こんにちは。千葉です。
今更のことですが、そろそろ首都圏はとんでもない質量共に充実しすぎたコンサートシーズンを迎えます。いや、もう始まってるのかな。内外オペラは開幕したし、在京オーケストラの定期演奏会も始まったようだし。第九も発売されて所によっては完売とか聞くし。一年、速いなあ(他人事ですか)。
しかしながら、千葉は今年は貧乏により完全スルーの予定です。べ、別に羨ましがったりもしないと思いますよ、少なくとも字面の上では(ギリギリギリ←歯噛みする音)。
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さて、日付上は昨日が、レナード・バーンスタインの命日です。1990年10月14日、それが記録の上では彼の命日として残りますからね。でも個人的な記憶を紐解けば、今日15日のほうが彼の死と結びついているのです。だって思い出してください、時差の関係で彼の訃報は翌日になってから日本では報じられた、じゃありませんか。今みたいにネットでリアルタイム接続してる訳じゃなし、新聞はちゃんと「ニュース」を報じていた訳ですよ、そのころは。
そんなわけで今日のほうが彼を思い出すのに適しているように、個人的には思います。何も昨日は他ごとをしていたから、というのではなく(いやその面も否定はしないが)。あの頃は千葉もまだ若かった(笑)、よく晴れた秋の日に、悲報を受けていろいろと吹奏楽部の友人たちと話したことなど、変に美化されて思い出されます。しみじみ。
ということで、この本を読み始めました。最近出た本だったんですね、存在さえ知らなかったのは不覚の極み。今年の三月に発行されてます。
岡野弁さんの訳でバーンスタインの本、となるとそれこそ彼の死を受けてその音楽や教えを貪っていた時期に読んだ「音楽を語る」が思い出されます。時期も内容も趣向も雑多なエッセイ集なのだけれど、貪りましたよ本当に。何度も何度も読みました。懐かしい。しみじみ。
新刊の「わが音楽的人生」は自伝と位置づけられる本のようですから、普通に考えればパイザーみたいな本とかマイヤーズ、カスティリオーネの本よりも先に出版されるべきじゃないのかなあ、などと思わなくもありませんが(笑)、順序はともかく読めるようになったのだから文句は控えましょう。未読ですし。
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他にもちょっと、バーンスタインのことを考えていたことがひとつ、あるんです。そのきっかけはこちら。
サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるブルックナーの第九番、「サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ版(SPCM版)」の2010年改訂版の、作曲者によっては完成されなかった第四楽章付きの録音です。
えぇえぇ、貧乏な私は右側を買いましたが何か?(キレ気味)本当はねえ、SACDフォーマットの方がいいに決まってるんですよ、特にもいまの彼らの演奏は。まあほら、海外では本はハードカヴァーとペイパーバックが同時にでたりするみたいだから、あたしはそうだ、そうだよ文庫が好きなんだよ!(滂沱の涙)
すみません取り乱しました。
バーンスタインの膨大な正規録音の中に、ブルックナーはただ一つこの第九番があるのみ、なんです※。それも二回、NYP時代の1969年のもの、そして1990年3月まさに最晩年に残されたウィーン・フィルとの録音と。
※当時のレーベル関係なしで、一つだけ例外があります。これまた不思議な感じのする選曲ですが、第六番をニューヨーク・フィルハーモニックと演奏した記録があります。情報はリンク先でご確認ください。
畢生の大作だもんね、未完だけど価値ある作品ですよね。千葉はそう思うことにしていたんですけど、ブルックナーを聴けば聴くほど「第五とか第八はある種の完成形ですよねえ」「未完であることで作曲者本来の”型”を欠いた作品になってませんかね第九番」とか思うようになりまして。
アーノンクールの盤におまけでついていたレクチャーを聴いてみてもいま一つイメージできないでいた第九番のあるべき姿が、ある程度の信用できる形で聴くことができてみると、これはもしかしてこういうこと?などと心当たりが持てなくもない、かな。最近そんな風に思っていたところなんです。まだもう少し調べ物をしないとまとめられませんけど。
ともあれ、そんなわけでこれからしばしバーンスタインのブルックナー、聴こうと思います。ではまた。
右の五枚組DVDボックス、1973-90年のライヴが収録されてます。はじめ見たときは同じニ短調の第九番でもマーラーが収録されてるってあったような気がするんだけど…(笑)
この動画は第一楽章冒頭15分ほどです、ご参考まで。
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