2017年4月24日月曜日

書きました:ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団「名曲全集」第126回レヴュー

こんにちは。千葉です。
伺ってきた公演のレヴュー、公開されました。

●ミューザ川崎シンフォニーホールと東京交響楽団による「名曲全集」の新シーズンが4月16日に開幕

ミューザ川崎シンフォニーホール開館以来続くシリーズ「名曲全集」は今シーズンも興味深いプログラムが揃って、ほぼ月一回のペースで10回が開催されます。その初回は夭逝した作曲家たちの作品によるコンサート、指揮は尾高忠明でした。
この日の演奏の特長を一言にまとめるなら、仕上げの美しさということになるでしょう。挑発的にならないところは美点でありますが、個人的にはもう少し攻撃してくれてもいいわよ、とか思わなくもなかったりしますから好みとはなんとも難しいものです。とはいえ、この感触は私がふだん聴いているシューベルトがブリュッヘンだったりアーノンクールだったり、インマゼールだったりすることからくる感想です、ということは申し添えておきますね。記事にも書きましたとおり、この日の演奏は”ウィーン風”のそれ、だと認識しておりますので、妥当なものだと受け取った上での好みのお話でした。

モーツァルトとシューベルトの”ウィーン風”の外枠に挟まれたのは尾高忠明の父君、尾高尚忠のフルート協奏曲でした(今回演奏されたオリジナル版のOp.30aは、小協奏曲と表記して後に通常のオーケストラ編成にしたOp.30bと区別する場合があります。Op.30bは作曲者生前には完成せず、林光が補筆完成させています)。
ソリストは高木綾子さん、とここでいきなり敬称がつくのは、私の紹介よりも先に本稿をご紹介いただいてしまったからです。恐縮であります(笑)。


比較的知られざる作品を、自在な演奏で楽しませてくれたことにいま一度拍手させていただきます。

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記事に入れると少し本筋からそれるか、と思って割愛した部分を書き直してここでご紹介します。
ミューザ川崎シンフォニーホールという会場を賞賛することではサー・サイモン・ラトルにもマリス・ヤンソンスにも負けないつもりの私ですが(主観です)、この日もまた新たにした思いがありました。それは「協奏曲を聴くならミューザがいいな」というもの。それも、ピアノのようには音量でオケと対峙できない楽器のそれは、ここでしかこうは聴けませんよね、という。室内楽的な合わせの部分でも、オーケストラがトゥッティの部分でも、簡単にはソリストを消さないんですこのホール。
もちろん、それはソリスト、指揮者、オーケストラのそれぞれの配慮あって実現する音楽的達成ではありますが、それをある種の譲り合いによらずとも可能としてくれるのはこの会場の素晴らしいところなのです。ソリストを守るために鳴らさないオーケストラに歯痒い思いをすることもないし、音色や表現を損なってまでソリストが大音量に挑む必要もない。
弱音の表現力においてこのホール以上の繊細さを持つ会場はそうはないですから、音楽としての協奏曲を楽しむには最高の場所だよね、ということを途中まで書いて削除したのですが、この日は小編成とはいえその感を強めたものですからここに書き残しておきます。

そんなミューザ川崎シンフォニーホールに多くのソリストも登場するフェスタサマーミューザ2017は如何ですか?とダメ押しをしてご紹介はおしまい。
ではまた、ごきげんよう。


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