2016年11月23日水曜日

書きました:《ナクソス島のアリアドネ》のゲネプロが行われました———”二本の導きの糸”「芸術家が抱える問題」「変容」はどう視覚化されるのか?

こんにちは。千葉です。


寄稿した記事の紹介です、そしてこの舞台はオススメです(肩が抜けるくらいの速球)。


今年、作曲されて100年となる「ナクソス島のアリアドネ」第二版(最初のヴァージョンは演劇を組み込んだものだけれど、初演から成功しておらず、現在でも録音も数少ない)が、先日のウィーン国立歌劇場来日公演に続いて東京二期会により上演されます。その記者会見も先日紹介しましたが、開幕を前に報道、関係者に公開されたゲネプロを拝見し、そのレポートを書きました次第。

ウィーンの舞台が最高に磨き上げられた繊細なフェイク(ラヴェルの作品がそういう性格を持つのと同様に)だったとしたら、ライプツィヒで創り上げられたこの舞台はより生々しい劇として企図されたもののように感じます。演出のカロリーネ・グルーバー、指揮のシモーネ・ヤングと、プロダクションの軸となるメンバーがほぼ一ヶ月の稽古をつけてきた舞台はスキがなく仕上がっています。見る方も聴く方も情報量が多くて、気を抜いてしまうのはもったいない上質の舞台です。

この日、歌はさすがにそれぞれに調整込みで確認をされていただろうと思うのですが、東響の四十名弱のメンバーを率いるマエストラの迫力を見るに、もしかすると本公演に劣らない歌唱だったかも、です。シモーネ・ヤング、先日の客演指揮者としてのコンサートとはかなり力の入り方が違った模様で、千葉としても「こっちが本領か」と感じて気が早くも他の演目も聴いてみたくなりました。

と、先の妄想はさておいて、本日開幕します、東京二期会の「ナクソス島のアリアドネ」。本日のみ早めのソワレ、あとは全日程マチネ公演ですので日程をご確認くださいませ、お間違いになりませぬよう。(詳しくは東京二期会のサイトでどうぞ

ではひとまずこれにて、ごきげんよう。

2016年11月19日土曜日

書きました:『かわさきジャズ2016』 世界最高のコンサートホールに響きわたるジャズ

こんにちは。千葉です。

珍しく忙しいのです。だからまずは記事そのものの紹介をしておきます。

●『かわさきジャズ2016』 世界最高のコンサートホールに響きわたるジャズ

「かわさきジャズ2016」のうち、記事で言及したのは本日からの三公演、題してスーパー・セッションです。文中でも書いていますが、このホールで聴くジャズはかなり生々しいんです。ぜひ一度お試しを、その機会が三連続であるわけですから、これほどの好機はなかなか訪れませんよ、というご案内です。

なお、本稿を書きつつ聴いていたのはこれ。文中でも触れていますが、まずは聴いてみてくださいよ。




せっかくですから、昨日伺ってきたスーパーセッション初日公演の簡単なレポートをば。

●かわさきジャズ2016 スーパー・セッション 小曽根真 featuring No Name Horses

2016年11月18日(金) 19:00開演 会場:ミューザ川崎シンフォニーホール

小曽根真 featuring No Name Horsesは、記事にも書きましたとおり誰をとってもバンマスを張れるレヴェルのメンバーが集まった日本ジャズメンのドリームチーム。MCの中で小曽根さんが「このバンドが動き出すと東京のジャズシーンが止まるという(笑)」と言っていらしたのは半ば冗談で、ある程度は事実でしょう(「シン・ゴジラ」の撮影中は「ドラマ撮れないんですけど」と言われた、なんてエピソードを思い出したりして)。
ちなみにこのバンド、昨日がツアーの最初の公演でもありました、今後の予定は小曽根真さんの公式サイトでご確認あれ。

かつて一関市の高校に通っていた千葉は、某有名ジャズ喫茶のおかげもあって(吹奏楽部のOBなんですよねあのマスター)高橋達也と東京ユニオンやカウント・ベイシー・オーケストラをお買い得価格でライヴで聴けたりもしていたのですが、その後大学時代に筒井康隆の深甚な影響のせいもあってビッグバンドからフリーに移行(演奏したわけじゃないですよもちろん)、本当に久しぶりのビッグバンドのライヴでした。


ちなみに初日のステージ。いつものミューザがこんな姿に!(笑)いちおうお断りをしておきますが、ちゃんとホールの方に確認して「アーティストがいない時間は撮影OKです」とお話をいただいてアップしてます。ある意味チャンスですよ皆さん。

12年目を迎えたこのバンド、すでに五枚のアルバムを出していますのでオリジナル作品中心のセットリストで、途中一回の休憩を挟んでのライヴは終わって21:30頃でしたから、もうさすがにお腹いっぱいです(笑)。ちなみにこの休憩について、小曽根さん曰く「昔ならぶっ続けで演奏したところですが、今は休憩しないと」と笑っておりましたが、あの休憩だけで保つところがですね、最近趣味でラッパを吹く某には理解できもうさん。ソリッドにガツンと吹けて、メロウに歌えてハモれて、ってのはどれだけの練習をしているのかなあ、とか邪念が入ってしまって、テューバの人だったころに「儂には関係ないが音楽は楽しいのう」と素直な聴き手でいられた時代が少し懐かしかったり。今後のトランペット吹きとしての人生は、今回初めてライヴで聴けたエリック・ミヤシロ様に帰依して生きていこうと思います(流石に大げさ、だけどあの精度と表現に圧倒されないのは、同じ楽器の人として無理です)。

※セットリストがかわさきジャズのサイトで公開されました。リンク先でご覧くださいませ。

邪念やら学習モードが邪魔をしたとは申しましたが、ミューザのステージがライティングを施されてスピーカが積まれている、それだけでいつもとは違う心持ちで音楽を楽しめたように思います。土曜日はプラチナ・ジャズ、そして日曜は全体のフィナーレです。このステージが気になった方はぜひ、とオススメしておきますね。

※プラチナ・ジャズ・オーケストラのセットリストが公開されました。「タイガーマスク」から「神のみぞ知るセカイ」(!!!)まで、広い時代の作品を気の利きまくったアレンジで楽しませてくれました。楽しかったあ。

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せっかくなのでサウンドの話も少し。
ホーン・セクションの中でも腕利き揃いの金管チームは、ときどきソロであえてマイクオフして生音を聴かせてくれたのですが、この日のサウンドは基本的にきっちりPAを経由したもの。やたら上手くて完成度の高いパフォーマンスが目の前で、しかも出来上がったサウンドで展開されるのはどこかレコーディングセッションを聴いていたような不思議な感触もありました。
ピアニストがバンマスだから、なんてまとめかたは安易でしょうけれど、個人的にはホーンセクションが箱に合わせて鳴らしたときの音色ももうちょっと聴いてみたかったかも(贅沢な奴め)。
なお、最終日の第二部、ファジル・サイのステージと第三部 山下洋輔&大谷康子&大倉正之助のセッションは完全アコースティックライヴになるとのこと。昨日今日のポピュラーよりのサウンドとの違い、かなり面白いと思いますよ?どうすかこれからでも?(本気)

では本稿はこれにて更新終了、グンナイ…(どうした)


2016年11月18日金曜日

書きました:「ザルツブルク・イースター音楽祭 in JAPAN」開幕

こんにちは。度々千葉です。

ええ、本当に掛け値なしに少し忙しいのです。特異日ですね(としか言いようがない)。ということで本日紹介三本目!

●「ザルツブルク・イースター音楽祭 in JAPAN」開幕

「ぶらあぼ」様に寄稿しました。これも後ほど追記します、まだ終わってないのがあるものですみません…

だけだと申し訳なさすぎますので、千葉が撮影した写真も一枚ご紹介。皆さんいい笑顔でいらっしゃいました。面白い公演が続くことでしょう、行かれる方は楽しんでくださいませ…

書きました:「ザルツブルク・イースター音楽祭 in JAPAN」の記者会見が行われました

こんにちは。千葉です。

17日は千葉には珍しく忙しい日で、今もまだいろいろと残っているという、世に言うハード・デイズ・ナイトです。ワンワン(そういう歌じゃない)。

いろいろあったうちのまずはその一、午前からのお仕事その一。

●「ザルツブルク・イースター音楽祭 in JAPAN」の記者会見が行われました

速報として、いつもよりちょっと柔らかめに書かせていただきました。シューベルトのオクテットが演奏され、来シーズンのザルツブルク・イースター音楽祭のプロモーション映像が公開されたりと楽しめる会見でした。きっといい演奏会、ホールオペラ®になることでしょう、ええ、ええ。

後で何か書き足すかもしれませんけれど、ひとまずはこれにて。ではまた。

2016年11月7日月曜日

シーズン4に向かって、ノット&東響(その二・完)

こんにちは。千葉です。

予定より遅くなりましたが、前回の続きをこちらに。ではどうぞ。

(承前)
ジョナサン・ノットからのプログラム解題に続いて、ノット監督とともに東響の刺激的で魅力的なプログラムを作り上げている辻敏・事務室長からノットの言葉を裏打ちするような示唆が多く与えられたことも興味深い。一例をあげれば、昨年11月に披露された「リゲティのメトロノームのための作品に始まりショスタコーヴィチに終わるプログラム」は彼独自の興味深い演奏会となったが、このプログラムについて興味深い裏話が披露された。あのコンサートで演奏された交響曲第一五番か、もしくは第一〇番とどちらかを今回の欧州ツアーで演奏する候補と考えていたのだ、という。けっきょくは第一〇番がツアー曲目となったのはご存知のとおりだが、その前にまずはコンサートでショスタコーヴィチを演奏しておこう、そんなつもりもあって昨年のプログラミングはなされていたのだという。これはあくまでも一例で、彼らのプログラミングは一つの演奏会で完結するものではなく、ときには数年のスパンで組合せを考えているのだという。
そういった趣向と配慮あるプログラミングは、ノット監督がその着想を熱心に説いてくれた新シーズンの「変奏曲」プログラムについても同様だが、「私たちはいろいろと考えてプログラムを編むけれど、演奏を聴いて何を感じるのも皆さんの自由です、それぞれに楽しんでほしい」とも辻氏は語る。即興性を語るマエストロ、そして聴衆の自由を語る辻氏のコンビは、これからもよく考え抜かれた興味深いプログラムで私たちを楽しませてくれることだろう。

また、シーズンのノット監督以外のプログラムについては豊山覚・企画制作本部長から紹介された。まず、来シーズンは数々の公演で印象的な合唱を聴かせてきた東響コーラスが創設30年を迎えることに言及し、9公演に登場することを紹介し、また来シーズンも数々の日本初演を行うことを紹介した。桂冠指揮者の二人を除くとノット監督と同世代のマエストロが揃った定期演奏会について、また名曲全集や新潟定期演奏会など、各地でそれぞれのプログラミングで興味深い演奏会が行われることにも触れた。

川崎、東京、そして新潟各地で2017/2018シーズンも興味深い演奏会が行われることだろう、とこの日出席した誰もが思ったことだろうけれど、シーズン全体の公演についてここで全てを書ききることは難しい。幸い、現在は東京交響楽団の公式サイトでコンサート情報が掲載されているので、詳しくはリンク先でご確認いただければと思う

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この日、最後に行われた質疑応答で”東京交響楽団という”日本のオーケストラの特色”を問われてジョナサン・ノットはこう語った。

「メンバーのスキルは非常に高いし、どんな演奏をしようと試みてもついてきてくれます。リハーサルで私が奏者の誰かに作品の構造を示せば、他のメンバーもそれを理解して自発的に演奏が変わっていくようになり、アンサンブル意識も高まっています。
課題をあげるなら、すでに一番目の声部はもう十分に大きい声で主張していますから、これからは第二、第三の声部がもっと主張してくれれば、と思います。具体的には中低音域がより充実したサウンドになるように求めていますし、その方向に向かっていると感じています。今すでに発揮されているリズムへの鋭敏なセンス、そして何よりメンバー全員が準備して演奏会に臨んでくれる現在に、さらに”自由”を持ち込めればよりいい音楽が作れるだろう、そう確信しています。」

この日のジョナサン・ノットの言葉からは、ツアーを前にしていたからだろうか、端々に”旅”が意識されていたように感じられた。これから行う欧州ツアー、プログラミングから見える旅、そして一つの作品の中にある旅。それらをひとつずつ、毎回を大切に重ねてきたノット&東響の旅は最初の共演からもう5年となる。この日登壇した諸氏から語られた数々の言葉は、その旅の最初の頂点のひとつとなるだろう欧州ツアーの成功と、来るべきシーズン4の充実を確信させるものだった。あとは”旅”の無事を祈るのみ、である。

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この日、会見冒頭に大野順二・楽団長はノット監督への愛を存分に語り、その上で団としてもっとノット監督の要求に応えられるようになりたい、と現在の好調(に感じられる)数々の演奏会から考えると意外にも思える、向上心の塊と評したくなるような言葉が連続していたことを思い出す。あらかじめ打合せたわけでもないだろうに、マエストロともども東京交響楽団の現在と未来について存分に語ってくれたわけで、図らずも現在のマエストロと楽団の相思相愛ぶりが示された会見となった。シーズン3もいよいよ佳境を迎えるノット&東響の旅は、来シーズンから契約更新の新年度を迎えてこの先10年続く、長い道のりだ。今からでも遅いということはない、ぜひ一人でも多くの音楽ファンに、この旅路を共にしてほしいと思いを強くした会見だった。

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以上で会見のレポートは終わりです。その後のツアーについては、どこかで何か書けるといいのですが。各地でほぼ満員の聴衆に迎えられ(ロッテルダムだけ会場が大きかったせいもあって埋まらなかった、とか)、好表裏にツアーは終了しています。そして先日書きました、名曲全集→定期演奏会→新潟定期演奏会と、帰国後早々に演奏会をこなした東京交響楽団の皆さまは、その中から40名弱が次なる舞台、東京二期会の「ナクソス島のアリアドネ」に出演されるわけです(人数が少ないのは作品そのものが小編成だから、ですよ。詳しくは会見とコンサートのレポートの記事をご覧あれ)。

記事本文に当たる文中でも書きましたが、ノット監督のプログラミングはひとつのコンサートで閉じてしまわない、開かれたものになっているのが一つの特色です。この11月にシモーネ・ヤングを招いた演奏会とオペラを聴く人は、ジョナサン・ノットが12月におなじく演奏会とオペラで登場したとき多くのことを感じ取ることでしょう。なにせチェロ協奏曲を演奏すること、ロマン派の交響曲で終わることまで、鏡合わせのようなプログラムを東京交響楽団はこの二ヶ月の間演奏するのですから!それにシモーネ・ヤングの主な活躍の舞台はオペラですし、ノット監督のキャリアはオペラハウスで始まっているのだから、二人のオペラが面白いものにならないわけがない。ツアーを経た東響を確かめるもよし、一つ一つのコンサートやオペラを存分に楽しむもよし、10年先までを見据えていろいろと思いを巡らすもよし、それこそ自由にお楽しみくださいませ。かく言う千葉が、この二ヶ月の東響に期待し、楽しみにしているのです、きっと誰よりも!(笑)

ということで会見の記事はおしまいです。ではまたごきげんよう。

2016年11月5日土曜日

書きました:女性二人の創造的なチームワーク。指揮のシモーネ・ヤング、演出のカロリーネ・グルーバーらが記者会見———東京二期会『ナクソス島のアリアドネ』

こんにちは。千葉です。

この前の日曜までウィーン国立歌劇場が上演した「ナクソス島のアリアドネ」、今月東京二期会も上演します。その上演に先駆けて、というか今回の舞台を作るキーパーソンふたりの来日に合わせて行われた記者会見のレポートを「オペラエクスプレス」様に寄稿しました。

●女性二人の創造的なチームワーク。指揮のシモーネ・ヤング、演出のカロリーネ・グルーバーらが記者会見———東京二期会『ナクソス島のアリアドネ』

記事にも書きましたが、女性二人が率いるオペラの上演は、はじめいろいろと言われたそうですが、実際の舞台でそのような声は消せたのだとか。千葉はまだグルーバー演出を経験していないので多くは申し上げられませんが、その語りの説得力はさすがのものでしたので是非記事でご覧くださいませ。
そしてシモーネ・ヤングの指揮についてなら、少々経験があります。NHK交響楽団との公演はテレビで見た程度なのでコメントできかねるのですが、ハンブルクの「ラインの黄金」はCDで聴いて感心した記憶があります。そして昨日、東京交響楽団の公演を指揮して情報量多くしかもサポートの丁寧なドヴォルザーク、そしてチャイコフスキーの交響曲第六番ばりの劇的なブラームスを聴かせてくれました。ということで、聴いて参りましたその演奏会の話もしておきましょう。

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◆ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第122回

2016年11月3日(木・祝) 14:00開演

指揮;シモーネ・ヤング
チェロ:アリサ・ワイラースタイン
管弦楽:東京交響楽団

曲目:

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104
ブラームス:交響曲第四番 ホ短調 Op.98

作曲者晩年の傑作を並べたプログラム、指揮者と独奏者が女性、そしてオーケストラは記念すべき楽旅を終えて帰国最初のコンサート。これだけつかみの多い演奏会を聴かずにおられようか(反語)、というわけで伺ってきました。
いや、指揮者と独奏者がともに女性というケースはこれからは増えるだろうし(実はこのシリーズ、来年2月にもその組合せです。そして上記のとおり、指揮と演出というオペラを創りだす役どころですでに実現しているのだからことさら騒ぐのもどうかと思わなくもない)、お二人共にその実力ですでに評価されていますのでそういう素朴な見方は失礼に当たりましょう、評価は演奏に基づいて行われるべきです。であればこのコンサートで注目すべきはその実力派と、コンサートツアーを終えた東京交響楽団とのコンビネーションでしょう。ノット監督が「集団としてより強く結び付けられる経験」と語ったツアーの後、東京交響楽団はどう変わったのか?ということになります。

先に申し上げてしまいますが、音が、響きが変わったと千葉は感じたんです、ドヴォルザークの冒頭すぐに。アンサンブルがより緊密に、お互いの音を意識しつつツアーの前より主張しあうようになった、のではないかと。この協奏曲はベートーヴェンやブラームスのヴァイオリン協奏曲に負けず劣らず前奏が長く、そこではオーケストラが雄弁に主題を提示しなくてはいけないわけですが、この前奏だけでも先ほど書いたようなオーケストラの意識が伝わった、ように思えたんですね。これまでは緩かったとかそういう話ではなく(東京交響楽団はむしろ、几帳面に感じられることがあるほど整った演奏ができるオーケストラです)、一枚紗がかかっていた絵画がより鮮明に見られるようになった、ような微妙だけれど印象に残る変化。変わったように感じられた響きの意味を、内実をあえて言語化するならこういうことかなと。もちろん、推測の域を超えることはできませんが。
この日のオーケストラの配置はいつもの「ノット編成」、左右にヴァイオリンを配した対向配置で弦は前半12型、後半は16型をシモーネ・ヤングも採用していました。だからツアーとの違いは指揮者、独奏者、曲目のみ。ですからある程度はツアー前後の音を比べようがあると考えますし、この感触に相応の自信もありますが、ノット監督との演奏会ではより明確に変化が確認できるような気がしています。なにせこの日のお二人は東京交響楽団には初登場でしたから、どうしてもその変化より創り出される音楽に意識が向かいますゆえ。
なので、この感触は持ち合わせた上で12月の定期、そして「コジ・ファン・トゥッテ」で確かめることにしましょうそうしましょう。

では、そんなオーケストラの変化を感じたような印象を受けつつ聴いたコンサートの感想をプログラム順に。

冒頭から響きの変化を感じたドヴォルザーク、これは若きチェリストの雄弁な演奏に、オペラで活躍するマエストラが見事にサポート、スケールの大きさと繊細さが両立した傑作にふさわしい演奏になったかと。
演奏には、初顔合わせゆえの、もしかすると粗さに感じられる部分がなかったとは言いません。ワイラースタインはフレーズを抑揚に応じて伸縮させるし、マエストラは少々意外なほどテンポを大きく動かすのだから、ただの整った演奏にはなりようがないのです。それでも上述の通り、その場で生まれる音楽をより良いものにしようと追従し時に主張するアンサンブルは確かな存在感。お見事。
ワイラースタインのアンコールはバッハ、無伴奏組曲の第三番からサラバンド。ヴィブラートも表現技法の一つとして使い分ける彼女の、ゆっくりとした語りのようなバッハはこの日のコンサートで一番の秋らしい音楽だったように思います。

そしてシモーネ・ヤングの個性は、後半のブラームスでより明確に発揮されました。ドラマティックな音楽づくりは「荻の声心にしみるブラームス」的な演奏を期待した人には合わなかったかな、と少々心配になるほど劇的なもの。特にも両端楽章のクライマックスは苛烈なほどに追い込み、この曲では初めて聴くほどの壮絶なドラマが描出され、個人的にはその激しさはチャイコフスキーの交響曲第六番にも通じるものと思われた、と言ったら信じてもらえますかしら?(笑)
音楽を音そのものとして示す以上に、場面として自然にドラマを想起させる、大きく音楽を動かすときの自然な移行はまさにオペラのそれ。大きく迷いない指揮姿もオーケストラを迷わせることのない明確なもの、やはりこの指揮者の本分はオペラあ、ドラマにあるのでしょう。

そしてこの日、最上さん(オーボエ)のツイッターを参照するならリハーサルとはまた違うテンポ感を示されていたようなのです、マエストラ。そこに全力でついていった東京交響楽団に進化を感じた、と言っては失礼になるでしょうか。指揮者の描き分けにただついていくだけではなく、そこかしこにオーケストラからの提案、主張が感じられたように思うのです。それは間違いなく、その場で音楽を作り出そうという即興的な姿勢に思われて、「これですねノット監督!」と何度も思った千葉であります。演奏を整えて滑らかな仕上がりへと持っていくことは、今ももちろん求められればできるのだろうけれど、変わりつつある東京交響楽団はそういう静的な音楽ではなく動的な、よりドラマティックな音楽づくりで私たちを魅了してくれるようになる。その段階はおそらく、この夏のブルックナー→ベートーヴェンの時点で始まっていて、ツアーを経てその新しいポジションにもなじみつつある。そんな感触が強く残る、秋の午後の演奏会でした。

この調子ならばきっと、サントリーホールでのコンサートも新潟の公演もまた違う演奏となることでしょう。会場に行かれる方、お楽しみに。さらに申し上げましょう、この組合せで演奏される「ナクソス島のアリアドネ」もまた、興味深い上演となることだろう、と。大編成でロマン派をドラマティックに演奏したこのチームが演奏する、室内楽的に作られた「小さな宝石のような美しいオペラ」。乞うご期待、と僭越ながら私から申し上げておきましょう。

長くなりました、本日はここまで。ごきげんよう。

読みました:石川栄作「ジークフリート伝説」

こんにちは。千葉です。

TPPについて自分が問題意識を持ったのがいつだったか、と昔のブログをちらっと検索したら2011年の1月でした。その頃から意識して情報を見てきたつもりだけれど、けっきょくはこういう理屈のない力押しで無謀な策に打って出るのは伝統なんですかねこの國。まあそういう話はいいや、ここで深入りはしません。

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「ニーベルングの指輪」について、昔っから引っかかっていたことがあるんです。いくつもの先行作、引かれた神話や伝説はあるけれど、ワーグナーの作品はあまりに独特な捻りが、酷く言うなら捩じれがあるなって。
何を隠そうその昔、今のようにはファンタジーものが読めたり見られなかった時代に青少年だった千葉は、ワーグナー作品をちゃんと聴くよりず~っと先の高校時代に先行作の一つで根本な部分で近い作品、「ニーベルンゲンの歌」(岩波文庫)を読了していたのです。どうよ(いや威張るほどじゃない)。そこで認識したお話と、ワーグナーのあらすじとは話が違う、違いすぎる。なぜか。
今も引っかかりがなくはないとは言えもちろん、少しずつ知識を増やすと北欧神話も参照されていること、何よりワーグナー自身の創作としての性格が強いことがわかる。ふむ。

それでもどうにも納得がいかない。重視しない登場人物に対して冷淡なワーグナーの台本※では、「歌」の後半で主役として活躍するクリームヒルトが、グートルーネという(申し訳ない言い方になるけど)端役に落とされているのはどうなのか。
「リング」はそもそもが「ジークフリートの死」という戯曲の執筆で始まっている以上、彼を失った妻の復讐譚は無用の長物です(もし彼女の復讐を戯曲として書くなら大長編になるし、それをオペラにしたら疑いようもなく「リング」がもう一作できるか、大胆にカットした「アイーダ」的な作品が作られねばならないでしょう)。でもクリームヒルトがちゃんとしたブリュンヒルデとの対決もなしに落胆のあまり固まったように動かなくなっちゃうその他大勢扱いだなんて。そう思ってしまうから、実は今でも「黄昏」を見るたび少し引っかかります。だから千葉は「台本を別人に書かせればワーグナー作品はもっとよかったのに」とか本気で申し上げてしまうのですが(非人間的なまでのリテイクになるでしょうけど。とは言いながら、ワーグナー氏豪腕な人ではありますけど、対等に反論されたらあるいは…とか思わなくもないんですよね(笑)。もちろん妄想ですけど)。

※「ラインの黄金」でいえばフローとドンナー、そしてフライアはちゃんとしたキャラクターとしてみなせる強度を持ち合わせていないでしょう(だから歌手、演出は大変だろうと思う)。見方によってはファーゾルトもかなり。「ワルキューレ」以降はそういう記号的なキャラクターが減るものだから、一転して「黄昏」でのグートルーネ、もしかするとグンターはかなり造形的弱さが際立ちます。人としての弱さだ、と取ってもいいけどそれなら相応の描写がなければいけないでしょう。

そう思っていた千葉には非常に助かる本、読みました。



出番はないけれど「ラインの黄金」に始まり、終幕では落命しているけれど「神々の黄昏」で終わるジークフリートの物語は、先行する神話、伝承、そしてその集大成を元に作られた戯曲などを先行作として、おそらくはある程度以上の知識を持ってその上で自分の作品としてまとめ上げたのが「ニーベルングの指輪」である、というのはどこの解説にも書いてあります。たぶん。そして先ほど触れたとおり、最初に書かれた台本が「ジークフリートの死」、つまり「神々の黄昏」の前身であったことも。
では、それらのワーグナーによって参照された伝説、神話伝承、それらによる作品はどのように成立して、どのような形で「リング」の中に活かされているのか?を、丹念にたどった研究を、一般向け書籍としてわかりやすくまとめてくれたのが本書です。学術文庫ですけど一般書です。

五、六世紀ごろに成立した伝説を源流とし、ドイツおよび北欧各地で語られる中で変容して「ニーベルンゲンの歌」が成立し、そしてそれらを元に韻文や戯曲が作られて、ワーグナーの作品に至る。細部を切り捨てて大ざっぱにまとめればこうなりますかしら。
「歌」と一口に言ったとき、私たちはきっと岩波文庫から出ている相良守峯による訳本を想定するところですが、あの形に至るまでの歴史がもう、長い!(笑)情報伝達が口伝によっていた時期からのものだから今我々が知る形に落ち着くまでに数世紀かかっていても当然なのですが。
また、口伝だからこそ様々に変異して別ヴァージョンもできているわけです(ちなみに本書の著者、石川栄作先生による別の写本による訳も今は出ているとのことです)。成立の過程において被った時代的変容などもここでは丹念に紹介されていきますし、それがどうワーグナー作品に反映されたかもわかるようになっています。本物の(おい)ハンス・ザックスによる作品や、ワーグナー自身がおそらくは読んだだろう戯曲についてまで、それはもうきっちりと。

そしてもうひとつのワーグナーに至る源流は、神話、伝承の集合である「エッダ」「サガ」です。こちらについても「歌謡エッダ」、そして「ヴォルスング・サガ」、「ティードレクス・サガ」がどのような作品であるか、ワーグナーはどこを使ったかをていねいに紹介してくれます。その上で、ワーグナーは割と自由に先行作を用いて「リング」を作ったのだな、と申し上げざるを得ない。取捨選択を自由にしなければ前述の通りクリームヒルトによる復讐譚を削れませんし、というと身も蓋もなくなりますが(笑)、設定のみを使ったり意味合いを逆にしてみたりと、まさに融通無碍です。

とは言いながら、そうした取捨選択は当然のことです、「リング」は「歌」や「エッダ」の再話ではないのだから。制作においてワーグナーがそうしたように、受容する私たちも積極的に読み、聴かなければならない、のかもしれない。きっと演奏家も演出家も積極的な読みをした上で上演をしているのだろうから。
などと、今年はすでにワーグナーの二作を経験した千葉は思う次第であります。この先近い時期に「ラインの黄金」、「ワルキューレ」が演奏・上演されるし、来年には後半二作の上演も控えています。いろいろと学んじゃうなら今がその機会だと思う次第ですよ。
ちなみに、著者の石川栄作先生自身による解題がリンク先で読めますので、そちらもご参照あれ。

では本日はひとまずこれにて、ごきげんよう。


2016年11月3日木曜日

シーズン4に向かって、ノット&東響(その一)

こんにちは。千葉です。
訳あって、いやなくてもお仕事募集中応相談です。気軽にご連絡くださいませ。というのを毎回書くことにしました。うるさくてすみません。

おそらく、いま前説を書くべきことがある、書いておかなければ後悔するとわかっているのだけれど、それの出し方はまた別途考えます。それとは別に、今お出ししておかないと後悔するものを記事として出しちゃいますね。

10月20日からまる一週間+2日にわたって行われた欧州ツアーの壮行会を兼ねた、ジョナサン・ノット&東京交響楽団『シーズン4』 2017/2018年シーズンラインナップ記者会見の模様を全二回で公開します。

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2016年10月11日、ミューザ川崎シンフォニーホールのステージを会場としてジョナサン・ノット&東京交響楽団『シーズン4』 2017/2018年シーズンラインナップ記者会見が多くの報道陣、そして聴衆として熱心に東響を支えるサポーターを招いて開催された。ジョナサン・ノット音楽監督の長期契約更新の初年度、そして創立70周年記念イヴェントの中でも頂点となるだろう欧州ツアーへの壮行会としての意味合いもあって注目を集めた会見ではオーケストラから、そしてジョナサン・ノットから熱いメッセージが発信された。
福田紀彦川崎市長からのメッセージ、大野順二東京交響楽団専務理事・楽団長からの挨拶に続いて行われた、ジョナサン・ノット音楽監督からの、シーズン4への熱いプレゼンテーションを紹介しよう。

シーズンプログラムを手に、存分に語るノット監督

●音楽作りについて
今日はようこそお越しくださいました。昨晩は第4シーズンについてお話するためにプログラムを見直して、「こんなことも計画したか」「こんな素晴らしい作品を取りあげるのか」とと驚いたりしましていた(笑)。
では、まずここでの音楽づくりについてお話したいと思います。私は、本物の音楽作りは即興性の中にあると考えています。演奏者と聴衆との、今そのときにしかない特別な時間、その時にできる演奏を大事にしたいのです。だからリハーサルと演奏会では同じことをしようとは思わないし、実際できないでしょう。もちろん演奏のコンセプトや方向性はリハーサルで作り上げたます、ですがその上で演奏会ではリスクを取って表現をより深く、個人的で、自由なものにしたい。演奏のたびに私たちが違うように、コンサートごとに聴衆の反応も変わります。それは我々の表現が皆さんに伝わっているからなのではないでしょうか。

●欧州ツアーについて
私は以前から、ぜひ東京交響楽団とツアーを行いたいと考えていました。オーケストラが行う国際的なツアーには、三つの重要なポイントがあると思います。
まず、ツアーの際にオーケストラが集団として同じ行動をとることは、メンバー同士を音楽的にも、社会的な集団としてもより強く結びつけてくれるのです。
そして二つ目は、特に私個人にとってですが、同じプログラムを繰返し演奏できることが重要です。いつでも演奏会のために創り上げた演奏を、100回でも演奏したいと思っているのですから!(笑)繰返し演奏することで、表現をより深めていくことができるのは本当に喜ばしいことです。
最後に、音楽は言葉では通じ合えない人間同士をも結びつけることができるものだ、ということを音楽家が体感できる貴重な機会だからです。ツアーでは、言葉が通じない経験とともに音楽によって交流できるという認識が同時に訪れ、それは音楽家一人ひとりに「自分は何故音楽家になろうと思ったのか」という原点に立ち戻って考えさせることになります。また、音楽を通じて、音楽を言葉では十分交流できないかもしれない聴衆と共有することで個々人を、引いては世界をも変えることができる、その意味で音楽家は世界大使になれると思っているのです。

●プログラムについて
では来シーズンのプログラムについてお話しましょう。素晴らしい作品、プログラムが並んでいて私自身も見直して圧倒される思いでしたが、今日は私が指揮する六つの演奏会についてお話します。
一つの作品の中にも”旅”が、ストーリーがあり、作品を集めて編んだプログラム全体にもそれがあります。これらの演奏会を経験することで、私とオーケストラは互いに理解を深めていけるでしょう。将来的には一人の作曲家によるプログラム、たとえばベートーヴェンやマーラー、R.シュトラウスなども取り上げたいとは思いますが、いまはテーマを考えていろいろな作曲家の作品を組合せてプログラムを提示したいですね。

1.5月定期&川崎定期
ブルックナーの第五番という素晴らしい作品を取り上げます。この作品を初めて聴いたときにはまったくいいと思わなかったのですが、そんなはずはないと考えてスコアを読みました。たしかにこの作品は長いし、そして複雑に構成された難しい作品ですが、非常に美しい。モーツァルトと並べるとそれぞれの個性が際立つでしょう。

2.7月定期&川崎定期
素晴らしい東響コーラスとともにマーラーの交響曲第二番を演奏します。ブルックナーと同様、マーラーの作品もそれ自体がひとつの長い”旅”のようなものですが、今回はその前に現代日本を代表する作曲家、細川俊夫の作品を演奏します。

3.10月定期
このプログラムでは、以前から重要だと考えている新ウィーン楽派の作品の作品から、シェーンベルクの大規模な変奏曲、Op.31を演奏するとまず決めました。この作品は1928年の作品ですが、ラヴェルの「ボレロ」も同年の作なのです。まったく性格の異なる二作品ですが、これを並べると”変奏曲”というテーマができあがります。
シェーンベルクの作品は多くの技法、アイディアが盛り込まれた豊かな作品ですが、無調だから聴きやすいとは言えません。そこで変奏曲の音列に用いられたバッハの名による音形(註:B-A-C-Hを音名として)を用いたリストの変奏曲を冒頭に置くことで、よりシェーンベルクを楽しんでもらえると思います。そこにラフマニノフを加えて「変奏曲」の一夜はできあがりです。

4.12月定期&新潟定期
先ほどのコンサートが「変奏曲の一夜」なら、リゲティのホルン協奏曲(「ハンブルク協奏曲」)ではじまるこのコンサートは「ホルンの一夜」ということになるでしょうか。
先だってBBCミュージック・マガジンのアンケートで「音楽史上もっとも重要な作品」を問われて、私が選んだのがベートーヴェンの交響曲第三番です。彼の作品の中でも最もモダンでスリリングで、興奮させられる作品でしょう。第三番でこれまでの交響曲の三倍も長い、そして三本のホルンが活躍します。”三づくし”の作品ですが、(聖なる三位一体ではなく)民主主義的なあり方に近い作品だと考えています。
そしてホルン協奏曲を取り上げるリゲティは知的な作曲家ですね、どの作品も明瞭なコンセプト、アイディアを持つ、どの作品にも魂を感じさせる、現代の音楽に親しんでもらうための導入には最適な作曲家ではないでしょうか。
このホルンに焦点を当てたプログラムにもう一曲、と考えた時にシューマンを選びました。今回はジャーマン・ホルンサウンドというホルン四重奏を招き、彼らとはリゲティとシューマンで共演します。

5.10月オペラシティ定期
古典派作品を集めたプログラムです。ここで演奏するハイドンの第八六番とモーツァルトの第三九番の交響曲は作曲時期が一年半しか隔たっていない、ほぼ同時期の作曲ですから二人の作曲家の特徴も聴き比べていただけますし、どのように交響曲というものが作られてきたのかがうかがえるでしょう。
(※モーツァルト・マチネではハイドンは演奏されません)

6.5月オペラシティ定期
バートウィッスルの「パニック」がプロムスで初演されたときにはスキャンダルになったものです、冒険的で斬新な手法による作品ですから。サクソフォン、ドラムが活躍するこの作品とともに、サクソフォンを活用した音楽として、バーナード・ハーマンによる映画「タクシー・ドライバー」のための音楽を持ってきました。
そしてベートーヴェンの第八番は、大好きなのですがプログラムに上手く入れにくい作品でもあります。
個人的なことですが、なぜか自分の中でこの作品は東京と結びついています。かつて東京に滞在していたある夜、深夜の二時すぎに目が覚めてしまって仕方がないから勉強でもしようかと思い立った時に選んだのがこの曲でした。録音も持っていたはず、と探して聴きはじめて終楽章までくるころにはすっかり興奮してしまって、スコアを探して勉強していたら朝になっていました(笑)。この作品は人間であることの喜びが表現された作品だと感じています。

最後になりますが、今日会見に来てくださった皆さん、そしてコンサートにいらっしゃる皆さんに感謝を申し上げます。皆さまからの反応で私たちの演奏、プログラムを楽しんでくださっていることが伝わり、そんな経験を重ねるごとに日本での、今回上でのコンサートが心地よくなっています。これからもよろしくお願いします。

いかがだろうか、今シーズンも公演を重ねるごとに関係が深まりより親密な演奏を繰り広げるジョナサン・ノットと東京交響楽団のシーズン4、そしてその先の未来がますます楽しみになったのは私だけではないだろう。

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ここまでが前半です。明日の夜にでも、事務局の皆さまからのコメント、ノット監督が質疑に答えた部分を次の記事でお出ししますね。

欧州ツアーの模様については、東京交響楽団のFacebookで写真が数多く見られますし、楽員の皆さまもTwitterなどで報告していらっしゃいましたのでそのあたりを探されるといろいろなものが見つかるかと。
個人的には各地の評がどう出るか注目していたのですが、ネットでは今のところ最終公演ドルトムントの、本当に聴いたのか疑問になる微妙なものが一つ見つかっただけです。あの演奏で「正確だが感情的に弱い」ならどんな演奏すりゃあいいのさ、と思わざるをえないっすわー(自分の耳を疑う気はない←割と傲慢じゃのう自分)。そんなわけだからリンクも貼りません、あれを読んでも仕方がない。

で、最後になぜ急ぎ記事を公開するかと言いますればですね、本日東京交響楽団の帰国後最初の演奏会が行われるからです。ミューザ川崎シンフォニーホールで14時開演の名曲全集、指揮はシモーネ・ヤングです。詳しくはリンク先で。さて日本からの”大使”として様々な経験をしてきただろうオーケストラはどう変わっているでしょう、ということを確認するその前に、ぜひノット監督が今回のツアーに込めた思いの程を知っておいていただけると何かと伝わるものもあるのではないか、と考えました次第です。
なおノット監督が次に登場するのは12月、そこで演奏するプログラムと今月のシモーネ・ヤングのプログラムは両方聴いたほうがよさそうです、と感じた話が明日の分に入ってきます。あと、「コジ・ファン・トゥッテ」は大好きな作品なので何かしらの取材等をします。という予告込みの本日分はまずここまで。ではまた、ごきげんよう。

※ただのオタクの駄文でしかないとご批判をいただき、内容を観ていただけない可能性に気づきましたので改題しました。ご指摘に感謝します

2016年11月1日火曜日

読みました:紀田順一郎「[増補]20世紀を騒がせた本」

こんにちは。千葉です。

切実にお仕事募集します。応相談。

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応相談なのでこの話はおしまい。以下読み終わった本の話をします。

紀田順一郎のこの本、前にも手をつけてしかし読了できなかった記憶がある。ものを知らなすぎるとていねいに教えてくれる本さえ読めないのだ、という好例になってしまったぜこんちくしょう。
本書では、タイトルのとおり20世紀に話題となり、あるいは騒動の元となり、はたまた災厄をもたらし、と大きく影響を与えた本をその時代におき直して改めて紹介する本だよ。そんなにていねいに教えてくれる本なのに、前に手を出したときにはピンとこなかったんだよ。バカだなあ、あっはっは(捨て鉢)。

本書で詳細に取り上げられる本は以下の通り。

フロイト「夢判断」
ヒトラー「わが闘争」
ロレンス「チャタレイ夫人の恋人」
ミッチェル「風と共に去りぬ」
ルィセンコ「農業生物学」
アンネ・フランク「アンネの日記」
ボーヴォワール「第二の性」
カーソン「沈黙の春」
ソルジェニーツィン「イワン・デニーソヴィチの一日」
毛沢東「毛沢東語録」
ラシュディ「悪魔の詩」

えーっと、この中で千葉が既読だったのは、あのその「風と共に去りぬ」だけです。すみません!
フロイトはたしか「精神分析入門」を買った気がする(読んだとは言ってない)、「アンネの日記」も抜粋なら読んでいるけど、今となってはそれは読んだうちに入るのかどうか。ソルジェニーツィンは「収容所群島」ともども読もうと思いつつ、あらかじめ予想される重たさにちょっと。生物学は高校でもやってないから手が出ない、ヒトラーとマオは気が進まない(この二人が同列だと言いたいわけではない)、ラシュディは訳が微妙と聞いて手が出せない。「チャタレイ夫人の恋人」は映画をちらっと見たかなあ…(昔はお色気枠に入っちゃった映画を深夜に放送していたものなんですよええ)

それらの本を読んでいなくてもわかるように解説してくれている本書は、本当にありがたいものなのに、かつての千葉はそこに知らない情報が多すぎて読み進められなかったんですね、悲しいのう。ほら、知らない言語を聞き続けていると眠くなっちゃうこと、あるじゃないですか。そういう感じです(何を偉そうに)。当時は歴史、あまり興味なかったんだねえ私。はあ。

作品が成立した時代は本書が説明してくれるし、その時代で果たした役割も書かれてます。だからかつての千葉のように、「何この本、知らないこと多いんですけど~」と弱気にならず、とりあえず手にとって見てくださいな。新しい本ではないけど。20世紀の振り幅の大きさ、そして過去との連続性、今思えば現在にも直接つながる出来事の振り返りなどなど、いろんな読み方ができると思いますので。

以上かんたんなご紹介でした。20世紀のうちに原本が出ていてしかも平凡社ライブラリーに入っている古い本ではありますけど…ではまた、ごきげんよう。