2016年2月27日土曜日

予習・復習のお供にどうぞ~新国立劇場「イェヌーファ」のための

こんにちは。千葉です。

さてもう明日には開幕する新国立劇場の「イェヌーファ」。「どのように良い上演が期待できるか」という話は、記事でもブログでももう書きましたし、ここ数日はTwitterあたりでもちゃんとした書き手の皆さんの文章が多く見かけられますので(ダメ人間宣言してどうするか)、後は一人でも多くの方がヤナーチェクの音に触れて、できたら実演で体験してほしいな、という気持ちでおります。
録音ではわからないからね、とまでは言いませんけれど(SACDの音を最初に聴いた時とか、世界が変わるなって思ったものです。でもその後千葉はオーディオ方面から完全に撤退しちゃったし。そして今では消えちゃいそうですし、SACD…)、実演でこちらも集中して作品に向き合っているときに受け取る情報量は相当のものですから、録音と実演を単純に比べることにあまり意味はないと思っています。

音楽的には千葉が太鼓判を押します、今回の「イェヌーファ」。騙されないのでぜひ。千葉の耳を信じろ、とは言いませんが、出演者各位を信じていただいていいと思います。

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さてそんなわけで、直前に千葉ができることはもうしてしまったので、あとは「ヤナーチェクとか聴いたことないし~」という方に、YouTubeで聴くことができる、権利的に問題のない(笑)動画を紹介しておきましょう。

ではまずはじめに、採用されなかった「彼女の養女」の序曲、「Jealousy」を。

…動画を埋め込もうと思ったら、設定上できない模様なのでリンク先でご覧ください。「the Hradec Králové Philharmonic and conductor Paul Mauffray. Nov. 26, 2014」とのことです。

え~、今回の舞台は、冒頭シロホンが刻み始めるまでの、音が出ていない時点ですでに高いテンションのドラマが始まっていますので、皆さまご来場される際には余裕を持ってお運びくださいませ。使われなかった序曲も別に悪い曲ではないですが、この序曲があってからおもむろにイェヌーファのモノローグが始まるかたちだったら、あの緊張感はないだろうなあ…

なお、「イェヌーファ」はプラハ初演でもプライソヴァーの原作戯曲どおりの名前で上演されているので(チェコ語圏では現在も「彼女の養女」が作品タイトル)、ドイツ語に訳されてウィーンで上演されて、はじめてこの作品は「イェヌーファ」になるわけです(1918年)。だからこの作品について”「イェヌーファ」の採用されなかった序曲”という言い方はちょっとルーズだね。豆知識だYO!(偉そう)

さて続いては千葉がその昔吹奏楽で三楽章を演奏したこともある、狂詩曲「タラス・ブーリバ」です。
指揮はジャン・レイサム・ケーニック、演奏はベルギーのフランデレン交響楽団(でいいのかな)です。2013年12月のライヴ、全曲です。




作曲時期が1915-1918年と、いうことはこれ、実はWWIを背景にした作品だったんですね。確認すれば献呈先はなんと「国民を防衛するわれらが軍に」だという。いやあ、演奏した当時はそんなこと考えもしなかったぜ!(笑)そしてこの時期はちょうど、「彼女の養女」がプラハへ、そしてウィーンへと進出する時期に当たります。
「イェヌーファ」についてそれなりの見当がついてきた今になればわかることなのですが、語り口が非常に近いんですね、「タラス・ブーリバ」と「イェヌーファ」。たとえば二楽章でドラマが一段落したところでヴァイオリンソロが雄弁に語る感じとか瓜二つといってもいいかと。

「タラス・ブーリバ」にあって「イェヌーファ」にないものは、ヤナーチェク自身の楽器であるオルガンです。ここから、この親しい二作の性格の違いを考えることもできそうに思いますが如何かしらん。今なら、あえてそのキャラクターに丸乗っかりで暑苦しい演奏を心がけたことでしょう、できるかどうかはさておいて(笑)。

続いては、ヤナーチェクが民謡収集した成果の集大成のような作品、ラシュスコ舞曲(1924)を。アレクサンダル・マルコヴィッチの指揮、チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏です。2013年7月の演奏。




ひとかどの世界的作曲家になった後だからこれだけ素直な音楽になったのでしょうか、この曲の存在を知らない人ならドヴォルザークの曲だと言って騙せそうです(騙してもいいことは何もありませんが)。

今回の上演では、特に演出においてあまり民族色は薄められているのだけれど、作中の音楽が民族的になる場面は第一幕、第三幕の二箇所にありますので、これを聴いておけば「その源流がこれか」と思っていただけるかと思われます。
ただ、ヤナーチェクの民謡に対するアプローチは「採集したものをそのまま使う」ではなく、後年のバルトークと同じく「採集した民謡から抽出した要素を使用して、自分の音楽を作る」なのでこの音楽ののどかさと「イェヌーファ」での民族的なサウンドとは比べようもなかったりするわけですが。加えて、たとえば第一幕で徴兵を回避できたシュテヴァご機嫌の場面は劇中では不安を抱える二人のヒロインにとっては耳障りなものにならなければいけないので、この穏やかで美しい音楽とは違う、狂騒的な攻撃性がありますよね。「ドラマの中で何を表現するか」がある音楽と独立した音楽のそれ、とでも言いましょうか、ここには明確な違いがあります。三幕の婚礼を祝う女声合唱も、ちょっとストラヴィンスキーの「結婚」を思わせる、なんとも言えないよそよそしさがたまりませんし(好きなんです、どっちも)。

続いては室内楽から、ヴァイオリン・ソナタを。これも作曲年代的には「彼女の養女」が「イェヌーファ」になっていく時期のもの、そしてオーケストラ曲中で印象的な役割をはたすことが多いヴァイオリンの音をどうぞ。演奏はヴァレチコヴァさんでいいのかな、チェコのピシェクにある教会でのライヴだそうです。ヤナーチェクと言ったら教会育ちでもあるので、音像のイメージはこんなだった、かもですし。



「タラス・ブーリバ」同様、「イェヌーファ」と同時期の作品ということでぜひ。冒頭がちょっと切れているのが惜しいですね。

ここまでちゃんと聴いてくるとすでに一時間以上が経過しているはず、千葉程度がグダグダとご紹介するのもおこがましいというかなんというか、ちょっと申し訳ないです(笑)。最後にあと一曲だけこちらをどうぞ。最晩年の大作、グラゴル・ミサを、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任するヤープ・ヴァン・ズヴェーデンの指揮で。イントラーダで始まってイントラーダで終わる、いわゆる原典版ですね。オランダNPO Radio4様には頭が上がりません。いやほんとに。



この作品のワイルドな神秘主義、その昔はじめて聴いた時から理解できないままに大好きです。好きな曲についてどうのこうのと、あまり説明はしたくないので(わがまま)、できたら他の曲は飛ばしてもいいから、これだけ全部聴いてくださいお願いします(笑)。

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最後にアンコールを一曲、弦楽四重奏曲第二番の終楽章を。アタッカ・クァルテットが2010年2月にニューヨークのトリニティ教会で演奏したもの。



「イェヌーファ」では、小さくないオーケストラを最小編成の室内楽に編み直して使う場面が何度となくあります。そしてそのたび、聴く方はよりドラマの進展を意識させられるわけです。劇の進行を促す大編成オケ、そして登場人物の心理を描写する小編成室内楽、それらの往還であのドラマはできているのだなあ、というのが「イェヌーファ」ほかを聴きこんだ今月の結論です。

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あ、でも初日の幕が開いたらまた感想変わるかもしれません、それは保留しておきますね(笑)。では今日はこんなところで。明日からの「イェヌーファ」、良い子のみんなは新国立劇場で僕と握手!(すっごく久しぶりのネタ)




もちろんこれも見ておいてね!(初日を前にちょっとテンション高いです)

2016年2月26日金曜日

書きました:開幕直前・30分でわかる!新国立劇場 ヤナーチェク「イェヌーファ」

こんにちは。千葉です。

もう終わろうとする今月の、そのヤナーチェク月間たる所以のところである(くどい)、新国立劇場の「イェヌーファ」が間もなく開幕です。28日からです。

そんなわけで、その直前特集を書きましたよ。文章はもちろん千葉のオリジナルですが、影響を大きく受けたミラン・クンデラのヤナーチェク観は抜きがたいし、そして日本ヤナーチェク友の会様が出版されている対訳本は大いに参照していることをお断りさせていただきます。


今回、千葉は稽古始めから何度か取材させていただいているため、どこまで書いたものか若干迷いがありまして。考えに考えて、今回の落とし所は「掟の門前」までとなりました、マックス・ブロートつながりでカフカにつなげてみました、とは言いませんが。これだけのプロダクションとなると、幕が開く前にすべてのネタを割るのはあまりにも惜しいと思いまして。そんなわけで、演出については初日が開いてから詳しく書かせていただきます。現時点では「グラミー賞で小澤征爾のライヴァルだった舞台は伊達じゃないんです」とのみ、申し上げておきましょう。

証拠ということもないんですが、グラミー賞の公式サイトより。
映像と音声と、同じ土俵なんですねこの賞は。

ことヤナーチェクについてはクンデラに影響されまくった千葉としては、ヤナーチェクをちゃんと彼が生きたその時代に置いて、その上で彼の「遅れてきた出世作」を受容してほしいなと心から願っております。千葉の文章がいささかなりともその手助けになれば幸いです。

なお、今回「イェヌーファ」について書かせてもらっていることの数々は、私的に行っている「100年も前の作品を”現代”音楽っていうのやめようよ」キャンペーンの一環でもあります。これはたぶん「春の祭典」の話などでも書いたと思いますがテーゼはシンプル、「せめて、WWI前の作品についてはやめましょうよ現代っていうの」というものであります。ほんとうはWWII前にしたいところだけれど、それだとけっこう自分にも厳しくなるので基準を緩くしています(笑)。

「これがいいものだということだけはわかっている、それなのに100年も咀嚼できていない」残念さを口惜しがるだけの矜持は持ちましょうぜ、くらいの軽い気持ちで皆さまもぜひご参加ください。しかしながら、もちろんこの煽りはこのように申し上げる自分にもそのまま跳ね返るものであります、ご注意くださいませ。がんばろっと。

さて、「月間」とまで言いながらブログの更新がお留守な千葉に対しては「おい自分」と後ろからどついてあげたくなりますが、本日はさらに昨日のイヴェントのレポートと、全力のオススメをこちらに書きますよ。今回の「イェヌーファ」、音楽面からも最高にオススメできる上演になりそうですので。

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25日の14時から、新国立劇場オペラパレスでいわゆる公開ゲネプロとして、「イェヌーファ」の舞台稽古見学会が開催されました。千葉も勇んで伺いまして、より一層のオススメをせんと決意するに至った次第なのでありました。


 
新国立劇場入口前の看板は「イェヌーファ」モードになっています。
なお、3月6日からは「サロメ」の再演、指揮はダン・エッティンガー。
東京交響楽団との顔合わせはなにか新鮮ですね。

オーケストラなどが開催する「公開リハーサル」ならば必要に応じて演奏を止めて、本番の公演に向けて仕上げていくさまを見るわけだけれど、この日のこれは「公開ゲネプロ」。なので、演奏や舞台転換の深刻なトラブルでもなければ途中で止めることもなければやり直しもなし。実際、この日やり直した感があったのは最後のカーテンコールだけ、でしょうか(笑)。
にしても、この前伺った「魔笛」の初日も拍手が微妙だったし(ザラストロは研鑽をやめない存在であることを示すためか、最後の歓喜から離れて読書して終わる舞台なので、ちゃんと音楽は終わったのに拍手が止まってしまった)、最近こういうケースによく当たるのはなんなんだろう…


この日のスケジュールはこちら。昼公演の場合このスケジュールで進行すると思われますので、
「全三幕を休憩二回はさんで上演、17時前後に終演」と見ていただけばよいかと。3時間程度です。


それはさておき、ですよ。前述のとおり、舞台についてはリリース済みのDVDを観てもらうこともできますが、今回の日本での上演について千葉が全力でオススメしたいのはトマーシュ・ハヌスの指揮、そして東京交響楽団の演奏ですよ。今月、書く時間こそ作れなかったもののヤナーチェクを大量に聴いてきた千葉ですが、これほどまでに目から鱗が落ちるとは。この日感じたインパクトをあえて高調子に、過去の自分に向けて礫を投げつけるように申しますと、「ヤナーチェクのオペラを知らないで、彼の音楽がどうこう言ってても不毛」となります。それくらいの衝撃なんです。
過去の経験を振り返ってみれば、これは”ジョン・アダムズの「ニクソン・イン・チャイナ」をMETライブビューイングで見た時の感覚”に近いかな、と個人的には思います。あれはオペラを一見したことで、それまでよくわかっていなかったミニマル音楽の表現手法がわかったように感じましたし、その後多くの映画でサウンドトラックを手掛けるハンス・ジマー的なものの源流がここだったことも理解できましたし。それに負けないくらい、今回はエウレカ感があります。

本題に戻りましょう。ドラマの中で発揮されるヤナーチェク音楽のパワーはもう、ただ音を聴いているだけではわかりにくい部分だな、と感じました。オーケストラやピアノ曲、室内楽では作曲上の特徴と感じられていた繰返しの多さも、ドラマの中では明確な表現として伝わってくるんですよこれ。クンデラがヤナーチェクを評して、一般的な「表現主義」とは違う、”表現に必要な音だけで音楽が構成されている”表現主義なんだ、としていたことも理解ですよ。全三幕、まったくムダがない。だから聴く方も体力いります(笑)。

もっとも、そのように作曲されているから効果が十分に上がってくれる、というならこれまでにも上演されている「イェヌーファ」はもっと人気があってもおかしくないはず。レコーディングだって少なくないわけですし。では何が違うのか。

まず考えられるべき今回の上演のキャストでしょう。シュテヴァ役のジャンルカ・ザンピエーリを除けばベルリンでのキャストが来ているわけなのですから、ある意味聴く前からお墨付きです。このことはもちろん、作品の持つ力をより強く伝えてくれています。それに「ザンピエーリが初役をきっちり作ってきた」というのは取材の中で伺いました(とはいえ、シュテヴァ役って、上手く歌っても演じても扱いが微妙になりそうですけどね…個人的にはこの役に、「外に逃げられないピンカートン」を感じています)。なお個人的にはですね、ブリヤ家のおばあさん役の歌うハンナ・シュヴァルツ、存在感がさすがすぎて頭が下がりました。ヴェテラン凄いです。
(なお、メインの役どころの話は幕が開いた後で書きます。「いいです!」くらいなら今の時点でも言えますが(それこそ聴く前からわかっていましたからね)、せっかくの名歌手たちをゲネプロで判断してしまうのも惜しいですから)

しかしながら、千葉がこれだけ認識を改めるに至ったのはキャストのこなれ具合以上に、なによりピットから聴こえるオーケストラの音によるものです。こんなに多彩で、ドラマの中で機能する音楽なのかと随所で思わされっぱなしですよ。凄いです。
東京交響楽団は、かつて舞台上演・コンサート形式とりまぜていくつかのヤナーチェクのオペラを演奏してきた、もしかすると世界的にも数少ないだろう「ヤナーチェク・オーケストラ」なんですよね(詳しくはリンク先参照のこと。スダーン、そしてノットとの仕事で印象が変わりつつありますけれど、東京交響楽団は数多くの日本初演をその昔から務めてきた進取のオーケストラであることを再認識できます)。充実した音楽がピットから常に聴こえてくることの快楽たるや。
細かく書いていくとすっごく長くなるので(記憶のままに書いたら読むのに一時間はかかっちゃう←書く方は何時間かかるかわからない)、一箇所だけ印象に残った部分を挙げるならば第三幕の大詰め、コステルニチカの告白のあと、イェヌーファが養母の罪を受けいれて赦す場面ですね。「神々の黄昏」でブリュンヒルデが登場する場面にも似た威厳ある雰囲気の中、聴こえてくるオーケストラの音がヤナーチェク自身が演奏した楽器であるところのオルガンの音だったのは、もう圧巻でした。随所に見られる室内楽的な部分も見事で、それはもう感心いたしました。

でもでも、千葉が信頼する東京交響楽団が如何にヤナーチェクに慣れていると言ってもそれだけでここまでの達成に至るはずもなく。上記記事中にも書きましたが、この作品を知りつくしているからこそ効率よくしかも濃厚なリハーサルを行えた指揮者、トマーシュ・ハヌスはきっと、今回の上演を聴かれた方は忘れない名前になることでしょう。彼がオケからこの音を引き出したことは、今回の上演を成功に導く大きい要素となることでしょう。
ちょっとだけ舞台が眩しかったのと(この舞台はほとんどが”白い部屋”で展開されます)、あまりにも音楽が良かったのでこの日はピットに目をやる時間も多かったのですが、オケのドライヴも、歌手へのキュー出しも実に巧みで。作品が彼の手の内にあることはオーケストラ・リハーサルでしたたかに理解していましたが、ここまで見事に舞台をリードされるといまさらながらに「オペラ指揮者」という仕事への尊敬がいや増します。素晴らしい。伊達にバイエルンに呼ばれてない。

もう千葉は覚えましたよ、トマーシュ・ハヌス。ぜひ今後も東響の指揮台に来て、ヤナーチェクとかマルティヌーとかガンガン振っていただきたい。ドヴォルザークでもスメタナでもいいけど。もっと他のレパートリィでももちろんいいですけど。
ちなみに彼のFacebookページはこちらになります、興味のある方はご覧あれ。

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なお、この作品が成立からプラハ初演に至るまでに紆余曲折あって、楽譜が複数の種類存在することはこの作品に少し詳しい方ならご存知でしょう。ブルノで何度か上演される中でも改訂は行われていて、初演から1911年までは上演のたびにヤナーチェクが自ら手を入れています。コヴァジョヴィツに対するミラン・クンデラの呪いの言葉の数々は、前に紹介した「裏切られた遺言」をお読みいただければそれはもう。
ただ、先日上映された「白いたてがみのライオン」では、「プラハ初演の成功にすっかり気を良くしてコヴァジョヴィツを褒めたりするヤナーチェク」像が描かれていましたので、意外と本人は気にしてなかった、のかもしれません(もっとも、ヤナーチェク没後にコヴァジョヴィツ側から「編曲の分著作権ありますよね」的な申し出があったらしく、遺族はたいへんお冠だった、とは何かの本で読みました)。

今回の上演では、1908年版をベースに1911年の演奏譜を参照して「ヤナーチェク自身が手を入れた最終稿」として出版されているウニヴェルザール・エディションを使用しています。オーケストラとのリハーサルを見学した際にお借りしたヴォーカルスコアの中表紙がその証拠だ!(なくてもいいよねその証拠)


ちなみに英語訳にENOでおなじみのエドワード・ダウンズが関わってるのは納得ですね。ふむ。
そしてサー・チャールズ・マッケラスとジョン・ティレルの名が並ぶ表紙を見ていると、マッケラスによるヤナーチェクのオペラBOXがほしくなりますね……(Amazonだと見つからないけど店頭ではまだ見かけるので、塔とかお犬様とか見ればあるかもです。前に見かけた時のお値段はたしか、8,000円程度だったかな…←その金額が出せない奴)

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以上とりとめなく長く書きましたが、結論は一つ、最高の「イェヌーファ」を体験したかったら28日から新国立劇場に行かれるとよろしい、です。「イェヌーファ」プラハ初演から100年目のことしに見られ聴かれるべき良い舞台ですから。

とはいえ、これだけの舞台でも、もしかすると「抽象的な舞台では、戯曲の作者がスロヴァーツコ地方を舞台にした意味が薄れるのでは」なんて思われちゃうかもしれませんが、作品の持つドラマは存分に表現された、良い演出だと思いますよ。登場人物たちの立ち位置(文字通りの意味です)、特に壁や出入り口との距離あたりを注意してみると面白いのではないかと。

…公開ゲネプロからの帰り道、聴いたばかりの音を忘れたくなくて反芻しているうち、リハーサル中にハヌスが先ほど挙げたイェヌーファの赦しの場面について「ここは指揮をしていても泣いてしまいそうになるんだ。それまでとは完全に違う雰囲気で演奏しよう」とオケに語りかけていたことを思い出しました。しみじみ。
無事本公演が成功しますよう、心の底よりお祈りさせていただき、この長い文章はおしまいです。ではまた。


2016年2月14日日曜日

二回しかない!(萩尾望都先生的な←遠いよ

こんにちは。千葉です。

えーっと、いろいろ仕込中でバタバタしています。なので今日も前説なし。中東、特に海沿いのあたりについてはいまも心配していますけど、それについて一言書くための調べものすらしがたい状況、千葉にしては珍しいのですがご容赦のほど。

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ということで本題。公共放送は明らかに報道とバラエティ、そしてそれ以外で分離しつつあるように思えますが(そしてドキュメンタリはなぜか「それ以外」)、いいものはいいし、籾井はよくない。籾井の話をしても仕方がないのでここではいつものように看板番組の一つ、プレミアムシアター2月の予定をご紹介しますよ(こういう筆の滑りには時間がかからないもので、どうもすみませんね)。

●2月15日(月)【2月14日(日)深夜】午前0時~4時5分

・歌劇『金閣寺』 三島由紀夫 原作 × 黛 敏郎 作曲【5.1サラウンド】
・ハイデルベルクの春 2015 アリス・紗良・オット&フランチェスコ・トリスターノ ピアノ・デュオ

まず前半は昨年の12月5日に神奈川県民ホールで上演された黛敏郎の歌劇、「金閣寺」です。片山杜秀さんのレクチャーを紹介したこともあっていろいろ調べた作品の放送があることの喜ばしさたるや。ありがたいありがたい。初日の公演なので、唯一ダブルキャストだった主人公の溝口は小森輝彦が歌っております。ほかのキャストなど、詳しくはリンク先で確認してくださいませ。

で、後半は「ハイデルベルクの春 2015」としてアリス・紗良・オットとフランチェスコ・トリスターノのピアノ・デュオ。ドビュッシー、ラヴェルにストラヴィンスキーと20世紀ものが中心の、昨年4月のプログラムです。ありがたいありがたい。

…そしてその翌週、2月22日(月)【2月21日(日)深夜】は「プレミアムセレクション」放送のため「プレミアムシアター」はお休みします。だそうです。ちなみにこれだそうです。です。


●2月29日(月)【2月28日(日)深夜】午前0時~

・ロッシーニ・オペラ・フェスティバル2015 歌劇『新聞』【5.1サラウンド】
・ドキュメンタリー「ペーザロの白鳥 ~ロッシーニ 再発見~」

ロッシーニといえば歌劇場の定番プログラムと思われてしまうところだけれど、実際には20世紀の半ば前後から復興して現在に至っているんですね。ずっと演奏され続けた「セビリアの理髪師」を除けば、マリア・カラスのレコーディングの中には「イタリアのトルコ女」しか全曲録音がないことを思い出してみてもいいでしょう(海賊版にはあるみたいですけど)。

…といいつつ、そのあたりを千葉が偉そうにリライトするより、リンク先の日本ロッシーニ協会さまのサイト、水谷彰良氏の論考を読んでいただくのがよろしいかと。勉強になります。

この日放送される歌劇「新聞」も復活蘇演されたのは2013年、まだまだ未踏の領域があるんですよロッシーニ。いえ、こう書いてる千葉も別に詳しい訳じゃないんですけど。とりあえず、ロッシーニやドニゼッティ、あとベッリーニあたりはけっこう「再発見」されたたぐいの音楽である、ということだけ申し上げときますね。ロマン派ってのは罪深いもんですぜったく(けっきょく偉そう)。

さて、そんな蘇演された「新聞」はこんな舞台らしいです。正直な話、見てみないとわかんないですね(そしておそらく、一回見れば感じはつかめるはず)。2015年8月、ロッシーニ・オペラ・フェスティバル2015の上演です。


そして後半はドキュメンタリー、「ペーザロの白鳥 ~ロッシーニ 再発見~」(2010年 ドイツ)。千葉がくだくだ書くこともなかろうよ、と思ったのはきっとこの番組が雄弁に説得的に教えてくれるだろう、と思うからでもございます。けっして手抜きではなく。他の仕事に追われてるからだなんてそんなまさか(言えば言うほど)。
…冗談はさておいて、豪華出演者を見れば千葉のこの降り方もおわかりいただけましょう。ダニエラ・バルチェッローナ、ジョイス・ディドナート、フアン・ディエゴ・フローレスと歌手からのコメントに音楽学者、ピアニスト、そして日本でもよくロッシーニを演奏してくれているアルベルト・ゼッダが出るとのことですから。おまかせさせていただきますよ、ここは。けっして手抜きではなく(もういい)。

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以上、簡単ですが情報のみ。ではまた、今度は記事の紹介になるでしょう。ごきげんよう。

2016年2月2日火曜日

ヤナーチェク月間、始まるよ~

こんにちは。千葉です。

たまには前ふり書こうかな。といっても、最近はまともにニュースとか見ていないもので、ツッコミようがないってのが正直なところでもあるんですよ。一昨年のままで放置してる向こうのブログが昨年は一年有効でしたから、そのうち何か書いておきましょうかね、せめて半年くらいは保ちそうな奴(笑)。

冗談はさておいて。ご存知のとおり(ということにしてください)、最近は「SPICE」に寄稿してます。そこで書いてるものと、ここで書くものが同じでは書いているこちらも面白くないし、読んでいただく方に二度も似たようなものを読ませるのはさすがに気が引ける。そう思うと余計に書きにくいので、アイディアがないとこっちも書きにくい(ちなみにTwitterは見ていますが、あまり書く気が起きません。そっちの理由は時事ネタの問題と似てるんですけどね)。でも文字通りの諸般の事情で向こうに書けるはずのお題が千葉的には手付かずになることがあります。そういうものをここに書き残しておくことは、きっと意味があったり、ほんの少しは誰かの役に立てるかもしれない。

このくらい言い訳すると、なんとかここも再起動できそうな気がします(笑)。手のつけられる範囲で、がんばります(島村さん風←サイボーグではなく)。

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さて、記事のタイトルに書きましたとおり、この2月はヤナーチェク月間です。向こうにもいろいろ書きます。っていうか、今日のうちに書き上げるはずの記事もあったのですが、ひとつ急ぎの速報が入ってしまって、今もメモを前に苦難呻吟していますよ。テレビでは「おそ松さん」やってますけど。どうしてでしょう、着手はもっと早い時間だったのに……

と、ボケるのも言い訳にも飽きました(それを言うな)、本題です。



何故2月がヤナーチェク月間であるか、といえば新国立劇場がこのプロダクションを上演するからです。そしてヤナーチェクの「イェヌーファ」、2月28日(日)が初日です。なので、この一ヶ月間は「イェヌーファ」を味わいつくすためにあれやこれやと学習するし、そのための情報提供をしますよ。一月もあればSPICEの方も含めていろいろな話ができるはず、今日はこれ以上の前ふりはいたしません(もう「おそ松さん」も終わったし←おい)。

実は今日の本題は至ってシンプル。
今日2月2日にヤナーチェクの生涯を描いた映画を、新国立劇場の中劇場で、昼夜の二回上映しますよ、というご案内です。時間は14:00、19:00の二回、入場は無料。詳しくはリンク先にてご確認あれ。
上映されるのは1986年の映画「白いたてがみのライオン~大作曲家ヤナーチェクの激しい生涯~」、監督はヤロミル・イレシュ。イレシュはなんとミラン・クンデラの最初の長編「冗談」を映画化してもいるのだとか(ほう、と思って調べれば何かは出てくるインターネットが最近少し怖いです)。映像ソフトも廃盤で、かなり見る手段が限られている作品ですからこの機会は逃せません。しかも入場無料ですし。ありがたい有難い。



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ヤナーチェクの音楽は、おそらくは少なくない人が耳にしているはず。千葉は読んでいないけど小説きっかけでジョージ・セルが指揮した「シンフォニエッタ」が流行ったこともありましたし。でも彼は、クンデラの言う「小国民」(ここでは説明しませんが、”僕ら少国民”的なものではありませんよもちろん)であるが故に、その音楽が評価されているほどに知られているとは言い難い、少なくとも日本では。新国立劇場が直前に上演した「魔笛」の作曲家と比べるまでもない、同時代の作曲家と比べてみたっていい。
かく言う千葉も、ヤナーチェクの生没年(1854-1928←いま確認した)などは確認しないと正確には出てきませんし、作曲時期なども同様。そんな自分の認識を映像と音、そしてもちろん演技で少しは明瞭なものにするいい機会になるはず、そう期待して伺いますよ。千葉は昼の部に伺う予定なので、初台駅で僕と握手!(しません)

そういえば、母語が世界的にメジャーな言語ではない、というのもクンデラが検討する「小国民」性のひとつの条件だったはず。日本語もチェコ語もそうでしょうね。そんなユニークな言語を最高に活かす形で音楽を作った(または作ってしまった)ヤナーチェクの傑作に近づく前に、少しでもチェコ語の作品に触れておく、というのは悪くない。そんな軽い気持ちで見に行ってみては如何でしょう。

本日はとりあえずここまで。ではごきげんよう。