2019年4月28日日曜日

大型リマインド(更新完了)

あまり私には関係のない大型連休中、公共放送がクラシック音楽の番組を多く放送するな、と気がついてしまったので簡単ですがリマインドを。再放送は多いのですが、繰り返し放送される価値のあるものだと思いますのでご案内します。

●BS1スペシャル「ショパン・時の旅人たち 第一回国際ピリオド楽器コンクール」
2019年4月28日(日) 午前9時00分~

この番組を見てからこの映像を見ると、かなり効きます。ぜひ。


●BS1スペシャル「ローザンヌでつかんだ未来~バレエダンサー 須弥奈と美桜~」
2019年4月28日(日) 午後11時00分

私にとっての「ローザンヌ国際バレエコンクール」は、とても厳しい解説の方の記憶と、山岸凉子先生の「テルプシコーラ」なのですが、そんなゆるい認識の私とは関係なく毎年開催されて、有望なダンサーたちを輩出しています。これは、昨年のそのコンクールで入賞した日本人のうち、女性二人に密着したドキュメンタリーです。
再放送が5/6に決まっていること、コンクールそのものの放送が6月に予定されていることも付記しておきましょう。

●プレミアムシアター ピエール・ロラン・エマール ピアノ・リサイタル ~クロード・ドビュッシーの墓~/別府アルゲリッチ音楽祭 in ローマ
2019年4月29日(月)【4月28日(日)深夜】午前0時00分~

実はあまりピアノにこだわりがない私ですが、ピエール・ロラン・エマールだけは好きなんですよ。今晩深夜ですが、よろしければぜひ。



なお、エマールのリサイタルのあとにはローマで行われた「別府アルゲリッチ音楽祭」のローマ公演、ピエール・アンタイとスキップ・センペが目黒雅叙園でチェンバロを演奏した不思議なコラボレーションと続きます。

…プレミアムシアターの裏で、「進撃の巨人」「機動戦士ガンダム ジ・オリジン」を放送するのはやめてくれないかな、なんて声は少数過ぎてどこにも届かないんですよねきっと。ええ、理解しておりますとも。

●BS1スペシャル「もうひとつのショパンコンクール~ピアノ調律師たちの闘い~」
2019年4月29日(月) 午前9時00分~

「もうひとつの」、というのはコンテスタントではなくピアノのメーカーの、という意味です。コンテスタントに選ばれるための努力、選ばれた先のサポートなどなど、裏方さんの仕事ではありますけれど、楽器を持ち込めないピアノならではのコンペティションがここにはあります。

●BS1スペシャル「私は左手のピアニスト~希望の響き 世界初のコンクール~」
2019年4月30日(火) 午前7時00分~

左手のピアニスト、と言えば最近ならレオン・フライシャーや舘野泉、歴史的には哲学者の兄上が思い出される。多くの人に知られた作品としてはラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲は、そのパウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で産まれたものだ。その系譜を継ぐために、ということもないだろうけれど、昨年「ウィトゲンシュタイン記念 左手のピアノ国際コンクール」が開催されたのだと、不覚にもこの番組の告知で知った。

パウル・ヴィトゲンシュタインが戦争で右腕を失ったことから、当代の大作曲家たちに左手のみで演奏する作品を委嘱したことはご存知のとおりだ。もっとも、パウルはそのうちの作品を演奏しなかったり低い評価を与えていたりするのだけれど。作品の積極的な委嘱ということでは、舘野泉やこのコンクールの実行委員長を務めた智内威雄に引き継がれて、今もレパートリーは増え続けている。
コンクールでは、プロフェッショナル部門とアマチュア部門が開催され、番組ではその双方が紹介されている。プロ部門に出場された皆さんがはじめから片手だけの演奏を極めようとしたわけもなく、この番組で紹介されたプロ部門のコンペティターは皆両手のピアニストとして活躍していたところ、病によって左手のみの演奏を余儀なくされた方々だ。それぞれの困難があり、それぞれの希望があってたどり着いたこのコンクール。門外漢は大いに感心しつつ、ただ番組を拝見したものだ。対して、アマチュア部門はまた別の趣があった。プロ部門が一番の武器を失ったところからの回復に挑むものだとすれば、アマ部門はこれから我が手に何かを掴むために可能性を見出すもの。そんなふうに私は受け取った。

●BS1スペシャル「スラム街 希望のオーケストラ」
2019年4月30日(火) 午前9時00分~

このタイトルからは改元とは無関係に大変なことになっているベネズエラの「エル・システマ」を想起される方も多いかと思いますが、これはフィリピンのセブ島で行われている取組みを紹介する番組です。永田正彰さん、そしてスラムの子どもたちの今後に幸あれ。

●BS1スペシャル「鳴門の第九 歌声がつなぐ日独の100年」
2019年5月2日(木) 午前6時00分~

鳴門市が公式に「なると第九」としてサイトを用意しているくらいですのでもうご存知のかたも多いかもしれません。いわゆる「第九」のアジア初演は映画化もされていることですし。フィクションよりドキュメンタリー派の皆さんはこちらをどうぞ、ということで。


フィクション派の皆さんはこの映画をどうぞ。ブルーノ・ガンツ追悼、ともなりますかしら。

●クラシック音楽館 NHK音楽祭 ドゥダメル指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック
2019年5月5日(日) 午後9時00分~

連休の最後には、一日遅れのMay the 4th be with You、ですよ。ここからN響アワーではない週がしばらく続いて、N響アワー()の再開は6月からです。

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クラシック以外にもオススメしておきたい番組があるので、これもリンクしておきます。

●BS世界のドキュメンタリー「クイーン 素顔のボヘミアン・ラプソディ」
2019年4月29日(月) 午前11時00分~

ドキュメンタリー二本立て。これも再放送ですが、一見の価値どころか録画して複数回みつ価値があると思います。特に後半、モンセラート・カバリエも多く登場していますのでぜひ。

●桑田佳祐 大衆音楽史「ひとり紅白歌合戦」~昭和・平成、そして新たな時代へ~ 平成フィナーレSP
2019年4月30日(火)午後9時00分~

以前総合テレビで放送された番組の拡大版。同業者ならではの視線は新鮮、さすがという感じでしたよ。あの「ザ・ベストテン」の「勝手にシンドバッド」のバンドがこうなったのかあ、とか感慨を抱いてしまいますね(笑)。

●ツタンカーメンの秘宝
2019年5月3日(金) 午後5時00分~(三日連続、放送時間は各日ごとにご確認くださいませ)

昨年末に第一回だけを総合テレビで放送しておきながら「あとはBS8Kで!」というとつけむにゃあ放送をしてのけたあの番組が、ようやく放送されます。もちろん、8K収録のよさは8Kの映像でこそ楽しめるんでしょうけど、そこはそれということで。

●BS1スペシャル「東京ロストワールド 秘島探検の全記録」
2019年5月3日(金) 午後7時00分~

これはNHKスペシャルで放送された「東京ロストワールド」の再編集版ですが、実に興味深い生態やら地球の活動やらが楽しめます。特にも、南硫黄島の生態系は刺激的です。マダガスカル島の例を見るまでもなく、隔離された離島はあたかも生態系の実験室の如き、であります。

●密着ドキュメント 小田和正~毎日が“アンコール”~
2019年5月4日(土) 午前1時20分~

これはまあ、私も世代の一人ということで。大ファンです、とは言いませんが小さい頃にオフ・コースを聴いて、ある時期にはドラマで流れる彼の声を聴いて、そして今に至るわけなので。学校の先輩筋でもありますし(学部も違えばこちらは圧倒的に不出来な後輩ですけど)。ツアーに密着したこの番組自体はとても興味深いものでした。
また、5/1早朝にはインタビュー ここから「小田和正」も放送されますのでので、ご存じないファンの方は併せて是非チェックを。

公共放送の連休、元号関連ばっかよね~と思われた方はBSですよ。以上、自称BSコンシェルジュの(おい)私からのご案内でした。では。

2019年4月20日土曜日

ひさびさリマインド(4/21)

私には思い入れの薄い時代の変化なのだけれど、公共放送はなにかとてもやる気であるようで。その余波なのかなんなのか、それはまったくわからないのだけれど、明日の公共放送がやる気すぎるので、久しぶりにリマインドをします。
これを書いている今は、私が過去最高の回と評価している「ららら♪クラシック」の「トムとジェリーとクラシック」を放送していますね。これが流れた回。



ブルおじさんをやってる方は打楽器じゃないですからね、別のコンサートで探してみてください、ベルリン・フィルの公演はそのうち「プレミアムシアター」で放送するんでしょうから。

では以下本題。4/21に公共放送が放送するクラシック番組3つです。

●ブラボー!オーケストラ(19:20~20:20)

「東京フィル 第918回サントリー定期シリーズ から」、ということで、先日集中していっぱい書いた(自分比)あのコンサートの初日がついに放送されます。残念ながら枠の関係で、独奏のユーチン・チェンくんの出番は割愛されていますけれど、このコンサートの大枠は入ってますし、プレトニョフの色彩感豊かなサウンドは存分に堪能できるでしょう。もちろん、あの交響詩曲を聴いていただけるわけなので、私としては過去記事も併せて読んでいただけるとより楽しいですよ、と便乗もしておこうかと思います。宣伝。
個人的におすすめなのは、明日午後にBunkamuraでバッティストーニが東京フィルと演奏するチャイコフスキーを聴いて、その後にこの録音を聴くことですね。同じオーケストラからまったく違ってどちらも魅力的なチャイコフスキーの音を導くマエストロに、まったく異なる個性のマエストロがそれぞれに突き詰めた解釈を持ってきても見事に対応する東京フィルの柔軟さに心底感心できることでしょう。



●クラシック音楽館 N響 第1906回定期公演(21:00~23:00 Eテレ)

パーヴォ・ヤルヴィの指揮でドイツ・ロマン派の曲目をお届けします。…だけならわざわざ紹介もしないのですが、あまり演奏されないシュトラウスのヴァイオリン協奏曲に、ハンス・ロットの交響曲、ですからねえ。そんな曲が神奈川フィルと同日開催ということで、SNSではちょっとしたお祭りだったような記憶もあるうちの放送です。プレトニョフと東京フィルのハチャトゥリアンもそうですが、こういうのは間を置きすぎるとよくないですもんね。うんうん。


パーヴォさんはこの曲好きで、フランクフルトでもパリでも演奏してますね。こっちはパリでのリハーサル。

●プレミアムシアター パリ・オペラ座 創立350年記念ガラ公演(24:00~26:15)

最後は昨年末に開催された、パリ・オペラ座のガラ公演。オペラもバレエも、と盛りだくさんの内容である模様。指揮がダン・エッティンガーであるのも注目のポイントですね。



この短い動画のどこかに引っかかるものがあったあなた。この番組をご覧になるべきってことですよ。

以上簡単ですが明日のリマインドでした。ではまた。

2019年4月18日木曜日

バッティストーニと東京フィル 新シーズンのはじまりは新時代の前奏曲

少し前なら、指揮の上手さと言ったらそのまま交通整理の巧みさやドライヴの集中度、オケの気をそらさない振る舞いなどに焦点を置いていたような気がします。でも限られた実演のみならず、有料無料の映像に簡単に触れられる現在だと、作品を再創造できる描写力や客席を巻き込む演出力(ひそかにこれは大事、特に若い人)まであって、ようやく「指揮が上手いな」と思うようになりました、もちろん私見ですけど。いや、究極的には「出てくる音楽に説得力がある」のが上手い指揮なんですけどね、リハまで含めて。聴き手のもとに音が来るならばそれがいい演奏であり、いい指揮であり…禅問答のようですが、それを問うならば答えはこうなるのです(バーンスタインジョーク←PMF初年度のリハーサルを何度も何度も見たお前にしか通じないぞ)。
そんな観点を持つようになって、バッティストーニと東京フィルの1月定期を聴いて、しみじみと彼の指揮が上手いことに感心したわけですよ。もちろん棒振りの技術の話だけではなく。

そんなバッティストーニと東京フィルといえば新シーズン開幕の定期だけれど。この記事を公開する頃にはもう初日が終わってるんですけど。せっかくの”新時代”なのでいつもの公演レヴューから少し角度の違う話を、私からの花束として開幕にお送りしましょう。以前にお出ししたレヴューとは別公演、オーチャード定期の感想も交えた、バッティストーニの話。まずはオーチャード公演(1/27)のことから。

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配信ですら聴くことができないザンドナーイの「白雪姫」聴きたさに、また同じプログラムで公演を重ねて音楽がどう変わったかに興味があって、サントリー公演から数日後のオーチャード定期に伺ったんですよ。この間にオペラシティ定期もあり、そこではまた違う音もしたろうと思いながら伺えず、なんとか最終公演に、と。
演奏の感想を結論から書けば、お見事でした。初日の公演より踏み込んだ表現になり、音響的に感じた違和感もなくて。オーチャードホールはなかなか上手く鳴らされないホールだと思うのだけれど、東京フィルはさすがにホームとしているだけのことがあるんですよ。サウンドの特性は違っても、残響感は違っていても、演奏は明らかに良くなっておりました。特に目当ての「白雪姫」。より演奏は引き締まって、ドラマとして届いたと思う。
一曲目の「魔法使いの弟子」も初日の演奏で感じた、(序盤に木管のソロがとおりにくい)感じもなく、力みのない音でソロが上手く浮き上がってくれた。結果として、より薄造りの作品の美しさが際立って、1897年の作品としてこの有名なスケルツォが聴こえてくれて、耳が幸せでした。

メインの「シェエラザード」も、初日より大きい会場を鳴らしきりながらも安定感のある演奏となった。演奏のスケールは大きくしながら、オーケストラとのコミュニケーションはコンパクトになって、もはや以心伝心の感すらあった。バッティストーニのアプローチについては先日のレヴューを参照していただければ。この日は前回受け取ったコンセプトがより明瞭に実現されていたと思う。

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で本題。彼の”熱い”指揮ぶりは、ついちょっと私たちの耳を「騙して」くるところがある。人ぎきの悪い言い方で申し訳ない。
いくつもリリースされている録音を聴いてもらうとわかるのだけれど、彼の演奏のベースは透明感のある明るい音なのだが、その力強さ、表現力からつい「熱い」「激しい」なんて形容が先に来てしまう。わかる、よくわかるんだけど…



もちろん、曲が曲なので、というご意見もおありとは思いますが、ちゃーんと武満トーンをこんなにクリアに現前させられる人なんですよ、彼。そのことは、これまでにリハーサルのレポートに公演のレヴューにと書いてきたのだけれど、それでもまあ、なかなかそういう話は広がらない。まあ仕方ない、ちまちま私はその話をしますよ、ええ、彼のクリアなピアニッシモの美しさを書きますともええ(居直るな)。

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さて、その機会になるかもしれないシーズン開幕の4月定期はこんなプログラム。

指揮:アンドレア・バッティストーニ
ピアノ:小山実稚恵
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

ウォルトン:戴冠式行進曲「王冠」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第二六番 ニ長調 K.537 「戴冠式」
  ピアノ独奏:小山実稚恵
チャイコフスキー:交響曲第四番 ヘ短調 Op.36

こんな広告も打たれていましたから、その趣意はわざわざ詮索するまでもないでしょう。



そう、新たな時代を民の喝采のもとで迎える王は、過酷な運命に立ち向かう宿命を負わされて困難な…え?違いましたか?もっと普通にお祝いだ?うーん、モーツァルトはこの時期は…チャイコフスキーのこれはえっと…。
不謹慎だと叱られるのも嫌なので(折れやすい)これ以上は言いませんが、この読み方のほうがいいと思うんですけどねえ。新王を待ち受ける、予告された困難、しかし勝利し成長する王の物語。チャイコフスキーの終わり方を考えれば最後には勝利する感じなんだし、別に不…え?もうやめておけ?

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さて、日本のオーケストラのシェフとして、新時代を迎えるための作品と、自身が得意とするロシア音楽を開幕公演に用意したバッティストーニ。仄聞する限りではいろいろとさらなる趣向もあるようだけれど、それは知らなかったことにして、今日からの公演を楽しもうと思います。チャイコフスキーの執拗なまでに展開される運命のドラマ、彼と東京フィルならどこまでも劇的に描き出せるのだろうと思いますので。このプログラムの公演はあと二回、当日券情報などは東京フィルハーモニー交響楽団のサイトでご確認くださいませ


ではまた後日、公演レヴューでお会いしましょう(その前にも更新しますけれど)。ではまた。

2019年4月10日水曜日

フェスタサマーミューザKAWASAKI2019の聴きどころ その一 ~セット券で読む

先日のは公式モード、今日は私モードだよ!(そこまで砕けてないよ普段のあんたは)。ということで、切り口を変えてフェスタサマーミューザKAWASAKI 2019の楽しみ方をご案内。今回は、セット券でこのお祭りを読み解きましょう。
最初にお詫びしておきますが、この記事は文字ばっかりです。すみません。

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まずはじめに。
ミューザで開催される全11公演を一度にまとめて、同じ席で買えちゃうセット券は、
1.ミューザ川崎シンフォニーホールの特性をよくご存知で、
2.お気に入りの席もとっくの昔に決まっていて、
3.今から全日程の参加を決意している
あなたのための、お得で便利なセット券です。そんなあなたに私から申し上げることは何もありません、友の会先行は4月15日の午前10時からですよ。
(知人友人ご家族サークルなどでシェアして利用する可能性をまったく考慮できない、友だちの少ない私である)

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一度にそこまで決めちゃうのはちょっと無理、でも今のうちに何か行くことまでは決めておきたい…そんなあなたのために、「土日祝セット(6公演)」「平日夜セット(3公演)」「平日昼セット(2公演)」があるのです。まずはセット券で外せない、外したくない公演を抑えて、あとは気になる公演を買い足していけばあなただけのフェスタのプログラムができあがっちまうって寸法だ!(まずは私が落ち着け)

では順番に見ていこう。公演数も多く、公演はすべて週末なので決断しやすい「土日祝セット」から。
まず開幕とフィナーレを飾る東京交響楽団の演奏会。ノット監督による開幕公演(7/27)はもちろん外せないし(解説なし)、お祭りの〆は尾高忠明※によるシューマンの協奏曲とショスタコーヴィチの第五番(8/12)でこれも外せない。
なお、ラインナップ会見にも出席されていた秋山和慶さんは海外へ演奏旅行中という理由で今年は残念ながら出演されないとのこと。

※4/9に、所属事務所より尾高忠明の5/20〜7/20の期間指揮活動休止が発表されている。予定通りに回復されてこの公演が復帰公演となるならばよいのですが。ご快癒をお祈り申し上げます。

続いて上岡敏之&新日本フィルハーモニー交響楽団のロシア音楽によるプログラム(7/28)。このコンビネーションも3年目、ますます相互理解が深まり独自の音楽を聴かせていると聞く。長年オペラで活躍してきた上岡がドラマを描くときの表現力に、それに応える新日本フィルに期待できる好プログラムが用意された。直前の定期演奏会で披露されるフランス音楽プログラムと併せて聴き比べる、そんな愉しみかたもアリだろう。

原田慶太楼&N響のコンサート(8/3)は、曲目だけを見ると小品を中心に編まれているし、このオーケストラなので(失礼)「名曲アルバム」ライヴヴァージョンの趣がある。ですが、なんとこのコンサートではどの曲も5分では終わらずフルサイズで聴けてしまうんです!(本当にすみません)
一回のコンサートで世界各地で生まれた名曲を楽しめるこのプログラムを、近年目覚ましい活躍を見せている原田はどう聴かせてくれるだろうか。N響との共演なのだから、お手並み拝見には最適の機会となろう。

首都圏外からの初招聘となった高関健&仙台フィルハーモニー管弦楽団(8/4)は、ミューザからのオファーに直球で応えてくれた。この機会に選ばれたのはチャイコフスキーの協奏曲と交響曲、いずれ劣らぬ名曲によるプログラム。…東北の雄の実力の程、見せてもらおうか!(ガンダム脳でごめんなさい)

そして最後に紹介するのは、先だって東響に客演して大好評で迎えられたダン・エッティンガーの東京フィルハーモニー交響楽団への”里帰り”公演(8/11)。メインで演奏されるのはチャイコフスキーの交響曲第六番だ。つい最近にバッティストーニと凄絶な録音もあるこの作品、エッティンガーは東京フィルとどんなサウンドで、どんなドラマを描き出すのか?

ということで、このセットはロシア音楽多めでお届けします(私じゃなくて、ミューザ川崎シンフォニーホールが)。これでフェスタの外枠がきっちり抑えられるのだから、週末に時間が融通できる方ならまずはこれを検討すべき。です。

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もっとも、平日の公演が無視できるものではないのもプログラムを見ればわかるだろう。「むしろ週末の予定は直前に決まるので!」、そんなあなたは平日の二つのセットをまず検討しましょう。公演数は少ないけれど、どちらも見どころ聴きどころのある公演が並んでいますよ。
まず「平日夜セット(3公演)」はアラン・ギルバート&東京都交響楽団(7/29)、井上道義&読売日本交響楽団(7/31)、藤岡幸夫&東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団(8/6)の三公演だ。

アランと都響、この顔合わせへの信頼感は共演を重ねるたびに増しているが、この公演では意外な選曲が目を引く。都響でレスピーギをメインに据えたイタリアンプログラム、実に新鮮である。直前の定期ではモーツァルトとブルックナーで【日本オーストリア友好150周年記念】プログラムを披露してから望むフェスタサマー、きっとこのコンビネーションの持つ別の可能性が感じられることだろう。そうそう、帰ってきたミューザのオルガンのサウンドをまずここで楽しむのもアリ、ですよ。

井上道義がお祭りで、読響と何をしてくれるのか?その答えが「ブルックナーの第八番、一曲のみ」というまさかの豪速球である。しかし冷静に振り返れば、井上は近年鎌倉で、京都で大阪でブルックナー演奏を披露してきている(第八番は京都市響との録音もある)。この曲を鎌倉で、N響と披露する前の会見でのコメントがリンク先で読めるので、興味がある方はぜひ参照してほしい。ショスタコーヴィチのイメージが最近とみに強い彼だが、ブルックナーも師匠譲りの大事な作曲家なのだ、とよくわかる言葉の数々に触れられる。

そして今年没後30年を迎える芥川也寸志の交響曲第一番を取り上げる藤岡と東京シティ・フィル。彼の作品の中でも、近年再評価高まる映画音楽や「トリプティク」などに比べて演奏されない作品だが、それをあえて取り上げるところに首席客演指揮者に就任する藤岡からの「やりますよ!」というメッセージを強く感じる。生前、まともなコンサートホールを渇望した芥川の音がミューザに響くことを、きっと作曲家も喜んでくれることだろう。

残るミューザでのセット券は「平日昼セット(2公演)」だ。ここでは川瀬賢太郎&神奈川フィルハーモニー管弦楽団(7/30)、小林研一郎&日本フィルハーモニー交響楽団(8/7)という、気心の知れたコンビネーションによるふたつの演奏会が楽しめる。曲目も川瀬がスペインをテーマに編んだ色彩感豊かなもの、そしてコバケンはいわゆる「チャイコンにベト7」と得意中の得意の作品を持ってくるのだから、この二公演は安心感が高い。しかし、川瀬賢太郎と渡辺香津美は…いや、この話はまた別に。

最後に、同じく週末土曜日にテアトロジーリオ・ショウワで開催される「出張サマーミューザ@しんゆり!」にも「しんゆりセット」があることを書いておく。ドイツの名曲で攻める東響(8/3)、例年通り協奏曲メインで送る神奈川フィル(8/10)の二公演が、昭和音楽大学自慢のホールで開催されます。フェスタサマーには行きたい、しかし幸区は遠い…そんな川崎市西部、東京都多摩地域や町田市など在住のあなたはぜひこちらに参戦されたし。ここの個性である「近代的なホールなのに馬蹄形の客席」というミスマッチもまた楽しいものですよ。

では次回に続く。また切り口を変えてフェスタサマーを切り刻みます(穏やかじゃない)。

2019年4月8日月曜日

「闘うマーラー」を聴けた ~東京フィルハーモニー交響楽団 第917回オーチャード定期演奏会

天気のいい日曜日、もう春かな…なんて日に、渋谷でマーラーを聴くのは酔狂なのか。いや、断じて否。個人的には春の気配を感じたら「大地の歌」を聴きたくなる私はそう断言しよう。今回は違う曲ではあるけれど、まあ精神的音楽的に近い作品ではある。行く前からそんな理論武装をしていたわけではないけれど、ホールへのルート開拓のつもりもあってHakuju Hallのあたりから小洒落た道を歩いていざBunkamuraへと行ったのさ。奥渋って言うのね、あのあたり。

会場に着けばちょっと驚くほどの人だかり、最後尾を示す整理の人まで出るほどの盛況である。「さすが名曲の中の名曲、これだけの人を集めるとは痛快ゝゝ」なんて一瞬思ったけれど、収容人数に限界のあるコンサート(しかも一回公演)が理由でそんなことが起きるはずもなく。同時に「ザ・ミュージアム」で開催されている「Winnie The Pooh」展の大混雑でした。さすがだな、プー。

冗談はこのあたりで。気を取り直して入場するオーチャードホールは、こちらのコンサート。

●東京フィルハーモニー交響楽団 第917回オーチャード定期演奏会

指揮:チョン・ミョンフン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

マーラー:交響曲第九番 ニ短調

チョン・ミョンフンの演奏ともしばらくご無沙汰をしてしまった。その間にもマーラー(第二番)があったのに、とか後悔しても文章は面白くならないので話を進める。かつてのシェフの時代はあまり聴けず、最近になって東京フィルとの演奏を聴くようになった私としては、まだチョン・ミョンフンというマエストロの個性というか手癖というか(失礼)、そういうものが掴めていない。まだよくわからないままに聴くたび感心させられてきたのだけれど、そろそろそのやり方をわかりたい。そんな気持ちも少しはあったと思う。多くの演奏を録音で聴いて、いくつかの実演にも触れてきたこの曲なら、もしかして少しは。そんな目算もしていたかもしれない。さてその結果や如何。

例によって最初に結論を書く。私が以前から聴いてみたいと思っていた、「”英雄”が勝利を掴みそうになる第一楽章」を聴くことができて、幸せでした。第二、第三楽章にベルクを感じ、第四楽章の敗北の先にも満ち足りた語り手の存在をイメージできてなによりでした。

パンフレットに掲載された野本氏の解説は、私に甚大な影響を与えたレナード・バーンスタインの言葉を多く引いたものだから、できたら全肯定して文を進めたいところなのだが今の私にそれは無理なので、少し書く。
まず、そもそもマーラーの実際の死因である「連鎖球菌からの敗血症」と“ストレスから来る心臓病“では全然違う。突然の病に倒れた働き盛りの50代になったばかりの男性の死を、死に怯え続けた生涯を送り私生活でのトラブルもあってストレスから死んだ、なんて受け取るのはどう考えても失礼極まりないと思いませんか皆さんどうですか。
ちなみに現在のアラフィフ指揮者()をざっくりあげてみますと、ド・ビリー、アラン・ギルバート、ハンヌ・リントゥ、サッシャ・ゲッツェル、ダン・エッティンガー、テオドール・クルレンツィス、ウラディミール・ユロフスキ、そしてキリル・ペトレンコなどなど。もし彼らが亡くなったら驚くでしょう?もし当時の平均寿命が、という観点で批判されるならば60才前後の指揮者をあげてもいいけれど、それでも指揮者の場合は衝撃の若死にと受け取られることでしょうからここでは割愛。ということで書いておきますが、グスタフ・マーラーの死は「突然の病変を、当時の医療では治癒し得なかったための急死」です。詳しくは前島良雄さんの著作をお読みになってくださいませ。

さて演奏会の話に戻ります。
この作品の精密さ、繊細さ故につい忘れがちなことだが、1910年ころの巨大なオーケストラ作品が作られた流れの中にある作品だ、と客席に入ってすぐに理解させられる。広いはずのオーチャードホールの舞台には、16型(コントラバスが10人!!)に四管編成のオーケストラが所狭しとセッティングされている。ちなみに、だけれど1910年の有名な作品は「火の鳥」、「薔薇の騎士」などがあり、マーラーの作品ではあの交響曲第八番が初演されている。そういう時期の作品なのだ、と今さらながらに認識して開演を待つ。

先ほども少し書いたとおり、私はチョン・ミョンフンの指揮について、手法的なものや特徴を言語化できるほどには理解できていない。この人ならこうするだろう、という予想ができるほどには馴染みがない、と言おうか。だからほんのちょっとの予習ということでもないけれど、YouTubeで過去の動画を見てみたが、やはりよくわからない。というのも、彼の指揮は快刀乱麻のキュー出しでオーケストラを見事にさばいたり、極度の感情移入で自分の世界()を創り出したりするようなものではまったくないからだ。その必要がないならば淡々と拍を刻んでいるようにしか見えないが、ちょっとした視線や手、体の動きをきっかけに気がつけば音楽が大きく動き出す。その効果のほどと言ったら、もう。それこそこの日の第一楽章の序盤は静かな音楽と言ってもいいものだったろう。だがひとたびマエストロが身体を左右に振り始め、指示出しと表情付けを始めると音楽はとたんに雄弁になり、熱を帯びていく。第一楽章ではこの語り口がこの上なく効果的に機能した。

私は以前から、この音楽が死に怯える心の弱い音楽家の作として語られることに疑問を持っている。たしかに、この音楽で描かれるドラマは敗北する物語かもしれない、最終的に”主人公”は死んでいくのだろう(最後の表情記号がersterbendだから、などと細かく言うまでもないだろう)、だからといってこの作品が恐怖に怯え、心を病んだ人間のモノローグのように響くのか?まさか。
この日の演奏では、最終的には敗北するけれど雄々しく戦った”英雄”の物語として、力強い音楽が示された。春めいていたからマチネだったから、なんてことはないと思うけれど、東京フィルの明るい音色で紡がれる第一楽章はこの上なく美しく、なにより強い意志を感じさせるものだった。ベルクが絶賛したのも納得である。この楽章で描かれるのが「頂点にたどり着くことがそのまま敗北の始まりである」ような悲劇なのだとしても、負けを、死を怖れて心を病むようなものでは決してない。マエストロと東京フィルは音でそれを示してくれた。
ではそんな演奏ではこの音楽が併せ持つ、20世紀初頭の挑戦的な作品である側面が描かれないかといえばそうではない。円熟した技法による複雑な心理描写は、シェーンベルクの音色旋律や、ベルクが得意とした破局的ドラマにそのままつながるサウンドとして随所に聴かれ(第二楽章はそのままベルクだった、と言いたくなる出来)、と数多くの作曲家たちに先駆した作品であることがすぐ理解できるサウンドが聴かれた。マエストロが軽く足踏みしてから始められた第三楽章の安全運転とは決して言えない快速な基本テンポは揺らいだりせず、もはや無機的な運動の限界に至るかというタイミングで中間部の美しい音楽に移行し、ここではフレーズを自然に動かすマエストロの手腕とそれを存分に音にするオーケストラの対話が素晴らしい音として届いた。この楽章の最後、楽譜にもテンポ指示があるところ(Piu Stretto、3-Taktig)での猛前たる加速、そして突然のハードブレーキングの繰り返しも見事に決まり、最後にブレーキを踏まずに壁に衝突した帰結を見せられるような楽章の終わりに、大いに圧倒された。そして始まる終楽章。ここまでにも気がついていたのだが、チョン・ミョンフンの元で東京フィルの弦楽セクションはその響きを自由に変えてくる。特にその色彩、厚みを自在に変えて表現を多彩にしていくさまは実に魅力的で、その素晴らしさに感心して聴き入った次第だ。テンポに緩みがないこと、基本的な音色の明るさゆえに、私には死がどうのこうのといった通説よりは、もう美しい記憶になってしまった遠い過去の敗北の物語を聴いているようにさえ感じられたが諸氏諸兄は如何でしたか。答えは募集していませんので、各自反芻してください。いわゆる最後の一ページ、チェロがひとりで奏で始めてから最後に音が消えていくまで、私は自分が生きていることも忘れて耳を澄ませていたと思う。
この日、音が消えて程なくしてマエストロが緊張を解き、場内からは力強い拍手が湧いたわけだけれど、私はいわゆる”長い沈黙”に意味を感じないのでこの日の聴衆各位にはむしろ敬意を感じた。

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いい加減長くなっていまったけれど、これだけは書いておきたい。
そもそもですね、芸術家が作品で死を描いたら「それは死への恐怖ゆえなのだ」という読みそのものが私には疑問だ。メメント・モリは長年にわたって芸術の主題ではないのか、と正面から問うても良いが、私としては「それじゃすべてのミステリ作家は死を恐れるあまり作品を書いているのか」とまぜっ返しておきたい。いやミステリが芸術かどうかは評価が分かれるかもしれませんけど。
私には、マーラーの早すぎた晩年の作品群は「正面から死に直面してなお、生きて帰ってこられるほどに心身ともに充実した時期だからこそなし得た仕事」です。その力強い仕事を、明るく美しい音をベースに描いてくれたチョン・ミョンフンと東京フィルハーモニー交響楽団に感謝を。

そして帰り道からつらつら考えていたのだけれど、第三楽章でトランペット、トロンボーン&テューバが全音符を奏でるあれ(マエストロの解釈だとここだけテンポ感が失われるように意図されているところ)、彼はここを鐘の模倣として解釈していたのではないかと最近になって思い至った。猛スピードで展開する浮世のあれやこれやをすべて無に帰してしまう、超越的音声としての鐘。まあ、そういうのはまたこの作品に出会う機会にでも考えることにします。

最後にもうひとつだけ。
終演後、クロークに並んだ私の前にはご家族連れがいらっしゃいまして。どう見ても小学生の男子もいたのでつい「さすがにその子にこの曲は重くないかい」なんて一瞬思ったけれど、いつか出会うべき作品に、こんな演奏で出会ってしまうのもなにかの縁なのだろう、そんなふうに思い直した私である。この曲に生涯出会えないことの不幸を避けられて、この演奏でこの作品に出会えた幸運に恵まれた彼に幸あれ。
…なお、私の最初のマーラーは「ブームだというし聞いてみるかと点けたFMで、第一番か第二番どちらかを聴いている途中で寝落ち」というものだったことを申し添えて本稿はおしまい(台なし)。


2019年4月7日日曜日

大恩人でした ~サム・ピラフィアン(テューバ) 没

昨日あたりから、いろいろと情報が出ていましたが最後の活躍の場だったアンサンブルからの発表がこれをお報せするために参照されるべきでしょう。



エムパイア・ブラスの創設メンバーにして長年テューバ奏者として活躍したサム・ピラフィアンが亡くなった、とのことです。数多くの演奏に感謝を。合掌。

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エムパイア・ブラスの創設メンバー、ジャズを主に演奏するアンサンブル"Traverin' Light"としての活躍でよく知られ、教育にも注力したテューバ奏者、サム・ピラフィアンが亡くなった、という報せは最初こちらのツイートで拝見しました。



これはテュービストの藤田英大さんからの発信でした。ピラフィアンとの交流もあったような方がいい加減な情報を流すわけもないのだけれど、信じたくない気持ちもあって英語ソースが出るまでは、所属しているアンサンブルからのコメントが、親族からの表明があるまでは…寝て起きたら誤報でした、だったらどんなにいいかと思って寝て起きて、確認してみたら上記の情報が出ており、嗚呼もう逃げられないとまずは第一報をアップしたわけです。今はこういう記事も出ていて、彼のキャリアがちゃんと記されています。あらためて合掌。

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今でこそあれやこれやとクラシック音楽の話をしている私ですが、いっとき完全に離れようと思った時期があります。それは大学に入ったばかりの頃、趣味の楽器の演奏もやめちゃって、ちゃらい大学生になろうかと迷った頃。

いま思うと、高校を出て私は不全感に悩んでいたんだと思う。大学生になったらあんなとこやこんなことをしなくちゃだ、みたいなぼやっとした夢しかなくて、進学はしてみたけれどそこで勉強はそれほどできない自分に気付かされて(勉強の仕方を理解していなかったのだと思う)、「新しいことを」と入ってみたオーケストラでは出番が来る日が見えないし(先輩が複数いたので)なにより練習場所が家から遠いもので行くのが嫌になってしまって。たまに音やら吹き方をほめられたりはするのだけれど、練習をがんばろうというモティベーションはもうなくなっていた。仮に出番があってもオーケストラでは吹く時間はほんの少し、前プロでも定期に乗れるのかな自分、その程度のためにやってどうすんのかな、みたいな。
勉強ができれば、楽器が吹ければ、そのくらいしか当時の自分を支えるものがなかったとかいま考えても怖い。勉強もそれなり程度、楽器だってプロを目指せるほどじゃあなかったのに。当時読書癖がなかったら何年も無駄にしただけだったろう、もしくは普通の大人になれていたのかもしれない(そのほうが良かったとか言わないでお願いだから)。

ともあれダメになりつつあった当時の私は、帰省して高校の友人たちと地元のホールでエムパイアブラスのコンサートを聴く機会を得た。経緯はもうまったく思い出せない。

私が高校生くらいの頃までは、アメリカン・ブラス・クインテットやカナディアン・ブラスのようなエンタテインメント色の強いアンサンブルが人気で、その時点で私はエムパイアブラスのことなんて金管五重奏であること以外何も知らない。もちろん、メンバーのことも、そのサウンドも。そんな腐った状態で聴くエムパイアブラスがどんな衝撃だったか、想像できますでしょうか。プログラムは「エムパイアブラス・イン・ジャパン」「バーンスタイン、ガーシュウィン」あたりの路線だったはず。
いま振り返って私が言えるのは、「ここであの音に出会わなかったら、音楽からは離れていただろう」ということだけです。自分が普段演奏していた楽器が持っている可能性を、音楽の美しさと楽しさ、コミュニケーションの喜びを、言葉ではなく一度の演奏会で教えていただけたから、音楽から離れられなくなった。もちろん、それは私にとってはいいことだった。おかげさまで、その後私はバーンスタインの作品に出会い(エムパイアブラスは「ミサ曲」の初演でロルフ・スメドヴィクとサム・ピラフィアンが集められたことから結成されたアンサンブルです)、彼らの演奏を聴くうち自分の嗜好が形作られて、そこからやっと自分の欲しいものがわかるようになっていったのだから。
その後は家から近いところで練習している吹奏楽部に入って、自分の音が好きになれるように基礎練習をずいぶんとしましたわ。そこから先に進むヴィジョンがなかったあたりに自分の限界を感じてしまうのだけれど、それでも私は楽しくテューバを演奏する時間を持てるようになりました。嗜好や技術のなさ故に彼のようなアンサンブルやソロでのジャズなんて望むべくもなかったけれど、少しはマシな音で演奏できるようになれたと思います、その当時。

その後私は嗜好も変わって時間も取れなくて(音楽は圧縮して経験することができませんからね)、だんだんに吹奏楽界隈、テューバ界隈からは離れてしまって、買い揃えていたエムパイアブラスの録音もだんだん歯欠けになって…と彼の”現在の”音楽からは離れてしまいました。今はもうテューバだって演奏していない。それでも、今のこんな私の、最良の部分があるのはサム・ピラフィアン(と、スメドヴィクがリードしていた時代のエムパイアブラス)のおかげなんです。訃報のタイミングでしかこれを言えない自分になんというか不甲斐なさは感じますが、心からの感謝を送らせていただきたいと思います。