●東京フィルハーモニー交響楽団 第921回オーチャード定期演奏会
2019年4月21日(日) 15:00開演 会場:Bunkamuraオーチャードホール
指揮:アンドレア・バッティストーニ
ピアノ:小山実稚恵
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
ウォルトン:戴冠式行進曲『王冠』
モーツァルト:ピアノ協奏曲第二六番 ニ長調 K.537 『戴冠式』
チャイコフスキー:交響曲第四番 ヘ短調 Op.36
曲目を見れば、王冠→戴冠→「闘争」(最後のものだけ私見)と並び、わかりやすく新時代を勝ち抜くプログラム。その読みはあまりに直球じゃないのか、と思われるかもしれないけれど、広告でも「時代は〜」と銘打っていたのだから、新シーズンの開幕と「新王の時代」の始まりを一どきに祝おう、というのがコンサート全体を通しての趣意と見るべきだろう。もちろん、そんな「あらすじ」の範疇に収まらないのがバッティストーニと東京フィルの演奏会なのだけれど。
冒頭に演奏されたウォルトンの行進曲はジョン・ウィリアムズ作品にも通じるきらびやかさ、この演奏なら「スター・ウォーズ」一作目の最後に流れても違和感がないほどで、このアプローチはバッティストーニ特有の「後世にこう影響したのでは?」という指摘含みに思える。この定形を守りつつも意外な転調が印象的な作品では、バッティストー二が指揮するときの東京フィル独特のクリアなサウンドがよく映えた。
モーツァルトでのバッティストーニは、なめらかに歌うピアニストにつけた、共演者としてのアプローチだったように思う。だがそこにも随所にバッティストーニのアイディアは活かされていた。オーケストラと言うよりも「指揮者付きの室内楽」にまで編成を絞ったり、ヴィブラートをきっちりかけた弦楽器によく歌わせたりとあまり”今風”ではない音はなかなか興味深いものだったので、願わくば今度は協奏曲や序曲じゃなく、交響曲でお願いしたい。一曲じっくり、バッティストーニのモーツァルトを聴いてみたくないですか皆様(そうか、モーツァルトならオペラって手があるか…←気づいちゃった人)。
メインのチャイコフスキーだが。これはバッティストー二が今までで一番、彼自身を投影した演奏だったのではないか。どこをとっても彼自身を感じさせる、パーソナルな感情が爆発した音楽だった。Bravo.
彼のオペラ演奏や協奏曲での伴奏ぶりを一度でも経験した方なら、彼のバランス感覚がとても強いものであることを知っているだろう。いかに音楽が熱を持ってもサウンドや様式感、構成への配慮を失うことはない。たとえば同じチャイコフスキーでも「悲愴」がそうだったように、どれだけ熱い演奏をしていても、そこでは知性が適切なハンドリングを行っている。もしかすると彼の身振りだって、没入したように見えるパフォーマンスかもしれない(いやそれは勘ぐりすぎなのだけれど)。
だが今回の第四番ではそうした配慮さえも乗り越えて、何よりも強く彼の施した「刻印」が感じられる演奏となった。どの一音を取り出しても彼の解釈が込められた、かつてこの曲で聴いたことがないほどに劇的な演奏だった。1月の「シェエラザード」よりも濃厚な表情付が徹底していた、といえば1月定期を聴かれた方にも想像いただけるだろうか。一楽章冒頭、あのファンファーレの重さから気乗りしないワルツの足取りの重さ、その繰り返しで高揚していく音楽と、言葉にすれば作品通りのことをきちんとしているわけなのだけれど、音楽は十分に配慮された響きを超えてなによりも感情を、ドラマを伝えてくるのだ。暴風吹き荒れるかのごとき第一楽章のあとは物憂げな第二楽章、例によって管楽器のソロが見事なのである。個人的には「快速のピチカート・スケルツォ」にするのかな、と予想していた第三楽章は意外と落ち着いたテンポ設定で、オーケストラのアンサンブルを誇示するようには響かず、むしろバレエの一場面のように表情豊かな演奏が繰り広げられる。
「三楽章がああならどうするんだ、終楽章?」とか思うスキもなく全力疾走で始まるフィナーレの激しさたるや、まさに炎のごとし。「これがイタリア人がこの表情記号から感じるアレグロ・コン・フオコか!」とその場で得心できるわけもなく、激流に翻弄された私である。民謡を用いた第二主題はどこか鄙びた雰囲気もあるはずなのに、それ以上の切迫感が聴き手を煽り続け、その緊張の頂点で第一楽章のファンファーレが帰ってきてしまう。嗚呼。しばしの落胆のあとの狂乱をどう受け取ったものか、混乱したまま全力疾走で駆け抜けるコーダは言葉にはならないが圧巻(言葉にしないほうがいいのだと今は思っている)、場内を圧倒して交響曲は終わった。これが、バッティストーニが愛するチャイコフスキーなのだ。
※あとでスコアを確認しておいたが、第三楽章は「Allegro」、ここでそれほど極端な表現は求められていないのである。なるほど。アレグロの第三楽章と、フィナーレの疾走感の対比は楽譜どおりのものと、いくら自己を投入していても、そこに明確な根拠があるあたりがバッティストーニだなあ、と思う私だ。
大喝采に答えてのアンコールに「威風堂々」第一番の短縮版、(もしかしてこのオーケストラだから、名曲アルバムヴァージョン?)なんてことは終演後に思いついたことです(笑)。あまりに激しいチャイコフスキーに翻弄されて、コンサートの「あらすじ」を忘れかけていた私たちに本筋を思い出させてくれる「ドラマのエンドロール」のようでもあったけれど、私としては今シーズンのバッティストーニが「イギリス音楽、やる気なんです」という意思表示と受け取りたい。9月の定期では「惑星」を演奏することももちろんだが、恒例となりつつある新宿文化センターでの1月公演で取り上げるのもウォルトンの「ベルシャザルの饗宴」なので!
この展開をみて、まずは本丸を押さえて進めるのがバッティストーニ流のレパートリィ拡張法なのかな…なんてことをぼんやり思い、次にまた彼の演奏を聴く機会を楽しみに思いながら帰路につく、幸せなコンサートだった。
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さてまもなく始まるバッティストーニと東京フィルの9月は、まずKバレエとの「カルミナ・ブラーナ」で始まる。まる一ヶ月以上にわたり、彼らは何かしらの舞台に登場してくれるので、ここで簡単にその日程をまとめてみよう(詳細はそれぞれのリンク先でどうぞ)。
●Kバレエ「カルミナ・ブラーナ」 (9/4、5)
●東京フィルハーモニー交響楽団 長岡特別演奏会(9/7)
●休日の午後のコンサート 「バッティストーニの感謝祭」(9/8)
●第925回サントリー定期(9/13)
●響きの森クラシック・シリーズ Vol.69(9/14)会場:文京シビックホール
●横浜音祭り2019 オープニング・コンサート(9/15)
●第926回 オーチャード定期演奏会(9/22)
そして月が明けるとこの公演が待っている。このリハーサルが始まるためなのだろう、9月中旬からの公演数減少は。
●東京二期会 プッチーニ「蝶々夫人」(新制作 ザクセン州立歌劇場、デンマーク王立歌劇場との共同制作) 10/3〜6(東京・上野)、10/13(横須賀)
と、言うわけでバッティストーニと東京フィルの、8つもの会場を渡り歩いて一ヶ月半も続く、熱すぎる残暑が始まろうとしています。間もなく始まる「カルミナ・ブラーナ」から東京二期会の「蝶々夫人」横須賀まで、皆勤される猛者はいらっしゃるのでしょうか…(どこかが密着取材して映像ドキュメンタリーとか作ればいいのに)などと思いつつ本稿はおしまい。
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