2019年3月1日金曜日

これが私にはニューイヤーコンサート、でした ~モーツァルト・マチネ 第36回

壮絶な「レクイエム」から何時間が経ったのか、この日私はまたミューザ川崎シンフォニーホールにいた。…なぜか、ってそれは休館前にちゃんとこのホールで音楽を堪能したかったからですね、はい。
そんなわけで、このホールの名物企画のひとつ、「モーツァルト・マチネ」に行きました。実は初めて。…長いこと朝起きられない系男子だったもので。すみません。本当にごめんなさい。

●モーツァルト・マチネ 第36回

ピアノ:小菅優(弾き振り)
管弦楽:東京交響楽団

モーツァルト:ピアノ協奏曲
  第八番 ハ長調 K. 246
  第二一番 ハ長調 K. 467

午前11時から演奏会、というのは率直に申し上げて想像を絶することなのだけれど(おい)、来場してみてこの日も水谷晃コンマスが登場すると知ったときの驚きたるや。昨日はあの巨大な編成をリードしてたじゃあありませんか。演奏者の会場入りはもっと早いのだろうことを考えると、なんというかどうしてそんなことが可能なのかな…いや、それはプロのプロたる所以なのでありましょう(答:私じゃないから、かな)。
気を取り直して。編成は対向配置の6型、ピアノは一般的な協奏曲配置ではなく弦セクションの中心に鼻を突き入れる格好、これは弾き振りのためのコミュニケーション重視型ですね。モダンピアノにあわせてティンパニもケトルドラムではなく現代の楽器(もしかするとペダルではなくハンドル式だったかも)、後半に登場したトランペット(ひそかにポイント)もナチュラル管ではなくロータリー。

前半の第八番は「リュッツォウ」なる愛称があるそうだけれど、私はこれまであまり聴いてこなかった作品。弦セクションにオーボエ、ホルンがそれぞれ二人入るだけの、如何にもなザルツブルク時代の編成とすぐに見て取れる。ここで聴かれるサウンドに、後半との対比が…って先走りはやめましょう。
より遊戯的な作風のこの曲では、奏者同士の対話が随所で活発に展開された。モーツァルトの場合、ザルツブルク時代でももうオーボエとヴァイオリンは別の動きをするように書かれていて、古典派以前の音楽とは明確に線が引かれていることがわかる。この演奏ではピアニスト(指揮)、コンサートマスター、そしてオーボイストの三人が全体の“対話”をリードする格好になった。

後半は第二一番。ウィーン時代に書かれた協奏曲は、フルート1、オーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット2にティンパニを加えた、古典派のほぼ完成形のオーケストラ。…それでも一本しか用いられないフルートに、「二本のフルートは」どうの、なんてモーツァルトの悪口を思い出してちょっと笑っているうちに演奏は始まる。
行進曲風に始められる第一音ですでにああ、「コジ・ファン・トゥッテ」や交響曲第四一番に近い時期の作品なんだなあ、と感じさせられる充実したサウンドで演奏は始まった(この二曲と調号同じなので)。アンサンブルをリードするのは前半同様に三人だけれど、ティンパニが外枠を固める(と言っても柔らかいサウンドで、繊細に)ので充実感がとても高い。モーツァルトの音楽の、他の古典派の天才たちとは異なる種類の繊細さと、ほぼ仕上がった古典派オーケストラの充実を楽しんだ。

今回が二度目の弾きぶりとなった小菅優は、演奏の楽しみを存分に楽しみつつ演奏をうまくリードしていたと思う。バーンスタインやプレヴィンのような、指揮者の弾き振りではない、演奏家の弾き振りの楽しさを示してくれたと言えるだろう。この二回の公演で終わらない、今後の展開を期待したい。
オーケストラについては、個人的には低音楽器の経験者としてファゴットの充実を称賛したい。これまた昨日に続いての登場だった首席の福士マリ子が、時折聴かせどころで示した存在感は、実に見事なもの。オーケストレーションの上で、ヴァイオリンとオーボエのカップリングが弱まったのと同じように、通奏低音としてひとまとまりだったファゴットと低弦の結びつきも弱まって、結果独立した役割を与えられるようになった時期なのだなあ、と理解させられる存在感だった。
とはいえ充実していたのはもちろんファゴットだけではない、昼前にミューザの明るいステージで奏でられる東京交響楽団のモーツァルトの美しさは絶品、これは好シリーズであるよ、と何年目かになってようやく理解した私でありました。

そうだ。ミューザ川崎シンフォニーホールにおかれましては、いっそモーツァルトの時代のスタイルの、多様な編成が混在するニューイヤーコンサートでも開催してみてはいかがでしょうか。もちろんメインは東京交響楽団なのだけれど、室内楽ありピアノあり声楽ありで、最後のお決まりは「フィガロの結婚」か「魔笛」のフィナーレで、みたいな。それだと年が終わっちゃいますかね…まあいいか、言うだけならタダなので申し上げてみました(笑)。

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それにしても、である。連休ということもあって私同様にヴィオッティとの「レクイエム」、そしてモーツァルト・マチネと連日休館前のミューザ川崎シンフォニーホールに通った人も少なくないだろうと思うけれど、この落差たるや。「レクイエム」については別の記事を参照いただくとして、この日の丁々発止の室内楽的なモーツァルトの幸福感はもう、極楽気分である。
…まあなんですか、ついさっきまで日本のTV番組最大の赤白エンタテインメントショウを放送していたのに、年が明けたら別の放送波で「映像の世紀プレミアム」を連続で放送して、さらにその夜には維納の新年演奏会を放送する我らが公共放送様のようなものだと思えば、アリなんですかね、これも。落差もまた楽しからずや。如何。

最後にもうひとつだけ。これはもう、尊敬を通り越してしまうのだけれど、このコンサートのあとの水谷コンサートマスターのツイートをご覧ください。…人間って、すごいことができるんだね(おい)。


新国立劇場「タンホイザー」も無事終演したことをお祝い申し上げて(側聞ですけど)、この記事はおしまい。ではまた。

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