2019年4月18日木曜日

バッティストーニと東京フィル 新シーズンのはじまりは新時代の前奏曲

少し前なら、指揮の上手さと言ったらそのまま交通整理の巧みさやドライヴの集中度、オケの気をそらさない振る舞いなどに焦点を置いていたような気がします。でも限られた実演のみならず、有料無料の映像に簡単に触れられる現在だと、作品を再創造できる描写力や客席を巻き込む演出力(ひそかにこれは大事、特に若い人)まであって、ようやく「指揮が上手いな」と思うようになりました、もちろん私見ですけど。いや、究極的には「出てくる音楽に説得力がある」のが上手い指揮なんですけどね、リハまで含めて。聴き手のもとに音が来るならばそれがいい演奏であり、いい指揮であり…禅問答のようですが、それを問うならば答えはこうなるのです(バーンスタインジョーク←PMF初年度のリハーサルを何度も何度も見たお前にしか通じないぞ)。
そんな観点を持つようになって、バッティストーニと東京フィルの1月定期を聴いて、しみじみと彼の指揮が上手いことに感心したわけですよ。もちろん棒振りの技術の話だけではなく。

そんなバッティストーニと東京フィルといえば新シーズン開幕の定期だけれど。この記事を公開する頃にはもう初日が終わってるんですけど。せっかくの”新時代”なのでいつもの公演レヴューから少し角度の違う話を、私からの花束として開幕にお送りしましょう。以前にお出ししたレヴューとは別公演、オーチャード定期の感想も交えた、バッティストーニの話。まずはオーチャード公演(1/27)のことから。

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配信ですら聴くことができないザンドナーイの「白雪姫」聴きたさに、また同じプログラムで公演を重ねて音楽がどう変わったかに興味があって、サントリー公演から数日後のオーチャード定期に伺ったんですよ。この間にオペラシティ定期もあり、そこではまた違う音もしたろうと思いながら伺えず、なんとか最終公演に、と。
演奏の感想を結論から書けば、お見事でした。初日の公演より踏み込んだ表現になり、音響的に感じた違和感もなくて。オーチャードホールはなかなか上手く鳴らされないホールだと思うのだけれど、東京フィルはさすがにホームとしているだけのことがあるんですよ。サウンドの特性は違っても、残響感は違っていても、演奏は明らかに良くなっておりました。特に目当ての「白雪姫」。より演奏は引き締まって、ドラマとして届いたと思う。
一曲目の「魔法使いの弟子」も初日の演奏で感じた、(序盤に木管のソロがとおりにくい)感じもなく、力みのない音でソロが上手く浮き上がってくれた。結果として、より薄造りの作品の美しさが際立って、1897年の作品としてこの有名なスケルツォが聴こえてくれて、耳が幸せでした。

メインの「シェエラザード」も、初日より大きい会場を鳴らしきりながらも安定感のある演奏となった。演奏のスケールは大きくしながら、オーケストラとのコミュニケーションはコンパクトになって、もはや以心伝心の感すらあった。バッティストーニのアプローチについては先日のレヴューを参照していただければ。この日は前回受け取ったコンセプトがより明瞭に実現されていたと思う。

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で本題。彼の”熱い”指揮ぶりは、ついちょっと私たちの耳を「騙して」くるところがある。人ぎきの悪い言い方で申し訳ない。
いくつもリリースされている録音を聴いてもらうとわかるのだけれど、彼の演奏のベースは透明感のある明るい音なのだが、その力強さ、表現力からつい「熱い」「激しい」なんて形容が先に来てしまう。わかる、よくわかるんだけど…



もちろん、曲が曲なので、というご意見もおありとは思いますが、ちゃーんと武満トーンをこんなにクリアに現前させられる人なんですよ、彼。そのことは、これまでにリハーサルのレポートに公演のレヴューにと書いてきたのだけれど、それでもまあ、なかなかそういう話は広がらない。まあ仕方ない、ちまちま私はその話をしますよ、ええ、彼のクリアなピアニッシモの美しさを書きますともええ(居直るな)。

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さて、その機会になるかもしれないシーズン開幕の4月定期はこんなプログラム。

指揮:アンドレア・バッティストーニ
ピアノ:小山実稚恵
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

ウォルトン:戴冠式行進曲「王冠」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第二六番 ニ長調 K.537 「戴冠式」
  ピアノ独奏:小山実稚恵
チャイコフスキー:交響曲第四番 ヘ短調 Op.36

こんな広告も打たれていましたから、その趣意はわざわざ詮索するまでもないでしょう。



そう、新たな時代を民の喝采のもとで迎える王は、過酷な運命に立ち向かう宿命を負わされて困難な…え?違いましたか?もっと普通にお祝いだ?うーん、モーツァルトはこの時期は…チャイコフスキーのこれはえっと…。
不謹慎だと叱られるのも嫌なので(折れやすい)これ以上は言いませんが、この読み方のほうがいいと思うんですけどねえ。新王を待ち受ける、予告された困難、しかし勝利し成長する王の物語。チャイコフスキーの終わり方を考えれば最後には勝利する感じなんだし、別に不…え?もうやめておけ?

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さて、日本のオーケストラのシェフとして、新時代を迎えるための作品と、自身が得意とするロシア音楽を開幕公演に用意したバッティストーニ。仄聞する限りではいろいろとさらなる趣向もあるようだけれど、それは知らなかったことにして、今日からの公演を楽しもうと思います。チャイコフスキーの執拗なまでに展開される運命のドラマ、彼と東京フィルならどこまでも劇的に描き出せるのだろうと思いますので。このプログラムの公演はあと二回、当日券情報などは東京フィルハーモニー交響楽団のサイトでご確認くださいませ


ではまた後日、公演レヴューでお会いしましょう(その前にも更新しますけれど)。ではまた。

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