2016年8月1日月曜日

きっと往年のあれはこういう ~東京フィルハーモニー交響楽団 第883回オーチャード定期演奏会

こんにちは。千葉です。

夏バテからのリハビリで、編集機能を発揮せず書きます。…ぼかさずにはっきり書くと「思いつくこと思い出せること全部、ダラダラと長く書きます」です、すみません(笑)。

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さて伺いましたコンサート、おそらくこの日受け取った感触は9月の公演紹介で参照しそうには思いますが、単独の記事に残すべき価値ある公演でしたのでここに。

●東京フィルハーモニー交響楽団 第883回オーチャード定期演奏会

2016年7月24日(日) 15:00開演 開場:Bunkamuraオーチャードホール

プッチーニ:歌劇『蝶々夫人』(演奏会形式・字幕付)

指揮:チョン・ミョンフン

合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

キャスト:

蝶々夫人(ソプラノ):ヴィットリア・イェオ
ピンカートン(テノール):ヴィンチェンツォ・コスタンツォ
シャープレス(バリトン):甲斐栄次郎
スズキ(メゾ・ソプラノ):山下牧子
ゴロー(テノール):糸賀修平
ボンゾ(バリトン):志村文彦
ヤマドリ(バリトン):小林由樹
ケイト(メゾ・ゾプラノ):谷原めぐみ

チョン・ミョンフンをオペラ指揮者として認識しながら(かつてバスティーユ・オペラとしてパリ・オペラ座が大々的にプロモーションされたころに彼を知った、そういう世代なのです)、なかなかその実演に触れる機会がなく。ついに得られたこの機会は演奏会形式ながら期待しかない公演は、前々日のサントリーホール公演が早々に完売し、こちらのオーチャードホール公演も当日までには完売しておりました。さもありなん。

新国立劇場の舞台に多く触れ、かつアンドレア・バッティストーニのリハーサル&コンサートを取材する中で「なるほど東京フィルはイタリア・オペラを得意とする、オペラハウスのオーケストラのような性格が強いのか」と感じられてきたので※、このめぐり合わせ自体は大歓迎ですし、千葉は「蝶々夫人」を名作と断じる者でありますので、この演奏会は大いに楽しみにしていました。予習として、IMSLPからスコアをダウンロードして、お気に入りのロス・アンヘレスの盤を聴き直して(この盤、何がいいってユッシ・ビョルリンクのピンカートンが「バカだけど悪いやつには思えない」真摯な歌唱なので何を歌ってもいちいち怒らなくて済むのがいい←酷い評価基準ですが、ピンカートンだけは何かに障るものがある系男子なので許してください)。スコアを見ると、割と何の変哲もないイタリア・オペラのスコアっぽいのにあの音がするあたりがプッチーニの技なのでしょう、とは思うがまだ踏み込んで書くほどの認識ではないので機会があればまた(後日きっと、必要に駆られて「ラ・ボエーム」のスコアも眺めなければならないでしょうから)。

※もちろん、個人的な感触なので誤っている可能性はあります。あえて言うならば「東京フィルと同様に多くその演奏を取材して、同じく新国立劇場のピットでも活躍する東京交響楽団との比較において」とより正確を期した注釈をしてもいいかなと思います。首都圏のオーケストラ、それぞれの個性を紹介できるよう精進しますよ。

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そんなわけでそれなりに準備万端で伺いましたよオーチャードホール。渋谷駅の雑踏が恐ろしいので神泉駅で降りて一路Bunkamuraへ(駅前のうるささは、たまに行くとあの環境を許した人の正気を疑う水準です。その喧しさをアトラクションと感じているのか、欧亜問わず多くの外国人観光客がいたのはなんというか。あと、お嬢さん方のメイクの雰囲気が比較的よく行く新宿とは違うのかな、とか思ったりして、渋谷も変わったものだとか訳知り顔をしてみたくなり申した)。

久しぶりのオーチャードホールの舞台には、前方に幾つかの椅子と平台があり、そしてふだんはピットにいて見えないプッチーニのオーケストラがみっしりと居並び、その後ろに合唱席が用意されていて、これが既に見ものなのです。特に打楽器。弦楽器の編成が大きめなのはピットのサイズからくる制約がないからこそ、でしょうけれど、プッチーニはワーグナーに影響を受けた世代の作曲家なのよねえ、と開演前からしみじみと思うのです。そう、流麗なメロディに心動かされるドラマはもちろん魅力だけれど、それに加えてオーケストレーションの巧みさがね。舞台にオーケストラが乗った状態であればストレートにその響きが客席に届くわけで、プッチーニの技を存分に楽しむのに不足はない。というところまで書いて、ようやくコンサートは始まります!みんなー、着いてきてるかなー?(

念願かなって聴くことができたチョン・ミョンフンの音は、冒頭からしばらくその精度の高さ、音楽の流れの良さに感心しながらもちょっとだけ「あれ?」と感じた部分がありました。冒頭からしばし、音楽自体は淡々と進むんですよこれが。ことさらにゴローを変な人にしないし、アメリカ人二人も落ちついて会話しているようなトーンに収まっていまして。そして肝心の東京フィルの落ちついた音色はこれまで聴いたことのない、クリアなのにどこか影のある感じの独特の感触、通常のオペラ上演ほど多くのリハーサルはできていないだろうにここまで音を変えてしまうのか、オケは変わってしまうのか……などと考えながら聴いていた、その気分が変わるのに時間は要りませんでした。蝶々さんご一行が現れる、その瞬間に舞台が彩りを得たその瞬間の美しさときたら。もう。
そう、男たちはこの瞬間まで植民地相手丸出しのお取引をあたりまえの、つまらないこととして淡々と進めていた、それがいざお相手の登場となった瞬間に文字どおりに色めき立ったのだ。その情景が音だけで美しく示され、その瞬間に聴き手に伝わる。なるほど、これがいまやスカラ座でヴェルディを任せられる指揮者の仕事か!と目が醒めるような思いをいたしましたよええもう強かに。

そして登場した蝶々さん、ヴィットリオ・イェオは鮮やかな和装もお似合いで、歌っていなくてもつい見てしまうほどの存在感。それ故に、このセミステージ形式がまるで舞台上演であるのかのように感じられてくるのはこの作品が圧倒的にヒロインにかかる比重の大きい作品だから、ということはもちろんあるのだけれど、それでも彼女の存在感は素晴らしい。
ちょっと先走ることになるけれど、スズキ役の山下牧子も小間使いの和装で蝶々さんとともに活躍するから、二人の場面はもう完全にオペラ上演ですよ。第二幕とかもうどうしろっていうのよ(泣)。そんなわけで、存分に「蝶々夫人」を堪能したことでした。

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もういい加減長いのだけれど、最後にちょっと余談を。

地方にいた千葉青年はバーンスタインの没後それなりにクラシックの人になりまして(それまではCDをよく聴く方の吹奏楽の、テューバの人でした)。クラシックの雑誌なんかも読むようになれば「東京にどんなオケが来ているか」とか「話題のオケ公演はどんなものか」とか、そういう知識は得られるようになります。
ちなみに年に何回か上京して都度コンサートに行くようになるのは20世紀も終わろうか、という頃のこと。その頃にはまず「マーラーの交響曲が演奏されること」を条件にコンサートを選んでいたから、オペラは選択肢にならず。仙台に来たブルノのオペラが上演した、演出に何の特徴もないいわゆる巡業用のプロダクションで「ドン・ジョヴァンニ」を聴いたのもその頃のことだけれど、それで「東京でオペラ見よう!」とは考えませんでしたねえ…そんな遠くから望見していた時期の事なれば、「リング」を引っ越し公演で上演していようが「炎の天使」のヤバい上演とか、それこそ新国立劇場の開場も遠い話でしかなく。

である以上、当時の常任指揮者、若き大野和士の元でなかなか舞台では上演できない数々のオペラ作品をコンサート形式で演奏した東京フィルハーモニー交響楽団の往年の名企画「オペラ・コンチェルタンテ」も知識として知るのみでした。この日、舞台前方の平台ほかを活かしたちょっとした演技(いや、蝶々さんは完全に演技もされていましたね)、そして照明だけの簡素ながら作品の魅力がよく伝わる演出でプッチーニの音楽をそのままに伝えてくるような演奏を聴いていたら、ちょっとだけ「十数年後に経験できるから酸っぱい葡萄とか思うなよ」とかつての自分に教えてあげたくなりました(笑)。

ではまた、ごきげんよう。

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