2012年10月28日日曜日

訃報の後で聴き始めるのは悪癖だ(猛省)

こんにちは。千葉です。

最近、Twitterを眺めていると楽しげな(またはあまりそうでもないような)コンサートの話だったり、何やら内ゲバの様相を呈しつつあるトリックスターの吊し上げがお盛んだったり、なんというか自分がぼんやりテレビやスポーツの感想を書いてるのが申し訳ないみたいです(笑)。益体もなくてすみません。

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昨日、このようなニュースが流れました。

◆ハンス・ウェルナー・ヘンツェ氏 死去(時事)

86歳での大往生とのこと、お疲れ様でした。と合掌するかと思った時に気がつく、彼の音楽がパッと出てこないじゃないか自分、と。まったく聴いたことがないわけじゃない、でも明確な像を結ぶまでには認識ができてない。個人的な体験も特段あるわけでもない、何をか言うべきか、いや黙るべきか。語り得ないものについては沈黙しなければならない、とかね、一瞬頭を過るのですよ。

でもブログで黙っていても仕方がないので(苦笑)、とりあえずこれから気をつけて彼の音楽を聴くことにします。このパターン、誰かの訃報のたびに繰り返してしまってもう反省するのもおこがましい感じ、はてさてどうしたものやら…

もの知らずは仕方がない、以後精進します。

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手元のディスクを探してみると、見つかるのはラトル関係のものが二つ、以上でした。なんというか、20世紀音楽についての認識はラトルがいなかったら大変なことになっていただろうな、と今さらながら自覚しております。ちなみに、いわゆるクラシックの中心的なレパートリーについてはバーンスタインがいなかったら大変なことに(笑)。この二人に教わったことが中心だからそれ以外のジャンルにはうまく手が広げられてないんだよ、というのは言い訳ですね、はい。

ラトル&CBSOによる交響曲第七番と舟歌を収めたディスク、いまはこういうまとめ方でお安くリリースされてます。二枚目のディスクはインゴ・メッツマッハー指揮ベルリン・フィルによる交響曲第九番と「オーデンの詩による三つの歌」ですか、千葉の手元の国内盤よりお得だなあ…

もう一つのDVDは以前NHKのBS2でも放送された20世紀音楽についてのドキュメンタリ・シリーズ「リーヴィング・ホーム」の最終巻。20世紀を俯瞰する10年がかりの「Towards the Millennium」なるコンサートシリーズに並行して作られたものですから、少なくない作品の演奏が映像として収められてます。部分なのがもったいないくらい。この最終巻ではヘンツェの交響曲第八番の一部が収められてます。あまり思い出せないのが口惜しいから(笑)あとで見直すことにしましょう…

なお、このシリーズの雰囲気は以下の動画でご覧いただけますね。なお、ひとつご注意を。いけませんよ、いろいろと検索しちゃ!すぐに以下自粛。



以上、訃報どうこう以上に今後のための覚書ですね、これは。もっと知るように努めるための足がかり、というか。ではまた、ごきげんよう。



きっとこれとか、勉強になるんだろうなと思うけれど、見る日が来るかどうか…

2012年10月25日木曜日

ジョルジュ・ビゼーのお誕生日、とのことで

こんにちは。千葉です。

先日ひとつ、とてもいいコンサートに行ってきたのですがその感想がなかなかまとまらない。まあ、ある数年をかけたシリーズの最終回だったので、それなりの感慨が千葉にもあるのです。
ということで、久しぶりのプロコフィエフ祭りはもう少々お待ちくださいませ。よろしければそれまで、かつての某の記録などご覧いただくのもよろしいかと。その当時は初学者気分ではあったけど真面目に聴きましたから、その当時から大きく認識は変わっていないのだけれど、でもその密度はまったく違うものになった、と自負しております。これもそれもすべてマエストロ・ラザレフのおかげです。ありがたやありがたや。



第一、第五、そして第七しか出ていないけどあんなにマイク立ててたんだもの、残り四曲もでますよね?リリースしたら一躍世界レヴェルのプロコフィエフ交響曲全集ですよ、EXTONレーベルさん!
なお、一番右のは新譜です、プロコフィエフに続くプロジェクト進行中のラフマニノフ。評判の演奏会でしたから、間違いなくいい演奏であることでしょう、そのうち入手したらなにか書きますね。

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でも今日の本題はそっちじゃなーい!

本日はジョルジュ・ビゼーのお誕生日だとか。1838年生まれだからえっと、174回目のお誕生日?でも半端だなあ、とか言わずに素直におめでとう、と申し上げます。ある時期まで音楽には感心しても好きになれなかった「カルメン」(1875)の作曲者に。

登場する奴が全部悪人、ってのは今上映されてるあの映画ですけど(完結、なんだよバカヤロー)、「カルメン」ってオペラも相当のもんだな、と以前から思っておりまして。カルメンにもホセにも感情移入できず、ミカエラはさすがに良い子にすぎる、不自然なほど。そしてお話は優等生的軍人さんが山賊に身をやつした挙句目当ての女に嫌われてストーカに、終いには殺人者になっちまいますからね。ヴェリズムも作品も相当どうかと思う登場人物はいるけれど、あれははじめから「ワイドショウ的」とか酷い言われようだからまあ、そういうものとしても受け取れましょうよ。でもそれがこと「カルメン」となると無前提的に五指に入る名作オペラ扱い、なんだかなあ、って思っていたのです。え?名作オペラには酷い話が多い?「蝶々夫人」を思い出せ?ああ、まあそうなんですけどね…

そんな千葉にはオペラコミーク版の、アンドレ・クリュイタンスによる録音が初めてしっくり来たものだった、という話は前にしたような気がします。生っぽい、というか血生臭い話なのにレチタティーヴォでゆったりと話が進むのが合わなかったのかな、などと名演とほまれ高いクライバーの映像を見ては思ったりしておりました。

そこにですね、まさかの新譜の登場ですよ。およそこの作品と縁のありそうにない、サー・サイモン・ラトルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ほかによる。




望外、というのはこういうことでしょうかしら、おそらくは奥方が希望したのかなあなどと邪推できなくもないのだけれどここは素朴に喜んでおきましょう。だって、オペラコミーク版の新譜ですし。大好きな彼らの演奏ですし。

なお、ご覧のとおり左の輸入盤と右の国内盤では相当な価格差があります。もうこれでは「文庫本とハードカヴァー」という程度では正しい例えになってないかなあ、とは思うものの国内盤は「SACD+特典DVD付き」(輸入盤は通常CD二枚組)という豪華版(愛蔵版レヴェル)ですので、余裕のある方は助けると思って買ってあげてくださいね、国内盤を。千葉はもちろん歯噛みしながら輸入盤ですけど。

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入手してから既に何度か聴いているのですが、これはいいですよ!とファン目線の素朴な感想以上になかなかならなくて困っています(笑)。彼らの演奏はいつもそうなんですけどね、千葉が彼らの演奏をくさすことはないだろうなって思ってます。

そんな素朴な意見を書き連ねるのも気が引けるので、演奏が気になる方はこちらの動画でもご覧いただくのは如何でしょう。国内盤の特典DVDからの抜粋です。EMI JAPANさんありがとう、売上に貢献できなくてごめんなさい。


EMIのサイトでは大きくこの盤を取り上げていますので、興味のある方はそちらもぜひ(リンクしてます)。

ともあれ今日は簡単なご紹介のみ。損はしない一枚です、とのみ申し上げて、詳しい感想はまた後日。ではまた、ごきげんよう。




いわゆる組曲なら、ミンコフスキとルーブル宮音楽隊のこれ、オススメです。騙されたと思って、ぜひ。

2012年10月15日月曜日

もうそんなに経ちましたか…

こんにちは。千葉です。

今更のことですが、そろそろ首都圏はとんでもない質量共に充実しすぎたコンサートシーズンを迎えます。いや、もう始まってるのかな。内外オペラは開幕したし、在京オーケストラの定期演奏会も始まったようだし。第九も発売されて所によっては完売とか聞くし。一年、速いなあ(他人事ですか)。
しかしながら、千葉は今年は貧乏により完全スルーの予定です。べ、別に羨ましがったりもしないと思いますよ、少なくとも字面の上では(ギリギリギリ←歯噛みする音)。

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さて、日付上は昨日が、レナード・バーンスタインの命日です。1990年10月14日、それが記録の上では彼の命日として残りますからね。でも個人的な記憶を紐解けば、今日15日のほうが彼の死と結びついているのです。だって思い出してください、時差の関係で彼の訃報は翌日になってから日本では報じられた、じゃありませんか。今みたいにネットでリアルタイム接続してる訳じゃなし、新聞はちゃんと「ニュース」を報じていた訳ですよ、そのころは。

そんなわけで今日のほうが彼を思い出すのに適しているように、個人的には思います。何も昨日は他ごとをしていたから、というのではなく(いやその面も否定はしないが)。あの頃は千葉もまだ若かった(笑)、よく晴れた秋の日に、悲報を受けていろいろと吹奏楽部の友人たちと話したことなど、変に美化されて思い出されます。しみじみ。


ということで、この本を読み始めました。最近出た本だったんですね、存在さえ知らなかったのは不覚の極み。今年の三月に発行されてます。

 

岡野弁さんの訳でバーンスタインの本、となるとそれこそ彼の死を受けてその音楽や教えを貪っていた時期に読んだ「音楽を語る」が思い出されます。時期も内容も趣向も雑多なエッセイ集なのだけれど、貪りましたよ本当に。何度も何度も読みました。懐かしい。しみじみ。
新刊の「わが音楽的人生」は自伝と位置づけられる本のようですから、普通に考えればパイザーみたいな本とかマイヤーズ、カスティリオーネの本よりも先に出版されるべきじゃないのかなあ、などと思わなくもありませんが(笑)、順序はともかく読めるようになったのだから文句は控えましょう。未読ですし。

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他にもちょっと、バーンスタインのことを考えていたことがひとつ、あるんです。そのきっかけはこちら。



サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるブルックナーの第九番、「サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ版(SPCM版)」の2010年改訂版の、作曲者によっては完成されなかった第四楽章付きの録音です。
えぇえぇ、貧乏な私は右側を買いましたが何か?(キレ気味)本当はねえ、SACDフォーマットの方がいいに決まってるんですよ、特にもいまの彼らの演奏は。まあほら、海外では本はハードカヴァーとペイパーバックが同時にでたりするみたいだから、あたしはそうだ、そうだよ文庫が好きなんだよ!(滂沱の涙)

すみません取り乱しました。
バーンスタインの膨大な正規録音の中に、ブルックナーはただ一つこの第九番があるのみ、なんです※。それも二回、NYP時代の1969年のもの、そして1990年3月まさに最晩年に残されたウィーン・フィルとの録音と。

※当時のレーベル関係なしで、一つだけ例外があります。これまた不思議な感じのする選曲ですが、第六番をニューヨーク・フィルハーモニックと演奏した記録があります。情報はリンク先でご確認ください。

畢生の大作だもんね、未完だけど価値ある作品ですよね。千葉はそう思うことにしていたんですけど、ブルックナーを聴けば聴くほど「第五とか第八はある種の完成形ですよねえ」「未完であることで作曲者本来の”型”を欠いた作品になってませんかね第九番」とか思うようになりまして。

アーノンクールの盤におまけでついていたレクチャーを聴いてみてもいま一つイメージできないでいた第九番のあるべき姿が、ある程度の信用できる形で聴くことができてみると、これはもしかしてこういうこと?などと心当たりが持てなくもない、かな。最近そんな風に思っていたところなんです。まだもう少し調べ物をしないとまとめられませんけど。

ともあれ、そんなわけでこれからしばしバーンスタインのブルックナー、聴こうと思います。ではまた。


 

右の五枚組DVDボックス、1973-90年のライヴが収録されてます。はじめ見たときは同じニ短調の第九番でもマーラーが収録されてるってあったような気がするんだけど…(笑)




この動画は第一楽章冒頭15分ほどです、ご参考まで。

2012年10月13日土曜日

印象派は苦手です(特にモネ)


こんにちは。千葉です。

ちょっと前に舌を噛んでしまって口内炎風の傷ができていましてね。で、それを避けて食事をしている最中に誤って口の中を二箇所も噛んでしまって今や傷だらけなんですよあたしの口の中は。おかげさまでもう、食事中はずっと涙目でありんす。利点はそうですね、眠くなったら患部を噛めばすぐに目がさめること、かな!(開き直り)

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どうでもいい話はさておき。「まずい明日で会期終わっちゃうよ!」と今日気がついて、慌てて遅れに遅れた感想を書きます。普通の美術展なら感想は向こうに書くところだけど、今回のは音楽だからこっち。恣意的な使い分けで申し訳ないところですがご容赦のほど。

◆ドビュッシー、音楽と美術 ― 印象派と象徴派のあいだで


まずブリヂストン美術館、いろいろと縁があってもよさそうなのに(笑)、来たのは初めて。京橋駅からすぐで東京駅にも近い便利な立地、展示自体はビルのワンフロア(の半分くらい?)なのでこじんまりとまとまってる、とも言えるし、ちょっと小さいかな、とも言えるでしょう。都内ではまあ、こんなもんでしょうか。
一階のエントランスはスルーして二階の展示フロアに上がるとまずは企画展、順路をめぐり終わると所有する東西の作品が展示されている。通路にはドビュッシーの像(デスマスクも)あったりして。話は関係ないんですけどひところのデュトワさん、髪型が完全にこれでしたよね、コスプレ?(無礼者)

展示は彼の生涯を追う形で、つまり時代ごとにかかわりのあった、影響を受けた絵画や彫刻、写真に工芸品などが展示されるスタイル、一部楽譜もあるけれどケースの中のスコアを、あるページだけ開かれていてもどうすればいいのかと(笑)。場内では小さい音量ながらドビュッシーのピアノ曲が流され、とりあえず彼のことをはっきりとは知らない人でもその音楽の持つ雰囲気はわかったんじゃないかな。言い方が曖昧なのは、えっと、展示と音楽の関係を詰めて考えなかったもので、千葉にはただの雰囲気でありました(笑)。でも、それなら音声ガイド(有料、千葉はもちろん借りてない←いつもです、どんな美術展でも)で曲を流すなよ、人が滞留するじゃないか、と思わなくもない。なんというか、都内の美術展に行くとあまりの混雑に渋滞解消のための手段ばっかり考えちゃうんですよね、千葉は(笑)。

ドビュッシーと言ったらセットでついてくる印象派にとどまらず象徴派の作品や知ってる人は知ってる通りのジャポニスム関連の展示もあり。まあ、パリ万博でオッペケペー節ですよ!(間違ってはいない、けれどその物言いはどうか)
にしてもこういう展示の時は、オリジナルの浮世絵よりもむしろ海外での模写のほうが興味深く思われますね。例えばあの三つの交響的素描「海」のスコアの表紙にも使われた北斎の「神奈川沖浪裏」の模写、手前の船と富士山を欠いているんですよね。あの画の趣向はそこにあるのだろうけれど、彼らはそれよりデフォルメされたしかしイメージ通りの海そのものの像を強く受け取ったのかしら、とか思えてなかなか面白いなと思うのです。ゴッホの浮世絵の模写なんて、言葉にしがたいほど強烈ですしね…ああ、もしかすると「人に渡されたペルゴレージ(ガッロ)のスコアから、イーゴリさんの考えたバロック音楽としてプルチネッラが作られた」的な変容が面白い、と思っているのかも。書きながらの思いつきなので何も展開はしませんけど。

にしても幾つか展示がありましたが写真というのはあれですな、昔は印画紙の限界か現像技術の制約か、とても小さいものだったんですな。各種書籍の図版で見かけたものがいくつかあったけれど、鮮明さを抜きにして言うなら書籍やモニタ上で見た方がわかりやすいかも。もちろん、現物の持つ雰囲気はあるのだけれど、資格情報としてはどうなんだろう、資料としては…とかなんとか、写真というテクノロジーの変遷というか先行きというか、そんな余計なことも考えたよ。20世紀初頭前後のパリというのはなかなか気になるところでありますからね。

あと大ざっぱなコメントをするならば、「カンディンスキーはもっといいのがなかったのかい?」(あれをマネやモンドリアンに並べられるのは、辛い)「千葉はマネが好きだなあ」(絵は門外漢なので感想も素朴です)「岡鹿之助の名前を覚えておこう」(館所有の一連の作品の中では一番気になりました。案の定というべきか、ショップでは画集も売ってましたね)、くらいですか。久しぶりの美術展、楽しうございました。

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なお、最初に書きました通り会期は明日まで。ということで、どうも今日もかなりの混雑だった模様(Twitter情報)。先ほど言及した写真なんかもそうですが、工芸品などはできるなら近くで時間をかけてみたいものだけれど、そのような状況が作れるのかどうか。そんな懸念はありますが、ご覧いただける方はぜひ。では本日はこれにて。


2012年10月12日金曜日

収穫の時、だと思うのです


こんにちは。千葉です。

気候の変化にやられたかはたまた久しぶりに三度もコンサートに出かけたのが行けなかったか(嘘うそ)、少し風邪気味でおりまして。そのためになかなかまとめられなかったコンサートの感想、遅まきながら書きますです。


◆オール・アバウト・ハインツ・ホリガー 第2夜:室内楽


2012年10月8日(月・祝) 15:00開演

会場:すみだトリフォニーホール 大ホール


オーボエ&オーボエ・ダモーレ、作曲:ハインツ・ホリガー
チェロ:アニタ・ルージンガー
ピアノ:アントン・ケルニャック

曲目:

シューマン:オーボエ・ダモーレ、チェロとハープのための六つの作品 作品56
ホリガー:
  チェロとピアノのためのロマンセンドレス
  ソロ・オーボエのためのソナタ
サン=サーンス:オーボエ・ソナタ 作品166
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第一番 イ短調 作品105(チェロ独奏による演奏)
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 変ロ長調 作品11(オーボエ、チェロ、ピアノ)

すみだトリフォニーホールにこの前も行ったばかりだというのに、なんと開演ギリギリでようやく到着するというていたらく、最近の出不精を反省するものであります。さて本題のレビューはどこから書いたものか、と大いに迷いつつ、雑感から入りましょう。というか、エッセイ風の書き方にしようかな。

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ハインツ・ホリガーは1939年生まれの73歳。千葉にとってはやはり第一義でオーボエ奏者、それももはや「代名詞」とも言える人ですね。そしてまた作曲家であり、指揮者であるというその多様な活躍を二つのコンサートで見せるという「オールアバウト・ハインツ・ホリガー」はなかなかの好企画、さてオーボイスト、作曲家としての面を堪能させていただこうかと伺った次第。
で、奥様のウルズラ・ホリガーのキャンセルもあって変更されたプログラムのためか、千葉がコンサートを終わってすぐに感じ、そして今もいろいろと考えてしまっているのは歴史や過去、大ざっぱにまとめると回顧という言葉になるのかな、そのあたりの事ごとであります。

コンサート最初の曲で古雅な音色が特徴的なオーボエ・ダモーレを演奏したから、そう思うのかなってぼんやり考えながら聴いていたのですが、次のピアノの内部奏法やチェロの自作「ロマンサンドル」(2003)を聴いていても現代的な、ある種の攻撃性を感じるよりむしろ遠い過去を回想するような、もはや生々しくはない記憶と戯れるかのような印象を受けてしまう。曲目解説などで知りうるシューマンをめぐるエピソードを絡めて考えることは、個人的には難しいところでした。
後半最初に演奏されたサン=サーンスのソナタも晩年の作ならではの力みの無さが魅力的だったし(作曲者晩年の、一連の管楽器のソナタに興味を惹かれました)、最後のベートーヴェンでのアンサンブルをリードする力強さはさすがのもの、先日聴いたフルートのグリミネッリがアンサンブルを待ってしまっていたのとは好対照だったかと。ちょっと逸れますけど。管楽器は合わせを待つとダメなんですよ、どんどん後手に回ってしまうから。じゃあ管楽アンサンブルはどうなのかというと、それはまあ、ね、えへへへへ。リーダーとしての管楽器、かくあるべきかと。
(ちなみに指揮なしの管楽アンサンブル、バンドごとに違うけど、基本的に名手が揃うと挑発合戦&名技による応答のエスカレーションになりますね。名人たちの遊戯、聴きては楽しいからいいのですけれど、いわゆる「精神性」云々からは激しく遠ざかります。当然ながら)

余談はさておき。バッハ、シューマンと続いた二曲のアンコールがこの演奏会の縦糸をより印象づけたからそう思うのかなあ、などとも考えます。変更前の自作&イサン・ユン作品を中心に据えたものから予想された、視点を時代的に大きく移動するような印象ではなく、より遠い過去への視線が内包されていたかのようなプログラムは、このアンコールによって雅に美しく締めくくられたものだから。

彼のそれほど熱心な聴き手ではなかった千葉でも、演奏を聴き始めてすぐに「この音を知っている」と思わせるほどのオーボイストとして活躍してきた彼の、明瞭な輪郭が印象的なその音色は盛時を過ぎているのかもしれない。音色を細身と評するには少し細すぎた、ようにも思うので。管楽器は声ほどではないにせよどうしようもなく年齢の影響を受けざるをえない、自身の身体で音を作る楽器である以上これは逃れられない制約だ。それでも、アンサンブルのリードにも感じられた意志的な音楽作りはさすがのもの、時代を作ってきた音楽家の二つの面を聴かせていただきました、と頭を垂れる気持ちになった次第であります。っていうか、これなら前半も聴きたかったなあ、指揮も併せて聴いておけばもっと掴めるものがあっただろうに、などと先に立つわけもない後悔に襲われたりするのですが、これはまあ仕方ない。これから折を見て、また機会を得られればと思います。
共演のお二方、お若いのにさすがねえ、伊達にマエストロに選ばれていないわあなどと、戯れに近所のおばちゃんのような感想を言いたくなる献身ぶりでした。チェロのルージンガーは出るところとそうでないところをわきまえた振る舞い、そして音色への配慮で見事にホリガーをサポートしていましたし、ホリガー抜きの二曲では存分に実力を見せてくれておりました。ピアノのケルニャックはねえ、室内楽のピアニストかくあってほしいと随所で感じさせる見事な呼吸の合わせ方に感心しきり、です。曲が新しい「ロマンサンドル」でもバッハでも、共演者とのアンサンブルを大切にして音楽全体をまとめあげていた彼には個別に拍手したい気分です。特に弱音での絡み方、印象的でした。

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おそらく、個人的に一番強く印象に残ったのはプログラム前半最後に演奏された自作、無伴奏オーボエのためのソナタでした。1999年に改訂されているとはいえ1956-7年の作、自身十代の作品を噛みつかんばかりの気迫で演奏する73歳のハインツ・ホリガーの姿に、なんとも言葉にならない感慨を感じたものだから。曲自体は20世紀半ばの、いわゆる前衛よりはむしろバルトーク的な趣向に基づくものでした、そして管楽器の無伴奏作品は「呼吸」という制約もあって全体の構成感を出しにくい(と個人的には考える)。だけれど、この演奏ではホリガー少年が普段オーケストラなどでは使われることのないオーボエという楽器の持つ多様な可能性を、老ホリガーが全力で音にしていた、と感じたのです。その演奏の迫力もさりながら、作曲した頃と今との、その数十年の懸隔は果たして本人にはどのように思われるものなのか、とかいろいろと余計なことを聴きながら考えちゃったんです。それをおおざっぱに「人に歴史あり」とかいうと安っぽくなり過ぎでなんとも、ですけどね(笑)。

遅くなりましたがこのコンサートから受けた感慨はこんな感じ、かな。集大成の時期に来ていらっしゃるのだなあ、との思いが強く残りすぎて、どうにも言葉にしがたい事が多いのですけれど。
なお、ご案内が遅くなったばかりに当日のことなのですが、ハインツ・ホリガー氏本日12日には横浜市青葉台のフィリアホールにて若干プログラムの違う室内楽公演が、また来週末には手練の集う水戸室内管弦楽団の定期演奏会への出演がございます(指揮&オーボエ)。彼の名に思うところのある方はぜひ、この機会を逃されませぬよう。

ということで長くなりましたが、先日聴いたコンサートの感想は以上です。ではまた。



レーベルがワーナーだから、これはあれかな、あの配信で聴けるんじゃないかな…とか考える今日この頃、でありました。

2012年10月8日月曜日

ハインツと言ったら(フレンツェンでもケチャップでもない)

こんにちは。千葉です。

先日「次の予定はない」と書きましたが、今日こちらの演奏会に伺うことになりました。



◆オール・アバウト・ハインツ・ホリガー 第2夜:室内楽


オーボエ&オーボエ・ダモーレ、作曲:ハインツ・ホリガー
チェロ:アニタ・ルージンガー
ピアノ:アントン・ケルニャック

曲目:

シューマン:オーボエ・ダモーレ、チェロとハープのための六つの作品 作品56
ホリガー:
  チェロとピアノのためのロマンセンドレス
  ソロ・オーボエのためのソナタ ※
サン=サーンス:オーボエ・ソナタ 作品166 ※
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第一番 イ短調 作品105(チェロ独奏による演奏)
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 変ロ長調 作品11(オーボエ、チェロ、ピアノ)



オーボエという楽器には思うところがあります。あ、ぜんぜん高尚なお話じゃなくって、素朴に昔はあこがれの楽器だったなあ、というくらいの昔話です。でもそれを書いている時間が今はないので(笑)、感想をまとめるときにでも。

すみだトリフォニーホールでのオーケストラ公演含め、各地の演奏会の好評が伝わってきておりますので大いに期待して、20世紀を代表し今なお健在なオーボイストの演奏を、その作品を聴いて参ります。15:00開演、当日券は各席種ありとのこと。興味ある方はぜひ、時代を画した演奏家の一人の、現在を知る最良の機会かと考えますゆえ、オススメさせていただきます。


ではこういうわけでそういうわけで、僕とトリフォニーホールで握手!(かなり久しぶり)


2012年10月1日月曜日

「本編の前にメイキングをお楽しみください」ってなんなんだよ

こんにちは。千葉です。

今日はニュースを見ているとついちょっと余計なことを言いたくなったり、昨日あったらしいとある「検定」について大いに引っかかったり、と日々不平の多い私ですが(笑)、こっちは怒っているのでおふざけ少なめで前説も早々に思うところを書きます。


あのう、昨晩、こちらの番組を見始めて数十分後に見るのをやめてしまいまして。


◆サイトウ・キネン・フェルティバル松本2012 放送決定!

小澤征爾とサイトウ・キネン・フェルティバル松本2012 BSプレミアム 2012年10月1日 午前0:30~4:25(30日深夜)

オネゲルが好きだけれどこのフェスティヴァルに伺う余裕があるわけじゃなし、映像収録があるといいなあ、と以前に書いたくらいですから、えぇえぇ、喜んで待ちましたよ、深夜の放送を。収録&放送ありがとう、そう思っていました。

で、これは事前に確認しなかった千葉もいけないのだけれど。この番組枠「プレミアムシアター」の冒頭約四十分は、今年のフェスティヴァルのドキュメンタリというかなんというか、平たく言ってしまえばメイキングでフェスティバルの観光案内で、舞台の解説番組でした。
こんな編成ありえない、上演された舞台を見るためにこんな深夜に起きて待っていたのに(いつも起きてる時間だけど)。怒り心頭に達して、ドキュメンタリの途中で視聴をやめてふて寝しましたよ私は。

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えっと、なんで怒っているか伝わりにくいかと思いますので、もうちょっと説明を。深夜零時すぎにオネゲルの作品を心待ちにしている奴がそう多かろうわけもないし、この時間帯であれば録画で見る人のほうが多いのだろうな、というのはわかります。それなら気にしなくてもいいことに、千葉は引っかかっています。
あのですね、ドキュメンタリを流したいのだとしても、それは「プレミアムシアター」を名乗る枠で、舞台そのものに先行させて見せるべきものなのかい?ということがまず何よりも気になるのです。例えて言えばこういうことですよ、映画の本編見る前に、映像特典のインタヴューとかメイキングを熱心に見るマヌケがどこにいるのか、と。上演の経緯から演出意図から演技苦労話とか全部話しちゃうプレトークとか、誰がやりますか?

そもそもパフォーマンスの鑑賞はライヴでの対峙だろうに(たとえそれがテレビ放送や録画、CDやDVD/ブルーレイなどの複製物であろうとも、と言わせていただきたい)、そんな答え合わせみたいな視聴を誘導してどうするのかと。少なくとも私は、そんな形で先入観を与えてもらって舞台を見たいとは思いません。


他にも問題に感じられることはありまして。

・番組が意外に長いこと
深夜の時間帯でこれはない、舞台を先に放送してくれるならオネゲルの作品は演奏時間にしてCD一枚分、約80分ですから、深夜二時前には「本編」が終わるはずだったのに。ドキュメンタリに40分少々という時間の使い方、別枠でたとえば21時台のNHKスペシャルならありかもしれない。でもこの時間にこれは、あまりにもリアルタイムで見られることを考えていない。前述の姿勢的な問題もあるけれど。
果たして放送をその時間に見てほしいのか、それとも録画してあとで見てほしいのか。どっちなんですかね。こんな編成やあんな番組を作っておいて、「放送を見ている人が少ないから」を理由にあとでクラシック枠を縮小されるのは厭ですよ、受信料を負担するいち視聴者として言わせていただきますけど。

・総花的で散漫な内容であること
残念ながら舞台に立てないマエストロの話をしたいのか、そのことで転換を余儀なくされそうなフェスティヴァルの話をしたいのか、抜擢された若き代役の話をしたいのか、オネゲルの舞台について話したいのか、小澤とカラヤン家の話をしたいのか等など。お題は多い、そうなってしまうとこの長すぎるように思われた放送時間はあまりに短い。すべての話題が表面だけを撫でては通りすぎていく。
いろいろな課題をすべて取り上げました、これで十分にフェスティバルの現在が紹介できました!と思うのは既に事情に詳しい人や関係者、番組の制作サイドだけで視聴者は「いろいろと大変なのねえ」で終わりですよ、これでは。

・メイキングいらない派はどうすればいいの?
そもそも千葉は、いわゆるメイキングのたぐいはファンサーヴィスの範疇だと思っているので、事前に余程の興味を持てたもの、視聴等の経験をすることで好きになったもの以外では不要です。最近映画をDVDでいろいろと見ているけれど、わざわざ映像特典まで見ることは殆どないです。映像の作り方を知ろうという動機が薄いんです、だから見てもせいぜいが予告篇くらい。それにしたってDVDなら選ばなきゃいいんですけど、放送はスキップできないのよ!(大泣)

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番組をご覧になっていない方には「この人文句多いなあ」と思われて終わりになるのはわかっているのですが、どうしても流せないことに思えたので書き残しておきます。あ、これをもう少し書きなおして放送局にご意見で送ればいいのかな…

前にも書いたことですが、現在オネゲルの傑作オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」の映像はなかなか入手できません。そこにこの放送を知って好機到来、旱天の慈雨!と期待した私の貧乏性がいけてなかったのかな、とも思います。しかしながらはじめに指摘した「メイキングが先、本編があと」問題はけっこう本質的なところまで届きかねないもののように思えますが如何。

以上長々と書きました、ボケもオチもございませぬ。ではまた。




えっと、若き小澤征爾の録音が復活するらしくって…よ!(少し頑張ってみた)新盤すら入手困難なご時世だからこそ、と思うのだけれど…(しつこい)
今入手しやすい音盤は、セルジュ・ボード&チェコ・フィル他による一枚かと。対訳もきっちりついてますので初心者でも安心です!(…)