エムパイア・ブラスの創設メンバーにして長年テューバ奏者として活躍したサム・ピラフィアンが亡くなった、とのことです。数多くの演奏に感謝を。合掌。
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エムパイア・ブラスの創設メンバー、ジャズを主に演奏するアンサンブル"Traverin' Light"としての活躍でよく知られ、教育にも注力したテューバ奏者、サム・ピラフィアンが亡くなった、という報せは最初こちらのツイートで拝見しました。
訃報— hidetuba (@FujitaRecord) April 6, 2019
僕のヒーローでもあり友人でもあるピラフィアンさんが天に召されました。サム、貴方は嘘を言いました、次会った時にやる予定にプロジェクトが無くなったじゃないですか!
😣
ありがとう、ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/xzKQM7zwEy
これはテュービストの藤田英大さんからの発信でした。ピラフィアンとの交流もあったような方がいい加減な情報を流すわけもないのだけれど、信じたくない気持ちもあって英語ソースが出るまでは、所属しているアンサンブルからのコメントが、親族からの表明があるまでは…寝て起きたら誤報でした、だったらどんなにいいかと思って寝て起きて、確認してみたら上記の情報が出ており、嗚呼もう逃げられないとまずは第一報をアップしたわけです。今はこういう記事も出ていて、彼のキャリアがちゃんと記されています。あらためて合掌。
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今でこそあれやこれやとクラシック音楽の話をしている私ですが、いっとき完全に離れようと思った時期があります。それは大学に入ったばかりの頃、趣味の楽器の演奏もやめちゃって、ちゃらい大学生になろうかと迷った頃。
いま思うと、高校を出て私は不全感に悩んでいたんだと思う。大学生になったらあんなとこやこんなことをしなくちゃだ、みたいなぼやっとした夢しかなくて、進学はしてみたけれどそこで勉強はそれほどできない自分に気付かされて(勉強の仕方を理解していなかったのだと思う)、「新しいことを」と入ってみたオーケストラでは出番が来る日が見えないし(先輩が複数いたので)なにより練習場所が家から遠いもので行くのが嫌になってしまって。たまに音やら吹き方をほめられたりはするのだけれど、練習をがんばろうというモティベーションはもうなくなっていた。仮に出番があってもオーケストラでは吹く時間はほんの少し、前プロでも定期に乗れるのかな自分、その程度のためにやってどうすんのかな、みたいな。
勉強ができれば、楽器が吹ければ、そのくらいしか当時の自分を支えるものがなかったとかいま考えても怖い。勉強もそれなり程度、楽器だってプロを目指せるほどじゃあなかったのに。当時読書癖がなかったら何年も無駄にしただけだったろう、もしくは普通の大人になれていたのかもしれない(そのほうが良かったとか言わないでお願いだから)。
ともあれダメになりつつあった当時の私は、帰省して高校の友人たちと地元のホールでエムパイアブラスのコンサートを聴く機会を得た。経緯はもうまったく思い出せない。
私が高校生くらいの頃までは、アメリカン・ブラス・クインテットやカナディアン・ブラスのようなエンタテインメント色の強いアンサンブルが人気で、その時点で私はエムパイアブラスのことなんて金管五重奏であること以外何も知らない。もちろん、メンバーのことも、そのサウンドも。そんな腐った状態で聴くエムパイアブラスがどんな衝撃だったか、想像できますでしょうか。プログラムは「エムパイアブラス・イン・ジャパン」「バーンスタイン、ガーシュウィン」あたりの路線だったはず。
いま振り返って私が言えるのは、「ここであの音に出会わなかったら、音楽からは離れていただろう」ということだけです。自分が普段演奏していた楽器が持っている可能性を、音楽の美しさと楽しさ、コミュニケーションの喜びを、言葉ではなく一度の演奏会で教えていただけたから、音楽から離れられなくなった。もちろん、それは私にとってはいいことだった。おかげさまで、その後私はバーンスタインの作品に出会い(エムパイアブラスは「ミサ曲」の初演でロルフ・スメドヴィクとサム・ピラフィアンが集められたことから結成されたアンサンブルです)、彼らの演奏を聴くうち自分の嗜好が形作られて、そこからやっと自分の欲しいものがわかるようになっていったのだから。
その後は家から近いところで練習している吹奏楽部に入って、自分の音が好きになれるように基礎練習をずいぶんとしましたわ。そこから先に進むヴィジョンがなかったあたりに自分の限界を感じてしまうのだけれど、それでも私は楽しくテューバを演奏する時間を持てるようになりました。嗜好や技術のなさ故に彼のようなアンサンブルやソロでのジャズなんて望むべくもなかったけれど、少しはマシな音で演奏できるようになれたと思います、その当時。
その後私は嗜好も変わって時間も取れなくて(音楽は圧縮して経験することができませんからね)、だんだんに吹奏楽界隈、テューバ界隈からは離れてしまって、買い揃えていたエムパイアブラスの録音もだんだん歯欠けになって…と彼の”現在の”音楽からは離れてしまいました。今はもうテューバだって演奏していない。それでも、今のこんな私の、最良の部分があるのはサム・ピラフィアン(と、スメドヴィクがリードしていた時代のエムパイアブラス)のおかげなんです。訃報のタイミングでしかこれを言えない自分になんというか不甲斐なさは感じますが、心からの感謝を送らせていただきたいと思います。
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