2015年12月13日日曜日

12月は「意外な演出家&オペラ」

こんにちは。千葉です。

例によってギリギリになってしまったので今回は前振りはございません。あしからず。

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ということでさっそく参りましょう、NHK BSのプレミアムシアター、12月の予定です。と言っても今月は二回しかない。年末は特別編成なので27日深夜の分が潰れちゃうんですね。なにか他に素敵なコンサートとかオペラの放送はないのかなあ(チラチラッ)。

イヤミはこの辺で(シェー!←おい)、さくっとご紹介を。

●12月14日(月)【12月13日(日)深夜】午前0時10分~4時45分

・野田秀樹演出 歌劇『フィガロの結婚』~庭師は見た!~【5.1サラウンド】
・ドキュメンタリー『きよしこの夜 ~世界をひとつにした歌~』(2014年 イギリス)

前半は日本各地で上演された今年の話題作、野田秀樹演出 歌劇『フィガロの結婚』~庭師は見た!~を10月24日、東京芸術劇場での公演で。
日本語とイタリア語が混在する独特な作り、どんな感じなのかしらとツアー中から気になっていたのでようやく見られることにひと安心ですよ(笑)。

そしてこれは宮城県の名取公演のための野田秀樹へのインタヴュー、気になる方はぜひチェックを。



番組後半はちょっと内容が読めません。「きよしこの夜 ~世界をひとつにした歌~」というドキュメンタリー、だそうで。

●12月21日(月)【12月20日(日)深夜】午前0時10分~3時55分
・ウディ・アレン演出 歌劇『ジャンニ・スキッキ』【5.1サラウンド】
・ドキュメンタリー ウディ・アレンの『ジャンニ・スキッキ』~その舞台裏~(2015年 ドイツ)
・プロムス2015  バーンスタインのミュージカル・ガラ ~没後25周年記念~【5.1サラウンド】

この週も演出が売りのオペラ、ということになりますね。日本の演出家代表が野田秀樹なら、アメリカからはウディ・アレンが参戦ですよ!(地上波っぽいアオリ)。

ロサンゼルスオペラはちゃんと三部作として上演したようなんだけど、この日放送されるのは「ジャンニ・スキッキ」のみ。まあ、三部作は滅入るから仕方ないかなあ。「外套」はただのヴェリズモをプッチーニが無駄に上手にやってる分気分悪いし、「アンジェリカ」は辛気臭いし(笑)。ちなみにこの舞台、ジャンニ・スキッキ役がドミンゴだったりするそうとうな豪華版であります(っていうか彼はロサンゼルス・オペラの芸術監督)。ちなみにこんな感じの舞台ですよ。


その後にドイツで制作されたこの上演についてのドキュメンタリーがあり。

その後にこの日はもう一本、再放送じゃないやつを(イヤミはやめなさい←シェー!←もういいから)。今年のプロムスで上演された「バーンスタインのミュージカル・ガラ」として、初期の「ピーターパン」から最後のミュージカル「ペンシルバニア通り1600番地」まで、なかなか目配りのいいプログラムでありますよ。厳密にはオペラに区分される作品(「タヒチ島の騒動」)や、ミュージカルではない映画のサウンドトラックから編成された作品(「波止場」からの交響組曲、映画はよくBSジャパンとかで吹替版を放送してますよ)もありますが、細かいことはいいんだよ!(笑)実際の舞台はこんな感じ。


やりますね(笑)。指揮のジョン・ウィルソンは自ら編成した団体、映画音楽やミュージカルなどを自分で編曲して指揮もする才人、プロムスにはもう常連になりつつある模様。10月5日の公演ということです。

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ざっと見てみたら、来月はまたあのニューイヤーをわざわざ深夜枠で再放送するんだよなあ…なにか他に(以下略、イヤミもシェーも略←……)。
ともあれすみません、遅くなりましたが今月はこの二回ですよ、ということで。ではまた、ごきげんよう。

2015年12月5日土曜日

書きました:片山杜秀が、黛敏郎と「金閣寺」を大いに語る

こんにちは。千葉です。

諸般の事情から記事のご案内も滞りがちで申し訳ないです。ガンバリマス(どこかの目が死んでる島村さん風に)。

本日、そして明日と上演されるオペラの記事はちょっと無理して紹介しておきます。手元不如意故千葉は行けませんけど、行かれる方がこの作品を骨の髄までお楽しみになるためのお手伝いになりますように。

●片山杜秀が、黛敏郎と「金閣寺」を大いに語る

神奈川県民ホールで上演される黛敏郎の大作、歌劇「金閣寺」の関連企画として行われた音楽講座の全力レポートです。片山杜秀さん、現物もあんななのかしら…(ご無礼)という興味半分で伺って、あまりの面白さと情報量にこんな入魂のレポートになってしまったという(笑)。

レポートには書き入れなかった小ネタを二つ。
「当日隣り合わせた、当然存じあげない妙齢の女性が休憩中に「これ面白いわね!」と楽しげに話しかけてきたくらい講義は面白かった」
「逆側のお隣には一柳慧氏がいらした」
どちらも説明無用ですね(笑)。


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で、これはもう完全に記事としてお出ししにくい個人的な見解なのでこっちにざっくりと書きましょう。とか書きながら「時間が作れればこっちを「Side B」的な位置づけでいろいろと作れるかもな」とか思ったりしてしますよ。

この作品、片山講義でも「金閣寺を表すモティーフは、冒頭合唱が”金閣寺”と歌うところで示される六音」である旨指摘されていまして、その後唯一の録音である岩城宏之の日本初演盤を聴きこむうち、「これはもしかして、ベルクの「ヴォツェック」的な、器楽的変奏で”タイトルロール”を示すやりかたを試したのか?」という疑問がわきまして。
そんな疑惑(笑)を抱いて聴きこめば他にも気になるんですよドイツ・オペラ的な手口が。演出の田尾下哲がはじめ引っかかりを感じたという「尺八演奏」の場面、あれは「ジークフリート」の草笛的にも思えるし、なにより最終的なカタストロフが炎上ということでついちょっと「神々の黄昏」を想起しなくもない。だって最後、台本ではマッチじゃなくて薪を持って金閣寺に行くんですよ主人公。そこでお馬さんを呼んでいたら完璧でしたね(嘘)。え?燃やす前に話は終わるじゃないか、ですか?たしかに劇中ではこれから燃やしに行く場面で終わっているけれど、音楽はもうこれ以上温度が上がらないくらい高まっちゃってるわけで、あれ以上の終わらせ方は難しいのではないかしらん。

三島の小説は事後の脱力感を伴うアンチクライマックスで終わるので、このオペラとはかなり方向が違う。映画「炎上」は外枠として刑事事件化された金閣炎上を用意しているから、三島の小説より後まで描かれたかっこう。
対して、オペラの台本では行為に至るプロセスについて、片山氏が言っていたとおり比較的シンプルに追い詰めて行くサスペンスがメインとなるドラマであります。冒頭で示された問、「彼は現代の英雄たりうるか?」に対して行動を持って答えとする、というのはオペラの制作年代が1970年代であることを思うと、その答えはなにか袋小路の先進国テロ時代を思わせられる行動主義、決断主義でありますけれど。その時代にあえて、ロマン派的ドイツ・オペラを作ってしまった黛の底意たるや如何。とか、感がてしまった次第でありますよ。

とりあえずこんなところかな、行かれる方は是非楽しんでくださいね、千葉の分まで。あはははは。

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そうそうそう。最後に一つ。金閣寺モティーフが六音で作られたのは、その変容を形式にはめて作りやすいから、というのがメインの理由だろうなと思います。前述のベルクへの連想は明らかにそこから来ていますし(「ヴォツェック」のパッサカリア参照)。

でも気づいてしまったんです、金閣寺は鹿苑寺、ろくおんじだった、って。お後がよろしいようで(投げ込まれる石、中身の入ったペットボトルを見もせずに退場)。