2019年8月21日水曜日

「交響詩曲」に溺れた ~東京フィルハーモニー交響楽団 3月定期演奏会

予告編を書いておいてアレなのですが、今年前半の積み残しがたくさんあります。なんとかまとまってきたので並行してこちらも公開させていただく関係で、サマーミューザの進行があまり早くならないことはご容赦くださいませ…

●東京フィルハーモニー交響楽団 3月定期演奏会 | 2018-2019シーズン

3月13日(水)19:00開演 サントリーホール
3月15日(金)19:00開演 東京オペラシティコンサートホール

指揮:ミハイル・プレトニョフ
ヴァイオリン:ユーチン・ツェン (2015年チャイコフスキー国際コンクール ヴァイオリン部門最高位)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

チャイコフスキー:
  スラヴ行進曲 変ロ短調 Op.31
  ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
ハチャトゥリアン:
  バレエ音楽「スパルタクス」より アダージョ
  交響曲第三番 ハ長調 Op.67 「交響詩曲」

オーチャードの公演が日曜なら、私はまたこのプログラムを聴きに渋谷を訪れていたかもしれない。もはや私は「交響詩曲」のジャンキーである。…不穏な時事ジョークはこのへんで(※3月のネタだから微妙に古いし、なにかの作品で彼は復帰したようだ)。

前半にチャイコフスキー、後半にはハチャトゥリアンとロシア・ソヴィエトのメロディメイカー・プログラム(以前の記事参照)。指揮はピアニストとしても活躍を続けるミハイル・プレトニョフ。東京フィルハーモニー交響楽団とは特別客演指揮者として、ロシア・ソヴィエトの名曲秘曲、なんでもありの趣あるプログラミングを展開しているのはみなさんもご存知のとおりだ。今回は一曲目に短い管弦楽曲、そして協奏曲を挟んで交響曲をメインに据えた、一見するとオーソドックスなプログラムだが、…という絵解きは前に書きましたのでそちらを参照してください。

チャイコフスキーの作品の中でも国歌や民謡をそのまま取り込んだ、野趣あふれる「スラヴ行進曲」が、果たしてプレトニョフの元でどう響くのか?少々の疑問符を抱えたままの私に関係なく、力みなく始まった演奏は、低弦のイントロからして飾らない、自然な入りがそれだけで魅力的。引用される民謡をそれぞれに表情付け、多彩な音色で自然に音楽を高揚させて帝政ロシア国歌で頂点に導く運びもまた自然なもの、この作曲家の音がどれだけマエストロの手に馴染んだものであるかがそれだけで示されたと感じた。また、彼と東京フィルほどの関係ともなると音楽を大きく動かすにも音色を変えていくにも大きな動作はいらないようで、ちょっとした指示で歌い回しに強弱にテンポにと、自然に音楽が動いていくのが実に心地良い。旧ソヴィエト時代の演奏を自らの体験として知っていて、しかしそれとはまた異なるアプローチで作品の持つ可能性を示すマエストロに、一曲目でもう感服である。

二曲目に演奏されたヴァイオリン協奏曲のソリストとしてに招かれたユーチン・ツェンは前回(2015年)のチャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門第2位(1位なし・最高位)の若き才能だ。なるほど、確実な技巧、フレーズの一つ一つへの創意で楽しませようという意志はよく伝わってきた。だがいかんせん今回聴いた演奏からは、彼がこの曲をどう捉えているのか、その全体像がまだ見えてこない感が惜しい。美音で技巧は万全、だがそれに加える何かがほしい。そう感じるのはわがままな希望かもしれないが、彼がチャイコフスキー・コンクールから世界に羽ばたいている最中なのだから、高望みを許してほしい。今回はまたプレトニョフと東京フィルが作り出した舞台で踊っただけに聴こえてしまったけれど、彼の音楽にはまたいつかまた触れられるだろうから、そのときに成長を感じさせてくれるなら、と思う。
オーケストラの音色は、一曲目より色彩感高くその美しさに聴き惚れてしまうものとなった。一曲目のロシアの、セルビアの土の色なのかどこか黒っぽい音に対して、中間色を上手く使った絵画のごとき落ち着きある響きは”西欧派”チャイコフスキーの演奏としては理想的なサウンドだったのではないだろうか。この音で交響曲もバレエも聴きたい、などと思う、なんのかんの言ってもチャイコフスキーの音楽が好きな私の感想でした。

さて後半は作曲者が変わってハチャトゥリアンだ。「スパルタクス」(1954-56)は、ジダーノフ批判のあとでの最大の成功作と言えるだろうバレエ音楽だ。剣奴スパルタクスの物語はスタンリー・キューブリックの(というか、カーク・ダグラスの)映画でご存知の方も多いだろうから詳しくは書かない。ここで演奏されるアダージョはスパルタクスとフリギアの愛の場面、勇壮な物語の中でもっとも印象的な場面の一つだろう。
ただ、プレトニョフと東京フィルの演奏ではおそらくバレエには向かないだろう、とは言わなければなるまい。指揮者の解釈や「舞台慣れしたオーケストラなのに!」などという批判ではもちろんなく、趣向を凝らされた細部、たとえばフレーズの伸縮や濃厚な表情付けが踊りとは合わなかっただろうから、という意味でのこと。指揮者とオーケストラが創り出した充実した音楽は、それだけで一場のドラマを描き出した。中間色の響きが美しかったチャイコフスキーと対比するように、ハチャトゥリアンはよりシャープな線と輝かしい光沢で、愛の場面を飾った。
強めに奏された低弦のピチカートとピアノの一打で愛の余韻を断ち切るようにアダージョが終わって、いよいよ交響曲第三番である。16型のオーケストラからバスクラリネットが退場、第3トランペット、さらに15人のトランペットが入場すると場内には不思議な高揚感が…いや、私は着席してすぐ(そうか、15人はステージ奥か…)と高まりまくっていたのですが。

短いクレッシェンドの序奏のあと、すぐに轟く15人のトランペッターの音は録音で聴くような暴力的なものとはならず(ある時代のある演奏を聴きすぎの感想)、今の若手世代の奏者たちの明るい響きが真っ直ぐに客席に届いてくる。細かくパート割されたトランペットは、ステレオ効果も面白く、抑えたテンポで端正にアンサンブルが形作られていく。その整った造形に油断していたわけではないのだけれど、トランペットの提示が一段落したところからはオルガンの大活躍が始まるのである。度肝を抜かれるのである。
ホール上部に大量のパイプを配したオルガンは、会場そのものを楽器として音の範疇にとどまらない振動を伝えてくる、ということは経験からも理屈としても知っている。だが、そのサウンドを会場の残響や家鳴りを効果として活かした数々の先行する作品のそれとは違う形で用いたのがこの作品だ。なにせいきなり猛烈な速度のパッセージから登場するのだから、その衝撃のほどはなお大きい。ちなみに、かなりの時間続くオルガン独奏のため非常に横長の楽譜を用意していたようなのだが、数ページにも及ぶ長大なソロを、それも連続する高速六連符なのだから、演奏するのが大変でないわけがない、しかし石丸由佳の後ろ姿からは苦労のほどが伝わらず、あたかも淡々と弾いているようだ。もちろんそんなはずはない、と思うが背中はそう語らない。なにせ、出てきた音を私が評するならばひとこと、「轟音の奔流」で済んでしまうほどの音が延々と続くのだから、無駄のない動きとの落差は相当のものなのだった。
聴き手がそんなオルガンに圧倒されているというのにトランペットも呼応してしばしトランペットとオルガンの大音量のアンサンブルが展開するのだから、この曲は本当に異形の作だと思う。速弾きのオルガンとトランペットのファンファーレ、二つのの音群はまとまるわけでも譲り合うわけでもない、力強いふた柱の音としてホールを埋めていく。
…王を象徴する楽器として用いられたトランペットと、「楽器の王」とも称されるパイプオルガンを並立させて独特なアンサンブルを作り上げた共産圏の作曲者、というのははたして何を考えていたのか、そんなことを轟音の中で思う私である…とは言いながらそんな物思いに浸れるような時間が長くあるわけもなく(あんなに音が多いのに、この曲は演奏時間30分もないのだ)、通常のオーケストラ(よくわからない物言い)が新たな主題を提示、オルガンとトランペットは一休みとなる。ここで弦楽器によって示される旋律が「スパルタクス」で示されるそれによく似ていることは、明らかにプレトニョフが仕掛けたことなのだろう。「スパルタクス」の時点ではまだ封印された作品だった「交響詩曲」を作曲者が大事にしていたことに気づかせてくれようと、マエストロはこのプログラミングしたのだろうか…ハチャトゥリアンが自作引用を意味付けに使うタイプではないからなおさら、この配慮は心に響く。オーソドックスに見えて選曲に表現にと、大技小技さまざまに織り込まれたプログラムなのだ。

交響曲に戻ろう。バレエのいち場面や民族色をも感じさせる旋律が高揚し、また沈静化していくと遠くにあのファンファーレが聞こえ、クラリネットの長大な速弾きのソロから始まる展開部、その先に五拍子の新たなリズム・モティーフが示されて音楽は新たな顔を見せてくる。とはいえ30分かからない作品はここからはまっすぐゴールへと向かう。提示された要素が編成を変え組合せを変えて連続して現れたその先に、たどり着くのは12/8拍子の異形のマーチ、そしてファンファーレが乱舞するコーダ、である。最後の長い長いクレッシェンドまで、マエストロはコントロールを失わず、しかし大きい起伏ある音楽を聴かせてくれた。感情移入によらない外在的な音作りということで、ピアニストらしい(最良の意味で)指揮だったと感じたのだが、今にして思えばロジデーストヴェンスキーにも通じるものがあった、かもしれない。相当にコントロールの効いた演奏ながら、最後のコーダで大きくテンポを落として明確に駄目を押すところに、マエストロの明確な個性が刻印されて、演奏は終わった。轟音の余韻の中、ついにこの曲を聴いたな、という充実感に浸らせていただいた。私には感謝の気持ちしかない。

事前にけっこう頑張って準備して(過去記事参照)、「交響詩曲」こと交響曲第三番が終わった時点で個人的にはもうお腹いっぱいだったのだけれど(実際帰り始めるお客様も少なくない。これは定期ならいつものこととも思うが…)、マエストロはきっと「いやいや皆さんの知らない曲で申し訳ない」とでも思ってくれたのだろう、アンコールとして同じ作曲家の「仮面舞踏会」から、ワルツを演奏してくれた。今ではおそらく日本で一番知られているハチャトゥリアン作品の一つと思われるこの作品を、ちょっとフィギュアスケートには合いにくいだろうトリッキィなテンポ・ルバートも交えて聴かせてくれて、初日は終わった。コース料理の最後にはデザートが必要なんだな、と理解して帰路につける幸せ。実演ならでは、ですよね。もう一度書いておこう、幸せでした、ありがとうございました。

さて、この日の演奏を聴くことで、この作品について以前私が示した二択、「失敗したプロパガンダ」と「再びのロシア・アヴァンギャルドの可能性」が、選択ではなく両方そのとおりなんだなと体感できたものだから、私はこのあと東京オペラシティでのコンサートにも行きました。すみません本当にジャンキーだったんです。それもダウナー系ではなくアッパー系のこの作品の中毒者ですから、それはもうきちんとあれもこれも認識して帰ってきたんですよ、ええ。

オペラシティでは配置が少し変わって、ステージ上にはオーケストラ、トランペットはオルガン奏者を挟んでいわゆるP席に左右の二群として並ぶ。二度目の演奏でより練れたアンサンブルはサントリーでの公演以上に積極的で、トランペット部隊にはここの音響を楽しんでいるような余裕すら感じられた。
この配置によって、音響的には一番上からオルガン(パイプの位置から音が来ますからね)、正面からはトランペット、そしてステージのオーケストラからと、音はより立体的に分離され、明瞭に聴き取れるようになる。天井が高いオペラシティの設計者に感謝しなくてはいけない。とは言いながら、会場のサイズとしては一回り以上小さくなるし、比較的残響の長いこの会場での演奏だから解像度優先の演奏にはならない。というか、そういう音楽ではない(笑)。長めの残響ながら音楽は聴き取れる、しかしその絡み具合が実に秀逸で、このホールでサウンドを作ることに長けた東京フィルの面目躍如と言えた。サントリーホールの少し余裕がある音もいいけれど、この曲の圧倒的な存在感という意味でならこちらの演奏が上だったかもしれない。

果たして次に聴く機会が訪れるものかどうか、正直に申し上げて疑問しかないわけだけれど、こうして私の「交響詩曲」月間は終了しました。…本当に、日程さえ合うならオーチャードホールと文京シビックホール、おそらくは電子オルガンでこの曲が奏でられたのだろう後半戦もお聴きしとうございました。…あと、叶うならミューザ川崎シンフォニーホールでも聴きとうございました…

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ミハイル・プレトニョフが次に東京フィルの指揮台に登場するのは10月。今度はロシア、ソヴィエトではなくフランスとハンガリーの(というか、リストの場合、あえて言うなら汎欧州だと思うが)二人の作曲家の交響曲を並べたプログラムだ。それにつきましてはまた、公演が近づいてからなにか書きましょう。とりあえず今の時点で言っておきたいのはただひとつ、「そろそろ「ファウスト」全部読んでもいい頃だと思いますよ!」ということだけです(笑)。ではまた。

2019年8月18日日曜日

PLAYBACK フェスタサマーミューザKAWASAKI2019…の予告

数日のご無沙汰でした。

さて。フェスタサマーミューザKAWASAKI2019の初日から最終日まで、連日予告編を書きました。すでにお気づきの方もいらっしゃることでしょうけれど、私が予告を書くのは基本的に「自分が聴きに行く」ことが前提です。ですが今回、地元のお祭り(おい)のため禁を破っていくつか伺えない公演について書いています(時間がかぶっていた、所用など事情あったのだから仕方がないのですが)、それでも休演日と音大の皆さんの公演を除いて、連日なにかしら聴きました。二つの音大の皆さんにはテアトロジーリオ・ショウワと前田ホールで会えるから許してください。あと、しんゆりからでは移動不可だったため聴けなかった我らが公共放送響とは、テレビで会えますので(おーい)。

ええ、そんなわけですから期間中毎日のように川崎駅にほど近いミューザ川崎シンフォニーホールまで通っていました。通いましたとも。終わった今はもうヘロヘロです。暑さの中でも足裏から伝わる地熱が本当に辛くて、心底ホールに住みたかったのですが(切望)、もちろんそんなわけにもいかないので路線を乗り継いで連日通いました、ノット&東響のオープニングから、尾高忠明と東響によるクロージングまで。ただし今回、さすがにリハーサルは行けませんでしたし一日一公演限定でした、それ以上の体力は私にはなかった(笑)。

初日の終演後、なかなか帰る気になれずにこんな時間になってから撮りました。
実は私もこれを船の舳先のように感じて、二週間ちょっとの航海の安全を祈ったことでしたわ…

楽ではなかったけれど、一時期に同じ会場で、複数の音楽家の演奏を聴くことには大きなメリットがあったな、と感じています。ちなみにデメリットは「さすがにこれだけ聴くと心底疲れるっす」くらいなので、あえて言うまでもないでしょう(笑)。
演奏における条件が揃うことで、それぞれの音楽家が持っている音のイメージの違いが際立つものだ、と日々感じておりました。コミュニケーションスタイルの違い、身振り、表情…etc等など、それらすべてが同じ場に並ぶことで、比較する気がなくとも違いとして伝わってくる。
そうそう、ステージマナーもそうだ。入場から終演まで、これは無心に比べていました。書く機会もない話なのでここで書いておきますね。個人的にはコンサートマスターの入場タイミングで拍手するだけで良いんじゃないかな、と普段は思っているのですが、今回はメンバーが出揃うまで拍手が続く歓迎ムードで、私も抗わずにそれに参加しておりました。その出迎え方は、今回のフェスタサマーミューザの雰囲気を良いものにしていたと感じておりますよ。休館明けということもあったのでしょう、このホールで音楽を連日楽しめることのありがたみはいつも以上に感じていましたし。

本題に戻ります。もちろん、たとえばオーケストラそれぞれの音の違いは、複数の会場で、長い間を空けて聴いたとしてもわかるけれど(その程度のことなら放送でもわかる)、これだけの音響のホールで続けざまに聴くことは、嫌でも聴き比べの性格を持ってしまう。考えていなくても「昨日は…おとといはこうだったな」と頭をよぎる。そのときに聴いている個々の音楽はそれぞれに愉しんだ、そのうえで、どうしてもそういう感慨が残る、という話です。

自分としては、たとえ同じ曲を近い期間で聴くとしてもそういう比較を第一義とすることはありません。そんな私でも、こうも連日眼の前で力の入った演奏が展開されれば、厭でも思いますよ、「この指揮者とはこうなるのか」「その指揮にそう反応するの?」「そこで…」「あれは…」等など。そんなちょっとした発見や思いつき、感じ方が、いつかまた別の演奏をより面白く楽しませてくれる、私はこれまでの経験からそう信じている。今年のフェスタサマーミューザKAWASAKIは、そんな自分だけの“抽斗”をたくさん増やしてくれた。心から感謝します。
このメリットは、毎年変わらぬサマーミューザの魅力の一つと思えるので、来年も川向こうの世界的大運動会よりこっちのほうが楽しいですよ、と言っておこう。だって、こっちは冷房効いてますから、安全ですよ(おい)。

という冗談はさておき(よかった冗談なんだ)、イヴェント全体を振り返ったときの感想はこんな感じです。ではこれから、個別のコンサートについてのレヴューも書いていきます。結果として何故か今年多く聴いてきたロシア・ソヴィエト音楽の聴体験を深め、次につなげるもの※になったなと感じていますので、今年前半に聴いた演奏会のレヴューも並行して仕上げていきます。ご存知ですか皆さん、〆切のない文章って完成しないんですよ(怪談)。

※このあと、東京交響楽団はプロコフィエフの交響曲第四番(改訂版、9月にリオネル・ブランギエと)ショスタコーヴィチの第一一番(11月に沼尻竜典と)など、注目の演奏会を控えています。年明けてからになりますが、チャイコフスキーの第五番(2020年1月、ベン・グラスバーグと)もありますし。そのあたりはまた別途…

来年に向けてはそうですね、コンサートの映像配信とか放送とか検討されると面白いかなあ、と思い始めています。それこそ公共放送様が4K用のコンテンツとするのもよし、地元tvkが配信込みで担当するもよし、三方一両得なのでは。…なんて、ただの思いつきですけれど、仙台フィルの登場でひとつあり方が変わったフェスタサマーミューザ、どんどん攻めて成長してくれたらこんなに嬉しいことはありません。

さてPLAYBACKの本編は、聴いた公演のレヴューの形になります。もっとも、そのうち二つは公式に「ほぼ日刊フェスタサマーミューザ」に寄稿していますので、どう扱ったものか考え中ですが。そうそう、どちらも裏面掲載なので皆さんお手元の裏面もチェックしてね!(今さらか)。開幕公演がアレなので(いい意味で)、ちょっと手はかかると思いますが気長にお待ちいただければ幸いです(サマーミューザ以前の公演もいい加減お出ししたいので…)。
では予告はおしまい、また近日お会いしましょう。

2019年8月12日月曜日

かってに予告篇 〜フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 Day16 &書きました。

●東京交響楽団フィナーレコンサート

指揮:尾高忠明
ピアノ:ジャン・チャクムル(第10回浜松国際ピアノコンクール優勝者)
管弦楽:東京交響楽団

シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54
ショスタコーヴィチ:交響曲第五番 ニ短調 Op.47

始まってみればなんとやら、とは言うけれど。こうして毎日なにかしら書いてきた私には十分に長い、決して短くはないフェスタサマーミューザKAWASAKI2019もいよいよ最終日。オープニングをまったくの独自カラーで彩ったノット&東響から、尾高忠明と東響によるクロージングで、この夏祭りは幕を下ろす。残念ながらチケットは完売とのこと、口惜しく感じられたあなたは来年に向けて調整を始めてください(おい)。ほら、多摩川の向こうはいろいろ大変みたいですし、2020も連日フェスタサマーミューザKAWASAKIがいいと思いますぜあたしゃ(誰だよ)。

…ちょっと先走りました、まずは今日の話をいたしましょう。東響ファンには聴き比べの楽しみが味わえる、一回で二度三度と美味しいプログラムがフェスタの終わりを飾ります。指揮は尾高忠明。前立腺がんの公表と療養からの復帰を、まずは喜びたい。

まずは前半に演奏されるシューマンの協奏曲。6月にスダーンと菊池洋子の演奏で聴いたばかりでの演奏で、登場するソリストはジャン・チャクムルだ。
浜松国際ピアノコンクールで優勝した彼と東響の共演はまさにそのコンクールファイナル以来だろうか。この動画を見る限り、東響は彼を尊重して共演を楽しんだように見えるので、今回も濃厚な音楽的対話が期待できるのではないだろうか。



そしてサマーミューザの最後に演奏されるのはショスタコーヴィチの交響曲第五番、プラウダ批判によって陥った危機的状況からの名誉回復の一作…とかつい書いてしまいますが、そういう話は今日はいいでしょう。
むしろ、5月にノット監督と演奏したことを思い出して、その時との違いを楽しむのがいいだろう。
とはいえ「サントリーホール一回だけの公演で聴けませんでした」「りゅーとぴあにまでは行けません」という方も少なくないだろう。そんなあなたにこのサービスを!…っていやらしいなこの言い方。レコーディングされたということでもありましたので、しばしお待ちいただければCDでも聴けるはず、です。

余談はさておき。上田仁時代に多くの日本初演を行った東京交響楽団のショスタコーヴィチでミューザ川崎シンフォニーホールの夏祭りは終わる。今日ばかりは私も「ヴォルコフの”証言”は」とか「第四番とは近い作品で」とか言わず、出てくる音をじっくりと楽しもうと思う。休館から半年とちょっと、やっとここまで来たんだな、と感慨を持って。

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まだ更新前なので今の時点では読んでいただけませんが、8/10にミューザ川崎シンフォニーホールで開催された「かわさきジュニアオーケストラ 発表会」についてレヴューを紀行しています>「ほぼ日刊サマーミューザ」

2019年8月11日日曜日

かってに予告篇 〜フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 Day15

●東京フィルハーモニー交響楽団

2019年8月11日(日) 15:00開演

指揮:ダン・エッティンガー(東京フィルハーモニー交響楽団 桂冠指揮者)
フルート:高木綾子
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から 第一幕への前奏曲
モーツァルト:フルート協奏曲第一番 ト長調 K.313
チャイコフスキー:交響曲第六番 ロ短調 Op.74 「悲愴」

新国立劇場への登場から東京フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者として活躍し、その後桂冠指揮者となったダン・エッティンガー。常任ポストを降りてから、新国立劇場「サロメ」(2016年)で東京交響楽団を指揮して話題になったのは記憶に新しい。その彼が、久しぶりに東京フィルの指揮台に立つこの夏の公演は注目の演奏会の一つだった。サマーミューザに先立って行われた演奏会でのこの光景を見れば、その舞台が如何に待望されていたかがわかろうというものだ。


(この写真に題をつけるなら「信頼」とでもなるだろうか)

「第2回 渋谷の午後のコンサート」での大成功を受けて、ますます期待の高まるエッティンガーと東京フィルの演奏、サマーミューザの最終盤を大いに盛り上げてくれることだろう。

先ほども少し書いた新国立劇場での「サロメ」だが、当時の私のレヴューがあったのでリンクしておきます。苛烈なリハーサルからの衝撃的な舞台だった記憶が今も残っているのだが、そこでこのマエストロがどこまでもドラマを描出する人なのだと理解できたのはありがたいことであった。
最近ではシュトゥットガルトで活躍しているダンさん(その呼び方)、引き締まったアンサンブルは確かに彼らしいものだ。チャイコフスキーではその造形と劇描出が高度にバランスした演奏となるのだろう。楽しみである。


(でも。ねえ、このジャケット誰かに騙されてない?イケメン押しなのは理解できますけど!)

そして共演にはフルートの高木綾子が登場する。ソロに室内楽にオケに教育に、と今や各方面で活躍する彼女の演奏も楽しみだ。かなり以前にハチャトゥリアンを聴いた記憶があるけれど、今回のモーツァルトは彼女のまた違う音楽性を知ることができるだろう。

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そうそう、最後にもう一つ。PMFオーケストラのソリストにマトヴェイ・デョーミンが、そして日本フィルには藤田真央が登場したサマーミューザ2019だが、この公演では首席奏者としていつも妙技を聴かせてくれる、同じく第16回チャイコフスキー国際音楽コンクールで木管部門三位に入賞したアレッサンドロ・ベヴェラリが登場するのもお見逃しなく。メインの曲も幸いなことにクラリネットの活躍する「Pathétique」ですので。


2019年8月10日土曜日

かってに予告篇 〜フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 Day14

フェスタサマーミューザKAWASAKI2019も最後の週末を迎え、この土曜は盛りだくさんの日となります。ミューザ川崎シンフォニーホールで2公演、新百合ヶ丘のテアトロ・ジーリオ・ショウワで1公演が開催されるので、さすがに3公演のハシゴは無理だけれど2公演までなら、移動込みでもなんとか間に合うはず※。三連休の方も多いかと思いますので、ガンガン移動して楽しんでくださいませ(もちろん熱中症にはお気をつけください)。

※ハシゴ不可能なのは時間的に先に行われる2公演。移動時間ゼロなら…いやそれでも無理かな。
ですので、「こどもフェスタで一日をはじめてミューザ周辺に滞在して優待チラシを活用しちゃう」のがいいか、「@しんゆりでベートーヴェン三昧からの小田急→南武線移動でオルガンを聴く音楽漬け」か、お好みでコースを選ぶのがよろしいかと。

●こどもフェスタ2019 かわさきジュニアオーケストラ発表会

2019年8月10日(土) 13:30開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:江上孝則
ヴァイオリン:秋田愛絵(ジュニアオケ選抜メンバー)
フルート:牧野楓子(ジュニアオケ選抜メンバー)
管弦楽:かわさきジュニアオーケストラ
司会:山田美也子

ロッシーニ:歌劇「セビリアの理髪師」から 序曲
ベートーヴェン:ロマンス第二番
J.S. バッハ:管弦楽組曲第二番から ポロネーズ/メヌエット/バディネリ
ベートーヴェン:交響曲第五番 ハ短調 Op.67「運命」から 第一楽章
ヨハン・シュトラウスII:トリッチ・トラッチ・ポルカ
ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ「鍛冶屋のポルカ」
ヨハン・シュトラウスII:
  「クラップフェンの森で」
  ポルカ・シュネル「狩り」
  ワルツ「美しく青きドナウ」から

「音楽のまち かわさき」の未来そのものに会えるコンサートです。今日はミューザではプロのオケが聴けないからなあ…なんて言わせない、と思います。初めて聴くので、期待を込めてそう申し上げます。

●出張サマーミューザ@しんゆり! 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

2019年8月10日(土) 15:00開演
会場:昭和音楽大学テアトロ・ジーリオ・ショウワ

指揮:垣内悠希
ヴァイオリン:成田達輝
ピアノ:菊池洋子
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ベートーヴェン:
  歌劇「フィデリオ」から 序曲 Op.72
  ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61
  ピアノ協奏曲第五番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」

先週のドイツ音楽三昧にそのまま続けるように、「出張サマーミューザ@しんゆり!」はベートーヴェン三昧です。若き音楽家たちの入魂の演奏にご期待ください。
なお、テアトロ・ジーリオ・ショウワまでの道は、駅からそう遠くはないのですけれど、ずーっと陽に当たり続けることになりますので(先週経験済み)、ご来場の際には日差し対策をされることをオススメいたします。健康大事。

●真夏のバッハIV ルドルフ・ルッツ パイプオルガン・リサイタル

2019年8月10日(土) 19:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール

<オール・バッハ・プログラム>
前奏曲とフーガ イ長調 BWV536
「おお、汚れなき神の子羊」 BWV656
コラール「装いせよ、おお愛する魂よ」前奏(即興)― コラール前奏曲(BWV654)― 後奏(即興)
パッサカリア ハ短調 BWV582
前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV552
コラール変奏曲「目覚めよと呼ぶ声がきこえ」 定旋律をソプラノに(即興)― 定旋律をテノールに(BWV645)― 定旋律をバスに(即興)
ルドルフ・ルッツ:佐山雅弘氏に捧げる《虹の彼方に》― J.S. バッハのスタイルによる

休館中に行われたオルガンの整音作業の成果を、きっとこれでもかと示してくれるだろうバッハ作品によるプログラムを、ルドルフ・ルッツが披露してくれる。なんというか、付け加えることがないのではないか。いや無責任な言い方に思われるかもしれないのだけれど、ザンクト・ガレンのJ.S.バッハ財団の音楽的リーダーとして活躍するオルガニスト、即興演奏の泰斗である彼がまた輝きを増した感のあるミューザ川崎シンフォニーホールのオルガンをどう鳴らしてくれるものか、期待しかないではないか。また、即興の名手同士共演を重ねた佐山雅弘追悼の、バッハのスタイルを模した自作も演奏される。ルッツにしか取り上げられず、今年のミューザでしか経験できない意味のあるプログラムを、ぜひ。

※追記。これはちょっと、どこまでもミューザだから起こり得た素敵なサプライズ、いやもはやミラクル。一連のツイートをぜひご一読ください。

2019年8月9日金曜日

かってに予告篇 〜フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 Day13

●昭和音楽大学

2019年8月9日(金) 18:30開演

指揮:齊藤一郎
チェロ:古川展生
管弦楽:昭和音楽大学管弦楽団

ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴスによる幻想曲
エルガー:チェロ協奏曲
ドヴォルザーク:交響曲第九番 「新世界より」

フェスタサマーミューザに登場する川崎市の音楽大学で、先に登場した洗足学園音楽大学は溝の口(高津区)、そして今回登場する昭和音楽大学は新百合ヶ丘(麻生区)。藤原歌劇団とのご縁のためか、はたまたテアトロ・ジーリオ・ショウワという馬蹄形のオペラハウス風ホールの印象からか、個人的にはオペラのイメージが強い昭和音楽大学ですが、フェスタサマーミューザにはオーケストラ公演で登場します。私の印象はともかく(すみません)、テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラを設立して若手オーケストラ奏者の育成も行っている昭和音大ですから、充実した演奏が期待できるでしょう。

指揮の齊藤一郎さんといえば、やはりこれでしょうかねえ…(ハリウッドの新作まだ上演してるのかな。手遅れか)



そして共演は都響の首席奏者、そしてクロスオーヴァーユニット古武道などで幅広く活躍する古川展生。先日の都響公演でもいい音を会場に響かせていましたので、ソリストとしてよりこの会場の音を楽しんでくれることでしょう。曲はエルガーの協奏曲、好演を期待します。


2019年8月8日木曜日

かってに予告篇 〜フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 Day12

●サマーナイト・ジャズ 大西順子トリオ

2019年8月8日(木) 19:00開演

ピアノ:大西順子
ベース:井上陽介
ドラムス:高橋信之介

ゲスト:広瀬未来(トランペット) 吉本章紘(テナーサックス・フルート) 片岡雄三(トロンボーン)

一日の休演を挟んで怒涛のクラシック公演の日々がここまで続いてまいりましたが、本日8日はジャズです。私が諸般の事情で聴けなかった昨年の開幕公演で伝説を作ったという大西順子トリオが、今回は単独での出演となります。

このホールの”純クラシックではない”路線を支えた佐山雅弘が昨年急逝し、今回は生前の彼からの推薦あっての出演とのこと。村上春樹が称賛し、小澤征爾がサイトウ・キネン・オーケストラに招き、ノット&東響と伝説を作り…とクラシック音楽ファンにも親しまれる大西の、本領はこちらだとしたたかに教えていただけることでしょう。
そして、この公演は9月から始まる「かわさきジャズ2019」へと続いていくものとなります。今のうちに「かわさきジャズ」をかってに始めちゃうのもアリかな、と。

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そしてこれは邪道かな、とも思うのですが。
オーディオ好きの皆さまには、ジャズを愛好される方も多いように認識しております。その息遣いや指板をこする音まで聞きとどけたい、そんな思いがあるのかなと愚考する、地元に「ベイシー」があった私は思うのです。で、そんな皆さまにも「ミューザで聴くジャズ」はオススメですよ。それこそ数多のクラシック公演でその音響の素晴らしさは知られるこのホールですが、ハイハットの音の残り方やベースのピチカート一つとってもその”リアリティ”は圧倒的です。ハイレゾでも最高のオーディオでも体験できないリアリティ、お聴きいただきたいなとこのホールのファンとして申し上げる次第。

2019年8月7日水曜日

かってに予告篇 〜フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 Day11 &書きました。

●日本フィルハーモニー交響楽団

2019年8月7日(水) 15:00開演

指揮:小林研一郎(日本フィルハーモニー交響楽団 桂冠名誉指揮者)
ピアノ:藤田真央
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第一番 変ロ短調 Op.23
ベートーヴェン:交響曲第七番 イ長調 Op.92

もう開幕の鐘もなろうかというタイミングなので、正直に書いてしまおう。この公演が、このフェスタの中でもっとも予想外の展開を見せたものだった。
顔ぶれとプログラムを見れば誰だってこう思う、”巨匠と若手による直球の名曲プログラム”、これなら昼公演でも十分に多くの方々に訴求するだろう…公演を紹介する立ち位置から見たら、はっきり言って手詰まりなのである。こんなこと、私が書かなくても皆さまご存知なのである(笑)。
もちろん、過去にポイントとして示した要素はあった。「4月には秋山と東響とジョリヴェの秘曲を演奏した若きピアニストが今度は誰もが知る名曲を」というのは、若きピアニストの幅を示すものになるだろう。そして近年は大晦日にベートーヴェンの交響曲全曲演奏会を開催しているマエストロが、一曲だけに注力したときの演奏がどうなるものか、期待する思いもある。

しかし、そういった予想や期待をすべて振り切って、チャイコフスキー国際音楽コンクールがこのコンサートへの見方を大きく変えてしまった。



曲もチャイコンであるのだから、もはや誰が見たってこれ以上のタイミングはない藤田真央凱旋公演である。おめでとうおめでとう。

もちろん、小林研一郎がただの引き立て役に収まるわけもないので、後半のベートーヴェンも剛速球を期待していいだろう。私にしては珍しいことではありますが、来場される皆様に置かれましては余計な情報を入れず、構えず、聴こえてくる音楽に身を委ねるような聴き方をお奨めさせていただきます。



なお、本日最終日のミニコンサート(12:10開演、入場無料)は小倉美春のハイドンとリゲティですよ。

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そしてこれは書きましたよ、というご報告。
ご来場されている皆さまはもちろんご存知の「ほぼ日刊サマーミューザ」第10号(暑さを見事に吹き飛ばす!号/8月5日)に、8/3にテアトロ・ジーリオ・ショウワで開催された「出張サマーミューザ@しんゆり」の公演レヴューを書かせていただいております。一文にまとめてしまえば「ミューザとは異なる音響特性のホールですが、ここでも東響の演奏は充実していました、秋山マエストロお元気、戸田さん素敵」です(←ひどいな)。ですから昨日の公演は芥川也寸志についての寄稿ともども、私としてはお当番回だったのです(笑)。

他の公演レヴューについてはちょっとお出しする方法を検討中です。しばしお待ち下さい。ではまた。

2019年8月6日火曜日

かってに予告篇 〜フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 Day10 &書きました。

●東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

2019年8月6日(火) 19:00開演

指揮:藤岡幸夫(東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 首席客演指揮者)
チェロ:ジョヴァンニ・ソッリマ
管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

シベリウス:「レンミンカイネン組曲」から レンミンカイネンの帰郷
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104
芥川也寸志:交響曲第一番

入魂の定期のために取っておいてもいいような意欲的なプログラムを、藤岡幸夫と東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団はミューザ川崎シンフォニーホールに持ってきてくれる。ここからはこの春に首席客演指揮者に就任した藤岡が、このオーケストラと何をしていくのか、高らかに宣伝しようかという意気込みが感じられる。そしてこのコンサートについて、彼自身が語っているのでその声をお聴きいただきたい。



日本のオーケストラへの客演が初めてのチェリスト、ジョヴァンニ・ソッリマは、もしかすると自作の方が知られているかもしれない。鬼才、魔王などなど、ちょっとチェリストへの愛称とは思えない呼ばれ方をしている彼のドヴォルザークは果たして如何なものになるのか。それを聴くだけでも、このコンサートに来る価値があるのでは?


(この演奏だとそんな愛称が思い浮かばないのだけれど、さてソロなら全く違うのでしょうか?むしろアイコンタクトも使って濃いコミュニケーションをしている、とてもいい演奏が期待できるような。)

そして今回、この公演に関連してミューザ川崎シンフォニーホール様に寄稿しました。ぜひご来場の道すがらにでもご一読くださいませ。

「芥川也寸志没後30年―私たちは今、彼が遺した未来を生きている」

作品を時代の相に置き直して捉えたいという発想が、どんな作曲家についても誰の演奏に対しても自分にはあります。私が覚えている芥川也寸志は宮フィルの偉い人、テレビに出てる人、平成になって早々に亡くなられた人、芥川龍之介の子息。でも交響曲第一番を書いた芥川也寸志は何者でどんなことをしていたのか?年譜を眺めてすぐに思い出したエピソードなどを紹介しています。

これは余談。芥川也寸志について書きませんか?と話を振っていただいたとき、スラスラとアウトラインが思い浮かんで、一瞬「自分有能!」と思ったものだけれど(たまにはそういう評価もしてあげたい)、実は過去にこんな記事を書いていました>オーケストラ・ニッポニカのイヴェントレポート。うむ、有能だったのは過去の私、いやオーケストラ・ニッポニカの皆様でした。スリーシェルズ様の昭和の邦人作曲家再評価ともども、ちゃんと活動されている方々がいるのでこうして私の認識もアップデートされて何かしらの文章が書けるのです。ありがたいことでございます。

以上、予告編と告知でした。

2019年8月4日日曜日

かってに予告篇 〜フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 Day9

●仙台フィルハーモニー管弦楽団

2019年8月4日(日) 15:00開演

指揮:高関健
ヴァイオリン:郷古廉
管弦楽:仙台フィルハーモニー管弦楽団

ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ
チャイコフスキー:
  ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
  交響曲第四番 ヘ短調 Op.36

初の試みとなる首都圏外のオーケストラの正式参加となる仙台フィルハーモニー管弦楽団の登場は、15年目のフェスタサマーミューザのハイライトの一つだ。いや、今年のサマーミューザも最初のファンファーレからからクライマックスでしたが。

…最初っから私事で申し訳ないです。私は昔仙台に住んでおりました。その頃に仙台フィルハーモニー管弦楽団の楽器運びやステージセッティングの裏方仕事をお手伝いしていたので、今もこのオーケストラを他人とは思えないのです。そしてミューザ川崎シンフォニーホールはいまの私の「ホーム」で基準になる会場だから、今回のミューザへの来演はこれまでの関東圏でのどの公演より、ずっと嬉しい。ようこそミューザへ、仙フィルの皆さん!(当時はこう呼んでいたし、きっと今も親しみを込めてこう呼ばれていることでしょう)

高関健の指揮、郷古廉のヴァイオリンで披露されるプログラムは、ストラヴィンスキーの小品とチャイコフスキーの協奏曲、交響曲といまの仙台フィルの実力を存分に示してくれるだろうプログラムだ。学究肌のマエストロの手腕の確かさは誰もが知るところ、演奏の仕上がりがいいものになるのは疑いようもない。(チャイコフスキー作品の作品番号が連続するのはなにかの狙いだろうか?とは少し疑っている)


そして先日東響にゲストコンサートマスターとして登場した際にようやく聴けた、郷古の切れ味たるや。チャイコフスキーの名曲を堪能できるのが今から楽しみである。


いろいろと書いてきたが、こんな感慨に触れると私から付け加えることもないように思う。本当に久しぶりに、仙フィルの演奏を聴かせていただきます。



そうそう、ストラヴィンスキーの作品については、この動画をちょっと見ていただくといいかと。本物の「ザ・グレイテスト・ショーマン」の世界ですよ。



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さて、仙台フィルといえばここまでにもいくつか埋め込んだように、その独特で積極的なSNS活用が注目される。…というか、こんな座席表初めて見た!(笑)



開演前、終演後もツイッターを要チェック!ですよ。そうそう、今日はこんなお知らせもありました。ヤツに会えますよ皆さん。



2019年8月3日土曜日

かってに予告篇 〜フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 Day8

早いもので、あの衝撃の”カウントダウン”から、もう一週間が経つのだ。それでもフェスタはまだ半ば、これからも次々と注目の公演が登場する。

この日は2つの公演が開催されるが、ここは時系列で開演が早い方から紹介しよう。残念な事に、両方の公演を聴くことは時間的に不可能なのだ、たとえ小田急線登戸駅にあるあのドアを使えたとしても。

(これが本物なら鉄道は無意味化するよね、なんてツッコミは禁止です)

●出張サマーミューザ@しんゆり 東京交響楽団

2019年8月3日(土) 15:00開演
会場:テアトロ・ジーリオ・ショウワ

指揮:秋山和慶(東京交響楽団 桂冠指揮者)
ヴァイオリン:戸田弥生
管弦楽:東京交響楽団

ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64
ブラームス:交響曲第一番 ハ短調 Op.68

まず15時に開演するのは出張サマーミューザとして、新百合ヶ丘のテアトロジーリオ・ショウワで開催されるコンサートだ。秋山和慶指揮する東京交響楽団という盤石の顔合せ、そしてウェーバーの序曲、メンデルスゾーンの協奏曲、ブラームスの交響曲と続く名曲だけで編まれたプログラム、独奏は戸田弥生とここまで揃うなら好演となることまではあらかじめ約束されたようなものだ。

この面々、この曲目を見て(なんだ名曲プロか)と低く見るのはあまりに惜しい。私は幸いなことに今年に入ってから秋山と東京交響楽団の演奏を二回聴いているが、以前よりもサウンドも造形も進化している感があった。若き日からどんな難曲でも振れて、どのオーケストラからでも充実したサウンドを導いてきた秋山が、昨今東響と聴かせる音楽には凄みすら感じているのだ。ミューザ川崎シンフォニーホールよりかなり小ぶりなテアトロ・ジーリオ・ショウワは、馬蹄形の客席でステージを近く感じられるのでよりその力を感じ取れるはずだ。
特にもミューザにはちょっと遠くてなかなか行けない川崎市西部の、また町田や多摩地域の皆さま、折角の機会を逃されませぬよう(地域限定公演ではありません)。

●NHK交響楽団

2019年8月3日(土) 16:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:原田慶太楼
ピアノ:反田恭平
管弦楽:NHK交響楽団

ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」から だったん人の踊り
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
ブラームス:ハンガリー舞曲集から 第一番、第五番、第六番
エルガー:行進曲「威風堂々」 第一番

そして一時間遅れてミューザ川崎シンフォニーホールでは、NHK交響楽団の演奏会が開演する。原田慶太楼を指揮に迎えて、サマーミューザ全体の中でも一番軽やかなプログラムを披露するのが堂々たるN響、というコントラストはもはやある種のお決まり感がある。
とはいえ、今年は恒例と思われた大河ドラマのテーマ曲はなく※、クラシック音楽による世界旅行の趣あるプログラムは決して楽に演奏できる類ではないし、充実した演奏を期待していいだろう。なお、この旅行ルートはイタリア(ヴェルディ)から大西洋を渡ってアメリカ(ガーシュウィン)、またユーラシア大陸に戻ってロシア(ボロディン)そしてフランス(ラヴェル)、中央ヨーロッパ(ブラームスだけれどハンガリーなのでこのくくり)、そして最後にドーバー海峡を渡ってイギリス(エルガー)で終わる。よかった、このプログラムでは「合意なき離脱」は行われなかったようで何よりである(おい)。

※昨年も演奏されていないことにあえて目をつぶって言及する。今年の大河ドラマのテーマ曲、あんなに楽しげなのに実はオーケストラ単体だけでは演奏もできない、超がつく巨大編成の作品であることは、知っている人は知っている。もちろん私も知っている。…だがなあ、「いだてん」のテーマ、聴いてみたかったなあ…

そしてこの公演ではガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」のソリストとして、反田恭平が登場する。先月には自身のレーベル設立を発表、MLMナショナル管弦楽団のコンサートを大成功させてますます注目を集めている彼の演奏は注目だ…けれど、残念ながら早々にチケットは完売していたし、当日券販売も残念ながらないとのことだ(更に申し上げるなら、その翌日のN響ほっとコンサートも完売だそうです)。

2019年8月2日金曜日

かってに予告篇 〜フェスタサマーミューザKAWASAKI2019 Day7

●PMFオーケストラ

2019年8月2日(金) 19:00開演

指揮:ワレリー・ゲルギエフ
フルート:マトヴェィ・デョーミン
管弦楽:PMFオーケストラ

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
イベール:フルート協奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第四番 ハ短調 Op.43

1990年、バーンスタインが創設したあの時から歩み続けて現在まで開催を重ねて今年が30回目だったPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル)。数多くのプロとして活躍する音楽家たちが「未来の同僚」を育てるアウトリーチ型の音楽祭も今ではすっかりおなじみになった。教育の成果として披露されるコンサートもより高度化し、今年はついにマーラーの交響曲第八番を演奏するほどになったという。札幌までうかがえない自分の足りなさ(いろいろと)が悔やまれるばかりである。



そのフェスティヴァルの集大成としてのオーケストラコンサート、その最終公演が今年はフェスタサマーミューザで行われる。指揮は2015年から芸術監督を務めるワレリー・ゲルギエフ、独奏は先日行われたばかりの第16回チャイコフスキー国際音楽コンクールで新設された木管部門最初の優勝者、マトヴェィ・デョーミンだ。
デョーミンのキャリアを見れば、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団やシュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭管でも活躍したというから、ある意味PMFで学んだ若き音楽家たちの少し”先輩”に当たるのだろう。オーケストラはチューリヒ・トーンハレ管で副首席として活躍している彼に刺激されて、デョーミンはそんな後輩たちの視線に刺激されて、今しかできない演奏を聴かせてくれるのではないだろうか。



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若者たちの音楽は、一回ごとの演奏経験で大きく変わっていくだろう。それだけ若者たちがこのイヴェントで見せる成長は大きい、ということを、それこそ最初のPMFのドキュメンタリで教えられたことを、私は一度も忘れたことがない。
そんな彼ら彼女らを導くゲルギエフはショスタコーヴィチの全集録音済みマエストロなのだから、第四番だからと構えて臨むこともない、かもしれない。いや、今回の場合はまだプロフェッショナルになる手前の若手との演奏だから、果たしてどのように仕上がるものかは聴いてみるまでわからない、かもしれない。

そんなわけで、今回のサマーミューザの舞台は札幌や東京での評判すら予想の材料にはならない。なにせ今年のPMFの最後を飾る、そして札幌と川崎のお祭りがクロスオーヴァーする一夜の舞台なのだ、そこでどれだけの演奏が繰り広げられるものか、いくら期待したっていいだろう。若者たちとの大舞台、ぜひ見届けようではないか。

※なお、この日演奏されるショスタコーヴィチの交響曲第四番については、つい最近いろいろと書いたばかりなので興味がある方はリンク先をご覧ください。