2012年10月12日金曜日
収穫の時、だと思うのです
こんにちは。千葉です。
気候の変化にやられたかはたまた久しぶりに三度もコンサートに出かけたのが行けなかったか(嘘うそ)、少し風邪気味でおりまして。そのためになかなかまとめられなかったコンサートの感想、遅まきながら書きますです。
◆オール・アバウト・ハインツ・ホリガー 第2夜:室内楽
2012年10月8日(月・祝) 15:00開演
会場:すみだトリフォニーホール 大ホール
オーボエ&オーボエ・ダモーレ、作曲:ハインツ・ホリガー
チェロ:アニタ・ルージンガー
ピアノ:アントン・ケルニャック
曲目:
シューマン:オーボエ・ダモーレ、チェロとハープのための六つの作品 作品56
ホリガー:
チェロとピアノのためのロマンセンドレス
ソロ・オーボエのためのソナタ
サン=サーンス:オーボエ・ソナタ 作品166
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第一番 イ短調 作品105(チェロ独奏による演奏)
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 変ロ長調 作品11(オーボエ、チェロ、ピアノ)
すみだトリフォニーホールにこの前も行ったばかりだというのに、なんと開演ギリギリでようやく到着するというていたらく、最近の出不精を反省するものであります。さて本題のレビューはどこから書いたものか、と大いに迷いつつ、雑感から入りましょう。というか、エッセイ風の書き方にしようかな。
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ハインツ・ホリガーは1939年生まれの73歳。千葉にとってはやはり第一義でオーボエ奏者、それももはや「代名詞」とも言える人ですね。そしてまた作曲家であり、指揮者であるというその多様な活躍を二つのコンサートで見せるという「オールアバウト・ハインツ・ホリガー」はなかなかの好企画、さてオーボイスト、作曲家としての面を堪能させていただこうかと伺った次第。
で、奥様のウルズラ・ホリガーのキャンセルもあって変更されたプログラムのためか、千葉がコンサートを終わってすぐに感じ、そして今もいろいろと考えてしまっているのは歴史や過去、大ざっぱにまとめると回顧という言葉になるのかな、そのあたりの事ごとであります。
コンサート最初の曲で古雅な音色が特徴的なオーボエ・ダモーレを演奏したから、そう思うのかなってぼんやり考えながら聴いていたのですが、次のピアノの内部奏法やチェロの自作「ロマンサンドル」(2003)を聴いていても現代的な、ある種の攻撃性を感じるよりむしろ遠い過去を回想するような、もはや生々しくはない記憶と戯れるかのような印象を受けてしまう。曲目解説などで知りうるシューマンをめぐるエピソードを絡めて考えることは、個人的には難しいところでした。
後半最初に演奏されたサン=サーンスのソナタも晩年の作ならではの力みの無さが魅力的だったし(作曲者晩年の、一連の管楽器のソナタに興味を惹かれました)、最後のベートーヴェンでのアンサンブルをリードする力強さはさすがのもの、先日聴いたフルートのグリミネッリがアンサンブルを待ってしまっていたのとは好対照だったかと。ちょっと逸れますけど。管楽器は合わせを待つとダメなんですよ、どんどん後手に回ってしまうから。じゃあ管楽アンサンブルはどうなのかというと、それはまあ、ね、えへへへへ。リーダーとしての管楽器、かくあるべきかと。
(ちなみに指揮なしの管楽アンサンブル、バンドごとに違うけど、基本的に名手が揃うと挑発合戦&名技による応答のエスカレーションになりますね。名人たちの遊戯、聴きては楽しいからいいのですけれど、いわゆる「精神性」云々からは激しく遠ざかります。当然ながら)
余談はさておき。バッハ、シューマンと続いた二曲のアンコールがこの演奏会の縦糸をより印象づけたからそう思うのかなあ、などとも考えます。変更前の自作&イサン・ユン作品を中心に据えたものから予想された、視点を時代的に大きく移動するような印象ではなく、より遠い過去への視線が内包されていたかのようなプログラムは、このアンコールによって雅に美しく締めくくられたものだから。
彼のそれほど熱心な聴き手ではなかった千葉でも、演奏を聴き始めてすぐに「この音を知っている」と思わせるほどのオーボイストとして活躍してきた彼の、明瞭な輪郭が印象的なその音色は盛時を過ぎているのかもしれない。音色を細身と評するには少し細すぎた、ようにも思うので。管楽器は声ほどではないにせよどうしようもなく年齢の影響を受けざるをえない、自身の身体で音を作る楽器である以上これは逃れられない制約だ。それでも、アンサンブルのリードにも感じられた意志的な音楽作りはさすがのもの、時代を作ってきた音楽家の二つの面を聴かせていただきました、と頭を垂れる気持ちになった次第であります。っていうか、これなら前半も聴きたかったなあ、指揮も併せて聴いておけばもっと掴めるものがあっただろうに、などと先に立つわけもない後悔に襲われたりするのですが、これはまあ仕方ない。これから折を見て、また機会を得られればと思います。
共演のお二方、お若いのにさすがねえ、伊達にマエストロに選ばれていないわあなどと、戯れに近所のおばちゃんのような感想を言いたくなる献身ぶりでした。チェロのルージンガーは出るところとそうでないところをわきまえた振る舞い、そして音色への配慮で見事にホリガーをサポートしていましたし、ホリガー抜きの二曲では存分に実力を見せてくれておりました。ピアノのケルニャックはねえ、室内楽のピアニストかくあってほしいと随所で感じさせる見事な呼吸の合わせ方に感心しきり、です。曲が新しい「ロマンサンドル」でもバッハでも、共演者とのアンサンブルを大切にして音楽全体をまとめあげていた彼には個別に拍手したい気分です。特に弱音での絡み方、印象的でした。
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おそらく、個人的に一番強く印象に残ったのはプログラム前半最後に演奏された自作、無伴奏オーボエのためのソナタでした。1999年に改訂されているとはいえ1956-7年の作、自身十代の作品を噛みつかんばかりの気迫で演奏する73歳のハインツ・ホリガーの姿に、なんとも言葉にならない感慨を感じたものだから。曲自体は20世紀半ばの、いわゆる前衛よりはむしろバルトーク的な趣向に基づくものでした、そして管楽器の無伴奏作品は「呼吸」という制約もあって全体の構成感を出しにくい(と個人的には考える)。だけれど、この演奏ではホリガー少年が普段オーケストラなどでは使われることのないオーボエという楽器の持つ多様な可能性を、老ホリガーが全力で音にしていた、と感じたのです。その演奏の迫力もさりながら、作曲した頃と今との、その数十年の懸隔は果たして本人にはどのように思われるものなのか、とかいろいろと余計なことを聴きながら考えちゃったんです。それをおおざっぱに「人に歴史あり」とかいうと安っぽくなり過ぎでなんとも、ですけどね(笑)。
遅くなりましたがこのコンサートから受けた感慨はこんな感じ、かな。集大成の時期に来ていらっしゃるのだなあ、との思いが強く残りすぎて、どうにも言葉にしがたい事が多いのですけれど。
なお、ご案内が遅くなったばかりに当日のことなのですが、ハインツ・ホリガー氏本日12日には横浜市青葉台のフィリアホールにて若干プログラムの違う室内楽公演が、また来週末には手練の集う水戸室内管弦楽団の定期演奏会への出演がございます(指揮&オーボエ)。彼の名に思うところのある方はぜひ、この機会を逃されませぬよう。
ということで長くなりましたが、先日聴いたコンサートの感想は以上です。ではまた。
レーベルがワーナーだから、これはあれかな、あの配信で聴けるんじゃないかな…とか考える今日この頃、でありました。
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