2013年4月22日月曜日

ベルリオーズの話 その交響曲について~または動画日記のようなもの

こんにちは。千葉です。

間を空けずに書き続けるのは難しいのです。特に、お題が少し大きくなるとそこから書くものがかってに拡がってしまうのでますます難しくなる。そうか、コンパクトにまとめることが自分の場合過大なのだな、ふむふむ(いま気づいたのか!)。

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そして復帰する今日の記事はまあ、動画日記でもいいのだけれど、ちゃんと中身までは見られてないものが多いので。

先日、「ベルリオーズのスペシャリスト」なる評価について疑念を呈しました。もちろん、その演奏が悪い!とか言いたいわけではなく(先日書いたとおり、千葉はサー・コリン・デイヴィスについては何度かの実演での経験が大きすぎて、録音をうまく評価できませんが、聴いたいくつかはきちんとしたお仕事だったかと)。ベルリオーズという人が、非常に独特な作曲家であって、その「スペシャリスト」ってのは何を指すのかねと問いたいのです。

生きた時代はアーノンクールが言うところの音楽受容の転換期、フランス革命前後。特段神童だったりしたわけではなく(得意な楽器はギターだった、とかなんとか…)、ベートーヴェンを尊敬しワーグナーやリストとも交友があった、作品の評価のみならず社会の変化にも影響されてその地位も大きく動いている。その生涯については、千葉はこの本で学びました。大部なので、なかなか大変でしたけど…




読んだもんねー、だから俺のほうが知ってるもんねーとか言いたいわけじゃないんですよ(笑)。時代の相を踏まえて捉えるようにしないと、こんな変な作曲家(褒め言葉)をちゃんと認識できるとは思えないのです。それ故に、「幻想交響曲の人、でもたしかいろんなジャンルの作品を書いたんだよね」くらいの認識で喧伝されることになっちゃってるんじゃないかなあって。そんな具合だから、簡単に「スペシャリスト」とか言えちゃうんじゃないかなあ、って。

こと交響曲ひとつ取っても、彼ははっきり言って変です。
ベートーヴェンの没後3年で発表された「幻想交響曲」が独特であるのは言うまでもないですが(とはいえ、かなり彼自身の書いたプログラム通りに作られた交響曲ではある)、それに「レリオ」をつけちゃうのはどうよ。
パガニーニに委嘱されたヴィオラ協奏曲(のようなもの)を交響曲にしちゃう、独奏というかオブリガードパートをフィナーレの音響的クライマックスに休ませるのはどうよ(笑)。
戯曲をベースにしたカンタータ的作品を交響曲とするのはどうよ。いや、ある意味「幻想」直系の作品だから、まあ筋が通ってはいる、のかなあ…
そして時代の相がそのような作品を求めたことは知っている、でもでもでも。

この辺の独特なところ、映像で見ていただくのが一番わかりやすいのですが、どうも適当なものを見つけられない。っていうか、あるけどちょっとグレイかなあ…たとえば幻想交響曲ならこれとか「イタリアのハロルド」ならこれとか。ソフトが入手困難とか事情があればまだ、ねえ。むむむ。

そんなわけでこの項、動画日記にはし難いなあと思っておりましたが。せっかくなので、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」と、「葬送と勝利の交響曲」は問題なさそうな動画を見つけましたのでご紹介します。まだちゃんと見られていないのでコメントはありません。ご容赦のほど。

まずは「ロメオとジュリエット」。



ジェイムズ・ガフィガン指揮オランダ放送フィルハーモニーほかによる演奏、またしてもAvroClassicsです。ありがたい。密かに合唱指揮がサイモン・ハルシーだったりするのはポイント高いですね。ふむふむ。

そして「葬送と勝利の交響曲」はこちら。



ワレリー・ハイリーロフ指揮ロシア国防軍中央軍楽隊(あってるかなあ、これで)ほかによる演奏です。ステージみつしりの出演者にテンションが上りますが、でももしかすると、これはそもそも会場の選択が間違っているのではないだろうか(そういう問題なのか)。

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大編成萌えしてしまうのはもしかするとさっき見た映像のせいかもしれないのだけれど(オーチャードホールで聴くよりはいい音だったのではないだろうか、くらいしか感想がないのできっと先々も言及しますん)、ことベルリオーズはとっても面白いので機会を作って紹介します。また微妙な動画日記かもしれませんが。

それにしてもあれですね。ニコ・ロズベルグとマーク・ウェバー、そろそろ(以下自重)。ではまた、ごきげんよう。


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