2019年3月8日金曜日

「ラトルはロンドンの人になった」と理解した ~又は「BS8K、体験してみた!」

これまた旧聞で申し訳ない。昨年の12月の話。

NHKが放送を開始したBS8K、なんとその音声は22.2chだという。故あって見に行ったNHKスタジオパークの中にそれを体験できる部屋があるのだけれど、これが部屋中随所にスピーカーを仕込んであるという状態で、自分の家がそうなる未来が全く見えない(笑)という悩ましい一品でありまして。
ああこれは無理だわ、と思っていたところで知ったイヴェントがこちら。

●4K・8Kスーパーハイビジョンパーク

渋谷のストリームなるビルで開催された、入場無料の体験イヴェントですね。440インチの画面で8Kが体験できます、あと現在開発中の技術が展示されます、という感じのもの。まあなんですか、そこでアイドルさんやポピュラーのライヴしかやらないなら興味も持たないところなのですが、BS8Kではひそかにこんな番組を放送しているんですよ。それをちゃんとしたスペックで見てみたいなあ聴いてみたいなあ、と思っていた私には見逃せないイヴェントでもありまして、短い会期中でこの番組が見られる日は日曜日のみ、しかし幸いにもそれはサー・サイモン・ラトルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の最後のシーズンの演奏会であると来た。それはねえ、行くしかないんですよ、私としては。

●ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 演奏会

指揮:サー・サイモン・ラトル
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

イェルク・ヴィトマン:火山の踊り
ヴィトルド・ルトスワフスキ:交響曲第三番
ブラームス:交響曲第一番 ハ短調 Op.68

はじめはね、割と好きなブルックナーの交響曲第九番の四楽章版を見せてくれよ、って思わなくもなかったんです。いや今でも見たいし聴きたいけど!それでも曲順に現代から19世紀へと遡るこのプログラム、「ああ、らしいなあ」と思って楽しみにしていましたしある程度以上は満足できたんです。大スクリーン(というかモニターですね)で見るコンサートの精細な映像は、時折違和感があっても(後述)最近目が悪くなってきた私がライヴで見る以上の情報量であるし(けっこう哀しい)、さすがに音声はライヴで聴いたほうがいいけれど(これも後述)迫力ある音楽を楽しめた、と思う。だがしかし、である。やはりこれは彼らの最後のシーズンで、それはいろいろな意味で限界を感じさせるものだった、とは言わなければなるまい。

前半は文句なしに楽しめた。ヴィトマンの新作は、ムーディーな入退場曲で挟まれた、複雑だけれど聴きやすい現代の作品だ。実演で体験してみたく思う、できたらミューザ川崎シンフォニーホールで。
続くルトスワフスキは、近現代以降の作品が視覚的にも楽しめる作品であることを存分に示すもの(チャンス・オペレーションを導入した作品は音だけで聴いても駄目ですね、とも言える)。ラトルの指揮は冴えるし、ベルリン・フィルの全力はよく知らない曲をも最良の形で示してくれるから十分以上に演奏が楽しめた。


もしプログラムがここまでなら私は大満足で帰路につけたと思う。高い機能と表現力を持つオーケストラが、ここまで新しい音楽に積極的に取り組むさまを見られるのは素敵なことだ、それが大好きなラトルの指揮なのだからなおのこと。問題は後半のブラームスだ。レコーディングもあって、来日公演でも演奏されたこの曲で、演奏が悪いなんてことはさすがにない。うん、悪くない。でもこの人たちの演奏が「悪くない」くらいで良いわけがないでしょうが!音自体の説得力が、表現力があればオーケストラ演奏として十全たり得るか?否、なのだ。

何がダメだったか、といえばつまるところコミュニケーションのなさ、につきる。最高のプレイヤーたちはそのプライドゆえなのか伝統を重んじる故なのか、ラトルが示したテンポを完全に無視する場面が何度かあった。こんな場面はさすがに、見たくはなかった。最終年度にロンドンとのかけもちになることで懸念して、つまり予想できていたことではあったけれど。
オーケストラにとってブラームス演奏の伝統がそこまで大事であることは理解する、しかしそれでも、ここまでのディスコミュニケーションを演奏会で、映像で(それも鮮明に!)示されるのはなんとも辛い。ラトルは着任からずっとオーケストラを尊重しながら自分の音楽を実現するため全力を尽くしたと思うが、その微妙な距離感は最終年度になっても変わらなかった。ご祝儀というか餞別になるようなコンサートすら作らないのがベルリンのプライドからなのか、ラトルへの不同意の表明かはわからないけれど、なんとも重たい気分になる演奏でコンサートは終わった。嗚呼、ラトルのベルリン時代は終わったのだ、そう、したたかに理解させられた思いである。これが録音だけなら何も感じず、(ちょっとアンサンブルゆるめだな)くらいで終わっていたかもしれないことを思うと、なんとも複雑な気持ちになる。まあ、(信頼できない語り手による証言ではあるが)クリムトの真似をしてこう言っておくしかないのだろう、「終わった!」と。

さて、8Kの映像はその大画面と精細さで視聴者を没入させる、というのが売りのようだけれど、コンサート映像を楽しむには少々諸刃にも思えた。集中してコンサートを体験しているとき、聴き手は耳も目もフルに駆使して楽しんでいる、だから聴き手は音に反応して指揮者を、奏者を見る。また聴き手が知っている曲ならば、これから来る聴かせどころを演奏者がどう演奏するか期待を込めて先回りして見ていたりするものだ。だが収録された映像では、カメラマンが収めたもの、ディレクターが示そうとしたポイントが映されるから、そこで視聴者はライヴならではの見方はできない。画面に没入できるからこそ、そうした「コンサートでは自然にできること」とのズレが気にかかるところがあった。
そして22.2chの音声だが、これは当然だけれど正面からの音が強いものでサラウンド性がよくわからない(おい)。いや拍手の際の囲まれ感はかなりのものでしたけどね。だが一番の問題は、収録の段階でより緻密な音が録れなかったものか、ということだ。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を何度か体験した印象だけれど、このオーケストラの音はどれだけのフォルテッシモでも細部が潰れない驚異のアンサンブルが魅力だと私は考えている。それは作品がシュトラウスでもマーラーでも、ブラームスでもそうだった。だがこの日聴けた音は、残念ながらフォルテッシモで音が平面的になってしまい、直接音が強いトランペットやティンパニに支配されてしまうものだった。これがフィルハーモニーの音なんですよ、と言われたらそれまでではあるけれど、私がミューザとサントリーで聴けたのはもっといい音だった。
ただ、これがテクノロジーとしての22.2chの問題か、録音の問題か会場のハードウェアの問題かは即断できないのでここまで。映像、音声のどちらも高い能力、そして活用の可能性は感じたけれど、それ故の悩ましさも生じるものだというのが一度経験しての8Kの感想である。

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さて、こんなふうにラトルのベルリン時代の総括をした私は、その足でついタワーレコードに向かってしまい、そこでこんなものを買ってしまった。安かったし。


この日は「レコードアカデミー賞おめでとう」キャンペーンはまだ始まっていなくて、しかし以前のセール価格で置かれていたこの一枚。いや三枚組だけど。
ベルリン・フィルと同様に、自身のレーベルでのソフト販売やネット配信に力を入れるロンドン響との仕事は、すでにYouTubeやCD、DVD・Blu-rayで披露されているし、なにより昨年来日してますわね。貧民だから行けませんでしたけど。そのコンサートの映像を見ていたから、余計にこの日見た指揮者とオーケストラとのズレは衝撃的に厳しいものに感じられたのですね。そのへんの話は、あとで録画をチェックしてから少し書きます。

ともあれ。これで私も一つの踏ん切りがつけられまして、ようやくラトルのロンドン響時代を始められました。そんなわけでこの記事のタイトルがこうなったわけでした。どんとはらい。

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