごとなのだ。


そしてさらに世界史的に視点を広げれば、1953年の死去によってスターリンからフルシチョフへと指導者が変わり、それでも冷戦が激化して挙げ句キューバ危機が起きるのが1962年。それは「バビ・ヤール」が書かれる年で、そしてこの年フルシチョフは有名な「豚のしっぽ」発言をしてしまうのである。ルイセンコ学説への肩入れなどもあって文化的方面からネタにされがちなフルシチョフだが、アメリカ訪問時に「ディズニーランドに行けなかった!」と激怒したりするキャラクターのおかげでどうにも憎めないところがあるので、評価が難しい。ただ、私たちが彼を音楽面から見るならば、スターリン時代ほどの制約には感謝したい気持ちになる。いや、そこで生きるしかなかった人たちには、彼の時代もその後も、特段いい社会ではなかったのだろうけれど…


ともあれ、こんな時代に「交響詩曲」は交響曲第三番 ハ長調になりました、というお話はここまで。後半戦に参戦される皆さん、楽しんでね!では。


2019年3月13日水曜日

その三:「交響詩曲」、それは失敗したプロパガンダなのかそれとも

(承前)
さていよいよ、というところで引っ張ったアラム・ハチャトゥリアンの交響曲第三番 ハ長調 「交響詩曲」を巡る論考もいよいよ最終回。だが、この曲について書く前に、この作品と同時期に書かれたセルゲイ・プロコフィエフの交響曲第六番 変ホ短調 Op.111について書かせてほしい。戦時に書かれた第五番は作曲当時から大好評で演奏頻度も高い作品だが、第六番は近年まではそこまでの認知を得てこなかった。第五番が描く、トリッキィな面はあるにしても希望のある響きから一転、プロコフィエフはどこまでも内省的な音楽を展開し、その極点で世界が反転して超越に至るが如き独自の世界を創り出している。ムラヴィンスキーの指揮による初演は大成功し、スターリン賞も得ている。


折角の機会ですから、プロコフィエフも聴いてみてくださいませ。

戦後に陽から暗へ、と動いたプロコフィエフに対し、戦時に悲劇を描いたハチャトゥリアンは戦後に何を描いたか。その答えは、三管編成のオーケストラとオルガン、そして15本のトランペットによる、圧倒的な奔流だった。

オルガンを編成に加えた作品なら交響曲だって例がある、誰もがすぐにサン=サーンスやマーラーの作品を思い出すだろう。管弦楽作品や声楽曲だっていくらでも思い当たる。また、バンダを用いた交響曲だってマーラーがある(また君か)オペラなら当然のように用いられるものだ、それに管弦楽曲なら20世紀には例示に事欠くまい。大人数の金管楽器が活躍するものに限定してもヤナーチェクの「シンフォニエッタ」(1918)のような人気曲もある。だが、である。いくらなんでもそれらを併用し、しかもそれらがときにそれぞれに独立して活躍し、最終的に巨大な形容し難い何ものかを作り出す作品が他にあるだろうか?

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私がこの曲を最初に知ったのは吹奏楽編曲版だったから、その編成がもたらす効果についてはイメージするのも難しかった。なにせ、吹奏楽ではオルガンを使わないし()、コンクールには人数制限があるからトランペットの人数も限られてくる。それでもこの曲のインパクトは大きく、いまでも取り上げている団体があるようだ(このジャンルから離れて久しいもので…)。だが別の編成に移されて、本来あるべき楽器が削られたそれは言うならば黒岩涙香の翻案小説で西欧の小説を知るようなもの(それはそれで面白いのだけれど)。どうせなら、オリジナルを知りたい、人にも知ってほしい。だってそのほうが圧倒的に(自重)なのだから。
録音で聴くなら大好きなキリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏、またはフョードル・グリュシチェンコ指揮BBCフィルハーモニックの演奏をどうぞ。

前にも書いたとおり、1947年に革命30年を迎えた記念の作品としてこの作品は書かれた。その経緯を知った時私はこう思ったものだ、(党の要求に過剰に応えちゃったのかな…)と。ショスタコーヴィチが戦後自粛気味だったこともある、「森の歌」のような作品を求められたのかな…なんて思ったわけだ。しかしここまで見てきたとおり、戦中から戦後の時期にソヴィエトでは久しぶりに自由な創作が許されていたのだ、結果的にではあるとしても、悲劇を代価にして(ショスタコーヴィチは例外的に謹慎気味だったけれど)。ならばこの作品もまたプロコフィエフの交響曲第六番同様、ハチャトゥリアンが自らの意志で創り出したものとして捉えられるべきだ。

では”失敗したプロパガンダ”ではない、この作品の真意とは、その演奏効果とは…その答えはいまの私が出すのではなく、ミハイル・プレトニョフと東京フィルが、そしてその演奏を体験した皆さまが出すことになるだろう。わずか11日間に四度この作品が演奏されるような機会は、きっとこの先ない。また、それぞれに違う会場で演奏されることで、その日毎に違った表現が楽しめることだろう。私としてはぜひ、一人でも多くの方がこの常軌を逸した作品に実演で触れてくれることを希望する。

・3月定期演奏会 | 2018-2019シーズン
3月13日(水)19:00開演 サントリーホール
3月15日(金)19:00開演 東京オペラシティコンサートホール
3月21日(木・祝)15:00開演 Bunkamura オーチャードホール

指揮:ミハイル・プレトニョフ
ヴァイオリン:ユーチン・ツェン (2015年チャイコフスキー国際コンクール ヴァイオリン部門最高位)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

チャイコフスキー:
  スラヴ行進曲 変ロ短調 Op.31
  ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
ハチャトゥリアン:
  バレエ音楽「スパルタクス」より アダージョ
  交響曲第三番 ハ長調 Op.67 「交響詩曲」

・響きの森クラシック・シリーズ Vol. 67
3月23日(土)15:00開演 文京シビックホール

チャイコフスキー:スラヴ行進曲 変ロ短調 Op.31
グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 Op.82
ハチャトゥリアン:
  バレエ音楽「スパルタクス」より アダージョ

  交響曲第三番 「交響詩曲」

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演奏を聴く前に、いま私が考えているのは、プロコフィエフのそれと同様に創造上の制約から解放された作曲家が生み出した「ロシア・アヴァンギャルドの再来」だったのではないか、ということだ。かつてRAPMに、スターリンの共産党によって潰された奔放な創造が息を吹き返した時代に、ハチャトゥリアンが出した答えが音楽によるスプレマチズムの実現だった、と。
だが、戦争という悲劇によって生まれたこのユートピア的状況は長く続かない。ムラデリの歌劇「偉大なる友情」への批判に始まる「ジダーノフ批判」として知られる一連の”形式主義”攻撃が、戦中から1947年ころまで続いたこの状況を終わらせてしまう。プラウダ批判はまだ有効であると宣言され、プロコフィエフもハチャトゥリアンも、自粛していたショスタコーヴィチも批判されて、ありえたかもしれない新しい「ロシア・アヴァンギャルド」の可能性は消えた。後にジダーノフが死に、スターリンが死んでもここで否定されてしまった可能性が帰ってくることはなかった。ソヴィエトなき今、当事者ならぬ私たちはその後に書かれた作品にも親しんでいるし、制約があってもそのときどきに興味深い作品を生み出してくれた作曲家への敬意は変わらない。だが、ここで途絶した可能性について思いを馳せる時、死んだ子の歳を数えるような気持ちになる私である。
幸いなことに私たちにはポポーフの交響曲第一番を、ショスタコーヴィチの交響曲第四番を、そしてハチャトゥリアンの交響曲第三番「交響詩曲」を実演で聴く機会が与えられる時代を生きている。繰り返しになるが、一人でも多くの方がこの作品に、実演で触れてくれることを希望してこの稿を終わる。読了いただいた皆さまに、このシリーズで名前を挙げたすべての人に感謝を。

その二:いよいよハチャトゥリアンの話

(承前)
前回はショスタコーヴィチを通して時代を見たので、やっとそれを踏まえてハチャトゥリアンその人に焦点を合わせていける、と感じている。サカルトヴェロ(ロシア語でグルジア、英語でジョージア)のトビリシに1903年に生まれたアルメニア人のアラム・ハチャトゥリアンについては、その音楽の聴かれ方ほどには知られていないように思う。今回の公演を前に調べてみても、彼について書かれた書籍も数冊しかなく、そのためもあってショスタコーヴィチを通して見た、彼が生きた時代をまず置く必要を感じた次第だ。ショスタコーヴィチより少し年長で、少しだけ長く生きたハチャトゥリアンは、ともにジダーノフ批判の危機を生き延びた”戦友”なのだから、いたずらに併置したわけではないことはご理解いただきたく。
だがこの友人たちのキャリア形成は大きく異なる。ショスタコーヴィチが世界に名を知らしめた交響曲第一番の年齢で、彼はまだ作曲家ではない、どころかようやく音楽の専門教育を受け始めたところだ。ハチャトゥリアン最初の成功作は1936年のピアノ協奏曲、ショスタコーヴィチはその年齢ではすでに交響曲第七番、第八番を作曲している頃だ。そんな晩成の作曲家ではあるけれど、その後ヴァイオリン協奏曲、バレエ音楽「ガヤネー」「スパルタクス」などの大ヒットで幅広く受容され、ショスタコーヴィチとも並び称されるソヴィエトを代表する作曲家の一人となった。
多様な民族の共生を実現した(ことになっている)ソヴィエト社会では、ある意味で生きやすかったかもしれない。スターリンが好きな民族音楽を活かした作品群は彼を守ってくれたのではないか?形式主義批判を受けることはあっても、ショスタコーヴィチやプロコフィエフほどの危険があったとは寡聞にして聞かない。それもまた、彼についての書籍などの少なさにつながっている、のかもしれない。


…自動生成の英語字幕をつければなんとかこれを見通せるだろうか。

70mmフィルム上映や8K放送でも話題の「2001年宇宙の旅」でも用いられているからクラシック音楽ファンでなくとも彼の音楽には触れた人が多いと思うが、日本ではそれどころではないレヴェルで、かなり積極的に彼の音楽は受容され続けている。自分がこどもだったころを思い返せば、「剣の舞」は子供心にも(またか)と思うほどにテレビで使われていた。近年では浅田真央選手の「仮面舞踏会」のワルツで、クラシック音楽ファンを超えて知られた。吹奏楽ではそれどころではなく、「なぜその作品を?」と言いたくなるほどハチャトゥリアンの作品が取り上げられてきた。思い当たるだけでも代表作「ガイーヌ(ガヤネー)」はいいとしても、「バレンシアの寡婦」、そして交響曲第二番、第三番などの意外な作品が演奏され、聴かれてきた。流行の変遷が激しい吹奏楽コンクールでも、本当に長い期間に渡って人気の作曲家であり続けているのだから、その人気は本物だろう…正直な話、無理目のアプローチに首を傾げることもあるけれど。
今回はこれを書いておかなければなるまい。吹奏楽版だけで交響曲第三番を知っている皆さん、お願いだからプレトニョフと東京フィルが演奏するこの機会を逃してはいけませんよ?こんな機会、めったにないんだからね!(おいおい)



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民族色濃厚なメロディ、強烈なリズムは多くの人に届いている、だが彼が残した三曲の交響曲はそこまで知られているわけではない。卒業作品として作曲された第一番についてはここでは触れないが、「鐘」の愛称で知られる第二番はもう少し演奏され、聴かれてもいいのではないだろうか。

1943年に作曲された、いわゆる戦争交響曲の範疇に入るこの作品は、まさに「悲劇を悲劇として描いた」作品で、その悲壮感はただごとではない。三管編成のオーケストラが力を振り絞るように奏でる響きはどこを切り取っても重苦しさを伴った陰鬱なもので、愛され親しまれるようなものではないかもしれない。だが、ショスタコーヴィチの交響曲第七番、第八番や、プロコフィエフの交響曲第五番同様に語られ、聴かれるだけの価値があると私は考える。悲劇の予感しかしない第一楽章、全曲中数少ないリズムの楽しさに浸れる第二楽章、Dies Iraeが執拗に奏でられる第三楽章、そして進軍ラッパの如きファンファーレに始まり勝利の祈念で終わるフィナーレと、聴き応えは十分である。後に多く作曲することになる映画のための音楽に先駆した作品とも言えるだろう、スケールの大きい音による叙事詩的作品である。作曲者の自演盤も複数あるので、興味のある方はぜひこの機会に聴いてみてほしい。何度か改訂された作品なので、演奏時期によって細部に違いがあるのも聴きどころと言えよう。…私は高校の先輩方が演奏していたコンクールの自由曲で聴いたのがこの曲を知った最初の機会でした、そういえば。とーっても苦労されてました、当時の先輩方(笑)。

演奏は、最初の予告でも登場していただいたアルメニア国立ユースオーケストラです。指揮はセルゲイ・スムバチャン。

さて、戦時に悲劇を全力で描いたアラム・ハチャトゥリアンは、戦後訪れた最初の革命記念年となる1947年(30周年)に、渾身の大作を発表する。それはどんな作品か…というところで、ようやく今回ミハイル・プレトニョフと東京フィルハーモニー交響楽団が演奏する交響曲第三番 ハ長調 「交響詩曲」にたどり着いた。長くお付き合いいただいた皆さまに心からの感謝を。

こんな文章を書きながら。私はどこかで「もしこの曲を知らない方がコンサートに行くと決めていらっしゃるなら、この文もここで読むのを止めて、白紙のままでハチャトゥリアンの音を全身に浴びていただけないかな」と思っている。もし私の口車に乗ってもいいと思われましたら、終演後にまたお会いしましょう。
次回、短期集中でお送りしてきたこの記事も最終回です。(続きへ)

2019年3月12日火曜日

その一:ショスタコーヴィチを通して時代を見てみよう

(承前)いろいろと難のある本として知られた「ショスタコーヴィチの証言」に、こんな記述がある。戦時中のレニングラードがどれだけの犠牲を払ったか、その犠牲に自分がどう向き合うかという話からの流れである。以下引用。

それから戦争がやってきて、悲しみは人々の共有物となった。わたしたちは悲しみについて語り、人目をはばからずに泣き、死んでいった人々を偲んで泣くこともできるようになった。人々は涙を恐れるのをやめた。やがて、このことにも慣れた。これに慣れるためには、まる四年間という時間があった。それだからこそ、戦争が終わり、突然、このようなすべてのことに終止符が打たれたときには、いっそうつらくなった。そのとき、わたしは発表を期待せずに一連の大きな作品を書き続けたが、それらの作品は、この机の抽斗のなかに、かなり長いことしまいこまれたままだった。(中略)戦前、完全に抑圧されていた精神生活が活気を取り戻した。多くの人々は、第五交響曲のあとにわたしが復活したと考えているようである。そうではなく、わたしは復活したのは第七交響曲のあとだった。いよいよ、人々に語りかけることができるようになった。まだ困難ではあったが、とくかく以前よりはいくぶん楽に呼吸できるようになった。戦争の歳月が芸術にとって実りあるものだったと私が考えた理由はこれである。これはどこにでもある状況ではなく、ほかの国なら、おそらく戦争は芸術を妨げるだろう。しかしロシアにおいては、悲劇的な理由から、とにかく芸術の開花が見られたのである。(p.244~245 引用終わり)

このコメントがショスタコーヴィチ本人のものかどうかはここでは問うまい。だがこうした認識と、戦時のソヴィエトの交響曲群を思い出してみればある程度までは妥当できるのではないか。その時期の作品として思い起こされるのは、ショスタコーヴィチの第七番から第九番まで、プロコフィエフの第五番、そしてハチャトゥリアンの第二番。…ショスタコーヴィチの第九番はまあ、いろいろと扱いが難しいわけだけれど。
芸術に楽観を要求してくる社会主義リアリズムの枷が緩んで、「悲劇を悲劇として描けた」一時代としての大祖国戦争。その悲劇の重さについては、今年の正月に放送された「玉木宏 音楽サスペンス紀行」が存分に示してくれていたのだが、その話はまたいずれ。そんな時代は、ジダーノフ批判によって終わってしまうことになるのだが、その前に生まれた重要な作品としてここではプロコフィエフの交響曲第六番、そしてハチャトゥリアンの交響曲第三番(発表当時は「交響詩曲」)をあげたい。その作曲年は、どちらも「批判」の前年、1947年である。この二作は先ほど引用にあった「芸術の開花」の時代、最後の可能性の開花だった、のではないだろうか?私はそんなふうに見ている。

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ソヴィエトの文化の流れを見るなら、音楽ではショスタコーヴィチを追うのがわかりやすい。彼がソヴィエトでは公的な性格を持たされた交響曲を多作してくれたおかげで、その時どきの文化のあり方が見えてくるように思えるのだ。さすがに全15作を追うのは回り道にしてもやりすぎだからいくつかの作品についての言及にはなるのだが、それでも革命記念年をたどればかなりのことがわかる、気がする。1917年にはまだ小学生相当の彼が何か作品を残しているわけもないけれど、1927年以降は革命40年まで興味深い作品を残している。以下簡単にまとめてみよう。()内は私の評価。

1927年・革命10年 交響曲第二番「十月革命に捧げる」(革命賛美の歌詞による合唱付きだけど、かなりデタラメな曲)
1937年・革命20年 交響曲第五番(プラウダ批判からの起死回生の作)
1947年・革命30年(1947年は交響曲なし、公的には映画音楽やカンタータの作曲があるのみ)
1957年・革命40年 交響曲第一一番「1905年」(おそらく、プロパガンダを強制された中で達成された最良の作)

革命から10年、この頃にはロシア・アヴァンギャルドも終わっていない。若きショスタコーヴィチはその最後の才能として、10代のうちから活躍を始めた。しかしその後、「文化革命」と言われる運動が起こり(RAPMによる、前衛否定の運動。後の「大革命」や下放、クメール・ルージュの行動を思い出させられる)、その決定打となるのが「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に対する「プラウダ批判」(1936年)だ。ショスタコーヴィチはリハーサルまで行った交響曲第四番の初演を回避するところまで追い詰められ※、そこで発表されたのがあの交響曲第五番である。よくぞ生き延びた。
そしていま問題にしている1947年、革命30年の年には、交響曲第九番のせいもあって謹慎気味だからなのか、ショスタコーヴィチは交響曲を発表していない。いやジダーノフ批判どころか、1953年にスターリンが亡くなるまで彼は交響曲を発表しない(第一〇番は同年発表)。上で引用した「この机の抽斗のなかに」しまいこんでいたこの年の作品には、彼の代表作の一つ、ヴァイオリン協奏曲第一番がある。「ラヨーク」はたしかに彼の二重言語性を代表するものではある、だが交響曲第一〇番との性格的近似を考えても重要な作品はこちらだろう。また、いまの本筋(であるはず)のハチャトゥリアンの「交響詩曲」との関係でいえば、「祝典序曲」がトランペットの活躍する作品として友人同士の触発関係を想定させるかもしれない。ただし、祝典序曲の成立には諸説あります(おい)。
なおこの論には、革命40年の交響曲第一一番はあまり重要ではないので(すみません)、こちらの演奏にすべてを語ってもらおうと思う。1957年には、まだショスタコーヴィチは内的欲求と党の要求とのジレンマと戦いながら作曲していた、ということを指摘するのみである。



※交響曲第四番を、「プラウダ批判」の只中に発表していたらショスタコーヴィチの命も危険だったろうことは、今度の東京交響楽団 川崎定期演奏会で、実演で聴いてもらえれば理解できるだろうと思う。なお、私は「証言」の中で展開されている「シュティードリーがやる気なかったから」撤回した説は採らない。フリッツ・シュティードリーはマーラーのアシスタントとしてのキャリアを始め、後年のメトロポリタン・オペラでの仕事は録音も残っている彼が、そんなに無能だったのだろうか?彼の指揮による演奏はいくつか残されているので、興味のある方は聴いてみてほしい。これはとても長いですが。



さて、後に交響曲第三番となる「交響詩曲」が発表された1947年のソヴィエトの文化状況、いくらかでも見えてきただろうか?話を広げるだけ広げるならば、「”戦争交響曲”あれこれ」であったり、「ジダーノフ批判と赤狩りとの同時代性」などもなかなか興味深いものだ。前者はたとえばコープランドの交響曲第三番、またオネゲルの交響曲第二、第三番を挙げてみるとなにか見えてくるように思う。偶然なのか、オネゲルの第三番「典礼風」は1947年の作である。また後者は、後にジョセフ・マッカーシーの名で表されるようになる一連の運動となるわけで、「逆の性格をした双子の闘い」としての冷戦のひとつの側面を象徴しているように思える。

…とはいえこれはさすがに手を広げすぎ、本筋から離れ過ぎなのでとりあえずはここまで。次回はハチャトゥリアンと、「交響詩曲」という作品そのものの話をします。(続きへ)

その〇:まずは余談から

(承前)…と書いておきながら、まず書くのはハチャトゥリアンではなくショスタコーヴィチの話だったりする。それも、とある本の話から。余談ではありますが、お時間のある方はお付き合いくださいな。この回はスキップしても読めるように構成してますので「そんなの知ってるわ」と思われた方は次回へおすすみあそばせ。

ハチャトゥリアンの作品について考える中で必要に迫られて、もう本当に何年ぶりかわからない再読をしているんですよ「ショスタコーヴィチの証言」。編者はニコライ・ヴォルコフ、…そういう説明はいいですかね。この本、昔の読後の印象などほとんど忘れた今になって(おい)読み直せば、どうしたって看過できないヤバさがいろいろとあることに気付かさせられるのです。


率直に結論を書きます。本書を読めば、誰もがDSCHのことをこういう人としてイメージするだろう。京極堂もびっくりの博覧強記にして弁舌巧みすぎる作曲家。政治の裏にも、自分は属していないグループの動向にも精通し、それらを数時間のインタヴューの中で立て板に水とばかりに腹蔵なくヴォルコフに話してくれる、超絶話したがりの物知りさん。

…さすがにそれは、ねえ。作曲者に近い人ほど厳しく批判した、というのはまずそういうところが問題だったんじゃないかなあ、というのが、物書きの端っこの方に身を置くようになった私の一番の感想だ。どういうことか、といいますと。
端くれくらいの物書きさんとして思うに、これは「インタヴューで聴けた話(分量不明)」と「自分が整理して示した情報(かなりの量と推測される)」をショスタコーヴィチとヴォルコフ、つまり別の話者による文章として明示して分けずに、すべての情報と見解をショスタコーヴィチのものとしようと欲をかいた本だ、と考えるのだ。その結果、どうにも隠しようのない大穴として、上記のような珍妙なDSCH像ができあがってしまった。そう考えるのです。

読み進めるうちに、「もしかするとここは本人の言葉では」と思える部分と「誰だいこのジャーナリストさん」と言うしかない部分が交錯する、なんともおかしな文章であることに気がつくのだ。ヴォルコフが何度かのインタヴューはしていたということから考えれば、「本当なら文字起こしから編集段階で整理すべきところを、自分の発言も推測も印象も何もかもを作曲家が話した本当の発言(それがどれくらいの量かはわからない)として分離できないように収められた本」なんですよこれ。インタヴューを一人語りに構成したものとも違う、かなりたちの悪い作文で、これはよく受け取っても「事実をもとにしたフィクション」だ。それでは「偽書」だと言うしかないでしょ、「ショスタコーヴィチの証言」を名乗っているのだから。編者はきっと言うのだろう、「私はここまで話してもらえるほどに信頼を得ていたんです」と。だがそれを、どう信じればいいのか。彼に親しい人たちほどこの本をまともな「証言」とみなしていないというのに。DSCHのサインがある?文字起こしの段階だったのでは?なんて疑われることがないと、本気で思ったんですかねこの人。

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実はとあるフレーズの出典がこの本だったと思い出して、必要にかられて再読したのに過ぎない。私は学問を、学者を、その仕事を信用するので、本書を「偽書」とみなすようになって久しいので、せいぜいが「鉄のカーテンの向こうの雰囲気を教えてくれるかもしれない本」を積極的に再読することはない。ところどころにDSCHの言葉かもしれないフレーズがあるのがなんとも面倒ではあるが、それでもそう割り切るしかない、そういう本だ。

ただ。こうも思う。先ほども書いたが「鉄のカーテン」の向こうは知りようがなかった時期が、長く続いた。作品と公式なステートメントだけが届くうち、ソヴィエトが生んだ若き天才は大戦時に世界の英雄となり、しかしその後東側の看板に成り下がり、老いて枯れて死んだ。そんな彼への見方を覆してくれるこの本は、‘’使えた‘’だろうな、と。
東側の体制批判をしながらショスタコーヴィチの作品のうち評価できるものを是々非々で拾うには、本書はどこまでも使えた。彼の真意はこれなのだ、「だから」DSCHは評価されるべき。…なんとも、善意から出たのだとしても非常にたちの悪いねじれた発想なのだが、政治を芸術(ここはスポーツとか科学とか、様々に置換可能)を切り分けて考えるためについ導入してしまいがちな方便である。

ともあれ、本書を”使う”ことによってDSCHはソヴィエト共産党の看板から、また世界のある一時代を代表する作曲家になった。その功は認めてもいい、でもこれは偽書、またはフィクションだ。共産圏では地下出版でしか言えなかった”真実”もあった、本書もそのたぐいではないのか?本書には、お前も認めるとおり作曲家自身の言葉が含まれているように見えるし、ソヴィエト社会のある面を描き出しているのではないか?
先ほど書いた方便としての効能や、こんな疑問も持たれるだろうことがわかっていて、それでも偽書、またはフィクションだと言わせてもらおう。時代を、その空気を描く作品がなにかのまがい物でなかったらよかったのに、と私は思うのだ。一流のフィクションがショスタコーヴィチの堕ちたイメージを読み返させたのなら、きちんとした手続きを踏んだ書物が”真実”のショスタコーヴィチ像を示してくれたのなら、どんなによかったか。

今さら嘆いても仕方のないことではある。大衆小説が時代の空気を伝えることもあるのだから、私もここで”方便”として本書を少しだけ使おうと思う。ということで、余談はおしまい。(続きへ)

2019年3月10日日曜日

三者三様 ~ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第145回

●ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第145回

指揮:秋山和慶
ピアノ:福原彰美、ミロスラフ・クルティシェフ、奥井紫麻
管弦楽:東京交響楽団

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲
  第三番 変ホ長調
  第二番 ト長調 Op.44
  第一番 変ロ短調 Op.23

今年度の名曲全集は今回で最終回。その最終回から、ミューザ川崎シンフォニーホールの休館に伴いカルッツかわさきでの公演となる(新年度のはじめ二回もここで、また東響の川崎定期3月公演もここ)。

ギリで着いても駅から半泣きで走れば割となんとかなるミューザと違って(おい)、徒歩では相当の時間がかかると見られるカルッツかわさきまでの道については、実は前回の名曲全集のあとにチェックしていた。…もっとも、そのときは教育文化会館の新しい名前だとはじめ思い込んでいて、たどり着いてみて(え?新しく作ったと聞いていたけど…日比谷公会堂かな?)なんて思っていたのだけれど。

この日は早めに着くために川崎駅には余裕を持って到着、寄り道もしつつ徒歩で20分見れば成人男性の歩調なら余裕だと思います。二階から入場ということで、道を挟んで向かい側を眺めればそこは川崎競輪、「ああこれが以前の川崎のイメージだよなあ」なんて思いながら信号の地名を見れば。なんてことだ、ここは川崎球場だったのか!


そういう話はここまで。
この日の演奏会は、チャイコフスキーが残した三つのピアノ協奏曲を、曲ごとに異なるソリストを迎えて演奏するという豪華企画。…とは言っても、チャイコフスキーの第二、第三を実演で聴くのは私は初めてだし、ソリストは若い世代の面々。第一番を弾く奥井紫麻に至ってはまだ中学生の年頃である。そんな若者たちを迎えて、東京交響楽団と秋山和慶はどんな音楽を聴かせてくれるのか。クラシックファンには来慣れない会場のサウンドともども、そのあたりが注目だな、と予想して、ちょっと暑くすら感じる春の日に、えっちらおっちら行ったのさ。では演奏の話に。この日は一階で聴いています、というのはもしかするとポイントかもしれません。

最初に演奏された第三番は、作曲者最晩年の作。協奏曲だけれど単一楽章で構成されているのは、破棄された交響曲からの転用だから、なのだそうで。なるほど、冒頭の中低音楽器によるアンサンブルは協奏曲にしては癖がありすぎるし、音楽の展開も少々トリッキィである。
そんな曲にも、会場のサウンドにもみんなが慣れていない中での演奏は、管とティンパニが強く抜けてくる会場では厳しかったように思う。ピアニストの力演も、オーケストラに完全にマスクされてしまう瞬間が多くあったのは惜しい。この作品の知られざる魅力を発見した、と書けたらいいのだけれど、個人の感想としては(演奏されないのは理由あるんだね)と思わなくもない。
ミューザ川崎シンフォニーホールと比べても仕方がないのだが、ミューザのほとんどの客席がステージより上方にあることの意味を今さら理解させられた気がする。直接音が客席に届くのは、ジャンルによってはいい効果もありそうに思うけれどオーケストラではどうなのか、と感じたところもあった。


続いて演奏された第二番、これは完全にピアニストが積極的に音楽を導いた結果の好演となった。残響が多くない会場で(クロークも大荷物用に制限されていたので、客席には防寒具が聴衆の数だけ入ったことになる)、それでも力のある音楽を聴かせようとよく鳴らしてアンサンブルをリードするクルティシェフ、それにきっちりつける指揮者、特に室内楽的な場面も美しく決めるオーケストラ。場内の熱狂は理解もできる見事な出来だったが、あるお一人の方にはペットボトルを渡しながら「まずは君が落ち着け」と言ってあげたい。この日演奏されたのは原典版ということなのだが、こういう演奏を聴かされると改稿版も聴きたくなる。また機会があればこの曲にもう少し近づいてみたいものだ。

最後に第一番、これはもう誰もがよく知るあの曲、である。そして秋山和慶とこの作品といえば、長く続けられた中村紘子とのニューイヤーコンサートでも何度となく取り上げた曲であるし、そこで共演し続けた東響はそれ以外のコンサートでも数多く演奏してきただろう作品だ(各地でのフレッシュ名曲コンサートの資料とか、怖いから探したくない)。では、そこに登場した14歳は熟達のオーケストラにどんな音楽で応えたか。指揮者とオーケストラが作り上げた蓄積にただ乗るのではなく、オーケストラとの対話を重視するスタイルで、派手なコンサートピースとしてではない、親密なアンサンブルとしてこの曲を示した。
私はおじさんなので(若いんだからもっと暴れてもいいんだよ)と思わなくもないけれど(おい)、これが今の彼女の個性なのだろう。室内楽のように互いに聴きあうソリストとオーケストラが紡ぐ音楽は、よく知る作品を柔らかい響きで、新鮮に聴かせてくれた。奥井紫麻さんの前途に幸あれ。

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さて、ミューザ川崎シンフォニーホールの休館中に、カルッツかわさきで行われる公演としては以下のものが予定されている。

・東京交響楽団 川崎定期演奏会 第69回
・第8回 音楽大学フェスティバル・オーケストラ
・ホールアドバイザー秋山和慶&佐山雅弘企画 オーケストラで楽しむ映画音楽Ⅹ
・ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第146回
・ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第147回


短期間ではあるけれど、このホールでも存分に演奏会を楽しめるように一回ごとに学びたいと考える次第である。皆さまもまずは、この会場をお試しあれ。ではまた。

かってに予告編:東京フィルハーモニー交響楽団 3月定期演奏会&「響きの森クラシックシリーズ」

突然ですが、コンサートのご案内です。

●東京フィルハーモニー交響楽団 3月定期演奏会&「響きの森クラシックシリーズ」

ロシアのマエストロが、得意のロシア・ソヴィエト音楽を東京フィルと演奏する。素直に歓迎したい、この顔合わせならではのプログラミングではあるけれど、そこで取り上げられるのがチャイコフスキーとハチャトゥリアンであること、そして何よりマエストロがミハイル・プレトニョフであることが、私たちを少し考えさせる。前半にチャイコフスキー、後半にハチャトゥリアンと見れば「ロシアとソヴィエト」「作風の違いでコントラストが」などなど、ほとんど自動的に思考が動き始めるだろう。だがここに、定期演奏会とは別のシリーズ、「響きの森クラシックシリーズ」で演奏されるグラズノフ(ヴァイオリン協奏曲)を入れるとどうだろう?


グラズノフの協奏曲、もっと演奏されてもいいと思いますね。

コンサートにバレエにオペラに、映画にテレビにCMにと誰もがその音楽を耳にしてきたチャイコフスキー(1840-93)、独特の民族的なサウンドと強烈なリズムで体制の壁を超えて広く人々を魅了してきたハチャトゥリアン(1903-78)、この二人の間にショスタコーヴィチの師としても知られるアレクサンドル・グラズノフ(1865-1936)を置くことで見えてくるのは、「三世代のロシア・ソヴィエトが誇るメロディメイカー」揃い踏み、ではないだろうか?

一括りに出身地域でまとめてしまったが、旋律美が特徴とは言ってももちろん三人は生きた時代も違えばその個性も明確に異なる。ロシアの伝統を受け継ぎながらも、生前は「西欧派」などと言われてしまったピョートル・イリイチ・チャイコフスキー。「ロシア五人組」の期待を受けた天才として登場し、しかし革命の時代を生きて最期はパリで客死したアレクサンドル・グラズノフ。晩成ながらも、出身地の特色を活かした音楽が多様な形で今も受容され続けているアラム・ハチャトゥリアン。生きた時代を少しだけ重ねたこの三人が伝えてきたロシア音楽のリレーを感じさせ、またそれぞれの個性を際立たせてくれるだろうプレトニョフの手腕に、それに存分に応えるだろう東京フィルと独奏のユーチン・ツェンに期待しよう。


チャイコフスキー国際コンクールのウィナーズコンサートから。これから三年あまり、その成長ぶりにも注目だ。

・3月定期演奏会 | 2018-2019シーズン
3月13日(水)19:00開演 サントリーホール
3月15日(金)19:00開演 東京オペラシティコンサートホール
3月21日(木・祝)15:00開演 Bunkamura オーチャードホール

指揮:ミハイル・プレトニョフ
ヴァイオリン:ユーチン・ツェン (2015年チャイコフスキー国際コンクール ヴァイオリン部門最高位)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

チャイコフスキー:
  スラヴ行進曲 変ロ短調 Op.31
  ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
ハチャトゥリアン:
  バレエ音楽「スパルタクス」より アダージョ
  交響曲第三番 ハ長調 Op.67 「交響詩曲」

・響きの森クラシック・シリーズ Vol. 67
3月23日(土)15:00開演 文京シビックホール

チャイコフスキー:スラヴ行進曲 変ロ短調 Op.31
グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 Op.82
ハチャトゥリアン:
  バレエ音楽「スパルタクス」より アダージョ
  交響曲第三番 「交響詩曲」

*************
…という感じで読み解くのが妥当なポイントだろうし、仮に何か頼まれたら私だってこう書く。たぶん。あとまだ文字数があればあれかな、「スパルタクス」と「2001年宇宙の旅」くらい触れるかな。文脈的に置きにくいか。
ああそうだ、そういう穏当な紹介で十分、と判断するのが普通だ、とわかっているんだ。メインに置かれた曲があの作品でなければ…

あの何から何まで過剰な作品が、11日のあいだに四度も演奏されるこの機会のために、私も少し過剰に書き残しておこうと思う。そう、次回から、アラム・ハチャトゥリアンが革命30周年の記念曲として書き残し、後に交響曲第三番としたあの作品について少し書く。いやいっぱい書く。
あくまでブログ用なので、どこかの作曲家さんを見習って自由に書くので、粗についてはご容赦いただきたい。ではまた。

(追記)完結しましたので以下にリンクを。最後の2つだけ読めば、いちおうはこの作品について読めるようにしました。その〇は読まなくても大丈夫です(おい)。

>その〇
>その一
>その二
>その三

(さらに追記)
おまけも書きました。興味のある方はご覧くださいませ。


これが、”あの何から何まで過剰な曲”です。

2019年3月8日金曜日

「ラトルはロンドンの人になった」と理解した ~又は「BS8K、体験してみた!」

これまた旧聞で申し訳ない。昨年の12月の話。

NHKが放送を開始したBS8K、なんとその音声は22.2chだという。故あって見に行ったNHKスタジオパークの中にそれを体験できる部屋があるのだけれど、これが部屋中随所にスピーカーを仕込んであるという状態で、自分の家がそうなる未来が全く見えない(笑)という悩ましい一品でありまして。
ああこれは無理だわ、と思っていたところで知ったイヴェントがこちら。

●4K・8Kスーパーハイビジョンパーク

渋谷のストリームなるビルで開催された、入場無料の体験イヴェントですね。440インチの画面で8Kが体験できます、あと現在開発中の技術が展示されます、という感じのもの。まあなんですか、そこでアイドルさんやポピュラーのライヴしかやらないなら興味も持たないところなのですが、BS8Kではひそかにこんな番組を放送しているんですよ。それをちゃんとしたスペックで見てみたいなあ聴いてみたいなあ、と思っていた私には見逃せないイヴェントでもありまして、短い会期中でこの番組が見られる日は日曜日のみ、しかし幸いにもそれはサー・サイモン・ラトルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の最後のシーズンの演奏会であると来た。それはねえ、行くしかないんですよ、私としては。

●ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 演奏会

指揮:サー・サイモン・ラトル
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

イェルク・ヴィトマン:火山の踊り
ヴィトルド・ルトスワフスキ:交響曲第三番
ブラームス:交響曲第一番 ハ短調 Op.68

はじめはね、割と好きなブルックナーの交響曲第九番の四楽章版を見せてくれよ、って思わなくもなかったんです。いや今でも見たいし聴きたいけど!それでも曲順に現代から19世紀へと遡るこのプログラム、「ああ、らしいなあ」と思って楽しみにしていましたしある程度以上は満足できたんです。大スクリーン(というかモニターですね)で見るコンサートの精細な映像は、時折違和感があっても(後述)最近目が悪くなってきた私がライヴで見る以上の情報量であるし(けっこう哀しい)、さすがに音声はライヴで聴いたほうがいいけれど(これも後述)迫力ある音楽を楽しめた、と思う。だがしかし、である。やはりこれは彼らの最後のシーズンで、それはいろいろな意味で限界を感じさせるものだった、とは言わなければなるまい。

前半は文句なしに楽しめた。ヴィトマンの新作は、ムーディーな入退場曲で挟まれた、複雑だけれど聴きやすい現代の作品だ。実演で体験してみたく思う、できたらミューザ川崎シンフォニーホールで。
続くルトスワフスキは、近現代以降の作品が視覚的にも楽しめる作品であることを存分に示すもの(チャンス・オペレーションを導入した作品は音だけで聴いても駄目ですね、とも言える)。ラトルの指揮は冴えるし、ベルリン・フィルの全力はよく知らない曲をも最良の形で示してくれるから十分以上に演奏が楽しめた。


もしプログラムがここまでなら私は大満足で帰路につけたと思う。高い機能と表現力を持つオーケストラが、ここまで新しい音楽に積極的に取り組むさまを見られるのは素敵なことだ、それが大好きなラトルの指揮なのだからなおのこと。問題は後半のブラームスだ。レコーディングもあって、来日公演でも演奏されたこの曲で、演奏が悪いなんてことはさすがにない。うん、悪くない。でもこの人たちの演奏が「悪くない」くらいで良いわけがないでしょうが!音自体の説得力が、表現力があればオーケストラ演奏として十全たり得るか?否、なのだ。

何がダメだったか、といえばつまるところコミュニケーションのなさ、につきる。最高のプレイヤーたちはそのプライドゆえなのか伝統を重んじる故なのか、ラトルが示したテンポを完全に無視する場面が何度かあった。こんな場面はさすがに、見たくはなかった。最終年度にロンドンとのかけもちになることで懸念して、つまり予想できていたことではあったけれど。
オーケストラにとってブラームス演奏の伝統がそこまで大事であることは理解する、しかしそれでも、ここまでのディスコミュニケーションを演奏会で、映像で(それも鮮明に!)示されるのはなんとも辛い。ラトルは着任からずっとオーケストラを尊重しながら自分の音楽を実現するため全力を尽くしたと思うが、その微妙な距離感は最終年度になっても変わらなかった。ご祝儀というか餞別になるようなコンサートすら作らないのがベルリンのプライドからなのか、ラトルへの不同意の表明かはわからないけれど、なんとも重たい気分になる演奏でコンサートは終わった。嗚呼、ラトルのベルリン時代は終わったのだ、そう、したたかに理解させられた思いである。これが録音だけなら何も感じず、(ちょっとアンサンブルゆるめだな)くらいで終わっていたかもしれないことを思うと、なんとも複雑な気持ちになる。まあ、(信頼できない語り手による証言ではあるが)クリムトの真似をしてこう言っておくしかないのだろう、「終わった!」と。

さて、8Kの映像はその大画面と精細さで視聴者を没入させる、というのが売りのようだけれど、コンサート映像を楽しむには少々諸刃にも思えた。集中してコンサートを体験しているとき、聴き手は耳も目もフルに駆使して楽しんでいる、だから聴き手は音に反応して指揮者を、奏者を見る。また聴き手が知っている曲ならば、これから来る聴かせどころを演奏者がどう演奏するか期待を込めて先回りして見ていたりするものだ。だが収録された映像では、カメラマンが収めたもの、ディレクターが示そうとしたポイントが映されるから、そこで視聴者はライヴならではの見方はできない。画面に没入できるからこそ、そうした「コンサートでは自然にできること」とのズレが気にかかるところがあった。
そして22.2chの音声だが、これは当然だけれど正面からの音が強いものでサラウンド性がよくわからない(おい)。いや拍手の際の囲まれ感はかなりのものでしたけどね。だが一番の問題は、収録の段階でより緻密な音が録れなかったものか、ということだ。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を何度か体験した印象だけれど、このオーケストラの音はどれだけのフォルテッシモでも細部が潰れない驚異のアンサンブルが魅力だと私は考えている。それは作品がシュトラウスでもマーラーでも、ブラームスでもそうだった。だがこの日聴けた音は、残念ながらフォルテッシモで音が平面的になってしまい、直接音が強いトランペットやティンパニに支配されてしまうものだった。これがフィルハーモニーの音なんですよ、と言われたらそれまでではあるけれど、私がミューザとサントリーで聴けたのはもっといい音だった。
ただ、これがテクノロジーとしての22.2chの問題か、録音の問題か会場のハードウェアの問題かは即断できないのでここまで。映像、音声のどちらも高い能力、そして活用の可能性は感じたけれど、それ故の悩ましさも生じるものだというのが一度経験しての8Kの感想である。

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さて、こんなふうにラトルのベルリン時代の総括をした私は、その足でついタワーレコードに向かってしまい、そこでこんなものを買ってしまった。安かったし。


この日は「レコードアカデミー賞おめでとう」キャンペーンはまだ始まっていなくて、しかし以前のセール価格で置かれていたこの一枚。いや三枚組だけど。
ベルリン・フィルと同様に、自身のレーベルでのソフト販売やネット配信に力を入れるロンドン響との仕事は、すでにYouTubeやCD、DVD・Blu-rayで披露されているし、なにより昨年来日してますわね。貧民だから行けませんでしたけど。そのコンサートの映像を見ていたから、余計にこの日見た指揮者とオーケストラとのズレは衝撃的に厳しいものに感じられたのですね。そのへんの話は、あとで録画をチェックしてから少し書きます。

ともあれ。これで私も一つの踏ん切りがつけられまして、ようやくラトルのロンドン響時代を始められました。そんなわけでこの記事のタイトルがこうなったわけでした。どんとはらい。

表現力の限界に挑み、勝利した ~東京フィルハーモニー交響楽団 第914回サントリー定期シリーズ

いささか旧聞にしてしまった遅筆を恥じつつ、早速本題に入ります。

●東京フィルハーモニー交響楽団 第914回サントリー定期シリーズ

指揮:アンドレア・バッティストーニ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

デュカス:交響詩『魔法使いの弟子』
ザンドナーイ:『白雪姫』
リムスキー=コルサコフ:交響組曲『シェエラザード』

最初に演奏された「魔法使いの弟子」だが、もしかすると、2019年最初の定期演奏会、その最初の曲ということでさすがのバッティと東京フィルにも手探りの部分があったかもしれない。序盤、管楽器のソロがうまく届いてこないあたりにどうにも引っかかる(このホールにときどき感じることではあるので、問題は会場の音響面であるようにも思う)。
そんな引っかかりがあったとはいえ、音楽が進むに連れてじわじわと魔法が暴走(ファンタジー系の深夜アニメみたいな言い方)していくさまは、某ネズミさんよりもどこかチャップリンが「モダン・タイムズ」で描いたテクノフォビアにも届く射程があるように思えてくる(ゲーテにはその視点、視野があると思う)。バッティストーニが採用した「速めのテンポを指示のないところでは緩めない」アプローチが、そんな感触をもたらしたのかもしれない。また、そのインテンポでの進行を優先させた演奏は高まり続ける緊張感を生むのみならず、リズムの愉しさを存分に示すものだ。その語りに「この曲はたしかに交響的ではあるけれど、何よりスケルツォなんですよ」と言われたように思う。そして彼らしい美しいピアノの透明感には1897年の作品らしい、繊細なサウンドの妙を堪能できた。
ソリストでは、やはり大活躍するファゴットセクションを挙げるべきだろうけれど、バッティストーニが起立させたグロッケンシュピールの活躍にも大きい拍手を贈りたい。昨年の私の”復帰戦”となったヴィオッティとの演奏会で、ドビュッシーで無双されていたのと同じ方であったろうか(プレイヤー各位のお名前チェックに無頓着ですみません。なお、無双は大げさに言っているのではありません)。

さて続いては、会場のほとんどの人が初めて聴いたザンドナーイの「白雪姫」。この曲、いまやどんな曲でも見つけられそうに思える某チューブでさえ断片すら見つけられないという、今どき珍しい「秘曲」なのだ。こうした作品を取り上げる際のバッティストーニの真摯なアプローチには、いつも感心させられる。自身作曲をするからこその自然なリスペクトなのかもしれないが、過去にレスピーギ、ロータ、そしてザンドナーイの作品に示してきた献身は、この日も存分に発揮された。
さてそんな秘曲ザンドナーイの「白雪姫(Biancaneve)」は、松本學氏の解説によれば、1939年に「管弦楽のためのあるお伽噺の印象」として作曲されたというバレエ音楽にもとづいた、五曲からなる組曲だ。冒頭第一曲はクラリネットが白雪姫の歌をライトモティーフ的に提示したあとはストーリーを追えるように作られている。森で迷う白雪姫は小人たちの家にたどり着く、しかしリンゴで命を落とす姫を悼む鐘、そこに王子が駆けつけて大団円へ、とご存知のストーリーが展開されるわけだ。だが某1937年制作のアニメ映画(というかそのチャーチル、ハーライン、スミスによる音楽)とは違い、ノンシュガーで甘くない音楽なので聴いて感じる印象はかなり違い、バレエ音楽として作られたこの作品は、大人向けのファンタジーだった。
演奏は、エピソードをそのまま描くスタイルで聴きやすい、プロコフィエフやマルティヌー、コダーイと同様のお話に寄り添った音楽を書いた作曲家が20世紀の半ばのイタリアにもいたと示したと言えるだろう。問題は唯ひとつ、この経験を深める術がないことである。もしかして、もう何作か取り上げたあとに録音するのだろうか、バッティストーニ。そんな日が来ることを期待させる演奏が「ジュリエッタとロメオ」に続いて行われたことを素直に喜びたい。

さてメインのリムスキー=コルサコフの代表作。スコアをざっと読めば、「二管編成のオーケストラでできること、全部やってみた!」(何チューバーだ)みたいな曲であることがすぐにわかる。それを読み込んだバッティストーニと東京フィルは、その要求をこなした上で「俺たちならここまでできますよ!」と、ある種のオーケストラのための協奏曲として演奏してくれた。もちろん、このコンビネーションがドラマ的な側面をないがしろにするわけもなく…ということで、演奏の細部まで踏み込んで書く。

この日は16型の大編成だったのだけれど、個人的には(二管編成には大きすぎないかな…)なんて思っていたのだ。だがしかし、休憩明けてメンバーが入場してきた最後に登場したテューバが、ザンドナーイのそれとは違う大きめの楽器(B♭管かC管)だったところで(ああそういうことですか)と心の中で膝を打った。シャハリヤール王の威圧的な主題を大きく示すとか、あそこであれで、ここで…なんて思いを巡らす前に巨大な音塊がホールを満たす。そう、そういうことですよ。
第一楽章はテンポの揺らし方や明確に特徴的な強弱があっても、それでもきっちりした「普通に良い演奏」だったと思う。それが変わったのは、アタッカで始められた第二楽章の、ヴァイオリンとハープの対話が終わってファゴットが歌い始めたときのことだった。いわゆる楽譜どおりの、譜割を大事にした演奏とは対極的な、伸縮自在のソロが彼女から始まったのだ。ソリストをじっと見据えて、小さく指示を出すバッティストーニはまるでオケピットの中で歌手に指示を出す時のよう、それに応えたソリストはやりすぎを恐れないというより「表現しないで埋没すること」を恐れてでもいるかのように、登場するソロの面々がそれぞれグイグイと前に出てくる。そんな積極的な表現が聴かれた第二楽章以降、この作品のドラマ性がどんどんと強調されて、私たちも王と同じようにシェエラザードの語りにどんどんと引き込まれていくことになるのだ。嗚呼各楽器のソリストたちは姫の声色だったのか、なんて思わされながら聴けばこの曲の繰り返しの多さも気にならない、どころか納得なのである。
音楽的に作曲者が示した多彩なサウンド的要求をこなした上でドラマを示す、そんな多面的なアプローチが成功していたからだろう、この日の演奏はこの曲をよーく知っている、何度も聴いた人にさえ何度となく新鮮に響いたはずだ。ちょっとした強弱やバランス、テンポの推移やオーケストレーションの明示、などなど…だが、先ほども書いたようにこれらは楽譜から読み出されたものだ。私はこういうアプローチを”楽譜通り”と呼ぶことに抵抗を感じない。この、オーケストラが持つ可能性を存分に示したこの演奏は、音によるドラマでありながら”オーケストラのための協奏曲”として響いた。
この作品に関しては、私は長年に渡ってキリル・コンドラシンがコンセルトヘボウ管を指揮した、引き締まった直線的な演奏を好んできたが、それとはまったく違う方向のこの日の演奏もまたひとつの”正解”として受け取った。幸いなことである。
*なお、一部に楽譜の改変があったことは、さすがに「楽譜通り」とは言いませんよ、ええ。一楽章のトロンボーン&テューバのクレッシェンド、三楽章終わりのオクターヴ上げなどなど。演奏の伝統の中でそういうアプローチが果たしてきた意味を軽視するものではありませんが。関係あるようなないような話は後述。

こと演奏そのものについて書き残すべきは、やはりソリスト各位の活躍ということになるだろう。とはいえ”合奏協奏曲”であってみれば、ほとんどの首席奏者にあらためて喝采を送らなければならなくなるのだが、見事な演奏への感謝として順にあげていこう。
もちろん、はじめに挙げるべきは三浦彰宏コンサートマスターである。シェエラザード姫の語りの地の文であり、暴虐で知られる王を籠絡する手練手管であり、なによりヴァイオリンの技工の粋を集めた長大なソロの連続であるこの作品で求められる役割を、期待以上の水準で音にしてくれた。そして「魔法使いの弟子」でも活躍した木管セクションの即興スレスレにまで攻めたソロの連続は、この作品を”おなじみのアレ”扱いさせない、強い表現力と集中力があった。…フルートのソロが抑え気味だったように思えるのは、上述した語り手である姫の声色が収まるところがソプラノの、フルートとヴァイオリンの音域だからなんだと理解していますよ。奔放なまでに攻めまくる若手たちの演奏を受けてまとめる意図もあったかもしれませんけど(笑)。
セカンド・トロンボーンが活躍することで知られるこの曲で、そのソロに合いの手を入れた場面ほかでのトランペットの技術的精度には心底感心した。この曲ではあまり言及されないポイントかもしれないが、この曲の速いタンギング要求はなかなかのもので(スネアドラムがトランペットセクションの横にいたのは偶然ではない)、それをセクションで合わせるのは数多くの録音でも失敗しているのである。この日の演奏ではそんなことはなく、安心して楽しませていただけた。
管弦が標準的な二管編成なのだが、打楽器は多彩に用いられている。前二曲でも活躍した各位の仕事にも拍手を、そしてヴァイオリンに寄り添ったハープに最後に拍手を。ここでは挙げられなかった各位も含めて、アンサンブルのすべての皆様の力で、合奏協奏曲としての「シェエラザード」が成立したのだと感じている。

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そしてこれは雑感に類いする話。
バッティストーニの演奏からは、その作品が後世に与えた影響が聴こえてくる瞬間があって、その作品だけに完結しない視野をもって演奏しているんだな、ということが感じられることが多い。以前聴いた「春の祭典」の絶妙なバランスからは、初めて「あっここはそのままブラスロックなのか」と思えた瞬間があったのはご記憶の方もいらっしゃるのではないか(いや、そう感じなかった方も多いとは思いますが)。
ザンドナーイの作品から同時代の作曲家たちを想起したこともそうだけれど、この日の「シェエラザード」もいくつもの(作曲当時の)未来へ与えた影響を感じて、実に興味深く思った次第だ。たとえば第三楽章からはラフマニノフの旋律美が(ポルタメント気味に弾かせたのは意図的だろう)、第四楽章からは「火の鳥」、「ペトルーシュカ」のストラヴィンスキーが聴こえる瞬間があった。海の描写はドビュッシーを思わせて、とリムスキー=コルサコフという、ロシアの巨人の存在感を今更に感じ取った次第である。作品の持つ可能性を、時代の相に置いて捉え直すバッティストーニの知性に拍手を贈りたいと思う私である。

さてそんな彼が編んだこのプログラム。配布されたパンフレットに掲載された松本氏の解説では”文学に基づく交響詩”として、音楽による物語プログラムという側面を強調していた。いや、その着眼が妥当だしまっとうなのですが、個人的には第三楽章の、現代では甘すぎるかもしれない旋律の歌わせ方に、「もしかして、ストコフスキーへのリスペクトが裏テーマなのでは?」なんて勘ぐってしまった。
ザンドナーイの作品について書いたとおり、バッティストーニはとても誠実に作品と向き合うのだが、その一方で20世紀の巨匠たちへのリスペクトも隠さないところがある(彼の著作参照。面白いですよ)。冒頭に置かれた「魔法使いの弟子」はもちろん映画「ファンタジア」を想起させるけれど、そこから導き出すべきは演奏を担当したストコフスキーの存在だったのでは?「シェエラザード」も彼の得意曲だったのだし……なーんて、あえて邪推してみました。もしこの勘ぐりに理があると思われた方、もはやパブリックドメインの彼の演奏を聴いて検証してみてくださいませ、ザンドナーイ作品以外はどこにでもありますから(自分でやりなさい)。おあとがよろしいようで。

2019年3月1日金曜日

これが私にはニューイヤーコンサート、でした ~モーツァルト・マチネ 第36回

壮絶な「レクイエム」から何時間が経ったのか、この日私はまたミューザ川崎シンフォニーホールにいた。…なぜか、ってそれは休館前にちゃんとこのホールで音楽を堪能したかったからですね、はい。
そんなわけで、このホールの名物企画のひとつ、「モーツァルト・マチネ」に行きました。実は初めて。…長いこと朝起きられない系男子だったもので。すみません。本当にごめんなさい。

●モーツァルト・マチネ 第36回

ピアノ:小菅優(弾き振り)
管弦楽:東京交響楽団

モーツァルト:ピアノ協奏曲
  第八番 ハ長調 K. 246
  第二一番 ハ長調 K. 467

午前11時から演奏会、というのは率直に申し上げて想像を絶することなのだけれど(おい)、来場してみてこの日も水谷晃コンマスが登場すると知ったときの驚きたるや。昨日はあの巨大な編成をリードしてたじゃあありませんか。演奏者の会場入りはもっと早いのだろうことを考えると、なんというかどうしてそんなことが可能なのかな…いや、それはプロのプロたる所以なのでありましょう(答:私じゃないから、かな)。
気を取り直して。編成は対向配置の6型、ピアノは一般的な協奏曲配置ではなく弦セクションの中心に鼻を突き入れる格好、これは弾き振りのためのコミュニケーション重視型ですね。モダンピアノにあわせてティンパニもケトルドラムではなく現代の楽器(もしかするとペダルではなくハンドル式だったかも)、後半に登場したトランペット(ひそかにポイント)もナチュラル管ではなくロータリー。

前半の第八番は「リュッツォウ」なる愛称があるそうだけれど、私はこれまであまり聴いてこなかった作品。弦セクションにオーボエ、ホルンがそれぞれ二人入るだけの、如何にもなザルツブルク時代の編成とすぐに見て取れる。ここで聴かれるサウンドに、後半との対比が…って先走りはやめましょう。
より遊戯的な作風のこの曲では、奏者同士の対話が随所で活発に展開された。モーツァルトの場合、ザルツブルク時代でももうオーボエとヴァイオリンは別の動きをするように書かれていて、古典派以前の音楽とは明確に線が引かれていることがわかる。この演奏ではピアニスト(指揮)、コンサートマスター、そしてオーボイストの三人が全体の“対話”をリードする格好になった。

後半は第二一番。ウィーン時代に書かれた協奏曲は、フルート1、オーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット2にティンパニを加えた、古典派のほぼ完成形のオーケストラ。…それでも一本しか用いられないフルートに、「二本のフルートは」どうの、なんてモーツァルトの悪口を思い出してちょっと笑っているうちに演奏は始まる。
行進曲風に始められる第一音ですでにああ、「コジ・ファン・トゥッテ」や交響曲第四一番に近い時期の作品なんだなあ、と感じさせられる充実したサウンドで演奏は始まった(この二曲と調号同じなので)。アンサンブルをリードするのは前半同様に三人だけれど、ティンパニが外枠を固める(と言っても柔らかいサウンドで、繊細に)ので充実感がとても高い。モーツァルトの音楽の、他の古典派の天才たちとは異なる種類の繊細さと、ほぼ仕上がった古典派オーケストラの充実を楽しんだ。

今回が二度目の弾きぶりとなった小菅優は、演奏の楽しみを存分に楽しみつつ演奏をうまくリードしていたと思う。バーンスタインやプレヴィンのような、指揮者の弾き振りではない、演奏家の弾き振りの楽しさを示してくれたと言えるだろう。この二回の公演で終わらない、今後の展開を期待したい。
オーケストラについては、個人的には低音楽器の経験者としてファゴットの充実を称賛したい。これまた昨日に続いての登場だった首席の福士マリ子が、時折聴かせどころで示した存在感は、実に見事なもの。オーケストレーションの上で、ヴァイオリンとオーボエのカップリングが弱まったのと同じように、通奏低音としてひとまとまりだったファゴットと低弦の結びつきも弱まって、結果独立した役割を与えられるようになった時期なのだなあ、と理解させられる存在感だった。
とはいえ充実していたのはもちろんファゴットだけではない、昼前にミューザの明るいステージで奏でられる東京交響楽団のモーツァルトの美しさは絶品、これは好シリーズであるよ、と何年目かになってようやく理解した私でありました。

そうだ。ミューザ川崎シンフォニーホールにおかれましては、いっそモーツァルトの時代のスタイルの、多様な編成が混在するニューイヤーコンサートでも開催してみてはいかがでしょうか。もちろんメインは東京交響楽団なのだけれど、室内楽ありピアノあり声楽ありで、最後のお決まりは「フィガロの結婚」か「魔笛」のフィナーレで、みたいな。それだと年が終わっちゃいますかね…まあいいか、言うだけならタダなので申し上げてみました(笑)。

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それにしても、である。連休ということもあって私同様にヴィオッティとの「レクイエム」、そしてモーツァルト・マチネと連日休館前のミューザ川崎シンフォニーホールに通った人も少なくないだろうと思うけれど、この落差たるや。「レクイエム」については別の記事を参照いただくとして、この日の丁々発止の室内楽的なモーツァルトの幸福感はもう、極楽気分である。
…まあなんですか、ついさっきまで日本のTV番組最大の赤白エンタテインメントショウを放送していたのに、年が明けたら別の放送波で「映像の世紀プレミアム」を連続で放送して、さらにその夜には維納の新年演奏会を放送する我らが公共放送様のようなものだと思えば、アリなんですかね、これも。落差もまた楽しからずや。如何。

最後にもうひとつだけ。これはもう、尊敬を通り越してしまうのだけれど、このコンサートのあとの水谷コンサートマスターのツイートをご覧ください。…人間って、すごいことができるんだね(おい)。


新国立劇場「タンホイザー」も無事終演したことをお祝い申し上げて(側聞ですけど)、この記事はおしまい。ではまた。