2018年9月10日月曜日

「犬の力」と言ってもペットの本じゃないし、「カルテル」と言っても経済小説じゃない

ドン・ウィンズロウは「キッズ・ストリート」に始まるシリーズの作者として認識していたものだから、映画「野蛮なやつら/SAVAGES」を見たときにはかなりの驚きがあった。オリヴァー・ストーンが”これ”の監督をしているのか、という要因も大きかったが、やはり語られる物語の暴力性に驚かされたのだ。チャラい若者たちが大麻栽培のヴェンチャーで成功してしまったばかりにメキシコの麻薬組織と敵対するはめになる…そんなストーリーは、ニール・ケアリーのシリーズからは本当に遠いところにあり、その距離が計りかねたのだ。


だが、このシリーズを読んでしまったあとでは「野蛮なやつら/SAVAGES」もまた彼の描く世界なのだ、とよくわかる。



「ブレイキング・バッド」を見てしまったのが、本書を読むきっかけの一つだったろうと思う。また、「BS世界のドキュメンタリー」でナルココリードの話を知ったこともそうだろう、またヨアン・グリロ「メキシコ麻薬戦争」を読んだためもある、と思う。それらを知るまでの自分の中の「麻薬戦争」はコロンビアなどの中南米がメインで、米墨国境のことなど何も知らない…とまでは言わないけれどリアリティの薄いものでしかなかった。もっとも、思い返せば「メキシコ国境の街で女子大生が警察署長に就任」なんてニュースには触れていた、はずなのだが。かくも対岸の火事とは像を結ばないものだ(一般化)。

と、前置きしてさて本書をどう紹介したものかと考える。公式サイト見るか、と思ったが驚きの文字数だったので引用では済ませられない(ここいらないよね)。では…
「犬の力」はDEAの捜査官アート・ケラーと麻薬カルテルの後継者となるアダン・バレーラ、この二人を軸に語られる30年にも及ぶ血みどろの抗争の群像劇、「ザ・カルテル」はその直接の続編でその後の彼らの因縁を終着点まで描ききる。なのでもし気になった方は必ず「犬の力」から読み進めてくださいね。その場合、流れる血の量も大変なことになりますけど、それが現実を映してしまっているのだから仕方がない…

メキシコ国境を問題視していたコンテンツに触れたのは先程挙げたものが最初ではないように思う。きっとプロレスのWWEだったと思う。不法移民狩りキャラにいつのまにか変わっていたあの人の名前、なんだっけ…(検索くらいしましょう)そして上記コンテンツに触れたのと、トランプが表舞台に出てきたのはそんなに変わらない時期だと思う。何がそこまで問題視されているのかわからなかった、だからいろいろと読んでみた、フィクションに触れてみた。そんな流れ。
そして認識せざるを得ない、たしかに麻薬戦争の頃のメキシコは恐ろしい。私のような真面目な()人間が生きていける気がしない。「もう今のメキシコはそうではない」と書けたらいいのだけれど、そういう明るい話も聞かない…生活を支える産業になっているが故に消されないカルテル、そしてカルテルにはなによりニーズがある。クスリを買う人たちがいて、それが多大な利益を産むからカルテルのビジネスは止まらない。
そんな社会で、果たして主人公が行うようなカルテルへの捜査、攻撃にどれほどの意味があるものか、つい考えてしまう。いや、抵抗しないことで悪に加担してはいけないのだが。また、「ザ・カルテル」で示される、アート・ケラーとカルテル(特に武装集団のセータ隊)が体現する「力での対立」とは別の道としての「女の平和」の可能性についても考え込んでしまう(これはもちろんアリストパネスのそれを参照したものだ、作中での扱いも)。作者は、本作をフィクションとして描きながら膨大な取材や現実の事件をそのまま想起させるように取り込んでいる。私が先程挙げた「女子大生が警察署長に」という出来事もそうだし、カルテルに取り込まれなかった女性市長が殺害された事件もだ。現実の市長は誘拐されて亡くなり、警察署長は逃亡したのだが、…むき出しの暴力が振るわれる世界の中で「女の平和」の可能性がどう展開されるものか、というあたりはぜひ本書で読んでいただきたい。ここでそれについて書かないのは、暴力に同じく暴力で立ち向かう男たちによる苛烈な展開と、暴力以外の可能性を命がけで探る女性たちの戦いとのコントラストは本書をより魅力的にしているものだと考えるから、私がリライトしてしまうべきではないと思うがゆえである。あと一点、個人的に最も震えたのが「ザ・カルテル」最終章の直前、タイトルが実現した瞬間だったことは書いておきたい。そこで物語が集約されて、あとはフィナーレまで駆け抜けるのみであった。拍手。

で、なのですが。本作はけっこう前に小説二作をひとまとまりの「ザ・カルテル」として映画化する、と報じられました。その後の情報がないまま現在に至った感があるのですが、これどうなってるのでしょうか。カルテルのご乱行の数々に殺伐とした振舞い、荒んでいく人心などなどがこれでもかと描かれてしまう映画になるでしょうから、楽しみにしているとはちょっと言いにくいのですけれど、見たいんですよね。リドリー・スコット監督だとかディカプリオ主演だとか、断片的な情報しか日本語だと探せない。作者のサイトに行っても特段のリリースがない。Youtubeをさがしてもまだトレイラー的なものも見当たらない。もしかすると、次の情報はそれなりにできあがった、本物の予告編の形を取っているのかもしれない、そこからは一気に映画も公開されるのかもしれない。まあぼんやりと待ちますから、いいんですけど。

メキシコのあの人とかあの地域とか(明示は差し控えたい)、見る目が変わっちゃって申し訳なく思うほどに壮絶な”現実を映すフィクション”、と私は受け取りました。その結果、あの人その人のキャリアについてとか、リゾート地がどうこうとか、超高級とか上流なんて言われるたぐいの階層そのものが怖くなったので、私はやはりカジノ解禁は良くなかったと考える次第ですよ。バックドアを作っちゃ駄目なんです、社会って。メキシコのそれは大量の金銭と暴力による事実上の是認だけど、本邦のそれは法としてバックドアを作ってしまったことになる。手法はどうあれ、バックドアを有効に使えるのは、後ろ暗いお金を山ほど持ってる人たちになるわけで。
…まあいいです、この話はこれでおしまい。ではまた。

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