2013年9月2日月曜日

音楽はこれから、というのが申し訳なく…

こんにちは。千葉です。

先日発表された某アイーダの件、中止を受けてなにか書くべきかどうか迷っています。とりあえず、あのう、隣国の企業が「ビジネスとして読めていなかった」可能性は高いけど、それ以上の意味はないと思いますよ。きっと、富裕層の高額消費がーとかいうニュースにでも騙されたんでしょ。いやほんと、外から実感なく報道なんかを見ていたらそう誤解することもある、かもですよ。

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それよりも今日はある訃報に思うところをば書きます。

◆諸井誠氏死去=作曲家、音楽評論家(時事通信)

まずは合掌。またおひとり、としか。ご本人のサイトで年譜、作品一覧が見られるのはありがたいことです。

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吹奏楽畑で音楽的に育った千葉には、諸井誠作品とのご縁がありませんで、聴く方でも最近まで昭和の日本人作品にはあまり手が回らず(例外的に武満作品と黛作品のそれぞれ一部があるのみ)、その音楽にはこれから近づいていこうと思う次第なのです。

ですが、諸井誠先生の著作ならいくつか読みました。「現代音楽は怖くない―マーラーからメシアンまで」、「交響曲の聴きどころ」、あと篠田一士との対談はなんというタイトルだったかな…※たしか、「歴史上の人物」と感じられていたピエール・モントゥーを20世紀半ば過ぎまで活躍していた名指揮者と認識させてくださったのも諸井先生だったと思います(当時はまだ読んでいたレコ芸の連載記事で、ベートーヴェンの交響曲第三番を賞賛されていた、はず)。

※「世紀末芸術と音楽―往復書簡」でした。美術と音楽、文学を時代的並行で捉えるスタンスを共有した往復書簡はなかなか示唆的でしたが、往復書簡形式につきものの隔靴掻痒感もなかなか…だったように思います。



個人的な接点はない、のですが、一度だけ演奏会場でお見受けしたことがありました。埼玉会館でのベルティーニ&都響によるマーラーの交響曲第九番、ってことはもう10年くらいも前の話になりますか。ふむ。

千葉はその演奏会の前に、かなりがっかりな同曲の演奏会を聴いていたものだから、いささか傷はあるし(なにせ会場の埼玉会館は演奏者をまったく助けてくれない、なにしろ残響がほとんどないので)、中間楽章にはまだ手が入っていない部分も散見されたのだけれど、入魂のと言えるだろう演奏に満足して、終演後もしばし席でぼんやりしてから帰るかと立ち上がりましたところで、一団の年配の方々に行き会いまして。その中でもっとも熱心に、いささか上記した面持ちで「これが本物ですよ!」などと話されていたのが諸井誠先生でした。先生が何と比較されているのかはわからないながら「ですよね~」と内心激しく同意し(前述の理由もあって必要以上に)、ある意味では「師匠」と思う人と演奏の受取りが近かったことに喜び、と不思議な感慨を覚えたものです。しみじみ。

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個人的にはですね、ジャンルを問わずこのお国は「昭和」をきっちりと終わらせないといけないと思っているのだけれど(こういうニュースのたびに言われる、いわゆる「昭和が消えていく」系のフレーズとは逆で、相応の認識をもって先へ進む姿勢をちゃんと作ることの必要、ですよ)、そういう考えとは別にこうして先人が亡くなられていくのはなんとも、不勉強やら申し訳なさやらが頭をよぎります。及ばないなあ、と感じて立ち止まるのが一番悪いのですけれど。

ともあれ、今日はまず合掌、これから主に遺された音楽を知るように努めます。お疲れ様でした。

では本日はこれにて。ごきげんよう。


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