もう今日の公演なので、私の都合で仕上げが少し荒いかもしれませんが例のやつをば。
●ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第146回
2019年5月12日(日) 14:00開演 会場:カルッツかわさき
指揮:飯森範親
バリトン:ヴィタリ・ユシュマノフ◆
児童合唱:川崎市立坂戸小学校合唱団(合唱指揮:中島はるみ)♥
合唱:東響コーラス(合唱指揮:冨平恭平)★
管弦楽:東京交響楽団
ボロディン:だったん人の娘たちの踊り、だったん人の踊り(オペラ「イーゴリ公」より)◆★
ムソルグスキー:はげ山の一夜(オペラ「ソローチンツィの市」1880年版)◆♥★
チャイコフスキー:大序曲「1812年」♥★
カリンニコフ:交響曲第一番
*************
「だったん人の踊り」「1812年」、それも合唱付きといえば、一昔前なら録音の良さを誇示するが如き”スペクタキュラー・アルバム”の定番だった。そこにムソルグスキーの「はげ山の一夜」が収められるのは自然なことだ、演奏効果の高いロシア管弦楽曲の定番としてよく知られた作品なのだから。だがしかし、それが「合唱・声楽付き」だとしたら?一般によく知られた「はげ山の一夜」は、作曲者の没後にリムスキー=コルサコフが編曲したもので、最近では作曲者自身が完成させていた「原典版」も演奏される機会が増えた、そこまでならご存知のかたも少なくないのではないかと思う。だがこれらには合唱も独唱も用いられていない。では今回演奏されるのはいったいどういう版なのか?
これがよく知られた版ですね。
ご存知の人はご存知の通り、ムソルグスキーはなかなか作品を完成させられない人だった。着想を得てある程度まで作られながら、完成に至らないばかりに知られていない作品のなんと多いことか、そんな彼のキャリアが後年の研究でどんどんと知られてきている。こと「はげ山の一夜」にしても、未完のオペラにその萌芽があるけれど未完のまま放棄、その後原典版(1867)が作られながら初演されず(初演は1968年、100年以上が過ぎてからのこと)、没後の1886年にリムスキー=コルサコフによる編曲版でこの作品はようやく音になり、その後は高く評価されて現在に至っている、というのが比較知られたこの作品の歴史だ。この作品をもっとも世に知らしめたのは先日「なつぞら」でも登場した映画「ファンタジア」(1940)だろう(ドラマ本編では当該部分は登場していません)。ここではリムスキー=コルサコフ版をさらにストコフスキーが編曲した版が用いられている、と指摘するだけにこの文章では留めますが、せっかくなので皆さんこの機会に全篇見てください。そうそう、リムスキー=コルサコフ版なら「スケバン刑事2」でも…いやそういう話はもういいですねすみません。
(先日の放送でパブリック・ドメインだと気がついたので貼ってみる。どきどき)
閑話休題。
では、今回演奏される合唱も独唱もついた「はげ山の一夜」とはなんなのか。それは曲目にもある通り、オペラ「ソローチンツィの市」(かつて「ソロチンスクの定期市」と訳されていた、1870年代に取り組んだ未完の作品)に転用されたものだ。1868年の原典版に声楽を付与しただけではなく、「若者の夢」というオペラの一場面を形作るものなのだという。原典版とリムスキー=コルサコフ版をつなぐ「ミッシング・リンク」としても興味深い、作曲者による”別解”が音になる、貴重な機会となることだろう。洗練されたリムスキー=コルサコフの仕事でもなく、野卑だからこそ力強く輝く原典版とも違う第三の「はげ山」は、きっと我々の知らない「壮観」を描き出してくれることだろう。
第14回東京音楽コンクール声楽部門で第2位を獲得し、各地の演奏会で活躍するヴィタリ・ユシュマノフ、おなじみの東響コーラスとともに共演するのは川崎市立坂戸小学校の合唱団だ。ただの「地元の子供たちの晴れ舞台」と侮るなかれ。この子たち、実は昨年のNコンで銅賞(第3位)に輝いているのだ。きっと見事な共演を果たして私たち聴き手を驚かせてくれることだろう。
*************
ここでメインの作品がチャイコフスキーやリムスキー=コルサコフなら、堂々たる直球の「スペクタキュラー・コンサート」なのだけれど、今年度内には150回を越えようという回数を重ねてきた「名曲全集」はひと味もふた味も違う。最後に演奏されるのはヴァシリー・カリンニコフの交響曲第一番 ト短調(1894-1895、初演1897)なのだ。
カリンニコフは1866年に生まれて1901年にわずか34歳で亡くなった作曲家だ。ロシアに限って世代でみればチャイコフスキー(1893没)よりは後の、グラズノフ(1865生)やラフマニノフ(1873生)に近い。もっとも、同世代の二人ほどの時間は彼にはなかったのだが。NHK交響楽団のサイトにある解説(リンク先)を一読するだけでも辛くなるほどに厳しい生涯は、山田天陽くんのモデルとされる神田日勝のそれを想わせる(「なつぞら」脳の恐怖)。一般的に言うならゴッホとかでしたねすみません。
今回演奏される第一番、作曲年代で同時代の作品を見ていけばどうなるか。マーラーなら交響曲第二番から第三番、シュトラウスは「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「ツァラトゥストラはかく語りき」と交響詩の時代。ドビュッシーなら「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェルはまだ駆け出しで初期のピアノ曲を書いているころだ。二週間しか生まれが違わないシベリウスなら「クッレルヴォ」で名声を得て、しかしまだ最初の交響曲は登場していない。そんな時代を不遇の才能は生きた。シューベルトよりは長生きだ、なんてなんの慰めにもならないほどの短い生涯を。
しかしソヴィエト時代にも彼の作品は細々とではあるけれど演奏され、録音されてきた。その中心的な作品がこの交響曲だ。最近では山田和樹も録音しているこの作品に、この機会に多くの方が出会えるならば幸いなことだ。その出会いが良きものとなるよう、飯森範親と東響の好演に期待しよう。
この作品はこんな大御所も演奏されているんです、実は。
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本当は「だったん人の踊り」がちゃんと「だったん人の娘たちの踊り」から始まることとかも書いておきたかったのですが時間切れ。お詫びということでもありませんが、最後に「スペクタキュラー・プログラム」について書いた文章にふさわしい映像を貼っておきますね。ではまた。
2019年5月12日日曜日
2019年5月1日水曜日
フェスタサマーミューザKAWASAKI2019の聴きどころ その二 ~レア曲を聴く!
さてシリーズ第二回。もうセット券は買った、どうしても外せない単券も抑えた!そんなあなたにもこの紹介が楽しめるものになりますように(お祈り)。では本題。
より広く、市民に首都圏の音楽ファンにこの会場でコンサートを聴いてもらおうという「フェスタサマーミューザKAWASAKI」は、言ってみればおなじみの「名曲全集」を首都圏のオーケストラで一気に開催するような性格もある種のミッションとして持っている。公共ホールとして多くの人に聴いてもらうことを考えるなら妥当な判断だし、夏休みの昼間っから知らない曲を演奏してくれることに喜びを感じる私のような者()が少数派なのは至極ふつうのことでしかない。
それでも「せっかくのミューザで演奏する機会に」と意気込んでくれているのか、ここ最近ではなかなか実演では聴けない作品を用意してくれる団体も増えてきた。その積極的な選曲に応えたい、私は強くそう思うので、せめてもの助力としてここに動画も交えて作品の紹介をさせてもらおうと思う。
1.バリー・グレイの「サンダーバード」、リゲティのピアノ協奏曲 ノット&東響(7/27)
開幕公演からこれである。フェスタサマーで「実演でなかなか聴かれない作品を取り上げる」流れを作っている張本人のノット&東響(書いちゃった)、ブレないのである。「サンダーバード」はあのカウントダウンと出動シーンと「はい、パパ」と黒柳徹子さんと(以下略←おい)でおなじみのあの作品なので、ここで私が多くを語る必要はないかと思う。以前、広上淳一さんがレコーディングしたことを記憶している方も多いかな、と思うのでこの動画を貼っておきましょう。
この日の演奏ではもちろん、日本語のお歌はつかないと思うのでそこは期待されませんように。ご自身でお歌いになるのもアウトですよ。
むしろこのコンサートでなかなか聴けない作品として紹介すべきはリゲティのピアノ協奏曲だろう。いろいろ探していたら、4年前に福間洸太朗が作品の構成を示してくれている動画を見つけてしまった。せっかくなので皆さんガンガン再生してあげてください。
また、リゲティのピアノ曲に馴染みのない方はこれを聴いてみるといいかも。
もはや「ゲンダイオンガク」とかつて目の敵にされた”敵”の姿がぼやけてきた今、リゲティは取っ掛かりにいいと思いますよ。ノット&東響の演奏なら悪かろうはずもありませんし。
2.アランフェス協奏曲・エレキギターバージョン 渡辺香津美&川瀬・神奈川フィル(7/30)
アコースティック・ギターで大きな会場のコンサートを行うならば、どうしたってPAを使うことになる。ソロのリサイタルだってそうなのに、オーケストラと共演ともなれば使わないはずがない。録音でなら「増幅されない生の楽器の音でオーケストラに渡り合うギター」が実現できるから気にもならないのだけれど、実演ではどうしたってそんなことはできない、もしやりあえる音量をPAで鳴らしちゃったら今度は楽器の持つ個性が消えてしまう。そんなせめぎあいを抱えながら、「アランフェス協奏曲」を取り上げる演奏家たちは常にその時どきの回答を示してくれているのだ。
では今回、渡辺香津美と川瀬&神奈川フィルはどうするのか、ミューザは広いぞ?ここで彼らが今回出した答えは「エレキギターでオーケストラと共演する」であった。記者会見でサラッと発表されたこの一言で、私にとっては神奈川フィルのスペイン・プログラムは注目公演の上の方に駆け上りましたよ。イントロでギターが鳴り始めたその瞬間に、今回のアイディアが狙ったものが聴き手に届くはず。その瞬間こそがこういうチャレンジに立ち会うことの妙味、ですね。
3.ストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」 高関・仙台フィル(8/4)
「グレイテスト・ショウマン」でも描かれた「地上最大のショウ」ことバーナムとベイリーのサーカス団の仕事の一つとこの作品が関係している、と言ってもあまり驚かれないかもしれないが(アメリカ時代のストラヴィンスキーに明確な傾向を求めることの無意味さ、たるや)、この作品は「象のバレエ」のために書かれました、と言ったらどうでしょう。しかも振付がバランシン。自分で事実を書き連ねていて、なんの話なのかわからなくなってくる、この感覚がストラヴィンスキーですね。
参考にご覧いただきたいのがこのドキュメンタリー。言葉はわからなくてもこの作品の特異さは伝わるでしょう。
小品ではありますが、なかなか実演では聴けない作品なのです。…だって最後の引用が、ねえ(笑)。仙台フィルのフェスタサマーへの登場がこの短いけれどインパクトのある曲で成し遂げられるのだと思うと、なにかの含意をかってに読みたくなりますがここでは自重で。
4.「レンミンカイネンの帰郷」、芥川也寸志:交響曲第一番 藤岡・東京シティ・フィル(8/6)
シベリウスの「レンミンカイネン」組曲はまるで演奏されないとも言い切れないくらいには取り上げられるけれど、この記事を書くためにYouTubeで探しても著作権的に問題ないものは多くない。「トゥオネラの白鳥」だけならまだしも。これなんかどうでしょう。
そして芥川也寸志の音楽といえば、「砂の器」のための音楽をはじめ、「八甲田山」などの映画音楽、「赤穂浪士」などのテレビのための仕事が近年のリバイバルであらためて注目されている。また、たとえば「交響管弦楽のための音楽」は近年吹奏楽編曲でも親しまれていたそうです、吹奏楽から遠のいて久しい私は知らなかった。
フェスタサマーにも出演する洗足学園音楽大学の、吹奏楽版のコンサートから、でした。前田ホールもご無沙汰して久しいなあ…(川崎市民の感慨)
「弦楽のためのトリプティーク」あたりもプロアマ問わず比較的演奏されている気がするけれど、交響曲となるとどうだろう。彼の番号付き交響曲は第一番だけ、あとはエローラ交響曲のみと、このあたり尊敬していたソヴィエトのシンフォニストたちとは違う。芥川の交響曲は多作されることはなかった。日本とソヴィエトの環境の違い、日本のクラシック界における彼の立ち位置、彼に求められたもの、彼がしたかったこと…たくさんの要素がそのようにしたのだろう、としか今のところ申しようもないのですが。
私には、彼の音楽には密入国するほどに敬愛し尊敬したショスタコーヴィチより、プロコフィエフへの近さを感じてしまうんですよね、言葉になりにくいところでの印象なんですけど。ショスタコーヴィチの「意図が読み切れない発言」よりもプロコフィエフの「意図が見えていて、まあ問題ない範囲かなって発言」に近いと言うか。よくわかりませんね、すみません。先ほどの動画の音楽のテイストが気に入っていただけたなら、きっと交響曲もお楽しみいただけると思います。
5.ショスタコーヴィチ4、5をフェスタサマーで、ミューザで!! ゲルギエフ・PMFオーケストラ(8/2)、尾高・東響(8/12)
特別参加となるゲルギエフ&PMFオーケストラはいつも首都圏の公演に通常のコンサートの枠を超える大規模な演奏会を持ってきてくれる。お腹いっぱいになってもシェフが次の皿を山盛りで出してくる以上、聴き手もお腹のこともカロリーのことも忘れて最後まで食べなければならないのである。それならば、と「そうだ!どうせ大人数を乗せるんだから、大編成の曲を選べばいいんだ!」とマエストロが思ったのかどうかは知らないが(おい)、今回はショスタコーヴィチの最大規模の作品を持ってきてくれる。
もっともその交響曲第四番は、つい先日ウルバンスキ&東京交響楽団が見事な演奏を聴かせたばかりではある。世界から集まった若き才能が、ゲルギエフの指揮のもとミューザでどんな音楽としてこの作品を示してくれるか、期待しよう。…今さらなんですけど、こんな動画もありました。ウルバンスキ、やっぱりこの曲が好きなのねえ…(レヴューはもう少々お待ちください)
PMFオーケストラの公演から日を置かず、クロージングコンサートでは第五番が演奏される。本来は1936年、1937年と二年連続で発表されるはずだったこの交響曲を、この間隔で同じ会場で聴けることは貴重な体験となりうるだろう。
また、東京交響楽団目線で言えば、ご存知3月定期でウルバンスキと4番を演奏して、5月定期ではノット監督と5番を演奏してからのコンサートなのである。上田仁以来の伝統についても折々に触れてきたが、東響は偉大なショスタコーヴィチ・オーケストラでもあるのだ。3月、5月の公演がミューザではなかったことの残念さ、きっちり解消していただこうではありませんか。
以上、あえて「名曲」を回避して、自分にとっての「名曲」を探せるコンサートを選んでみました。フェスタサマーミューザKAWASAKI2019のチケット購入など詳しくはリンク先でどうぞ。
ではあと一回くらい、フェスタサマーの紹介をしようと思います。当然別の切り口で。ではまた。
より広く、市民に首都圏の音楽ファンにこの会場でコンサートを聴いてもらおうという「フェスタサマーミューザKAWASAKI」は、言ってみればおなじみの「名曲全集」を首都圏のオーケストラで一気に開催するような性格もある種のミッションとして持っている。公共ホールとして多くの人に聴いてもらうことを考えるなら妥当な判断だし、夏休みの昼間っから知らない曲を演奏してくれることに喜びを感じる私のような者()が少数派なのは至極ふつうのことでしかない。
それでも「せっかくのミューザで演奏する機会に」と意気込んでくれているのか、ここ最近ではなかなか実演では聴けない作品を用意してくれる団体も増えてきた。その積極的な選曲に応えたい、私は強くそう思うので、せめてもの助力としてここに動画も交えて作品の紹介をさせてもらおうと思う。
1.バリー・グレイの「サンダーバード」、リゲティのピアノ協奏曲 ノット&東響(7/27)
開幕公演からこれである。フェスタサマーで「実演でなかなか聴かれない作品を取り上げる」流れを作っている張本人のノット&東響(書いちゃった)、ブレないのである。「サンダーバード」はあのカウントダウンと出動シーンと「はい、パパ」と黒柳徹子さんと(以下略←おい)でおなじみのあの作品なので、ここで私が多くを語る必要はないかと思う。以前、広上淳一さんがレコーディングしたことを記憶している方も多いかな、と思うのでこの動画を貼っておきましょう。
この日の演奏ではもちろん、日本語のお歌はつかないと思うのでそこは期待されませんように。ご自身でお歌いになるのもアウトですよ。
むしろこのコンサートでなかなか聴けない作品として紹介すべきはリゲティのピアノ協奏曲だろう。いろいろ探していたら、4年前に福間洸太朗が作品の構成を示してくれている動画を見つけてしまった。せっかくなので皆さんガンガン再生してあげてください。
また、リゲティのピアノ曲に馴染みのない方はこれを聴いてみるといいかも。
もはや「ゲンダイオンガク」とかつて目の敵にされた”敵”の姿がぼやけてきた今、リゲティは取っ掛かりにいいと思いますよ。ノット&東響の演奏なら悪かろうはずもありませんし。
2.アランフェス協奏曲・エレキギターバージョン 渡辺香津美&川瀬・神奈川フィル(7/30)
アコースティック・ギターで大きな会場のコンサートを行うならば、どうしたってPAを使うことになる。ソロのリサイタルだってそうなのに、オーケストラと共演ともなれば使わないはずがない。録音でなら「増幅されない生の楽器の音でオーケストラに渡り合うギター」が実現できるから気にもならないのだけれど、実演ではどうしたってそんなことはできない、もしやりあえる音量をPAで鳴らしちゃったら今度は楽器の持つ個性が消えてしまう。そんなせめぎあいを抱えながら、「アランフェス協奏曲」を取り上げる演奏家たちは常にその時どきの回答を示してくれているのだ。
では今回、渡辺香津美と川瀬&神奈川フィルはどうするのか、ミューザは広いぞ?ここで彼らが今回出した答えは「エレキギターでオーケストラと共演する」であった。記者会見でサラッと発表されたこの一言で、私にとっては神奈川フィルのスペイン・プログラムは注目公演の上の方に駆け上りましたよ。イントロでギターが鳴り始めたその瞬間に、今回のアイディアが狙ったものが聴き手に届くはず。その瞬間こそがこういうチャレンジに立ち会うことの妙味、ですね。
3.ストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」 高関・仙台フィル(8/4)
「グレイテスト・ショウマン」でも描かれた「地上最大のショウ」ことバーナムとベイリーのサーカス団の仕事の一つとこの作品が関係している、と言ってもあまり驚かれないかもしれないが(アメリカ時代のストラヴィンスキーに明確な傾向を求めることの無意味さ、たるや)、この作品は「象のバレエ」のために書かれました、と言ったらどうでしょう。しかも振付がバランシン。自分で事実を書き連ねていて、なんの話なのかわからなくなってくる、この感覚がストラヴィンスキーですね。
参考にご覧いただきたいのがこのドキュメンタリー。言葉はわからなくてもこの作品の特異さは伝わるでしょう。
小品ではありますが、なかなか実演では聴けない作品なのです。…だって最後の引用が、ねえ(笑)。仙台フィルのフェスタサマーへの登場がこの短いけれどインパクトのある曲で成し遂げられるのだと思うと、なにかの含意をかってに読みたくなりますがここでは自重で。
4.「レンミンカイネンの帰郷」、芥川也寸志:交響曲第一番 藤岡・東京シティ・フィル(8/6)
シベリウスの「レンミンカイネン」組曲はまるで演奏されないとも言い切れないくらいには取り上げられるけれど、この記事を書くためにYouTubeで探しても著作権的に問題ないものは多くない。「トゥオネラの白鳥」だけならまだしも。これなんかどうでしょう。
そして芥川也寸志の音楽といえば、「砂の器」のための音楽をはじめ、「八甲田山」などの映画音楽、「赤穂浪士」などのテレビのための仕事が近年のリバイバルであらためて注目されている。また、たとえば「交響管弦楽のための音楽」は近年吹奏楽編曲でも親しまれていたそうです、吹奏楽から遠のいて久しい私は知らなかった。
フェスタサマーにも出演する洗足学園音楽大学の、吹奏楽版のコンサートから、でした。前田ホールもご無沙汰して久しいなあ…(川崎市民の感慨)
「弦楽のためのトリプティーク」あたりもプロアマ問わず比較的演奏されている気がするけれど、交響曲となるとどうだろう。彼の番号付き交響曲は第一番だけ、あとはエローラ交響曲のみと、このあたり尊敬していたソヴィエトのシンフォニストたちとは違う。芥川の交響曲は多作されることはなかった。日本とソヴィエトの環境の違い、日本のクラシック界における彼の立ち位置、彼に求められたもの、彼がしたかったこと…たくさんの要素がそのようにしたのだろう、としか今のところ申しようもないのですが。
私には、彼の音楽には密入国するほどに敬愛し尊敬したショスタコーヴィチより、プロコフィエフへの近さを感じてしまうんですよね、言葉になりにくいところでの印象なんですけど。ショスタコーヴィチの「意図が読み切れない発言」よりもプロコフィエフの「意図が見えていて、まあ問題ない範囲かなって発言」に近いと言うか。よくわかりませんね、すみません。先ほどの動画の音楽のテイストが気に入っていただけたなら、きっと交響曲もお楽しみいただけると思います。
5.ショスタコーヴィチ4、5をフェスタサマーで、ミューザで!! ゲルギエフ・PMFオーケストラ(8/2)、尾高・東響(8/12)
特別参加となるゲルギエフ&PMFオーケストラはいつも首都圏の公演に通常のコンサートの枠を超える大規模な演奏会を持ってきてくれる。お腹いっぱいになってもシェフが次の皿を山盛りで出してくる以上、聴き手もお腹のこともカロリーのことも忘れて最後まで食べなければならないのである。それならば、と「そうだ!どうせ大人数を乗せるんだから、大編成の曲を選べばいいんだ!」とマエストロが思ったのかどうかは知らないが(おい)、今回はショスタコーヴィチの最大規模の作品を持ってきてくれる。
もっともその交響曲第四番は、つい先日ウルバンスキ&東京交響楽団が見事な演奏を聴かせたばかりではある。世界から集まった若き才能が、ゲルギエフの指揮のもとミューザでどんな音楽としてこの作品を示してくれるか、期待しよう。…今さらなんですけど、こんな動画もありました。ウルバンスキ、やっぱりこの曲が好きなのねえ…(レヴューはもう少々お待ちください)
PMFオーケストラの公演から日を置かず、クロージングコンサートでは第五番が演奏される。本来は1936年、1937年と二年連続で発表されるはずだったこの交響曲を、この間隔で同じ会場で聴けることは貴重な体験となりうるだろう。
また、東京交響楽団目線で言えば、ご存知3月定期でウルバンスキと4番を演奏して、5月定期ではノット監督と5番を演奏してからのコンサートなのである。上田仁以来の伝統についても折々に触れてきたが、東響は偉大なショスタコーヴィチ・オーケストラでもあるのだ。3月、5月の公演がミューザではなかったことの残念さ、きっちり解消していただこうではありませんか。
以上、あえて「名曲」を回避して、自分にとっての「名曲」を探せるコンサートを選んでみました。フェスタサマーミューザKAWASAKI2019のチケット購入など詳しくはリンク先でどうぞ。
ではあと一回くらい、フェスタサマーの紹介をしようと思います。当然別の切り口で。ではまた。
2019年4月28日日曜日
大型リマインド(更新完了)
あまり私には関係のない大型連休中、公共放送がクラシック音楽の番組を多く放送するな、と気がついてしまったので簡単ですがリマインドを。再放送は多いのですが、繰り返し放送される価値のあるものだと思いますのでご案内します。
●BS1スペシャル「ショパン・時の旅人たち 第一回国際ピリオド楽器コンクール」
2019年4月28日(日) 午前9時00分~
この番組を見てからこの映像を見ると、かなり効きます。ぜひ。
●BS1スペシャル「ローザンヌでつかんだ未来~バレエダンサー 須弥奈と美桜~」
2019年4月28日(日) 午後11時00分
私にとっての「ローザンヌ国際バレエコンクール」は、とても厳しい解説の方の記憶と、山岸凉子先生の「テルプシコーラ」なのですが、そんなゆるい認識の私とは関係なく毎年開催されて、有望なダンサーたちを輩出しています。これは、昨年のそのコンクールで入賞した日本人のうち、女性二人に密着したドキュメンタリーです。
再放送が5/6に決まっていること、コンクールそのものの放送が6月に予定されていることも付記しておきましょう。
●プレミアムシアター ピエール・ロラン・エマール ピアノ・リサイタル ~クロード・ドビュッシーの墓~/別府アルゲリッチ音楽祭 in ローマ
2019年4月29日(月)【4月28日(日)深夜】午前0時00分~
実はあまりピアノにこだわりがない私ですが、ピエール・ロラン・エマールだけは好きなんですよ。今晩深夜ですが、よろしければぜひ。
なお、エマールのリサイタルのあとにはローマで行われた「別府アルゲリッチ音楽祭」のローマ公演、ピエール・アンタイとスキップ・センペが目黒雅叙園でチェンバロを演奏した不思議なコラボレーションと続きます。
…プレミアムシアターの裏で、「進撃の巨人」「機動戦士ガンダム ジ・オリジン」を放送するのはやめてくれないかな、なんて声は少数過ぎてどこにも届かないんですよねきっと。ええ、理解しておりますとも。
●BS1スペシャル「もうひとつのショパンコンクール~ピアノ調律師たちの闘い~」
2019年4月29日(月) 午前9時00分~
「もうひとつの」、というのはコンテスタントではなくピアノのメーカーの、という意味です。コンテスタントに選ばれるための努力、選ばれた先のサポートなどなど、裏方さんの仕事ではありますけれど、楽器を持ち込めないピアノならではのコンペティションがここにはあります。
●BS1スペシャル「私は左手のピアニスト~希望の響き 世界初のコンクール~」
2019年4月30日(火) 午前7時00分~
左手のピアニスト、と言えば最近ならレオン・フライシャーや舘野泉、歴史的には哲学者の兄上が思い出される。多くの人に知られた作品としてはラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲は、そのパウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で産まれたものだ。その系譜を継ぐために、ということもないだろうけれど、昨年「ウィトゲンシュタイン記念 左手のピアノ国際コンクール」が開催されたのだと、不覚にもこの番組の告知で知った。
パウル・ヴィトゲンシュタインが戦争で右腕を失ったことから、当代の大作曲家たちに左手のみで演奏する作品を委嘱したことはご存知のとおりだ。もっとも、パウルはそのうちの作品を演奏しなかったり低い評価を与えていたりするのだけれど。作品の積極的な委嘱ということでは、舘野泉やこのコンクールの実行委員長を務めた智内威雄に引き継がれて、今もレパートリーは増え続けている。
コンクールでは、プロフェッショナル部門とアマチュア部門が開催され、番組ではその双方が紹介されている。プロ部門に出場された皆さんがはじめから片手だけの演奏を極めようとしたわけもなく、この番組で紹介されたプロ部門のコンペティターは皆両手のピアニストとして活躍していたところ、病によって左手のみの演奏を余儀なくされた方々だ。それぞれの困難があり、それぞれの希望があってたどり着いたこのコンクール。門外漢は大いに感心しつつ、ただ番組を拝見したものだ。対して、アマチュア部門はまた別の趣があった。プロ部門が一番の武器を失ったところからの回復に挑むものだとすれば、アマ部門はこれから我が手に何かを掴むために可能性を見出すもの。そんなふうに私は受け取った。
●BS1スペシャル「スラム街 希望のオーケストラ」
2019年4月30日(火) 午前9時00分~
このタイトルからは改元とは無関係に大変なことになっているベネズエラの「エル・システマ」を想起される方も多いかと思いますが、これはフィリピンのセブ島で行われている取組みを紹介する番組です。永田正彰さん、そしてスラムの子どもたちの今後に幸あれ。
●BS1スペシャル「鳴門の第九 歌声がつなぐ日独の100年」
2019年5月2日(木) 午前6時00分~
鳴門市が公式に「なると第九」としてサイトを用意しているくらいですのでもうご存知のかたも多いかもしれません。いわゆる「第九」のアジア初演は映画化もされていることですし。フィクションよりドキュメンタリー派の皆さんはこちらをどうぞ、ということで。
フィクション派の皆さんはこの映画をどうぞ。ブルーノ・ガンツ追悼、ともなりますかしら。
●クラシック音楽館 NHK音楽祭 ドゥダメル指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック
2019年5月5日(日) 午後9時00分~
連休の最後には、一日遅れのMay the 4th be with You、ですよ。ここからN響アワーではない週がしばらく続いて、N響アワー()の再開は6月からです。
*************
クラシック以外にもオススメしておきたい番組があるので、これもリンクしておきます。
●BS世界のドキュメンタリー「クイーン 素顔のボヘミアン・ラプソディ」
2019年4月29日(月) 午前11時00分~
ドキュメンタリー二本立て。これも再放送ですが、一見の価値どころか録画して複数回みつ価値があると思います。特に後半、モンセラート・カバリエも多く登場していますのでぜひ。
●桑田佳祐 大衆音楽史「ひとり紅白歌合戦」~昭和・平成、そして新たな時代へ~ 平成フィナーレSP
2019年4月30日(火)午後9時00分~
以前総合テレビで放送された番組の拡大版。同業者ならではの視線は新鮮、さすがという感じでしたよ。あの「ザ・ベストテン」の「勝手にシンドバッド」のバンドがこうなったのかあ、とか感慨を抱いてしまいますね(笑)。
●ツタンカーメンの秘宝
2019年5月3日(金) 午後5時00分~(三日連続、放送時間は各日ごとにご確認くださいませ)
昨年末に第一回だけを総合テレビで放送しておきながら「あとはBS8Kで!」というとつけむにゃあ放送をしてのけたあの番組が、ようやく放送されます。もちろん、8K収録のよさは8Kの映像でこそ楽しめるんでしょうけど、そこはそれということで。
●BS1スペシャル「東京ロストワールド 秘島探検の全記録」
2019年5月3日(金) 午後7時00分~
これはNHKスペシャルで放送された「東京ロストワールド」の再編集版ですが、実に興味深い生態やら地球の活動やらが楽しめます。特にも、南硫黄島の生態系は刺激的です。マダガスカル島の例を見るまでもなく、隔離された離島はあたかも生態系の実験室の如き、であります。
●密着ドキュメント 小田和正~毎日が“アンコール”~
2019年5月4日(土) 午前1時20分~
これはまあ、私も世代の一人ということで。大ファンです、とは言いませんが小さい頃にオフ・コースを聴いて、ある時期にはドラマで流れる彼の声を聴いて、そして今に至るわけなので。学校の先輩筋でもありますし(学部も違えばこちらは圧倒的に不出来な後輩ですけど)。ツアーに密着したこの番組自体はとても興味深いものでした。
また、5/1早朝にはインタビュー ここから「小田和正」も放送されますのでので、ご存じないファンの方は併せて是非チェックを。
公共放送の連休、元号関連ばっかよね~と思われた方はBSですよ。以上、自称BSコンシェルジュの(おい)私からのご案内でした。では。
●BS1スペシャル「ショパン・時の旅人たち 第一回国際ピリオド楽器コンクール」
2019年4月28日(日) 午前9時00分~
この番組を見てからこの映像を見ると、かなり効きます。ぜひ。
●BS1スペシャル「ローザンヌでつかんだ未来~バレエダンサー 須弥奈と美桜~」
2019年4月28日(日) 午後11時00分
私にとっての「ローザンヌ国際バレエコンクール」は、とても厳しい解説の方の記憶と、山岸凉子先生の「テルプシコーラ」なのですが、そんなゆるい認識の私とは関係なく毎年開催されて、有望なダンサーたちを輩出しています。これは、昨年のそのコンクールで入賞した日本人のうち、女性二人に密着したドキュメンタリーです。
再放送が5/6に決まっていること、コンクールそのものの放送が6月に予定されていることも付記しておきましょう。
●プレミアムシアター ピエール・ロラン・エマール ピアノ・リサイタル ~クロード・ドビュッシーの墓~/別府アルゲリッチ音楽祭 in ローマ
2019年4月29日(月)【4月28日(日)深夜】午前0時00分~
実はあまりピアノにこだわりがない私ですが、ピエール・ロラン・エマールだけは好きなんですよ。今晩深夜ですが、よろしければぜひ。
なお、エマールのリサイタルのあとにはローマで行われた「別府アルゲリッチ音楽祭」のローマ公演、ピエール・アンタイとスキップ・センペが目黒雅叙園でチェンバロを演奏した不思議なコラボレーションと続きます。
…プレミアムシアターの裏で、「進撃の巨人」「機動戦士ガンダム ジ・オリジン」を放送するのはやめてくれないかな、なんて声は少数過ぎてどこにも届かないんですよねきっと。ええ、理解しておりますとも。
●BS1スペシャル「もうひとつのショパンコンクール~ピアノ調律師たちの闘い~」
2019年4月29日(月) 午前9時00分~
「もうひとつの」、というのはコンテスタントではなくピアノのメーカーの、という意味です。コンテスタントに選ばれるための努力、選ばれた先のサポートなどなど、裏方さんの仕事ではありますけれど、楽器を持ち込めないピアノならではのコンペティションがここにはあります。
●BS1スペシャル「私は左手のピアニスト~希望の響き 世界初のコンクール~」
2019年4月30日(火) 午前7時00分~
左手のピアニスト、と言えば最近ならレオン・フライシャーや舘野泉、歴史的には哲学者の兄上が思い出される。多くの人に知られた作品としてはラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲は、そのパウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で産まれたものだ。その系譜を継ぐために、ということもないだろうけれど、昨年「ウィトゲンシュタイン記念 左手のピアノ国際コンクール」が開催されたのだと、不覚にもこの番組の告知で知った。
パウル・ヴィトゲンシュタインが戦争で右腕を失ったことから、当代の大作曲家たちに左手のみで演奏する作品を委嘱したことはご存知のとおりだ。もっとも、パウルはそのうちの作品を演奏しなかったり低い評価を与えていたりするのだけれど。作品の積極的な委嘱ということでは、舘野泉やこのコンクールの実行委員長を務めた智内威雄に引き継がれて、今もレパートリーは増え続けている。
コンクールでは、プロフェッショナル部門とアマチュア部門が開催され、番組ではその双方が紹介されている。プロ部門に出場された皆さんがはじめから片手だけの演奏を極めようとしたわけもなく、この番組で紹介されたプロ部門のコンペティターは皆両手のピアニストとして活躍していたところ、病によって左手のみの演奏を余儀なくされた方々だ。それぞれの困難があり、それぞれの希望があってたどり着いたこのコンクール。門外漢は大いに感心しつつ、ただ番組を拝見したものだ。対して、アマチュア部門はまた別の趣があった。プロ部門が一番の武器を失ったところからの回復に挑むものだとすれば、アマ部門はこれから我が手に何かを掴むために可能性を見出すもの。そんなふうに私は受け取った。
●BS1スペシャル「スラム街 希望のオーケストラ」
2019年4月30日(火) 午前9時00分~
このタイトルからは改元とは無関係に大変なことになっているベネズエラの「エル・システマ」を想起される方も多いかと思いますが、これはフィリピンのセブ島で行われている取組みを紹介する番組です。永田正彰さん、そしてスラムの子どもたちの今後に幸あれ。
●BS1スペシャル「鳴門の第九 歌声がつなぐ日独の100年」
2019年5月2日(木) 午前6時00分~
鳴門市が公式に「なると第九」としてサイトを用意しているくらいですのでもうご存知のかたも多いかもしれません。いわゆる「第九」のアジア初演は映画化もされていることですし。フィクションよりドキュメンタリー派の皆さんはこちらをどうぞ、ということで。
フィクション派の皆さんはこの映画をどうぞ。ブルーノ・ガンツ追悼、ともなりますかしら。
●クラシック音楽館 NHK音楽祭 ドゥダメル指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック
2019年5月5日(日) 午後9時00分~
連休の最後には、一日遅れのMay the 4th be with You、ですよ。ここからN響アワーではない週がしばらく続いて、N響アワー()の再開は6月からです。
*************
クラシック以外にもオススメしておきたい番組があるので、これもリンクしておきます。
●BS世界のドキュメンタリー「クイーン 素顔のボヘミアン・ラプソディ」
2019年4月29日(月) 午前11時00分~
ドキュメンタリー二本立て。これも再放送ですが、一見の価値どころか録画して複数回みつ価値があると思います。特に後半、モンセラート・カバリエも多く登場していますのでぜひ。
●桑田佳祐 大衆音楽史「ひとり紅白歌合戦」~昭和・平成、そして新たな時代へ~ 平成フィナーレSP
2019年4月30日(火)午後9時00分~
以前総合テレビで放送された番組の拡大版。同業者ならではの視線は新鮮、さすがという感じでしたよ。あの「ザ・ベストテン」の「勝手にシンドバッド」のバンドがこうなったのかあ、とか感慨を抱いてしまいますね(笑)。
●ツタンカーメンの秘宝
2019年5月3日(金) 午後5時00分~(三日連続、放送時間は各日ごとにご確認くださいませ)
昨年末に第一回だけを総合テレビで放送しておきながら「あとはBS8Kで!」というとつけむにゃあ放送をしてのけたあの番組が、ようやく放送されます。もちろん、8K収録のよさは8Kの映像でこそ楽しめるんでしょうけど、そこはそれということで。
●BS1スペシャル「東京ロストワールド 秘島探検の全記録」
2019年5月3日(金) 午後7時00分~
これはNHKスペシャルで放送された「東京ロストワールド」の再編集版ですが、実に興味深い生態やら地球の活動やらが楽しめます。特にも、南硫黄島の生態系は刺激的です。マダガスカル島の例を見るまでもなく、隔離された離島はあたかも生態系の実験室の如き、であります。
●密着ドキュメント 小田和正~毎日が“アンコール”~
2019年5月4日(土) 午前1時20分~
これはまあ、私も世代の一人ということで。大ファンです、とは言いませんが小さい頃にオフ・コースを聴いて、ある時期にはドラマで流れる彼の声を聴いて、そして今に至るわけなので。学校の先輩筋でもありますし(学部も違えばこちらは圧倒的に不出来な後輩ですけど)。ツアーに密着したこの番組自体はとても興味深いものでした。
また、5/1早朝にはインタビュー ここから「小田和正」も放送されますのでので、ご存じないファンの方は併せて是非チェックを。
公共放送の連休、元号関連ばっかよね~と思われた方はBSですよ。以上、自称BSコンシェルジュの(おい)私からのご案内でした。では。
2019年4月20日土曜日
ひさびさリマインド(4/21)
私には思い入れの薄い時代の変化なのだけれど、公共放送はなにかとてもやる気であるようで。その余波なのかなんなのか、それはまったくわからないのだけれど、明日の公共放送がやる気すぎるので、久しぶりにリマインドをします。
これを書いている今は、私が過去最高の回と評価している「ららら♪クラシック」の「トムとジェリーとクラシック」を放送していますね。これが流れた回。
ブルおじさんをやってる方は打楽器じゃないですからね、別のコンサートで探してみてください、ベルリン・フィルの公演はそのうち「プレミアムシアター」で放送するんでしょうから。
では以下本題。4/21に公共放送が放送するクラシック番組3つです。
●ブラボー!オーケストラ(19:20~20:20)
「東京フィル 第918回サントリー定期シリーズ から」、ということで、先日集中していっぱい書いた(自分比)あのコンサートの初日がついに放送されます。残念ながら枠の関係で、独奏のユーチン・チェンくんの出番は割愛されていますけれど、このコンサートの大枠は入ってますし、プレトニョフの色彩感豊かなサウンドは存分に堪能できるでしょう。もちろん、あの交響詩曲を聴いていただけるわけなので、私としては過去記事も併せて読んでいただけるとより楽しいですよ、と便乗もしておこうかと思います。宣伝。
個人的におすすめなのは、明日午後にBunkamuraでバッティストーニが東京フィルと演奏するチャイコフスキーを聴いて、その後にこの録音を聴くことですね。同じオーケストラからまったく違ってどちらも魅力的なチャイコフスキーの音を導くマエストロに、まったく異なる個性のマエストロがそれぞれに突き詰めた解釈を持ってきても見事に対応する東京フィルの柔軟さに心底感心できることでしょう。
●クラシック音楽館 N響 第1906回定期公演(21:00~23:00 Eテレ)
パーヴォ・ヤルヴィの指揮でドイツ・ロマン派の曲目をお届けします。…だけならわざわざ紹介もしないのですが、あまり演奏されないシュトラウスのヴァイオリン協奏曲に、ハンス・ロットの交響曲、ですからねえ。そんな曲が神奈川フィルと同日開催ということで、SNSではちょっとしたお祭りだったような記憶もあるうちの放送です。プレトニョフと東京フィルのハチャトゥリアンもそうですが、こういうのは間を置きすぎるとよくないですもんね。うんうん。
パーヴォさんはこの曲好きで、フランクフルトでもパリでも演奏してますね。こっちはパリでのリハーサル。
●プレミアムシアター パリ・オペラ座 創立350年記念ガラ公演(24:00~26:15)
最後は昨年末に開催された、パリ・オペラ座のガラ公演。オペラもバレエも、と盛りだくさんの内容である模様。指揮がダン・エッティンガーであるのも注目のポイントですね。
この短い動画のどこかに引っかかるものがあったあなた。この番組をご覧になるべきってことですよ。
以上簡単ですが明日のリマインドでした。ではまた。
これを書いている今は、私が過去最高の回と評価している「ららら♪クラシック」の「トムとジェリーとクラシック」を放送していますね。これが流れた回。
ブルおじさんをやってる方は打楽器じゃないですからね、別のコンサートで探してみてください、ベルリン・フィルの公演はそのうち「プレミアムシアター」で放送するんでしょうから。
では以下本題。4/21に公共放送が放送するクラシック番組3つです。
●ブラボー!オーケストラ(19:20~20:20)
「東京フィル 第918回サントリー定期シリーズ から」、ということで、先日集中していっぱい書いた(自分比)あのコンサートの初日がついに放送されます。残念ながら枠の関係で、独奏のユーチン・チェンくんの出番は割愛されていますけれど、このコンサートの大枠は入ってますし、プレトニョフの色彩感豊かなサウンドは存分に堪能できるでしょう。もちろん、あの交響詩曲を聴いていただけるわけなので、私としては過去記事も併せて読んでいただけるとより楽しいですよ、と便乗もしておこうかと思います。宣伝。
個人的におすすめなのは、明日午後にBunkamuraでバッティストーニが東京フィルと演奏するチャイコフスキーを聴いて、その後にこの録音を聴くことですね。同じオーケストラからまったく違ってどちらも魅力的なチャイコフスキーの音を導くマエストロに、まったく異なる個性のマエストロがそれぞれに突き詰めた解釈を持ってきても見事に対応する東京フィルの柔軟さに心底感心できることでしょう。
4/21(日)19:20~ #NHKFM ブラボー!オーケストラ はミハイル・プレトニョフ指揮 第918回サントリー定期シリーズ より— 🌹東京フィルハーモニー交響楽団 (@tpo1911) April 19, 2019
ハチャトゥリヤン:交響曲第3番『交響詩曲』ほか。
はやくも放送です!!!#ハチャ3 #プレトニョフ #トランペット15本 #人生とはハチャトゥリアンhttps://t.co/4nHZUFpPW5 pic.twitter.com/XAfTvdP7oK
●クラシック音楽館 N響 第1906回定期公演(21:00~23:00 Eテレ)
パーヴォ・ヤルヴィの指揮でドイツ・ロマン派の曲目をお届けします。…だけならわざわざ紹介もしないのですが、あまり演奏されないシュトラウスのヴァイオリン協奏曲に、ハンス・ロットの交響曲、ですからねえ。そんな曲が神奈川フィルと同日開催ということで、SNSではちょっとしたお祭りだったような記憶もあるうちの放送です。プレトニョフと東京フィルのハチャトゥリアンもそうですが、こういうのは間を置きすぎるとよくないですもんね。うんうん。
パーヴォさんはこの曲好きで、フランクフルトでもパリでも演奏してますね。こっちはパリでのリハーサル。
●プレミアムシアター パリ・オペラ座 創立350年記念ガラ公演(24:00~26:15)
最後は昨年末に開催された、パリ・オペラ座のガラ公演。オペラもバレエも、と盛りだくさんの内容である模様。指揮がダン・エッティンガーであるのも注目のポイントですね。
この短い動画のどこかに引っかかるものがあったあなた。この番組をご覧になるべきってことですよ。
以上簡単ですが明日のリマインドでした。ではまた。
2019年4月18日木曜日
バッティストーニと東京フィル 新シーズンのはじまりは新時代の前奏曲
少し前なら、指揮の上手さと言ったらそのまま交通整理の巧みさやドライヴの集中度、オケの気をそらさない振る舞いなどに焦点を置いていたような気がします。でも限られた実演のみならず、有料無料の映像に簡単に触れられる現在だと、作品を再創造できる描写力や客席を巻き込む演出力(ひそかにこれは大事、特に若い人)まであって、ようやく「指揮が上手いな」と思うようになりました、もちろん私見ですけど。いや、究極的には「出てくる音楽に説得力がある」のが上手い指揮なんですけどね、リハまで含めて。聴き手のもとに音が来るならばそれがいい演奏であり、いい指揮であり…禅問答のようですが、それを問うならば答えはこうなるのです(バーンスタインジョーク←PMF初年度のリハーサルを何度も何度も見たお前にしか通じないぞ)。
そんな観点を持つようになって、バッティストーニと東京フィルの1月定期を聴いて、しみじみと彼の指揮が上手いことに感心したわけですよ。もちろん棒振りの技術の話だけではなく。
そんなバッティストーニと東京フィルといえば新シーズン開幕の定期だけれど。この記事を公開する頃にはもう初日が終わってるんですけど。せっかくの”新時代”なのでいつもの公演レヴューから少し角度の違う話を、私からの花束として開幕にお送りしましょう。以前にお出ししたレヴューとは別公演、オーチャード定期の感想も交えた、バッティストーニの話。まずはオーチャード公演(1/27)のことから。
*************
配信ですら聴くことができないザンドナーイの「白雪姫」聴きたさに、また同じプログラムで公演を重ねて音楽がどう変わったかに興味があって、サントリー公演から数日後のオーチャード定期に伺ったんですよ。この間にオペラシティ定期もあり、そこではまた違う音もしたろうと思いながら伺えず、なんとか最終公演に、と。
演奏の感想を結論から書けば、お見事でした。初日の公演より踏み込んだ表現になり、音響的に感じた違和感もなくて。オーチャードホールはなかなか上手く鳴らされないホールだと思うのだけれど、東京フィルはさすがにホームとしているだけのことがあるんですよ。サウンドの特性は違っても、残響感は違っていても、演奏は明らかに良くなっておりました。特に目当ての「白雪姫」。より演奏は引き締まって、ドラマとして届いたと思う。
一曲目の「魔法使いの弟子」も初日の演奏で感じた、(序盤に木管のソロがとおりにくい)感じもなく、力みのない音でソロが上手く浮き上がってくれた。結果として、より薄造りの作品の美しさが際立って、1897年の作品としてこの有名なスケルツォが聴こえてくれて、耳が幸せでした。
メインの「シェエラザード」も、初日より大きい会場を鳴らしきりながらも安定感のある演奏となった。演奏のスケールは大きくしながら、オーケストラとのコミュニケーションはコンパクトになって、もはや以心伝心の感すらあった。バッティストーニのアプローチについては先日のレヴューを参照していただければ。この日は前回受け取ったコンセプトがより明瞭に実現されていたと思う。
*************
で本題。彼の”熱い”指揮ぶりは、ついちょっと私たちの耳を「騙して」くるところがある。人ぎきの悪い言い方で申し訳ない。
いくつもリリースされている録音を聴いてもらうとわかるのだけれど、彼の演奏のベースは透明感のある明るい音なのだが、その力強さ、表現力からつい「熱い」「激しい」なんて形容が先に来てしまう。わかる、よくわかるんだけど…
もちろん、曲が曲なので、というご意見もおありとは思いますが、ちゃーんと武満トーンをこんなにクリアに現前させられる人なんですよ、彼。そのことは、これまでにリハーサルのレポートに公演のレヴューにと書いてきたのだけれど、それでもまあ、なかなかそういう話は広がらない。まあ仕方ない、ちまちま私はその話をしますよ、ええ、彼のクリアなピアニッシモの美しさを書きますともええ(居直るな)。
*************
さて、その機会になるかもしれないシーズン開幕の4月定期はこんなプログラム。
指揮:アンドレア・バッティストーニ
ピアノ:小山実稚恵
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
ウォルトン:戴冠式行進曲「王冠」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第二六番 ニ長調 K.537 「戴冠式」
ピアノ独奏:小山実稚恵
チャイコフスキー:交響曲第四番 ヘ短調 Op.36
こんな広告も打たれていましたから、その趣意はわざわざ詮索するまでもないでしょう。
そう、新たな時代を民の喝采のもとで迎える王は、過酷な運命に立ち向かう宿命を負わされて困難な…え?違いましたか?もっと普通にお祝いだ?うーん、モーツァルトはこの時期は…チャイコフスキーのこれはえっと…。
不謹慎だと叱られるのも嫌なので(折れやすい)これ以上は言いませんが、この読み方のほうがいいと思うんですけどねえ。新王を待ち受ける、予告された困難、しかし勝利し成長する王の物語。チャイコフスキーの終わり方を考えれば最後には勝利する感じなんだし、別に不…え?もうやめておけ?
*************
さて、日本のオーケストラのシェフとして、新時代を迎えるための作品と、自身が得意とするロシア音楽を開幕公演に用意したバッティストーニ。仄聞する限りではいろいろとさらなる趣向もあるようだけれど、それは知らなかったことにして、今日からの公演を楽しもうと思います。チャイコフスキーの執拗なまでに展開される運命のドラマ、彼と東京フィルならどこまでも劇的に描き出せるのだろうと思いますので。このプログラムの公演はあと二回、当日券情報などは東京フィルハーモニー交響楽団のサイトでご確認くださいませ。
ではまた後日、公演レヴューでお会いしましょう(その前にも更新しますけれど)。ではまた。
そんな観点を持つようになって、バッティストーニと東京フィルの1月定期を聴いて、しみじみと彼の指揮が上手いことに感心したわけですよ。もちろん棒振りの技術の話だけではなく。
そんなバッティストーニと東京フィルといえば新シーズン開幕の定期だけれど。この記事を公開する頃にはもう初日が終わってるんですけど。せっかくの”新時代”なのでいつもの公演レヴューから少し角度の違う話を、私からの花束として開幕にお送りしましょう。以前にお出ししたレヴューとは別公演、オーチャード定期の感想も交えた、バッティストーニの話。まずはオーチャード公演(1/27)のことから。
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配信ですら聴くことができないザンドナーイの「白雪姫」聴きたさに、また同じプログラムで公演を重ねて音楽がどう変わったかに興味があって、サントリー公演から数日後のオーチャード定期に伺ったんですよ。この間にオペラシティ定期もあり、そこではまた違う音もしたろうと思いながら伺えず、なんとか最終公演に、と。
演奏の感想を結論から書けば、お見事でした。初日の公演より踏み込んだ表現になり、音響的に感じた違和感もなくて。オーチャードホールはなかなか上手く鳴らされないホールだと思うのだけれど、東京フィルはさすがにホームとしているだけのことがあるんですよ。サウンドの特性は違っても、残響感は違っていても、演奏は明らかに良くなっておりました。特に目当ての「白雪姫」。より演奏は引き締まって、ドラマとして届いたと思う。
一曲目の「魔法使いの弟子」も初日の演奏で感じた、(序盤に木管のソロがとおりにくい)感じもなく、力みのない音でソロが上手く浮き上がってくれた。結果として、より薄造りの作品の美しさが際立って、1897年の作品としてこの有名なスケルツォが聴こえてくれて、耳が幸せでした。
メインの「シェエラザード」も、初日より大きい会場を鳴らしきりながらも安定感のある演奏となった。演奏のスケールは大きくしながら、オーケストラとのコミュニケーションはコンパクトになって、もはや以心伝心の感すらあった。バッティストーニのアプローチについては先日のレヴューを参照していただければ。この日は前回受け取ったコンセプトがより明瞭に実現されていたと思う。
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で本題。彼の”熱い”指揮ぶりは、ついちょっと私たちの耳を「騙して」くるところがある。人ぎきの悪い言い方で申し訳ない。
いくつもリリースされている録音を聴いてもらうとわかるのだけれど、彼の演奏のベースは透明感のある明るい音なのだが、その力強さ、表現力からつい「熱い」「激しい」なんて形容が先に来てしまう。わかる、よくわかるんだけど…
もちろん、曲が曲なので、というご意見もおありとは思いますが、ちゃーんと武満トーンをこんなにクリアに現前させられる人なんですよ、彼。そのことは、これまでにリハーサルのレポートに公演のレヴューにと書いてきたのだけれど、それでもまあ、なかなかそういう話は広がらない。まあ仕方ない、ちまちま私はその話をしますよ、ええ、彼のクリアなピアニッシモの美しさを書きますともええ(居直るな)。
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さて、その機会になるかもしれないシーズン開幕の4月定期はこんなプログラム。
指揮:アンドレア・バッティストーニ
ピアノ:小山実稚恵
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
ウォルトン:戴冠式行進曲「王冠」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第二六番 ニ長調 K.537 「戴冠式」
ピアノ独奏:小山実稚恵
チャイコフスキー:交響曲第四番 ヘ短調 Op.36
こんな広告も打たれていましたから、その趣意はわざわざ詮索するまでもないでしょう。
そう、新たな時代を民の喝采のもとで迎える王は、過酷な運命に立ち向かう宿命を負わされて困難な…え?違いましたか?もっと普通にお祝いだ?うーん、モーツァルトはこの時期は…チャイコフスキーのこれはえっと…。
不謹慎だと叱られるのも嫌なので(折れやすい)これ以上は言いませんが、この読み方のほうがいいと思うんですけどねえ。新王を待ち受ける、予告された困難、しかし勝利し成長する王の物語。チャイコフスキーの終わり方を考えれば最後には勝利する感じなんだし、別に不…え?もうやめておけ?
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さて、日本のオーケストラのシェフとして、新時代を迎えるための作品と、自身が得意とするロシア音楽を開幕公演に用意したバッティストーニ。仄聞する限りではいろいろとさらなる趣向もあるようだけれど、それは知らなかったことにして、今日からの公演を楽しもうと思います。チャイコフスキーの執拗なまでに展開される運命のドラマ、彼と東京フィルならどこまでも劇的に描き出せるのだろうと思いますので。このプログラムの公演はあと二回、当日券情報などは東京フィルハーモニー交響楽団のサイトでご確認くださいませ。
2019年シーズン開幕4月定期演奏会に登壇する東京フィルハーモニー交響楽団首席指揮者アンドレア・バッティストーニとコンサートマスター近藤薫が公演について語りました。— 🌹東京フィルハーモニー交響楽団 (@tpo1911) April 18, 2019
本日18日サントリーホールにて19時開演。
残り2公演、皆様のお越しをお待ちしております!https://t.co/wMX57TWwCc
ではまた後日、公演レヴューでお会いしましょう(その前にも更新しますけれど)。ではまた。
2019年4月10日水曜日
フェスタサマーミューザKAWASAKI2019の聴きどころ その一 ~セット券で読む
先日のは公式モード、今日は私モードだよ!(そこまで砕けてないよ普段のあんたは)。ということで、切り口を変えてフェスタサマーミューザKAWASAKI 2019の楽しみ方をご案内。今回は、セット券でこのお祭りを読み解きましょう。
最初にお詫びしておきますが、この記事は文字ばっかりです。すみません。
*************
まずはじめに。
ミューザで開催される全11公演を一度にまとめて、同じ席で買えちゃうセット券は、
1.ミューザ川崎シンフォニーホールの特性をよくご存知で、
2.お気に入りの席もとっくの昔に決まっていて、
3.今から全日程の参加を決意している
あなたのための、お得で便利なセット券です。そんなあなたに私から申し上げることは何もありません、友の会先行は4月15日の午前10時からですよ。
(知人友人ご家族サークルなどでシェアして利用する可能性をまったく考慮できない、友だちの少ない私である)
*************
一度にそこまで決めちゃうのはちょっと無理、でも今のうちに何か行くことまでは決めておきたい…そんなあなたのために、「土日祝セット(6公演)」「平日夜セット(3公演)」「平日昼セット(2公演)」があるのです。まずはセット券で外せない、外したくない公演を抑えて、あとは気になる公演を買い足していけばあなただけのフェスタのプログラムができあがっちまうって寸法だ!(まずは私が落ち着け)
では順番に見ていこう。公演数も多く、公演はすべて週末なので決断しやすい「土日祝セット」から。
まず開幕とフィナーレを飾る東京交響楽団の演奏会。ノット監督による開幕公演(7/27)はもちろん外せないし(解説なし)、お祭りの〆は尾高忠明※によるシューマンの協奏曲とショスタコーヴィチの第五番(8/12)でこれも外せない。
なお、ラインナップ会見にも出席されていた秋山和慶さんは海外へ演奏旅行中という理由で今年は残念ながら出演されないとのこと。
※4/9に、所属事務所より尾高忠明の5/20〜7/20の期間指揮活動休止が発表されている。予定通りに回復されてこの公演が復帰公演となるならばよいのですが。ご快癒をお祈り申し上げます。
続いて上岡敏之&新日本フィルハーモニー交響楽団のロシア音楽によるプログラム(7/28)。このコンビネーションも3年目、ますます相互理解が深まり独自の音楽を聴かせていると聞く。長年オペラで活躍してきた上岡がドラマを描くときの表現力に、それに応える新日本フィルに期待できる好プログラムが用意された。直前の定期演奏会で披露されるフランス音楽プログラムと併せて聴き比べる、そんな愉しみかたもアリだろう。
原田慶太楼&N響のコンサート(8/3)は、曲目だけを見ると小品を中心に編まれているし、このオーケストラなので(失礼)「名曲アルバム」ライヴヴァージョンの趣がある。ですが、なんとこのコンサートではどの曲も5分では終わらずフルサイズで聴けてしまうんです!(本当にすみません)
一回のコンサートで世界各地で生まれた名曲を楽しめるこのプログラムを、近年目覚ましい活躍を見せている原田はどう聴かせてくれるだろうか。N響との共演なのだから、お手並み拝見には最適の機会となろう。
首都圏外からの初招聘となった高関健&仙台フィルハーモニー管弦楽団(8/4)は、ミューザからのオファーに直球で応えてくれた。この機会に選ばれたのはチャイコフスキーの協奏曲と交響曲、いずれ劣らぬ名曲によるプログラム。…東北の雄の実力の程、見せてもらおうか!(ガンダム脳でごめんなさい)
そして最後に紹介するのは、先だって東響に客演して大好評で迎えられたダン・エッティンガーの東京フィルハーモニー交響楽団への”里帰り”公演(8/11)。メインで演奏されるのはチャイコフスキーの交響曲第六番だ。つい最近にバッティストーニと凄絶な録音もあるこの作品、エッティンガーは東京フィルとどんなサウンドで、どんなドラマを描き出すのか?
ということで、このセットはロシア音楽多めでお届けします(私じゃなくて、ミューザ川崎シンフォニーホールが)。これでフェスタの外枠がきっちり抑えられるのだから、週末に時間が融通できる方ならまずはこれを検討すべき。です。
*************
もっとも、平日の公演が無視できるものではないのもプログラムを見ればわかるだろう。「むしろ週末の予定は直前に決まるので!」、そんなあなたは平日の二つのセットをまず検討しましょう。公演数は少ないけれど、どちらも見どころ聴きどころのある公演が並んでいますよ。
まず「平日夜セット(3公演)」はアラン・ギルバート&東京都交響楽団(7/29)、井上道義&読売日本交響楽団(7/31)、藤岡幸夫&東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団(8/6)の三公演だ。
アランと都響、この顔合わせへの信頼感は共演を重ねるたびに増しているが、この公演では意外な選曲が目を引く。都響でレスピーギをメインに据えたイタリアンプログラム、実に新鮮である。直前の定期ではモーツァルトとブルックナーで【日本オーストリア友好150周年記念】プログラムを披露してから望むフェスタサマー、きっとこのコンビネーションの持つ別の可能性が感じられることだろう。そうそう、帰ってきたミューザのオルガンのサウンドをまずここで楽しむのもアリ、ですよ。
井上道義がお祭りで、読響と何をしてくれるのか?その答えが「ブルックナーの第八番、一曲のみ」というまさかの豪速球である。しかし冷静に振り返れば、井上は近年鎌倉で、京都で大阪でブルックナー演奏を披露してきている(第八番は京都市響との録音もある)。この曲を鎌倉で、N響と披露する前の会見でのコメントがリンク先で読めるので、興味がある方はぜひ参照してほしい。ショスタコーヴィチのイメージが最近とみに強い彼だが、ブルックナーも師匠譲りの大事な作曲家なのだ、とよくわかる言葉の数々に触れられる。
そして今年没後30年を迎える芥川也寸志の交響曲第一番を取り上げる藤岡と東京シティ・フィル。彼の作品の中でも、近年再評価高まる映画音楽や「トリプティク」などに比べて演奏されない作品だが、それをあえて取り上げるところに首席客演指揮者に就任する藤岡からの「やりますよ!」というメッセージを強く感じる。生前、まともなコンサートホールを渇望した芥川の音がミューザに響くことを、きっと作曲家も喜んでくれることだろう。
残るミューザでのセット券は「平日昼セット(2公演)」だ。ここでは川瀬賢太郎&神奈川フィルハーモニー管弦楽団(7/30)、小林研一郎&日本フィルハーモニー交響楽団(8/7)という、気心の知れたコンビネーションによるふたつの演奏会が楽しめる。曲目も川瀬がスペインをテーマに編んだ色彩感豊かなもの、そしてコバケンはいわゆる「チャイコンにベト7」と得意中の得意の作品を持ってくるのだから、この二公演は安心感が高い。しかし、川瀬賢太郎と渡辺香津美は…いや、この話はまた別に。
最後に、同じく週末土曜日にテアトロジーリオ・ショウワで開催される「出張サマーミューザ@しんゆり!」にも「しんゆりセット」があることを書いておく。ドイツの名曲で攻める東響(8/3)、例年通り協奏曲メインで送る神奈川フィル(8/10)の二公演が、昭和音楽大学自慢のホールで開催されます。フェスタサマーには行きたい、しかし幸区は遠い…そんな川崎市西部、東京都多摩地域や町田市など在住のあなたはぜひこちらに参戦されたし。ここの個性である「近代的なホールなのに馬蹄形の客席」というミスマッチもまた楽しいものですよ。
では次回に続く。また切り口を変えてフェスタサマーを切り刻みます(穏やかじゃない)。
最初にお詫びしておきますが、この記事は文字ばっかりです。すみません。
*************
まずはじめに。
ミューザで開催される全11公演を一度にまとめて、同じ席で買えちゃうセット券は、
1.ミューザ川崎シンフォニーホールの特性をよくご存知で、
2.お気に入りの席もとっくの昔に決まっていて、
3.今から全日程の参加を決意している
あなたのための、お得で便利なセット券です。そんなあなたに私から申し上げることは何もありません、友の会先行は4月15日の午前10時からですよ。
(知人友人ご家族サークルなどでシェアして利用する可能性をまったく考慮できない、友だちの少ない私である)
*************
一度にそこまで決めちゃうのはちょっと無理、でも今のうちに何か行くことまでは決めておきたい…そんなあなたのために、「土日祝セット(6公演)」「平日夜セット(3公演)」「平日昼セット(2公演)」があるのです。まずはセット券で外せない、外したくない公演を抑えて、あとは気になる公演を買い足していけばあなただけのフェスタのプログラムができあがっちまうって寸法だ!(まずは私が落ち着け)
では順番に見ていこう。公演数も多く、公演はすべて週末なので決断しやすい「土日祝セット」から。
まず開幕とフィナーレを飾る東京交響楽団の演奏会。ノット監督による開幕公演(7/27)はもちろん外せないし(解説なし)、お祭りの〆は尾高忠明※によるシューマンの協奏曲とショスタコーヴィチの第五番(8/12)でこれも外せない。
なお、ラインナップ会見にも出席されていた秋山和慶さんは海外へ演奏旅行中という理由で今年は残念ながら出演されないとのこと。
※4/9に、所属事務所より尾高忠明の5/20〜7/20の期間指揮活動休止が発表されている。予定通りに回復されてこの公演が復帰公演となるならばよいのですが。ご快癒をお祈り申し上げます。
続いて上岡敏之&新日本フィルハーモニー交響楽団のロシア音楽によるプログラム(7/28)。このコンビネーションも3年目、ますます相互理解が深まり独自の音楽を聴かせていると聞く。長年オペラで活躍してきた上岡がドラマを描くときの表現力に、それに応える新日本フィルに期待できる好プログラムが用意された。直前の定期演奏会で披露されるフランス音楽プログラムと併せて聴き比べる、そんな愉しみかたもアリだろう。
原田慶太楼&N響のコンサート(8/3)は、曲目だけを見ると小品を中心に編まれているし、このオーケストラなので(失礼)「名曲アルバム」ライヴヴァージョンの趣がある。ですが、なんとこのコンサートではどの曲も5分では終わらずフルサイズで聴けてしまうんです!(本当にすみません)
一回のコンサートで世界各地で生まれた名曲を楽しめるこのプログラムを、近年目覚ましい活躍を見せている原田はどう聴かせてくれるだろうか。N響との共演なのだから、お手並み拝見には最適の機会となろう。
首都圏外からの初招聘となった高関健&仙台フィルハーモニー管弦楽団(8/4)は、ミューザからのオファーに直球で応えてくれた。この機会に選ばれたのはチャイコフスキーの協奏曲と交響曲、いずれ劣らぬ名曲によるプログラム。…東北の雄の実力の程、見せてもらおうか!(ガンダム脳でごめんなさい)
そして最後に紹介するのは、先だって東響に客演して大好評で迎えられたダン・エッティンガーの東京フィルハーモニー交響楽団への”里帰り”公演(8/11)。メインで演奏されるのはチャイコフスキーの交響曲第六番だ。つい最近にバッティストーニと凄絶な録音もあるこの作品、エッティンガーは東京フィルとどんなサウンドで、どんなドラマを描き出すのか?
ということで、このセットはロシア音楽多めでお届けします(私じゃなくて、ミューザ川崎シンフォニーホールが)。これでフェスタの外枠がきっちり抑えられるのだから、週末に時間が融通できる方ならまずはこれを検討すべき。です。
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もっとも、平日の公演が無視できるものではないのもプログラムを見ればわかるだろう。「むしろ週末の予定は直前に決まるので!」、そんなあなたは平日の二つのセットをまず検討しましょう。公演数は少ないけれど、どちらも見どころ聴きどころのある公演が並んでいますよ。
まず「平日夜セット(3公演)」はアラン・ギルバート&東京都交響楽団(7/29)、井上道義&読売日本交響楽団(7/31)、藤岡幸夫&東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団(8/6)の三公演だ。
アランと都響、この顔合わせへの信頼感は共演を重ねるたびに増しているが、この公演では意外な選曲が目を引く。都響でレスピーギをメインに据えたイタリアンプログラム、実に新鮮である。直前の定期ではモーツァルトとブルックナーで【日本オーストリア友好150周年記念】プログラムを披露してから望むフェスタサマー、きっとこのコンビネーションの持つ別の可能性が感じられることだろう。そうそう、帰ってきたミューザのオルガンのサウンドをまずここで楽しむのもアリ、ですよ。
井上道義がお祭りで、読響と何をしてくれるのか?その答えが「ブルックナーの第八番、一曲のみ」というまさかの豪速球である。しかし冷静に振り返れば、井上は近年鎌倉で、京都で大阪でブルックナー演奏を披露してきている(第八番は京都市響との録音もある)。この曲を鎌倉で、N響と披露する前の会見でのコメントがリンク先で読めるので、興味がある方はぜひ参照してほしい。ショスタコーヴィチのイメージが最近とみに強い彼だが、ブルックナーも師匠譲りの大事な作曲家なのだ、とよくわかる言葉の数々に触れられる。
そして今年没後30年を迎える芥川也寸志の交響曲第一番を取り上げる藤岡と東京シティ・フィル。彼の作品の中でも、近年再評価高まる映画音楽や「トリプティク」などに比べて演奏されない作品だが、それをあえて取り上げるところに首席客演指揮者に就任する藤岡からの「やりますよ!」というメッセージを強く感じる。生前、まともなコンサートホールを渇望した芥川の音がミューザに響くことを、きっと作曲家も喜んでくれることだろう。
残るミューザでのセット券は「平日昼セット(2公演)」だ。ここでは川瀬賢太郎&神奈川フィルハーモニー管弦楽団(7/30)、小林研一郎&日本フィルハーモニー交響楽団(8/7)という、気心の知れたコンビネーションによるふたつの演奏会が楽しめる。曲目も川瀬がスペインをテーマに編んだ色彩感豊かなもの、そしてコバケンはいわゆる「チャイコンにベト7」と得意中の得意の作品を持ってくるのだから、この二公演は安心感が高い。しかし、川瀬賢太郎と渡辺香津美は…いや、この話はまた別に。
最後に、同じく週末土曜日にテアトロジーリオ・ショウワで開催される「出張サマーミューザ@しんゆり!」にも「しんゆりセット」があることを書いておく。ドイツの名曲で攻める東響(8/3)、例年通り協奏曲メインで送る神奈川フィル(8/10)の二公演が、昭和音楽大学自慢のホールで開催されます。フェスタサマーには行きたい、しかし幸区は遠い…そんな川崎市西部、東京都多摩地域や町田市など在住のあなたはぜひこちらに参戦されたし。ここの個性である「近代的なホールなのに馬蹄形の客席」というミスマッチもまた楽しいものですよ。
では次回に続く。また切り口を変えてフェスタサマーを切り刻みます(穏やかじゃない)。
2019年4月8日月曜日
「闘うマーラー」を聴けた ~東京フィルハーモニー交響楽団 第917回オーチャード定期演奏会
天気のいい日曜日、もう春かな…なんて日に、渋谷でマーラーを聴くのは酔狂なのか。いや、断じて否。個人的には春の気配を感じたら「大地の歌」を聴きたくなる私はそう断言しよう。今回は違う曲ではあるけれど、まあ精神的音楽的に近い作品ではある。行く前からそんな理論武装をしていたわけではないけれど、ホールへのルート開拓のつもりもあってHakuju Hallのあたりから小洒落た道を歩いていざBunkamuraへと行ったのさ。奥渋って言うのね、あのあたり。
会場に着けばちょっと驚くほどの人だかり、最後尾を示す整理の人まで出るほどの盛況である。「さすが名曲の中の名曲、これだけの人を集めるとは痛快ゝゝ」なんて一瞬思ったけれど、収容人数に限界のあるコンサート(しかも一回公演)が理由でそんなことが起きるはずもなく。同時に「ザ・ミュージアム」で開催されている「Winnie The Pooh」展の大混雑でした。さすがだな、プー。
冗談はこのあたりで。気を取り直して入場するオーチャードホールは、こちらのコンサート。
●東京フィルハーモニー交響楽団 第917回オーチャード定期演奏会
指揮:チョン・ミョンフン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
マーラー:交響曲第九番 ニ短調
チョン・ミョンフンの演奏ともしばらくご無沙汰をしてしまった。その間にもマーラー(第二番)があったのに、とか後悔しても文章は面白くならないので話を進める。かつてのシェフの時代はあまり聴けず、最近になって東京フィルとの演奏を聴くようになった私としては、まだチョン・ミョンフンというマエストロの個性というか手癖というか(失礼)、そういうものが掴めていない。まだよくわからないままに聴くたび感心させられてきたのだけれど、そろそろそのやり方をわかりたい。そんな気持ちも少しはあったと思う。多くの演奏を録音で聴いて、いくつかの実演にも触れてきたこの曲なら、もしかして少しは。そんな目算もしていたかもしれない。さてその結果や如何。
例によって最初に結論を書く。私が以前から聴いてみたいと思っていた、「”英雄”が勝利を掴みそうになる第一楽章」を聴くことができて、幸せでした。第二、第三楽章にベルクを感じ、第四楽章の敗北の先にも満ち足りた語り手の存在をイメージできてなによりでした。
パンフレットに掲載された野本氏の解説は、私に甚大な影響を与えたレナード・バーンスタインの言葉を多く引いたものだから、できたら全肯定して文を進めたいところなのだが今の私にそれは無理なので、少し書く。
まず、そもそもマーラーの実際の死因である「連鎖球菌からの敗血症」と“ストレスから来る心臓病“では全然違う。突然の病に倒れた働き盛りの50代になったばかりの男性の死を、死に怯え続けた生涯を送り私生活でのトラブルもあってストレスから死んだ、なんて受け取るのはどう考えても失礼極まりないと思いませんか皆さんどうですか。
ちなみに現在のアラフィフ指揮者()をざっくりあげてみますと、ド・ビリー、アラン・ギルバート、ハンヌ・リントゥ、サッシャ・ゲッツェル、ダン・エッティンガー、テオドール・クルレンツィス、ウラディミール・ユロフスキ、そしてキリル・ペトレンコなどなど。もし彼らが亡くなったら驚くでしょう?もし当時の平均寿命が、という観点で批判されるならば60才前後の指揮者をあげてもいいけれど、それでも指揮者の場合は衝撃の若死にと受け取られることでしょうからここでは割愛。ということで書いておきますが、グスタフ・マーラーの死は「突然の病変を、当時の医療では治癒し得なかったための急死」です。詳しくは前島良雄さんの著作をお読みになってくださいませ。
さて演奏会の話に戻ります。
この作品の精密さ、繊細さ故につい忘れがちなことだが、1910年ころの巨大なオーケストラ作品が作られた流れの中にある作品だ、と客席に入ってすぐに理解させられる。広いはずのオーチャードホールの舞台には、16型(コントラバスが10人!!)に四管編成のオーケストラが所狭しとセッティングされている。ちなみに、だけれど1910年の有名な作品は「火の鳥」、「薔薇の騎士」などがあり、マーラーの作品ではあの交響曲第八番が初演されている。そういう時期の作品なのだ、と今さらながらに認識して開演を待つ。
先ほども少し書いたとおり、私はチョン・ミョンフンの指揮について、手法的なものや特徴を言語化できるほどには理解できていない。この人ならこうするだろう、という予想ができるほどには馴染みがない、と言おうか。だからほんのちょっとの予習ということでもないけれど、YouTubeで過去の動画を見てみたが、やはりよくわからない。というのも、彼の指揮は快刀乱麻のキュー出しでオーケストラを見事にさばいたり、極度の感情移入で自分の世界()を創り出したりするようなものではまったくないからだ。その必要がないならば淡々と拍を刻んでいるようにしか見えないが、ちょっとした視線や手、体の動きをきっかけに気がつけば音楽が大きく動き出す。その効果のほどと言ったら、もう。それこそこの日の第一楽章の序盤は静かな音楽と言ってもいいものだったろう。だがひとたびマエストロが身体を左右に振り始め、指示出しと表情付けを始めると音楽はとたんに雄弁になり、熱を帯びていく。第一楽章ではこの語り口がこの上なく効果的に機能した。
私は以前から、この音楽が死に怯える心の弱い音楽家の作として語られることに疑問を持っている。たしかに、この音楽で描かれるドラマは敗北する物語かもしれない、最終的に”主人公”は死んでいくのだろう(最後の表情記号がersterbendだから、などと細かく言うまでもないだろう)、だからといってこの作品が恐怖に怯え、心を病んだ人間のモノローグのように響くのか?まさか。
この日の演奏では、最終的には敗北するけれど雄々しく戦った”英雄”の物語として、力強い音楽が示された。春めいていたからマチネだったから、なんてことはないと思うけれど、東京フィルの明るい音色で紡がれる第一楽章はこの上なく美しく、なにより強い意志を感じさせるものだった。ベルクが絶賛したのも納得である。この楽章で描かれるのが「頂点にたどり着くことがそのまま敗北の始まりである」ような悲劇なのだとしても、負けを、死を怖れて心を病むようなものでは決してない。マエストロと東京フィルは音でそれを示してくれた。
ではそんな演奏ではこの音楽が併せ持つ、20世紀初頭の挑戦的な作品である側面が描かれないかといえばそうではない。円熟した技法による複雑な心理描写は、シェーンベルクの音色旋律や、ベルクが得意とした破局的ドラマにそのままつながるサウンドとして随所に聴かれ(第二楽章はそのままベルクだった、と言いたくなる出来)、と数多くの作曲家たちに先駆した作品であることがすぐ理解できるサウンドが聴かれた。マエストロが軽く足踏みしてから始められた第三楽章の安全運転とは決して言えない快速な基本テンポは揺らいだりせず、もはや無機的な運動の限界に至るかというタイミングで中間部の美しい音楽に移行し、ここではフレーズを自然に動かすマエストロの手腕とそれを存分に音にするオーケストラの対話が素晴らしい音として届いた。この楽章の最後、楽譜にもテンポ指示があるところ(Piu Stretto、3-Taktig)での猛前たる加速、そして突然のハードブレーキングの繰り返しも見事に決まり、最後にブレーキを踏まずに壁に衝突した帰結を見せられるような楽章の終わりに、大いに圧倒された。そして始まる終楽章。ここまでにも気がついていたのだが、チョン・ミョンフンの元で東京フィルの弦楽セクションはその響きを自由に変えてくる。特にその色彩、厚みを自在に変えて表現を多彩にしていくさまは実に魅力的で、その素晴らしさに感心して聴き入った次第だ。テンポに緩みがないこと、基本的な音色の明るさゆえに、私には死がどうのこうのといった通説よりは、もう美しい記憶になってしまった遠い過去の敗北の物語を聴いているようにさえ感じられたが諸氏諸兄は如何でしたか。答えは募集していませんので、各自反芻してください。いわゆる最後の一ページ、チェロがひとりで奏で始めてから最後に音が消えていくまで、私は自分が生きていることも忘れて耳を澄ませていたと思う。
この日、音が消えて程なくしてマエストロが緊張を解き、場内からは力強い拍手が湧いたわけだけれど、私はいわゆる”長い沈黙”に意味を感じないのでこの日の聴衆各位にはむしろ敬意を感じた。
*************
いい加減長くなっていまったけれど、これだけは書いておきたい。
そもそもですね、芸術家が作品で死を描いたら「それは死への恐怖ゆえなのだ」という読みそのものが私には疑問だ。メメント・モリは長年にわたって芸術の主題ではないのか、と正面から問うても良いが、私としては「それじゃすべてのミステリ作家は死を恐れるあまり作品を書いているのか」とまぜっ返しておきたい。いやミステリが芸術かどうかは評価が分かれるかもしれませんけど。
私には、マーラーの早すぎた晩年の作品群は「正面から死に直面してなお、生きて帰ってこられるほどに心身ともに充実した時期だからこそなし得た仕事」です。その力強い仕事を、明るく美しい音をベースに描いてくれたチョン・ミョンフンと東京フィルハーモニー交響楽団に感謝を。
そして帰り道からつらつら考えていたのだけれど、第三楽章でトランペット、トロンボーン&テューバが全音符を奏でるあれ(マエストロの解釈だとここだけテンポ感が失われるように意図されているところ)、彼はここを鐘の模倣として解釈していたのではないかと最近になって思い至った。猛スピードで展開する浮世のあれやこれやをすべて無に帰してしまう、超越的音声としての鐘。まあ、そういうのはまたこの作品に出会う機会にでも考えることにします。
最後にもうひとつだけ。
終演後、クロークに並んだ私の前にはご家族連れがいらっしゃいまして。どう見ても小学生の男子もいたのでつい「さすがにその子にこの曲は重くないかい」なんて一瞬思ったけれど、いつか出会うべき作品に、こんな演奏で出会ってしまうのもなにかの縁なのだろう、そんなふうに思い直した私である。この曲に生涯出会えないことの不幸を避けられて、この演奏でこの作品に出会えた幸運に恵まれた彼に幸あれ。
…なお、私の最初のマーラーは「ブームだというし聞いてみるかと点けたFMで、第一番か第二番どちらかを聴いている途中で寝落ち」というものだったことを申し添えて本稿はおしまい(台なし)。
会場に着けばちょっと驚くほどの人だかり、最後尾を示す整理の人まで出るほどの盛況である。「さすが名曲の中の名曲、これだけの人を集めるとは痛快ゝゝ」なんて一瞬思ったけれど、収容人数に限界のあるコンサート(しかも一回公演)が理由でそんなことが起きるはずもなく。同時に「ザ・ミュージアム」で開催されている「Winnie The Pooh」展の大混雑でした。さすがだな、プー。
冗談はこのあたりで。気を取り直して入場するオーチャードホールは、こちらのコンサート。
●東京フィルハーモニー交響楽団 第917回オーチャード定期演奏会
指揮:チョン・ミョンフン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
マーラー:交響曲第九番 ニ短調
チョン・ミョンフンの演奏ともしばらくご無沙汰をしてしまった。その間にもマーラー(第二番)があったのに、とか後悔しても文章は面白くならないので話を進める。かつてのシェフの時代はあまり聴けず、最近になって東京フィルとの演奏を聴くようになった私としては、まだチョン・ミョンフンというマエストロの個性というか手癖というか(失礼)、そういうものが掴めていない。まだよくわからないままに聴くたび感心させられてきたのだけれど、そろそろそのやり方をわかりたい。そんな気持ちも少しはあったと思う。多くの演奏を録音で聴いて、いくつかの実演にも触れてきたこの曲なら、もしかして少しは。そんな目算もしていたかもしれない。さてその結果や如何。
例によって最初に結論を書く。私が以前から聴いてみたいと思っていた、「”英雄”が勝利を掴みそうになる第一楽章」を聴くことができて、幸せでした。第二、第三楽章にベルクを感じ、第四楽章の敗北の先にも満ち足りた語り手の存在をイメージできてなによりでした。
パンフレットに掲載された野本氏の解説は、私に甚大な影響を与えたレナード・バーンスタインの言葉を多く引いたものだから、できたら全肯定して文を進めたいところなのだが今の私にそれは無理なので、少し書く。
まず、そもそもマーラーの実際の死因である「連鎖球菌からの敗血症」と“ストレスから来る心臓病“では全然違う。突然の病に倒れた働き盛りの50代になったばかりの男性の死を、死に怯え続けた生涯を送り私生活でのトラブルもあってストレスから死んだ、なんて受け取るのはどう考えても失礼極まりないと思いませんか皆さんどうですか。
ちなみに現在のアラフィフ指揮者()をざっくりあげてみますと、ド・ビリー、アラン・ギルバート、ハンヌ・リントゥ、サッシャ・ゲッツェル、ダン・エッティンガー、テオドール・クルレンツィス、ウラディミール・ユロフスキ、そしてキリル・ペトレンコなどなど。もし彼らが亡くなったら驚くでしょう?もし当時の平均寿命が、という観点で批判されるならば60才前後の指揮者をあげてもいいけれど、それでも指揮者の場合は衝撃の若死にと受け取られることでしょうからここでは割愛。ということで書いておきますが、グスタフ・マーラーの死は「突然の病変を、当時の医療では治癒し得なかったための急死」です。詳しくは前島良雄さんの著作をお読みになってくださいませ。
さて演奏会の話に戻ります。
この作品の精密さ、繊細さ故につい忘れがちなことだが、1910年ころの巨大なオーケストラ作品が作られた流れの中にある作品だ、と客席に入ってすぐに理解させられる。広いはずのオーチャードホールの舞台には、16型(コントラバスが10人!!)に四管編成のオーケストラが所狭しとセッティングされている。ちなみに、だけれど1910年の有名な作品は「火の鳥」、「薔薇の騎士」などがあり、マーラーの作品ではあの交響曲第八番が初演されている。そういう時期の作品なのだ、と今さらながらに認識して開演を待つ。
先ほども少し書いたとおり、私はチョン・ミョンフンの指揮について、手法的なものや特徴を言語化できるほどには理解できていない。この人ならこうするだろう、という予想ができるほどには馴染みがない、と言おうか。だからほんのちょっとの予習ということでもないけれど、YouTubeで過去の動画を見てみたが、やはりよくわからない。というのも、彼の指揮は快刀乱麻のキュー出しでオーケストラを見事にさばいたり、極度の感情移入で自分の世界()を創り出したりするようなものではまったくないからだ。その必要がないならば淡々と拍を刻んでいるようにしか見えないが、ちょっとした視線や手、体の動きをきっかけに気がつけば音楽が大きく動き出す。その効果のほどと言ったら、もう。それこそこの日の第一楽章の序盤は静かな音楽と言ってもいいものだったろう。だがひとたびマエストロが身体を左右に振り始め、指示出しと表情付けを始めると音楽はとたんに雄弁になり、熱を帯びていく。第一楽章ではこの語り口がこの上なく効果的に機能した。
私は以前から、この音楽が死に怯える心の弱い音楽家の作として語られることに疑問を持っている。たしかに、この音楽で描かれるドラマは敗北する物語かもしれない、最終的に”主人公”は死んでいくのだろう(最後の表情記号がersterbendだから、などと細かく言うまでもないだろう)、だからといってこの作品が恐怖に怯え、心を病んだ人間のモノローグのように響くのか?まさか。
この日の演奏では、最終的には敗北するけれど雄々しく戦った”英雄”の物語として、力強い音楽が示された。春めいていたからマチネだったから、なんてことはないと思うけれど、東京フィルの明るい音色で紡がれる第一楽章はこの上なく美しく、なにより強い意志を感じさせるものだった。ベルクが絶賛したのも納得である。この楽章で描かれるのが「頂点にたどり着くことがそのまま敗北の始まりである」ような悲劇なのだとしても、負けを、死を怖れて心を病むようなものでは決してない。マエストロと東京フィルは音でそれを示してくれた。
ではそんな演奏ではこの音楽が併せ持つ、20世紀初頭の挑戦的な作品である側面が描かれないかといえばそうではない。円熟した技法による複雑な心理描写は、シェーンベルクの音色旋律や、ベルクが得意とした破局的ドラマにそのままつながるサウンドとして随所に聴かれ(第二楽章はそのままベルクだった、と言いたくなる出来)、と数多くの作曲家たちに先駆した作品であることがすぐ理解できるサウンドが聴かれた。マエストロが軽く足踏みしてから始められた第三楽章の安全運転とは決して言えない快速な基本テンポは揺らいだりせず、もはや無機的な運動の限界に至るかというタイミングで中間部の美しい音楽に移行し、ここではフレーズを自然に動かすマエストロの手腕とそれを存分に音にするオーケストラの対話が素晴らしい音として届いた。この楽章の最後、楽譜にもテンポ指示があるところ(Piu Stretto、3-Taktig)での猛前たる加速、そして突然のハードブレーキングの繰り返しも見事に決まり、最後にブレーキを踏まずに壁に衝突した帰結を見せられるような楽章の終わりに、大いに圧倒された。そして始まる終楽章。ここまでにも気がついていたのだが、チョン・ミョンフンの元で東京フィルの弦楽セクションはその響きを自由に変えてくる。特にその色彩、厚みを自在に変えて表現を多彩にしていくさまは実に魅力的で、その素晴らしさに感心して聴き入った次第だ。テンポに緩みがないこと、基本的な音色の明るさゆえに、私には死がどうのこうのといった通説よりは、もう美しい記憶になってしまった遠い過去の敗北の物語を聴いているようにさえ感じられたが諸氏諸兄は如何でしたか。答えは募集していませんので、各自反芻してください。いわゆる最後の一ページ、チェロがひとりで奏で始めてから最後に音が消えていくまで、私は自分が生きていることも忘れて耳を澄ませていたと思う。
この日、音が消えて程なくしてマエストロが緊張を解き、場内からは力強い拍手が湧いたわけだけれど、私はいわゆる”長い沈黙”に意味を感じないのでこの日の聴衆各位にはむしろ敬意を感じた。
*************
いい加減長くなっていまったけれど、これだけは書いておきたい。
そもそもですね、芸術家が作品で死を描いたら「それは死への恐怖ゆえなのだ」という読みそのものが私には疑問だ。メメント・モリは長年にわたって芸術の主題ではないのか、と正面から問うても良いが、私としては「それじゃすべてのミステリ作家は死を恐れるあまり作品を書いているのか」とまぜっ返しておきたい。いやミステリが芸術かどうかは評価が分かれるかもしれませんけど。
私には、マーラーの早すぎた晩年の作品群は「正面から死に直面してなお、生きて帰ってこられるほどに心身ともに充実した時期だからこそなし得た仕事」です。その力強い仕事を、明るく美しい音をベースに描いてくれたチョン・ミョンフンと東京フィルハーモニー交響楽団に感謝を。
そして帰り道からつらつら考えていたのだけれど、第三楽章でトランペット、トロンボーン&テューバが全音符を奏でるあれ(マエストロの解釈だとここだけテンポ感が失われるように意図されているところ)、彼はここを鐘の模倣として解釈していたのではないかと最近になって思い至った。猛スピードで展開する浮世のあれやこれやをすべて無に帰してしまう、超越的音声としての鐘。まあ、そういうのはまたこの作品に出会う機会にでも考えることにします。
最後にもうひとつだけ。
終演後、クロークに並んだ私の前にはご家族連れがいらっしゃいまして。どう見ても小学生の男子もいたのでつい「さすがにその子にこの曲は重くないかい」なんて一瞬思ったけれど、いつか出会うべき作品に、こんな演奏で出会ってしまうのもなにかの縁なのだろう、そんなふうに思い直した私である。この曲に生涯出会えないことの不幸を避けられて、この演奏でこの作品に出会えた幸運に恵まれた彼に幸あれ。
…なお、私の最初のマーラーは「ブームだというし聞いてみるかと点けたFMで、第一番か第二番どちらかを聴いている途中で寝落ち」というものだったことを申し添えて本稿はおしまい(台なし)。
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