2014年7月27日日曜日

今が時代の変わり目なのだ、としか

こんにちは。千葉です。

今日は前置きなし。本文を書き上げるのに時間がかかっちゃいました。

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またしても、自分がクラシックを聴き始めた頃には巨匠扱いではなかった(実力派、鬼才枠だったと思う)マエストロの訃報に、なんとも言いようのない気分になっております。もはや皆さんご存知でしょう、ロリン・マゼール氏(1930-2014)が亡くなられたとのこと。ご本人のサイトがかなり早々にこの情報を告知しておりましたので、リンクはそこに貼っておきます。

千葉個人はですね、自分の側で予算があるときにはスケジュール的に厳しくて、なくなったらもう選択肢に入ることすらない(泣)マエストロでしたので、残念ながら実演の経験はありません。彼もまたひとりの、時代を代表する方だと思いますので、その録音からでも独特なものであることが察せられる音楽を実演で聴きたかったのはやまやまですが、今となってはご縁がなかったのだと申し上げる他ございませぬ。合掌。

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そこで過去に聴いた録音の話をしようかな、とも思いました。ひと通り聴いたマーラーの話とか(そうだ、こっちに再録しなくちゃ)、初期の録音の一つとなる「ポーギーとベス」とか。



でもせっかくなのでエッセイ的ななにものかをば。先ほども書いたとおり、残念ながら実演を聴く機会はなかったのです、マエストロ・マゼール。バイエルン放送響、ミュンヘン・フィルほかいずれも予定や条件が合わなくて。だから千葉自身の話じゃなくて、他の人の話から考えさせられたよ、というお話。

2011年11月に、マエストロは東京交響楽団に客演しました(この訃報を受けての東京交響楽団からのリリースはリンク先でお読みください)。もちろん千葉は聴いてません(しつこい)。その時の聴かれた方の反応が、なかなか興味深いものだったのです。千葉はスダーンのもとで成長したあのオーケストラを信用しています、その長所も弱い部分もある時点まではよく知っていましたので人々の反応から、少しは自分なりの憶測を先に進めることができる、と思っています。そう、ここで書くのはあくまでも憶測です、あしからず。

東京交響楽団は千葉がよく聴いていた当時の時点で、日本のオケの中ではかなり響きに対して配慮できる団体になっていました。初めて聴いた時に少し感じたリズム的な弱さもほぼ感じられない、そしてスダーンによる同時代アプローチ寄りの演奏が可能であるまとまりのいいアンサンブル。オケピットでの経験もあって数多くの演奏会もこなしている、いいオーケストラだと思います。Twitterなんかで見聞きする限りでは、ジョナサン・ノット体制も上々のスタートである模様、喜ばしい限りです。
そんなオケに世界有数のマエストロが来た。普段は実力はあっても失礼ながら地味目の指揮者が来演している印象のある団にとって、この招聘は明らかにいろいろな面でチャレンジだったことでしょう。もちろん、東響は歴史ある団体ですからね、1963年にも共演していますけれど、その時と今では意味合いが違う。

その演奏会のあとで見た、聴衆の反応は一言にまとめるにはいささか複雑なもので。あえて言うなら演奏を褒めつつも、どこか物足りなさげな雰囲気がうかがえるものでした。それに対して千葉の反応は至って簡単、「さもありなん」、に尽きます。とてもまっとうな姿勢の、若干の揶揄をこめて生真面目と評してもいいだろうオーケストラが、いきなり世界有数の曲者と上手くやれるのかな、そんなふうに見ていたものですから(いろいろと無礼ですみません)。おそらく来日してくるような欧州のオケと比べたって実力が落ちるとは思わない、でも職人的なところのあるオケが、強力な個性と出会ってどう反応するのか、いつも以上の演奏ができるかそれとも。
聴かないで想像で申しますが、この出会いはきっと、東響がこの先もっといいオケになるために必要なものを多く示唆していたのではないか、と愚考します。スダーン先生に従って優等生らしく一歩ずつていねいに前進してきた彼らが、その歩みをいきなりマラソンどころか全力疾走にまであげなければいけなかっただろうコンサートだったのだろう、と。

きっとね、ある程度までなら自力で少しずつでも止まらずに成長できるんですよ、組織も個人も。でも、強力な個性を持つ個人と出会うことで、その歩みは突然に速いものにもなりうる、もちろんその逆だって。きっとこの、簡単にはまとめがたい反応を呼んだマゼールと東響との出会いは、きっとそういう変化をもたらす可能性を秘めたものだった。その可能性がいま一度試されただろう再度の共演がありえたらしい、という話を聞けばよりマエストロの死が惜しまれることであります…

そう、千葉にとってはロリン・マゼール氏はまるでメアリー・ポピンズのように秘められた可能性を開いては去っていく、独特な存在だったのだなあ、と亡くなられてから思います。もしかすると彼にかぎらず、いわゆる「ジェット機で世界を飛び回る指揮者」たちについて、そういった面から見直す必要があるのではないかな、などと考えたり。

昨日の公演でユベール・スダーンとの一つの時代を終えた東京交響楽団に幸あれ、そしてマエストロの眠りの安らかならんことを。

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彼の訃報を知った時、千葉はそれほど好みではない(ごめんなさい)ダニエル・バレンボイムさん指揮、ベルリン・フィルのコンサートを見ていました。「これはシェイクスピア・プログラムなのかな」とか「この生真面目なファルスタッフさんのことは笑えないよね、最高に雄弁だけどさ」とか思いつつ。そこにこの報せ、なんとも言いがたい気持ちになりました、かつてこのオーケストラのポストを切望し、しかし叶わなかった二人のことをいろいろと考えてしまいまして。そのとき放送されていたチャイコフスキーの交響曲第五番は、千葉にとっては亡くなられたマエストロへの、偶然の贈り物に思われてしまいまして。その後の再放送分、ラトルが指揮する「タリスの主題による幻想曲」まで、つい放送で見てしまいました。いま一度、合掌。

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きっとこれからいくつかの評伝が出て、それでようやくヴァイオリンに指揮に作曲に、コンサートにオペラにと多面的に活躍したマエストロの生涯についての見取りができるようになることでしょう。世界恐慌の直後に生まれて21世紀序盤までを生きた、ということの意味を踏まえて。
でも訃報のたびに思うんですよ、存命のうちからそういったアプローチをしていきませんか、と。せめて、永年のキャリアがある方について、目の前の演奏の出来不出来だけでどうのこうの言ってしまうようなことは控えませんか、と。

とはいえ、このような提言ぶった物言いはもうクラシックの看板を下ろした千葉の任ではない、ようにも思えますが、思い出したので付記しておきます(どっちなんだ)。ではまた。

※なお、本日のBSプレミアム、「プレミアムシアター」は放送予定を変更して後半にロリン・マゼールがNHK交響楽団に客演した最後のコンサートシリーズからの演奏を放送します。そちらの記事も修正しておきましたのでご参照くださいませ。

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