2016年7月10日日曜日

今このとき、「協奏四題」が再演される奇縁を思う

こんにちは。千葉です。

えー、これは残念ながら寄稿にいたらなかった、いわばボツ原稿です。ある程度までは書いたので、せっかくだから、と最後まで仕上げたものをここに載せますね。7月10日開催のコンサートのご案内です。

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この週末、ミューザ川崎シンフォニーホールで興味深い演奏会が開催される。ホール開館からの名物シリーズ「名曲全集」、第119回となる今回は伊福部昭の独奏者を交えたオーケストラ作品四曲を一度に演奏する「協奏四題」と題したコンサート。指揮は井上道義、オーケストラは当然東京交響楽団だ。
「協奏曲」とは名乗らないオーケストラ作品からなるこの独特なプログラムは、念願かなっての再演となる。前回の開催は1983年2月、まだ30代の井上と東響が取り組んだこのプログラムには、大きな意味があった。

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1935年にチェレプニン賞を受賞したことで、伊福部昭は若くして世界的に評価される日本の作曲家の先駆けとなった。しかし、その独特の作風ゆえ異端とされてしまっていた時期がある。受賞当時21歳の伊福部を高く評価したチェレプニンは作曲において民族的個性を重視していたため、欧風の作曲技法を追求していた楽壇とは相性が悪かったのだ。伊福部が賞を受けた1935年にはラヴェルもストラヴィンスキー、バルトークも健在、フランス6人組やメシアンも活躍していたことを考えれば仕方がないこと、だったかもしれない。

楽壇の評価はさておき、「銀嶺の果て」(1946)から始まった数多くの映画音楽の仕事や、東京音楽大学での職を中心に後進の教育にと活躍を続けた伊福部だが、作曲家としては一線からは少し引いた、隠居的な存在になりつつあった。しかし作曲家・伊福部昭は1980年前後に再び注目すべき作曲家として”復活”する。新作「ラウダ・コンチェルタータ」(1976)、そして代表作「シンフォニア・タプカーラ」の改訂(1954/1979)の発表に加え、「気鋭の若手指揮者」井上道義が伊福部作品を集中的に取り上げた「協奏四題」が話題を呼んだのだ。それまで楽壇の外の、ニッチな存在ともされかねなかった伊福部昭が、作風を変えずむしろより「日本の音」の追求を深めることで、70歳を前にふたたび注目を浴びるようになるのだ。「協奏四題」コンサートは、その契機のひとつと挙げられるにふさわしい、意欲的なものだった。

かつて若手としてこのプログラムに取り組んだ井上道義が、キャリアを積み大病を克服した今、33年の時を経てふたたび東京交響楽団とこのプログラムを取り上げる。独奏者は二十五絃箏の野坂操壽(1983年当時は野坂惠子)以外は現在の名手たちに変わっているけれど、30年以上の時を経て取り上げられる伊福部の協奏的作品は、ミューザ川崎シンフォニーホールにどのように響くことだろう。この会場ならば、純粋に伊福部作品の響きを楽しめること、請け合いである。

その昔「倭太鼓と吹奏楽のためのバーレスク風ロンド」を演奏したこともある私としては、ぜひともこの演奏会が成功してさらなる伊福部作品によるコンサートが開催されてほしい。舞踊曲「サロメ」、前述のシンフォニア・タプカーラ、などなどいわゆるクラシック音楽の範疇にある伊福部作品は、もっともっと知られてもいいものだ。

※今回の独奏者は以下のとおり。

マリンバ:高田みどり
ヴァイオリン:山根一仁
二十五絃箏:野坂操壽
ピアノ:山田令子


リハーサルは好調だった模様。いい演奏会を期待しよう。

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ここからは余談だ。

井上道義が「協奏四題」コンサートを指揮した1983年には「ゴジラ復活祭1983」としてリバイバル上映が行われ、その好評は翌年の新作へ、さらに平成シリーズとされる作品群、そしてハリウッド上陸へとつながっている。そして、伊福部昭の再評価につながったコンサートが再演を果たすまさにいま、「ゴジラ」シリーズの最新作として庵野秀明監督による「シン・ゴジラ」がまもなく公開されようとしている、このタイミングも伊福部昭と「ゴジラ」の縁なのだろうか。
新作の音楽は庵野作品おなじみの鷺巣詩郎が担当するが、果たして伊福部昭による数々の名曲は使用されるのかどうか、ここにも注目してほしい(過去制作された日本の「ゴジラ」映画のうち、伊福部によるテーマが本編でまったく使用されなかったシリーズは一作しかない)。

だから、というわけでもないが、「シン・ゴジラ」を観る前に最初の「ゴジラ」を是非見ていただきたいと思う。このタイミングを見計らってか、幸いなことに7月19日(火)21時よりNHK BSプレミアムで「ゴジラ 60周年記念デジタルリマスター版」が、そして26日(火)には「モスラ対ゴジラ」も放送される。それらの作品群を知り尽くした庵野秀明はいかなる新しい「ゴジラ」を見せてくれるのか、「協奏四題」コンサートともども大いに期待したい。

2016年7月2日土曜日

書きました:新国立劇場オペラ「夕鶴」 リハーサルレポート

こんにちは。千葉です。

千葉は日夜ノートパソコン一台を使いたおしているのですが、冬場はともかく夏になるとできたら端末の近くにいたくないのです。本体をひざ上に、ってのはできたら寒い時期にもしたくないですし(中年男性の身体はそういう負荷を喜ばない)、視力が落ちてきている自覚もあるからあまり画面を近くで見たくない。それに加えてうちの端末、左手に冷却ファンからの熱風が直撃する仕様なんですよねこれが。だからテキストをぱちぱち打ち続けるうちに左手だけ変に熱くなってしまいまして。

で、夏場だけ思い出したように活躍してもらうBluetoothキーボードの出番となるわけでございますが、「O」が打ちにくくて難儀する今日このごろであります。とてもどうでもいい前説ですみません。

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さて、本日も寄稿した記事のご案内です。(いまここでも「hんじつ」「g案内」とか難儀しています←どうでもいいので引っぱらない)

●新国立劇場オペラ「夕鶴」 リハーサルレポート

團伊玖磨若き日の傑作オペラ「夕鶴」が新国立劇場20015/2016シーズンを〆る作品です。そして今年は「高校生のためのオペラ鑑賞教室」として上演される夏のオペラも本公演と同じキャスト(指揮者のみ変更)で、9日開幕します。お話自体が「つるの恩がえし」、そして日本語による歌唱であれば親しみやすかろう、ということもあるのでしょうけれど、高校生の皆さん好機ですよ。あと、本公演には行けないな、って大人の皆さんも当日券が出る日は買えますよ、詳しくはリンク先で確認してね(宣伝)。

記事を書く際には、当然ながら記事に書いた以上の情報を確認して絞り込んで書くわけです。今回であれば本筋は「今回の舞台について、公演直前の雰囲気をお伝えする」のがメインになりますから、作品について、また作曲者團伊玖磨の情報を多く書きすぎてもよくないし、開幕前にネタバレのたぐいを書いてしまうと「こういう風に受け取ろうね」と暗に示すことにもなりかねない。エンタテインメントならまだありかもしれないし、制作サイドからの発信なら問題ないと思うけれど、一ライターがそれをしてしまうのはできれば避けたいです。せめて、幕が開くまでは。

余談だけどここでちゃんと書いておきましょう。開幕した後はむしろ、その時の受容の記録ということになるのでむしろ可能な限りネタを拾い、きっちりとレヴューすべきだと考えております。好き嫌いだけで書くのではなく、ちゃんと「舞台で何が行われたのか、そしてそれをどう読むのか/読んだのか」が書き残せる立場にいることに意味があるとするなら、それはその一点においてだと考えておりますゆえ。リハーサルを取材させていただいた場合にはなおのこと、お出しできる範囲で「舞台で何を示そうとしていたのか」まで踏み込めるようにしたいと考えています。

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では本筋に戻ります。
今回記事では多く書きませんでしたが、團伊玖磨についていろいろと調べるとなかなかに興味深いことが多くありました。千葉の世代だとこの方については「パイプのけむり」「デッカ/ロンドンレーベルに交響曲を録音している」「新旧の祝典行進曲」「建・TAKERU(……)」といった断片的な情報でしか認識できていない人のほうが多いのではないか。っていうか千葉はそうでした。せいぜいが「三人の会」ですよね、っていう。「三人の会」は他のお二人がテレビで活躍された芥川也寸志、黛敏郎であるため、世代的に上記の認識くらいだった千葉からは活字で活躍された團伊玖磨は比較的地味に思えていまして。

で、それが間違いである、ということに気づけただけでも千葉は学習して記事を書いた甲斐がございました。1924年生まれの團伊玖磨、今回の新国立劇場の舞台に至るまで上演されつづける「夕鶴」は1952年、28歳の作品で「三人の会」は1953年から。そもそも評価されている人だからこのグループにも入っていたわけですよあたりまえなんだけど。
彼のキャリアを捉え直すには時間が足りないからここでどうこうと書き綴るのは避けますが、昨年が生誕90年だった芥川也寸志、近年再評価の機運が高まる黛敏郎(だったら”伝統主義”の皆さんはさっさと彼のカンタータを初演し給えよ)同様に、再評価が始められるべきではないか、などとも考えた次第でした。

…ここまででかなり長くなってしまったので、書き始める前に考えていたレポートと同じキャストによる初日レヴューは別途書きます。作品について思うところも多くございますゆえ。

最後に記事には使わなかった写真を一枚。


今回はオール日本人スタッフの舞台なので、オケピットでのやり取りもきっちり聞き取れましたが、大友直人の細部まで繰り返し行われた修正は初日の舞台の仕上がりをとてもいいものにしておりました。團伊玖磨の音楽、もっと聴いてみなくては。

とりあえずここまででひと区切りします。公演については近日、ということで。ではまた。

2016年7月1日金曜日

書きました:「千人の交響曲」の饗宴がはじまる

こんにちは。千葉です。

昨晩、疲労困憊して早寝したら「甲鉄城のカバネリ」を録画してませんでした!悔しいので最初のマクロスをあの絵でリメイクしてください!(関係ないねそれ)

さてつまらない前置きはさておいて、寄稿した記事の紹介です。もう今日から祭が始まります。

●「千人の交響曲」の饗宴がはじまる

このキャッチコピー、まさに煽りなので使いました。許してください(西方へ土下座)。
諸般の事情でこのタイミングになってしまいましたが、今年はマーラーの交響曲第八番の当たり年です。いわゆる天体ショー並みの異常な低確率でしか起きないだろうことが起きています。まとめればそんな話ですね。

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え~、久しぶりにマーラーの話ができて少し満たされました。あとはコンサートが聴けたらもっと満足です(笑)、そうですね、できれば第六番が聴きたい。針どころか指先でつついたら弾けてしまいそうに張った音で終楽章が聴きたい。ポリフォニーの渦で頭がぐるぐるになるような演奏が聴きたい。もちろん、音響的に飽和しちゃったりしてなくて、線も明瞭に見える感じの演奏で。

もちろん、そんなリスキーな演奏はなかなか出会えるものではなくて、音響的に満足できるようならそれでよしとしないといけないことは、頭では理解しているのですが。できたら聴きたいじゃないですか、実演で。

そんな風に思うようになって、最近認識した自分の志向があります。今の千葉はもう、「決定的名演」的なものを求めていないんだなあ、ということです。自分の中で「かくあれ」と思うあまりに目の前の演奏を否定したりせず、聴いている音楽をより美味しくいただく方向で楽しむようになった、といいますか。

文字にするとすっごく刹那的な気もしてきますけれど、実演を多く聴いているうちこんな感じになってきました。せめて、記録はきっちりと残すよう心がけさせていただきますよ。

ひとまずご紹介はここまで、ではまた。

2016年6月26日日曜日

書きました:“イタリア若手三羽烏” ダニエーレ・ルスティオーニ、東京交響楽団に登場

こんにちは。千葉です。

さて久しぶりに寄稿した記事の話、そしてそのコンサートの初日の話をば。

●“イタリア若手三羽烏” ダニエーレ・ルスティオーニ、東京交響楽団に登場

若手三羽烏の一人とされる指揮者、ダニエーレ・ルスティオーニについては記事中で書いておりますのでよろしければご一読のほど。リハーサル中の写真なども記事中に入れていますので、眺めるだけでも楽しんでいただけるのではないかと。
(その昔の”前衛~”もそうなんですけど、原語では「三羽烏」ってなんて表現してるんでしょうね?)

で、ミューザ川崎シンフォニーホールで行われた川崎定期演奏会を聴いてきたので、その感想を併せる形で記事の補足というか後日談といいますか。

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●東京交響楽団 第56回川崎定期演奏会

6月25日(土) 14:00開演ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:ダニエーレ・ルスティオーニ
ヴァイオリン:フランチェスカ・デゴ
管弦楽:東京交響楽団

曲目:
グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第一番 イ短調 Op.77
 ヴァイオリン独奏:フランチェスカ・デゴ
チャイコフスキー:交響曲第六番 ロ短調 Op.74 「悲愴」

(第641回定期演奏会 6月26日(日)14:00開演 サントリーホール 大ホールは同内容の公演)

リハーサルの取材前にはスコアを眺めて(くどいようですが「読んだ」といえるほどの学習をしてきていない、残念ながら)、取材時もスコアを確認しながら演奏を聴いた印象は、ネタバレになるので記事には書きませんでしたが「楽譜どおりだな」というものです。テンポを恣意的に動かしたりせず、引き締まったテンポでよどみなく演奏されるチャイコフスキーは、リハーサルの段階ですでに非常に好感のもてるものでした。
楽譜を見ればわかることですが、この曲っていわゆる愁嘆場的な場面がほとんどないんですよ。これは泣いて立ちすくむ音楽ではなく、前を向いて進んだ先で絶望的な局面に立ち向かう羽目になる、そんな力強くも絶望的な音楽である。彼のアプローチはそういう方向に向いているのだな、と感じました。通して演奏されるまで感想にはなりませんけど、感触としてはそんな感じ。

(念のため申しますが、千葉は「楽譜どおり」という言葉を悪い意味で使うことはありません。テクストを尊重しない演奏家をポジティヴに評価できるのはよっぽど特別の演奏ができている場合に限ります。もしくは、そのアプローチが楽譜の読みから導かれたものだと得心できた場合。だから、こうして書き表せる受容の可能性は、千葉の理解に制約されている。「理解」はこの場合相当に広義のものとします)。

対して、ショスタコーヴィチはこの日がリハーサル初日であったこともありこの日の時点では演奏の出来栄えについて確度のある予想は正直できませんでした。もちろん、日本初登場のフランチェスカ・デゴの腕前については聴けばすぐわかるもの、技量的に難曲を弾くことに困難はなく、とても音が大きい。長身痩躯からこの音か、と驚かされた次第です。自由自在な弓使いもさりながら、時折ポルタメントを駆使してより音楽に影をつけてくる左手の技も多彩。
ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第一番は、過去にパトリツィア・コパチンスカヤの圧倒的な演奏を聴いて以来彼の作品の中でも一二を争う好きな作品となって今に至ります。昔はオイストラフ盤一択であったりレーピンの横綱相撲に圧倒されていたのに近年ではなぜか女性奏者の名演が多い印象がありますが、果たして今回の演奏会は如何。

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で、聴いたコンサートの感想は、「皆さん、サントリーの公演聴いておいたほうがいいっすよ」です。

リハーサルからまったく安全運転しなかったダニエーレ・ルスティオーニは一曲目の「ルスランとリュドミラ」序曲から全開、やたらと推進力のある速めのインテンポでぐいぐい聴かせます。客席側に向き直ってしまうほど勢いのあるフィニッシュにはちょっと笑ってしまいました(これもいちおう言っておきますが、聴衆を笑顔にするたぐいの演奏に千葉は好感しか持ちません。プリズムショーで笑っちゃっても、「嗤って」いるわけではないのです)。一曲目からオーケストラの殊勲者に駆け寄るマエストロに、好感を持たないわけないじゃないですか(笑)。

そしてショスタコーヴィチ。デゴさんは黒のドレスで登場、そのお姿は東京交響楽団様がTwitterで公開してくれております。



肝心の演奏は、四つの楽章の性格を作品がバラバラになるギリギリまで別物として描写した、緊張感の高いもの。DSCH音形を強調してショスタコーヴィチの「告白」的な扱いにするのではない、音楽としての性格を強調したもの、と言いましょうか。
第二楽章で少しソロとオーケストラが上手く絡まなかった部分もあったように感じましたが、「いちいちソロにからんでくるオーケストラを振り払うように演奏する」ってのも、スケルツォについてはありかなと。

日本デビューを見事に飾った彼女はさらにアンコールを二曲も弾いてくれまして。それもイザイとパガニーニ、技巧的な無伴奏曲をふたつというのだから彼女の体力、集中力には本当に驚かされます。ちなみに、二曲目のパガニーニはアンコールのお決まりでもあるようで、ディスクをリリースしているユニバーサルがYouTubeにその演奏をアップしていますよ。


ちなみにルスティオーニは、ハープの後ろにあった後半用の椅子を我がものとして、奥方の演奏を聴き、聴衆と一緒に拍手しておりました。微笑ましゅうございます。

そしてメインのチャイコフスキーですが。これはですね、「オペラの得意なイタリアの若い指揮者がロシアのオーケストラを自在に振り回してみせた」ような、ドラマティックな演奏でございました。
ルスティオーニはリハーサル以上に動きまわってオーケストラを鼓舞していましたし、オーケストラはそれに十分以上に応えた。
言葉のない短めのオペラのようにも感じられる「悲愴」は新鮮で、何度も何度も聴いてきた作品とは思えないほどにスリリングでありました。テンポをなかなか落とさずに駆ける第一楽章のクライマックス、最後には「パートナーのいないワルツ」になってしまう第二楽章、まったく速度を緩めない運びが狂気すら感じさせる第三楽章、そして第四楽章については、もう。第一楽章から上行音形を輝かしく響かせてきたことが、フィナーレの82小節目からのクライマックスの、まさにその頂点でトランペットが脱落する(ように曲が書かれている)ことで圧倒的な喪失感をもたらすのはお見事でした。各楽章の描き分けが明確なのはショスタコーヴィチ同様で、これはご夫婦に共通する音楽性なのかもしれませぬ。

楽章間拍手もなく、最後の最後に咳が出ちゃった人はいたけどマエストロの右手から力が抜けるその瞬間まで、この日の聴衆は静寂を保った。だから、というわけではないのですけれど、演奏後のルスティオーニは感極まっていたようにも見えました。
オーケストラの中を歩きまわってプレイヤーをたたえ、全周の客席に挨拶する若きマエストロが再び東京交響楽団と共演してくれますように、と多くの人が思ったことでしょう。もちろん、千葉もそう感じていますよ、できたら次はロシア以外の作品で。そうですね、イタリアものも良いな、あとリヨンのポストに就くからフランスものも聴いてみたいし、若いオペラ指揮者のマーラーが聴きたい気持ちもあるんだよなあ…

(ここ最近多く聴かせていただいた「若いオペラ指揮者」では、バッティストーニはきっと第六番で凄い演奏をしてくれそうですし、ルスティオーニは第五番をすっごく美しく情熱的に美麗に仕上げそうな気がします。完全に希望込みで申し上げていますが、早く彼らにその機会を!ぜひ!!)

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コンサートを振り返って千葉が特筆しておきたいのは、東京交響楽団の柔軟性です。今月上旬には鈴木雅明を迎え、ひとつのコンサートの中で”古楽オーケストラ(モーツァルトではナチュラル・トランペットとケトルドラムを使用、ってアーノンクールのベートーヴェンと同じですよね)”と”オーケストラというオルガン(有機体でもある)”に変貌してみせた東響は、この日はロシアのオーケストラのサウンドを出していました。メロディの歌い方、輪郭の付け方や中音域を存分に鳴らした響きの力強さたるや。特にも、リハーサルでも印象的だったホルンの強奏は完全にロシアオケのそれ、しかもこのホールで鍛えた彼らはどんなに鋭く吹いても汚い音にはしない。素晴らしい。

今月の定期演奏会パンフレットがお手元にある方は見てみてください、ここにアルヴィド・ヤンソンスの記事が載っているのは偶然ではないのですよ。鈴木雅明を見事に迎えいれたのは、スダーン時代にいわゆる古楽奏法を取りいれたからだな、と音を聞けば誰もが得心したことでしょう。ですが、70年の歴史の中でソヴィエトのマエストロたちとの共演で理解してきたサウンドもまた、このオーケストラの持つ特色のひとつなのだと、オーケストラはここで主張していたのです。……たぶん。

思うに、ミハイロフスキー劇場でポストを務めたルスティオーニがロシア以外の地でこの音を導けたケース、いくら彼ほどの才能でもそう多くないのではないか。でなくて終演後の彼があんなに喜んでくれますかしら。そういえば東京交響楽団の幅広さを感じたのは新国立劇場「ムツェンスク郡のマクベス夫人」だったな、と思い出したのは帰宅の車中でのこと。スダーンが鍛えてノットがさらなる先へと導く東京交響楽団、この先も絶対に聴き逃せませんよ。まずは7月のノット月間、そしてフェスタサマーミューザ、さらにポポフの交響曲日本初演へと夏までにもイヴェント盛りだくさんですし。詳しくは公式サイトをチェックぅ!(笑)

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これでアンドレア・バッティストーニ、ダニエーレ・ルスティオーニと三羽烏の二人を具に拝見し演奏を聴かせていただいた千葉から、次にミケーレ・マリオッティを招聘される方にお願いします。ぜひ、取材させてください!記事は約束できませんけど!(そこ断言しない)

という冗談はさておいて、若い指揮者がその才能を開花させていくさまを観られるのは同時代人の特権です。きっと、クラウディオ・アバドやリッカルド・ムーティをそんな風に体験できた世代の皆様がいたでしょうし、ガラガラの客席でサイモン・ラトルとかいう若造の変なプログラムを楽しめた皆さまもいらしたでしょう。それらと同じような体験が今できているのだな、そう感じさせられるいいコンサートでありましたよ。
ルスティオーニは来年には東京二期会の「トスカ」、そして都響にも出演が決まっています。そして東響には9月にロレンツォ・ヴィオッティが来ますので、その機会は努々逃されませぬよう。そしてこの記事を読んでからでも間に合う方は、さ、今からでもサントリーへお向かいなされ(爺か)。

とオススメしてひとまずはおしまい。ではまた、ごきげんよう。

※追記。今回、ダニエーレ・ルスティオーニはまず兵庫芸術文化センター管弦楽団に出演し、この二日間を東京交響楽団と共演し、そしてこのあと2014年に日本で最初に演奏を披露した(同時期に東京二期会のリハをしている可能性があるのでこの辺ややこしい)九州交響楽団と共演する、というスケジュールになっています。そんなわけで九州のみんな~、準備はいいかい?(すでにコンサートを聴いている方々に釈迦に説法ぶちかますスタイル)

2016年5月23日月曜日

書きました:“白鳥の騎士”再臨~新国立劇場「ローエングリン」ゲネプロレポート

こんにちは。千葉です。

今週は少しおとなしい週になるはずだったのに、という思いがなくはないのだけれど、こうして紹介できる記事があることはいいことです(大人の感想)。なにか場所あったらください書きますので(さりげない宣伝←そうだろうか)。

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さて今日公開された記事の紹介ですよ。

●“白鳥の騎士”再臨~新国立劇場「ローエングリン」ゲネプロレポート

書いている最中には割と冷静だったつもりなんですが。

今読み返すとこれ、クラウス・フロリアン・フォークトへのファンレターですね(笑)。そのくらい、圧倒的な存在感だったんですよ彼。少なくとも、ゲネプロでそれぞれの事情アリで歌っていた中では。

どういい声だったか、どう独特だったかは記事に書きましたので、できたらぜひ読んでいただいて、新国立劇場にお運びくださいませ。あの声を聴くだけで損はしません。というか、カウフマンを外来オペラのプロダクションで呼ぶのが困難である以上、フォークト以上のローエングリンが日本に登場する可能性、ないんじゃないのかなあ…(もちろん、私見ですけど)

そんな思いもありまして、あのような文章になりました(笑)。ということで。

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なお、ですね。2010年の「パルジファル」コンサート形式の映像が全幕配信されてます(これは三幕ですが、ちゃんと全幕あります。この幕を選んだのは、比較的「ローエングリン」に近い存在になった後だから、ですよ)。




ゲネプロで聴いた声はこんなもんじゃなかった、と思うのは、彼が5年以上も最高のヘルデンテノールとして経験を積んできたからなのか、それとも録音なんてしょせんそんなもの、だからか(酷い言い方をしていますが、これはれっきとした公式配信なので音はよく録れていると思います)。そのあたりをぜひ、会場でお確かめくださいませな。

ということで本日はこれにて。ごきげんよう、おやすみなさい。

2016年5月22日日曜日

書きました:優美で笑いに溢れたウィーン・フォルクスオーパー「こうもり」開幕

こんにちは。千葉です。

4月下旬から、相当に濃い経験をさせていただいたのですが、いわゆる記事として出せる場所がないのでここに書くしかないな、と思いつつまだ手がついていません。もうちょっとだけお待ちください、ジョナサン・ノット&東京交響楽団からアンドレア・バッティストーニ&東京フィルハーモニー交響楽団、そして公開リハーサルだけどアレクサンドル・ラザレフ&日本フィルハーモニー交響楽団を見たことで、何も思わなかったほどはダメになっていないはずなので。

ただ、〆切があればそちらが優先されてしまう現実に千葉の筆が勝てないという、素朴で哀しい事情がございますことをご理解くださいませ…

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さて、こちらは本日最終日の舞台の、初日レポートです。

●優美で笑いに溢れたウィーン・フォルクスオーパー「こうもり」開幕

先日の「チャルダーシュの女王」で目が開いた千葉のオペレッタ理解ですが(本公演はきっと、千葉が拝見したリハーサルより楽しかったはず。あの過剰なサーヴィス精神が、本公演で盛りを増やさないわけがありませぬ)、「こうもり」で決定的なものになった感があります。

前回、今回と往年のハリウッド映画を参照するようなことを記事中に書いたのですが、個人的にはそれらの映画よりもオペレッタのほうがより好ましく感じられます。良くも悪くもフォーマットが安定していて、それ故にその中で変化球を投げ続けたハリウッドのミュージカル映画は、時として現在の目にはお話の作りが…だったりして。NHKのBSプレミアムではそういう映画がよく放送されているので、少なからず録画して見たものなのですが。

名作として評価が定まっている映画ならここで引き合いに出しても傷もつきませんでしょうから、あえて例をあげましょう。ジーン・ケリーの「パリのアメリカ人」、楽しいっちゃあ楽しいのですけれど、「負け役」の女性キャラクターの扱いとか、けっこう酷いものだったりします。「ドン・ジョヴァンニ」で「ドンナ・エルヴィーラをえんえんと小馬鹿にする演出を見せられるような不快感」がある、と言ったらおわかりいただけますでしょうか。スターがいて、成就すべき恋のヒロインがいて、それを助ける友人がいて、まではいいんだけど、引き立て役がとにかく残念な感じに作られちゃっているのがテンプレート的な作品の限界かなあ…なんて考察はですね、きっと現在の多くのエンタテインメントにも適用できる不満点ではないかな、とか思ったりします。

さすがに名作、「パリのアメリカ人」はそこまで酷くないのだけれど、悪役をらしく描くために意味不明なほどの憎悪を背負わされているキャラクタ、や、否定されるべきキャラクタをより悪く見せるために、立て看板みたいな台詞を喋らされたりしてるところ、見聞きした覚えはありませんか?ジャンル的「趣向」を突き詰めていくとどうしてもキワモノっぽい一点突破が出てきてしまう(そして、それが割と受けちゃう)ように思うのだけれど、これはまた別途考えるべきですねそうですね。

本題に戻りますと、オペレッタはさすがに「源流」。艶笑譚でも下卑たところまでは踏み込まず(かなり示唆はしてますけどね)、笑われ役もただの薄っぺらい看板になったりはしない。作品がそうできているのに加えて演者の皆さんが役に厚みを加えるからこそ、そのように楽しめるものになっているわけです。そんなわけで、「オペレッタは全幕に、実演に限る」と感じているわけです。CDで音楽だけで聴いていてはこの楽しさすべてはわからないし、たとえばかつて新宿コマ劇場で上演されていたような座長公演だとさすがに旧さを感じてしまうかもしれない。でも現在のつくり手によって洗練されて供されるこの舞台なら、そんなことは絶対にない。

クラシック音楽はどこか聴衆に挑みかかるようなところがある、そして聴き手は「挑戦を受けて立っては常に負ける」、立て看板のような負け役にしかなれない(笑)、これは音を出せない以上は仕方ない。でもオペレッタは別物です。文字どおりのエンタテインメントとして聴衆を楽しませることしか考えていないから、挑むどころか向こうから近づいてきて肩を引き寄せられる(でも壁ドンとか無作法になるところまでは踏み入らない配慮がある)。そんな心地よい感触は、最良の舞台に触れられたから一度で理解できたんだなあ、と感じているところなのであります。

ウィーン・フォルクスオーパー来日公演2016は、本日が「こうもり」の最終日、そして次の「メリー・ウィドウ」で終演です。ぜひ皆さんも楽しんで!としか、お薦めのしようがないなと感じておりますよ。「メリー・ウィドウ」と言ったらヒッチコックの「疑惑の影」になってしまう程度の千葉ですからね、この語彙のなさはご容赦ください(笑)。

そうそう、現在宝塚でも「こうもり」上演中なんですよね。この前の新国立劇場「アンドレア・シェニエ」と、帝国劇場ミュージカル「1789」の並行以上に直接的なバッティングは誰の悪戯なんでしょうね(笑)、とボケたところでひとまずはおしまい。ではまた。




来シーズンの告知を見ればおわかりいただけるように、オペレッタの他にもオペラ、バレエ、そしてミュージカルを上演するウィーン・フォルクスオーパーであります。ある意味、現在の「ザッツ・エンタテインメント」なのかも、とか思ったりした次第ですよ。

2016年5月18日水曜日

書きました:5/14開幕 ウィーン・フォルクスオーパー 最終舞台稽古レポート!

こんにちは。千葉です。

嵐のような忙しさ(なんて小さい嵐なのかと)もひと段落いたしましたが、それでも前説が思いつきません。っていうか、最近の世間話は書きにくいことばっかりで嫌になります。世知辛いのう…


でもせっかくだから一個だけ。

個人がおクスリに手を出していた残念な案件の裁判について、ワイドショーまるまる使って報じるのはどうかと思うよ。以上。

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さて、先日寄稿させていただきました、こちらの記事をご紹介。

●5/14開幕 ウィーン・フォルクスオーパー 最終舞台稽古レポート!

14日に開幕した、ウィーン・フォルクスオーパー来日公演2016の、開幕前日に行われたゲネプロのレポートです。記事については、たくさんある写真を見て楽しんでください!(自分の手柄ではまったくない)

…冗談はさておき(冗談になってなかったらごめんなさい)、オペレッタはですね、会場でライヴで全幕を見るのと、録画や録音で楽しむのでは別物でした。これでもか、というくらいにサーヴィスのいいエンタテインメントはライヴに、全幕に限りますよほんと。ニューイヤーコンサートで聴く断片的な音楽に食傷していたのか、どこかオペレッタ自体に近づいていなかった不明を大いに恥じております。

この件から千葉が得るべき教訓は、ひとえに「知らないままに遠ざけるな」ですね。他に偉そうに言えることがない。

なお、文中でもグランド・ホテル形式的云々とすれ違いや入れ替わりギミックについて触れていますが、この手の仕掛はとにかくライヴがわかりやすいなっていつも思います。たとえば「フィガロの結婚」、音声だけで聴いているとときどき「今誰がなんのためになにしてるんだっけ?」と、ゲシュタルト崩壊してしまうことが、なくはないです千葉の場合。これはきっと、この演目で良い舞台を経験していないというのが理由かなと思われます(入れ替わりが多くても、千葉のオペラ原体験である「ドン・ジョヴァンニ」で迷子になったことはないので)。

こう考えてくるとつい「修行ですね」とか〆たくなりますが、オペレッタはその逆を向いているんだな、というのが今回の感想なんですよね。クラシックの公演にはどこかある種の「果たし合い」の気配があるけれど、オペレッタはそうではない。楽しんでいってよ、と供される素敵な舞台を素直に楽しめばそれでいい。プリズムショーはみんなを笑顔にしてくれるんだ(おい)、ということで。

以上ご案内でした。ではまた、ごきげんよう。