こんにちは。千葉です。
今日も前置きなし。っていうか、前置きを書く時間が惜しい(千葉にしては珍しい忙しさ故)。
●佐藤俊介&鈴木優人 共同企画 「テンペスト~inspired by THE TEMPEST」
先日紹介記事の紹介を書きましたところの(ややこしい)、ちょっと一口には紹介しにくい(しつこい)コンサートですが、初日に伺った感想をまず一言で書くならば「かなりきっちりと”テンペスト”でした」、ということになりましょう。「四人の音楽家と一人のダンサーで、どうして登場人物が少ないわけではない、台詞でのやりとりが多く展開される戯曲ができるのか」、というのは当初”新音楽劇”と題されていたこの公演の、間違いなく最も重要なポイントだったでしょう。この離れ業を実現するため、公演を創りあげる過程で相当の検討がなされたことと推察されます。まずはその、公演の前段階の周到な準備に、そしてそれを実現した出演者各位の想像力に拍手を。
入場の際に渡されたプログラムには、1月27日に最終的に定まった曲目、曲順※が「テンペスト」の場面に対応させて示された紙が添付されておりまして。これを見た瞬間に「あっこれ芝居をやる気だ」、と即座に理解しました。席について舞台を見れば上手側にチェンバロ、下手側にピアノが置かれ、さらにいくつかの照明器具、見立てに使うと思われる大道具など、ステージはいわゆる演奏会のそれではなくて、まさに「舞台」のそれでした。
※当日のパンフレットはきちんとこの曲目がすべて掲載され、解説も載せられたものでした。ここからもギリギリまで演者のみならずスタッフ一同が努力されたことがよくわかろうというものです。
なお、シェイクスピアの「テンペスト(あらし)」のお話を知らないとこの公演を味わいきれない可能性がありますので、今日行かれる方は今からでも読んで!……とはさすがに言えないので(笑)、せめて早めに会場入りして、プログラムにある「あらすじ」と曲目の対応表をつきあわせておかれることをオススメします。既読の方も、さらっとおさらいだけでもしておくとより愉しいですよ、とは最近読み返したばかりの千葉の意見であります(言えない、昔読んだ時の記憶がほとんどなくて、ほとんど初読並みの新鮮さだったなんて(自分にとって)悲しい事実……)。
誘導灯まで完全に消した闇に嵐の轟音、そこで一気にドラマが戯曲のとおりに始まり、そこから一時間と十数分、一気に踊られ演奏され演じられたドラマの詳細が気になる方は、ぜひ今日の公演に行ってみてくださいませ、濃密な時間が楽しめますから。場面に応じた選曲、そして照明とちょっとした大道具小道具、そしてダンスによってドラマを「示唆」するのではなく、きっちり場面を想定して選ばれた音楽が、演奏者(というより演者)と、ミランダ、そしてエアリアルとして振る舞うダンサー加賀谷香とのコミュニケーションが雄弁に語るこの舞台は、これ以上はどこも削れないほどに洗練された見事な「劇」だった、と千葉からは申し上げます。
(もし後日、主催者のサイトで来場者に配布された「場面と演奏曲目」がアップされなければその辺りについて追記します、アップされたらリンクします。
この日の曲目でプレイリストを作って聴くだけでも、”架空の「テンペスト」のサウンドトラック”として楽しめそうなものですから、ここでご紹介したい気持ちはやまやまですが、これはまず会場で知らされて、そこから舞台が終わるまで頭をフル回転させて楽しむのが筋かと存じます故。)
*************
音楽の人らしいことも書き足しておきましょう。
・チェンバロ以外は基本的にモダン楽器による演奏だったかと思われます。ピアノ、クラリネットとの音量的バランスや、”ガット弦だと劇中に調律をする必要が出てしまい、舞台の空気が壊れる”という判断かと推察される取り回し面からの判断でしょう。佐藤、懸田両名の「モダン楽器によるバッハ」はある意味新鮮でした。
・必要に応じて、適宜編曲して演奏されてます。たとえば冒頭に演奏されるヴィヴァルディの「四季」から「夏」の第3楽章はピアノ&ヴァイオリン、チェロ、クラリネットですからね、この「ドラマ」は考証的なアプローチではないのです、と最初に宣言されたような気がいたしました。ちなみに編曲が一番楽しめたのはソレールの「ファンダンゴ」でした、劇中の効果も高くて。
・目の前で聴いたメシアンの「鳥たちの深淵」はもう、「クラリネットってすげえな!」と子どものような感想になりました(笑)。吉田誠、覚えておいてくださいね皆さんも(偉そうに言うな)。
・鈴木優人のピアノ、作曲家というか指揮者というか、作品を俯瞰しつつ演奏するタイプに感じられてなかなか興味深いものでした。
えっとですね、きっと体験された方の数だけ感想が出てくるような、そんな刺激的な舞台でした。今日の公演は15時からなので、間に合う方はぜひに、とオススメさせていただきます。
以上、実は「ごちそうさまでした」という一言にまとまってしまうレポートはこれにておしまい、ごきげんよう。
2016年1月31日日曜日
2016年1月29日金曜日
書きました:鈴木優人&佐藤俊介が魅せる、新しいコンサートの「かたち」
こんにちは。千葉です。
公演直前の紹介なのでこれも前振りなし。
●鈴木優人&佐藤俊介が魅せる、新しいコンサートの「かたち」
明日明後日の公演ですので急ぎ紹介を。
と言っても記事と同じことを書いても仕方ない、とも思うのでいくつかの動画で今回のメンバー紹介をしましょそうしましょ。なお敬称略につきましてはご容赦のほど。
まずは佐藤俊介、ヴァイオリン。
AAM、いわゆるエンシェント室内管にソリストとしてデビューした際の紹介動画ですね。もっと聴きたい!という方には、オランダバッハ協会の「All of Bach」でヴァイオリン協奏曲 BWV.1042も視聴できますよ。ぜひ。
続いて鈴木優人、各種鍵盤奏者。ひとつ騙されたと思って聴いてみてくださいな。
マイクロトーナルナニソレオイシイノ?と思って気軽に聴き始めて吃驚した千葉の気持ちを共有いただけましたでしょうか(笑)。四分音、六分音くらいなら存じておりましたが31平均律なんてこの動画で初めて知りましたし聴きましたわ。
いわゆる現代音楽の本を読めば必ずと言っていいほど「微分音は調律が転調が、だから歌や管弦に向かなくて」などの言及があるわけですが、演奏家が音を作る必要がないオルガンならその問題はそもそも存在しない。だからこそこういう音楽も演奏できるわけですね。
オルガン音楽というとついバッハあたりのバロック音楽を想起しがちですけれど、考えてみればメシアンだってオルガニストですからね。それに即興をよくすることがあるせいか、現代のオルガニストの皆さんは作曲もされているケースが多いように思われます。鈴木優人もまた作曲もする音楽家であることは、千葉はバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会のアンコールで知りました。もっともあれは編曲でしたけど(これだけで察しの良い方は「あああれか」と思われることでしょう)。
さて続いてはチェロの懸田貴嗣。いわゆる古楽(「同時代アプローチ」という単語を流行らせたいがそのすべがない)における通奏低音の役割は大きいですからね、そこで長く活躍されているのは伊達ではないのです。だからそういう演奏を紹介、とも思ったけれど、探してみればラ・ヴェネクシアーナの演奏フルサイズとか、YouTubeにはゴロゴロ転がってはいるけれど、さすがにブログに貼る気にはならず(貼ったも同然の発言)。代わりにこういうのは如何でしょう。
バロックチェロとか演奏してみたいです私も。と言いつつ、どうせピリオド楽器をやるならホルンがいいな、バッハもハイドンも演奏できるし、なにより管楽器経験が活きるし(おーい)。
では演奏家最後はクラリネット、吉田誠。昨年12月のコンサートを前に「クラシック・ニュース」様がインタビューした動画をどうぞ。
千葉がグダグダ書くよりよっぽど簡潔に、彼自身のこれまでとこれからを語ってくれております。
あとの出演はダンサーの加賀谷香ですが、YouTubeで紹介に向く動画が見つけられずこまったな、と思いきや公式サイトで彼女自身のプロジェクト「Kagaya Kaori Dance-SHAN」のダイジェストがございました。そんなわけで公式サイトでご覧ください。
さて公演は明日明後日、どんな体験ができますか。期待して明日の公演に伺ってきます。ではまた、おそらくコンサートの感想で。
公演直前の紹介なのでこれも前振りなし。
●鈴木優人&佐藤俊介が魅せる、新しいコンサートの「かたち」
明日明後日の公演ですので急ぎ紹介を。
と言っても記事と同じことを書いても仕方ない、とも思うのでいくつかの動画で今回のメンバー紹介をしましょそうしましょ。なお敬称略につきましてはご容赦のほど。
まずは佐藤俊介、ヴァイオリン。
AAM、いわゆるエンシェント室内管にソリストとしてデビューした際の紹介動画ですね。もっと聴きたい!という方には、オランダバッハ協会の「All of Bach」でヴァイオリン協奏曲 BWV.1042も視聴できますよ。ぜひ。
続いて鈴木優人、各種鍵盤奏者。ひとつ騙されたと思って聴いてみてくださいな。
マイクロトーナルナニソレオイシイノ?と思って気軽に聴き始めて吃驚した千葉の気持ちを共有いただけましたでしょうか(笑)。四分音、六分音くらいなら存じておりましたが31平均律なんてこの動画で初めて知りましたし聴きましたわ。
いわゆる現代音楽の本を読めば必ずと言っていいほど「微分音は調律が転調が、だから歌や管弦に向かなくて」などの言及があるわけですが、演奏家が音を作る必要がないオルガンならその問題はそもそも存在しない。だからこそこういう音楽も演奏できるわけですね。
オルガン音楽というとついバッハあたりのバロック音楽を想起しがちですけれど、考えてみればメシアンだってオルガニストですからね。それに即興をよくすることがあるせいか、現代のオルガニストの皆さんは作曲もされているケースが多いように思われます。鈴木優人もまた作曲もする音楽家であることは、千葉はバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会のアンコールで知りました。もっともあれは編曲でしたけど(これだけで察しの良い方は「あああれか」と思われることでしょう)。
さて続いてはチェロの懸田貴嗣。いわゆる古楽(「同時代アプローチ」という単語を流行らせたいがそのすべがない)における通奏低音の役割は大きいですからね、そこで長く活躍されているのは伊達ではないのです。だからそういう演奏を紹介、とも思ったけれど、探してみればラ・ヴェネクシアーナの演奏フルサイズとか、YouTubeにはゴロゴロ転がってはいるけれど、さすがにブログに貼る気にはならず(貼ったも同然の発言)。代わりにこういうのは如何でしょう。
バロックチェロとか演奏してみたいです私も。と言いつつ、どうせピリオド楽器をやるならホルンがいいな、バッハもハイドンも演奏できるし、なにより管楽器経験が活きるし(おーい)。
では演奏家最後はクラリネット、吉田誠。昨年12月のコンサートを前に「クラシック・ニュース」様がインタビューした動画をどうぞ。
千葉がグダグダ書くよりよっぽど簡潔に、彼自身のこれまでとこれからを語ってくれております。
あとの出演はダンサーの加賀谷香ですが、YouTubeで紹介に向く動画が見つけられずこまったな、と思いきや公式サイトで彼女自身のプロジェクト「Kagaya Kaori Dance-SHAN」のダイジェストがございました。そんなわけで公式サイトでご覧ください。
さて公演は明日明後日、どんな体験ができますか。期待して明日の公演に伺ってきます。ではまた、おそらくコンサートの感想で。
書きました・聴きました:【速報】新国立劇場「魔笛」開幕レポート
こんにちは。千葉です。
今日は前置きなしで書いた記事の紹介をば。
●【速報】新国立劇場「魔笛」開幕レポート
新国立劇場2016年最初の公演に伺い、このようなレポートを書きましたよ。文中に書いた通り、一幕では硬さからくる全体のアンサンブルに座りの悪さが気になる部分もありましたが(特に挙げるなら、掛け合いのテンポ感が揃わなかった感あり)、これは慣れの問題かとも思われました、二日目以降は如何でしょうか>聴かれた方。
指揮のパーテルノストロはとくにテンポを動かしてどうのこうのというタイプではなく、アンサンブルをきっちりグリップして、運転に例えるなら適度に刺激的な範囲で安全にドライヴを楽しむタイプかなと思われました。力業で聴き手を振り回すタイプではない、と言いますか。そして東京交響楽団は指揮者を無視して暴走したりはしないタイプのオーケストラですから、お互いに待ちに入ってしまって様子見感があったのは惜しい。とはいえそういう顔合わせ故に、前半より後半に、互いのグリップ感が掴めてからの音楽に多く美点がありました(という話も記事に書いています)。
なんというか、共演回数を重ねればマエストロのまた違う顔が見えそうにも思います、どこかシンフォニーコンサートで呼びませんか?(笑)
キャスト勢で、記事中で触れなかった皆さんのうちでは「モーツァルトってテノールが嫌いなのかなあ、と彼のオペラを聴くといつも思ってしまう千葉です故、今回は言及しにくかったですごめんなさい(ドン・オッターヴィオでなくてよかったと言えなくもない)、タミーノの鈴木准」「アンサンブルが落ちついてからの短い出番で美味しいところを持って行ってしまったのはちょっとずるい、パパゲーナの鷲尾麻衣」ご両名(敬称略)についてはここで拍手を贈らせていただきます(笑)。
*************
記事の中で、この演出が直球勝負であることに肯定的に言及しておりますことについて一言補足を。
こと「魔笛」について、その昔オペラを聴き始めたころに調べた時期に読んだ本には「混乱した筋書き」「フリーメーソンが」などなど、いつも同じことが書かれていました。で、実際に最初に見た「魔笛」はアルノルト・エストマン指揮のもの、当時はレーザーディスクでした(遠い目)。
これが原体験だったから、とは言いませんけど、考えて考えてその挙句にたとえば「家族の再生の物語」みたいな単語に回収されてしまうような小利口な舞台(あまり言いたくはないけどラトル&ベルリン・フィル他の舞台はその傾向だった)よりは、「シカネーダー一座の歌芝居」を見せてもらうほうが千葉は好きです。猥雑でデタラメで、基本的に収拾ついてないお話の、楽しめるところを受け手それぞれがかってに楽しんじゃう作品なんじゃないかなって思ってるんですよ、身も蓋もない言い方をすれば。要約できない、整理しきれない部分があるから面白い、そこが「魔笛」と、いわゆるダ・ポンテ三部作との違いじゃないかなって。そういうことを書く機会もまたあるだろうと思ってはいますが、とりあえず概略だけ。
そこでこの上演ですが、千葉が行った日にも高校生がまとまって来場されていたように入門に最適だと思いますし、作品がそもそもどういうものであるかを示すプロダクションには入門だけにとどまらない価値がある、とみなす次第ですよ。もちろん、面白いものなら読み替えだって歓迎しますけど、その読みが妥当でなければちょっと辛い。この辺の話は突っ込むと長くなるので機会がありましたらまた。
でこのプロダクションに戻ると、作品本来の姿を示してあればこそ、「プロダクションが豪華すぎて外に出せない」のが惜しいなって思えるんです。せっかくの国の施設なのだから、この良プロダクションで各地に巡業できたりすればより新国立劇場がもっと認知されるだろうに、各地の劇場にはあのような機構がない。絶対にない(笑)。
前にも何度か書いていますが、千葉が最初に会場で見たオペラは、ブルノのオペラの引っ越し公演で「ドン・ジョヴァンニ」でした。これはもうシンプルな大道具いくつかしかなかったはず、演出も至ってシンプル(というか「出入りは台本通り、それ以外は歌手任せじゃないか」と今見たら思うはず)。
そんな舞台ではゴージャスとか祝祭とか、あまり千葉が言及しない方向の(笑)オペラのイメージからは離れてしまうけど、でも「ちゃんとオペラを見たよ」って経験は間違いなくできる。そのときに、その舞台を提供しているのが●×だった、という記憶ってけっこう大事なものだと思うんですね。だから、新国も何かの形で国内巡業ができればそのあたり、いろいろといいことがあると思うんですけど如何かしらん。
(オフ・ブロードウェイ的に、プレミエ前にセミステージ上演とかあってもいいかも。アンサンブルの熟成によさそうですし。あとは休演日にアンダスタディチームによるコンサート形式上演とかも。あともう一個、METみたいなネット配信は無理でも、映画として各地の公共施設で上映会とかできないかな?とかなんとか。)
そんな風にちょっと前まで地方にいた千葉としては思う次第ですよ。
記事を書いた時点でもう楽日の公演は完売でしたのでこれから見に行くのはチケットを買ってある方だけとなりますが、是非皆さまが上演を楽しまれますよう、いい公演となりますよう。
今日は前置きなしで書いた記事の紹介をば。
●【速報】新国立劇場「魔笛」開幕レポート
新国立劇場2016年最初の公演に伺い、このようなレポートを書きましたよ。文中に書いた通り、一幕では硬さからくる全体のアンサンブルに座りの悪さが気になる部分もありましたが(特に挙げるなら、掛け合いのテンポ感が揃わなかった感あり)、これは慣れの問題かとも思われました、二日目以降は如何でしょうか>聴かれた方。
指揮のパーテルノストロはとくにテンポを動かしてどうのこうのというタイプではなく、アンサンブルをきっちりグリップして、運転に例えるなら適度に刺激的な範囲で安全にドライヴを楽しむタイプかなと思われました。力業で聴き手を振り回すタイプではない、と言いますか。そして東京交響楽団は指揮者を無視して暴走したりはしないタイプのオーケストラですから、お互いに待ちに入ってしまって様子見感があったのは惜しい。とはいえそういう顔合わせ故に、前半より後半に、互いのグリップ感が掴めてからの音楽に多く美点がありました(という話も記事に書いています)。
なんというか、共演回数を重ねればマエストロのまた違う顔が見えそうにも思います、どこかシンフォニーコンサートで呼びませんか?(笑)
キャスト勢で、記事中で触れなかった皆さんのうちでは「モーツァルトってテノールが嫌いなのかなあ、と彼のオペラを聴くといつも思ってしまう千葉です故、今回は言及しにくかったですごめんなさい(ドン・オッターヴィオでなくてよかったと言えなくもない)、タミーノの鈴木准」「アンサンブルが落ちついてからの短い出番で美味しいところを持って行ってしまったのはちょっとずるい、パパゲーナの鷲尾麻衣」ご両名(敬称略)についてはここで拍手を贈らせていただきます(笑)。
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記事の中で、この演出が直球勝負であることに肯定的に言及しておりますことについて一言補足を。
こと「魔笛」について、その昔オペラを聴き始めたころに調べた時期に読んだ本には「混乱した筋書き」「フリーメーソンが」などなど、いつも同じことが書かれていました。で、実際に最初に見た「魔笛」はアルノルト・エストマン指揮のもの、当時はレーザーディスクでした(遠い目)。
これが原体験だったから、とは言いませんけど、考えて考えてその挙句にたとえば「家族の再生の物語」みたいな単語に回収されてしまうような小利口な舞台(あまり言いたくはないけどラトル&ベルリン・フィル他の舞台はその傾向だった)よりは、「シカネーダー一座の歌芝居」を見せてもらうほうが千葉は好きです。猥雑でデタラメで、基本的に収拾ついてないお話の、楽しめるところを受け手それぞれがかってに楽しんじゃう作品なんじゃないかなって思ってるんですよ、身も蓋もない言い方をすれば。要約できない、整理しきれない部分があるから面白い、そこが「魔笛」と、いわゆるダ・ポンテ三部作との違いじゃないかなって。そういうことを書く機会もまたあるだろうと思ってはいますが、とりあえず概略だけ。
そこでこの上演ですが、千葉が行った日にも高校生がまとまって来場されていたように入門に最適だと思いますし、作品がそもそもどういうものであるかを示すプロダクションには入門だけにとどまらない価値がある、とみなす次第ですよ。もちろん、面白いものなら読み替えだって歓迎しますけど、その読みが妥当でなければちょっと辛い。この辺の話は突っ込むと長くなるので機会がありましたらまた。
でこのプロダクションに戻ると、作品本来の姿を示してあればこそ、「プロダクションが豪華すぎて外に出せない」のが惜しいなって思えるんです。せっかくの国の施設なのだから、この良プロダクションで各地に巡業できたりすればより新国立劇場がもっと認知されるだろうに、各地の劇場にはあのような機構がない。絶対にない(笑)。
前にも何度か書いていますが、千葉が最初に会場で見たオペラは、ブルノのオペラの引っ越し公演で「ドン・ジョヴァンニ」でした。これはもうシンプルな大道具いくつかしかなかったはず、演出も至ってシンプル(というか「出入りは台本通り、それ以外は歌手任せじゃないか」と今見たら思うはず)。
そんな舞台ではゴージャスとか祝祭とか、あまり千葉が言及しない方向の(笑)オペラのイメージからは離れてしまうけど、でも「ちゃんとオペラを見たよ」って経験は間違いなくできる。そのときに、その舞台を提供しているのが●×だった、という記憶ってけっこう大事なものだと思うんですね。だから、新国も何かの形で国内巡業ができればそのあたり、いろいろといいことがあると思うんですけど如何かしらん。
(オフ・ブロードウェイ的に、プレミエ前にセミステージ上演とかあってもいいかも。アンサンブルの熟成によさそうですし。あとは休演日にアンダスタディチームによるコンサート形式上演とかも。あともう一個、METみたいなネット配信は無理でも、映画として各地の公共施設で上映会とかできないかな?とかなんとか。)
そんな風にちょっと前まで地方にいた千葉としては思う次第ですよ。
記事を書いた時点でもう楽日の公演は完売でしたのでこれから見に行くのはチケットを買ってある方だけとなりますが、是非皆さまが上演を楽しまれますよう、いい公演となりますよう。
2016年1月17日日曜日
1月は2016年イブとのだめ、シャイー、そして、ブーレーズ…
こんにちは。千葉です。
いつものやつ、ギリですがなんとか放送前にアップしますよ。前置きなし。
*************
さてと、前週のニューイヤーコンサート再放送は華麗にスルー(旧い)させていただきましたが、2016年のプレミアムシアターの紹介もしていきますよ。いろいろあって「広報的なお手伝いがんばろう」って気持ちでもありますし。共存共栄、レッツウィンウィンですよ!(その物言いはどうか)
●1月18日(月)【1月17日(日)深夜】午前0時20分~4時20分
・小曽根 真&ニューヨーク・フィル ニューイヤーズ イブ
・のだめと千秋のハーモニー
新年最初のプレミアムシアターは(しつこい)ニューヨーク・フィルハーモニックのジルベスターコンサート。ってか英語圏だと「ニューイヤーズ・イブ」コンサートなんですね、ふむ。来年からでも、二番煎じ感を避けるのに使ってもいいかもですよ?(やはりテンションがおかしい)ゲストとして小曽根真を招いたアラン・ギルバートとNYPが、それでもやっぱりオペレッタ曲メインになるのね、むむむ。
なお、会場のデヴィッド・ゲフィン・ホールはかつてエイヴリー・フィッシャー・ホールと呼ばれていたところであります。
そして番組後半は昨年末に記事でも紹介しましたが、映画「のだめカンタービレ 最終楽章」名曲選です。ブームのときにほしかった企画ですよ、ほんと。今からでも遅くはないと思いたいけど果たしてどうか。
少し思い出してください、YouTubeにはかつて投稿できる動画の時間制限があったことを。そして今のようには公式の、権利的に問題のない拡散可能な映像配信はほぼなかったことを。
昔はこうやって「どうせなら全曲聴いてみてよ!」ってできなかったんす。ちなみにこれはイヴァン・フィッシャー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏ですよ。
だから当時は聴いてみようと思った人たちに、企画CDなどの商いを紹介するしかなかった。まだクラシックを楽しめるかどうかわかってない人たちに、作中で出てくる音楽がどんなものかをフルサイズで知らせることなく、いきなり商業に結びつけた活動になってしまっていたことは、いくら千葉がクラシックがいいものだと認識していても、いささか無茶でした。
考えてみてください、たとえば「現物」のフェルメールはなかなか見られなくてもポスターや書籍、ネットなどで概要程度なら見ることができる、そこから「現物」への欲望が起動するでしょう、フェルメールに触れた人にとって本物の欲望が。しかしクラシックはどうか。音楽の授業で聴いた、CMやドラマ、映画で少し聴いた、くらいのところから欲望が起動すること、ほとんどないと思うので。
フックはいろんなところにある、でもその先に進むための手助けはいつもない。思うに、普及云々の議論はこの辺りに起点を作ってやらないと拙い気がしている次第だよ。この話、長くなるから本日ここではアウトラインだけ。というかそんな大きいお題に取り組める日が来るのでしょうか。
※追記。まず、電子番組表の変更のため録画予約は開始せず(いちおう演奏が始まる前に気がついた)、降雪のため録画は途中で終わっておりました。ダメだこりゃ(笑)。
●1月25日(月)【1月24日(日)深夜】午前0時~
・ミラノ・スカラ座2015/16シーズン開幕公演 ヴェルディ:歌劇『ジャンヌ・ダルク』
・ドキュメンタリー ジャーニー・オブ・ライフ ~指揮者シャイーとその音楽~
・シャイー指揮 ゲヴァントハウスのマーラー 交響曲第4番【5.1サラウンド】
さあ気分を変えて。この週は好きなリッカルド・シャイー祭りです。イヤッホウ!(気分変えすぎ)
今年のミラノ・スカラ座シーズン開幕公演は、なんでも「演出家がカーテンコールでシャイーにかまってもらえなくて悪態をついたら音声が拾われ」て話題になったのだとか(笑)。幸い、上演自体は好評で、果たしてこの先シャイーと演出家の関係がどうなのかはわかりませんけれど、この放送も楽しめることでしょう。ジャアアアンヌウウウ(キャスターの旦那的に読んでね!)にアンナ・ネトレプコですよ。2015年12月7日の上演です。
そしてドキュメンタリー「ジャーニー・オブ・ライフ ~指揮者シャイーとその音楽~」は2014年 ドイツの制作、当時は「もっとゲヴァントハウスにいてくれる」と思ってただろうな…と少しく不憫には思うけれど、貴重な記録です。ありがたいありがたい。
そして最後のマーラーの交響曲第四番は、ソフト化されている一連のゲヴァントハウスとのマーラーから、再放送なのかな?手元に第五番しかないのでこれまたありがたいありがたい。2012年の演奏です。
●2月1日(月)【1月31日(日)深夜】午前0時20分~
・ピエール・ブーレーズをしのんで
追憶のブーレーズ ~現代音楽の巨匠をしのぶ~
ピエール・ブーレーズ IN ルツェルン
ピエール・ブーレーズ指揮 グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団演奏会
ブーレーズの逝去については、いま記事を書いている最中なのでその紹介の際にでも個人的に思うところは書きますよ。私淑した、としか言い様がないマエストロ(千葉がその昔、アマチュア指揮者をやれたのは、バーンスタインとブーレーズのおかげでしたから)がまたひとり現世を去られて、ただ頭を垂れるのみ、というのが正直な気持ちではあります。
前半はルツェルン音楽祭での演奏とインタヴューで編まれたドキュメンタリ(おそらくソフト化されているもの)、後半は最後の来日公演から、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団とのサントリーホールでの演奏会です。たしかこれ、両陛下ご臨席だったんじゃなかったかなあ…(遠い目)2003年4月21日の演奏会です。
たぶんこれが前半のものかなと。
※冒頭に「追憶のブーレーズ ~現代音楽の巨匠をしのぶ~」というコーナーが追加されております。野平一郎、藤倉大とゆかりの人びとが出演して生前のブーレーズについて話してくれる、というところでしょうか。
*************
最後に公共放送様お願いです、フェスティヴァルの主役であり司祭であり裁判官でもあった彼の逝去により歴史となった「ブーレーズ・フェスティバル」のすべてを再放送してはいただけないでしょうか。記憶ではかなりの演奏会がFM、BSに教育テレビで放送されたはず、あれが公共放送自慢の音声映像で届けられることには意味があると思うのです、とあのイヴェントのおかげで20世紀音楽に対して耳と心が開いたと自認するところの私からお願いさせていただきます。是非。
いつものやつ、ギリですがなんとか放送前にアップしますよ。前置きなし。
*************
さてと、前週のニューイヤーコンサート再放送は華麗にスルー(旧い)させていただきましたが、2016年のプレミアムシアターの紹介もしていきますよ。いろいろあって「広報的なお手伝いがんばろう」って気持ちでもありますし。共存共栄、レッツウィンウィンですよ!(その物言いはどうか)
●1月18日(月)【1月17日(日)深夜】午前0時20分~4時20分
・小曽根 真&ニューヨーク・フィル ニューイヤーズ イブ
・のだめと千秋のハーモニー
新年最初のプレミアムシアターは(しつこい)ニューヨーク・フィルハーモニックのジルベスターコンサート。ってか英語圏だと「ニューイヤーズ・イブ」コンサートなんですね、ふむ。来年からでも、二番煎じ感を避けるのに使ってもいいかもですよ?(やはりテンションがおかしい)ゲストとして小曽根真を招いたアラン・ギルバートとNYPが、それでもやっぱりオペレッタ曲メインになるのね、むむむ。
なお、会場のデヴィッド・ゲフィン・ホールはかつてエイヴリー・フィッシャー・ホールと呼ばれていたところであります。
そして番組後半は昨年末に記事でも紹介しましたが、映画「のだめカンタービレ 最終楽章」名曲選です。ブームのときにほしかった企画ですよ、ほんと。今からでも遅くはないと思いたいけど果たしてどうか。
少し思い出してください、YouTubeにはかつて投稿できる動画の時間制限があったことを。そして今のようには公式の、権利的に問題のない拡散可能な映像配信はほぼなかったことを。
昔はこうやって「どうせなら全曲聴いてみてよ!」ってできなかったんす。ちなみにこれはイヴァン・フィッシャー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏ですよ。
だから当時は聴いてみようと思った人たちに、企画CDなどの商いを紹介するしかなかった。まだクラシックを楽しめるかどうかわかってない人たちに、作中で出てくる音楽がどんなものかをフルサイズで知らせることなく、いきなり商業に結びつけた活動になってしまっていたことは、いくら千葉がクラシックがいいものだと認識していても、いささか無茶でした。
考えてみてください、たとえば「現物」のフェルメールはなかなか見られなくてもポスターや書籍、ネットなどで概要程度なら見ることができる、そこから「現物」への欲望が起動するでしょう、フェルメールに触れた人にとって本物の欲望が。しかしクラシックはどうか。音楽の授業で聴いた、CMやドラマ、映画で少し聴いた、くらいのところから欲望が起動すること、ほとんどないと思うので。
フックはいろんなところにある、でもその先に進むための手助けはいつもない。思うに、普及云々の議論はこの辺りに起点を作ってやらないと拙い気がしている次第だよ。この話、長くなるから本日ここではアウトラインだけ。というかそんな大きいお題に取り組める日が来るのでしょうか。
※追記。まず、電子番組表の変更のため録画予約は開始せず(いちおう演奏が始まる前に気がついた)、降雪のため録画は途中で終わっておりました。ダメだこりゃ(笑)。
●1月25日(月)【1月24日(日)深夜】午前0時~
・ミラノ・スカラ座2015/16シーズン開幕公演 ヴェルディ:歌劇『ジャンヌ・ダルク』
・ドキュメンタリー ジャーニー・オブ・ライフ ~指揮者シャイーとその音楽~
・シャイー指揮 ゲヴァントハウスのマーラー 交響曲第4番【5.1サラウンド】
さあ気分を変えて。この週は好きなリッカルド・シャイー祭りです。イヤッホウ!(気分変えすぎ)
今年のミラノ・スカラ座シーズン開幕公演は、なんでも「演出家がカーテンコールでシャイーにかまってもらえなくて悪態をついたら音声が拾われ」て話題になったのだとか(笑)。幸い、上演自体は好評で、果たしてこの先シャイーと演出家の関係がどうなのかはわかりませんけれど、この放送も楽しめることでしょう。ジャアアアンヌウウウ(キャスターの旦那的に読んでね!)にアンナ・ネトレプコですよ。2015年12月7日の上演です。
そしてドキュメンタリー「ジャーニー・オブ・ライフ ~指揮者シャイーとその音楽~」は2014年 ドイツの制作、当時は「もっとゲヴァントハウスにいてくれる」と思ってただろうな…と少しく不憫には思うけれど、貴重な記録です。ありがたいありがたい。
そして最後のマーラーの交響曲第四番は、ソフト化されている一連のゲヴァントハウスとのマーラーから、再放送なのかな?手元に第五番しかないのでこれまたありがたいありがたい。2012年の演奏です。
●2月1日(月)【1月31日(日)深夜】午前0時20分~
・ピエール・ブーレーズをしのんで
追憶のブーレーズ ~現代音楽の巨匠をしのぶ~
ピエール・ブーレーズ IN ルツェルン
ピエール・ブーレーズ指揮 グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団演奏会
ブーレーズの逝去については、いま記事を書いている最中なのでその紹介の際にでも個人的に思うところは書きますよ。私淑した、としか言い様がないマエストロ(千葉がその昔、アマチュア指揮者をやれたのは、バーンスタインとブーレーズのおかげでしたから)がまたひとり現世を去られて、ただ頭を垂れるのみ、というのが正直な気持ちではあります。
前半はルツェルン音楽祭での演奏とインタヴューで編まれたドキュメンタリ(おそらくソフト化されているもの)、後半は最後の来日公演から、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団とのサントリーホールでの演奏会です。たしかこれ、両陛下ご臨席だったんじゃなかったかなあ…(遠い目)2003年4月21日の演奏会です。
たぶんこれが前半のものかなと。
※冒頭に「追憶のブーレーズ ~現代音楽の巨匠をしのぶ~」というコーナーが追加されております。野平一郎、藤倉大とゆかりの人びとが出演して生前のブーレーズについて話してくれる、というところでしょうか。
*************
最後に公共放送様お願いです、フェスティヴァルの主役であり司祭であり裁判官でもあった彼の逝去により歴史となった「ブーレーズ・フェスティバル」のすべてを再放送してはいただけないでしょうか。記憶ではかなりの演奏会がFM、BSに教育テレビで放送されたはず、あれが公共放送自慢の音声映像で届けられることには意味があると思うのです、とあのイヴェントのおかげで20世紀音楽に対して耳と心が開いたと自認するところの私からお願いさせていただきます。是非。
2016年1月15日金曜日
書きました:ブリテンの「戦争レクイエム」
こんにちは。千葉です。
更新が不安定で申し訳ないです。2016年はもっとまともに紹介していけるようにがんばります(島村卯月さんのように←フラグ)。
さて、もう本日からの公演になるので急ぎご紹介だけ。
●ハーディング&新日本フィル、「戦争レクイエム」に挑む ~リハーサル初日取材レポート!
新日本フィルハーモニー交響楽団様に取材させていただいて、オーケストラとのリハーサル初日を拝見してきまして、そのレポートと併せてブリテンの大作についてのご紹介をしております。
なお、少しだけ「解題」でもないのですが。
タイトルの「挑む」は「(最高の演奏に)」が字数の関係で入らなかったものです。その昔、作曲者自身が望んだメンバーにより録音がされて以来、「戦争レクイエム」の演奏は実演・録音ともに常にその録音と比べられる運命にあるわけで。そんなことは英国人としてご存知のはずのハーディングがこの曲を演奏することに、挑戦の要素がないとも思えませんでしたし。
記事に書いた通り、初日のリハーサルは大枠を作ることに目的があります。なにより今回の場合声楽陣は不在だから音響的には詰めようがない。そんな中でどうまとめてくるのかな、と興味深く拝見して来て、個人的な感触は「詰めがうまく行けば…!」というものです。
文中には書かなかったことでは「五連符の扱いには何度か注意を促している(16分音符にならないように、と。引きずり、しかし確実に前に進むように演奏させていた)」「オッフェルトリウムのフーガを”スウィング”させようとしていた(ここは時間切れ、というか翌日以降の合わせポイントだったかと思われる)」などなど。
今日演奏を聴かれる方はぜひ劇的なレクイエムをお楽しみあれ、明日聴かれる方は時間があれば文中に挙げたいくつかの映像作品で第一次世界大戦の雰囲気を感じて予習されたし。文中に挙げなかったやつならキューブリックの「突撃」がいいっすね(WWIもの大好き)。
では今回はひとまずこれにて、ごきげんよう。
更新が不安定で申し訳ないです。2016年はもっとまともに紹介していけるようにがんばります(島村卯月さんのように←フラグ)。
さて、もう本日からの公演になるので急ぎご紹介だけ。
●ハーディング&新日本フィル、「戦争レクイエム」に挑む ~リハーサル初日取材レポート!
新日本フィルハーモニー交響楽団様に取材させていただいて、オーケストラとのリハーサル初日を拝見してきまして、そのレポートと併せてブリテンの大作についてのご紹介をしております。
なお、少しだけ「解題」でもないのですが。
タイトルの「挑む」は「(最高の演奏に)」が字数の関係で入らなかったものです。その昔、作曲者自身が望んだメンバーにより録音がされて以来、「戦争レクイエム」の演奏は実演・録音ともに常にその録音と比べられる運命にあるわけで。そんなことは英国人としてご存知のはずのハーディングがこの曲を演奏することに、挑戦の要素がないとも思えませんでしたし。
記事に書いた通り、初日のリハーサルは大枠を作ることに目的があります。なにより今回の場合声楽陣は不在だから音響的には詰めようがない。そんな中でどうまとめてくるのかな、と興味深く拝見して来て、個人的な感触は「詰めがうまく行けば…!」というものです。
文中には書かなかったことでは「五連符の扱いには何度か注意を促している(16分音符にならないように、と。引きずり、しかし確実に前に進むように演奏させていた)」「オッフェルトリウムのフーガを”スウィング”させようとしていた(ここは時間切れ、というか翌日以降の合わせポイントだったかと思われる)」などなど。
今日演奏を聴かれる方はぜひ劇的なレクイエムをお楽しみあれ、明日聴かれる方は時間があれば文中に挙げたいくつかの映像作品で第一次世界大戦の雰囲気を感じて予習されたし。文中に挙げなかったやつならキューブリックの「突撃」がいいっすね(WWIもの大好き)。
では今回はひとまずこれにて、ごきげんよう。
2015年12月13日日曜日
12月は「意外な演出家&オペラ」
こんにちは。千葉です。
例によってギリギリになってしまったので今回は前振りはございません。あしからず。
*************
ということでさっそく参りましょう、NHK BSのプレミアムシアター、12月の予定です。と言っても今月は二回しかない。年末は特別編成なので27日深夜の分が潰れちゃうんですね。なにか他に素敵なコンサートとかオペラの放送はないのかなあ(チラチラッ)。
イヤミはこの辺で(シェー!←おい)、さくっとご紹介を。
●12月14日(月)【12月13日(日)深夜】午前0時10分~4時45分
・野田秀樹演出 歌劇『フィガロの結婚』~庭師は見た!~【5.1サラウンド】
・ドキュメンタリー『きよしこの夜 ~世界をひとつにした歌~』(2014年 イギリス)
前半は日本各地で上演された今年の話題作、野田秀樹演出 歌劇『フィガロの結婚』~庭師は見た!~を10月24日、東京芸術劇場での公演で。
日本語とイタリア語が混在する独特な作り、どんな感じなのかしらとツアー中から気になっていたのでようやく見られることにひと安心ですよ(笑)。
そしてこれは宮城県の名取公演のための野田秀樹へのインタヴュー、気になる方はぜひチェックを。
番組後半はちょっと内容が読めません。「きよしこの夜 ~世界をひとつにした歌~」というドキュメンタリー、だそうで。
●12月21日(月)【12月20日(日)深夜】午前0時10分~3時55分
・ウディ・アレン演出 歌劇『ジャンニ・スキッキ』【5.1サラウンド】
・ドキュメンタリー ウディ・アレンの『ジャンニ・スキッキ』~その舞台裏~(2015年 ドイツ)
・プロムス2015 バーンスタインのミュージカル・ガラ ~没後25周年記念~【5.1サラウンド】
この週も演出が売りのオペラ、ということになりますね。日本の演出家代表が野田秀樹なら、アメリカからはウディ・アレンが参戦ですよ!(地上波っぽいアオリ)。
ロサンゼルスオペラはちゃんと三部作として上演したようなんだけど、この日放送されるのは「ジャンニ・スキッキ」のみ。まあ、三部作は滅入るから仕方ないかなあ。「外套」はただのヴェリズモをプッチーニが無駄に上手にやってる分気分悪いし、「アンジェリカ」は辛気臭いし(笑)。ちなみにこの舞台、ジャンニ・スキッキ役がドミンゴだったりするそうとうな豪華版であります(っていうか彼はロサンゼルス・オペラの芸術監督)。ちなみにこんな感じの舞台ですよ。
その後にドイツで制作されたこの上演についてのドキュメンタリーがあり。
その後にこの日はもう一本、再放送じゃないやつを(イヤミはやめなさい←シェー!←もういいから)。今年のプロムスで上演された「バーンスタインのミュージカル・ガラ」として、初期の「ピーターパン」から最後のミュージカル「ペンシルバニア通り1600番地」まで、なかなか目配りのいいプログラムでありますよ。厳密にはオペラに区分される作品(「タヒチ島の騒動」)や、ミュージカルではない映画のサウンドトラックから編成された作品(「波止場」からの交響組曲、映画はよくBSジャパンとかで吹替版を放送してますよ)もありますが、細かいことはいいんだよ!(笑)実際の舞台はこんな感じ。
やりますね(笑)。指揮のジョン・ウィルソンは自ら編成した団体、映画音楽やミュージカルなどを自分で編曲して指揮もする才人、プロムスにはもう常連になりつつある模様。10月5日の公演ということです。
*************
ざっと見てみたら、来月はまたあのニューイヤーをわざわざ深夜枠で再放送するんだよなあ…なにか他に(以下略、イヤミもシェーも略←……)。
ともあれすみません、遅くなりましたが今月はこの二回ですよ、ということで。ではまた、ごきげんよう。
例によってギリギリになってしまったので今回は前振りはございません。あしからず。
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ということでさっそく参りましょう、NHK BSのプレミアムシアター、12月の予定です。と言っても今月は二回しかない。年末は特別編成なので27日深夜の分が潰れちゃうんですね。なにか他に素敵なコンサートとかオペラの放送はないのかなあ(チラチラッ)。
イヤミはこの辺で(シェー!←おい)、さくっとご紹介を。
●12月14日(月)【12月13日(日)深夜】午前0時10分~4時45分
・野田秀樹演出 歌劇『フィガロの結婚』~庭師は見た!~【5.1サラウンド】
・ドキュメンタリー『きよしこの夜 ~世界をひとつにした歌~』(2014年 イギリス)
前半は日本各地で上演された今年の話題作、野田秀樹演出 歌劇『フィガロの結婚』~庭師は見た!~を10月24日、東京芸術劇場での公演で。
日本語とイタリア語が混在する独特な作り、どんな感じなのかしらとツアー中から気になっていたのでようやく見られることにひと安心ですよ(笑)。
そしてこれは宮城県の名取公演のための野田秀樹へのインタヴュー、気になる方はぜひチェックを。
番組後半はちょっと内容が読めません。「きよしこの夜 ~世界をひとつにした歌~」というドキュメンタリー、だそうで。
●12月21日(月)【12月20日(日)深夜】午前0時10分~3時55分
・ウディ・アレン演出 歌劇『ジャンニ・スキッキ』【5.1サラウンド】
・ドキュメンタリー ウディ・アレンの『ジャンニ・スキッキ』~その舞台裏~(2015年 ドイツ)
・プロムス2015 バーンスタインのミュージカル・ガラ ~没後25周年記念~【5.1サラウンド】
この週も演出が売りのオペラ、ということになりますね。日本の演出家代表が野田秀樹なら、アメリカからはウディ・アレンが参戦ですよ!(地上波っぽいアオリ)。
ロサンゼルスオペラはちゃんと三部作として上演したようなんだけど、この日放送されるのは「ジャンニ・スキッキ」のみ。まあ、三部作は滅入るから仕方ないかなあ。「外套」はただのヴェリズモをプッチーニが無駄に上手にやってる分気分悪いし、「アンジェリカ」は辛気臭いし(笑)。ちなみにこの舞台、ジャンニ・スキッキ役がドミンゴだったりするそうとうな豪華版であります(っていうか彼はロサンゼルス・オペラの芸術監督)。ちなみにこんな感じの舞台ですよ。
その後にドイツで制作されたこの上演についてのドキュメンタリーがあり。
その後にこの日はもう一本、再放送じゃないやつを(イヤミはやめなさい←シェー!←もういいから)。今年のプロムスで上演された「バーンスタインのミュージカル・ガラ」として、初期の「ピーターパン」から最後のミュージカル「ペンシルバニア通り1600番地」まで、なかなか目配りのいいプログラムでありますよ。厳密にはオペラに区分される作品(「タヒチ島の騒動」)や、ミュージカルではない映画のサウンドトラックから編成された作品(「波止場」からの交響組曲、映画はよくBSジャパンとかで吹替版を放送してますよ)もありますが、細かいことはいいんだよ!(笑)実際の舞台はこんな感じ。
やりますね(笑)。指揮のジョン・ウィルソンは自ら編成した団体、映画音楽やミュージカルなどを自分で編曲して指揮もする才人、プロムスにはもう常連になりつつある模様。10月5日の公演ということです。
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ざっと見てみたら、来月はまたあのニューイヤーをわざわざ深夜枠で再放送するんだよなあ…なにか他に(以下略、イヤミもシェーも略←……)。
ともあれすみません、遅くなりましたが今月はこの二回ですよ、ということで。ではまた、ごきげんよう。
2015年12月5日土曜日
書きました:片山杜秀が、黛敏郎と「金閣寺」を大いに語る
こんにちは。千葉です。
諸般の事情から記事のご案内も滞りがちで申し訳ないです。ガンバリマス(どこかの目が死んでる島村さん風に)。
本日、そして明日と上演されるオペラの記事はちょっと無理して紹介しておきます。手元不如意故千葉は行けませんけど、行かれる方がこの作品を骨の髄までお楽しみになるためのお手伝いになりますように。
●片山杜秀が、黛敏郎と「金閣寺」を大いに語る
神奈川県民ホールで上演される黛敏郎の大作、歌劇「金閣寺」の関連企画として行われた音楽講座の全力レポートです。片山杜秀さん、現物もあんななのかしら…(ご無礼)という興味半分で伺って、あまりの面白さと情報量にこんな入魂のレポートになってしまったという(笑)。
レポートには書き入れなかった小ネタを二つ。
「当日隣り合わせた、当然存じあげない妙齢の女性が休憩中に「これ面白いわね!」と楽しげに話しかけてきたくらい講義は面白かった」
「逆側のお隣には一柳慧氏がいらした」
どちらも説明無用ですね(笑)。
*************
で、これはもう完全に記事としてお出ししにくい個人的な見解なのでこっちにざっくりと書きましょう。とか書きながら「時間が作れればこっちを「Side B」的な位置づけでいろいろと作れるかもな」とか思ったりしてしますよ。
この作品、片山講義でも「金閣寺を表すモティーフは、冒頭合唱が”金閣寺”と歌うところで示される六音」である旨指摘されていまして、その後唯一の録音である岩城宏之の日本初演盤を聴きこむうち、「これはもしかして、ベルクの「ヴォツェック」的な、器楽的変奏で”タイトルロール”を示すやりかたを試したのか?」という疑問がわきまして。
そんな疑惑(笑)を抱いて聴きこめば他にも気になるんですよドイツ・オペラ的な手口が。演出の田尾下哲がはじめ引っかかりを感じたという「尺八演奏」の場面、あれは「ジークフリート」の草笛的にも思えるし、なにより最終的なカタストロフが炎上ということでついちょっと「神々の黄昏」を想起しなくもない。だって最後、台本ではマッチじゃなくて薪を持って金閣寺に行くんですよ主人公。そこでお馬さんを呼んでいたら完璧でしたね(嘘)。え?燃やす前に話は終わるじゃないか、ですか?たしかに劇中ではこれから燃やしに行く場面で終わっているけれど、音楽はもうこれ以上温度が上がらないくらい高まっちゃってるわけで、あれ以上の終わらせ方は難しいのではないかしらん。
三島の小説は事後の脱力感を伴うアンチクライマックスで終わるので、このオペラとはかなり方向が違う。映画「炎上」は外枠として刑事事件化された金閣炎上を用意しているから、三島の小説より後まで描かれたかっこう。
対して、オペラの台本では行為に至るプロセスについて、片山氏が言っていたとおり比較的シンプルに追い詰めて行くサスペンスがメインとなるドラマであります。冒頭で示された問、「彼は現代の英雄たりうるか?」に対して行動を持って答えとする、というのはオペラの制作年代が1970年代であることを思うと、その答えはなにか袋小路の先進国テロ時代を思わせられる行動主義、決断主義でありますけれど。その時代にあえて、ロマン派的ドイツ・オペラを作ってしまった黛の底意たるや如何。とか、感がてしまった次第でありますよ。
とりあえずこんなところかな、行かれる方は是非楽しんでくださいね、千葉の分まで。あはははは。
*************
そうそうそう。最後に一つ。金閣寺モティーフが六音で作られたのは、その変容を形式にはめて作りやすいから、というのがメインの理由だろうなと思います。前述のベルクへの連想は明らかにそこから来ていますし(「ヴォツェック」のパッサカリア参照)。
でも気づいてしまったんです、金閣寺は鹿苑寺、ろくおんじだった、って。お後がよろしいようで(投げ込まれる石、中身の入ったペットボトルを見もせずに退場)。
諸般の事情から記事のご案内も滞りがちで申し訳ないです。ガンバリマス(どこかの目が死んでる島村さん風に)。
本日、そして明日と上演されるオペラの記事はちょっと無理して紹介しておきます。手元不如意故千葉は行けませんけど、行かれる方がこの作品を骨の髄までお楽しみになるためのお手伝いになりますように。
●片山杜秀が、黛敏郎と「金閣寺」を大いに語る
神奈川県民ホールで上演される黛敏郎の大作、歌劇「金閣寺」の関連企画として行われた音楽講座の全力レポートです。片山杜秀さん、現物もあんななのかしら…(ご無礼)という興味半分で伺って、あまりの面白さと情報量にこんな入魂のレポートになってしまったという(笑)。
レポートには書き入れなかった小ネタを二つ。
「当日隣り合わせた、当然存じあげない妙齢の女性が休憩中に「これ面白いわね!」と楽しげに話しかけてきたくらい講義は面白かった」
「逆側のお隣には一柳慧氏がいらした」
どちらも説明無用ですね(笑)。
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で、これはもう完全に記事としてお出ししにくい個人的な見解なのでこっちにざっくりと書きましょう。とか書きながら「時間が作れればこっちを「Side B」的な位置づけでいろいろと作れるかもな」とか思ったりしてしますよ。
この作品、片山講義でも「金閣寺を表すモティーフは、冒頭合唱が”金閣寺”と歌うところで示される六音」である旨指摘されていまして、その後唯一の録音である岩城宏之の日本初演盤を聴きこむうち、「これはもしかして、ベルクの「ヴォツェック」的な、器楽的変奏で”タイトルロール”を示すやりかたを試したのか?」という疑問がわきまして。
そんな疑惑(笑)を抱いて聴きこめば他にも気になるんですよドイツ・オペラ的な手口が。演出の田尾下哲がはじめ引っかかりを感じたという「尺八演奏」の場面、あれは「ジークフリート」の草笛的にも思えるし、なにより最終的なカタストロフが炎上ということでついちょっと「神々の黄昏」を想起しなくもない。だって最後、台本ではマッチじゃなくて薪を持って金閣寺に行くんですよ主人公。そこでお馬さんを呼んでいたら完璧でしたね(嘘)。え?燃やす前に話は終わるじゃないか、ですか?たしかに劇中ではこれから燃やしに行く場面で終わっているけれど、音楽はもうこれ以上温度が上がらないくらい高まっちゃってるわけで、あれ以上の終わらせ方は難しいのではないかしらん。
三島の小説は事後の脱力感を伴うアンチクライマックスで終わるので、このオペラとはかなり方向が違う。映画「炎上」は外枠として刑事事件化された金閣炎上を用意しているから、三島の小説より後まで描かれたかっこう。
対して、オペラの台本では行為に至るプロセスについて、片山氏が言っていたとおり比較的シンプルに追い詰めて行くサスペンスがメインとなるドラマであります。冒頭で示された問、「彼は現代の英雄たりうるか?」に対して行動を持って答えとする、というのはオペラの制作年代が1970年代であることを思うと、その答えはなにか袋小路の先進国テロ時代を思わせられる行動主義、決断主義でありますけれど。その時代にあえて、ロマン派的ドイツ・オペラを作ってしまった黛の底意たるや如何。とか、感がてしまった次第でありますよ。
とりあえずこんなところかな、行かれる方は是非楽しんでくださいね、千葉の分まで。あはははは。
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そうそうそう。最後に一つ。金閣寺モティーフが六音で作られたのは、その変容を形式にはめて作りやすいから、というのがメインの理由だろうなと思います。前述のベルクへの連想は明らかにそこから来ていますし(「ヴォツェック」のパッサカリア参照)。
でも気づいてしまったんです、金閣寺は鹿苑寺、ろくおんじだった、って。お後がよろしいようで(投げ込まれる石、中身の入ったペットボトルを見もせずに退場)。
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