2019年6月30日日曜日

”The SOUND” will come back Soon! ~ミューザ川崎シンフォニーホール リニューアル・オープン!

長く待ちました、なんて私が言うことではない、もっともっと待った人たちがいるだろうとは思うのだけれど、せっかくなので申し上げておきましょう。いよいよ、7/1にミューザ川崎シンフォニーホールが改修を終えてリニューアル・オープンします!拍手。
休館前に行ったのはいつだったか、と振り返ってみると1/14に開催されたモーツァルト・マチネでしたね、そういえば。その後カルッツかわさきでのコンサートもいくつか聴いて、あのホールでの楽しみ方も少しわかってきたような気がするけれど(レヴューはちょっと待ってね状態。すみません。)、やっぱりミューザ川崎シンフォニーホールに帰れるのは本当に嬉しい。喜ばしい。帰れる場所があるんだ…ボケはさておき、帰るって何様ですかね私は(笑)。

閉館していた間、改修がどのように行われたかはミューザ川崎シンフォニーホールのブログできっちり紹介してくれていますので、久しぶりに来場される前に読んでおいてください。必修ですよ(来場するの前提←それよりなにより偉そうだ)。

開場以降の公演情報を、ちょっとだけ予告編風に紹介しましょうそうしましょう。

●「ミューザの日」2019

2019年7月1日(月) ※10:00~16:00の時間、コンサート他各種企画が用意されています

やはり「あの音」がどうなったのか、それを聴かなきゃ!というあなたは、明日の昼の時間帯を万難を排して開けなければいけません(笑)。13時開演のウェルカムコンサート「オーケストラ入門!」はトークありオーケストラありオルガンありで、このホールの特性を全部楽しめる、短めのコンサートです。整音されたオルガンの音実家(じゃない)に帰る東京交響楽団の音、どちらも一度に確認できます。どうですか。

●JFE Presents
MUZAランチタイムコンサートMUZAナイトコンサート60 7月 ~祝祭のハーモニー

2019年7月3日(水) 12:1019:00開演

こちらはオルガンのサウンドを満喫できる、ミューザおなじみのランチタイム/ナイトコンサートです。ナイトコンサートでは整音についてのプレトークも行われますので、どうですか(二度目)。

4日にはホール主催ではない最初の公演として「樫本大進×ベルリン・バロック・ゾリステン」のコンサートが、週末には「ミューザ川崎市民合唱祭」が…と、これまでのブランクを埋めるかのようにコンサートが続きます。その先には、1月の公演レヴューで紹介しておいた「名曲全集」が、ノット&東響の川崎定期演奏会(超がつく注目のプログラム!!)が、そして「フェスタサマーミューザKAWASAKI2019」が、と注目の公演が待っています。さあ皆さん準備はいいですか?ミューザ川崎シンフォニーホールは明日リニューアル・オープンです。あの地震の後とはまた違う再会の喜びをぜひ、会場で。どうですか(三度目)。


(前回の復活も記録が残っているのですね。素晴らしい)

※追記。

館内はこういう感じに各所に15周年の告知があります。慶祝。


せっかくなのでかわさきミュートン、ハマの電チャン、エネゴリさん(おい)の揃い踏みのセレモニーも。

こうして見ると、船の舳先のようでもあります、ミューザ川崎シンフォニーホールの外観。新たなる船出に拍手を。

2019年6月15日土曜日

かってに予告篇 ~ 東京交響楽団 第671回定期演奏会/ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第147回

東京交響楽団 第671回定期演奏会ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第147回

2019年6月
  15日(土) 18:00開演 会場:サントリーホール 大ホール
  16日(日) 14:00開演 会場:カルッツかわさき ホール

指揮:ユベール・スダーン
ピアノ:菊池洋子
管弦楽:東京交響楽団

シューマン:
  「マンフレッド」序曲 Op.115
  ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54
チャイコフスキー:マンフレッド交響曲 Op.58

ベルリオーズ、ヴェルディ、アダン、そしてシューマンとチャイコフスキー。こんなふうに作曲家の名前を並べただけでは意味がわからないけれど、こう付け足してみたらどうだろう。「イタリアのハロルド」、「二人のフォスカリ」、「海賊」、そして「マンフレッド」。そう、バイロン卿ことジョージ・ゴードン・バイロン(1788-1824)の作品を音楽化した作曲家だ。強く文学作品に反応したベルリオーズや、舞台作品の原作としてバイロンの作品を選んだ二人は自然な成り行きとも思えるが、「マンフレッド」を音楽化した二人はどうだろうか。

まずシューマンから見てみよう。彼もまたベルリオーズ同様に文学気質の作曲家だから、彼の場合は自身愛読した作品の劇付随音楽を作る機会を逃さない、というのは自然な流れだ。
対してチャイコフスキーだが、交響曲第四番を作曲した充実したこの時期にこの作品を音楽化したのは、彼自身の発案ではない。スタソフとバラキレフがかつて企図したベルリオーズによる音楽化が、時を経て人を変えて実現したのがこの作品なのだ。かつて幻想序曲「ロメオとジュリエット」の作曲を薦めた恩師とも言えるバラキレフからの提案に、すでに「白鳥の湖」や「エフゲニー・オネーギン」で舞台音楽の経験も積んでいたチャイコフスキーが、劇音楽ではなく交響曲としてこの戯曲を音楽化した。独特で複雑な経緯を経て誕生した、チャイコフスキー唯一の番号なし交響曲なのだ。

では、そのバイロンの「マンフレッド」がどのような作品かといえば、「ファウスト」との相互影響もあり、また後世には「ツァラトゥストラはかく語りき」にも通じるような、人でありながらその域を超え出ようとする主人公の、滅びのドラマだ。ロマン派の理想とも言えそうな天才が自己投影もしつつ描き出した「失われた愛と超越のドラマ」は、願望が成就しないことを受け入れた後、肉体の死をもって終わる。霊的存在にもひるまず、宗教的改心を進める声にも従わない傲岸不遜な主人公は、その到達した境地によってファウストやツァラトゥストラに、そしてその末期のあり方において「ドン・ジョヴァンニ」にも通じる存在だ。そうそう、バイロンの代表作には「ドン・ジュアン」もあるのだった。彼自身の苛烈で短い生涯が、そうした登場人物たちにも似ている面もあるのだろう。この機会に、先ほど挙げた作品群だけでも読んでみるといいかもしれない。

チャイコフスキーの作品は、四楽章構成にこのドラマを自由に再構成して乗せたものだ。三管編成のオーケストラにオルガンが加わり※、主人公の憂愁とその死を描いているが、その音楽は他の作曲家たちからの影響を感じさせるもので、その点でも彼の作品としては少々毛色の違うところかもしれない。標題音楽の作曲家としてベルリオーズの「幻想交響曲」、主人公像の近さからリストの「ファウスト交響曲」、そしてチャイコフスキーはあまり用いなかったライトモティーフ的描写にはワーグナーの存在もどこか感じられる。演奏される機会の少ない作品だが、成立過程や影響関係からなのか、独自の魅力がここにはある。

※遅まきながら、ではあるが追記しておく。今回演奏される版ではオルガンは用いられないとのこと。マンフレッドの死を救済として描くのではない、悲劇的高揚で終わるいわゆる原典版は、エフゲニー・スヴェトラーノフの演奏でよく知られる、ある意味「別の曲」である。

ユベール・スダーン時代に、東響はサウンドにフレージングに造形にと格段の進歩を遂げた。そこからノット&東響の積み重ねの中で、どこか優等生的でもあったオーケストラはより積極的に表現する、より主体的なオーケストラとして進歩を続けている。かつてのシェフとの共演は、彼らにも私たち聴き手にもその進化の程をわからせてくれることだろう。その機会にこの作品が選ばれた意味は、演奏会場で確かめることにしよう。



コンサートの冒頭に、同じ作品を題材とする序曲を置くのはわかる。では同じシューマンのピアノ協奏曲はなぜ置かれたのか。
4月に放送された「らららクラシック」で上原彩子氏が語っていた「シューマンからクララへの愛」という解釈を採るならば、原作でも描かれない「マンフレッドとアスターティの愛の場面」の補完なのかもしれない。もちろんそうではないかもしれない。これもまた、演奏会場で確かめたいところだ。



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なお、今回のコンサートにはもう一つ、こんな聴きどころもある。妄想は進むけれど、まずは今回の演奏を聴いて、その先の未来を注目したい。


2019年6月11日火曜日

かってに予告篇 ~東京フィルハーモニー交響楽団 第922回サントリー定期シリーズ/第923回オーチャード定期演奏会


2019年6月
  14日(金) 19:00開演 会場:サントリーホール 大ホール
  16日(日) 15:00開演 会場:Bunkamuraオーチャードホール

指揮:沼尻竜典
独唱:ダニエル・ブレンナ(テノール)、中島郁子(メゾ・ソプラノ)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

ベートーヴェン:交響曲第六番 ヘ長調 Op.68 「田園」
マーラー:「大地の歌」

ここで曲目に「大地の歌」と書くときに、さてどう(どこまで/どのように)書くべきかと考え始めてしまう私は、きっとマーラーについて自分の言葉でちゃんと書く準備ができていないのです。というか、ハチャトゥリアンの時のようには書けそうな気がしない。
自分の話や考えくらいならいくらでも書けましょうけれど、それでは予告の趣旨に合わないので今回はちょっと方向を変えてみます。

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東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会は、ご存知のとおり非常に多岐にわたっている。長年の実績あるオペラやバレエの上演に、近年増えてきたシネマ・コンサートやポピュラー歌手との共演などなど。その幅広さ、公演数の多さは相当のものなのだが、その多彩さはコンサートだけに絞ってみてもあまり変わらない。
…というと、今年の定期演奏会が移行期的短めのシリーズであることを忘れたのか、とお叱りをいただいてしまうかもしれない。だが、会場を変えて月に三度開催される定期演奏会に加えて今年から拡大された「午後のコンサート」シリーズ、提携関係にある会場での演奏会、そして名曲演奏会や特別演奏会、フェスティヴァルなどでの演奏会にオペラやコラボ公演もあるのだから、それらも視野に入れてみるとまた違った絵が見えてくる、と考えるのだ。

たとえば、4月の定期演奏会に登場したアンドレア・バッティストーニの、今シーズンのプログラムを見てみよう。メインに置かれたのは4月にはチャイコフスキー、9月にはホルスト、これだけだと今シーズンの彼のプログラムの方向は見えにくい。もちろん、メイン以外の曲目を拾えば(もしかして最近は英国音楽に興味があるのかな)(古典、バロックへのアプローチを試みるのだろうか?)くらいの試論は立てられよう。
だがシーズン開幕後に発表されていく各地でのコンサートも併せれば(英国音楽やっぱりやる気だ!)(ロシア音楽も、得意曲も演奏してサーヴィスしまくり!)(「春の祭典」以来の20世紀音楽アプローチはこの方向か!)とある程度の確信をもって言うこともできるようになる(どういうことですか?と思われた方はリンク先をご覧ください)。

もちろん、こうしたプログラミングの方向付けが、どこまでが意図でどこからがめぐり合わせからくる偶然なのかは外からはわからない。それでも、ひとつのオーケストラの多彩な活動を聴き手が積極的に読み解いてしまう、こんな楽しみ方をしてもいいと私は思うのだ。では今回のプログラムからはどんな読み取りが可能だと思っているか、といえば…

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ベートーヴェンの交響曲とマーラーの巨大な歌曲(または”交響曲”)、この二曲はどちらだって演奏会のメインになりうる大作だ。この二作をつなぐものはマエストロの言葉を借りれば「自然と生命」だし、私にはその言葉をキーにした、一対の画風の異なる絵画を眺めるような趣があるように思える。たとえばベートーヴェンはある人物の経験を描いた一連の作品に、漢詩に由来するマーラーはそれこそ水墨画、禅画にも近い世界に。もちろん音楽は絵画ではないので、こうも単純に並べてしまうと誤解を生むだけなのだけれど、そんな戯れもたまにはいいだろう。
当時はそれほど流行っていたわけでもない標題音楽によって、日常から離れた田園生活に普遍を見出すベートーヴェン。当時の彼らには異世界にも思えたろう漢詩の世界に思いを寄せて、しかしロマン派の濃厚な表現を駆使して生と死のドラマを描き出すマーラー。気心の知れた仲であるマエストロと東京フィルはこのコントラストの効いたプログラムをどう聴かせてくれるものか、期待して会場に足を運ぶとしよう。

閑話休題。東京フィルハーモニー交響楽団のベートーヴェンといえば、私の手元にはかつてチョン・ミョンフンと録音した全集がある。二つのオーケストラが合併してから間もない時期の、それこそ「統合の象徴」として残された貴重な記録だが、今の充実した東京フィルならばなお、という思いがなくもない。バッティストーニによる「第九」はすでに販売されているが…と、思っていたこのタイミングに新譜情報が届くのもまためぐりあわせだ。



その新譜が、今回取り上げられる第六番と同じ日に初演された第五番というのもなにかの縁だろう…まで言うとこじつけが過ぎるだろうか。
そうそう、沼尻竜典といえばトウキョウ・ミタカ・フィルハーモニアでの古典は演奏の経験も豊富なマエストロだ、今回の「田園」が充実した演奏になることは約束されているようなものだ。

そしてこれまでもこのブログで何度か触れてきたが、東京フィルはマーラーの晩年の作品を2019年に入ってから集中して取り上げてきた。1月にはバッティストーニとの第八番、2月にはちょうどこの前の日曜にNHK FMの「ブラボー!オーケストラ」で第一楽章が放送されたばかりの第九番※、そして今回の「大地の歌」と、なにかの企画でもないのにこれらの作品を一つのオーケストラが集中的に取り上げる機会はそうあるものではない。
私は残念ながら第八番は聴けなかったのだが、チョン・ミョンフンによる第九番は実に充実した、素晴らしい演奏だった(過去記事参照)。多彩な表現の充実が求められるマーラー演奏の充実は、そのままオーケストラの良好な状態を示していると言える(こう断言してしまう私が、マーラーの音楽をこよなく愛していることを差し引いても)。巨大なカンタータの如き第八番、新ウィーン楽派にも限りなく近づいた第九番、その経験を受けて演奏されるのが、巨大な歌曲集であり、声と管弦楽による”交響曲”である「大地の歌」なのだ。作曲者同様にオペラ指揮者としての経験も豊富な沼尻が、この独特な作品の魅力をどのように示してくれるものか。独唱者に寄り添い、ときに室内楽よりも繊細に、また巨大管弦楽の奔流にと幅広い表現が要求されるスコアから東京フィルはどんな響きを導き出すのか。今一度繰り返す、期待して会場に足を運ぶとしよう。

なお。「大地の歌」が歌付きだからよくわからないのでは、と心配になっている方には、The Web Kanzakiさんのマーラー:「大地の歌」の歌詞と音楽がお薦めです。公演会場に辿り着く前に、ぜひご一読を。
あと、いろいろ書きましたが私はこの音楽の美しさだけでも知ってほしいと切に思うので、パブリック・ドメインのこの演奏を貼っておきます。



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最後にもう一つのめぐり合わせの話。この定期公演で演奏される「大地の歌」で、別れの冬にあって再び巡りくる春を思った東京フィルは、約半年後にマーラーの「春」とも言えるだろう交響曲第一番を、若きマエストロと取り上げる
こうして音楽は、人の営みはつながっていく。…こんなとき、適切な漢詩でも引用できたらいいのに、と思ったところで今回の予告はおしまい。ではまた。