こんにちは。千葉です。
被災県の出身者として、そして市民の務めとしてご案内させていただきます。ミューザ川崎シンフォニーホールがあの地震の日に開催する、復興支援チャリティ・コンサートのご案内です。
詳しくはリンク先に書かれているホールからのご案内をお読みいただきたいのです、心のこもった文章で、素晴らしい判断が示されていると思いますので。
入場無料ですが要事前申込、来場された際にチャリティへの協力をお願いする形で開催されます。申込みはハガキのみ、2月20日必着です。詳しくはリンク先にてご確認ください。
入場無料ですが要事前申込、来場された際にチャリティへの協力をお願いする形で開催されます。申込みはハガキのみ、2月20日必着です。詳しくはリンク先にてご確認ください。
この文章の後に何か書いても蛇足にしかならないのだけれど、私からも。
あの地震で自らも大きな痛手を受け、しかし現在はあの日以前と変わらぬ解像度の高い鮮明な響きで私たちに最高の音楽を聴かせてくれるミューザ川崎シンフォニーホールが、各地の復興を助ける側として支援する側に立って活躍してくれることを、一音楽ファンという以上にあのコンサートホールの音を愛する者として喜ばずにはいられません。
そして、あの地震の後しばし岩手に戻っていた私は、まだあの地震とその対応がまったく終わっていないことをよく知っています。おそらく今も、毎日のように被災の記憶と今後への展望がニュースなどで明暗さまざまな角度から語られ続けているのだろうとお察しします(そこに昨年の水害ですから、さぞ県北の皆さまは大変だったろうと、正直言葉もありません)。
もしかすると復旧できて復興したところもあるのでしょうけれど、市街が更地になってしまったような地域ではモノの再建はただの始まりでしかないのです。社会そのものが受けた被害から、普通の生活に戻るためには必要なものが想像以上に多くあるのだ、地域のメディアは毎日それを伝えていましたし、今もそうなのでしょう。
しかしながら、首都圏に戻ってみればあの地震の話はもはや過去に属するものに思えてくる。一つの自治体がいいように利用された事件の話なんて、どこのメディアでも見もしない(気になる方は"山田町 NPO"あたりで検索してください)。トラブルからの回復はそう簡単ではないし美談に回収しきれるものではないのだなって、岩手ではよく考えさせられたものですから、首都圏発信で折々に示される”感動的な復興物語”にはどうにも違和感がある。「あの地震を忘れない」というのはそういうことなのだろうか、と考えてしまう。この疑問に答えを簡単に出してしまうことにも抵抗がある。正解もないし、やることの方向ですらいいか悪いか判断できかねる、それでもしなければならないことをしていかないと復旧も復興もない。それが現実に起きた災害からの立ち直り方なのだと、あの地震を「演奏会に行くはずだったが、電車が動かない」という、それほど被害のないかたちで体験した私は岩手県でしばし暮らして知ったように思っています。
おそらくは、この感覚をかつて明石海峡を震源としたあの地震を体験した皆さんが長く経験してこられ、そして現在は熊本周辺の皆さまが経験している最中なのだろうと推察します。被害も回復のためのプロセスもそれぞれで、それぞれに違う困難がありながら今よりマシな状況にするために日々為すべきことを為したり、何を為すべきかを決めたり考えたり迷ったりされていることでしょう。
今回、自らも被災したあの地震の名を外すことに、少々の寂しさというかなんというか、微妙な感慨もないわけではありません。ですが、この変更によってホールは、自らが支援される側から支援する側へ変わることを明確に打ち出したのだ、と私は理解しました。あの地震由来の余震が今も続く状況ではあるけれど、昨今の各地で起こる地震も無視できるものでは、無視していいものではないわけです。どこかの評判の悪い(穏やかな表現)とは違って、新しい判断をすることも必要なのです、きっと。
そんなわけで、「ここには、その時が来たのだ」という理解をして、これからもミューザ川崎シンフォニーホールに通おうと思う私であります。そしてそのたびに天井を見上げて、あの地震のことを思い出すでしょう、きっと。あんなことがあっても以前のように戻すこともできる、ここだけの響きだって失われていないのだから、なんて思いながら。
****************
うーん、柄にもなく感傷的になりすぎだな、と少し反省しながらもこれで記事の更新はおしまいにします。ミューザ川崎シンフォニーホールでは、本日もおなじみの名曲全集が開催されますので、興味のある方はぜひ。そのうちこの呼名がなくなるはず、と期待も込めて考えている女性指揮者の登場ですよ。
(私、他用にて伺えないのが残念です。かわさきミュートンくんの10歳をお祝いしたかったなあ←そこですか)
では本日はこれにて、ごきげんよう。
しかしながら、首都圏に戻ってみればあの地震の話はもはや過去に属するものに思えてくる。一つの自治体がいいように利用された事件の話なんて、どこのメディアでも見もしない(気になる方は"山田町 NPO"あたりで検索してください)。トラブルからの回復はそう簡単ではないし美談に回収しきれるものではないのだなって、岩手ではよく考えさせられたものですから、首都圏発信で折々に示される”感動的な復興物語”にはどうにも違和感がある。「あの地震を忘れない」というのはそういうことなのだろうか、と考えてしまう。この疑問に答えを簡単に出してしまうことにも抵抗がある。正解もないし、やることの方向ですらいいか悪いか判断できかねる、それでもしなければならないことをしていかないと復旧も復興もない。それが現実に起きた災害からの立ち直り方なのだと、あの地震を「演奏会に行くはずだったが、電車が動かない」という、それほど被害のないかたちで体験した私は岩手県でしばし暮らして知ったように思っています。
おそらくは、この感覚をかつて明石海峡を震源としたあの地震を体験した皆さんが長く経験してこられ、そして現在は熊本周辺の皆さまが経験している最中なのだろうと推察します。被害も回復のためのプロセスもそれぞれで、それぞれに違う困難がありながら今よりマシな状況にするために日々為すべきことを為したり、何を為すべきかを決めたり考えたり迷ったりされていることでしょう。
今回、自らも被災したあの地震の名を外すことに、少々の寂しさというかなんというか、微妙な感慨もないわけではありません。ですが、この変更によってホールは、自らが支援される側から支援する側へ変わることを明確に打ち出したのだ、と私は理解しました。あの地震由来の余震が今も続く状況ではあるけれど、昨今の各地で起こる地震も無視できるものでは、無視していいものではないわけです。どこかの評判の悪い(穏やかな表現)とは違って、新しい判断をすることも必要なのです、きっと。
そんなわけで、「ここには、その時が来たのだ」という理解をして、これからもミューザ川崎シンフォニーホールに通おうと思う私であります。そしてそのたびに天井を見上げて、あの地震のことを思い出すでしょう、きっと。あんなことがあっても以前のように戻すこともできる、ここだけの響きだって失われていないのだから、なんて思いながら。
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うーん、柄にもなく感傷的になりすぎだな、と少し反省しながらもこれで記事の更新はおしまいにします。ミューザ川崎シンフォニーホールでは、本日もおなじみの名曲全集が開催されますので、興味のある方はぜひ。そのうちこの呼名がなくなるはず、と期待も込めて考えている女性指揮者の登場ですよ。
(私、他用にて伺えないのが残念です。かわさきミュートンくんの10歳をお祝いしたかったなあ←そこですか)
では本日はこれにて、ごきげんよう。
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