2016年11月5日土曜日

書きました:女性二人の創造的なチームワーク。指揮のシモーネ・ヤング、演出のカロリーネ・グルーバーらが記者会見———東京二期会『ナクソス島のアリアドネ』

こんにちは。千葉です。

この前の日曜までウィーン国立歌劇場が上演した「ナクソス島のアリアドネ」、今月東京二期会も上演します。その上演に先駆けて、というか今回の舞台を作るキーパーソンふたりの来日に合わせて行われた記者会見のレポートを「オペラエクスプレス」様に寄稿しました。

●女性二人の創造的なチームワーク。指揮のシモーネ・ヤング、演出のカロリーネ・グルーバーらが記者会見———東京二期会『ナクソス島のアリアドネ』

記事にも書きましたが、女性二人が率いるオペラの上演は、はじめいろいろと言われたそうですが、実際の舞台でそのような声は消せたのだとか。千葉はまだグルーバー演出を経験していないので多くは申し上げられませんが、その語りの説得力はさすがのものでしたので是非記事でご覧くださいませ。
そしてシモーネ・ヤングの指揮についてなら、少々経験があります。NHK交響楽団との公演はテレビで見た程度なのでコメントできかねるのですが、ハンブルクの「ラインの黄金」はCDで聴いて感心した記憶があります。そして昨日、東京交響楽団の公演を指揮して情報量多くしかもサポートの丁寧なドヴォルザーク、そしてチャイコフスキーの交響曲第六番ばりの劇的なブラームスを聴かせてくれました。ということで、聴いて参りましたその演奏会の話もしておきましょう。

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◆ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第122回

2016年11月3日(木・祝) 14:00開演

指揮;シモーネ・ヤング
チェロ:アリサ・ワイラースタイン
管弦楽:東京交響楽団

曲目:

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104
ブラームス:交響曲第四番 ホ短調 Op.98

作曲者晩年の傑作を並べたプログラム、指揮者と独奏者が女性、そしてオーケストラは記念すべき楽旅を終えて帰国最初のコンサート。これだけつかみの多い演奏会を聴かずにおられようか(反語)、というわけで伺ってきました。
いや、指揮者と独奏者がともに女性というケースはこれからは増えるだろうし(実はこのシリーズ、来年2月にもその組合せです。そして上記のとおり、指揮と演出というオペラを創りだす役どころですでに実現しているのだからことさら騒ぐのもどうかと思わなくもない)、お二人共にその実力ですでに評価されていますのでそういう素朴な見方は失礼に当たりましょう、評価は演奏に基づいて行われるべきです。であればこのコンサートで注目すべきはその実力派と、コンサートツアーを終えた東京交響楽団とのコンビネーションでしょう。ノット監督が「集団としてより強く結び付けられる経験」と語ったツアーの後、東京交響楽団はどう変わったのか?ということになります。

先に申し上げてしまいますが、音が、響きが変わったと千葉は感じたんです、ドヴォルザークの冒頭すぐに。アンサンブルがより緊密に、お互いの音を意識しつつツアーの前より主張しあうようになった、のではないかと。この協奏曲はベートーヴェンやブラームスのヴァイオリン協奏曲に負けず劣らず前奏が長く、そこではオーケストラが雄弁に主題を提示しなくてはいけないわけですが、この前奏だけでも先ほど書いたようなオーケストラの意識が伝わった、ように思えたんですね。これまでは緩かったとかそういう話ではなく(東京交響楽団はむしろ、几帳面に感じられることがあるほど整った演奏ができるオーケストラです)、一枚紗がかかっていた絵画がより鮮明に見られるようになった、ような微妙だけれど印象に残る変化。変わったように感じられた響きの意味を、内実をあえて言語化するならこういうことかなと。もちろん、推測の域を超えることはできませんが。
この日のオーケストラの配置はいつもの「ノット編成」、左右にヴァイオリンを配した対向配置で弦は前半12型、後半は16型をシモーネ・ヤングも採用していました。だからツアーとの違いは指揮者、独奏者、曲目のみ。ですからある程度はツアー前後の音を比べようがあると考えますし、この感触に相応の自信もありますが、ノット監督との演奏会ではより明確に変化が確認できるような気がしています。なにせこの日のお二人は東京交響楽団には初登場でしたから、どうしてもその変化より創り出される音楽に意識が向かいますゆえ。
なので、この感触は持ち合わせた上で12月の定期、そして「コジ・ファン・トゥッテ」で確かめることにしましょうそうしましょう。

では、そんなオーケストラの変化を感じたような印象を受けつつ聴いたコンサートの感想をプログラム順に。

冒頭から響きの変化を感じたドヴォルザーク、これは若きチェリストの雄弁な演奏に、オペラで活躍するマエストラが見事にサポート、スケールの大きさと繊細さが両立した傑作にふさわしい演奏になったかと。
演奏には、初顔合わせゆえの、もしかすると粗さに感じられる部分がなかったとは言いません。ワイラースタインはフレーズを抑揚に応じて伸縮させるし、マエストラは少々意外なほどテンポを大きく動かすのだから、ただの整った演奏にはなりようがないのです。それでも上述の通り、その場で生まれる音楽をより良いものにしようと追従し時に主張するアンサンブルは確かな存在感。お見事。
ワイラースタインのアンコールはバッハ、無伴奏組曲の第三番からサラバンド。ヴィブラートも表現技法の一つとして使い分ける彼女の、ゆっくりとした語りのようなバッハはこの日のコンサートで一番の秋らしい音楽だったように思います。

そしてシモーネ・ヤングの個性は、後半のブラームスでより明確に発揮されました。ドラマティックな音楽づくりは「荻の声心にしみるブラームス」的な演奏を期待した人には合わなかったかな、と少々心配になるほど劇的なもの。特にも両端楽章のクライマックスは苛烈なほどに追い込み、この曲では初めて聴くほどの壮絶なドラマが描出され、個人的にはその激しさはチャイコフスキーの交響曲第六番にも通じるものと思われた、と言ったら信じてもらえますかしら?(笑)
音楽を音そのものとして示す以上に、場面として自然にドラマを想起させる、大きく音楽を動かすときの自然な移行はまさにオペラのそれ。大きく迷いない指揮姿もオーケストラを迷わせることのない明確なもの、やはりこの指揮者の本分はオペラあ、ドラマにあるのでしょう。

そしてこの日、最上さん(オーボエ)のツイッターを参照するならリハーサルとはまた違うテンポ感を示されていたようなのです、マエストラ。そこに全力でついていった東京交響楽団に進化を感じた、と言っては失礼になるでしょうか。指揮者の描き分けにただついていくだけではなく、そこかしこにオーケストラからの提案、主張が感じられたように思うのです。それは間違いなく、その場で音楽を作り出そうという即興的な姿勢に思われて、「これですねノット監督!」と何度も思った千葉であります。演奏を整えて滑らかな仕上がりへと持っていくことは、今ももちろん求められればできるのだろうけれど、変わりつつある東京交響楽団はそういう静的な音楽ではなく動的な、よりドラマティックな音楽づくりで私たちを魅了してくれるようになる。その段階はおそらく、この夏のブルックナー→ベートーヴェンの時点で始まっていて、ツアーを経てその新しいポジションにもなじみつつある。そんな感触が強く残る、秋の午後の演奏会でした。

この調子ならばきっと、サントリーホールでのコンサートも新潟の公演もまた違う演奏となることでしょう。会場に行かれる方、お楽しみに。さらに申し上げましょう、この組合せで演奏される「ナクソス島のアリアドネ」もまた、興味深い上演となることだろう、と。大編成でロマン派をドラマティックに演奏したこのチームが演奏する、室内楽的に作られた「小さな宝石のような美しいオペラ」。乞うご期待、と僭越ながら私から申し上げておきましょう。

長くなりました、本日はここまで。ごきげんよう。

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