2018年11月30日金曜日

「ファウスト」の話の続き

(承前)
また長くなっちまうといけねえ、簡単に書くといたしましょう(「昭和元禄落語心中」見ている人並みの口調伝染り)。「ファウスト」の話の続きです。今度は音楽の話。いちおう空振りにはならないと思いますよ、ええ。

さまざまに音楽化されているゲーテの作品は、まず第一部が1808年に、そして第二部が1832年に出版されている。その影響は19世紀に特に大きく、なんらかの形で「ファウスト」を音楽化した作曲家は、作品成立順に並べると以下の通り。

リヒャルト・ワーグナー 「ファウスト」序曲(1840/1855改訂)
エクトル・ベルリオーズ 劇的物語「ファウストの刧罰」(1846)
フランツ・リスト ファウスト交響曲(1857)
ローベルト・シューマン 「ファウスト」からの情景(1862)
シャルル・グノー 歌劇「ファウスト」(1859)
アッリーゴ・ボーイト 歌劇「メフィストーフェレ」(1868/1875/1876/1881)
ここで考察のため、20世紀に入ってからの作品ではあるけれど例外として入れたいのがこの人のこれ。
グスタフ・マーラー 交響曲第八番 変ホ長調(1911)

なお。フランツ・シューベルトが作中のモティーフに付曲した歌曲がある。また時代を下ってマーラー同様の20世紀枠ではブゾーニの「ファウスト博士」、シニートケ(シュニトケ)の「ファウスト・カンタータ」があるのだが、それらについて何かを語る立場にはない。力不足で申し訳ない。

さて気を取り直して。こう並べてみると「また君たちかあ…(ベルリオーズとワーグナー、そしてリストの三人の関係、なかなか興味深い)」「グノーは文芸作品のオペラ化大好きだねえ(彼は「ロメオとジュリエット」も作曲している。この流れはフランスではマスネが引き継いだのかな…)」「ボーイト、成功するその日を信じてよくがんばった」などなど、ご覧になる人によっていろいろなことが思い浮かぶことだろう。だが私がここで書きたいのは、こう並び替えて読み解こう、というもの。

・グループL
エクトル・ベルリオーズ 「ファウストの刧罰」
シャルル・グノー 歌劇「ファウスト」
アッリーゴ・ボーイト 歌劇「メフィストーフェレ」

・グループD
フランツ・リスト ファウスト交響曲
ローベルト・シューマン 「ファウスト」からの情景
グスタフ・マーラー 交響曲第八番 変ホ長調

※アルファベットはてきとう(嘘)

こう2つのブロックに分けた理由はシンプル、ゲーテが全作の終わりにおいた「神秘の合唱」なし・ありの観点から、である。歌詞もない観念的序曲で、劇としての体裁をなしていない(失礼)ワーグナーはこの場合除外する。なお、これは想像ですが。ワーグナー作品への「ファウスト」の影響の痕跡は、きっと誰か(複数)が論文でも書いているんじゃないかな、と思う。もっともワーグナーはファウスト的存在に対してかなり両義的な思いがありそうに感じるけれど。

さて本題に戻って。
このようにグループ化すると、ドイツ語圏の人(この場合、ゲーテの原作をドイツ語のまま歌唱させている人)は”神秘の合唱”を書いているとわかる。または、翻訳を経由している仏伊では第一部のマルグレーテとの関係性を主軸においてドラマ化されていることがわかる、と言えるだろう。フランスでもドイツ語圏でも活躍したリストが第一部の登場人物たちの描写から神秘の合唱に至る、という折衷的選択なのはなんというか、ちょっと微笑ましい。
思うに、翻訳の問題はおそらく我々が想像する以上に大きかったはずで、この作品が行き渡った時期についても本来はここで考察されるべきだろうけれど、きっと誰か(複数)が論文でも以下略。

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グループ化したことで私としては結論を書いたようなものだけれど、もう一度成立順に個別の作品を見ていこう。

まずは最初に劇的作品として「ファウスト」を音楽したベルリオーズの場合。ここではオリジナル展開多めの、グレートヒェンとの恋愛ものとして描いて、最終的にファウストが(強調)地獄落ち、マルグリートの魂だけが救われる。ここまでゲーテとの乖離が目立つと、「伝承のファウスト博士も考慮して作品化された」と考えるべきかもしれない。
また、かつて「幻想交響曲」で自らの分身とブロッケン山に分け入った文学的個性の強い彼としては、第一部のファウストを許せなかったのかも、なんて想像もできるかもしれない。

続いてオーケストラとテノール、合唱で「ファウスト」の物語を抽象化したリストの場合。彼の得意な交響詩スタイルで第一部の主要キャラクター三人を、「ファウスト、マルグレーテ、メフィストフェレス」の順にオーケストラのみで描写し、最終的にテノールと合唱による神秘の合唱に至るという独特の構成は他に類を見ないものではないか?(もしかするとチャイコフスキーの「マンフレッド」交響曲が近いのかもしれない。憶測に憶測を重ねてしまったから、説得力皆無であることは自覚している)
原作既読で、かつて初めてこの曲を聴いたときには「終盤、強引すぎませんか」と感じたものだが、このたびの再読を経て聴いてみると「もしかしてファウストが亡くなったあとの、メフィストフェレスが天からの使いに敗北する場面をスケルツォとして描写したかったのかな?」と思わなくもない。…この読みがあたっているとしても、マーラーが一時間を費やす終曲につなぐには苦しいと思わなくはないが。

シューマンは、三つの場面を音楽化することで全編を想起させよう、という若干トリッキーなスタイルでこの大著を音楽化した。
この稿で注目している「神秘の合唱」にいたる終末部分は第三部として作曲され、ここではマーラーと同様に原作をそのまま歌詞として用いているので、比較もまた楽しいだろう。激越に頂点を目指すマーラーと、すでに理想に至った幸福感で静かな音楽を綴ったシューマンの好対照は、作曲家の個性と時代の要請があいまってのことではあろうけれど、同じテキストからここまで違うものが現れるのだ、という好例かと。

グノーは第一部をオペラ化して、マルグリートの救済をもって劇を閉じる、ある意味順当なアプローチだ。この割り切りのおかげで、ファウストのキャラクター造形などにも十分に時間を使えており、ちゃんとファウストが主人公の作品となっている、と思える。そのあたりはオペラ慣れしたスタッフのいい仕事なのだろう(台本はジュール・バルビエとミシェル・カレ)。
でもドイツ人にはあれは「マルグリート」でしょ、とか扱われるんですって。仕方ないなあもう、とは思うのだけれど、まあ、私としてはどちらのお気持ちはわかるからこうした稿を起こしているわけで。

そしてアッリーゴ・ボーイト。第一部も第二部も入れたいと欲張って、さらに主役をファウスト博士ではなくメフィストーフェレにして、と独自色が強い。それについての考察はまあ、すでに書いたということでご容赦を。私の文では食い足りない皆さまは、東京フィルハーモニー交響楽団の特設ページを味読されるといろいろな視点が得られると思う。

最後にグスタフ・マーラーの交響曲。原作への敬意が重すぎたのか、最終盤のドラマをまったく削っていない。この調子でオペラにしたら一日かかってもワルプルギスの夜一回分しか描けないに違いない(断言)。同じ意図で現れる聖人たちの歌唱を一連の歌曲のように構成したこの作品は、オペラというよりもカンタータに近く、それも完全に肯定的である扱いがマーラーの作品群のなかでも本当に独特。彼のキャリアの頂点は、この作品なのだということは、音で聴いてもらえれば誰もが理解するだろう。最近はなぜか演奏頻度も高まっていて、以前に比べたらずーっと接しやすくなったように思う(反比例するように、いわゆる「復活」の実演を以前ほど見かけなくなったような気もするがそこはスルーで)。

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で、こう見ていくとボーイトとマーラーの好対照がなかなか興味深いのである。自ら作品のエッセンスを劇として再構成したボーイト、おそらく「この曲を聴く人の多くは「ファウスト」を精読しているだろう」と信じて終末部分だけを、いっさい手を加えずに音楽化したマーラー(それも交響曲で、リストのように「ファウスト」とは名付けないで!)。シューマンのところでも書いたが、作曲家の個性と時代の要請、その二点だけでもご飯が美味しくいただけそうなお題なので、きっとこれも誰か(複数)が以下。

本稿に興味を持つような皆さんはすでにご存知のとおり、ボーイトのオペラを成功裏に上演したアンドレア・バッティストーニと東京フィルハーモニー交響楽団(演奏会形式だけれど、彼が示したのは間違いなくドラマだったので、あえてこう書く)は、2019年1月にマーラーの交響曲第八番を演奏する。「ファウスト」を読み替えて”ある悪魔の物語”として示した彼らが、続けざまに「ファウスト」全冊の終わりを描く格好になることはなかなか面白いめぐり合わせである、興味のある方はリンク先で……と申し上げて本稿を、と思っていたのですが。

東京フィルハーモニー交響楽団の2019シーズンプログラムが、先日発表されています。2020年から、今シーズンまでとは区切りを変えてシーズンを「1月から12月まで」と変更するため、2019年は過渡期的に「4月から11月まで」の短めのシーズンとなるとのこと。バッティストーニ、チョン・ミョンフン、ミハイル・プレトニョフの三本柱と沼尻竜典、尾高忠明、ケンショウ・ワタナベが登場するシーズンについてはリンク先にて詳しく見ていただくとして。その際には本稿にこれを入れ込んだ理由である10月公演をよーく見てみてくださいませ。なんとリストの「ファウスト」交響曲を演奏するんですよ、ミハイル・プレトニョフの指揮で

この作品、過去のレコーディングを探していただくとわかるのですが、レーベルに対して力が強いというか、好きな作品を録音できているような指揮者たちだけが録音を残している、不思議な曲なんですよ。アンセルメにバーンスタイン、ドラティにショルティ、シャイーにラトルなど、と書き出してみて(あれモノラル録音は…)とか新しい疑問も生まれてきましたし。
その作品をロシアのマエストロが取り上げる、となると先程思いつきで書いておいた「マンフレッド」つながりも割と確度のある見方として妄想できるのかな、とか思ったり。

来年には英国ロイヤル/オペラが来日公演でグノーの作品を取り上げますから、まだしばらく「ファウスト」について考察する機会は続きそうです。やっぱり皆さん、読んだほうがいいっすよ(偉そう)。以上、2018年の「ファウスト」の話はおしまい。ではまた。

2018年11月16日金曜日

「ファウスト」、読んでみた! ~若しくは森鷗外訳「ファウスト」を読みて思ふこと

それはまだ暑かったころのこと、「ああ、11月には「メフィストーフェレ」の全曲が演奏されるのか…」と気づき、ゲーテの「ファウスト」を読むのはどうだろうか、と思い立った。レアなんて表現では足りない、まず実演にはお目にかかれない音に聴けないと思っていた作品を聴くことができる、かもしれない。そんなタイミングでもなければ手が出しにくい大著に、何年ぶりかはもはや思い出せないほどの時を隔てて行った再読を、ついこの前ようやく終わった。公演前に間に合ったのは幸いなことである(笑)。


実は今、メトロポリタン・オペラでもこのオペラが上演されているという。シンクロニシティ(ポリスではない)。

大学生の頃、なんとか最後のページにたどり着いたことは覚えている。その頃は、受験時代の読書不足を取り戻そうとしていたのか、文庫数冊になる名作を意地になって読んだ一連の流れの一つとして読んだはず、たしかそういうことだった(当時はネットもケータイもない世界である。自分にとっては幸いなことだった)。ちなみに当時読了したのは「レ・ミゼラブル」とか、「魅せられたる魂」とか「カラマーゾフの兄弟」とか、岩波文庫でも数冊になるような大長編、それもまったく系統立てる事なく、不徹底な手の出し方。…もっとも、それらの本でさえも今では細部が頭から抜け落ちて、あらすじしか知らない人レヴェルですけど。
第一部はさらさら読めたこと、第二部のほとんどがよくわからなかったこと(おい)、第二部の最後のくだり(建築というか干拓の大事業あたりから)にはそれなりに強い感銘を受けたこと、有名な最後の最後のあれはこんなに短いのかと拍子抜けしたこと、等などくらいは思い出せる。でもまあ、何分馬鹿な大学生のこと故、そして今のようにデジタルで簡単に読書録を作れる時代でもなかったから、記憶は都合よく書き換えられたものかもしれない(これで都合いいのか俺)。

その程度の読みであっても、戯曲なんてほとんど読んだことないのに、ファウスト伝説に特段の興味があったわけでもなかったのによく読んだよ、と今の私は振り返って思うので、当時の私を褒めてあげます。おかげでその後、マーラーでもリストでもベルリオーズでも戸惑うことなく親しめたのだから。
クラシック音楽好きの皆様ならご存知の通り、ベルリオーズにシューマンにグノー、ボーイトにリスト、マーラーらが程度の差こそあれ付曲しているこの作品、知らないのはあまりに惜しい。というか常識として知っておくことで、ある時代が見えてくるのですよ…とか、偉そうに言えるのはクラシック音楽を聴いていく頃に一応読了済みだったから、です(断言)。

当時読んだのは先ほども名を出した岩波文庫(権威に弱い)、その後第一部を紛失してしまったもので新潮文庫版を買い(だが読んでない←おい)、たしか一度は集英社版にも手を出した、はず。図書館から第一部を借りてほとんど読まずに返しちゃったけど(←おーーーーい)。そんな失敗の記憶がある以上、なにかの新味でもなければ再読などできまいよ、そう考えての電子書籍選択だったわけだったけれど、青空文庫の訳者を見れば森鷗外ときた。それなら読んで見る価値もございましょうぜ。



鷗外の訳は明治期の文学作品相応の日本語に、歌の部分を七五調で揃えたもの。当時「ファウスト」がわかりにくく感じた理由の一つに「台詞と歌の区別がつきにくい」という理由があった私にはむしろ難有いやり方で、これは特にワルプルギスの夜を読み進めるには大いに私を助けるものでした。古文ってほどでもないですが七五調やら古めの文体、当て字の読ませ方を苦にしない人には鷗外版最強なのでは?と思ったくらい。
※ちなみに私は読書尚友というアプリで、縦書き表示にして読みました(タブレット使用)。

ちなみに、だけれど。鷗外が訳出して出版、その後第一部を上演した往時の反応が同じく青空文庫にある「訳本ファウストについて」で読める。曰く。

(以下引用)訳本ファウストが出ると同時に、近代劇協会は第一部を帝国劇場で興行した。帝国劇場が五日間連続して売切になったのは、劇場が立って以来始ての事だそうだ。(引用終わり)
それに対する反応が興味深いからさらに引用。

そこで今日まで文壇がこの事実に対して、どんな反響をしているかと云うと、一般にファウストが汚涜《おとく》せられたと感じたらしい。それは先ずファウストと云うものはえらい物だと聞いてわけも分からずに集まる衆愚を欺いて、協会が大入を贏《か》ち得たのは、尾籠《びろう》の振舞だと云うのである。(中略)これは単に興行したと云うだけを汚涜だと見たのであるが、進んで奈何《いか》に興行したかと云う側から汚涜を見出した人があるらしい。それは私の訳が卑俚なのとある近代劇協会々員の演出が膚浅なのとで、ファウストが荘重でなくなったと云うのである。(引用終わり、《》は青空文庫ではルビ)

これだからいつの時代も、とボヤキの一つも出てしまうところだが、まあ同時代の反応というのはそういうものが多いのだ。あえて一般論にしてみました。
汚涜とまできましたか、と思わなくはないが、ベルリオーズ、グノーで本筋として描かれるマルグレーテとの悲恋物語(読み返してみると”悲恋”とさえも言いにくくなるほど成り行き任せなのですがね、我らがファウスト博士)、たしかにわかりやすく俗っぽいので”時代を代表する大傑作””時代精神の体現”などなど、高尚っぽい何ものかを期待した人にはまあ、そういう感想もありうるかな、とは思う。それにほら、評判のいいものって、実際に触れる前の期待値を超えるのは難しいものだし(軽いな)。

さてようやく本題。久しぶりに全巻を読み終えてしみじみと思う、過去の自分は色恋(第一部)やら美醜に振り回される(第二部の)ドクトルに引き気味で読んでいて、それ故に、最後に無私に偉大な事業に挑む老人の意志に感じ入ったのだった、と。そう、若かった頃の私は割と真面目だったのである。読み進めること自体に苦心していた往時とは違って余裕を持って味読できた今回、その事業さえも曇りないものではなく、あらかじめ傷ついた成果となるようメフィストフェレスが仕組んでいることに気付かされたのはちょっとした驚きであった。最期においてすらこれだ、それ以前の恋愛悲劇において、また美をめぐる遍歴、疑似ファミリー・ロマンスにおいておや、なのだ。随所にそうした仕掛けがされているのだろうけれど、残念なことに私ではゲーテの含意を汲み尽くせない。歯がゆいことこの上なし、八つ当たり気味に汚い、さすが悪魔汚い、と口走る私である。
冗談はさておいて。これに気がつくとファウストが時をとどめるにいたる最後のプロセスにすら瑕疵があって、それでもすべてを受け容れる物語だったという認識になる。ということはこの物語で描かれるファウスト博士は学徒としてはなせるだけのすべてを成し遂げているが、その後メフィストフェレスと契約してからは何も満足にはなし得なかった、と読めるのだ。すべての成果は傷物としてのみ手に入る、しかしそれでもその過程そのものを肯定した、その先に救済が待っている。そういう構造だったのかとようやく理解できたのが、今回の私の最大の成果である。もちろん、上記のとおりの傷物の成果なのだけれど。

もちろん、そんな歯がゆさはその部分だけ、では全くない。この作品、とにかく前提となる知識が多すぎて、大学生当時の私ではまったく噛み砕けず消化もできなかったのも当然であった。感銘を受けた老ファウスト最後の挑戦は、文字通りの人事をつくすお話だから比較的わかりやすかったのだ、とも言える。
それでも再読した今回は楽しめましたよ、魔女どもの闊歩する怪しい宴も、美を求めたヘレネーとの生活もその破綻も、有名すぎる第一部の恋愛悲劇も。汲み尽くせない無力感にこだわるほどの歳でもなし、ありのままの私で楽しみましたよええ、ええ。

個人的には、弟子ワグネルをも含めたホムンクルスを巡るエピソードが強く心に残ったように思う。人が創り出した命はどこから命なのか、どうすれば人の技は”自然”になれるのか。手塚先生が生涯「ファウスト」に魅せられ続けたのもこのあたりなのかなあ、なんて思ったりして(あらすじから読み取れる圧縮ぶりがすでに天才的なのが凄いですよ手塚先生)。

…ただ、ですね。昔感銘を受けた、と何度も書いた最後の大事業も、今回心に残ったホムンクルスも、有名どころはまったく音楽化していないという(笑)。だから私の今回のこの文も、ボーイトのオペラの手引きにはまったくならないのだどうだ参ったか、と申し上げなければならないのは誠に申し訳ない限りである。


役に立つ情報は、若きマエストロの明晰で包括的な解説からどうぞ!(丸投げ)

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これではさすがに申し訳ないので(笑)、少しだけ考えたことを書く。論拠のない私見はいらない、という方はここでさようなら。ゲーテの大著に戻ってくださってもいいし、ボーイトのオペラ他、楽しめるものはたくさんございましょうから。

ボーイトは後年ヴェルディと作った「オテロ」を「ヤーゴ(イアーゴー)」にしようとした人物だから、「ファウスト」を「メフィストーフェレ」にするのも自然なことかもしれない。
また、作曲当時のスカピリアトゥーラの若造としては、”神に愛されてしかし悪魔に翻弄されて新たな生涯を終える”ファウストよりも、”神に挑んで堂々敗退する悪魔”のほうがより近しい存在と感じられたのかもしれない。実際、ボーイトがそうしたようにマーラーが付曲した場面を除いてみるならば、「ファウスト」全編の大枠を作っているのは主とメフィストフェレスの賭けである。ファウスト博士は神のお気に入りとして悪魔に験される存在でしかない、とも読めるのだから、若きボーイトのやり方はなかなかに説得的だ。

私個人としては、それらの一般的な見解に加えて「ドン・ジョヴァンニ」のイメージを見たように感じている。騎士長の霊により地獄堕ちさせられながら最後までNonを叫ぶドン・ジョヴァンニならぬ、天上の存在に籠絡されてそれでも口笛を吹いて抗うメフィストーフェレ。オペラにおける反抗者の系譜で見るならば、物語の結論としては逆方向ながら「タンホイザー」なども想起されるところだろうか。

また、ボーイトのオペラを知ることで、他の「ファウスト」を題材とした作品について調べるうち興味深いことがわかったように思う。それは…もう長くなっちゃったので別項で書きますね(笑)。ではまた。


2018年11月14日水曜日

訃報 佐山雅弘(ジャズピアニスト)

ジャズピアニストの佐山雅弘氏が本日14日に亡くなられた、との報を、ミューザ川崎シンフォニーホールのサイトで知った。
佐山氏のサイトを拝見すると9月には公演を行えていて、だが今月上旬には2つキャンセルがあった、けれど今週16日にはアドバイザーを務めるミューザ川崎シンフォニーホールでの公演を予定されていた。今月26日には65歳の誕生日を迎えるところだった。

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ミューザ川崎シンフォニーホールとは開館前から少々のご縁がある。とは言いつつもこの”縁”の始まりはお仕事上のことなので詳しくは書きにくい(正直、もう昔話だからいいんじゃないかなと思う気持ちもある)。開館前に内覧会で一度ミューザの音を経験し、仕事は開館後もしばらく続いた、そして仕事を変えてからは一人の聴き手として演奏会を楽しんだり、ライターとしてあれこれの公演を紹介して今に至っている。ここ最近はホールになかなか伺えていなくてなんとも不甲斐なく、いろいろと口惜しい思いをしているのだが。
そんな私が少しばかり知っているあのホールの昔話を、アドバイザーを開館前から務めてくれた佐山氏への合掌の代わりに書いておこうと思う。

今でこそホールのフランチャイズ・オーケストラとして声望を高め続ける東京交響楽団とともに評価を高め、また世界から来演する音楽家たちの称賛を受けて世界有数の名ホールと評価されているミューザ川崎シンフォニーホールだが、その音が体験される前にはそこまでの期待値はなかったように思う。実際、当時の同僚たちは昔の川崎のイメージを引き合いに出してからかったりもしていたし、”東京”を名に冠するオーケストラが川崎をフランチャイズにすることにも少々の混ぜっ返しがあった。いまでは東響とミューザ川崎シンフォニーホールのコンビネーションはもはや切り離すことができない、と言ってしまえるからこんなポジティヴでもない話にも触れられるのだが。
開館公演にありがちな(失礼)「第九」ではなくマーラーを、それも第二番ではなく第八番を選んだのは当時としてはかなり挑戦的な試みだったし、それは私も含めた音楽ファンに東響とミューザ川崎シンフォニーホールへの関心を掻き立てたものだ。大人数の合唱を要求する第八番の選曲には、「より多くの市民の参加を可能にするため」という公共ホールならではの事情もあっただろうけれど、2002年の時点で自らの「最初の音」としてあの交響曲を選んだホールはそれだけでも尊敬に値した。そしてホールと東京交響楽団は定期に加えて共同企画による「名曲全集」、そしてオペラも含むいくつかの特別演奏会で取り上げる作品を拡大して今に至っている。あの大地震の影響による休館もあったけれど、総じて素晴らしい歩みだ、と私は思う。

だが、である。私が手放しで喜んでいるということは、市民の多くは(なんかよくわかんないけど駅前にホールあるんでしょ)くらいに思っている、という可能性もある、というか高い。いやもっと酷くて(なんですかそれ)かもしれない(悲しい想像はここまで)。
どんな演奏会やイヴェントについてでも、なにかしら書かせてもらうような機会には、私みたいなのではなく「音楽が好きな人」にも届くようにと考えて書くわけだけれど、たとえば「フィガロの結婚」を短い文章で何も知らない人にどう紹介すればいい?けっこう詳しいクラシック音楽ファンでもその含意を察しにくいだろう、ヴァレーズとシュトラウスが並ぶプログラムなんてどうやってその面白さをお伝えしよう?(否定しているわけではない、どころか聴きたくて仕方がない、というのが私のスタンスです)

「実際に、会場に足を運んで体験してもらえれば」とは私のような末端も含めて誰もが思い、ときには口にする(こんなふうにね)。正直なことを言ってしまえば最後はそれしかない、と私は思う。だって会場で体験できることを事前に伝えることはできないし、体験した人もその経験を言葉で完全に再現できるわけがないのだから。それでも何かを書いて誰かに伝えるのは、そこで起きたことがどういう物事だったか、それを会場に消えていった響きの代わりに残しておきたいから。そのような出来事があったという事実だけでも残しておきたいから、そんなささやかな希望からだ。
それはきっと同好の士には届くかもしれない、でもコンサートやオペラを見たことも聴いたこともない、そういう人たちがコンサートホールに近づく契機はそのような行動の中にあるのか、ありうるのか。残念だが、接点を私が作り出すことは、ほぼできないだろう。

だが幸いなことに、大都市である川崎市はこのホールの運営にそれぞれに専門分野の異なる有力なアドヴァイザーを複数招くことができたから、開館以来いくつかの方向の異なる可能性を同時に示し、魅力的な発信を続けられた。招致時点で秋山和慶が率いていた東京交響楽団との歩みは前述の通りだが、たとえばピアニストの小川典子は自身の演奏だけではなく子どもたちとの交流をも用意した。ホール専任のオルガニストを選んだことで自慢の施設を有効に利用した。それらは疑いようもなくホールへの興味を引くことに成功し続けているだろう、しかしそれは予備軍も含めた「クラシック音楽を好きな人」が対象だ。もちろん市民の多数派はそうではない人たちだ(残念ではあるが潔く認めよう)、では市の施設としてより広い層に存在をアピールし、その魅力を知ってもらうにはどうすればいい?
そう考えたからかどうかはわからないが、ホールはジャズピアニストの佐山雅弘をアドヴァイザーに迎えた。彼自身の演奏、また彼が認めるミュージシャンたちの演奏をミューザ川崎シンフォニーホールで聴くことの素晴らしさを、彼はいくつもの企画で伝えてくれた。その功績には、感謝しか申し上げられない。
開館前の、彼の企画を実際に聴く前の私はその人選をうまく理解できなかったことを正直に告白する。素晴らしいコンサートホールとして、東響がいて外来公演もあって、ピアノにオルガン、室内楽もやるのだろうし、おそらくはアマチュアの公演などでもスケジュールは埋まっていくのだろう、声楽は、どうなのかな?…果たしてそこにジャズは、ポップス寄りの公演は入る場所あるの?と当時は怪訝に思ったわけだ。だが今なら上述のように、いくつかの方向性の一つとしてジャズを含むポピュラー寄りのプログラムは必要だったとわかる。実際、「プログラムに知らない曲が並んでいるとスイッチが入る」「名前だけ聞いたことがある作品が取り上げられるコンサートに興奮してしまう」私のような少数派ではない多くの聴衆に、佐山氏の企画は愛されてきた。
…だが、である。こと自分について言うならば「最高の音響で聴くジャズという贅沢」に少しくらいは思い当たるべきだったんじゃあないのか、と反省もしてしまう。自分の出身高校の近くに渾身のオーディオシステムが自慢の名の知れたジャズ喫茶があったのだから、自分はその魅力を知っていたじゃあないか。彼の企画による演奏会の客席で、どんなオーディオでも再生できないだろう、最高にリアルなサウンド(あたりまえだが、こう言うしかないのだ)に興奮した日に、ようやく気がついた自分の不明を恥じる次第である。

3日にわたって個性的なミュージシャンたちがミューザ川崎シンフォニーホールに登場した数年前のかわさきジャズに軽い疲労を感じつつも興奮したことを、私はつい最近のことのように思い出せる。そのかわさきジャズ開催中というこのタイミングでの佐山氏の訃報に、なんと申し上げたものかと迷った挙げ句に以上の駄文を認めさせていただきました。佐山さん、いくつもの素敵な公演をありがとうございました。最後にやはり、合掌を。

2018年11月11日日曜日

そう、おじいちゃんのため”だけ”の音楽じゃあない~「マエストロ・バッティストーニの ぼくたちのクラシック音楽」

ご無沙汰でした。
さて、アンドレア・バッティストーニの著作、ようやく読みました。音楽之友社から発売されている「マエストロ・バッティストーニの ぼくたちのクラシック音楽」、原題は「おじいちゃんのための音楽ではなく」(Google翻訳様によれば)。


手を出すには時間がかかったのに、いざ読み始めると読了まではあっという間、賞味一時間ちょっとで最後まで目が通ってしまう。「それはいくらなんでも雑なんじゃあないかい?」という声がどこかから聞こえるような気がするけれど、これは過去にインタヴューをさせてもらった私の特権的な有利があるかもしれない。だってここには、過去に彼に聞いたエピソードや考えが、より整理された形でまとめられているのだから。そうであってみればなんのことはない、これを読みにくく感じたなら私はただの大馬鹿者なのだ(笑)。
なお、このように私が感じた理由については、本書を既読の方には私の過去のインタヴュー(その一 その二 ※なんと二度も!ありがたい話である)も併せて読んでいただくと、それぞれサブテクストとしてよりお楽しみいただけるかもしれない(あ、インタヴューイの無能についての苦情はいらないです、皆様からお伺いするまでもないので…)。

冗談はさておいて、本書は彼自身のこれまでの歩みを振り返りながら、「彼が愛するクラシック音楽が今なお元気で生きている、新鮮なものでありうるのだ」、そんな思いを熱意を込めて、しかしなにより知的に綴ったものだ。
本書によってざっくり”クラシック音楽”と呼称される音楽の歴史や受容における知識がひと通り学べるのだから、立派な入門書としてクラシック音楽の門前で迷う初心者を助けてもくれるだろう。
また、先進的な姿勢を持ちつつ伝統を受け継ぐものとしてオペラの現場で活躍するマエストロの在り方が明確に示されているのも本書の魅力だ。オペラハウスという特別な場所で、オペラという”祝祭”がどのように作られるのか、そこで指揮者は何をしているのか、そもそもオペラとは何を目指すものなのか。彼にとっても我々にとっても幸いなことに、バッティストーニは伝統的なマエストロたちに導かれて伝統的なオペラハウスのやり方を体得し、そして同時に現代の音楽家として彼が愛する音楽をどのように聴衆に届けるのか、届けられるのかと日々試行錯誤を繰り返してくれている。我らがマエストロ小澤征爾が生涯のテーマとして取り組み続けている、カラヤン先生(本書でも少し言及されている)言うところの「オペラとシンフォニー、これが車の両輪だ」という言葉の意味を、クラシック音楽に詳しいと自認しているファンにさえも新鮮でわかりやすく教えてくれるのではないだろうか。

若くしてこんな魅力的な著作をも書いてしまう才能の、精力的な活躍の中心的な舞台のひとつに、日本を代表するオーケストラである東京フィルハーモニー交響楽団が選ばれていること、そして日本コロムビアから多くのレコーディングがリリースされていることは幸いである。これ以上は想像できないほどの真摯さと、才能ある若者らしい確信に満ちた直截なアプローチと、人懐っこいユーモアが同居する若き才能を”われわれのマエストロ”として迎えられているのだ、それを幸せと言わずしてなんと言うべきだろう?おそらくすでに何度か書いた(と思う)そんな感慨を、本書によって新たにした。

幸いなことに、アンドレア・バッティストーニは東京フィルとともに日本各地で「アイーダ」の巡演を行ったばかり、そして間もなく11月定期公演の指揮台に登場する。すでに公演に触れた方も本書には刺激されることだろう、そしてこれから公演に行かれる方も本書に興味を持てるだろう。どちらからバッティストーニに近づいても失望することはない、ということは保証させていただこう。 …当ブログの読者でいらっしゃる紳士淑女各位におかれましては、私のお墨付きにどの程度の意味があるか、などと考えたりされませんように。
>東京フィルハーモニー交響楽団 公式サイト(演奏会情報、チケット情報はこちらでご確認ください。各種特設ページも注目!)





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ここからは本書に触発されたエッセイのような何ものか。バッティと彼の本についてのみ興味のある方は読まなくても大丈夫です(何がか)。

これは私自身の反省ともなるのだが。日本のクラシック音楽受容においては、録音を中心にせざるを得なかったこともあったのだろう。年配の、すでに高名な音楽家たちをスタンダードとして受け入れることがどうしようもなくメインストリームとして存在してきた。それ故に、一般的には中年と評される年齢になっても「若造」「青い」「生煮え」などの雑な評価を平気でしてしまってきた過去がある、ように思う。自戒も込めて少々雑ではあるが決めつけておく。
だがそんなことを言っていたら、私たちに素晴らしい実演を届けてくれる可能性のある音楽家は、育つことができない、絶対に。誰もが認める圧倒的な存在による、特別で決定的な演奏しか認めないような世界で、それでも育ってくるような特別な才能だけを求めるような傲慢は、果たして聴き手に許されるだろうか?

これは自分がある程度の年齢になり、いつの間にか自分より年少の素晴らしい音楽家たちに感心させられる機会が増え始めて以来、折に触れて考え続けていることだ。たしかに、いま現在の彼らは”決定盤”を聴かせてくれないかもしれない、賛否が分かれるアプローチを採用していて評価に困ることもあるかもしれない。だがそこに明らかに輝かしい何かがある、忘れがたい瞬間が演奏の中にあった。そんな特別な瞬間を聴き手が受け取ることができないなら、それはそのまま「聴き手の私は、音楽という特別なコミュニケーションの場をまったく楽しめていません」という、なんとも哀しい告白になってしまうのではないだろうか?

こんなことを考えるとき、いつもクラウディオ・アバドが亡くなってすぐのことを想い出す。イタリア放送(RAI)は彼の晩年の演奏ではなく若き日の演奏を配信してその死を悼んだ。世界から尊敬を集めたマエストロが、いつ頃どのように見出されて我々が知る彼になっていったのか、今こそその生涯にわたるキャリアを思い出そう。RAIにそう教えられたような気がしたものだ。そのとき配信で聴いた若い頃の彼は少々尖すぎるかもしれないテンポ設定で、だが鮮やかに音楽を描き出していた、そこから生涯の最期に至るまで、あなたはどの時代の、どんな演奏をした彼に出会えましたか?そう問われたような気がしたものだ。そして私はようやく聴くことができた、最晩年の彼の演奏を思い出すのだった。

そこでまた、翻って我が国のことも考える。「今日の岩城は本当に熱かった!」「ハルビン時代の朝比奈はガツガツしてたもんだよ(本当か)」「ヤマカズ※は…」ずっとああですかね(笑)、などなど、そのときどきの反応があったはず。しかしその近さゆえ、私たちは彼らの変遷に気づけなかったり、そのときどきの演奏で満足してしまったりする。結果として音楽家のキャリアは最近の演奏に寄せて語られる平板なものになる、それを読むことで私たちの記憶は書き換えられていく…
(※昭和の方ですよもちろん)

そう、音楽家のキャリアに長く付き合うことは、そのときどきに彼や彼女(ら)が奏でた音楽をどのように受け取ったのか、その音楽はどのように誰かに届いたのか。そんな聴き手にとっての主体的な歴史の一ページでもありうる。イタリアの、いやきっとまた別の国の彼ら彼女らは、そんなふうに音楽家たちとつきあっていけることを知っているのだろう。それを伝統と呼ぶのであれば、その伝統に心からの尊敬と羨望を感じる。

本当に幸いなことに、アンドレア・バッティストーニはまだまだ若い。そんな彼がこれからのキャリアの中で、その時々にどんな音楽を聴かせてくれるのか、それは私たちにどのように響くのか。その体験それぞれは、私たち自身の生涯の一ページとして大切なものとなっていくだろう。…そんなふうに考えるくらいには、おじさんになりました、私。おじいちゃんにはまだ遠いですけど(笑)。
ん?まだ僕みたいな若手の演奏には抵抗がありますか?それではクラシック音楽が「おじいちゃんの音楽」になっちゃいますよ?私には、バッティがそう言って笑っているように思えてしまう。きっとそれは気のせいではない、と断言してこの項を終わる。