2018年12月7日金曜日

”汲めども尽きぬ泉”に再び出会えた喜び ~東京フィルハーモニー交響楽団 第121回オペラシティ定期シリーズ

いろいろあってコンサートから遠のいていた私ですが、アンドレア・バッティストーニの指揮に久しぶりに触れることができて、大いに嬉しく思った、と最初に書いておく。しみじみ。

その機会となったのは、実に彼らしい「近い時代に違う場所で活躍した、似たところのある才能」の作品を並べた俯瞰的なプログラムの演奏会。ジョアッキーノ・ロッシーニ(1792-1868)、フランツ・シューベルト(1797-1828)とその生没年を並べるといささか生きた時代に開きがあるようにも見えるが(ロッシーニは明治維新の年まで生きていた!とかつい話を拡げたくなりますがそこは自重で)、彼は後半生を作曲家として生きなかったので、早逝したシューベルトと活動時期はそう変わらない。そしてなにより二人共に「歌」を作ることにおいて並外れた才能を示した、という共通点がある。得意分野もかたやオペラ、かたや歌曲とつい分けて考えてしまうけれど、シューベルトもオペラは書いているのだし、ロッシーニだって歌曲も作っている。シューベルトなら交響曲が、と思うかもしれないけれど語源にさかのぼってシンフォニア(序曲)ならロッシーニの得意中の得意、何曲もの音楽的に充実した”小交響曲”が作られていることは誰もが知っている、その充実ぶりはバッティストーニと東京フィルがいつも示してくれている。ここにある”無意識の区分け”を見直してみませんか?そんな提案含みのプログラムと、私は受け取った。
…とはいえ、俯瞰するだけなら年表と地図を広げれば私でもこのくらいはできる(自慢にもならない当たり前の事実)、それをバッティストーニがどう音として聴かせてくれるか、そのアイディアは説得的だったか。評するのなら言うべきことはそれに尽きる。

では以下に、当日の演奏をどう私が聴いたのかを記そう。なお、この日の弦セクションの編成は前半後半とも同じ12型(10型かもしれない)で、このあたりにもバッティストーニの問題意識は徹底されていたように思う。

●東京フィルハーモニー交響楽団 第121回オペラシティ定期シリーズ

2018年11月12日(月) 19:00開演 東京オペラシティ コンサートホール

ロッシーニ:
  歌劇『アルジェのイタリア女』序曲
  歌劇『チェネレントラ』序曲
  歌劇『セビリアの理髪師』序曲
シューベルト:交響曲第八番 『ザ・グレート』

前半のロッシーニ序曲三曲については、曲目だけを見ればバッティストーニと東京フィルらしい…で済ませてしまうこともできるだろう。これまでもロッシーニやヴェルディの序曲をまとめて取り上げてきた彼らが、知名度の異なる三曲を並べてロッシーニの多彩なアイディアを示す、というのはもはや彼らの「名刺」ともなっているのだから。しかし「過去に取り上げた作品を改めて演奏する際にも、単なる繰り返しにならないようにしたい」と以前語っていたバッティストーニのこの日の演奏をそれで片付けるのは、あまりに惜しい。
それぞれの作品の持つ響きを、時には最高に洗練させて時には野卑になることを恐れずスコアに書かれた音楽を実現しつつ、聴かせどころを見事に作り上げる手腕ある演奏家にかかれば曲ごとの個性を際立たせつつ、随所に新鮮な響きを作り出してくれる。そんな演奏であってみれば、”旧知の曲”だからと退屈させられる暇などないのだ。

特にもアリア並みに長いソロに顕著だが、木管楽器群の饒舌さには何度となく驚かされた。オーボエ、クラリネットの活躍にはいくらでも拍手を贈りたい(ちゃんと会場でも拍手しましたよ)。
ただし。裏に回って大変なことをさり気なくこなしている弦セクションの皆さまの献身を、文章でうまくお伝えできない自分を歯がゆく思わないではない。造形を崩さずにここぞというところでは迷いなくアクセルを踏み込むバッティストーニのテンポで、ロッシーニの忙しくも楽しい音楽を実現しているのは間違いなく彼の棒によく反応する弦セクションなのだとわかっているのだけれど。これは私の側の課題、ですね。

そして後半のシューベルトは、これまでの彼の演奏で比べるならば、やはり時代的に近いベートーヴェンに近い音楽として描いた、と言えるだろう。この音楽に秘められていた力強さの顕現に、繰り返されるモティーフを活かすリズムへの配慮に、かつて聴いた独特でありながら説得的な第五番を思い出させられた。
しかしそれでいて細部はまったく独特な演奏だった、と言うしかない。この日のコンセプトでもあっただろうロッシーニのような語りものとしての性格も強く示されるし、楽章の頂点を刻印するように鳴り響く金管楽器の輝かしさはマーラーやブルックナーにも通じる圧倒的なものだった。このやり方は一般的なシューベルト理解からは遠いかもしれないが実に魅力的で、私は身を任せて圧倒された。
…こう書くと力押し一辺倒の演奏だったように思われるかもしれないがまったくそんなことはなく。随所に彼独自の読みが光る、刺激的な演奏だった。惜しむらくはその表現がいささか意外で、一度聴いただけでは言語化しにくい部分があった(もちろん「私には」、である)。そして演奏には前半のロッシーニほどの精度はなかったこともあり、この日の演奏が彼らの”ゴール”ではないと感じたことも書いておこう。これから繰り返し「グレート」を、シューベルトを取り上げてくれるならまた従来のイメージと違う音楽が体験できそうな、そんな予感を抱かせてくれた。
※私はそこまで演奏精度にこだわる方ではないと思うけれど、このコンビネーションならばもっと、と感じた場面もなくはなかった、ということで申し上げておく。

シューベルトにおけるMVPはやはり三本のトロンボーンだろう。ベートーヴェンの、そして「魔笛」の楽器をこれでもかとばかりに自在に使ったシューベルトのアイディアを、バッティストーニは最大限まで読み取り、信頼する東京フィルの三人の奏者に託した。託されたトロンボーンセクションは、ちょっとした協奏曲よりも大変だったのではないかと思わせられる変幻自在の活躍ぶりと言えた。たしかに、この曲はそれまでのシューベルト作品より「大きい」ものだが(以前、私は「この編成でそのまま初期ブルックナーを演奏できる」と書いた、思う)、ここまでトロンボーンが活躍していたとは思わなかった。一般的には抑えめの音量で響きの味付けとされるようなところも旋律やモティーフとして明示され、結果音楽は違う顔を随所で見せた。私の認識しているシューベルト前後の交響曲で、ここまでトロンボーンが活躍する例を思い出せないほどの活躍には、かつて趣味で金管楽器を吹いていた者として頭が下がる。序盤から最後の和音まで続くこれだけの大仕事、なかなかできることではない。いま一度ここで拍手、である。

しかし前後半あわせた全体でみるなら、木管セクションの饒舌さがこの日の演奏をより華麗なものにし、また説得的にしたのは疑いようもない。特にもロッシーニの音楽の軽さとスピード感を表現したオーボエとクラリネットの首席が作り出すシューベルト得意のタロガトー風の響きも美しく、コンサート全体を通じて作品の持つ可能性を存分に示してくれた。

…このコンサート一度では、私が感じたこの印象も勘違いかもしれない、そんな迷いも実はなくはない。だからここでリクエストとして書いておこうと思う。バッティストーニと東京フィルのシューベルト、もしかすると新しい「名刺」になれるかもしれないので、この先もどんどん取り上げてほしい。いわゆるピリオドアプローチとは違う、しかし説得的なシューベルト像が生まれる可能性だってきっとある、私はそう感じた。
最後に私事。この公演から数日が経ってこの記事に着手してから、会場に響いた音楽が脳内でループしはじめたのには驚いた。このあとから効いてくる余韻は何だったのだろう(笑)。

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さて10月の「アイーダ」巡演、そして11月のこのコンサートのあとにはこのコンサート、そして注目の「メフィストーフェレ」(レビューはもう少しお待ちを)、「魅惑のオペラ・アリア・コンサート」を大成功させたバッティストーニと東京フィル。このあともさらに怒涛の公演が続くのでこの機会にリストアップしておきましょうそうしましょう。

・2019 1/19 フレッシュ名曲コンサート マーラー 交響曲第8番 新宿文化センター 大ホール

新年には、まず私が熱望していた、マーラーの後期作品!(個人的希望なのか)
第一番の録音が好評だったことは知っているけれど、彼のクリアでよく鳴る音で「マーラーの、できたら五番以降の作品が聴きたい」と以前お話を伺った際にリクエストしてたんですよ、私。恥知らずですみません。とはいえ、まさかそれが第八番になろうとは!なんたる僥倖!!!!(!増量してみた)
バッティストーニと東京フィルにとっては「ファウスト」つながりの作品を間を置かず演奏できる貴重な機会になることは間違いない、そしてその貴重さは私たち聴き手にとっても同様である。僥倖、でありましょう。
(…にしてもこのところ、第八番多すぎじゃないですかね?とか言いたい気持ちもあるけれど。八番大好きなんですけど。)

・2019 1/23、25、27 東京フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会

そして新年最初の定期演奏会は物語の音楽化を三つ集めたプログラム。語り上手なマエストロ、日本で一番オペラを上演しているオーケストラが自らを主役として描き出すドラマは、聴く前から刺激的であるだろうことはわかる、しかしその衝撃のほどは聴いてみるまではわからない、この日の「グレート」が予想できなかったように。

にしても、である。著作の中でストコフスキーにも触れていたバッティストーニが「魔法使いの弟子」を選ぶのはわかる、またロシア音楽を愛好する彼が”ロシア流のオーケストラによる音物語”の最高峰とも言えるだろう絢爛な「シェエラザード」を、気心のしれた東京フィルと演奏したいのも理解できる。
しかしなんだ、ザンドナーイはどんな曲だ。ほんとに。いまどき断片さえもYouTubeで見つけられない曲とかなかなかないぞ。そのあたりの事情は、東京フィルのサイトで読める彼のインタヴューが面白いので、興味のある方はぜひご一読を。”ザンドナーイ・ルネッサンス”、もしかして東京から始まっているのかもしれませんよ?

そして。あえて時系から飛ばしていましたが、今年の大晦日に開催されるコンサートは全国対応だよ!恒例の東急ジルヴェスターコンサート、指揮はアンドレア・バッティストーニ!オケは当然東京フィルハーモニー交響楽団!カウントダウン曲はこのコンビネーションがこの秋全力で取り組んだばかりの「アイーダ」!!
BSテレ東なら全国どこででも見られちまうんで、「アイーダ」で虜になった各地の皆さんも、先日客演して得意の「カヴァレリア・ルスティカーナ」で圧倒された九州の皆さんも、もちろん首都圏で東京フィルとの演奏会を聴かれたみなさんも感動を新たにする好機でございますぜ。(民放テレビっぽく煽ってみた←なにか誤解があるようだ)
チケットは当然の完売でしょうから(チャレンジしたい方はしてみてもいいでしょう…って、まだ受付中なのかな?)、であればお茶の間でじっくりと見て聴いてやろうじゃあありませんか。私は録画で、かもしれないのですけれど…

…などと予定をまとめてきましたが、私は感動が新鮮なうちに「メフィストーフェレ」のレヴューを書かなければ、です。次にあの作品の実演に触れる機会はないだろうなあ、と思いながら、脳内ではロッシーニとシューベルトに代わって延々とプロローグとエピローグのファンファーレが鳴り響き、雷鳴が轟いていますよ(笑)。では次の記事でお会いしましょう。

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