2019年6月11日火曜日

かってに予告篇 ~東京フィルハーモニー交響楽団 第922回サントリー定期シリーズ/第923回オーチャード定期演奏会


2019年6月
  14日(金) 19:00開演 会場:サントリーホール 大ホール
  16日(日) 15:00開演 会場:Bunkamuraオーチャードホール

指揮:沼尻竜典
独唱:ダニエル・ブレンナ(テノール)、中島郁子(メゾ・ソプラノ)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

ベートーヴェン:交響曲第六番 ヘ長調 Op.68 「田園」
マーラー:「大地の歌」

ここで曲目に「大地の歌」と書くときに、さてどう(どこまで/どのように)書くべきかと考え始めてしまう私は、きっとマーラーについて自分の言葉でちゃんと書く準備ができていないのです。というか、ハチャトゥリアンの時のようには書けそうな気がしない。
自分の話や考えくらいならいくらでも書けましょうけれど、それでは予告の趣旨に合わないので今回はちょっと方向を変えてみます。

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東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会は、ご存知のとおり非常に多岐にわたっている。長年の実績あるオペラやバレエの上演に、近年増えてきたシネマ・コンサートやポピュラー歌手との共演などなど。その幅広さ、公演数の多さは相当のものなのだが、その多彩さはコンサートだけに絞ってみてもあまり変わらない。
…というと、今年の定期演奏会が移行期的短めのシリーズであることを忘れたのか、とお叱りをいただいてしまうかもしれない。だが、会場を変えて月に三度開催される定期演奏会に加えて今年から拡大された「午後のコンサート」シリーズ、提携関係にある会場での演奏会、そして名曲演奏会や特別演奏会、フェスティヴァルなどでの演奏会にオペラやコラボ公演もあるのだから、それらも視野に入れてみるとまた違った絵が見えてくる、と考えるのだ。

たとえば、4月の定期演奏会に登場したアンドレア・バッティストーニの、今シーズンのプログラムを見てみよう。メインに置かれたのは4月にはチャイコフスキー、9月にはホルスト、これだけだと今シーズンの彼のプログラムの方向は見えにくい。もちろん、メイン以外の曲目を拾えば(もしかして最近は英国音楽に興味があるのかな)(古典、バロックへのアプローチを試みるのだろうか?)くらいの試論は立てられよう。
だがシーズン開幕後に発表されていく各地でのコンサートも併せれば(英国音楽やっぱりやる気だ!)(ロシア音楽も、得意曲も演奏してサーヴィスしまくり!)(「春の祭典」以来の20世紀音楽アプローチはこの方向か!)とある程度の確信をもって言うこともできるようになる(どういうことですか?と思われた方はリンク先をご覧ください)。

もちろん、こうしたプログラミングの方向付けが、どこまでが意図でどこからがめぐり合わせからくる偶然なのかは外からはわからない。それでも、ひとつのオーケストラの多彩な活動を聴き手が積極的に読み解いてしまう、こんな楽しみ方をしてもいいと私は思うのだ。では今回のプログラムからはどんな読み取りが可能だと思っているか、といえば…

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ベートーヴェンの交響曲とマーラーの巨大な歌曲(または”交響曲”)、この二曲はどちらだって演奏会のメインになりうる大作だ。この二作をつなぐものはマエストロの言葉を借りれば「自然と生命」だし、私にはその言葉をキーにした、一対の画風の異なる絵画を眺めるような趣があるように思える。たとえばベートーヴェンはある人物の経験を描いた一連の作品に、漢詩に由来するマーラーはそれこそ水墨画、禅画にも近い世界に。もちろん音楽は絵画ではないので、こうも単純に並べてしまうと誤解を生むだけなのだけれど、そんな戯れもたまにはいいだろう。
当時はそれほど流行っていたわけでもない標題音楽によって、日常から離れた田園生活に普遍を見出すベートーヴェン。当時の彼らには異世界にも思えたろう漢詩の世界に思いを寄せて、しかしロマン派の濃厚な表現を駆使して生と死のドラマを描き出すマーラー。気心の知れた仲であるマエストロと東京フィルはこのコントラストの効いたプログラムをどう聴かせてくれるものか、期待して会場に足を運ぶとしよう。

閑話休題。東京フィルハーモニー交響楽団のベートーヴェンといえば、私の手元にはかつてチョン・ミョンフンと録音した全集がある。二つのオーケストラが合併してから間もない時期の、それこそ「統合の象徴」として残された貴重な記録だが、今の充実した東京フィルならばなお、という思いがなくもない。バッティストーニによる「第九」はすでに販売されているが…と、思っていたこのタイミングに新譜情報が届くのもまためぐりあわせだ。



その新譜が、今回取り上げられる第六番と同じ日に初演された第五番というのもなにかの縁だろう…まで言うとこじつけが過ぎるだろうか。
そうそう、沼尻竜典といえばトウキョウ・ミタカ・フィルハーモニアでの古典は演奏の経験も豊富なマエストロだ、今回の「田園」が充実した演奏になることは約束されているようなものだ。

そしてこれまでもこのブログで何度か触れてきたが、東京フィルはマーラーの晩年の作品を2019年に入ってから集中して取り上げてきた。1月にはバッティストーニとの第八番、2月にはちょうどこの前の日曜にNHK FMの「ブラボー!オーケストラ」で第一楽章が放送されたばかりの第九番※、そして今回の「大地の歌」と、なにかの企画でもないのにこれらの作品を一つのオーケストラが集中的に取り上げる機会はそうあるものではない。
私は残念ながら第八番は聴けなかったのだが、チョン・ミョンフンによる第九番は実に充実した、素晴らしい演奏だった(過去記事参照)。多彩な表現の充実が求められるマーラー演奏の充実は、そのままオーケストラの良好な状態を示していると言える(こう断言してしまう私が、マーラーの音楽をこよなく愛していることを差し引いても)。巨大なカンタータの如き第八番、新ウィーン楽派にも限りなく近づいた第九番、その経験を受けて演奏されるのが、巨大な歌曲集であり、声と管弦楽による”交響曲”である「大地の歌」なのだ。作曲者同様にオペラ指揮者としての経験も豊富な沼尻が、この独特な作品の魅力をどのように示してくれるものか。独唱者に寄り添い、ときに室内楽よりも繊細に、また巨大管弦楽の奔流にと幅広い表現が要求されるスコアから東京フィルはどんな響きを導き出すのか。今一度繰り返す、期待して会場に足を運ぶとしよう。

なお。「大地の歌」が歌付きだからよくわからないのでは、と心配になっている方には、The Web Kanzakiさんのマーラー:「大地の歌」の歌詞と音楽がお薦めです。公演会場に辿り着く前に、ぜひご一読を。
あと、いろいろ書きましたが私はこの音楽の美しさだけでも知ってほしいと切に思うので、パブリック・ドメインのこの演奏を貼っておきます。



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最後にもう一つのめぐり合わせの話。この定期公演で演奏される「大地の歌」で、別れの冬にあって再び巡りくる春を思った東京フィルは、約半年後にマーラーの「春」とも言えるだろう交響曲第一番を、若きマエストロと取り上げる
こうして音楽は、人の営みはつながっていく。…こんなとき、適切な漢詩でも引用できたらいいのに、と思ったところで今回の予告はおしまい。ではまた。

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