2017年4月5日水曜日

書きました:東京交響楽団 川崎定期演奏会第59回 レヴュー

こんにちは。千葉です。

東京交響楽団の昨シーズンも終了しました。多くの公演をご案内し、リハーサルを取材し、公演のレヴューを書かせていただきました昨シーズンをまとめる記事も用意します。ですがその前に、こちらの記事をご紹介。

●レスピーギのローマ三部作で2016/17シーズンが終了。創立70周年を祝ってきた東京交響楽団が、大きな区切りを華々しくフィナーレ!

東京交響楽団のシーズンを飾ったのは、飯森範親によるレスピーギの代表作でした。彼と東響は2013年にこの曲を録音していますから、今回はどう来るかといろいろと予想してスコアを眺めていきましたが、今回も正攻法でした。詳しくは記事でお読みくださいませ。

なお、東京交響楽団の昨シーズン最後の公演もミューザ川崎シンフォニーホールで行われています、こちらのレヴューも近日公開の予定です。

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記事にも書いたのですが、レスピーギの管楽器用法はリムスキー=コルサコフ直系の割とシンプルな発想に基づいています。私がそれに気づいたのは、高校生の頃に「祭」をちょっとだけ演奏した時ではなく、最近になっていろいろ勉強してからでもなく。大学の吹奏楽部で戯れにホルンを吹いていたときのことでした。
マーラーの五番とか、超がつく有名なソロを吹いてみたい、それだけの気持ちで遊んでいて、なんとなく「十月祭」を吹いてみたときに発見したのです。あれ、ほとんどF管の開放で吹けちゃうじゃん、と。もちろん平均律的な音程にはならない自然倍音によるクラリーノ音域で旋律を作るわけですけど、もしかしてこれって?そう気づいたんですよね。懐かしいなあ(遠い目)。そのあたりの話はチルチェンセスで鳴り響くブッキーナ(古代ローマのラッパを指すけれど、実際には普通にトランペットで演奏されます)について詳しく読み解いた、先日紹介した佐伯茂樹さんの著作を参照していただけましたら。

同じ20世紀でも、バレエ・リュス周辺で活躍した人たちはそういうアプローチはしないんです、たとえばファリャの「三角帽子」冒頭のファンファーレとか、音にしてみると割とトリッキィなんですよね。
そのあたりの歴史を踏まえたアプローチは、音響的にはグレゴリオ聖歌への傾倒が強く現れた作品群でも明確ですが、それが実に屈託のない音響を生み出すことに貢献しているあたり「嗚呼レスピーギは伊太利亜の人なのだ」と感じた次第でありました。20世紀音楽で、管楽器が活躍してその分演奏が大変でも、レスピーギのオーケストラが描く絵はとても鮮烈で、それが明確に示されていたのがこの演奏の美点で、「その分影もまた色濃いな」ってあたりがもっと強くてもよかったかもしれません。

このあたりでレヴューのあとがきはおしまい。ではまた、ごきげんよう。


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