2019年7月10日水曜日

かってに予告篇 ~ロレンツォ・ヴィオッティ 東京交響楽団(7/13~15)

●東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ第110回第114回新潟定期演奏会ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第148回

2019年7月
  13日(土) 14:00開演 会場:東京オペラシティコンサートホール
  14日(日) 17:00開演 会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館
  15日(月・祝) 14:00開演 会場:ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:ロレンツォ・ヴィオッティ
管弦楽:東京交響楽団

ブラームス/シェーンベルク:ピアノ四重奏曲第一番 ト短調 Op.25
ドヴォルザーク:交響曲第七番 ニ短調 Op.70

二曲からなるコンサートなのに、名の知れた作曲家の名前が三つあるのがどうにもややこしい。いやそこまで複雑ではないのですが。とは言いつつ、演奏される二作品になじみがなくてちょっと気後れされている方もいるかもしれないので、おせっかいにもご案内をば。だって、そんなぼんやりとした気持ちの問題で聴き逃すには、ロレンツォ・ヴィオッティという才能はあまりにも惜しいですし。名曲全集は東響にとっては本格的な”ホーム・リターン”コンサートでもありますし。

後半の作品をまず見てみれば、こちらは何も変わったことはない。簡単な紹介でよければ「アントニン・ドヴォルザークが1885年に発表した交響曲」で十分だろう。察しの良い方ならこの年代だけでも多くのことが伝わる、そしてこの曲には古今の名盤があるし、現在ならこういう動画でどんな曲かを知ることもできる。


(いわゆる参考演奏とは程遠い、個性的な演奏なので、ここで貼るべきものではなかったかと今になって思っていたりする)

「実はロンドンと縁があるのは第八番じゃなくてこっちの交響曲」「ブラームスの第三番からの影響がある、と言われる」「充実した晩年の始まりを告げる作品」くらい付け足せば十分ではないだろうか(そうとう雑な言い方になりますが)。日本では最後の二作ほどは演奏されないが(まあ、九番と比べるのはどうかしている)、初演から大成功して現在に至っている作品だ。今回の充実した演奏は、きっと日本での第七番再評価を進める大きな一歩となるだろう。
…え?聴く前からそんなことを言っていいのか、ですか?若きロレンツォ・ヴィオッティの音楽の充実ぶりは私もこれまで何度か書いてきたとおりですし、いよいよ本格的にミューザに帰還する東響がそれに応えられないわけもない。しかも今回はオペラシティ定期(13日)、新潟定期(14日)、名曲全集(15日)と三回もの公演があるのだから、回を重ねるごとにまた違う表情を、ドラマを示してくれることだろう。私はそれを微塵も疑っていないので、このように申し上げる次第です。

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では何が一瞬の混乱を呼ぶか、といえば前半に演奏される作品だ。ブラームスとシェーンベルク、二人の名が並ぶこの曲を一文で説明するならば「ブラームスが1861年に作曲したピアノ四重奏曲第一番 ト短調 Op.25を、シェーンベルクが1937年に編曲した」オーケストラ作品、である。どうだわかりやすかろう(そうでもないか)。

さてわかりやすくまとめてはみましたが、年号を入れるといろいろ情報が発生するので、そのあたりを補足するならば…

この時期にブラームスはウィーンに移住しているが(作曲は移住前)、まだ第一番の交響曲も完成させていない。であれば作曲家としては自身でも演奏するピアノ曲に室内楽曲、そして声楽曲の人である。最初の協奏曲と近い時期に作曲されたピアノ四重奏曲は彼らしい親密なアンサンブルと、民族的な旋律が魅力的な作品だ。「…それをあのシェーンベルクが編曲?オーケストラに?大丈夫なんですか?」なんて思う方も試しにこれを聴いてみてくださいな。



シェーンベルクによる編曲作品は意外なほど多く、それらは原曲の魅力を活かした仕上がりなのでその点では安心してほしい。1920年代にはここに貼ったシュトラウスのほかマーラー※など、幅広く手がけている彼の手腕は確かなものだ。もっとも、それらは20世紀初頭までの大編成のオーケストラを駆使したものではなく、上の動画に見られるような、独特の室内楽編成が中心になるのだが、それは当時彼が組織した「私的演奏協会」のために書かれたものが中心だから、ということになるだろう(この団体については、Colors & Chords様のサイト:リンク先が詳しい)。オーケストラのための編曲作品としては、バッハのコラール前奏曲が比較的有名だろうか。
1920年代という、彼が十二音技法を確立する時期に編曲作品を多く残した、というのは私的演奏協会のような外的事情を無視してついちょっと妄想を呼ぶものではある、未だ聴かれたことのない新しい音の探求の中で他人の作品を音化していく作業に彼は何を見ていたのか…などなど。

※余談だが。編曲を始めたが未完のまま放棄されていた「大地の歌」は、後にライナー・リーンが完成させて、今ではいくつかの録音もされているのでマーラー好きの方にはぜひ聴いてみてほしい。大編成管弦楽を駆使したオーケストラ版と、歌曲としての性格をより強く感じさせるピアノ版の間に、うまく収まるものになっていると私見する。

だが今回演奏されるピアノ四重奏曲第一番は、彼がナチスから逃れて渡米した後の編曲だから、そんな妄想はあまり合致しないものだ。むしろアメリカでの教育活動の影響や、亡命者としての望郷の念もここにはあるのかもしれない。ちょっとブラームスの管弦楽にしては派手かな、と感じられる部分はあるけれど(初めて聴いたときには打楽器の活躍にかなり驚かされた)、その「過剰さ」にシェーンベルクの個性が刻まれている、と受け取ればいいだろう。
そんな二人の「共同作業」を、ヴィオッティと東響はどう聴かせてくれるものか。会場によって、日によって違うサウンドが楽しめるのだろうなあ、と想像してほくそ笑んでしまう私である。

ここまで紹介しても心配なあなた。この演奏でも試しに聴いてみてはいかがでしょう。ピアニストとしてもこの作品に取り組んでいただろうエッシェンバッハなら紹介者として最適では、と思いますが。



最後に余談。この編曲を用いて、ジョージ・バランシンがバレエを作っている。三つの個性が一つの作品に集まった舞台も見てみたいものである。NYCB、いつか来日公演で取り上げませんかしら。

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