こんにちは。千葉です。
簡単にですが、読了した本のご紹介を。
中川右介 著 「国家と音楽家」
かつて「クラシックジャーナル」誌の編集長としても活躍された中川右介(敬称略ですみません)の、気になっていた2013年の本をようやく読みました。「デジタル録音なら新しい方だよね」と思ってしまう程度の時代感覚なので、こういうことはよくあるんです、すみません…
読み終わってどう紹介するかと考えて出した結論は「目次を見ていただくのが、この本の内容をイメージしていただく一番いい方法だ」というもの。以下、七つ森書館のサイトから章題のみ引用します。
・第1章 独裁者に愛された音楽
・第2章 ファシズムと闘った指揮者
・第3章 沈黙したチェロ奏者
・第4章 占領下の音楽家たち
・第5章 大粛清をくぐり抜けた作曲家
・第6章 亡命ピアニストの系譜
・第7章 プラハの春
・第8章 アメリカ大統領が最も恐れた男
・エピローグ 禁じられた音楽
20世紀は戦争の世紀、とはご存知「映像の世紀」でも繰り返し語られるモティーフですが、それは音楽から見ても実感できることです。WWIがなければ、もしかしたら大編成管弦楽は「春の祭典」や「グレの歌」を超えて肥大化していたかもしれない、でも現実はそうではなく小編成の室内楽的な音楽に移行した。WWIIがなければ、もしかすると「音価と強度のモード」は展開されず「十二音技法からはこんな徒花も数多く生まれたかもしれません」なんて音楽史もありえた、かもしれない(一説ですが、戦後の秩序希求の中でセリエリズムは発展した、なんて話があるのです)。
でも現実には二つの大戦があり、その後も長く冷戦が、地域紛争が続いたのが20世紀でした。いや、冷戦が終わってもペルシャ湾岸で、そして中東の各地で戦争は続いている、それは忘れてはならないのですが、今はその話ではないので深入りはしません。
そういう時代に、文化はいつも以上に社会と関係せざるを得ない。予算的なことはそれこそ教会や貴族のお抱え時代からあったし、モーツァルトが切り開いた「フリーランス音楽家」時代以降はより明確な拘束として存在していますし、思潮的なものの影響はそれこそオペラの題材を見るだけでもある程度は見て取れるでしょう。
私も少し(サバ読み)生きていた20世紀は、それが実に顕著でした。そこには大きい戦争が影響した、と考える人に、この本が面白くないわけはないのです。ナチスの時代にドイツ、オーストリアの音楽家がどのような苦労をしたか。マーラーともライヴァル関係にあったアルトゥーロ・トスカニーニがその晩年どれだけ長くファシズムと戦わなければならなかったか。西欧国家の中では特にねじれた20世紀を過ごしたスペイン、いやカタルーニャ出身の名チェリスト、パブロ・カザルスの生涯の数奇なること如何許か。ドミトリ・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチはどうやってあの時代を生き延びたか。などなど、WWIIを中心に20世紀を生きた音楽家たちを、その時代の相において捉えなおす一冊です。
もちろん、音楽の演奏解釈において、時代性にのみ注目するのはバランスの悪い判断です。まずは音楽、楽譜から行われるべきですけれど、作曲者を取り巻く時代が無視できないことは昔の作品でも現在の作品でも同様です。時代が遠ければ遠いほど生活も環境も違うし、楽器や奏法も違う、作曲における前提、イディオムについての理解解釈において大きい要素です。ですが、作曲者という人間が生きているその時代に拘束されるのは、私たちがいまこうして生きているのと同じことです。それも、自国が戦場となっている状況はさぞ影響が大きかったことでしょう。たとえば本書では軽くしか触れられていないショスタコーヴィチの交響曲第七番ですが、大祖国戦争と切り離して考えることは難しい、先日少し話題になった「小林多喜二と共産党」を切り離すのが難しいように。その時代に作曲家を、作品を置くことで見えること、少なくないのです。
本書はそんなことに思いを馳せる契機となるでしょうし、何より多くの音楽家たちがどう生きたかをコンパクトに教えてくれる大著です。この形容は矛盾しているように見えるかも知れませんが、約350ページの本文に本当に多くの情報が入れ込まれていますので、少なくとも私の偽らざる実感であることは申し上げておきたく思います。
トスカニーニによるショスタコーヴィチの交響曲第七番はパブリックドメインなので、安心して貼ることができますね!(笑)
なお、本書のエピソード群の中で、今年のシーズンから生誕100年への取り組みが始まるレナード・バーンスタインについての言及が多くあったことを大いに喜んだことを、かつてバーンスタインの音楽に深甚な影響を受けたものとして告白しておきます。
では本の紹介はこれにて。ごきげんよう。
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