2020年2月9日日曜日

「サエグサシゲアキ1980s」を前に来し方を思った

「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」は自動遊球機になったおかげなのか、最近また多く話題に登るようになっている。そんな流れに乗った面もあるのだろうか、間もなく東京交響楽団が演奏会でそのスコアを演奏する。であればガンダム直撃世代のひとりとして何か書いておかねばなるまい。

●東京交響楽団 特別演奏会 「サエグサシゲアキ1980s」

2020年2月12日(水)19:00開演 会場:Bunkamuraオーチャードホール

指揮:梅田俊明
管弦楽:東京交響楽団

三枝成彰:
  「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」(1988)
  交響曲「動乱」(1980)

1980年代に幼少期を過ごしたものは幸いである、知らぬ間に当時の名音楽家たちの創り出した音に触れていただろうから。今なおご健勝でいらっしゃる、主に特撮で活躍されていた渡辺宙明、すぎやまこういち(「伝説巨神イデオン」、というより今では「ドラゴンクエスト」シリーズか)のような大御所、そして「聖戦士ダンバイン」の坪能克裕(寡聞にして他の仕事を存じ上げなくて申し訳ない)、「重戦機エルガイム」の若草恵のような、また惜しくも亡くなられた羽田健太郎(「超時空要塞マクロス」の仕事の鮮やかさ!なお「イデオン」ではサントラに参加してスリリングなピアノを聴かせてくれている)、…などなどの先達に伍する形で、当時の青少年たちに強い印象を残した作曲家、それが三枝成彰だ※。

※「逆襲のシャア」の頃までの彼は、本名の三枝成章名義で活動しており、おそらくはそこを意識して演奏会タイトルもひと捻りしたものと思われるのだけれど、本文中ではこれ以降もオーケストラに倣って「三枝成彰」と表記させていただく。

本放送こそ低視聴率に苦しみ打ち切られて終わった「機動戦士ガンダム」(以下「ガンダム」)だが、放送開始翌年からリリースされた300円からラインナップされたガンプラが飛ぶように売れ、ガンプラブームから始まったガンダム人気は放送当時のファン層のみならずより若年層までを鷲掴みにした。本編こそ終わっていても再放送は繰り返されたし劇場版も公開、そしてガンプラでもMSVなど新要素の供給もあって「ガンダム」人気は長く続き、それを受けて1985年にはついに「ガンダム」の正当なる続編「機動戦士Ζガンダム」(以下「Ζガンダム」)が放送されるに至るのだ。
「Ζガンダム」のサウンドトラックで一年に渡って三枝のサウンドに触れる、それは80年代にガンプラを作っていた青少年の音楽的義務教育だった、と言ってもただの戯言にはならないだろう。主人公たち青少年の交流を描くシティポップス的軽やかさから恋人たちの想いを描くメロウな旋律、そしてマーラーやショスタコーヴィチにも通じる重厚なサウンドまで駆使して一年の長丁場を楽しませてくれた三枝成彰に、当時の青少年の一人として恩義を感じないわけがないのである。ちなみに当時の彼は40代、その働き盛りにおいて、前作を彩った渡辺岳夫・松山祐士の後を引き継いだのだった。



「Zガンダム」は、「ガンダム」の物語で描かれた地球連邦とスペースノイド(作中では宇宙移民が実現されており、その住まいとして作られたスペースコロニー生活者を指す)の対立として行われた一年戦争が終わった後、地球連邦内の方針違いによる分裂(それも思惑ベースで見ればいくつもの勢力がある)が起こり、またジオン残党の脈動など多数の勢力が覇を競う展開を描く、相当に複雑な話となっていた。主人公目線で見れば”宇宙で始まり地上に降下、そして転戦からの再び宇宙での戦いへ…”という、最近の「機動戦士ガンダムUC」にまで踏襲される定番の展開だったから当時の青少年たちもついていけたけれど、とても複雑な作品なのだ。その複雑さ、スケール感故に「Zガンダム」は多くの青少年を振り落としてしまい「ガンダム」ほどの広い人気を得たとは言えず、それに続いた「ZZガンダム」は複雑に過ぎた前作の印象を払拭するために迷走し…と、人気作を続けるのは難しく、完結させるのもまた難しいのである。それはついに完結した「スター・ウォーズ」を見てもわかることだ。ファンの期待に応えるべきか、それともまた別の道を示すのか。
…と、延々と「Zガンダム」の話ばかりしているといつコンサートの話につながるのかと疑問を感じられてしまいかねないので、そろそろ「逆襲のシャア」の話に移ろう。

「Ζガンダム」が「ガンダム」の正当な続編であったように、「逆襲のシャア」(1988)は”アムロとシャアの物語”として「Ζガンダム」の正当な続編であり、そのサウンドトラックはどちらも三枝成彰が手がけている。ここで一度、アムロとシャアの物語は一つの終りを迎えるのだが、異様なまでに圧縮された物語づくりを得意とする富野由悠季の手腕が本作で頂点を極めた感もあって傑作として長年愛されている。作中数多くのセリフがネットジャーゴンとして流布し、後続の作品が大小数限りなくオマージュを捧げていることはご存知のとおりだ。かく言う私は、無理めなミッションを前にすると本心はさておき一度は「やってみる価値ありますぜ!」と言ってしまいます。心がモブですみません。

さて物語は前作までの展開を受けているから、焦点は「地球連邦は一つの勢力に戻った、あとは宇宙に住むスペースノイドたちをどうするか」となる。そんな状況の中で、なんと「Ζガンダム」でエゥーゴのメンバーとして活躍したクワトロ・バジーナことシャア・アズナブルは、ネオ・ジオン勢力に身を寄せて自らの本来の出自であるキャスバル・レム・ダイクンの名をもちらつかせながらネオ・ジオンのリーダーになっている。つまるところ、アムロのいる地球連邦軍の敵、その親玉になっているのだ。かくして再びアムロとシャアの物語は最初の「ガンダム」と同じ、二人の対立の物語として描かれることになる。
アムロやシャアに加え、サイド6の能吏となっているカムラン・ブルームやブライト・ノアら旧ホワイトベースの面々が時を経て違うポジションで登場する他、ニュータイプ適性のある少女クェス・パラヤ(偽名エア)やブライト艦長の息子ハサウェイ、アムロのメカニックとして活躍するチェーン・アギら新キャラクターも重要な役割で多く登場して地球連邦とネオ・ジオンの最後の戦いが行われる、それが「逆襲のシャア」の物語の大枠だ。
ここまで前提が多く、作中で語られるべき内容も多い、しかし映画はいかんせん尺、使える時間に限界がある。だが前述の通り、その制約の中で富野由悠季はちょっと考えられない密度で物語を描いた。「本来なら半年くらいかけてテレビシリーズで放送すべき内容だったのではないか?」、再見するたび、初見でそう感じたことを思い出す。タイトルが示すとおりシャアがネオ・ジオンでしようとしていること、シャアが本当に求めていたことを軸にして、”アムロとシャアの物語”はここで終局を迎える。


さて本作は「Ζガンダム」の正当な続編なので、音楽も三枝成彰が続投している(実は先ほど少し触れた「ZZガンダム」も彼の作なのだが、なかなか再放送されないせいもあるのかどうにも印象が薄い。ここからは本当に「ZZガンダム」の話はしない)。「Ζガンダム」で聴かせてくれた多彩なサウンドは更に洗練され、また劇場版ということもあってより重厚なものとなっている。その充実ぶりは映画として観てもも十分に伝わるほどだが、単独に音楽としてCDや配信で聴けばさらにその見事さが伝わるものだ。では、それをライヴで聴けばどうなるのか?もしかすると刻が見えたりしてしまうかもしれないけれど、こればかりは会場で体験していただくしかない。
ただ、ひとつ予言しておこうと思う。コンサートの前半のあと、すべての聴衆の脳内では小室哲哉のシンセが、木根尚登のギターが、そして宇都宮隆のヴォーカルが脳内で流れるだろう…(ただし会場ロビーでの歌唱は推奨しません)


エンディングで流れるTMネットワークの「BEYOND THE TIME 〜メビウスの宇宙を越えて」は、先般放送された「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の放送版でもLUNA SEAによるカヴァーで使われた。TMとLUNA SEAの時を超えたコラボは、さしてポピュラー音楽を聴かない私でもちょっと感じ入るものがあった。そうそう、「THE ORIGIN」の再放送もぜひ。

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後半で演奏されるのは、映画「動乱」の音楽から、三楽章の交響曲として編み直された作品だ。最近では吉永小百合と高倉健の初共演として、先日「プロフェッショナル」でも紹介されていたから、興味を抱かれた方も少なくないところだったろう、この選曲はタイムリィだといえる。
この交響曲は過去に井上道義の指揮、藤原真理のチェロ、神谷郁代のピアノ、東京フィルハーモニー交響楽団による録音もあるのだが、今では希少盤ゆえ入手するのもなかなか難しい。だが映画の方ならレンタルなどで比較的視聴しやすいので、気になる方はそちらを見てほしい。この予告も参考になるだろう。


二・二六事件をベースに、架空の登場人物たちのドラマ※を描いた「動乱」(1980)は、「Zガンダム」より古い作品だからそれだけ作曲者も若い。二大スター初共演、そして時代は激動の昭和とこれほどの大作に三枝が抜擢されたあたりにもなにかドラマがありそうに思うけれど、さてそのあたりはどうなのか。
よほどの才気を放っていたのではないか、当時の若き三枝は。そう考えて振り返れば「11PM」の司会をしていたことも相当の抜擢だったのだな、と考えてしまうがこれは余談なのでこの辺で。

※この映画は、どう観ても日露戦争からの日本の歴史をなぞっているのだが、作品の最後に”これは架空の話”と強調しているのである、驚くべし。予定していた原作が使えなかったなどの理由もあるという話ではあるのだが、ここまで旧軍(のように見えるもの)を描いてその姿勢がアリなのか、そこだけは大いに気になる。

作曲された時代がまだ冷戦の真っ最中であること(映画の公開はあのモスクワ・オリンピックの年である1980年だ)を考えれば驚かされるほどに調性的で耳に優しい音楽には、今も変わらぬ三枝の信念が見え隠れするように思う。プッチーニやラフマニノフをさらに濃厚にしたようなメロウな旋律を迷いなく使う手法はオペラを主戦場にした彼の現在の作風にも通じるものだし、内面の機微を室内楽的編成で描き出す親密な音楽から”時代そのものの激動”を描くが如き大編成オーケストラによるスケールの大きい音楽まで駆使することまで、「Ζガンダム」「逆襲のシャア」を経験している私たちはよく知っている。時代的な近さももちろんだが、手法的にも近いこの二作を並べて演奏することの必然性はありすぎるほど、なのだ。

そして、である。先ほど延々と語った「Ζガンダム」のサウンドトラックには、映画「動乱」からの転用がある。音楽を意識しながら映画を観ていると、確かに映像は二・二六事件と思える映像なのだが、音だけを聴いているとティターンズがどこまでも横暴だったり戦闘がモビルスーツで行われていそうな気持ちになる。最終盤の演説だってそうだ、高倉健さんがダカールで正体を明かして支持を求めるのではないかと心配になる。吉永小百合さんが強化されてトラウマから東京の街を拡散ビームで…なんて展開さえ見えてしまいそうだ(やりすぎましたすみません)。
もちろん、作品の成立順では逆なことはわかった上での戯言である。「逆襲のシャア」の音楽をコンサートで聴く機会がある、その気配に反応するたぐいの皆様は、きっとまだ見ぬ映画をもとに書かれた交響曲「動乱」も楽しめます、と申し上げたかった。回りくどくて申し訳ない。ここぞという場面でピアノとストリングスを活かす書法は、「Ζガンダム」「逆襲のシャア」とも共通するものだから、ガンダムファンの各位もきっとこの交響曲からも多くを受け取れることだろう。「動乱」について、個人的にはチェロとピアノの独奏の使い方に注目したい。

腹巻猫(劇伴倶楽部)様の「サントラ千夜一夜」にも転用について言及があります。興味ある方はぜひリンク先でご覧くださいませ、幅広い時代の、あまりにも多くの作品のサントラについて論及されておりますので「Ζガンダム」のみならず気になる作品のものを、ぜひ。
…ちなみに、「動乱」ではこれが楽器編成を変えてそのまま使われています。さあどこでしょうか(知っている人には説明無用のこれ、です)。

いい加減長くなったのでこのあたりでまとめよう。
私たちより少し上の世代なら、佐藤勝や早坂文雄(黒澤映画などでおなじみ)、伊福部昭(「ゴジラ」ほか)、冬木透(「ウルトラセブン」)らの音楽によって問答無用に「日本人によるクラシック音楽」に出会ったのだろうと思う。その出会いが私たちの世代になると三枝成彰や本文中にその名(と作品)を挙げた方々によるものとなるのだろう。2019年にガンダム40周年としてさまざまな企画が登場し、おそらくは私たちと近い世代の福井晴敏が「機動戦士ガンダムUC」やそれ以降の作品で、「Zガンダム」以降の作品からの影響を濃厚に感じさせながら、宇宙世紀の物語の続きを描いてみせた。言ってみれば福井はファンの期待に応える道を選んだわけだ。これは「The Origin」で宇宙世紀の「それ以前」を描いた安彦良和に近い発想と言えるかもしれない、安彦の作品ではシャアが中心的な存在として描かれていることも含めて。しかし一方で、富野由悠季は「Gのレコンギスタ」で新たな世代に向けて、また別の人間たちのドラマを志向した。この両方の道で、「ガンダム」は今なお新しい世界を示しうる、潜在力のある作品でありうることを示してくれた、と言えるだろう。

このように作品としての「ガンダム」は区切りを超えて新たな道を進んでいる、そして今年2020年にはガンプラも40周年、ついに宇宙にまで届こうとしている。「逆襲のシャア」の正統な続編※、「閃光のハサウェイ」の劇場公開も発表された今こそ、「逆襲のシャア」を、その作品を彩った三枝成彰の80年代を振り返るのにふさわしい。それをすべき時があるならば、それはまさしく今なのだ。



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最後に本当に余談。

「Ζガンダム」の頃の三枝は、嘉納治五郎…じゃなくて役所広司が宮本武蔵を演じたNHK 新大型時代劇「宮本武蔵」のサウンドトラックも手がけている。そのテーマ曲は吹奏楽に編曲されてコンクール課題曲として広く演奏されたのでご記憶の方も多いだろう。…だが。テューバにはまっっっっっったく面白くない楽譜に、今に至る「エレキベースやシンセサイザーにやらせたいことはその楽器でやるべき、お願いだから」という信念を形作られてしまったことにだけは、もうテューバを吹いていない今でもお礼は言えない。冗談です。


今ちゃんと聴いてみると、吹奏楽のあれとは相当に違うのだった、テーマ曲。それにしても若いなあ、嘉納治五郎(違)。

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