2017年5月20日土曜日

読みました:ヴォルフガング・シャウフラー「マーラーを語る」

こんにちは。千葉です。
読み終わった本のご紹介です。7月に向かって皆さんも読んでください!(変化球)

●ヴォルフガング・シャウフラー「マーラーを語る ~名指揮者29人へのインタビュー」


副題にありますとおり、29人の名指揮者たちへの、マーラーをめぐるインタヴューを集めたのが本書です。残念ながら本書の刊行前に亡くなられたブーレーズ、アバドやマゼール、そして現役ではメータ、ブロムシュテット、ジンマンのような高齢のマエストロたちから最年少はグスターボ・ドゥダメルまでの29人は”綺羅星の如き”とか紋切り型を口にしたくなるほど錚々たる面々です。そしてですね、なんと「uemahlerinterviews」というYouTubeチャンネルでは、本書に収められたすべてのインタヴューを見ることができます。なんて時代!

そのインタヴューは、いくつかのテーマを設けて行われたものです。それはまとめれば以下のようなもの。

・マーラーとの出会い
・具体的な演奏について
・マーラーが表現したものと20世紀の現実の関係
・マーラーが受けた影響、マーラーが与えた影響  等など…

※項目を正確に、そして全部見たい方は、書店や図書館でお手にとってはじめの数ページをご覧ください

中でもレナード・バーンスタインの影響について、また彼のアプローチについてかなりの紙幅を割いているのが、個人的には驚きでした。比較の問題ではありますが、西欧ではマーラー演奏は一度だって完全に消えたわけでもないだろうに、と思いまして。とは言いながら、やはり表立って「いける曲」扱いされるようになった契機としての”バーンスタインのマーラー”は大きかったのだな、という認識を得たようにも思います。旧全集、久しぶりに聴いてみますかね…
なお、意外なほど自伝的な部分については昔風の理解が多かったように感じます。さらにその自伝と作品を重ねるような見方も。つまるところ演奏を、出てきた音を聴いて判断するので何を言っていようと正直なところかまわないのですが、こうも”悲劇の人マーラー”像を読まされるのには正直辟易しました。偉そうですみません(笑)。
その中では、リッカルド・シャイーが言及していたイタリアの音楽学者Gastón Fournier-Facioの著作は、近年変わりつつある「精力的に活躍し、異例の速さで頂点を極めた当代最高の指揮者」「指揮者としての成功に伴って作曲についても広く受容されていった」という方向で書かれたもののように思えて興味が湧くものでした。邦訳、…出ませんよねえ(笑)。


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で、前振りの話に戻ります。えー、本書には我らがジョナサン・ノット東京交響楽団音楽監督も登場しているから、”7月までに”なんですね~おわかりですよね~(くだけすぎ)。

さて気を取り直して。ノット&東響のマーラーは第九、第八、第三と経験を重ねて来ました。今年7月に取り上げるのは交響曲第二番、「復活」です。本書に収められたインタヴューでもこの作品については触れられており、それはちょっと意外にも思える初めて演奏した際のエピソードです。いや、意外ではないのかな、これを考えれば…

ともあれ、よろしければこちらの動画をご覧ください、そして7月にはミューザ川崎シンフォニーホールで僕と握手!(懐かしいネタ←阿呆)



うんうん、ノット監督は全集指揮者だものね、ここに呼ばれる資格十分だよね、(東響でも全集になるまでやってくれないかな、チクルスやるなら何年後かな←やると決めつけてる)などと思いつつご紹介はおしまい。ではまた、ごきげんよう。

※追記。書くかどうかとても迷ったのですが、気にしないのも変であるように思えますので。
あとがきで「小澤征爾へのインタヴューも行う予定だったが取りやめになった」という言及があるので彼がここに登場しないのはわかります。またタイミングの関係で、既に亡くなられたマエストロたちにはお話を伺いようがない。それもわかる、というか当然のことです。また、ニコラウス・アーノンクールのようにマーラー演奏とは縁がなかった方がいないことは仕方のないことです。
ですが、今なお現役で活躍されている二度の全集指揮者、エリアフ・インバルが本書に不在であることに、少なくない当惑が残りました。うーん。

4 件のコメント:

  1. 失礼します。フェスタの件で、御迷惑をかけたものです。その節は、誠にもうしわけありませんでした。

    『マーラーを語る』 私も読んでます。気になる指揮者のインタビューをつまみ食いしてます。むしろ、面白い本なので、急いで読み終わらせないで(そんなのもったいないです)、時間をかけて、ゆっくり読み進めています。

    インバル氏が取り上げられていない点については、激しく同意します。

    中村さんとミューザで握手(御冗談なのは、承知してますが)、実際にできるのであれば、してみたいです。御詫びを兼ねて…

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    1. 迷惑なんて受けてませんよ、お気になさらず(笑)
      現役の名指揮者たちがこうも明け透けに音楽観やアプローチを語ってくれるのは、マーラーに対する”同僚意識”があるのかな、なんて思いながら楽しく読んだ一冊です。…個人的にはブーレーズの厳しい発言に噴き出しながら読みました(笑)マーラー好きのみならず、広く読まれてほしいですね。
      7月の公演、昨日までの公演からさらに良くなるかと思うともう期待しかありませんね!>ノット&東響

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  2. ブーレーズの”ショスタコーヴィッチ・アレルギー”と、ブロムシュテットのインタビューが途中からブルックナーの和声論に舵が向きかかっていた所が印象に残っています。

    ショスタコーヴィッチの『祝典序曲』を、中学時代の吹奏楽部で、チューバとシンバルにて演奏してました。なので、この作曲家に思い入れがあるのですが、自分の経験を振り返っても、最初、バンドのレベルの低い時は”頭痛のする騒音”に過ぎなかったので、ブーレーズ氏のコメントに共感する事ができます(笑)。

    中学時代バンドのレベルがあがって”音楽”になってくると、愛しくて愛しくてたまらない曲になりました。

    昨年 8/12 ミューザの全日本医科学生オーケストラフェスティバル(指揮:広上淳一)のアンコールで、この曲がバンダ付で演奏された時は、アマオケの演奏とはいえ、感極まって、泣きじゃくりながら聞きました。

    なので明日、5/25はフェドセーエフ指揮・N響での祝典序曲の演奏を楽しみに、ミューザに行ってきます。

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  3. あっと、すみません。私は5/21にノット&東響のブルックナー5の演奏を聴いてきました。私個人的には、ものすごく満足しています。

    恥ずかしながら私は、恥知らずにも2015/11/23 名曲全集の際のアンケートに『ミューザでのノット&東響によるブルックナー交響曲演奏を希望』する旨を書きました。なぜなら2014 フェスタサマーミューザではインバル&都響が、2015/9/30 ハイティンク&ロンドン交響楽団が共に7番を、2016 初頭にはバレンボイム&SKBがブルックナーの交響曲をミューザで演奏しているのに、そのミューザを拠点にしているノット&東響がミューザでブルックナーを取り上げないのは”さびしい”と思ったからです。スダーン時代にはミューザで7・8番のCD録音までしてるのに…

    なので、あくまでも私個人としては、今回の演奏をとてもうれしく聴いてました。ただネットを見てみると厳しい意見も出ているようで…

    確かにミューザの音響は、反響音内の直接音と間接音の比率において、間接音が低い様で、きらびやかな音がステージ上の臨場感を伴って伝わってきますが、残響が余計には膨らまず、速やかに終息します(私はキレが良いと受け取ってます。ドレスデン・ルカ協会の様なボワンボワン残響が残るのは苦手です。)。この点は曲想の転換時にゲネラルパウゼを使用するブルックナーの交響曲の演奏においては、確かに有利には働かないなあ…と、改めて思い知らされました。

    その事を考慮した上での今回の演奏構築だと思うのですが、”やはりミューザでブルックナーはむかない”と判断されて来シーズン以降避けられるかもしれない、と思ってます。

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