※過去の「はい、クラシックを聴いてます」からの再録です。ほぼ無編集、一部修正による転載
こんにちは。千葉です。
今回からアルテュール・オネゲルの交響曲全曲紹介シリーズをはじめます。全五曲なので五回で終わるかな、と考えていましたが、それでは彼の立ち位置もわからないし、彼の活動は交響曲を中心とはしていないし、また彼につきまとう「フランス六人組」のことも書かないといけない。彼の生きた時代についても考えたいし。
ということで、今回はフランス六人組が登場する以前の、フランスの音楽についてまずは書いていきます。ちょうどオネゲルの生年は1892年、そこを起点としてこのシリーズをはじめましょう。あの曲の年ですね、ちょうど・・・
えっと、時代の状況を文章で書くと物凄く長くなっちゃうので(そういう本だってあるのですから)、ここでは非常に簡単な見取り図を。なお、参考にした本は最後に挙げます。
◆普仏戦争の敗北をうけて、フランス音楽(器楽音楽)を見直す動き
「フランスにもドイツに負けない正統的な器楽文化を創ろう」という目的(岡田暁生「西洋音楽史」)のもと、自国の音楽を捉え直す動きがでてきます。それまでは、巨大な消費地として栄えるパリで、海外の音楽家が活躍する街でしたが、この頃からある種のナショナリズムも相まって、「フランス音楽」が再生しはじめます。代表的な作曲家として、サン=サーンス、ショーソンを挙げましょう。
◆ワーグナー(1813-1883)の影響
ボードレールのような文学者にも大きな影響を与えたワーグナー。その作品(リブレット含めて)はまさにロマン派の象徴、巨大な潮流として甚大な影響をフランスにも与えています。とはいえ上述の通り「普仏戦争→ドイツ嫌い」という時代の流れもあり、なかなかに複雑な影響のあり方だった模様で。とはいえ、1890年代からは「バイロイト詣で」もはじまり、1913年には生誕百年祭も祝われたとか。ドビュッシーもワーグナーについては深く魅了されながらも嫌悪する、アンヴィバレントな姿勢を著作などで見せています。
これまで書く機会がなかったのでワーグナーについてちょっとだけ。千葉はあのリブレットが好きじゃなくて、あまり簡単に好きとも言えません。が、その音楽の巨大さは理解できるし、本当に好きな作品もいくつかあります。そうね、厭な奴が何人も登場する、説教の少ない「ジークフリート」は特に好きかも(笑)。ちょっと「世界を語り尽くしてみせよう」とでも言うかのごとき饒舌に付き合えないことがままあるもので・・・なお、オペラについては同時代の人ならヴェルディ(奇しくもワーグナーと同年生まれ)の方が好きな千葉ではありますが、影響力と云う点でワーグナーを高く評価するものでもあります。
◆そして、ドビュッシー登場
印象派というレーベル(商標っていうか、名札?)で知られる、千葉も大好きな作曲家。上述したあの曲、オネゲルが誕生した年から作曲された「牧神の午後への前奏曲」の作曲家、です。
彼が十九世紀のうちに取りかかっていた歌劇「ペレアスとメリザンド」が初演されるのは1902年。二十世紀の到来を告げる傑作と呼ぶに相応しいタイミングですね(余談ですが。1901年にマーラーの交響曲第五番が、R.シュトラウスの楽劇「サロメ」は1904-05年に作曲されます。これは、時代が変わるな・・・なんて、同時代に生きていたら絶対に言えなかっただろうことを言ってみる)。
多くの人が指摘している通り、ドビュッシーの音楽は良く考えられた楽曲の構成、洗練された楽器法、などによって際立った美しさを創りあげたのであって、うすぼんやりとした響きの綺麗さによってその名が今に残っているのではありません(もちろん、独自の美しい響きをつくり出したことは評価されるでしょうけれど)。
千葉はその昔吹奏楽少年だった頃からのドビュッシー好きデス。ピアノより、オケ派です、皆様お察しの通り。
◆セルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団登場
これは詳述しません。彼らによって初演される、有名な曲を挙げるだけでもけっこうな数になりますので。そうね、例によってWikipediaで見てもらうってのはどうかしら? 決まりね(誰が答えたのか)。
こんなに端折ってしまっても触れておかなければいけないのは、実り多き1910-1913年のプロダクション。「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」(ストラヴィンスキー)「牧神の午後」「遊戯」(ドビュッシー)「ダフニスとクロエ」(ラヴェル)などなど、オーケストラ音楽の視点から見た彼らのレパートリィはまさに宝の山、ですね。そういえば、「ヨゼフの伝説」(R.シュトラウス)が1914年かな、聴いておかなくちゃ。最近気になる新譜も出ましたし、ね。
◆第一次世界大戦(1914-1918)
ちょっと相手が悪すぎます、こんな大物について何かを書くのは控えます。Wikipedia はなかなか充実しているのでご参照くださるとよろしいかも知れません、お嬢様(執事喫茶か!)
え~、千葉からは、巨大な分水嶺のひとつとコメントするところでとどめます。戦争が、もはやいかなる意味でも騎士道的なものではあり得ず、圧倒的な大量死をもたらすものに変容した、その分水嶺として。または、ベル・エポックと云う永い夢の終わりを告げるラッパの音、かも。
そして、フランスは戦勝国であった、ということだけを付記します。
さてさて、おそらくはここまでの前提があって、フランス六人組が登場できるのかな、という風に今は理解しています。正直に申し上げて、ブログでこの話を書くのはどうかな?という疑念もあります。対象が大きすぎるのでこれではメモにしかなっておらず、千葉自身のためにしかならないかも、とも思います(おそらくは、後から見る、今とは少し違う千葉のために)。ですが数限り無い舌足らず、そして誤認などは覚悟の上で、ここにまず、そう、前奏曲のようなものとして、千葉が認識している十九世紀から二十世紀への見取り図を置きます。
後もうひとつ、オネゲルの交響曲を見る前に、彼につきまとうレーベル「フランス六人組」について次回書いてから、本題に入りたいと思います。前にも書きました通り、オーリックとデュレ、タイユフェールについては文献でしか知らないことがもどかしいですが・・・
いやはや。前説が長いですね、お恥ずかしい。ではまた。
◆読んだり聴いたり
えっと、今回いろいろと調べものをしたのでその資料の皆さんに登場していただきました。絶版なのが、「春の祭典」をタイトルに持つ、左後方の二冊。片や、バレエ・リュッスの1905年から1917年、ロシアを失うまでの時期について主要なメンバを中心に紹介してくれる「春の祭典 ロシア・バレー団の人々」(藤野幸雄、晶文社)。片や、第一次世界大戦からの、世界の変容(といってよいと思う)を描く、「春の祭典 第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生」(モードリス・エクスタインズ、TBSブリタニカ)。後者はまだ戦争が始まったばかり(・・・)。バレエの「春の祭典」初演時のスキャンダルについての論考が面白いデス。(再録にあたり注釈:千葉がガラケーで撮った写真は割愛します。以下リンクのほか、いくつかのCDを入れて写真を撮ったものでした)
そして右側の新書二冊は、こちらにリンクを貼りますので、ぜひご一読をオススメしますデス。なお、音源はアンゲルブレシュトの「ペレアスとメリザンド」、そしてモントゥーの「ペトルーシュカ&春の祭典」にご登場いただきました。
あと、直接にではないのですが、時代認識の仕方において千葉は笠井潔氏の著作に少なからぬ影響を受けている自覚があります。
一人の著者による、まさに音楽の歴史の流れそのものを一望する試み、でしょうか。勉強になります。
もはやおなじみ(微笑)の本書、二十世紀への流れから現在へと音楽の歴史が流れている、ということを認識させてくれた一冊です(音楽の歴史、というものがあるとして、ですが)。この本にはまた後ほど、登場していただきます。お楽しみに!
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