2019年11月22日金曜日

Play Back!フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 東京交響楽団 オープニングコンサート

もはや2019年回顧の季節が近づいてからですみません。ようやくお出しできるようになりました。これから続々お出しします。

●フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 東京交響楽団 オープニングコンサート

2019年7月27日(土) 15:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:ジョナサン・ノット
ピアノ:タマラ・ステファノヴィッチ
管弦楽:東京交響楽団

バリー・グレイ:「ザ・ベスト・オブ・サンダーバード」〜ジョナサン・ノット スペシャル・セレクション(オリジナル・サウンドトラックより)
リゲティ:ピアノ協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第一番 ハ長調 Op.21

「酷暑の夏を過ごすなら、空調が十分に効いたコンサートホールで」というのは半分冗談で言ってきたことなのだけれど、灼熱の七月も下旬までくればもう冗談にもならなくなってきた、フェスタサマーミューザの開幕はそんな時期だった。
私個人で言えば、先週の凄絶な演奏会を経たから、ようやくお祭りの開幕を喜べる。先の長い話に思いは残るけれど、まずは目の前のフェスタに向き合おう。そう切り替えて開幕公演へと向かった私である。

この数年の恒例となりつつあるノット&東響による開幕公演は、例によってというべきか独特ながら魅力的な作品が並ぶプログラムだが、その読み解きについては予告として書かせてもらったのでここでは割愛。編成は一曲目に演奏された「サンダーバード」がこの日では一番大きく、変則の16型だった。当然ながら、コントラバスが下手に来る対向(両翼)配置だ。

いろいろと注目を集めた「サンダーバード」について、リハーサルが始まった段階でオーケストラがこんな投稿をしていて、はてどんな編成かと思っていた。



オーケストラが入場して着席して得心する、ダブルリード・セクションがそのままサクソフォンで代用されているのである。この編成、聴いてみればなるほど、スタジオのバンドに求められる多彩な音色を表現出来て、加えてクラシカルにポピュラーにと、多様なジャンルに対応できる経済的というか効率のいい編成なのだった。
だがこの曲の演奏についてまず触れなければいけないのは、かつて見たことのないレヴェルだった、ノット監督のノリノリ具合だろう。入場時の笑顔からしていつも以上、冒頭のキュー出しが待ちきれないような指揮台上の素振りは本当に「子供時代の夢、憧れ」を今から音として示すことへの喜びがあふれるようであった。監督が楽しそうで私も幸せである(このコンサートでは何度もそう思ったので、この点についてこれ以降は割愛する)。ある世代の子どもたちが固唾を飲んで見つめたあの映像が蘇る、不協和音からの猛烈なアレグロへの展開も、最近ますます安定感も出てきた東響の厚みのあるサウンドで奏でられ、堂々たるセレクションが開幕を飾ってくれた。

そうそう、事前にシンセサイザーの岡野氏がこんなツイートをしていて気になっていたのだが。



なるほど、あのカウントダウンはシンセサイザーから鳴らして呼応する不協和音がオケから、ということだった。ミューザのリニューアルで新しくなったPAの威力もフェスティヴァル開幕早々に発揮されたわけである。

次に演奏されるリゲティの協奏曲のためのセッティングで動かされる舞台セリに、私の脳内では「サンダーバード」の反芻が止まらない(もっとも私だけかもしれない、ヤシの木が倒れてマスドライヴァー風の滑走路が登場する映像が見えていたのは)。

さてこの独特なピアノ協奏曲の弦セクションは6型、管は各一人、そして打楽器も一人。なのだが、よくあるティンパニ一人ではない。そのあたりについては、このツイートも参照してほしい。


この日の独奏者はエマールの共演者としても知られるタマラ・ステファノヴィチ。こう書けば(あっモダンな作品に相当強いひとだ)と伝わることと思うけれど、そんな彼女もまた面白ツイートをしていた。



この日の演奏を体験すればタマラの言うこともわかる、事前に準備を進めてきた東響から、あえて打楽器の話が出てくるのもわかった。この作品ではピアノの打楽器的性格を強めてリズムをより強く示し(それも相当に複雑なそれ!)、そのダブル(影であり分身)として打楽器を用いているのだ。ずれながら呼応し合うピアノと打楽器はもはや二人のソリストとして、どこまでも独自でスリリングな音楽を展開してくれた。これだけの複雑な曲なのに演奏が終わってみれば場内は大喝采、その盛り上がりにむしろ戸惑っているかのようなタマラ、マエストロ、水谷コンマスの姿は微笑ましくもあった(先日の「レクイエム」でもソリストの二人はどこか戸惑っていた、そういえば)。


演奏者各位にももちろんなのだけれど、ノット&東響が関係を深めてきた道のりをともにし、「名曲全集」が多彩な選曲をする中で幅広い音楽を受容してきたミューザ川崎シンフォニーホールの聴衆にも、私から拍手を送りたい。かつてなら、サントリーホールや東京オペラシティでしか体験できなかっただろう積極的な受容がここでは行われている、と感じられる最近のミューザの聴衆の反応は実に喜ばしい。最高の音響に見合った聴衆もまた育っているのだ、と思える瞬間がここにはあった。この日の演奏会からミューザでも「オーケストラの入場時に拍手で迎える」のが定番となってきたように思うけれど、この日は何より「東京交響楽団の皆さん、おかえりなさい」という再会の喜びがあったように感じられた。

そしてメインに置かれたのはノット監督がこよなく愛するベートーヴェンだ。だがしかし、ここにその曲を置くのか?と少なくない聴衆がプログラムを見たときに思ったことだろう。大編成のサウンドトラック、そして20世紀の独特な協奏曲の後に、まさかの第一番なのだから。
師であるハイドンの影響をまだ強く感じさせるこの交響曲は、第三番、第五番のような巨大な革新を成し遂げた作品とは言いにくいし、第七のような人気曲でもない、もちろん第九のように誰もが知る音楽でもない。しかしモーツァルトやハイドンとは明らかに違う個性がある難しい作品、であればコンサートでの”居場所”をなかなか見つけにくい作品とも言える。その作品をメインに置いて、果たしてどのような演奏が行われるものか、その音楽は私達を納得させてくれるのか。もちろんノット&東響への信頼はある、それでも実際に聴いてみなくちゃわからない…そんな期待と迷いが入り混じった休憩を経て、再び客席につく。12型(おそらく)の編成は、広いミューザの舞台には小さく感じられて、先ほどの迷いがまた頭をよぎる…
しかし、である。冒頭のトリッキィな序奏から始まった音楽は、若者の挑戦的な小品というよりは、「ハイドンの第一〇五番」とでも言いたくなるくらいのスケール感があった。雄弁、自由自在、気宇壮大、…そんな言葉が演奏を聴く中で次々と思い浮かぶ、作品への先入観を大きく覆すその音楽は、冒頭から最後の一音まで場内を魅了した。トランペットはロータリー、ティンパニはケトルといういつもの”ベートーヴェン編成”で安定したサウンド、力強さと繊細さが併存し、ときに無作法なまでにアイディアが飛び出してくる作品が内包していた可能性が次々に現れる、どこまでも刺激的な音楽、それがベートーヴェン最初の交響曲だったのだ。もちろん、リスクを恐れないノット&東響なので少々の小傷はあったけれど、緩急自在のテンポ感、変幻する表情はどこまでも魅力的なもの、圧巻の演奏だった。それだけの演奏を称賛する圧倒的な喝采でコンサートは終わった。
そうそう、ノット監督のカーテンコールでのノリノリっぷりは、後世まで語り継がれてもいいだろう。なんなら帰国の便にサンダーバード一号を手配して差し上げたくなるほどにご機嫌なそのカーテンコールで、酷暑の夏祭りの開幕は記憶されていい。マエストロの「Festa is GO!」に力強く背を押され、かくしてミューザの夏祭りは始まった、のである。

ここまでの大団円を予想していたわけではなかったけれど、この楽しさを期待して私はこのプログラムをホモ・ルーデンス、遊戯する人間のプログラムと読んだのだった。またいつもの「予想通り、期待以上」の演奏会に出会えて幸せであった。

0 件のコメント:

コメントを投稿