2019年10月20日日曜日

かってに予告篇 ~東京フィルハーモニー交響楽団 10月定期公演

●東京フィルハーモニー交響楽団 10月定期公演

2019年10月
  17日(木)19:00開演 会場:東京オペラシティ コンサートホール
  20日(日)15:00開演 会場:Bunkamura オーチャードホール
  21日(月)19:00開演 会場:サントリーホール 大ホール

指揮:ミハイル・プレトニョフ

テノール:イルカー・アルカユーリック
男声合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:冨平恭平)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

ビゼー:交響曲 ハ長調
リスト:ファウスト交響曲 S.108

ゲーテの「ファウスト」をめぐる音楽作品の話は、これまで何度もしてきた。マーラー、ベルリオーズ、そして残念ながらグノーの歌劇には触れられなかったけれど、この秋にはまだもう一つの大作が待っていた※。それがリストによる管弦楽と男声合唱、声楽、そしてオルガンを用いた「ファウスト交響曲」である。取り上げるのは数々の秘曲を実際の音として我々に示してくれた、そしてピアニストととしてリスト作品を深く理解するミハイル・プレトニョフ、演奏は東京フィルハーモニー交響楽団だ。独唱はイルカー・アルカユーリック、合唱は新国立劇場合唱団と、作品の真価を示してくれるだろう布陣は整っている。初日の公演も好評だった模様で期待も高まるばかり、残り二公演を楽しむ準備はできている、こと私に関しては。

※歌曲のリサイタルなどをきちんと見ていけば、もっともっと多くの演奏会があっただろう、ということは触れておくけれど、最近はそこまで情報をチェックできていないのである。ご容赦のほど。

*************

だが、率直に言ってしまうならばこの曲の実演を体験できるとは思っていなかった、という個人的な告白をしておこう。というのは…

そもそも管弦楽曲ではリストの人気はそう高いとは言えず(ベルリオーズやワーグナー受容において、この凹みはけっこうなマイナス要素ではないかと思っている※)、数多くの交響詩の中で有名な「前奏曲」は歴史的な扱いにくさもあってか今は”往年の名曲”としてときどき取り上げられるに過ぎない、数多あるオーケストラのための小品のひとつでしかない。歴史的な経緯はもちろん、リストが悪いわけではないのだけれど…


2005年のマエストロとロシアナショナル響による同曲。今聴いてみて、もう少し演奏されてもいいような気がするけれど、ラマルティーヌの詩とかチェックするのも大変だから、仕方ないのかな。文学が絡むと、私のような者もひと作業増えるし、とは思います。ものぐさですみません…

そんな「あまり人気のない作曲家(ごめんなさいあくまでもオーケストラでの話です)」の大編成作品、しかも有名だけれど大部で読了するのもたいへんな原作付き、しかもその原作へのアプローチは「三人の登場人物の描写」で長大な戯曲を描き出そうという非常に独特なもの。この作品が人気になるにはそうですね、ディ●ニーがSFX使いまくって「ファウスト」第二部までをきちんと魅力的な映画に仕立て上げて、そこで使われるくらいでしょうか…それでも大人気作品になってどこのオーケストラも取り上げるような作品には、ならないかなあ…

※せっかくの機会なのでどうですか、こんな動画でリストの交響詩をまとめて聴いてみては。
ありがとうブリリアントクラシックス。


ここまで言いよどんでしまうようなところがある曲なのに、実はこの作品は録音なら意外になされているのでした。今ではもういくら分厚くしても出版できないだろう、私が昔愛読したCDカタログには、ショルティにバーンスタイン、バレンボイムにムーティなどステレオ録音からデジタルに移行するくらいの頃のものが載っていたので、自分にとっては一音も聴いていないのになんとなく知っている曲のひとつ、だったくらいには存在感があった。その後もインバル、ラトル、シャイーにイヴァン・フィッシャーなどの著名指揮者はこの作品を取り上げたから、そのうちに録音では聴くようになって今に至っている。
ちなみにこの人はベルリン・フィルの定期に呼ばれてまでこの曲を演奏している。好きなんだねえ…


この作品は、第一部の三人の登場人物を三つの楽章でそれぞれに描写し、第三楽章の終盤にスケルツォからの移行部を経て全巻の幕切れにあたる神秘の合唱を歌い上げて終わる、本当に独特な交響曲だ。だから仮にあなたがあらすじだけで「ファウスト」を知っていて、それぞれの登場人物像を持っていないならば、この作品は何をしたいのかわからないかもしれない。
だが、キャラクター描写においてはベルリオーズやワーグナーの影響が明瞭だから(特にも合唱の入りの直前の部分、きっとどなたもよくご存知の響きに気づくだろう)、プレトニョフと東京フィルが奏でる響きに耳を澄ますなら何かしらの貴重な認識が得られよう。
また、この作品は同じ題材を取り上げたマーラー(第八番との対比はなかなか興味深いが、マーラーはこの作品を演奏してはいないようだ)、ショスタコーヴィチなど後世への影響でも知られている※。「交響詩作曲家による交響曲」という捉え方をするならリヒャルト・シュトラウスの前身として見ることもできよう。音楽史的にも相当に独特な位置を占める作品だ、と言えるだろうか。

※ショスタコーヴィチの第一〇番は、DSCHモティーフによる自画像とほか二人の人物描写だ、とする説があります。

そんな独特な作品を、録音や楽譜のみで理解するのはなかなか容易ではない、音楽家ならぬ我が身であればなおのこと。それなりの時間録音を聴く形で付き合ってきた作品だけれど、未だに芯を捉えられた気がしていない。だからこうして、実演で体験できる機会が訪れることはまさに望外の喜び、想定外の好機、なのだ。

私のこんな思いは、ここまで書いてきたとおり非常に個人的なものなのでどなたかに共有していただこうとは思わないのですけれど、この作品のユニークさは本物ですし、コンサートで取り上げられることは本当に希少なのです。ですから残り二回の公演、ここまでの文中に少しでも気になるポイントがあった方にはこの機会を逃されませぬよう、とご案内させていただきます。

*************

なお。前半に演奏されるビゼーの交響曲は、NYCBの演目としても有名な、ジョージ・バランシン振付の「シンフォニー・イン・C」でも知られる作品です。「カルメン」「アルルの女」ほどのポピュラリティはないけれど、古典的な四楽章形式の交響曲として非常に親しみやすい作品です。

現在も初期の習作的扱いがされているし、そもそも作曲されてもビゼー生前には演奏されなかった作品であることを思い出してみれば、この日のプログラムでもプレトニョフは「十分にその価値を知られていない作品をきちんとプレゼンテーションする」いつもの姿勢を貫いているのだ、と気づくわけです。今回もまた、勉強させていただきます。と、そんな落語家の弟子のような気持ちで私は会場に伺おうと思っております。皆様も、ぜひ。

0 件のコメント:

コメントを投稿