2012年11月26日月曜日

寒い季節にはこれ!(と思い込もう)

こんにちは。千葉です。

先日、近所の駅前に現役の総理大臣が来るというので見に行って来ました。まあ、いろいろと思うところはあるけどそれはこっちで書くことではないのでそのうち向こうに書きますね。

そう、内容はどうでもよくて、今日はその待ちが長くて寒かったところからですね、長年の懸案を始めてしまおうかな、と思っている、ということを書いて自分にプレッシャをかけてみようかと思いまして。
その懸案というのはシベリウス。何度となくいくつかの全集を聴きこんで、それなりに目鼻がついたかな、と思いながらもまとめるには至らないでいる、シベリウスの交響曲それぞれについての話をですね、近日書きはじめることに決めちゃおうかな、と。

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外で長いこと立って、集まる人並みや整理の警官、ビルの情報に見え隠れするスーツの人たちや上空のヘリコプターを見ているうち、体を冷やしてしまいまして。一応の防寒はしていたんですけど、ああいう待ちって足元が冷えるんですよね、疲れはするけど特に運動しているわけでもないし。

その冷えがよかったのがどうかはわかりませんが、この数日シベリウスが聴き取れている、ような気がするんです。単純に「気温が下がる→北欧って寒いよね」的な連想である可能性は否定しませんが(笑)。※その気になってみるとシベリウスの交響曲は「クッレルヴォ」を除けばCDで三枚くらい、一日で聴けないこともない、ような気もしますし(少し曖昧)。ベートーヴェンやチャイコフスキーよりは胃にもたれないし(笑)、かつて大まじめに聴いたプロコフィエフやオネゲルよりは準備ができている。うん、時は来た!かも!

※ちなみに、本当に寒くなって身体の末端が痛みを感じるようになるとロシアの作曲家が聴きたくなる条件反射は自覚してます。チャイコフスキーとか、ボロディンとか。裏を返すと、夏場にはこれらの作曲家が聴けていないという(笑)。


さて、千葉が以前から聴いているシベリウスはこちら。



Paavo Berglund/シベリウス: 交響曲全集<タワーレコード限定> [WQCC-270]


ラトル、バーンスタインは好きな指揮者だし、ベルグルンドは一枚ずつリリースされたころに「決定盤になるよね!」と期待して買った思い入れあるものだし。この中で少し色合いの違うペトリ・サカリ&アイスランド交響楽団の全集は、あのう、来日公演を予定していたのが金融危機で、あのそのゴニョゴニョ、という時期にささやかながら応援できればと買って以来、癖のないアプローチが気に入って聴いてます。

これでシベリウスの話をしちゃうわけ?コリンズもカヤヌスもヴァンスカもネーメもベルグルンド旧盤もバルビローリもなしで?って思いますよね、千葉もそう思います。いわゆる決定盤抜きで曲の話をすることに、決定盤信仰のない千葉も少し怖気づかないわけではない。っていうか、コアなファンのいらっしゃる作曲家だから正直バカを晒すのがけっこう怖い。

でもまあ、以前プロコフィエフとオネゲルを聴いた時にもそうでしたが、これは決定盤を選ぶために聴くんじゃない、誰かにご高説を垂れるために書くんじゃない。自分で、シベリウスを「掴む」ために、手元の盤から聴き取れるものを書き残しておくことが目的なんだから、これはこれでいいんじゃないかな。いい、かもね。すっごくいいと思うよ!

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ううん、自分で自分を言いくるめるのは結構難しいな(笑)。今回は、いつも言葉の壁に難儀する(かつ「交響曲」とみなすべきかどうか微妙な)「クッレルヴォ」を除いた番号付きの七曲について見ていく中で、シベリウスの生きていた時代とその作品をある程度まで定位できればいいかな、と思っています。一度言葉にしておくことでその後の受容が楽になる、というのはこれまでプロコフィエフとオネゲルで経験済みですから、後二年少々で訪れる記念年までにはそれなりに実のある学習ができるんじゃないかな。それに今年は聴けなかったインキネン&日本フィル、来年は早々にシベリウスを取り上げますからねえ、その頃には当たりをつけておきたいわ。うん、やっぱり時は来た!、なんでしょう。うん、そういうことにしよう…

おそらく、12月に入ったらシベリウスの話ができると思います。マーラーとのエピソードなんかもぼんやり念頭に置きつつ、自分なりに書かせていただく予定です。期待したい方はそれなりに、そうでないかたはスルーでお願いします。では自分なりの踏ん切りとしての予告でした。ではまた、ごきげんよう。

2012年11月15日木曜日

これとうとう来ちゃったかな、演劇界にクラシックの時代(嘘

こんにちは。千葉です。

旧館というか本館というか、向こうのブログがどんどんイメージと違う方向に行ってしまうのは俺のせいじゃない!違うんだ信じてくれうわ何をする以下略。
ノンポリのまま同じ事は繰り返せないし繰り返してはいけない、と思う中年男性の抑えきれない何かが向こうには充満してきましたので、気が向いた時だけおつきあい下さいね!(力なく)

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さて今日は自分用の備忘録。多分行けないと思うけど(理由・貧乏だから)、お芝居の方でクラシックを題材としたものがいくつか出てくるみたい、それもこういう言い方でいいかはわからないのだけれど大御所含めて名の知れた出演者だったり、人気戯曲家の新作だったりするみたいなのです。そういうわけでどういうわけで、情報としてまとめておこうと思うのです、行けないと思うけど(しつこいから以下この〆禁止)

◆テイキング サイド ~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~

これはちょっと前に新聞広告を見かけて印象に残っていたのだけれど、放置している間にチケット売りだしてますね、反省。どんなお芝居なのか、まずは以下に公式サイトからの引用でご紹介。


フルトヴェングラーは、ナチに加担したのか?それとも闘ったのか?

ナチス・ドイツという歪んだ政治のもとで芸術活動を行うためには、体制におもねるのか。
世紀の巨匠として、今日もなお伝説の指揮者としてその名を轟かせるフルトヴェングラーは、
若きスター指揮者カラヤンよりもヒトラーに寵愛されていたという。
天下のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を手中に収め、
ベートーヴェンやワーグナーといったドイツ音楽を愛したマエストロは、
第三帝国崩壊後非ナチ化裁判にかけられてしまう。
米軍少佐が執拗に詰め寄り、フルトヴェングラーは次第に追い込まれていく…。
誰が真実を語っているのか?
何が正しいのか?
結末は“Taking Sides”、どちらに味方するか、によって導かれる。(引用終わり)

クラシック者であれば、いや特に日本のクラシック者であれば、多かれ少なかれヒトラー率いた第三帝国とクラシック音楽との複雑な関係は認識しているでしょう。だって大戦という歴史的大事件の影で、フルトヴェングラーにカラヤン、ブルーノ・ワルターにリヒャルト・シュトラウスなどなど、当時の最高の音楽家が関わらざるを得なかった時代、状況はとても無視できるものではないし、最悪の状況だからこそ展開されてしまったドラマが多々あったことでしょう。実際、それらを題材とした本なども多くあると思いますし、今名を挙げた彼らの一人に限定しても一冊の本になるくらいの状況があるんじゃないかなあ…あ、でもシュトラウスの処世はなかなか興味深いですよね、詳しくは書きませんけど。

ロナルド・ハーウッドの戯曲はその時代の中でも戦後、非ナチ化裁判のフルトヴェングラーを題材としたわけですね。ふむふむ。価値観の相違、では許してもらえない断絶が語られ演じられる中でどうなるのか、「真実」はどこにあるのか。そんな感じの舞台かしら(想像)。
平幹二朗さんのフルトヴェングラーはなんとなくわかるようで、かつてN響に登場した際の「エディプス王」の語りを思い出してしまうのでよくわからない(乏しい認識ですみません)。フルトヴェングラーに相対するアメリカの少佐は筧利夫さん、だとあれですかね「名曲探偵以下自重(笑)。いい年してテレビっ子ですみません!(笑)

個人的にはフルトヴェングラーに現実の政治を求めることが困難だっただろうな、というのが、その昔「ヒンデミット事件」でこのあたりの事情を調べて以来の私見です。字義通りに精神的な水準で考えて行動していた彼を、現実にナチ加担者として裁くことの意味が、よくわからないというか。きっとお芝居を見ればひとつの答えが得られることでしょう、そしてそれを受け取った上で考えることも。そう、「正解」といえるような「真実」なんて人の数だけありますからね…

ともあれ、東京大阪名古屋に加えて静岡、広島での公演もある模様です。2013年2月の上演。


  

このあたり、参考になったりならなかったりするのかなあ。シュトラウスの評伝は一人の同時代人の処世として比較になるでしょう、そして右の新書はカラヤンとの対比の中で語られるフルトヴェングラー。なんというか、「政治的」ですよとっても(笑)。
あ、一個目の「トリスタンとイゾルデ」は千葉が愛好するフルトヴェングラー録音です、彼の録音はあまり聴かないのだけれど、これは長い付き合いになっている一枚ですね(四枚組だけどね!)。

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でもう一つ。これはまだ全然調べてもいないので簡単に。

◆パルコ・プロデュース公演 パルコ劇場40周年企画第一弾
ホロヴィッツとの対話

えっと、三谷幸喜の作・演出で渡辺謙、段田安則他の出演ということなので、多くを語る必要もありますまい、ただ「チケットはお早めに」と思いますですよ。っていうかもう各種先行始まってるみたいですね、いろいろと。上記リンクの他各プレイガイドからのメルマガ等など、ご確認あれ。2013年2月から3月にかけての上演。ですって。

ホロヴィッツと調律師、というと千葉にはこのマンガが思い出されるわけですが、きっと無関係だと思います(断言)。




そういえばこれの映画(未見、っていうか邦画は殆ど見ない)って、松山ケンイチと成海璃子ですよね確か。今見ると不思議な感慨がありそうだなあ、とか考えるくらい、楽しんでおります「平清盛」。

話が逸れたところで備忘録は終わりましょう、ではまた。ごきげんよろしゅう~。

2012年11月14日水曜日

コパチンスカヤ、聴きたかったよう…

こんにちは。千葉です。

ああもう、Twitterとかで感想を拝見する限りでは、今回もパトリツィア・コパチンスカヤさまは絶好調でいらした模様で。何やらプログラムにバッハのいわゆるシャコンヌも追加されたとかで。ああああもう。

2006年の来日公演で初めて彼女の演奏を聴いたときはまだ録音もリリースされてなかったし、チェロのソル・ガベッタ嬢とのデュオでコンサートを開いたこともあってどんなヴァイオリニストなのか全く知らなかったんだよなあ…プログラムにしても見慣れない曲が多くて、果たしてどんなものかまったく事前には判断できず。
で、聴いてみるとなんのことはない、二人とも美貌のみならず才能もお持ちで、そのレパートリーにしても定番的なものに安住するどころか驚きの超攻撃的なもの、だったんですよね。いやあのときは驚いたわ。それと同時に、「見た目とかで音楽家を測るな」と思いましたねえ…

そしてその同じ来日公演時に井上道義&東京フィルと聴かせたショスタコーヴィチの協奏曲第一番が、もう。第二楽章のスケルツォの終わりに睨み合う二人(笑)、そして続くノクターンの冴えた美しさ、長大なカデンツァの多彩な響き、そして疾走するフィナーレ。さすがに細部はもう思い出せない(まだ彼女のショスタコーヴィチは録音もないから確かめようもない)、でもいまもその感触だけは忘れようがない、それほどの演奏でしたから…

そういうわけでどういうわけで、それ以来彼女のファンになった千葉がオススメします、行ける方は今週金曜の兵庫芸術文化センター管弦楽団の定期にお行きなさい!(命令)
なに?プロコフィエフはあまり聴かなくて「ロメオとジュリエット」と古典くらいしか知らない?大丈夫大丈夫、一曲目はその「ロメオとジュリエット」だし、見て聴けば彼女の音楽はわかりますから。そのくらいは雄弁で饒舌です、彼女。交響曲第七番の哀しく美しい音楽がどうなるのかはオケ次第、ですがこのプログラムで楽しめないわけ、ないですよ!煽りの定番「騙されたと思って」なんて言うつもりはありません、だって騙されるわけ、ありませんもの。

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って、ここまで書いてから調べたら彼女の新譜、出てるんじゃないですか!エトヴェシュと組んで彼の作品とバルトーク、そしてリゲティ!!あーだめだわー、これもう買うしかないわー(なぜその口調)



エトヴェシュの「セヴン」って諏訪内晶子さんも演奏してませんでしたっけ、これが世界初録音なんですね。ふむふむ。ナイーヴレーベル様のいつもの例に違わず、今回もオフィシャルのPVがありましたので、ぜひそちらもご覧くださいませ。っていうかあれなのかな、来日してるのに国内盤は(以下morendo)





他に書きたかったこともあったんですけど、新譜情報まで気がついてしまっては仕方がない、今日のエントリーはコパチンスカヤ様に捧げましょう(笑)。

予定していた内容の話はまたいずれ。かなり辛気臭くなる予定です、けっこう。ではまた、ごきげんよう。




2012年11月8日木曜日

あと一歩か二歩で「ハルサイ」じゃないですか、インマゼールさん!

こんにちは。千葉です。

先日の反省も活かせぬまま、今度はエリオット・カーターの訃報が届きました。反省さえままならず進退窮まれリ、ですよ!(軽く言うなよ)

とは言え、実はカーターに限らずIRCAM方面で評価が高い音楽、よくわからないのです、恥ずかしながら。その音楽を構成する理屈はブーレーズの著作でいちおうは知っている、でもそれを音としてどう聴いたものかよくわからない…だから千葉は、自分の音楽の守備範囲を「バッハから第二次大戦前後」と認識しています。十二音でもかなり…で、時々実演で聴いて「こういうことかな、もしかして!」と思ってはまたわからなくなってしまうという、一進一退すらできていない感じがなんとも歯がゆいのであります。

ともあれ、手元には唯一この盤がありましたので、あとでまた聴いてみます(実は一度返り討ちに遭っている)。


エマール、そういえばそろそろ来日公演なんですよね…あとコパチンスカヤも(13日ですね、完売らしいですが)。…貧乏が憎い!

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それはさておき(昔の人なら閑話休題、と書くでしょう)。

最近のメールによるプロモーションってのはなんですかね、ちょっとした過去の履歴でもフル活用して新譜紹介なんかを送りつけてくれるんですね。まあ、あんまりツッコむと危険な瞬間が訪れかねないので詳しい例を上げたりはしませんけど。

いや待てそれだと面白くないな(笑)、自分に届いた例を挙げましょう。
この前ですね、蔦屋がいきなり「キタエリとみかこしの新譜が出るよ!セットで買ってくれたら特典つけるよ!だから僕と契約してry」(大意)ってメールを送ってきたのには正直狼狽しました(笑)。まあ、喜多村英梨の出てるアニメは「魔法少女まどか☆マギカ」以外にもよく見てるかなあ(彼女は最近、出演作が非常に多い)、「モーレツ宇宙海賊」は大好きですよ(たぶん今年のベスト、劇場版楽しみに待ってます!なお小松未可子が主役←酷い扱いだ!)。
少し考えて思い当たったのは小松未可子のデビューシングル「Black Holy」をレンタルしたこと、くらいですよ。なるほど、幅広く商いをやると訴求する側にはこういうメリットがあるのねえ、人によっては物凄く厭なメールが届きそうなんだけどどう処理してるのかな。まさか声当ててる作品を借りたよね?とかでは引っ掛けてませんよね?(どきどき)はっ。この執拗なデータの拾い起こしのためのビッグデータがどうのこうの、なのか?(適当)


冗談はこの辺で。
先日ですね、Amazon様がこんな情報を寄越しやがりまして。



インマゼールのシューベルト?なんだいソニーの再発かい?それにしちゃあわざわざメールを出すとか力入っちゃってるねどうも、なんて思いながらリンクを開いてみると扱いは完全に新譜でレーベルはZig Zag、ちょっと待ってよとさらに他のショップの情報をあたって見るに、千葉の結論は「1996-97年の録音ということは旧ソニー盤と同一でしょ?」ということになりました。まさか同時期の別セッションがー、とか考えにくいでしょう?



フランスローカルで全集として出ていたこれを持ってるのでまあいいかな、久しぶりに聴いてみますかね…と思いつつ、メールをゴミ箱に入れようとしていたその時!あのう、この下にちっちゃく紹介されてはるこっちのアルバムはなんですのん?



ちょっとちょっとちょっと。あのう、これって、ジョス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナ・ブルッヘによるドビュッシーアルバム、なのでは?ああ、「春の祭典」までやる、と言ってる彼らだもんね、それに前にラヴェルやプーランクもリリースしてたし。うんうん。

ってちょっと!メインはこっちじゃん!(笑)
え~、彼らはモーツァルトやハイドン、そしてベートーヴェンにシューベルトといったいわゆる古楽器オーケストラが取り上げる作品のほかに、ベルリオーズ(鐘!)にリスト、チャイコフスキー、リムスキー=コルサコフにシュトラウス・ファミリー、さらにはラヴェル、プーランクを既にリリースしており、先ほどもさらっと書きました通りゆくゆくはストラヴィンスキーの「春の祭典」をも「作曲された当時の楽器、奏法」で演奏する予定でいらっしゃいます。
そう、時代区分としての古楽じゃなくて、「作曲された当時の楽器、奏法」で演奏するアプローチをさして便宜的に「古楽」「古楽器演奏」と言っていることの無理を演奏活動を通じて露呈させてくれる(笑)、実にチャレンジングな団体なのです、もちろん彼らはそんな風に考えてはいないでしょうけれど(笑)。でも千葉が「古楽」の前に「いわゆる」と付けないとどうも座りが悪く感じる理由の一つは、彼らの幅広いレパートリィとその優れた演奏により先入観が覆されてきた経験から、と言ってもあまり過言ではありません(批評家風の物言いだのでちょっとブレーキを踏みました)。

そんな彼らの新たな挑戦、こっちをアピールしないでどうするの!弾幕薄いよ!(違う)

とかなんとか、届いた告知メールをダシに新譜をご紹介させていただきました。なお、以下に本文中で触れた彼らの音盤のいくつかをリンクしておきますね~、ではまた。




「シェエラザード」、けっこうオススメです。

2012年10月28日日曜日

訃報の後で聴き始めるのは悪癖だ(猛省)

こんにちは。千葉です。

最近、Twitterを眺めていると楽しげな(またはあまりそうでもないような)コンサートの話だったり、何やら内ゲバの様相を呈しつつあるトリックスターの吊し上げがお盛んだったり、なんというか自分がぼんやりテレビやスポーツの感想を書いてるのが申し訳ないみたいです(笑)。益体もなくてすみません。

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昨日、このようなニュースが流れました。

◆ハンス・ウェルナー・ヘンツェ氏 死去(時事)

86歳での大往生とのこと、お疲れ様でした。と合掌するかと思った時に気がつく、彼の音楽がパッと出てこないじゃないか自分、と。まったく聴いたことがないわけじゃない、でも明確な像を結ぶまでには認識ができてない。個人的な体験も特段あるわけでもない、何をか言うべきか、いや黙るべきか。語り得ないものについては沈黙しなければならない、とかね、一瞬頭を過るのですよ。

でもブログで黙っていても仕方がないので(苦笑)、とりあえずこれから気をつけて彼の音楽を聴くことにします。このパターン、誰かの訃報のたびに繰り返してしまってもう反省するのもおこがましい感じ、はてさてどうしたものやら…

もの知らずは仕方がない、以後精進します。

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手元のディスクを探してみると、見つかるのはラトル関係のものが二つ、以上でした。なんというか、20世紀音楽についての認識はラトルがいなかったら大変なことになっていただろうな、と今さらながら自覚しております。ちなみに、いわゆるクラシックの中心的なレパートリーについてはバーンスタインがいなかったら大変なことに(笑)。この二人に教わったことが中心だからそれ以外のジャンルにはうまく手が広げられてないんだよ、というのは言い訳ですね、はい。

ラトル&CBSOによる交響曲第七番と舟歌を収めたディスク、いまはこういうまとめ方でお安くリリースされてます。二枚目のディスクはインゴ・メッツマッハー指揮ベルリン・フィルによる交響曲第九番と「オーデンの詩による三つの歌」ですか、千葉の手元の国内盤よりお得だなあ…

もう一つのDVDは以前NHKのBS2でも放送された20世紀音楽についてのドキュメンタリ・シリーズ「リーヴィング・ホーム」の最終巻。20世紀を俯瞰する10年がかりの「Towards the Millennium」なるコンサートシリーズに並行して作られたものですから、少なくない作品の演奏が映像として収められてます。部分なのがもったいないくらい。この最終巻ではヘンツェの交響曲第八番の一部が収められてます。あまり思い出せないのが口惜しいから(笑)あとで見直すことにしましょう…

なお、このシリーズの雰囲気は以下の動画でご覧いただけますね。なお、ひとつご注意を。いけませんよ、いろいろと検索しちゃ!すぐに以下自粛。



以上、訃報どうこう以上に今後のための覚書ですね、これは。もっと知るように努めるための足がかり、というか。ではまた、ごきげんよう。



きっとこれとか、勉強になるんだろうなと思うけれど、見る日が来るかどうか…

2012年10月25日木曜日

ジョルジュ・ビゼーのお誕生日、とのことで

こんにちは。千葉です。

先日ひとつ、とてもいいコンサートに行ってきたのですがその感想がなかなかまとまらない。まあ、ある数年をかけたシリーズの最終回だったので、それなりの感慨が千葉にもあるのです。
ということで、久しぶりのプロコフィエフ祭りはもう少々お待ちくださいませ。よろしければそれまで、かつての某の記録などご覧いただくのもよろしいかと。その当時は初学者気分ではあったけど真面目に聴きましたから、その当時から大きく認識は変わっていないのだけれど、でもその密度はまったく違うものになった、と自負しております。これもそれもすべてマエストロ・ラザレフのおかげです。ありがたやありがたや。



第一、第五、そして第七しか出ていないけどあんなにマイク立ててたんだもの、残り四曲もでますよね?リリースしたら一躍世界レヴェルのプロコフィエフ交響曲全集ですよ、EXTONレーベルさん!
なお、一番右のは新譜です、プロコフィエフに続くプロジェクト進行中のラフマニノフ。評判の演奏会でしたから、間違いなくいい演奏であることでしょう、そのうち入手したらなにか書きますね。

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でも今日の本題はそっちじゃなーい!

本日はジョルジュ・ビゼーのお誕生日だとか。1838年生まれだからえっと、174回目のお誕生日?でも半端だなあ、とか言わずに素直におめでとう、と申し上げます。ある時期まで音楽には感心しても好きになれなかった「カルメン」(1875)の作曲者に。

登場する奴が全部悪人、ってのは今上映されてるあの映画ですけど(完結、なんだよバカヤロー)、「カルメン」ってオペラも相当のもんだな、と以前から思っておりまして。カルメンにもホセにも感情移入できず、ミカエラはさすがに良い子にすぎる、不自然なほど。そしてお話は優等生的軍人さんが山賊に身をやつした挙句目当ての女に嫌われてストーカに、終いには殺人者になっちまいますからね。ヴェリズムも作品も相当どうかと思う登場人物はいるけれど、あれははじめから「ワイドショウ的」とか酷い言われようだからまあ、そういうものとしても受け取れましょうよ。でもそれがこと「カルメン」となると無前提的に五指に入る名作オペラ扱い、なんだかなあ、って思っていたのです。え?名作オペラには酷い話が多い?「蝶々夫人」を思い出せ?ああ、まあそうなんですけどね…

そんな千葉にはオペラコミーク版の、アンドレ・クリュイタンスによる録音が初めてしっくり来たものだった、という話は前にしたような気がします。生っぽい、というか血生臭い話なのにレチタティーヴォでゆったりと話が進むのが合わなかったのかな、などと名演とほまれ高いクライバーの映像を見ては思ったりしておりました。

そこにですね、まさかの新譜の登場ですよ。およそこの作品と縁のありそうにない、サー・サイモン・ラトルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ほかによる。




望外、というのはこういうことでしょうかしら、おそらくは奥方が希望したのかなあなどと邪推できなくもないのだけれどここは素朴に喜んでおきましょう。だって、オペラコミーク版の新譜ですし。大好きな彼らの演奏ですし。

なお、ご覧のとおり左の輸入盤と右の国内盤では相当な価格差があります。もうこれでは「文庫本とハードカヴァー」という程度では正しい例えになってないかなあ、とは思うものの国内盤は「SACD+特典DVD付き」(輸入盤は通常CD二枚組)という豪華版(愛蔵版レヴェル)ですので、余裕のある方は助けると思って買ってあげてくださいね、国内盤を。千葉はもちろん歯噛みしながら輸入盤ですけど。

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入手してから既に何度か聴いているのですが、これはいいですよ!とファン目線の素朴な感想以上になかなかならなくて困っています(笑)。彼らの演奏はいつもそうなんですけどね、千葉が彼らの演奏をくさすことはないだろうなって思ってます。

そんな素朴な意見を書き連ねるのも気が引けるので、演奏が気になる方はこちらの動画でもご覧いただくのは如何でしょう。国内盤の特典DVDからの抜粋です。EMI JAPANさんありがとう、売上に貢献できなくてごめんなさい。


EMIのサイトでは大きくこの盤を取り上げていますので、興味のある方はそちらもぜひ(リンクしてます)。

ともあれ今日は簡単なご紹介のみ。損はしない一枚です、とのみ申し上げて、詳しい感想はまた後日。ではまた、ごきげんよう。




いわゆる組曲なら、ミンコフスキとルーブル宮音楽隊のこれ、オススメです。騙されたと思って、ぜひ。

2012年10月15日月曜日

もうそんなに経ちましたか…

こんにちは。千葉です。

今更のことですが、そろそろ首都圏はとんでもない質量共に充実しすぎたコンサートシーズンを迎えます。いや、もう始まってるのかな。内外オペラは開幕したし、在京オーケストラの定期演奏会も始まったようだし。第九も発売されて所によっては完売とか聞くし。一年、速いなあ(他人事ですか)。
しかしながら、千葉は今年は貧乏により完全スルーの予定です。べ、別に羨ましがったりもしないと思いますよ、少なくとも字面の上では(ギリギリギリ←歯噛みする音)。

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さて、日付上は昨日が、レナード・バーンスタインの命日です。1990年10月14日、それが記録の上では彼の命日として残りますからね。でも個人的な記憶を紐解けば、今日15日のほうが彼の死と結びついているのです。だって思い出してください、時差の関係で彼の訃報は翌日になってから日本では報じられた、じゃありませんか。今みたいにネットでリアルタイム接続してる訳じゃなし、新聞はちゃんと「ニュース」を報じていた訳ですよ、そのころは。

そんなわけで今日のほうが彼を思い出すのに適しているように、個人的には思います。何も昨日は他ごとをしていたから、というのではなく(いやその面も否定はしないが)。あの頃は千葉もまだ若かった(笑)、よく晴れた秋の日に、悲報を受けていろいろと吹奏楽部の友人たちと話したことなど、変に美化されて思い出されます。しみじみ。


ということで、この本を読み始めました。最近出た本だったんですね、存在さえ知らなかったのは不覚の極み。今年の三月に発行されてます。

 

岡野弁さんの訳でバーンスタインの本、となるとそれこそ彼の死を受けてその音楽や教えを貪っていた時期に読んだ「音楽を語る」が思い出されます。時期も内容も趣向も雑多なエッセイ集なのだけれど、貪りましたよ本当に。何度も何度も読みました。懐かしい。しみじみ。
新刊の「わが音楽的人生」は自伝と位置づけられる本のようですから、普通に考えればパイザーみたいな本とかマイヤーズ、カスティリオーネの本よりも先に出版されるべきじゃないのかなあ、などと思わなくもありませんが(笑)、順序はともかく読めるようになったのだから文句は控えましょう。未読ですし。

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他にもちょっと、バーンスタインのことを考えていたことがひとつ、あるんです。そのきっかけはこちら。



サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるブルックナーの第九番、「サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ版(SPCM版)」の2010年改訂版の、作曲者によっては完成されなかった第四楽章付きの録音です。
えぇえぇ、貧乏な私は右側を買いましたが何か?(キレ気味)本当はねえ、SACDフォーマットの方がいいに決まってるんですよ、特にもいまの彼らの演奏は。まあほら、海外では本はハードカヴァーとペイパーバックが同時にでたりするみたいだから、あたしはそうだ、そうだよ文庫が好きなんだよ!(滂沱の涙)

すみません取り乱しました。
バーンスタインの膨大な正規録音の中に、ブルックナーはただ一つこの第九番があるのみ、なんです※。それも二回、NYP時代の1969年のもの、そして1990年3月まさに最晩年に残されたウィーン・フィルとの録音と。

※当時のレーベル関係なしで、一つだけ例外があります。これまた不思議な感じのする選曲ですが、第六番をニューヨーク・フィルハーモニックと演奏した記録があります。情報はリンク先でご確認ください。

畢生の大作だもんね、未完だけど価値ある作品ですよね。千葉はそう思うことにしていたんですけど、ブルックナーを聴けば聴くほど「第五とか第八はある種の完成形ですよねえ」「未完であることで作曲者本来の”型”を欠いた作品になってませんかね第九番」とか思うようになりまして。

アーノンクールの盤におまけでついていたレクチャーを聴いてみてもいま一つイメージできないでいた第九番のあるべき姿が、ある程度の信用できる形で聴くことができてみると、これはもしかしてこういうこと?などと心当たりが持てなくもない、かな。最近そんな風に思っていたところなんです。まだもう少し調べ物をしないとまとめられませんけど。

ともあれ、そんなわけでこれからしばしバーンスタインのブルックナー、聴こうと思います。ではまた。


 

右の五枚組DVDボックス、1973-90年のライヴが収録されてます。はじめ見たときは同じニ短調の第九番でもマーラーが収録されてるってあったような気がするんだけど…(笑)




この動画は第一楽章冒頭15分ほどです、ご参考まで。