2012年3月19日月曜日

いざ終わりとて

こんにちは。千葉です。

開幕戦、面白かったですね!

…あ、別のブログに書く内容でした、F1は(笑)。
でもせっかくだから書いておきましょう、今年はあまりテレビ放送への苦情を書かないで済みそうです。もちろん、フルサイズでレースを流せない編成はどうかと思うし、「薔薇の騎士」の途中のどこに切れ目があるのよ?じゃないけど決勝レースにも切れ目はないのにCM入れざるを得ない。それはあるのだけれど、定評のあるCS放送版をベースに*放送してくれるのだから、それはそれで尊重すべきかなと。スポーツや芸術、一回性が大事なんだから演出とかかってにしないでいただきたいわ、と思う千葉としては許容範囲の第一戦の放送でした。

*あっちはあっちで、有料放送にもかかわらず何故かアナウンサがいちいち新人だったりする(結果、解説陣がお怒りになる(笑)ケースを何度見たことか)。どうもねえ、こういう「釣った魚にほにゃらら」ってのは、好きになれない態度ですわ、ワタクシ。

こっちに書こうと思ったのもテレビ絡みのお話。先日ニュースとして知ったタイミングでも取り上げています、N響アワーが3月いっぱいで終了する件、であります。
あと二回の放送を残すのみとなった今日、Twitterのタイムラインを眺めると千葉も含めて少なからぬ人たちがこの番組を観て、その終了を惜しんでいるのがわかります。もちろん、千葉が作った自分のタイムラインにはそういう人が多くて当たり前ではあるのだけれど、皆さまがそれぞれに自分にとっての「N響アワー」について書かれているのを見ると、これだけの「財産」を失うことの大きさ、本当にわかっているのかねといま一度言わずにはおれませぬ。

それはさておき。今日はそういう話じゃなくて。
本日冒頭に流れたホルスト・シュタインとのワーグナー、あまりに立派な演奏で驚いたんですよ、千葉は。マエストロが楽劇全体が手の裡にあればこその自然な起伏を活かした劇的な音楽の流れを導けば、それに応えてオーケストラは自信みなぎるサウンドを繰り出す。ああそう、かつて彼の指揮で聴いたバンベルク響もこんな音だった…ような気がする(笑)、と言いたくなるほどに堂々たる演奏、あれはなんなんだろう?
個人的には20世紀後半の演奏スタイルの一つとしての「ドイツ風」というフィクション(今の千葉にはそう見える演奏スタイルです)を、彼らが心から信じている、そこに迷いがないからこその力強さがあるのかな、と考えて納得しておりますが、あれは昨今の技量の向上したとされる都内のオーケストラからもそうは出てこないタイプの音なんじゃないかなあ…

そしてその後に部分的に流れたこの演奏を見て、ちょっと思うところをさらっと。



マタチッチのブルックナー、誰とは申しませんが某評論家氏の熱烈なる推薦もあってある種カルト的な雰囲気すら感じなくもない人気のある演奏ですね。実際、先ほどのシュタインとの演奏などにも感じられる「ドイツ風」の音作り、いささかの無骨さは感じるし、傷もあるのだけれど訴求力のある演奏だと思います、千葉も。ただし、おそらく音だけで聴いたら傷やオーケストラの非力が感じられてしまって「それほどの名盤ですか?」と思われることもあるんじゃないかな…

そう思っていながら、千葉はこの演奏を名演だと思っています。と言いますのは。
このオーケストラ、何が困るってその実力を本当に出し切った演奏というのがですね、えっとゴニョゴニョ。時には指揮者が気に入らないとむにゃむにゃ。合わせが酷いとか音程がどう、なんて技術レヴェルの話ではなくて(そういう部分では特定のセクションを除けば大きい穴はない、はずです)、いわゆる共感力を感じさせない演奏が多いように思うのです。聴きに行った実演でも、テレビやラジオで流れたものでもけっこう…いわゆるキャラとしてクール・ビューティ路線なのかもしれませんけれど(笑)、千葉は笑顔が可愛いタイプがいいなあ(おーい)。冗談はともかく。

こと演奏をまとめるだけならお手の物、のはずのこのオーケストラが(実際、ポディウムに立ったマエストロの評判は良いようですからね)、ここまで踏み込んで演奏した、キャラとはかけ離れているのにそれでもさらに「向こう側へ」と手を伸ばした、まさにロマン派的な演奏がこれなんじゃないかしら?と吉田先生風に思うわけです、ワタクシ。
強奏は美しさを保てないほど、弱音はいささか心もとないほどに小さく演奏される、自身の限界を踏み越えるほどのリスクを犯して、それでも損なわれない何ものかと、この演奏において彼らが信じていることが伝わってくる。そこに、ブルックナーが希求し続けた何ものか、マタチッチが理解している何ものかが重なりあい、このオーケストラにしては異色の名演が生まれ、それは人々に語り継がれ、そして今なお記録の形で多くの人に触れられ続けているのではないか。

実演なんて、多かれ少なかれ傷はありますもの、それに演奏会の日だけ実力以上の演奏ができるわけじゃないんだから技量の底が見えてしまうこともあるでしょうよ。だけれど、そこにそういう事実関係の水準では終わらない何かが聴き取れる、受け取れるのではないかと思うから、批評や評論の形で受け取ったものについて語ろうとする。あまり多くを宇野功芳氏から受け取ってきた覚えはないのだけれど、ことこの演奏についてはそんな宇野氏の思いさえ感じられるほど、この団体としては「常軌を逸した」名演だった、ということなのではないかな。そんなことを考えさせられた、残り一回のN響アワーでした。

おそらく、この番組の終了は各方面に小さくないダメージを与えることでしょう。地方自治体の長が嬉々として文化事業への補助金カットを誇るようなご時世ですからなおのこと。でもその困難をどう乗り越えるのか、受け手としても考えてみたいと思っています。「安全神話」みたいに一億総懺悔させられるのもたまりませんからね。まあ、自分としては見たもの聴いたものについて、好悪に終わらない見解を出していくことくらいしかできませんけれど…

ともあれ、今日のところはこれにて。ではまた。



最終回にこれ、放送してくれませんかねえ…(我欲全開)

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