2019年3月13日水曜日

その二:いよいよハチャトゥリアンの話

(承前)
前回はショスタコーヴィチを通して時代を見たので、やっとそれを踏まえてハチャトゥリアンその人に焦点を合わせていける、と感じている。サカルトヴェロ(ロシア語でグルジア、英語でジョージア)のトビリシに1903年に生まれたアルメニア人のアラム・ハチャトゥリアンについては、その音楽の聴かれ方ほどには知られていないように思う。今回の公演を前に調べてみても、彼について書かれた書籍も数冊しかなく、そのためもあってショスタコーヴィチを通して見た、彼が生きた時代をまず置く必要を感じた次第だ。ショスタコーヴィチより少し年長で、少しだけ長く生きたハチャトゥリアンは、ともにジダーノフ批判の危機を生き延びた”戦友”なのだから、いたずらに併置したわけではないことはご理解いただきたく。
だがこの友人たちのキャリア形成は大きく異なる。ショスタコーヴィチが世界に名を知らしめた交響曲第一番の年齢で、彼はまだ作曲家ではない、どころかようやく音楽の専門教育を受け始めたところだ。ハチャトゥリアン最初の成功作は1936年のピアノ協奏曲、ショスタコーヴィチはその年齢ではすでに交響曲第七番、第八番を作曲している頃だ。そんな晩成の作曲家ではあるけれど、その後ヴァイオリン協奏曲、バレエ音楽「ガヤネー」「スパルタクス」などの大ヒットで幅広く受容され、ショスタコーヴィチとも並び称されるソヴィエトを代表する作曲家の一人となった。
多様な民族の共生を実現した(ことになっている)ソヴィエト社会では、ある意味で生きやすかったかもしれない。スターリンが好きな民族音楽を活かした作品群は彼を守ってくれたのではないか?形式主義批判を受けることはあっても、ショスタコーヴィチやプロコフィエフほどの危険があったとは寡聞にして聞かない。それもまた、彼についての書籍などの少なさにつながっている、のかもしれない。


…自動生成の英語字幕をつければなんとかこれを見通せるだろうか。

70mmフィルム上映や8K放送でも話題の「2001年宇宙の旅」でも用いられているからクラシック音楽ファンでなくとも彼の音楽には触れた人が多いと思うが、日本ではそれどころではないレヴェルで、かなり積極的に彼の音楽は受容され続けている。自分がこどもだったころを思い返せば、「剣の舞」は子供心にも(またか)と思うほどにテレビで使われていた。近年では浅田真央選手の「仮面舞踏会」のワルツで、クラシック音楽ファンを超えて知られた。吹奏楽ではそれどころではなく、「なぜその作品を?」と言いたくなるほどハチャトゥリアンの作品が取り上げられてきた。思い当たるだけでも代表作「ガイーヌ(ガヤネー)」はいいとしても、「バレンシアの寡婦」、そして交響曲第二番、第三番などの意外な作品が演奏され、聴かれてきた。流行の変遷が激しい吹奏楽コンクールでも、本当に長い期間に渡って人気の作曲家であり続けているのだから、その人気は本物だろう…正直な話、無理目のアプローチに首を傾げることもあるけれど。
今回はこれを書いておかなければなるまい。吹奏楽版だけで交響曲第三番を知っている皆さん、お願いだからプレトニョフと東京フィルが演奏するこの機会を逃してはいけませんよ?こんな機会、めったにないんだからね!(おいおい)



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民族色濃厚なメロディ、強烈なリズムは多くの人に届いている、だが彼が残した三曲の交響曲はそこまで知られているわけではない。卒業作品として作曲された第一番についてはここでは触れないが、「鐘」の愛称で知られる第二番はもう少し演奏され、聴かれてもいいのではないだろうか。

1943年に作曲された、いわゆる戦争交響曲の範疇に入るこの作品は、まさに「悲劇を悲劇として描いた」作品で、その悲壮感はただごとではない。三管編成のオーケストラが力を振り絞るように奏でる響きはどこを切り取っても重苦しさを伴った陰鬱なもので、愛され親しまれるようなものではないかもしれない。だが、ショスタコーヴィチの交響曲第七番、第八番や、プロコフィエフの交響曲第五番同様に語られ、聴かれるだけの価値があると私は考える。悲劇の予感しかしない第一楽章、全曲中数少ないリズムの楽しさに浸れる第二楽章、Dies Iraeが執拗に奏でられる第三楽章、そして進軍ラッパの如きファンファーレに始まり勝利の祈念で終わるフィナーレと、聴き応えは十分である。後に多く作曲することになる映画のための音楽に先駆した作品とも言えるだろう、スケールの大きい音による叙事詩的作品である。作曲者の自演盤も複数あるので、興味のある方はぜひこの機会に聴いてみてほしい。何度か改訂された作品なので、演奏時期によって細部に違いがあるのも聴きどころと言えよう。…私は高校の先輩方が演奏していたコンクールの自由曲で聴いたのがこの曲を知った最初の機会でした、そういえば。とーっても苦労されてました、当時の先輩方(笑)。

演奏は、最初の予告でも登場していただいたアルメニア国立ユースオーケストラです。指揮はセルゲイ・スムバチャン。

さて、戦時に悲劇を全力で描いたアラム・ハチャトゥリアンは、戦後訪れた最初の革命記念年となる1947年(30周年)に、渾身の大作を発表する。それはどんな作品か…というところで、ようやく今回ミハイル・プレトニョフと東京フィルハーモニー交響楽団が演奏する交響曲第三番 ハ長調 「交響詩曲」にたどり着いた。長くお付き合いいただいた皆さまに心からの感謝を。

こんな文章を書きながら。私はどこかで「もしこの曲を知らない方がコンサートに行くと決めていらっしゃるなら、この文もここで読むのを止めて、白紙のままでハチャトゥリアンの音を全身に浴びていただけないかな」と思っている。もし私の口車に乗ってもいいと思われましたら、終演後にまたお会いしましょう。
次回、短期集中でお送りしてきたこの記事も最終回です。(続きへ)

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