2016年9月27日火曜日

読みました:岡田暁生「メロドラマ・オペラのヒロインたち」

こんにちは。千葉です。

さて簡単に読み終わった本のご紹介。

◆「メロドラマ・オペラのヒロインたち」 岡田暁生

「オペラの運命」「西洋音楽史」など、クラシック界では異例のベストセラーを放ってきた(中略)著者の最新作(リンク先より引用。そうだったのか)、なかなかよかったです。

”そもそもオペラはいわゆるクラシック音楽より芸能に近い”とする著者が、15のオペラと3の映画を、主にヒロインについての語りで作品を読み解く、月刊誌「本の窓」の連載記事をまとめたものです。作品を一覧で書き出せばこんな感じ。

ヴィンチェンツォ・ベッリーニ 『ノルマ』
ジュゼッペ・ヴェルディ 『ラ・トラヴィアータ』
ジュゼッペ・ヴェルディ 『イル・トロヴァトーレ』
ジュゼッペ・ヴェルディ 『アイーダ』
リヒャルト・ワーグナー 『ニーベルングの指環』
リヒャルト・ワーグナー 『トリスタンとイゾルデ』
ジャック・オッフェンバッハ 『ホフマン物語』
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 『エフゲニー・オネーギン』
ヨハン・シュトラウス2世 喜歌劇『こうもり』
ジャコモ・プッチーニ 『トスカ』
ジャコモ・プッチーニ 『トゥーランドット』
W.A.モーツァルト 『コジ・ファン・トゥッテ』
リヒャルト・シュトラウス 『ばらの騎士』
リヒャルト・シュトラウス 『アラベラ』
エーリッヒ・ヴォルフガング・コルンコルド 『死の都』
デヴィッド・リーン 『逢びき』
ヴィクター・フレミング 『風と共に去りぬ』
フランシス・F・コッポラ 『ゴッドファーザー』

19世紀の作品が多いのは本書のテーマであるメロドラマの定義からも自然なことですが、その点に引っかかられたあなたは本書を読むべきです。「どうして映画がオペラと並べて論じられているの?」と感じたあなたにも。
リンク先でも端折った説明は読めますが、第一話で詳しく定義の検討をしていますので時間のない方はまずそこだけでも立ち読みされてもいいかもです。

簡単に、と言ってしまった以上ここでやめますね(笑)、読んで損はしませんよ。ということで。ではまた。

2016年9月7日水曜日

ロレンツォ・ヴィオッティ見事なり

こんにちは。千葉です。

いろいろと他の作業や仕事の兼ね合いもあってベートーヴェンが聴きたい!それも”今の”やつを!という状態に陥り、1990年生まれの若いマエストロの演奏会に行ったんだ。まだ彼が指揮する公演があるので、これは早めに記事にしておきますね。

今回東京交響楽団に登場したロレンツォ・ヴィオッティは早逝した父の跡を継いだ、ということもないのだろうけれど若干26歳にしてポストに就任、各地でオペラを指揮している注目の指揮者、つい先日もヴェルビエ・フェスティヴァルに登場している。その動画はmediciで配信されていたので気になって観てみた。
で、その感想はといえば「自分がその年齢だった頃にどんなだったか、なんて考えたら首でもくくらないといけないレヴェルで堂々とした指揮者ぶり」というもの、さてでは実演は如何に?という、ちょっとしたお手並み拝見気分がなくはない。というか、今年の東京交響楽団ではそういう目利き気分が味わえる、有望な若手の登場が多かったっすね。(さりげなく来シーズンの話に誘導←と書くことで台なし)

◆東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ第93回

2016年9月3日(土) 14時開演 東京オペラシティ コンサートホール

指揮:ロレンツォ・ヴィオッティ
管弦楽:東京交響楽団

曲目

ベートーヴェン:交響曲第四番 変ロ長調 Op.60
R.シュトラウス:「薔薇の騎士」組曲
ラヴェル:ラ・ヴァルス

東京交響楽団とは二回目の共演となったヴィオッティ。前回2014年はウルバンスキの代役として、すでにあったプログラムを見事に演奏してみせたけれど、今回は自身で編んだプログラムでの再登場。それはいうなれば”名刺代わり”のプログラムと見ていいのだろうから、通ぶって存分に値踏みをさせていただくのが、厭らしいけどある意味正しい態度でありましょうよ。逃げも隠れもしない、彼自信の渾身のプログラムでの登場、ということで(前回の代役についてはその対応力を褒めるべきものであり、”借り物のプログラム”だとけなしているわけではないことはいちおう為念)。

スイスに生まれウィーンとワイマールで学び、オペラにシンフォニーに活躍する若きイタリアとフランスの血を引くマエストロ、というキャリアをそのままに反映した選曲、とも言えるのかな※、などと思いつつ個人的なお目当ては最初に書いたとおりベートーヴェン。

※公演の後、東京交響楽団より以下のTweetでマエストロの意向が知れたわけである。なるほど、師匠譲りの入魂のプログラムだったのですね。千葉の読みとも矛盾はしないとは思いますが、実にいい話ですねこれ。



さて、お目当てのベートーヴェンは弦が12型、ティンパニがケトルドラムでトランペットはロータリーと、アーノンクール風から20世紀風までこなせてしまう東京交響楽団だからこそできる柔軟な対応ですね。だから思うわけです、彼の演奏についてもピリオド奏法どうこういうよりは、表現のスタイルとして「ヴィブラート控えめが基本、必要に応じて使ったり使わなかったり」がもはや現代スタンダードなのではないかしら?

さて演奏についてですが。第一楽章はすこし硬かった、ように思います。このホールだと時々ある「弦が壁になって管がうまく伸びてこない」時間帯もあったけれど、楽章の途中からはこの日の会場の響きにもなじんだか、実にいい響きが聴かれるように。「これはモーツァルトでもハイドンでもなく、ベートーヴェンですよ」と言わんばかりの低弦の存在感はいい目配りです、ヴィオッティ(偉そうに)。
その一楽章を高い解像度のいい響きで駆け抜けて第二楽章からは盤石、指揮者の意図も伝わったものと思う。フレーズの伸縮も自在、重心移動が巧みなので場面はことさらに力まなくても動いていくのが実に巧みで。
第三楽章のスケルツォ、速めのテンポで主部のアウフタクトを少し長めに取らせて音楽に引っかかりを作って単調な煽りだけの楽章にしない。テンポもそう落とさないけれど、トリオは角を落とした音楽の流れが美しいのなんの。そのままフィナーレにはアタッカで突入、その結果、あたかもこの交響曲がハイドンやモーツァルトのオペラに見られる「複数の場面が連続するフィナーレ」のように思えてくる。なにもアタッカで別々の場面が繋げられたから、という理由だけでそう感じたのではない、各声部が饒舌に語る演奏は恣意的なデフォルメなどなくとも十分に刺激的、劇的なものでした。お見事。

快速で駆け抜けるこの交響曲には、ついちょっとカルロス・クライバーがどうのこうのと言いたくなってしまう業ある世代の千葉だけど、彼のベートーヴェンについて古楽云々あまり言わなくていいのと同じ、もうことさらにそう言い立てる必要もないと思う。もちろん、カルロスの指揮に魅了されて指揮者になった元ウィーン・フィルの人たちについては、一言あってもいいかも、ですけど(笑)。
ということで、凝縮された古典派オペラのようにも感じられた刺激的なベートーヴェンに満足したわけです。なにより第四番、なかなか聴けないからね!

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後半はまず作曲者編曲による「薔薇の騎士」組曲。編成は16型でティンパニも当然モダン楽器、そして大量の打楽器。オペラの場合、打楽器が大量に必要でその上兼ね役も難しいから6人もいましたぜ(笑)。弦の人数が減るにせよ、ピットにどうやって入れているものかといつも思いますねオペラの編成がステージに載せられると。
で、演奏ですが、いやあ、雄弁ですよ劇的ですよ。先日のフォルクスオーパーの舞台を経て、「もしかしてこのオペラはオペレッタをそのままに”描写”した作品ではないか」とか余計なことを考えていたし、「この組曲はなんていうかちょっとただの接続曲で愉しみ難いよね」とか感じたりもする、この組曲に文句の多い千葉ですが、この日の演奏は存分に愉しみました。振り向きざまに始めた冒頭のホルンから、最後のワルツの狂騒まで。若いけど勢い任せにしない、でもクレヴァー過ぎて大人しくなっちゃうこともない。全幕を意識して指揮しているのがよくわかる場面描写に感心しました。ベートーヴェンではより構成、形式を示したヴィオッティだけれど、ここでは繊細な感情表現も実に見事で。素晴らしい若者じゃないか彼は!(洋画っぽい言い方)

…いやとても良かったし楽しんだけど、正直なところ「後生だから全曲聴かせてくれよ」ですよ。ほんと、全曲やってくださいヴィオッティ&東響で、新国で。

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ここまでで、短い時間ながらコンサートが終わってしまいそうな盛り上がりを見せたけれど、最後にはまだラ・ヴァルスが待っているのです。楽しいオペレッタの描写から一転、”失われたウィンナ・ワルツの幻想”でコンサートは終わるわけですね。曲間で捌けるメンバーが少なくて(E♭クラとチェレスタだけじゃないかな)、今さらながら20世紀初頭のフランス音楽のぜいたく感に驚きますが、まあそれがWWI前のベル・エポックなんだよね、とかなんとか。

東京交響楽団のきっちり感、ラヴェルに合うよねって前から個人的には思っていまして。その昔、スダーン時代に聴いた「ダフニスとクロエ」第二組曲がなかなかよかったように記憶しているのだけれど、いつの公演だったかな…(こういうど忘れ&探しだせずを回避するためにものを書いているところ、自分にはあります)
そしてヴィオッティも若いのに(若いから、かな)、きっちりと書かれてある音符を有機的に音にしていくからもう楽しいのなんの。楽しすぎて「俺は過去にこの曲ライヴで聴いたことあったかな…」と何度も思うほどに新鮮な音の連続でしたわよ。バレエ音楽として構想されながらしかし明確なストーリーではなくイメージで、それも「ウィンナワルツのカリカチュア」として書かれているこの作品を、不明瞭な混沌から過剰な高揚へ、そして崩壊へときっちり導いてくれたのは見事すぎる。最後の不協和音で終わるところも拍手でマスクされないというお客さまの協力もあって、奇跡的な(笑)コンサートはおしまい。特にも最後の五音、さすがにお客さんがこの曲を知らないってことはなさそうだけど、あたかも空中から巨大な物体が落下するさまをスローモーションで見ているかのようで息を呑んだ方も多かったのではないかなと。

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ということでですね、いや良いコンサートでございましたよ。1990年生まれの若きマエストロ、そりゃあ話題にもなるし各地のオーケストラが声をかけまくることでしょうよ。名前が示すとおり血筋としてはイタリア系なのかもしれないけれど、その音楽はお国柄どうこうではなくかなり現在の潮流を正しく咀嚼したもので、その軽やかさと目配りの良さは将来に期待するしかないものです。
2014年の初登場、そして今回の次はまだわからないけれど(とりあえず翌シーズンは登場しません→しつこく誘導する千葉である)、きっとまた東京交響楽団に来てくれるはず。っていうか来てくださいね。いえ伏してお願いします(卑屈)。その時はそうねえ、二つくらいのプログラムでマーラーも入ってると嬉しいなあ(妄想)。

それはさておき、最近東響にいい若手が来るとオケのファンの皆さんが一斉に「今すぐ首席客演指揮者にしてつなぎとめるんだ!」と言い出すのがなかなか楽しいのですが、こればっかりはスケジュールですからねえ…ダニエル君もよかったしロレンツォ君も見事だった。これからも継続的に来てくれる、そしてお互いにプラスになりうるいい指揮者と契約できたらいいよね、って東響の一ファンとしての千葉は思う次第でありました。

なお、ロレンツォ・ヴィオッティは9日には大阪交響楽団に客演します(フィルではないっす要注意っす)。長富彩とのリスト、そしてメインがプロコフィエフの第五番!聴きたい!行けない千葉の代わりに関西エリアの皆さん、ぜひお聴きになってガンガンレポートしてくださいね、想像してニヤニヤしますんで(笑)。