こんにちは。千葉です。
なんというか、ここ最近あまりにもきな臭い。そういう話はちゃんと書かないと、と思うがゆえに書きにくいのだけれど、インターネット閲覧履歴保存の義務化(テロ対策?意味不明ですわね)とか、児童ポルノ規制の動きとか(本当に人権を侵害されている子たちの保護につながる施策から進めないである種の「焚書」からはじめる発想が理解できない)、政権の正気を疑わせることが多すぎる。そしてそれに対して普通の批判すらされていないように見える。さあこの国の明日はどっちだ!(自棄気味)
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何もそこから話をつなげるつもりはございません、いくら話題の人が政治的に難しいからといって(笑)。ええ、本日はリヒャルト・ワーグナーの生誕200年、まさにその日なのですね。おめでとうございます、とまずは言祝ぎ申し上げますわ。
だからなんですね、今週の月曜、火曜の深夜に「BS世界のドキュメンタリー」で「ワーグナーとわたし」※が放送されたのは。リポータのスティーヴン・フライがユダヤ人のワグネリアンである、ということがよく伝わる番組でしたわ。っていうか、それ以上のことはなかったような…まあ、一般向けの紹介、情報番組だと思えばあれでいいのでしょう、結論を押し付けないどころか彼個人の見解すら示さなかったのにはさすがに拍子抜けしましたが。
※原題「Wagner and I」をそのまま訳せばこうなりますわね。ユダヤ人の、と邦題に追加したのは結果ミスリードだと思う。実際の番組はそこまでは踏み込まないで、ワーグナーとその受容をめぐって「問題が存在すること」までを紹介するものなのに、この一言で過剰な意味付けをしてしまうことになっていたのではないかな。とか、少しそっち方向を期待した千葉は思うのさ。
かくいう千葉は、残念ながらワグネリアンを称することはできませぬ。
なによりあの、台本がちょっと。同年生まれのオペラの巨匠として今年はどこでも並べて言及されるだろうヴェルディを引き合いに出すまでもなく説明的にすぎる導入(逆にイタリア・オペラは端折り過ぎだと思われるかもしれませんが、それを流れの中で見せるのも技だと思うんだ)、そして時代の癖なのだろうけれど超越願望がストレートにかなってしまう展開、どうにも好きになれませんで。
そこにいわゆる「思想」が絡むともうどうにもこうにも。もちろん、同時代の思潮から積極的に多くを得て、彼独自に統合されたものに、なにか独特なものがあるのを認めないわけじゃない。でもあれはアマチュアでしょうよ、思想という観点からは。切り口として見るぶんにはいいでしょうし、そこから読みをふくらませるのは当然アリです、でもその「思想」なるものがあるから、ともちあげるのはちょっと違うかなと。なにせ革命家としてもかなりご都合的パッチワーク的思想の信奉者だったようですから、そこで彼を評価してしまうのは正直どうかと。反ユダヤがどうこう、以前の問題なんです。もちろんそれは良いものだと思わないし(ベックメッサーがはじめ「ハンスリッカー」なる名前で想定されていた、という話にはドン引きしました)、ナチス的なものとの親和性の高さも否定できない(利用されたからどうこう、ということ以上に志向の方向において影響してしまっているかなと)。でもそれ以前、思想そのものとして、それほどのものじゃあない。
でもねえ、音楽は素晴らしいと思うんだ。何も自分の楽器が存分に活躍するから、ってだけの理由ではなく。オペラ時代の、後年のものに比べればまだ軽やかな作品も悪くないし(「オランダ人」では飛び抜けたものはあまりないように思うけれど、充分に劇的な音楽だと思います)、オペラの総決算二作、そして楽劇、神聖舞台祝祭劇へと展開していく音楽の、とくにその響きには感服いたしますわ。とくに「トリスタンとイゾルデ」、そして「パルジファル」に惹かれるのはドビュッシーからの逆影響、なのでしょうね(笑)。それにその昔は「なんかずっと同じメロディやってるよね」と思っていた「ニュルンベルクのマイスタージンガー」も(子供の頃は本気でそう思っていた。あはははは)。
ほんとうは、台本も音楽も一人の作者によるテクストなのだから、こういう区分は本質的にムリなのかもしれない、とも思うのだけれど、千葉はどうしても「台本作家」と「作曲家」、両方を同じようには好きになれる気がしませぬ。っていうか前者、嫌い(笑)。信頼できる台本作家と組んで仕事ができる人だったらよかったのに(ええ、ムリだとわかっていますが)。
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まあ、それでも好悪抜きで、聴いていいものだとは思うんすよワーグナーさん(偉そう)。千葉にとってはいわゆるヒストリカルの、まさにこの作曲家に余計な意味が付与されまくったいわくつきの時代に活躍したマエストロたちを知る縁にもなってくれましたし(今でもヒストリカルのベートーヴェン、モーツァルトは苦手です)。特にもフルトヴェングラーのこの盤、今日聴くのに一枚選ぶならこれですねえ…
でもまあなんですか、もしこれから聴こうかな、と思われている方にいきなり「じゃあCD4枚分、聴いてみて」ってのはどうかなって思うので、適当な動画でもないかなってYouTubeで探してみたら、いやはや今は全曲をアップロードしている人たちが多いんですねえ…真面目な話、「wagner (作品名)」で検索して見てくださいな、あまりにも大量にあるので紹介するのをあきらめちゃいました(笑)。探せばこの盤もあるんじゃないかなあ(あえてぼんやり)。
個人的には正直、全曲から入るのは苦行に過ぎると思っております。自分の導入がメータ&NYPによるリングの抜粋だったせいもあるんでしょうけど。序曲集とか抜粋の中でも、例えばマゼールによる「言葉のないリング」とか雰囲気を知るのにはいいと思います、さっきの検索にも大量に出てきましたし(あえてリンクはしませんよ)。
でも個人的な好みでは、ノリントン&ロンドン・クラシカル・プレイヤーズによる序曲がなかなか、この作曲家観を変えてくれるいいものだと思います。いわゆる「古楽器」、千葉が言うところの同時代アプローチによって示される当時の(ものに近い可能性がある)サウンドは、なかなか軽やかで歌ともぶつからないものに思えます。まあ、当時の音でも歌には相当に負担のかかるものだったのでしょうけれど(笑)。
さてこれから夜にかけて楽劇をひとつ流すと日付が変わりかねないところではありますが(晩御飯等のロスタイムを考慮した)、たまにはってことで「トリスタンとイゾルデ」でも聴いてみましょう。最後までたどりつけるといいなあ…では本日はこれにて。
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