2020年3月25日水曜日

夏の主役は君だ! ~フェスタサマーミューザKAWASAKI 2020 ラインナップ発表

※変更後のプログラム発表を受けて、この記事の改稿ではなく追加で文章を書くことにします。しばらくは古い情報をそのまま載せていることになりますので、チケット入手のための情報などはミューザ川崎シンフォニーホールのホームページをご覧ください。

2020年3月25日(水)、ついに「フェスタサマーミューザKAWASAKI 2020」(以下サマーミューザ)のラインナップが発表された。今年は現今の状況に鑑み恒例の記者発表は行われなかったけれど、そのラインナップはこれから夏まで音楽ファンの注目を集め続けていくことだろう。サマーミューザがあるから、失われた”2020”にはならない、ラインナップを読み込んで私はそう確信した。

>フェスタサマーミューザKAWASAKI2020 公式サイト

今年は7月23日(木・祝)に開幕し、8月10日(月・祝)まで19日間にわたって数多くのコンサートが連日開催される(7/27、8/3は演奏会なし)。例年通り、首都圏のオーケストラによる特色を活かした公演の数々の饗宴、ホールアドバイザーによる趣向を凝らした企画、そしてゲストの登場と、サマーミューザは今年も”毎日でも通いたい”魅力的なプログラムを用意してきた。昨年初の首都圏外から参加した仙台フィルハーモニー管弦楽団に続いて、今年は群馬交響楽団がサマーミューザに登場する(8/4)ことも注目を集めるだろう。

ではそのプログラムの魅力を読み解こう。
今年のサマーミューザは、一つの軸として生誕250年を迎えたベートーヴェンを据えた。N響、群響、東京フィル、新日本フィルがミューザでの公演で取り上げるのに加え、「出張サマーミューザ@しんゆり」は両日ともが「オール・ベートーヴェン・プログラム」だ。オーケストラ公演に通いつめれば交響曲第五番から第九番、ヴァイオリン協奏曲にピアノ協奏曲(一、四、五の三曲を一公演で!)、そしてめったに演奏されない三重協奏曲までが披露される。さらに小川典子が「ピアノフェスタ」で取り上げる「悲愴」ソナタもあるのだから、存分にベートーヴェンの音楽を楽しめようというものだ。

多彩な独奏者が登場するのも今年のサマーミューザの魅力の一つだ。定番のヴァイオリン、ピアノも名手たちが揃うのだが、ギターにサクソフォン、ハープに「第九」の独唱陣と、公演に彩りを添えるだけには収まらない音楽家たちが連日のように登場してくれる。

個別に気になる公演をあげるなら、”夏祭りだから”とばかりに凝りまくった企画を披露してくれる下野竜也と読響+反田・務川(7/29)、ミューザ初登場となるアンドレア・バッティストーニと東京フィル(8/2)、近年クラシックへの本格的なアプローチが際立つ久石譲と新日本フィル(8/4)、飯守泰次郎と本格的なプログラムを披露する東京シティ・フィル(8/7)、あたりは聴き逃がせないと感じる。

仙台フィルハーモニー管弦楽団に続いて招かれた群馬交響楽団は、映画「ここに泉あり」でも印象的に用いられた「第九」でミューザデビューを飾ってくれることとなった。新本拠地・高崎芸術劇場がお披露目されたばかりの群響が、群馬交響楽団合唱団、独唱陣とともに聴かせてくれる”真夏の第九”、酷暑に負けぬ熱演に期待したいところだ。

また、今年のサマーミューザでも、ジャズ企画は継続される。国府弘子が小川典子とのコラボ(7/24)、ベースの井上陽介らとのコラボ(7/26)で活躍してくれるのは心強い。

アウトリーチ公演は今年も充実しており、「こどもフェスタ」として開催されるホールアドバイザーの小川典子による「イッツ・ア・ピアノワールド」(7/24)、かわさきジュニアオーケストラ発表会(8/6)の二公演、そして市内の音楽大学による演奏会(洗足学園の恒例”バレエとのコラボ”公演は7/31、女性が輝く昭和音大のコンサートは8/5)は廉価で楽しめるコンサートとして今年も好評で迎えられるだろう。無料企画の「音と科学の実験室 夏ラボ!」や、「若手演奏家支援事業2020 ミニコンサート」も開催されるので、夏休みの親子には気軽にミューザに足を運んでみてほしい。

そうそう、今年のサマーミューザのタイトルは「みんな大好き夏音(サマーミューザ)」である。少しゆるいこのテーマに、新ヴィジュアルのヌケ感はもしかすると(川の向こうで世界的イヴェント開催中だし)なんて衒いがあったのかな、とも思える。だがプログラムを、出演者を見れば堂々たる本格的音楽祭として、この夏の主役になってしまうのは確実である(市民の贔屓目はあるにしても)。チャラくてもいい、ガチでもいい、存分に音楽を楽しむ夏の到来を待とうではないか。

(バッハさん以外は半笑い…性格悪そう、なんて言いませんよ、ええ)

最後に残しておいたこれも決して忘れてはならない、夏祭りの焦点のひとつである。ご存知ミューザ川崎シンフォニーホールを本拠地に活躍する我らが東京交響楽団だ。東響は今年も開幕公演、出張サマーミューザ、そしてフィナーレと活躍してくれる。
開幕公演は定期公演の同プログラムがすでにチケットが入手困難となっていたノット&東響によるマーラーの第五番(!!!!)である。各位、ご用意はよろしいか。
そしてフィナーレでは、先日の配信でも東響と見事にスウィングしてみせた原田慶太楼が登場する。東響が誇る名手景山梨乃によるグリエールの協奏曲、長身を活かしてダイナミックな指揮姿が魅力の原田による「シェエラザード」ももちろん注目なのだが、今回はその間に置かれるかわさき=ドレイク・ミュージックによる”新作”も見逃してはならない。メインの「シェエラザード」をモティーフとして披露される即興は、その創造のプロセスから興味深いものとなるだろう。※
前述したとおり@しんゆりは秋山指揮、オール・ベートーヴェンによる堂々たるプログラムと、どのコンサートも今の東響の充実を存分に示してくれることだろう。

※残念なことだが、昨今の状況によってフィナーレコンサートにイギリスの「ドレイク・ミュージック」の参加はなくなった。きっと次の機会がある、と思いたいが…

そうそう、これはミューザと東響の仕込んだ小ネタだと思うのだが、パンフレットをくまなく見てほしい。下段のアイコン説明に「祝!ベートーヴェン生誕250年」に並んで「祝!マーラー生誕160年」が用意されているのだが、実は今回のサマーミューザでマーラーを披露するのはノット&東響だけ、なのである(笑)。ラッヘンマンとマーラー、ノット&東響のケミストリーへの期待を込めた、ミューザからのちょっとした遊びを私はとてもうれしく拝見した次第である。

そしてこれはサマーミューザの直後となるのだが、3/28に予定されていた定期演奏会は8/13にミューザ川崎シンフォニーホールで開催される、と昨日発表された。今まさに心待ちにされている”復活”の時として、フェスタサマーミューザが無事開催されることを、私は心から祈っている。

2020年3月20日金曜日

かってに予告編 ~東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ 第113回

他団体に先駆けて行われた東響の、そしてびわ湖ホール「リング」の配信は、人々の音楽を求める声の大きさを、我々聴き手も音楽家の皆さんも強く認識する機会になったと感じる。新型コロナウイルスが世界的パンデミックとみなされるようになった今、世界でも各地で配信を積極的に行うようになったを踏まえれば、今回の危機的状況に対して東京交響楽団(とその本拠地であるミューザ川崎シンフォニーホール)が選択した”音楽によってコミュニケーションを取り続けよう”という姿勢の妥当さが示されたと言えるのではないか。初回に10万、二回目に7万という大勢がミューザでの東響のサウンドに触れてくれたことは、その素晴らしさを降りに触れて表明してきた私にとってもこの厳しい状況下で喜ばしいニュースとなった、と感じる。

その無観客演奏会の配信の大成功によって、日本のクラシック音楽界の注目を一身に集めた東京交響楽団がついに主催演奏会の再開を決めた。このことは賛否があるのだろうが、私は支持する。
生物としての存在を脅かされるCOVID-19も危険なことは疑いようのないことだが、それに由来してなんの補償もない”自粛”を続けることで経済的・社会的生物としての私たちも殺されてしまいかねない。そのバランスを取りながらできることをし、してはいけないことを避ける、今はそれくらいしかできることはない。私はそのように考える次第だ。

こんな当たり前のことを真剣に言揚げする必要がなくなる日が早く来てくれることを心より願っていることも付言しておく。さて、その演奏会開催のための詳しい注意事項もオーケストラからは発信されているので、来場されるすべての方がご一読されることを私からもお願いしたい。と、演奏会を問題なく開催するためのご案内はここまで。

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●東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ 第113回

2020年03月21日(土) 14:00 開演 会場:東京オペラシティコンサートホール

指揮:飯森範親
チェロ:新倉瞳
管弦楽:東京交響楽団

ラヴェル:ラ・ヴァルス
ファジル・サイ:「11月の夜想曲」チェロと管弦楽のために(新倉瞳による委嘱作品)
ラヴェル:
  道化師の朝の歌
  スペイン狂詩曲
  ボレロ

東京交響楽団の正指揮者として、数多くの演奏会に登場してきた飯森範親は、本年度を持ってそのポストを降りる。…だが4月からは特別客演指揮者として今後も共演を続けていくので飯森と東響の関係が大きく変わるわけでもないように思うが、今度の演奏会が一つの区切りとなることは疑いようもないことだ。その演奏会で飯森は、ラヴェルの作品を集めたプログラムを披露する。数々の新作や知られざる傑作の初演(日本初演含む)を手がけてきた飯森と東響のひとつの区切りがこのような選曲になるというのはちょっと不思議な気もするのだが、東響の精緻なアンサンブルはラヴェルにはよく似合うし、飯森の高い読譜力はラヴェルのスコアを最適な響きに編み上げてくれることだろう。

こんな感傷的な気分も高雅に受け流し(おい)さて何を書こうかと考えつつプログラムを見ていて、ラヴェルとサイの組合せによって昼と夜の、明と暗のコントラストが繰り返し示されることに気がついた。綺羅びやかな舞踏会の幻想(ラ・ヴァルス)から「11月の夜(想曲)」(これはやはり”11月の階段”を踏まえた題なのだろうか)へ、そしてまた(道化師の)朝、から夜への前奏曲から舞曲を経て祭りの狂騒へ(スペイン狂詩曲)。こう並べられるとこの文脈で「ボレロ」をどう捉えたものか、そんなことを考え始めてしまうのが私の癖なのだ。
しかしここで結論を引き伸ばすこともないだろう。会場の静寂に刻まれ始めるリズム、そして次第に高揚しその頂点で終わるこの音楽を、この文脈では「真昼」に至る作品と受け取りたい。


 …こう書いてきて、この読みを導いたのはこのバレエの記憶のせい、と思えてきてしまった。飯森と東響の”ラストダンス”、完全燃焼を期待しよう。

いちおう、穏当な話も。ラヴェル作品はすべて舞踏を想定した作品である。もちろん、千鳥足の酔漢の足取りを舞踏と言ってしまうことには異論もあろうと思うけれど、ラヴェルが描き出すこの道化師の足取りから耳目を離せないのも皆様ご存知のことと思う。この観点からは、”ラストダンス”説がより強められるわけだが、より広く東響のプログラミングを見てくれば「2月川崎定期のスペイン・プログラムへのレスポンス」(ヴァラエティに富んだスペインもの!…はっ!「スペインの時」につながるか←それは無理筋)など読みももちろん可能だ。久しぶりのコンサートで私自身が何を受け取れるものか、大いに楽しみにしている。

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さてテレビのCMに出ていたり、ドレスのプロデュースをしてはいても、新倉瞳はガチの音楽家である。今回初演される※ファジル・サイの作品も彼女による委嘱である。眉目秀麗な異性だからと音楽的評価をしにくくなる、というのは悪しきルッキズムなので克服しましょう(←私への注意喚起)。

この新作については、現時点ではSNSにアップされたリハーサル映像でほんの一部が聴けるだけなのだが、サイの作品を知る人ならおなじみの”空気”を感じさせる作品であるように思える。



初演であれば予習のしようもないところなので、ここはひとつ私が大好きなパトリツィア・コパチンスカヤによるヴァイオリン・ソナタでも聴いてその”空気”を感じておいてください(ただのゴリ押し)。



さあ久しぶりの生音、存分に楽しませていただきましょう。ご来場の皆様、くれぐれも万全の準備をされますよう。もちろん私も万全の体制で臨む所存であります。

2020年3月12日木曜日

かってに予告編 ~モーツァルト・マチネ 第40回/無観客ライブ無料配信「東京交響楽団 Live from Muza!」

初回のニコニコ生放送における「無観客演奏会」の試みが大好評裏に終了し、東響&ミューザのファンとして安堵している。…いや、本当に多くの人たちがミューザでの東響のサウンドに触れてくれたのは喜ばしいことなのだが、自分個人としては配信前より一層”あの場で音楽を聴きたい”という思いが強まっている。欲張りなものである。
さて配信を聴かれた皆様、今度は近代の作品で揃えた名曲全集とはまた違う”ミューザの東響”の本領ともいえる演奏会をぜひご覧あれ。ということで例の予告編行ってみよう。

●モーツァルト・マチネ 第40回

2020年3月14日 (土) 11:00開演 会場:ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:原田慶太楼
ピアノ:金子三勇士
管弦楽:東京交響楽団

※フルート四重奏:八木瑛子(首席フルート奏者) 水谷晃(ヴァイオリン/コンサートマスター) 武生直子(首席ヴィオラ奏者) 伊藤文嗣(首席チェロ奏者)

モーツァルト:
  フルート四重奏曲第三番 ハ長調 K. 285b
  交響曲第三五番 ニ長調 K.385 「ハフナー」
  ピアノ協奏曲第一三番 ハ長調 K. 415 (387b)

モーツァルトの時代、演奏会はまだジャンルで分かれきっていなかった。オーケストラの演奏会に歌手によるアリアや器楽の独奏が挟まれることも数多あって、その演奏時間の長さたるや貴族ならざる我々にはあまり考えたくないほどのものだ。もちろん、全部付き合っていたわけではないだろう、とも思うけれど。
そのような演奏会の伝統はベートーヴェンの頃にも続いていて、よく知られた「田園」「運命」(←あえて、ね)が初演された演奏会はその二曲でも十分に長いのに、ピアノ協奏曲第四番(!!)など他の作品が演奏される、半日がかりの長大な演奏会であったことは比較的知られている。今回のモーツァルト・マチネはそんな歴史を想い出させる、創意あるプログラミングだ。
だがいくら川崎市がザルツブルクと姉妹都市で、ミューザの開演を告げる音がかの地の鐘の音で、モーツァルトを得意とする東響がミューザで展開してきたシリーズであっても、朝からそんな重たいプログラムを取り上げるわけではさすがにない。だが今回の演奏会は短くはあるけれど、そんな往時の音楽のあり方を思わせてくれるものとなるだろう。なにせ、まずは室内楽で始まって交響曲を演奏し、最後にピアノの協奏曲で締める、というのだから。

マンハイム滞在期の作品ともされるフルート四重奏曲第三番では、先日の演奏会で「牧神の午後への前奏曲」で活躍しフルートの八木、そして首席奏者たちによる親密なコミュニケーションが楽しめるだろう。
続く交響曲第三五番は、ハフナーさん(当時の貴族)のためのセレナードを改作した作品で、その祝祭的な雰囲気はモーツァルトの交響曲の中でも独特なものだ。私としてはこの作品のフィナーレについてなら「疾走する」モーツァルト像を認めてもいいと思う。偉そうですみません。
そして最後はウィーンで、フリーランスの音楽家として活路を求めていた時期のピアノ協奏曲だ。モーツァルトの名を冠したシリーズの、今季の演奏会最後を飾るのにモーツァルト自身の楽器だったピアノが活躍する作品を選ぶのは実に妥当と言えるだろう。

そんなプログラムを、オーケストラをドライヴすることについては既に定評を得つつある原田の指揮で、内外で活躍する金子のピアノで楽しめるのは幸いなことである。スダーンの時代から数々の名演を聴かせてきた”東響のモーツァルト”に、新たな名演が加わることを期待して、土曜の朝を迎えようではないか。

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と、通常のスタイルで書いてきましたが、先日の配信で初めて聴いた皆さんは、構えず楽しみにニコニコ生放送のページにアクセスしてください、ぜひ。ミューザの音響の素晴らしさは室内楽でも発揮されることは経験上良く知っていますので、一曲目からモーツァルトの魅力をお楽しみいただけることは私が保証…するまでもないですね、先日の配信で八木さんのファンになった皆様には。
もし曲がわからないのがちょっと、と思われるようなら曲目のところの「K.(数字)」の部分で配信サイトあたりを検索すればまあ、何かしらありますので。

この無観客演奏会・無料配信は窮余の一策ではあるけれど、これでより多くの人が東響の、ミューザの魅力を知ってくれるなら一ファン、一市民としても嬉しく思います。
次回は午前中の公演ですので、皆様お寝坊などされませぬよう(笑)。

追記。
前回のコメントなどでの意見を踏まえ、二回目の配信となる今回はニコニコ生放送の機能の一つ「ギフト」を導入した、とのことです。さてどうなりますか、まずはリアルタイム視聴、ですよ!

2020年3月8日日曜日

かってに予告編 ~ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第155回 Live from Muza!

3月に入り、政府からの「要請」を受けてクラシック音楽の公演は激減している。そんな中で、東京交響楽団と本拠地のミューザ川崎シンフォニーホールが興味深い試みを発表した。コンサートとしては開催を中止した、ミューザ川崎シンフォニーホール主催の「名曲全集(3/8)」「モーツァルトマチネ(3/14)」の二公演を、ニコニコ生放送で無観客演奏ライヴ配信&レコーディング・CD発売する、というのである。
以前から東響は自主公演の配信「TSO Music & Video Subscription」を実施していること、ノット監督との録音の縁でオクタヴィアレコードとの連携がスムースなことなど、いろいろの要素があるとは思うのだが、今回のような危急の時にニコニコ生放送での無観客演奏配信に踏み切るとは。この苦難を来場を予定していた従来のファン以外の層にも東響の、ミューザの音が届く機会に転じてみせたことに、拍手を送るしかないのである。

そしてこれは私事ですが、おかげさまで事前から少しずつ書き溜めておいたメモをまとめてお出しできる機会を得たわけで、例によって「かってに予告編」をお送りしたい。ささやかながら予習のお供に、復習のよすがにご利用いただけましたら幸いこの上なく。
なお、公式の「予告」は曲目解説を含めてミューザ川崎シンフォニーホールのブログに掲載されています。野良の予告(笑)が信用ならないとお考えの向きにはリンク先をご覧いただけましたら。


●無観客ライブ無料配信 「東京交響楽団 Live from Muza!」 ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団「名曲全集第155回」

2020年3月8日(日) 14:00開演 会場:ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:大友直人
ピアノ:黒沼香恋(ミューザ・ソリスト・オーディション2017 合格者)
オルガン:大木麻理(ミューザ川崎シンフォニーホール オルガニスト)
管弦楽:東京交響楽団

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(1894)
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調(1931)
サン=サーンス:交響曲第三番 ハ短調 Op.78 「オルガン付き」(1886)

ご覧のとおりのフランス近代音楽によるプログラムである。いわゆる印象派の元祖ともいわれる小品、そしてWWIを生きのびた作曲家による美しい協奏曲、ホール自慢のオルガンが効果的に活躍する”印象派以前”の堂々たる交響曲と、”フランス音楽”とくくられる作品群の幅広さを端的に示す好選曲だ。

冒頭で演奏されるドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」は、少しでも近現代のクラシック音楽に興味を持って書物に当たるなら、必ず大文字で記されている作品だ。しかしこの曲は演奏時間わずか十数分のもの、なにゆえそこまで特別扱いされるのか…といえば、それこそ本一冊と言わずなにかの書物の一章を読んでいただくのがいいのだけれど、それより何よりまず音を聴いてみるのがよろしかろう、と思う次第。



続いて演奏されるのは、ラヴェルが晩年に取り組んだピアノ協奏曲のうち、いわゆる”両手”、ト長調の協奏曲だ。ジャズ風の曲調、美しい旋律が印象的な第二楽章など魅力に溢れた作品だが、映像で見てみるとそのにぎやかさに対してあまりに小さい編成に驚かされる。なるほど、これは第一次世界大戦あとの、厳しい時代に生まれた美しい音楽だったのである。
(この曲は割と動画があったけれど、ちょっと貼りにくいこれをあえて用意しておきたい。トリッキィで仕掛けが多すぎるこの曲で、こんなことができるなんて。いつ視聴しても感嘆してしまう演奏です)

最後に演奏される交響曲を聴くことで、もしかするとドビュッシーがもたらした変革がより理解できるかもしれない。サン=サーンスという多彩な才能が全盛期に残したこの作品は「19世紀には革新的、20世紀には保守的」とみなされてきた、なかなか複雑な歴史を持っている。それでも20世紀には主にオーディオ方面での人気が高く、長きに渡って人気作として愛されているサン=サーンスの代表作の一つだ。管弦楽にオルガンが加わったときの表現力は、体験してみないとわからないところがあり、体験してしまえばこれは間違いなく「名曲」だと言うしかないのである。
オーディオ側からのアプローチが多かったこの曲は名録音で楽しむのもいいのだが、ミューザ川崎シンフォニーホールのように素晴らしいオルガンを持つ音響の良いホールで演奏されるなら最高の経験になる。実演では会場の空間を圧倒する大音響のみならず、背景として場面を支え存在感を示したり、とオルガンをよく理解した作曲家が凝らした技の数々がどこまでも感じ取ることができるけれど、さて今回の配信ではどこまで聴き取れるだろうか?



せっかくの配信イヴェントなので、動画増量でお送りしています(笑)。冗談はさておき、クラシック音楽はいま「聴こうと思うなら割と聴くことができる」状態にあるのです、とお伝えしたい気持ちもありました。

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2011年の大震災の際に、ミューザ川崎シンフォニーホールは大きな被害を受けてしばしの休館を余儀なくされ、ホールはほとんどのイヴェントが開催できず、東京交響楽団は本拠地での演奏ができない事態に追い込まれた。しかしそのとき「音楽のまち かわさき」を体現する存在として市内各地での演奏を充実させることで、災いを好機に変えるよう全力を尽くしてくれた。今回の”災害”はまた違った性格の、なんとも厄介なものではあるのだが、それをも音楽で乗り越えようとしてくれることには、一音楽ファンとしてお礼申し上げたい。そしてこのホールに足繁く通う川崎市民として、全世界の皆様に「どーですかミューザ川崎シンフォニーホール!どーですか東京交響楽団!」と、この機会にアピールしてあげたい。
なお、今回の危機を受けて東京交響楽団は素早くもこの発表の前にYouTubeで「第675回定期演奏会」を配信をしていた。バークリーの有名なテーゼを引くのも野暮というものだけれど、オーケストラは存在するだけで意味があるのではない、その音を誰かに届ける存在なのである。今回の発表を受けて、そう感じたことを思い出した。私はその音を聴き届けたい、そう願う者である。


なお、この定期の予告はこちら。ご参考まで。

最後にひとつ。残念なことだが、当初発表のプログラムで予定されていたリリ・ブーランジェ作曲「春の朝」は著作権の都合により演奏されない。この名曲で編まれたフランス音楽プログラムに、知られざる早逝の女性作曲家の最後の作品を入れるあたりが「実に大友直人らしい選曲」と感じていたものだから、このカットは惜しい。このプログラムではドビュッシーのあとの、ラヴェルの前の時代の作品として再発見される機会となったことだろうに、と。



だがしかし、それも今回の”コンサート”開催の中では瑕瑾にすぎない。この知られざる作品が再度取り上げられる機会を信じて待つとしよう。

(追記)
終演後の東京交響楽団からのリリースによれば視聴者数は約10万人に及んだとのこと。私も視聴していたが、「無料じゃ申し訳ないから課金させてくれ」といったコメントが多かったことには、なにかのヒントがあったように感じた。詳しくは後日、次回の予告でまた言及します。